2015年8月31日月曜日

まさか!?

まさかこのまま夏が終わってしまうことも無かろうが、何とも侘しく肌寒い8月の最終日である。山歩きが出来ないので山小屋や山好きの人のブログを見て楽しんでいるのだが、今年の夏山シーズンは例年に比べ大分短かったようだ。8月最後の土日、上高地河童橋付近の人影がまばらだ。月が代われば紅葉の便りが待たれることになる。来月末には前立腺が治療も一旦終わる予定だから、シルバーウィークが終わった頃にでも、ふらりとどこか高原にでも出かけてみたい。

気候は不安定なんて言っても、日本は何と平和で素晴らしい国だろうか。自ら考える脳味噌を持たないような安倍晋三氏にでも首相が勤まることがその証明とも言える。昨日のブログで書いたばかりだが、世界には、国民の多くが日常的に命の危険にさらされ、ついには生まれ育った祖国を捨てる仕儀にならざるを得ない国が沢山ある。内閣は世界情勢を知ってか知らずか、安全保障環境が様変わりしていると大騒ぎして、憲法解釈を変えてみたり、付け焼刃の疑い濃厚な法案を国会に提出しているが、日本で何かとんでもない動乱が発生する可能性を真剣に検討したことがあるだろうか?

恐らく一度も無いだろう。積極的平和主義なんて造語を振りかざして、他人の頭の蝿を追うことばかり強調している者には、自分の頭の蝿には気づきにくいものだ。確かに国内で動乱の発生する可能性は低いかもしれぬ。しかし低い可能性であっても、歴史を踏まえて頭の体操をすればシナリオは無数に存在する。一昨日のNHKテレビ「ぶらタモリ」で、故郷長野の軽井沢の歴史を検証していた。いろいろ面白かったが、中でも地質学者の解説に興味をひかれた。軽井沢一帯は標高900メートル地点であるのに何故か平らな土地である。

何故か、もともとこの一帯は、浅間山噴火が原因とかで出来た湖だったらしい。ところが2万年ほど前、浅間山よりはるか手前にある離山(軽井沢駅から西へ数キロでちょっと奥に入った別荘地帯が整備されているこんもりした小山。昔勤務した会社の別荘がありよく通ったものだ)が大爆発して、その火砕流が湖を埋めてしまった故に出現した土地とのこと。多分現在は、専門の学者でなければ離山が昔火山とはとても想像つかない。しかし地質学者から見れば、2万年なんて歳月はそう古いことではないらしい。地震や火山爆発はいつどこで起きても不思議は無い。

これは自然現象だから、喩えとしては適切でないかもしれぬ。しかし社会現象面では、ある日思いもよらぬことが起きる可能性は遥かに高い筈。まして最近の日本、特に都会ではかもしれぬ、地域社会の結びつきが薄くなって、得体のしれない人が隣組に住んでいても知って知らぬ振りをしているケースが多い。我が居住地域でも、今度の週末が氏神様のお祭りだ。我が家でもささやかな寄付をさせて頂いたとの話から、寄付集めの苦労話と子供の貧困について官邸が又何かを立ち上げた話になった。

寄付集めでは、我が住まいの1区画(多分20戸には満たないのでは)だけでも、役員の間であの家には寄付を貰いに行く必要が無い、即ち行っても絶対に貰えないと決まった家があるそうだ。勿論日本人かどうか、何をしている人かなんて分かる筈もない。それでもまだ地域社会が壊れているとまでは言えないだろうが、都市部ではそんな影が徐々に濃くなってきているのも事実だろう。

次に子供の貧困に関する有識者会議であるが、有識者の会議で実態を検証するようなことを言っている。彼等に実態が理解できるのだろうかとのこと。四半世紀も前にPTAの会計責任者をしていた婆さんによると、現場では児童の家庭環境は、昔からはっきり分かっていることだそうだ。市町村の末端では実態が把握されているにも拘らず、きめ細かな対応をするだけの資源の配分が無いだけのことらしい。どの児童の家庭がPTA会費や給食費(場合によっては両方)が免除されているかなんて現場では皆知っていることらしい。偉いさんが永田町に集まって数字だけ眺めて議論して、果たして何が変るかは甚だ疑問。

もっと日本社会の現実を深く探り、起きてほしくはないが起きる可能性がゼロでないことを真剣に模索すべきだ。タイで爆弾事件の犯人1名逮捕のニュースを聞いていると、自衛隊の法体系を再検討する以前に考えるべきことは他に沢山あるような気がする。

2015年8月30日日曜日

難民問題

世の中、特に外国事情は分からないこと知らないことだらけだが、昨日TBSの「報道特集」の特集「ヨーロッパの難民問題」を観て改めて思った。アフリカ大陸から逃れてイタリアを目指した難民が地中海で悲劇に見舞われるとか、マケドニア国境で国境を突破しようとする難民と警察の衝突なんてニュースは時々あったので、ニュースを観た時だけは大変だなと漠然と思っていただけである。恐らく多くの国民も難民問題と聞いてもピンと来ない筈だ。ベトナム戦争時代にボートピープルが日本に漂流同然で辿り着いた騒ぎがあったが、その後の決着すら思い起こせない。

昨日の放送がルポしたのは、ギリシャ沿岸に対岸のトルコから辿り着いたボートピープルである。ギリシャと言う国についての報道と言えば、専ら国家の財政破綻と政権選挙で、国民生活は塗炭の苦しみの中にあって、金融機関の取り付け騒ぎ一歩手前の状況で、嘗てのように古代文明を楽しむ人で賑わう観光立国とはとてもいかぬだろうと勝手に決めつけていた。ところが、ルポの趣旨が異なるので断定できないが、意外に国民生活に大きな動揺が無いのかもしれない。

兎に角、トルコとギリシャ領の島が最も接近しているところでは、対岸が肉眼で確認できるほど近いらしい。この島に日本人レポータが張り込んでボートピープルを待ち受けた顛末だった。この島は日本の沖縄のような夏のリゾート地らしい雰囲気である。TBSのレポータが欧米の記者たちと共に待ち構えているその島を目指す不審なボートが発見されるところからレポートが始まる。当然だが漂着の大分前から確認できているので、漂着しそうな海岸(と言っても、砂浜ではない崖下)に記者たちは移動して待ち受ける。

トルコの沿岸警備隊は違法な出国を取り締まるためのパトロール(これも映像がある)はしているようだが、どうも多勢に無勢の感があるようで捉まえきれないらしい。辿り着いた難民(昨日の放送では老若男女約50人)は上陸するなり乗船してきたボート(大型ゴムボートに船外機がついている)を切り裂いたり、叩き壊してしまう。送り返せなくするためらしい。そして、難民申請の為に警察に向かうのだが、難民が次から次へと押し寄せるので警察は手が回らず、警察か収容施設か分からないが塀の外で何日も待つことになるらしい。

それでも最終的には難民として受け付けてもらい、フェリーで首都アテネに送られる。ここで一応正式に難民を証明するペーパーだけは貰えたと思う。難民の側もギリシャで生活できないことは承知しているらしい。そこから又徒歩でユーラシア大陸を北上してドイツやスウェーデンを目指すらしい。マケドニア国境の騒動はその途中のことで、違法な越境は何もマケドニアだけに限らない。昨日のルポ対象になっていた人達はアフガニスタンからイラン・トルコを経てギリシャに入国するまでの距離だけで約4千キロと言っていたような気がする。

彼等は当然途中の危険を承知で、それこそ命を懸けて国を捨ててきているのだ。
この人たちは自分の人生をどのように考えているのだろうか?昨日の取材対象は、結果的にドイツに辿り着いて難民として生活の足場を固めることが出来た。ドイツはEU諸国で最も多くの難民を受け入れているらしい。今年すでに2万人を超す難民を受け入れているそうだ。理由は先の大戦時に世界各国に多大な迷惑をかけた歴史観に基づく気持ちがあるかららしい。一方で過激派右翼の激しい移民排斥行動もある。

兎に角「難民」が、欧米では非常に大きな社会問題になっていることだけは分かった。難民の発生源は何もアフガニスタン1国ではない、ISの迫害から逃れる中東諸国にアフリカの国々、中南米にもあるのだろう。島国故、大陸諸国からの難民なんて普段考えても見なかった。国際平和への貢献と言えば金を出すか、自衛隊を出すことくらいしか頭に浮かばない日本人。もっと大きな問題があることを知っただけでも、番組を観た価値があった。

2015年8月28日金曜日

上手くいかないものだ

天気予報では秋雨前線の接近と言っていたが、先週までの酷暑が嘘のように今日も涼しい。それにしても、子供たちの夏休みも終わらない8月中にこんなに涼しさが続くのも一種異常に感じる。少し早いが秋風に誘われて、こちらも慌てた話でもないとは思うが、少し身辺のことを考えてみた。75年に亘る来し方は考えても仕方がないが、随分好き放題にしてきたようにも思う。罰が当たった訳でもあるまいが、今年は終に前立腺がん治療に専念する年になってしまった。

昨年まで出来たことで、思うに任せぬ仕儀になったことが沢山あるのはやむを得ないとしよう。問題は今後の問題だ。あと1ヵ月もすれば一応前立腺がんの治療は終了することになっている。局所的に治っても転移しないとの保証はないのだろう。治ったつもりでいたが、がんの転移で再度病院通いしている友人知人は枚挙に暇がない。その例外であることを祈るしかないが、例外であったにしても、先の年月に関しては真面目に考えなくてはならない。

残すところあと何年とはっきり分かれば、より具体的にイメージでいるだろうが、今日以降の歳月を特定できないのが悩ましい。この秋以降は生活態度や様式をかなり変えなくてはならないことになるだろう。これまでの人生でも思い通りいかないことばかりで、思った通り、計画通りなんてことは殆ど無かった。秋以降について真面目に考え、計画を立てるべきかと思うが、立てたところでその通りになる筈もない。

幸い今までにやり残したことや、これから先にあれをしたいこれをしたいと思うことは殆ど無い。毎日を昨日今日と同じように平穏無事に過ごせれば良いだけのことである。一見簡単にも思えるが、落ち着いて考えると、相当難しい問題かもしれぬ。少し考え始めたが、やはり途中で考えるのをやめてしまった。その後いつものように日大板橋病院に行った。かなり計画的な行動であるが、これは病院のスケジュールに合わせているからである。

病院側は最新鋭の機械での治療なので、時間を厳守してくれとのこと。こちらに時間はたっぷりあるので、いつも指定された時間の5分前には必ず放射線科で受付をしてもらっている。ところがこの最新鋭の機械、今週は何故か具合が悪いようだ。先ず、火曜日に病院の門まで来たところで電話があり、今日は機械がトラブッテいるので申し訳ないが、お帰り願いたいとのこと。

今日は待ち時間が大幅に延長。400ccの水を飲んで待っているのでおしっこが我慢できなくなった。しかし放尿してしまうと、もう一度水を飲み直して1時間近く待機することになる。油汗をかきながら我慢して治療を受ける。終わった瞬間、技師の人も心得て、後の手順を相当省略して「このまま直ぐトイレに行って頂いて結構です。」言ってもらった時はほっとした。

何でもこの機械は輸入品で、東芝が輸入とメンテナンスを受け持っているのだそうだ。エラーが発生するのは、3つの機械が一体となっていて、3個間の通信が上手くいかなくなることが原因らしい。多少パソコンを弄るので分からないでもない。現代はコンピュータで制御されるもの多いが、精密に設計されている機械ですら屡エラーが起きる。宇宙ロケットや原発だって同じことだろう。

ましてぼけ老人が雑駁な計画を立てたところで、上手くいく道理が無いだろう。妙な形で午前中の思考停止に納得した。

2015年8月27日木曜日

病人は困る

昨日までは一種の異常気象で凌ぎやすい日が3日ほど続いたので、身体が少し楽になった。でも明日以降は又暑さがぶり返すとのこと、これが当たり前だからもう少し辛抱するしかない。我慢できないのは自民党内の動き、今日の報道では岸田派と石原派(なんて派閥があったとは知らなかったが)次回総裁選で安倍支持を申し合わせた。これで安倍続投は確定的みたいことらしい。なんて情けない奴らなんだろう。本気で安倍晋三氏が国家国民にとって最善の選択と思っているとしたら、世も末だ。

ところで昨日チラとネットで見て確認が取れず気になっていた記事がある。総理が参議院安保法制特別委員会またヤジを飛ばしたかで陳謝である。その後の夕刊やテレビニュースでは確認できなかったので気にしていたところ、今朝のネットで以下の報道を確認することができた。

『安全保障関連法案の審議中、安倍晋三首相のヤジなどの不規則発言が目立つとして、民主党は26日の参院平和安全法制特別委員会理事会で、「荒っぽくなってきた」と抗議した。自民党も「誠に遺憾」と陳謝した上で、再発防止を約束した。

 民主筆頭理事の北沢俊美元防衛相は理事会で、「首相は座ったまま足を投げ出したり(不規則)発言したりしている。これ以上委員会にふさわしくない態度なら、頭を冷やしてもらうため委員会を休ませていただきたい」と述べ、審議に応じない可能性に言及した。』昨日は実況を見なかったが、やはり本当だったようだ。余程こらえ性が無くなっているのではないか。

同じ間違いの繰り返しだから重要なことだと思うが、マスコミは何故か大きく取り上げない。同じ謝罪でも武藤議員の記者会見の方により大きなニュースバリューを見つけているようだが、安倍チルドレンに紛れ込んだチンピラのこと等にもう騒ぎ立てるまでも無い。放っておいても何れ議員辞職せざるを得ないか、次の選挙に立候補できたとしても、再び議員バッジを付けることは叶わぬだろう。

そんなことに比べると、総理の健康状態が本当に気になる。何と言っても一国のリーダーである。国内外には重要な課題が山積している中にあって判断が粗くなっている可能性ありとすれば、北沢俊美元防衛相の言い分も分からぬではない。「健全な精神は健全な身体に宿る」は実に言い得て妙。前立腺がんの放射線治療真只中で、その副作用に日夜苦しめられている身なので実感するが、気力と共に判断能力が低下していることだけは否めない。

総理の健康に関することは全く分からないが、気力も衰えず、威勢のいいことを言い続けているようにも見える。しかし人によっては実態を隠すために無理して見栄を張る人もいる。閣内や党内には総理の健康について実態を把握している人間は多い筈だ。当然マスコミにも情報は洩れている筈。どうも厳重な情報統制が敷かれているように思う。週刊誌で報じられる半病人説が事実だとすれば相当問題だ。週刊誌が無責任とは言えないが、大手を含む裏付け報道が欲しいものだ。

根拠はないが「石破氏が立候補をやめたのは、安倍氏が病気で途中で内閣を投げ出すので、そこでの勝負にした方が楽と見たから」なんてことまで言われているようだ。情けなさすぎるでしょう、自民党さんよ。一人一人がもっと国民に向き合って、まともな判断を願いたいものだ。

2015年8月26日水曜日

見切り千両

今日の株式関連報道には、東証底入れ機運とか東証大反発の文字が躍っている。政権自体が「アベノミクスは買いです」なんて煽ってきた博奕の世界だから、政府は胸を撫で下ろしているのかもしれない。先週末からどこの犬が影に吠えてどこの百犬がその声に吠えたのかどうか、又今日は誰が買いに転じているか知る由も無いし、我が家には関係ない世界のことだが、世界的株安がこれで納まるなら目出度い限りだ。ところが一方で、極めて唐突に「安倍首相は26日午前、オバマ米大統領と電話で会談した。」なんて報道がある。

会談内容は、オバマ大統領が米国家安全保障局(NSA)が日本政府や日本企業などの電話を盗聴していたとされる疑惑について、「日本で大きな議論を呼び、迷惑をかけていることを大変申し訳なく思う」と謝罪した。なんて古い事柄を前面に出しているが、後段の「世界的な株安への対応で先進主要7カ国(G7)で連携していくことを確認。」が本音だろう。

アメリカはこの事態を相当深刻に受け止めていると見るのが自然だ。何でも株の売買は難しいもので、過去に世界大不況のきっかけになった1987年10月19日ブラックマンデーの大暴落も本当の原因は分からないものらしい。諸説が横行しているようだが、今週のブラックマンデーも理由が分かっている人間はいないらしい。中国の為替切り下げが理由だと言われているが、きっかけとして、あまりに曖昧だそうだ。きっかけがわからなければ、世界の情報トップのアメリカ政府でさえ真の要因、背景もわからないのかもしれぬ。

ましてや日本だけが世界的株安の埒外に置かれるなんて、うまい具合に運ぶ筈もあるまい。テレビを観ていると、証券マンの中には今が買い時ですとか、日経平均は年内に3万円に届きます、なんてしたり顔で言う手合いもいる。素人だから可能性を否定することはできないが、こいつら誰からのご祝儀を期待して、公共の電波でいい加減なことを言い散らかすのか。まさか政府関係者ではあるまいな。何れにしても政界のみならず、世の中一寸先は闇であるのは確か。

昔から諦めが早いので「見切り千両」はよく使った言葉だが、これは元々投資家の用語であるのを初めて知った。政府が博奕を打って国家の景気が良くなるなら誰も苦労はしない。素人が手を出すと概ねすってんてんになると昔から決まったものだ。政府は投資している訳ではないから、損はしないと思っている節もある。莫大な金額を投じた株も売らなければいいのだから、金勘定だけに限ればそうなのかもしれぬが、その間に失うものの大きさに早く気付くべきだろう。

2015年8月25日火曜日

時間の無駄 常識・非常識の問題

先週末から今週にかけて、何が原因かしらぬが世界的に株価が急落して日本もその例にもれず、株価に支えられてきたとされる安倍政権の経済政策も少し難儀なようだ。別に日本経済が株価に支えられてきた訳ではないだろう。国民の暮らしは株の高値が続いていた時から大変なのだから、これで政権側も本気になって経済対策を講じてくれるとすれば、多くの国民にとっては喜ぶべきことかもしれぬ。なんてちゃっても冗談で、現政権が真剣に国民生活の苦労を慮ることなんかあり得ない。

私利私欲の塊、政権与党は尋常ならざる手段で成立を企む安保法制の為に、国会期間をな95日も延長している。ために今日も、無意味にも思えるくだらぬ議論がだらだらと続いている。少なくとも小生は、とどのつまりが法案成立で、自民党総裁の安倍続投と考えると暗澹たる気持ちにならざるを得ない。最新の世論調査では内閣支持率が若干と雖も回復したとの報道もある。なんと世の中とは不合理なものか。天網恢恢疎にして漏らさずが本当なら、どこかで安倍御一統には天罰が下ってほしいものだ。

こちらの不快感をよそにご本人達はさぞ愉快な気分でいるかと思いきや、案外そう嬉しがってばかりもいられないのか。この週末の2日を自宅に引き籠って過ごすのは総理には珍しいこととて、健康不安説などが大分流布されている。確かにアベノミクスを連呼して強がっていた時に比べると、顔色はどこか不健康であるのも確かだ。国会での強硬姿勢はいいが、外交好きの総理にとって外交面が八方ふさがりは相当に神経を圧迫しているのだろう。「ざまぁ見やがれ」と他人の不幸を願ってばかりいても、陰陽師でもないので呪い殺すことはできないのが残念だ。

他人事で非論理的なことばかり書いてしまった。少しは論理的に説明できそうなことで気分を変えたい。今日の午前中は国会中継を見る気がしなかったので、3人の憲法学者が集団的自衛権行使の憲法解釈変更に異を唱えた例の憲法審査会の映像を改めて見直した。つい先日のようにも思っていたが、既に2か月以上前の6月4日衆議院からの中継である。何故こんな気になったか?この発言は民主党の中川正春氏の質問に答える形で出てきている。

質問した中川氏も、恐らくはこんな回答を期待していた訳でもないだろう、との記事に出くわしたからだ。民主党中川氏についても記憶に残っていた人ではないし、今国会では安保法制特別委員会の委員ではなかったと思う。結果的には野党側に相当な手柄をもたらしたことになるが、決して下っ端ではないし、見ればあの人と分かるのだが、温厚そうなお人で忘れられ易いタイプかも知れぬ。改めて映像をチェックすると、いきなり質問して最初に自民党推薦の長谷部先生を指名したのは、確かに偶然の産物のようにも見える。

ここから先の小林先生、笹田先生を含む3憲法学者学者先生の発言は今更ここで引用するまでもない。印象的だったのは中川氏がその前に笹田先生と小林先生に質した質問である。中川氏も改憲、特に9条に関しては何らかの対応が必要と思われるが、現政府のような強引なやり方では逆に国民の理解を得難いのでは?として次のように質した。趣旨は「安保法制をめぐっての議論で、集団的自衛権や専守防衛の意味が変った。言葉が揺れているように思う。言葉の定義は誰がコントロールすべきですか?」

維新推薦の笹田先生は諸外国の例を引きながら「日本に於いては結局内閣法制局にならざるを得ない。」との回答。ところが嘗ては自民党寄りでこの時は民主推薦の小林先生の回答が面白い。「これは有権解釈(権威ある人が言葉の意味を定義することだそうだ)の問題でないと思う。この日本語の乱れは常識非常識の問題だと思います。政治家に少しでもプライドがあればこんな議論はできない筈です。例え名誉棄損で訴えられても構いません。」と言い切った。

集団的自衛権に一般的とか、限定的とか。専守防衛に3要件なるもの当てはめて、直接攻撃が無くても我が国と密接な関係にある他国への攻撃があればとか、直接攻撃が無くても可能性と恐れがあればとか、真面目に議論できる話ではないでしょうと言わんばかりである。しかし今日も国会では延々と議論が続いている。

2015年8月24日月曜日

平和ボケと老人ボケ

今日から放射線治療の後半戦4週間が始まる。今朝はこの夏一番の涼しさになった。このまま秋に突入とはいかぬだろうが、それでも一息つけそうでありがたい。週末の水泳をやめて4週間を経過した。週末の夜アレルギー性の鼻水とクシャミに悩むことが無くなったことには救われている。但し今は、平日週末の関係なしに夜毎の頻尿に悩まされている。これとアレルギーが重なっていることを思うとゾッとする。

水泳をやめたことで運動不足は否めないだろうが、それだけ疲労が少ないので、以前と比較すると土日にできることが多くなった。水泳なんぞしていた日には一昨日のミニ同窓会や昨日の映画鑑賞も覚束なかっただろう。これからはより平穏な老後を楽しむことができると思いつつも、昨日の早朝に思ったことがある。個人的に平和を満喫させてもらっていて結構だが、国民全体として考える時、平和に慣れ過ぎてしまっていることをどのように考えるかだ。

何も政府与党の集団的自衛権行使容認賛成に宗旨を変えるわけではない。そのことは脇に置いて、多少ボケかけてはいるが少しは世界諸外国の事情も知る必要を感じた。我々の世代は高度成長を牽引した世代なので、友人の多くが海外在住の経験を持ち、リタイアした現在でも積極的に海外旅行を続ける人が多い。そんな中にあって、サラリーマン現役時代も海外旅行の経験が少ない上に、60歳代に入ると海外旅行への興味を全く失ってしまった。理由はよく分からないが、経済的理由の他には面倒くさがり的性格あるだろう。

故に海外事情に関しては、ごく平均的なオバサン連中以下であるのも間違いない。そのくせ安全保障環境の変化なんて国会論議を真面目に聴こうとするのだから、どうしても自己矛盾が生じる可能性がある。と書けば格好いいが、このところ国内のニュースがつまらないので、たまたま昨日の朝BS・NHKで海外ニュースを少し観ていたのである。

そこで少し驚いた。国内は大阪寝屋川市の事件の陰でほとんど取り上げられていないが、欧米の大多数国で『国際特急列車でテロを防いだのは「休暇中の米兵」』を大々的に取り上げている。ギリシャの総選挙や朝鮮半島での緊張より前に来ている。事件発生は日本時間22日未明、一昨日ネットで事件の発生は知っていたが、詳細まで関心が無かったので大事件とは認識しなかった。国会論議の中でも、先日の新幹線での焼身自殺事件を引き合いにして列車テロが言及されることはたまにある。しかし今回フランスで発生したこの事件の詳細は今でも知らない人が多いだろう。

簡単に敷衍しておく。「オランダからパリに向かう特急列車に自動小銃を持ち込んだモロッコ人テロリストが列車内で乱射し始めた。その時に休暇で乗り合わせていたアメリカ人兵士(アフガニスタン帰り)2人と民間人の友人1人の3人が、犯人の反撃で負傷しながらも犯人を取り押さえ、結果的に重症者はいるが死者を出さずに済んでいる。」この行為に関し、フランス大統領は即日3人に勲章を授与、列車が通過する各国首脳は勿論、アメリカ大統領やイギリス首相までが絶賛しているとの構図である。

政府は、今後自衛隊もアメリカと一緒に他国で戦争することを前提に、装備や訓練を変更しようとしている。少なくとも今年の1月シリアの砂漠で後藤健二さんが殺害されるまで、日本国内で外国人によるテロは考えられなかった。しかし昨日このニュースを観て、今回フランスで発生したような事件が、近い将来日本で起きても不思議は無いと思った。これが安全保障環境の変化と言うことなのか?

であるなら、平和ボケしているのはむしろ政府与党ではないか。警察や消防を巻き込んで真剣に国内テロ対策を真剣に検討することもなく、他国での戦いについて一生懸命だ。国内のテロ対策は自衛隊法の変更だけではとても対応しきれる筈がない。現在国会で論議されていることは、先日「誰が為の法案か」と書いた通りどこか現実離れしている。政治家やマスコミに限らず、全ての人に「今そこにある危機」への注目を喚起したい。

2015年8月23日日曜日

映画感想『日本のいちばん長い日』

前立腺がん治療が終わる来月の末までは病院以外に出歩くのを自主規制していた。病気との関係だけでなく、今月発売の「文藝春秋9月号」に立花隆氏が簡単な感想を書いていて、あまり好意的でなかったこともある。ところが、昨日のミニ同窓会に映画創りのプロがいて『日本のいちばん長い日』はよく出来た映画と折り紙を付けてくれた。立花氏は昭和天皇を演じた本木雅弘君には辛い点を付けているが、友人は褒めてくれた。

1967年の同名の映画には昭和天皇の正面からのショットが無かったが、本木君は果敢にこれに挑戦した訳だ。婆さんは映画を見る趣味はないが、こんな事を教えてくれて、それだけでも観る価値があるのでは、と背中を押してくれた。個人的感想を一言にして言えば「成程よく出来ていて、一見の価値が十分にあった」半世紀近く前の映画と原作が同じだから、ストーリーに殆ど違いはない。前作はモノクロで今回は勿論カラーである。音響も含め今回の方が迫力はある。

前作の印象は殆ど薄れ、三船敏郎の阿南陸相自刃シーンの印象だけが強いが、キャストがやたらに豪華だったような記憶がある。当時は未だ映画が娯楽の筆頭で、映画俳優を殆ど知っていたからそう思ったのだろう。引き換え今回はキャストについて言えば、本木雅弘以外に知っている役者が阿南陸相の役所広司と鈴木首相の山崎努程度だから比較するに少し無理があるが、どの役者もよくやっていたように思う。

この映画を見て改めて思ったのは、「1945年の8月15日をもって日本は変わった。」とよく言われるが、果たしてそうだろうかである。当時終戦に尽力した人たちは「戦に負けるが、日本は不滅」を信じていたに違いない。何故なら「戦に負けて軍隊も一旦なくなるだろう。しかし天皇制が残る限り日本は生き残った人間の努力で復活し、いつの日か軍隊も甦る」と思っていた節を感じた。であればこそ、責任を取るとして自決した人が多い。その殆どが天皇や国家に対する謝罪で、国民に迷惑を掛けて申し訳ない、と言った人はいないような感じもある。

映画的には感動して涙が出て来るが、昨今の安保法制騒ぎの最中に観たせいもあり、日本人の潔さは良いにしても、70年経っても余り変わらぬ何かをむしろ強く感じてしまった。安倍内閣の面々はその思想を忠実に引き継ぎたいのだろう。

2015年8月22日土曜日

大阪で殺人容疑者逮捕だそうだ

マスコミはなんでこんなに大騒ぎをしなければならないのか、大阪の少年少女殺害事件報道については少し異常な騒ぎ方だと思う。被害少年少女を憐れみ、犯人を憎むの気持ちは誰にもあろう。大阪府警もよく頑張ったと思う。捜査当局から報道拡大の要請が出ていたのなら仕方ないが、その様子は伺えない。特に少女の遺体発見後のマスコミ、特にテレビはNHKまで巻き込んで全局が、ヒステリックに推測を含め毒にも薬にもならぬ現象を繰り返し流している。

一視聴者としてはいい迷惑だ。犯人も異常なら、お前たちもいささか常軌を逸しているのではないか、と言いたい。世界には中国やギリシャ問題に端を発する経済問題、南北朝鮮問題など、今後日本と密接な関係を持つ重大問題が発生しつつある。国内でも安保法制関連で、参議院の特別委員会で安倍総理がまた不用意なヤジを飛ばして審議中断が起きている。安倍総理が思わず苛つくほど、日本は経済的にも政治的にも危機的状況にあると見ても不思議はあるまい。

にも拘らず自民党内の動きは危機感とは程遠く、来月の総裁選候補者が新たには出そうにないとのこと。全くどうなっているのやら?年寄りには余計な心配は無用か。せめて土日のワイド番組ぐらいはまともなテーマを扱ってほしいものだ。

今日はこちらも極楽とんぼの本領発揮で、高校のミニ同窓会に参加。昼から飲みつけぬ高級ワインを飲んだりしてすっかり出来上がってしまった。

2015年8月21日金曜日

誰が為の法案か

お盆前から今週にかけて、参議院の安保法制特別委員会で共産党小池亮氏が頑張って政府、特に防衛省のあり方を追及している。先ず独自に入手した自衛隊の内部資料の確認を求め、防衛相に実物であることを確認させた。そこには今年の4月に締結された「新・日米ガイドライン」なるものが、国会審議なんか全く無視して、実質的に日本の自衛隊が「軍隊」としてアメリカ軍の肩代わりをしていくことが明らかにされている。

防衛相は、これはあくまで内部(制服組)研究資料で、これまでの防衛方針を超えた日米の共同作戦計画なんかあり得ないと強弁を続けているが、この内部資料では新方針に基づく「新・日米ガイドライン」は日本防衛のための共同作戦計画に留まらないことは明らか。それを受けて自衛隊内では国会審議が始まる前から具体化の作業に突入している訳である。防衛相や総理が知らない筈もないと思うが、共産党は統合幕僚長の国会への参考人招致を委員長に要請して、一昨日の質問を終了している。

共産党の攻め口は動かしがたい事実をベースに論理的に迫る極めて正攻法的な手法である。政府は野党の質問に対して姑息な回答で答えるのを常とするが、この委員会は特に「言い訳・屁理屈」の展示会のようなもので、教育上善くないばかりか、日本国の品位を損なっている。とは言っても野党が少数の国会なので、統合幕僚長の参考人招致の実現可能性は低いのだろう。ここまでは病院に行く前の午前中に書いた。今日も午後から委員会が開かれ、共産党小池氏からは一昨日同様の質問と委員長への要請がされているが、事態になんの進捗も見られない。

それにしても、政府もここまで追い込まれてしどろもどろになりながら、よく頑張るものだ。これを廃案にすると来月末の総裁選挙で再選の目が無くなるので必死と言うこともあるのか、高校球児なら褒めてやりたいが、いい加減に出直しを決断していったん廃案とすべきだろう。自民党や公明党にもリベラル派と言われる人間はいると思うが、聞こえてくるのは村上誠一郎氏やバッジを外した古賀誠氏の声ばかりだ。策士の二階総務委員長が安倍氏に取り込まれてしまったようで、野田聖子氏は枠外に転落、石破氏も鳴りを潜めて、形勢不利と見られているとのこと。全く情けない。

正攻法ではないように思われて、マスコミではほとんど取り上げてもらえないが、小生には山本太郎氏(生活の党と山本太郎となかまたち共同代表)の質問が一番分かり易い。マスコミでは泡沫候補扱いで相手にされぬが、高校も満足出ていないこの山本氏の質問は面白い。指導者が良いのか本人の努力なのかは別にして、小沢一郎氏の下手くそな演説より100倍面白い。今日の質問は時間が少ないので兎も角、一昨日の質問「永田町ではみんな知っているけれどもわざわざ言わないことを質問していきたいと思います。」は時間的にも少し余裕があって秀逸だったと思う。

要するに、現政府のやっていることは全てアメリカの言うなり、正に属国なんて通り越して、アメリカの一部になってしまっている。だったら、我々に大統領を選ぶ権限を持たせてくれ。との趣旨。彼もまた外務省ホームページに掲載されている明確なエビデンス(第3次アーミテージ・ナイレポート2012・8.15)からの引用による質問なのでまともに思うが、政府側は軽くいなしている。「これは民間団体のレポートで、アメリカ政府機関のものではありませんので、コメントは控えたいと思います。」だとさ。

質疑の応答を詳細に書きたいが、共産党で字数を費やし過ぎた。暇な人はせめて下記を参照願いたい。
https://www.taro-yamamoto.jp/national-diet/5047

2015年8月20日木曜日

季節の変わり目を感じるが

蒸し暑さは少し残っているが、今日は気温がふだんほどでないので病院の往復が少し楽になった気がする。放射線治療もやっと明日で前半の4週間が終わり、来週から後半の4週間が始まる。これまでは高校野球に殆ど興味はなかったが、毎日病院で13時から14時の1時間待合室でテレビ観戦してしまった。今日も初回で東海大相模がいきなり4点を先取したので、仙台育英は神経が切れて、このままずるずる負けるかと思いきや。流石決勝まで勝ち上がった球児たちだ。

帰宅すると8回の裏が終了したところで、なんと6対6になっていた。結果的には負けはしたが、評論家の張本勲氏に代わって両校に「アッパレ」を上げたい。高校野球をテレビで垣間見て思うのは、選手インタビューの受け答えの清々しさに感動してしまう。婆さんはいつも「馬鹿な政治家に見習わせたい」と言っている。見る人が見れば実力の差について解説できるのだろうが、こちらは技能を評価する眼力はゼロであることを念のため申し添えておく。

高校野球も終わると、夏休みも残り10日なんて子も多いことだろう。昔は高校になったら宿題なんかなかった気がするが、現代はどうかな?孫が二人高校生なので聞いてみたい気がする。昔も今も、宿題なんかより進学の為に自分で建てた計画の方が大事なんだろう。小学1年生の孫もいるが、聞くところによると、朝ごはんの後で自分から進んで宿題をしているとのこと。我が子孫には他県から異質の血が取り込まれているので、我が劣性遺伝が継承されないでいるとすればこんな喜ばしいことはない。

兎も角、確実に夜明けが遅く夕闇の迫りが早くなっている。夕方には草むらから虫の声も聞こえるようになった。若人には季節の移り変わりは新たな感慨をもたらすだろうが、同じような訳にいかないのが残念でもある。暑さがぶり返しても精々あと1か月、その頃は連日の病院通いからも解放される筈だ。そしたら何をするかだが、今のところ特にしたいこともない。考えると寂しいことだ。

2015年8月19日水曜日

基礎学問の重要性

日本が戦後70年の間、先の敗戦に対してまともな総括をしていないことは周知の事実だ。現在でも個人的な意見を言う人は多いが、どれを聞いても一つピンと来なかった。従って、今回の安保法制論議を聞いていても、共産党が「法案成立前に自衛隊内で検討するのは軍部の独走、戦前と同じではないか!」と激昂しても本当にそうなのかはよく分からない。理由を自分なりに考えてみると、戦前の軍隊と現代の自衛隊を同列に考えることにそもそも無理があるのでは、とも思ったりする。

戦前の「軍隊」と「自衛隊」は共に祖国防衛のためにある組織であっても、政治組織の中での位置付けがまるきり異なり、戦前は政治の中に位置づけられているように見えても軍隊の独立性がかなりあり、軍の暴走が戦争の引き金を引いたとも言われる。自衛隊は完全なシビリアンコントロール下で暴走できない仕組みだから、戦前と同じようにはなりようが無い。だから安心して政府に任せなさい、と政府は言いたいのだろう。

そこで専ら自衛隊の犠牲が増えるだろうとか、アメリカの戦争に巻き込まれるだろう、と言った将来実際に起るか起らないか、仮定の事態が専らの関心事となって議論が進んできた。ところがお盆前に共産党小池亮氏のヒステリックに「自衛隊も戦前と同じ」との根本的指摘である。政府は法案を自衛隊内で法案成立前に研究するのが、何の不都合があるのか。と冷ややかにやり過ごそうとしている。多分、多くの国民やマスコミも同様だろう。小生もそんなところかな、と思いかけていた。

しかし先日ネット上で保阪正康氏の小論文「昭和史の教訓とは何だったか」<軍事学なき軍事国家の危険性>を読んで気が変った。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44288?page=3

保坂氏は「軍事学」なる概念を提示して、日本には戦前戦後通して、これが決定的に欠けていると指摘している。先の敗戦の原因もそうだし、現在の安保法制論議にもその欠如が著しい。古来まともな国は殆ど例外なく独自の「軍事学」を持って、国家として武力の行使は如何にあるべきかを研究して、国家の方針を定めるとしたものらしい。勿論日本も例外ではなく、一時期までは、政治的に武力の行使は如何にあるべきかを真剣に考えていた節がある。

一時期とは明治末期日露戦争に勝利する頃までのことで、それ以降、特に大正を挟んで昭和の初め、満州事変が起きる頃になるとこの学問が等閑に付され、政治的にも軍事的にも支離滅裂な戦争指導が行われる結果になっている。何故か、この新説には全面的な共感を覚えた。政治にしても軍事にしても、古今東西の歴史に学ぶ基礎学問が欠けていると、固有の哲学は生まれないだろうし、国家の方針決定にしても腰が定まらず、上手く行く筈がない。

今の国会議員の中で中谷防衛相や参議院の安保法制特別委員会の自民党理事ひげの隊長の佐正久氏、又は民主党で防衛相になりながら現在は与党側の応援団となっている森本敏氏は自衛隊出身として有名だ。この3氏は何れも素人には分かり難い軍事の専門家として、政府やマスコミで重宝されている。確かに軍事の知識については素人を圧倒するものがあるだろう。しかし彼らが持ち合わせている知識と軍事学の基礎は別のものだ。

もし学問として真面目に戦争を研究(戦争の実体験が無いのだから余計必要だろう)していたら、国会議員になんかならなかったかもしれない。我が国で軍事学が学問として確立していたら、我が国における政治と軍事の関係も軍事同盟のありようも現在与党が考えるものとかなり異なる方向を見い出したように思えてならない。今回の法制議論に必要なのは軍事知識より、国際情勢を踏まえた政治哲学であるのは明白である。防衛の専門家と称する連中が、専守防衛に関して鵺のような言辞を弄する姿を見ていると、基礎学問無き政治家の恐ろしさを改めて感じてしまう。

2015年8月18日火曜日

問題の先送り

暑い上に不安定な天気の中、お盆の休暇が明けて普通の人は働き始めている。しかし、大幅に延長された国会は先週に引き続いて今週一杯お休みらしい。何のための大幅延長だったのか?永田町と一般常識の乖離を目の当たりにする思いだ。特に気になるのはオリンピックのエンブレム問題。先の大戦の終結(意思決定)と同様で、関係者が全員無責任でいるのが明々白々。

個人的に問えば、全員何らかの策を講ずる必要性を言うであろう。撤退は1日も早い方が良い筈だが、夏休みを優先している神経がとても理解できない。アンダー・ザ・コントロールに始まり、ここまでケチがつくとは思わなかった。テレビで公然と「オリンピックなんかやめてしまえ。」と嘯く著名な人間まで出現している。一昨年の決定時から、決まらない方が良かったとブログには書いてきたが、もしテレビのマイクを向けられたらそこまでは言い切る勇気は持ち合わせない。

余談になるが、ケチのつき初めだった元都知事の猪瀬氏は既にテレビ評論家に復帰している。過去を水に流す日本人の特性かもしれぬが、何時もながらマスコミの寛容さには不思議の感を禁じ得ない。元都知事は高校の後輩で一時は東京同窓会の副会長をしていた。都知事や同窓会副会長を辞めた理由も、政治資金規制法にありがちな手続き上のミスと言ってしまえばそれまでのことで、2年近く謹慎すればそれで良しか。

エンブレムのディザイナー氏もプロダクションの経営者であるようだ。ご本人はさることながら、社員は会社が無くなるか、自分が首になるかで落ち着かない気分だろう。国家の意思決定の遅れは思わぬところに影響が出るに違いない。新国立競技場に関しても、ディザインを白紙に戻したまでは良しとして、都知事も遠藤大臣も晴々したお顔でご活躍のようだが、今月発売の「月刊文藝春秋」9月号に掲載されている「遅すぎた白紙撤回」を読むとなかなか前途多難なようである。

確かに毎日毎日、次から次へと新しいニュースが出て来るので、「前のことになんか拘っていられない、適当に忘れよう」は我が流儀でもあるが、本当は忘れてはいけないことがある筈だ。問題はその選別を如何にするかで、問題の先送りが最もたちが悪い。年を取ると、直近の食事のことを忘れても昔のことだけは覚えている、とよく聞く。本当だろうか、翻って我がことを思う時、先送りしている問題は無いだろうか?

沢山あり過ぎて恥ずかしくなった。

2015年8月17日月曜日

日米関係を考える

日本の憲法を曲げてまでも同盟国アメリカの意向に従わざるを得ない、昨今の風潮を嘆かわしく思っていたら、同窓の誼で細やかな精神的応援をしている長野1区選出民主党衆議院議員篠原孝氏から国会報告が届いた。氏は農水省出身なので、農業と経済問題に強く、特にTPP問題については昔から詳細なレポートで警鐘乱打し続けている。予算委員会の質疑ではたまに見るが、安全保障特別委員会のメンバーではないようだ。しかし今回の便りに安全保障問題に関する一文があったので、これを是非紹介したい。篠原氏より8期も年上なので、生の歴史として当然認識していなければならない事柄なのだろうが、殆ど忘却の彼方である。篠原氏からのレポートを読み、教えられたことが多い。

アメリカは幼少の頃には敵国ではあったが、学齢に達する頃には戦勝国となっていた。現在は同盟国、むしろ宗主国の感さえある。終戦に際してと、終戦後の困難な時期に日本と日本人が相当世話になったことも事実だ。それなりの義理はあるだろう。しかし互いにその子や孫の世代になり、アメリカからの無理強いに対して、いつまでも「仰せの通りでございます。」で無批判に従属するだけでよいものだろうか?同盟国として日本の自主性をどこまで主張すべきかは、そんなに難しいことなのか?同じ悩みの人は多数いるのではないだろうか。この悩ましい問題に対するヒントを提供された思いである。

以下に篠原議員の国会報告から1文を引用する:

『1979年、イランの過激派学生によるアメリカ大使館人質事件が発生した。世界はアメリカの要請によりこぞってイランに経済制裁をしたが、日本だけ、ただ一国平然と石油を輸入し続けた。当然アメリカが呆れ、激怒した。悪く言えば当時は、日本は国際政治問題、なかんずく軍事問題には疎かったのかもしれない。よく言えば、日本はベトナム戦争でも動かず、海外に自衛隊を出すことなど考えられない自制のきく国家だった。戦後築き上げてきた反戦、経済重視、国際協調路線を堅持していたと言える。

さて、その後の中東外交で、日本は独自の平和外交を展開し、世界をアッと言わせることになる。その中心人物こそ当時の外相安倍晋太郎氏(総理の実父)である。1980年、イラン・イラク戦争が勃発、先の事件を契機にイランと他の国々との関係は冷え切っており、アメリカは敵(イラン)の敵イラクを援助、他の西側諸国はもちろんソ連もイラク支援で追随した。そんな中、日本だけが、アメリカの顰蹙を買いながらも、イラン・イラク双方とも良好な関係を保ち続けていた。

それだけに留まることなく、安倍外相は最高指導者ホメイニ師やラフサンジャニ国会議長を通した和平工を展開した。86年7月にラフサンジャニの来日が実現するなど、安倍外相は病に侵されながらも、中曽根首相と共に精力的に和平に取り組んだ。アラブ諸国の中に入り込み、仲介役として平和構築のために汗をかいたこの外交を、当時「創造的外交」と呼んだ。89年、遂にイランとイラクの停戦が合意した。安倍外相の地道な中東和平外交が大きな契機になったと言われている。

ところが今、安倍首相が進める「積極的平和主義」は、自衛隊を海外派遣し平和を勝ち取ると称するただの軍事介入主義で、先人の作り上げた日本の貴重な居場所、立ち位置をなくしてしまっている。このままでは、IS事件の時に聞こえてきたような「○国とは対話のチャンネルがない」ということに帰結してしまう。首相は、祖父、岸信介首相への思い入れが強いが、岸首相はアメリカべったりの外交を正そうとした人であり、義理の息子の安倍晋太郎外相もそれをしかと引き継いでいた。首相は尊敬する祖父に追いつき、超える為にも、父安倍晋太郎外相の軌跡こそ見習わなければならない。』

2015年8月16日日曜日

日本では戦争が既に始まっている

一昨日の総理談話の中で安倍総理は大真面目な顔で次のように言っている。「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。」誰に対して言っているか判然としないが、嘗て侵略した近隣諸国を相当に意識していることだけは間違いないだろう。

一方で、国際紛争を解決する手段として集団的自衛権の行使を容認する戦争法案を推進しているのだから、矛盾を感じて戸惑っても不思議はあるまい。そこで外国がどのように考えるかはしばらく置いて、自分の問題として少し考えてみた。この法案が多少意識過剰であったにしても、どこかで戦争が始まった時に日本や日本人を守るための方策であれば、目くじら立てて反対する必要は無いではないか。

微かな記憶や僅かな知識しか持ち合わせないが、70年前にやっと終焉を迎えることが出来た先の戦争で、我々が味わったあの悲惨さを再び繰り返さないためならば、致し方あるまいとも思う。しかし、あの悲惨さとは何か?国家が戦争を始めた。目的は国民の将来を安んじる為だったのだろう。その目的については異議を申し立ててはいけない。その崇高なる目的のため、国は国民に対して協力を求めた。受けた国民の中には強制された向きもあろうが、積極的に協力した人も多かったようだ。

で、結果的に国は国民を守ることはできずに、敗戦の道を選んだ。戦争を始めた時も終わる時も、国民に信を問うた形跡はない。どこの国でもそうなのかもしれぬが、戦争は国民の支持で始まるものではないようだ。国民の一部(よく言えば代表)である政府が意思決定して始まるのが普通だろう。だから、戦争が終わった時には、戦争の意思決定した政府は、国民に対して責任を明らかにする必要がある。

当時の総理一人が「私が最高責任者ですから」と言って済む問題ではない。経緯を含む事実関係を国民に明らかにしたうえで、問題の奈辺にあったかを先ず明確にすることが必要で、腹を切るなり首を切られるのはその後のことであろう。70年前に日本国政府がこれをしなかったことは紛れもなく、戦争の最終局面で終戦に導いた天皇美談だけが未だに巷間流布されている。

この美談を否定するものでもなく、天皇責任説に同調するつもりは全く無いことは断っておく。言いたいのは、何十年も前からの伝統かもしれぬが、現在に繋がる日本政府の無責任さである。政府とは閣僚や文官だけのことではない。軍隊を動かしていた軍官僚(今で言うなら自衛隊官僚)も同罪であるのは言うまでもない。終戦末期に政府や官僚がしたことで最も罪深いのは、誰からの追及を恐れたかは別として、組織的に記録を焼却する命令を出した事だろう。

現在は記録の焼却命令を出すまでもなく、記録を踏みにじって過去を抹殺するのだから始末に負えぬ。政府の無責任さは年金問題や国立競技場問題ばかり留まる筈もない。このこと(責任追及)をするにはどうすればいいのだろう?知恵のある方の力をお借りしたいものだ。

これも結果論だが、戦時中に日本軍が日本の市民を利用したとか見殺しにした話は嫌なほど聞くが、軍隊が市民を守って玉砕したとの話は100分の1もあるだろうか。ある若い人に言わせると、既に日本では戦争が始まっているそうだ。確かに、政府が市民(或いは国会でもいい)に正確な情報を提供せずに独走し始めていると言う意味ではそうかもしれぬ。

2015年8月15日土曜日

夜郎自大で日本の恥だ

昨夕6時から30分の長丁場になる総理記者会見の中継をテレビで観た。仕込の質疑を含めると45分の独演場だ。しかし聞けば聞くほど、総理の夜郎自大な考えが明らかで、恥ずかしく思うばかりだ。安倍総理はつい2013年4月の国会(参議院予算委員会)で「先に軽率に発表された村山談話や河野談話を継承するつもりがありません。」と明確に述べて議事録に残っている。それも一つの考えだろうから仕方がない。それなのにその後何を思ったか、今年が戦後70年の節目と称して、自ら談話を出すことを宣伝し始めた。

この声明発表後には国内外からいろいろな意見が寄せられた。それを受けて総理の発言はダッチロールを繰り返し、終に無責任の極みである隠れ蓑として、得意技の有識者懇談会(21 世紀構想懇談会)を立ち上げ、結局昨夕の会見になった。そもそも戦後50年の節目の村山談話も60年の小泉談話も、先の戦争のけじめ(反省と謝罪)を主たる目的に発表されているので、大差のありようもない。しかし昨日発表された談話は、過去2回の総理談話と異なり文字数にすると3倍ちかくになっている。

その中で、過去の談話で使用された重要な表現(4つのキーワード)を盛り込んだから、誰も文句は言えないだろうと考えている節がありありである。ならば、同様の千数百字程度で簡潔に述べるに留めるべきだ。なのに3倍もの駄弁を弄し下らないことを述べている。誰が聞いても、総理が言いたかったことは村山、小泉談話における歴史認識の否定であるのは明白だろう。曲がりなりにも日本の最高責任者の地位にある総理大臣として、歴史観を述べるべき性格のものである。

誰がどんな知識を吹き込んだか分からないが、個人の歴史観が滲み出ないので、如何に多弁を弄しても心に響くものは全く無い。まして、一人の子も持たず、いつお腹が痛くなってやめるか分からぬ人間が、子供たちに謝罪をさせるべきでないと口走ったり、100年後の日本について云々するのは僭越至極で片腹痛くなる。これで被害を被った国々の生存者や子孫の心を癒したり、それら近隣諸国との関係が改善されると本気で思うとしたら、馬鹿も度が過ぎる。

発表後の報道によると、閣議では多くの閣僚が内容を評価して「これであれば中国や韓国も理解してくれるだろう。」と言ったと伝えられた。まさか本当でもあるまいが、もし本当だとしたら、閣僚の知能程度の低さか、ゴマすりぶりが明らかになるだけのことだ。諸外国でも、総理の真意が奈辺にあるかはすぐに見破られるだろう。想像はしていたが、実に日本の恥じとも言うべき代物だ。

因みに今年の5月に、ドイツメルケル首相がドイツの強制収容所跡地を訪れて「献花した」というニュースがある。そのことを記したブログあったので次に引用させてもらいたい。http://d.hatena.ne.jp/mzponta/20150814/p1より
その収容所跡地であった記念式典において、メルケル首相は次のように述べたそうだ。

「ナチスがこの収容所で犠牲者に与えた底知れない恐怖を、我々は犠牲者のため、我々のため、 そして将来の世代のために、決して忘れない。我々は、皆、ナチスのすべての犠牲者に対する責任を負っている。これを繰り返し自覚することは、国民に課せられた義務だ」
このなかに「責任」や「義務」という言葉はあっても、「直接的な謝罪の言葉」はありません。この演説を聞いたユダヤ人も笑顔で拍手をしたそうだが、「謝罪の言葉が無かった」とのクレームは一切出なかったとのこと。

メルケル首相と我が総理との出来の違いは過去何度も触れているので繰り返したくないが、ここでも火を見るより明らかで情けなくなる。ここまでは昨夜のうちに書いたが、今日になって報道を見ると、内外の評価が思いのほか高いのに少し驚いている。小生の考えは昨夜と変わらない。

2015年8月14日金曜日

<史実と現実の狭間>読書で思う

先日「思考停止状態」のタイトルでブログを書いたが、遂に昨日はブログを書くことすらできなかった。別に忙しい訳もなく時間はたっぷりあるのに、考えることが出来ないだけである。本なんかもあまり読む気にならない。多分暑さが最大の要因だ。婆さんも同じようなこと言っている。もともとそんなに読書が好きなタイプではなさそうなので、昔から読んで面白いと思った本を持ち帰って薦めることは殆ど無かった。

なのに面白いもので、最近立て続けに3冊もの書物を持ち帰って薦めてみた。具体的には(1)「戦争をしない国 明仁天皇メッセージ」(2)「田中角栄 100の言葉 ~日本人に贈る人生と仕事の心得」(3)「無私の日本人」(磯田 道史 著)。(1)についてはブログに読後感をアップしているが、(2)と(3)についてはアップしなかった。特に理由は無いが、強いて言うと角栄さんの方は100個も多方面わたって述べられた言葉の纏めであり、「無私の日本人」もエッセイ集なので沢山の人について書かれているので、感想を纏めるのが面倒だったからだろう。

亭主と趣味が一致しないことを以て喜びとし、亭主のすることをあまり褒めない婆さんだが、珍しいことにこの3冊については褒めてもらうことが出来た。3冊目は文庫本で活字が小さく、12日実家への往復の電車で少し読みかけて面白いと思ったが未だに読了に至っていない。今日病院に行く日なので、待ち時間のお楽しみにさせてもらうとのこと。こちらは毎日の通院で最低でも1時間の待ち時間があるが、やはり長編の読み物はとてもじゃないが読んでいられない。精々雑誌の拾い読みか、短編の集合体に限ると思い立った次第だ。

短編集からも教えられることは結構多い。「無私の日本人」の著者磯田氏によると、歴史上の逸話や人物像については巷間伝えられていることとし実はかなり違うことが間々あるようだ。例えば、土佐の坂本竜馬が典型で、実在はしていたが、明治の初め頃には、維新の舞台を大きく転回した人物とはされていなかったらしい。それを作家の司馬遼太郎氏が発見して小説の主人公として世に売出し、今や維新の大立者としてのイメージが定着したとのこと。

小説の力恐るべしでもある。子供心に英雄視していた真田10勇士、中でも猿飛佐助氏なんぞは敗戦のお陰で影も形も消えて無くなったようだが、世の流れ次第では故郷の信州は戸隠辺りに銅像が立っていたかもだ(笑)。銅像と言えばアメリカのワシントン・アーリントン墓地にある銅像「硫黄島の星条旗」にモデルの6人の兵士。これもヤラセであったとのノンフィクション「硫黄島の星条旗 」(文春文庫)を読んだことがある。

今日は終戦の日の前日、70年前に皇居の地下壕で最後の御前会議が行われて陛下の英断が下され、依って日本が終戦に導かれた、と簡単に理解している。この日を描いた半藤氏一利氏の「 日本のいちばん長い日」を読んだこともあるし、半世紀前に上映された同名の映画も観た。しかしこれとて、一種の小説だから坂本竜馬の喩えではないが、強調されている人物像で己の脳裏に焼き付く歴史観は、現実と大分異なっている筈。現在松竹系で公開されているリバイバル版も近いうちに観るつもりでいるが、強調されている部分は大差ないようだ。

現在発売中の「文藝春秋9月号」の冒頭随筆で立花隆氏が似たような思いを書いている。幸い未だ明治維新から比べると半分の70年前の出来事。文字による記録は大分正確に確認できるが、御前会議については写真の1枚も残されていない。立花氏にの随筆で唯一手掛りとされた画像は、戦後に高名な画伯の白川一郎氏が当時の生存者からの証言をもとに描かれた1枚だけらしい。リンク先を書こうと思いましたが上手くいきません。ネットで簡単に検索できますのでご確認願います。

正直、映画で観てイメージしていたものとは大分異なるが、多分白川画伯の画像が寄り実態に近いことは間違いない。陛下の発言については下記をご参照ください。
http://www.jpsn.org/report/6267/
日本の終戦は、41歳の昭和天皇と77歳の老兵鈴木貫太郎氏(皇太子時代の侍従武官で当時首相の座にあった)の協力があって初めてもたらされたものだろうが、当時何人の指導者が正気で居て、圧倒的多数派だったと思われる狂気を装わざるを得なかった人との間で、どんな相克があったかは、既に闇の中である。如何なる理由か、指導者の狂気が息を吹き返そうとしている現在、学ぶべき戦争の本質が時間の経過とともに薄れていくのは避けられぬことなのか。嗚呼!

2015年8月12日水曜日

頭を冷やそう

昨日個人的な夏休みについての思いを書いた。外国ではこのシーズンをどのように思っているかは知らないが、大方は単なるお休み、ヴァケーションの季節と捉えていたとしても驚かない。日本人にも同様の思いの人は少なくないかもしれぬが、テレビでも毎年のように想い出の歌謡番組が編成されるように、多くの人にとっては先祖や過去へ思いを致す季節なんだろう。

ところが、他人への思いが全く無いような総理のために、国会は夏休みも無しに動いている。真剣に審議を続けている議員諸氏には申し訳ないが、暑さのせいも加わって、現実的な社会問題を本気で考える気力が湧いてこない。しかし、昨日も参議院では安保法案の特別委員会があったようだ。共産党小池亮氏の質問に防衛相が真面に答ることが出来ず、これ以上の質問が出来ないと言うことで審議がストップている。これを奇禍として折角お盆でもあるのだから、皆少し休みを取って頭を冷やした方が良いだろう。

昨日11日は東北大震災の月命日に当たる日なのに、鹿児島川内原発に火を入れたり、とんでもないことをするもんだ。と思っていたら、当の本人安倍総理自身は勝手に休暇を取って、ご別荘に行っていたらしい。どこまで身勝手な人間なんだろう。民主党大塚耕平氏が「意見見解の相違はあるが、総理が不在で岸田外相、中谷防衛相お二人だけなので、質問に対する答えが誠実且つ端的で分かり易く、質疑がスムーズに進んでいる。」と質疑の途中に、態々皮肉ではないですよと付け加えながら言った。大塚氏も人が悪い、これ以上の皮肉は無いと思うので笑ってしまった。

俗なことについて触れてしまったが、多くの国民は国会のことなんかどうでもいいだろうし、娑婆の動きで気になるのは精々高校野球ぐらいのことだろう。何よりも今は家族団らんの時だ。子供や孫たちに会ったら、先祖のことを聞かせてやりながら、何かの序でに、日本が嘗て世界を敵とするような大戦争をしたことや、最大の敵国が米国であったこと、その米国に完膚なきまで叩きのめされたことなど触れてもらえば御の字だ。

一応戦前に生まれてはいるので、孫に少しくらいは話が出来るかもしれぬが、とても戦争の悲惨さを知っているとは言えない。従って自ら語るよりは、ただ戦争のために苦労した両親を含む多くの人に思いを馳せることの方が圧倒的に多い。たまたま昨日のメルマガで、日本がポツダム宣言受諾を打電したのが8月10日で、当時の敵国ではこの日が終戦記念日になっていることを知り、又複雑な思いに駆られた。8月15日以降に戦死された方も多い筈だが、ポツダム宣言が発表された1945年7月26日以降に亡くなられた方の無念を思うと、何かに祈らずにはいられない。

*因みに、今までポツダム宣言受諾については、下記のように理解してた。
「1945年(昭和20年)8月14日、日本政府は宣言の受諾を駐スイス及びスウェーデンの日本公使館経由で連合国側に通告、このことは翌8月15日に国民に発表された。」
終戦の手続き一つとっても知らないことは未だ沢山ありそうだ。やはり外交関係には正式な手順が必要と言うことなんだろう。

2015年8月11日火曜日

夏休みシーズンではあるが

明日からお盆、都心も病院も人影が少なくなっている。本来であれば帰省して墓参りをせねばならぬが、目下放射線治療中であるので、弟に頼んで勘弁してった。いつか、日本人の宗教は仏教でなくて家族教だ、とどこかで読んだ記憶があるが、言い得て妙だ。夏休みシーズンの3日間を定め、亡くなっている仏を含めて家族が寄り集い、一時の邂逅を喜ぶ。仏教の行事とされているが、仏の教えや戒律に書いてあるのだろうか?どうでもいいが、これぞ家族教の粋だと思う。

東北大震災以降だろうか、絆と言う言葉が妙に流行っている気がするが、どうも意味がよく分からない。家族には確かに絆のような運命的連帯感を感じることもあるが、体育会系でもない小生には他にそんな意識を寄せる仲間はいない。情けを以てするなら同情とか友情といった感情は時に強く湧くこともあるが、どう考えても絆とは言い難い。多方面から、へそ曲がりの薄情者め!との非難が聞こえてきそうだが、家族にだけは謝っておかねばならぬだろう。

また、昔からお盆までが夏山の本格的シーズンで、素人はお盆以降は高い山に行ってはいけませんと聞かされてきた。先日婆さんと一緒にテレビニュースを観ていたら、北岳の崖で老人2人組が遭難したとのこと。丁度その直前に郵便が届いた。山岳保険の代理店からで、更新期日が1か月後に迫ったのでお手続きをお願いします。との内容。婆さんが「どうするの?」と聞くので「来月の末までは連日の通院だから近隣でのハイキングも出来ないし、全快しても危険覚悟の高い山には行く気がしない。だからもう更新はしない。」と安心させた。

癌が治ったり無茶な行動を慎んで、長生きに繋がるとしたら結構なことではある。しかし生きていくには多少なりとお金が必要だ。年金の月額約20万円では、老夫婦だけではあるが、現在の生活を維持できないことだけははっきりしている。後何年生きるかは神のみぞ知るだ。お互い余り贅沢しているつもりはないが、これからは極力節約に努めて、残り僅かなへそくり貯金の減少スピードをスローダウンをしなければならない。

これも先日テレビの報道だが、どこかの旅行会社の調査では、今年の夏の旅行費用は昨年より若干増えて、一人平均9万円弱と言っていた。家族当たりでなくて一人あたりと言うのだからびっくりして、「あるところにはあるものだ。」と二人で感心してしまった次第。昨年まで夏のレジャーにどのくらい支出してきたかは不明だが、今年はお盆の不義理や山岳保険を含む山歩きの中止で節約になっていることだけは間違いない。

お盆を前に死に欲が出たみたいで嫌な話ではあるが、そんな訳で今年のお盆は何処にも出かけず、炎熱地獄の東京でひたすら病院通いの日が続く。

2015年8月10日月曜日

ダッチロール

連日の病院通いと放射線照射の副作用である頻尿(最近は夜でも1時間半と我慢できない)で疲れ果てたのか、昨日と一昨日はテレビ新聞はおろかパソコンでのニュースも確認する気も起らず、今月初めに入会したフィットネスで小1時間歩行器を使っただけで、あとはボーと過ごしてしまった。今朝はテレビつけるなり、世界水泳で男子400m個人リレーで瀬戸大也がやっと金メダルを獲得してくれたようだし、テニスの錦織圭もツアー10勝目を挙げたとのこと。年寄りも負けずに頑張ろうと、少し元気を取り戻した。

3日ぶりにネットでメルマガや日頃愛読しているブログを読むと、政権が相当ダッチロールしている様子が伺える。今週水曜はお盆と共に日航機123便の御巣鷹山墜落事故の日がやってくる。もう30年も経つことになるようだが、当日のことは記憶に鮮明だ。大阪に在住していて、翌13日早朝から個人的に親しかった顧客のグループに入れてもらい、石川県にゴルフ旅行の予定になっていた。当日駅に行くと、肝心の主催者である顧客企業の常務が平服で居て、社員が同機に乗っていたので安否確認するまで会社を離れられない。遅れて参加するので宜しく、との話。

それから暫くは、誰と会ってもこの遭難事故の話でもちきりだった。小生の会社でも、制作していたテレビ番組でタレント坂本九さんを起用していたので大騒ぎになったことはあとで知ることになる。この時に、飛行機が操縦不能になって目標路線を外れてふらふらしながら飛ぶことを「ダッチロール」と称することを知った。安倍政権の最近の状況を例えるには実に相応しい言葉らしい。夏休み返上で一気に上げようとした例の安保法制からして、丁寧に説明と言えば言うほどに、説明が支離滅裂になりダッチロールし始めている。

世界的なイランへの経済制裁解除への動きを見て、当初力説していたホルムズ海峡の危機除去を引込めたと思ったら、何を血迷ったか急に中国を名指しで、日本を襲ってくるようなことを言い出し始めている。米国からも強い要請があり、中国とは良好な関係再構築ではなかったのか?ロシアとの関係、北朝鮮との関係も然り、何一つ一貫した政策実行が出来ているものが無い。経済政策のアベノミクスは何処へ行ったものやら、既にレーダーでも機影を確認できなくなっているみたいだ。

更に醜悪を極めるのは、今月6日と9日の原爆の日の挨拶での「非核3原則」の出し入れ、沖縄辺野古の工事休止に岩手県知事選自民推薦候補の取り下げ問題、国立競技場問題等々。何が「千万人と雖も我行かん」だ。一方で、失政が続くのでつい気を許しがちだが、政権が握っている強大な権力には少しも傷がついていない。安保法制を尤もらしく国会で審議しているにも拘らず、米国の言われるままに日米地位協定を勝手に変えて、極東の範囲を超え、実質的に自衛隊が米軍と行動を共にすること約束したり、元教員の弟が凄く心配してるのだが、教育制度改悪に突き進んでいる実態がある。

公共の時間の創設とか、教育学部を減らすとか、問題は数々あるようだ。中でも人文系の大学を減らして理工系を増やすなんてことは暴挙に違いあるまい。選挙で選んだお前たちの責任だ、と言われてしまえばそれまでだ。確かに親しい友人の中にも安倍支持を公言する者もいるし、自民党支持を先祖から引き継いでいる親族や友人もいる。しかし、自民党も幾ら人材が払底していると言われようと、腐っても鯛だろう。党内でこの稚拙な総裁を一刻も早く引きづり降ろしてほしいものだ。

今朝になって、真夏の夜の夢のようだが面白いブログに出会った。『立憲党で選挙に勝つ - 小林節を首班とする立憲連合政府の閣僚名簿』確かになってほしい人物は選挙に立候補してくれない。
6月26日のブログなので少し前のものだが、新鮮味がある。お楽しみを!
http://critic20.exblog.jp/24315153/

2015年8月7日金曜日

戦後教育礼賛

安保法案にばかり目が行くが、それをいいことにかどうか知らぬが、現政権がやろうとしていることは相当えげつないことのようだ。昨日のブログに元教員の弟が心配してコメントを書いてくれた。同様の記事が今日の日刊ゲンダイにも掲載されている。『教育制度を変更し…安保法案の陰で進む「改憲」洗脳シナリオ』と題して若者の「洗脳教育」を次のように書いている。

引用
<自民党文科部会は7月、選挙年齢が「18歳以上」に引き下げられた公選法改正を受け、教育公務員特例法の改正を提言した。政治的中立性を担保する――として、違反した教員に罰則を求めたほか、高校生の政治活動を規制する文科省の「昭和44年通知」の見直しにも踏み込んだ。表向きの理由は「政治的中立の確保」だが、本音は「自民党批判の発言は慎め」と言っているに等しい。
軌を一にして、文科省は5日、16年度にも全面改定する学習指導要領の骨格案で、高校の新たな必修科目に「公共」の導入を公表した。高校生が政治参加するための「主権者教育」というが、文科省が政権の“思惑”を忖度した面は否めない。>

頭が悪い癖に改憲に向けてひた走る安倍政権、そこに群がるチルドレンだが卑しい顔が多い上に脳みその程度の悪さは目を覆うばかりではないか。こんな奴らに学習指導要領なんかいじられたら目も当てられなくなるのは分かりきっている。世界中から日本の戦前回帰について疑念が持たれているのに、戦前戦中の過ちをまともに理解していないだけに始末が悪い。ああでもないこうでもないと半年近くを費やして有識者懇談会なるものに意見を求めて、来週にも戦後70年の談話を出すそうだ。

昨日の報道によると、有識者懇談会の答申内容が笑わせてくれる。何でも30数頁の文書らしいが、この程度のものなら1日分のブログを書く時間が有れば俺にも書けそうだ。何れにせよ、民主主義も民主憲法も理解できない幼稚な頭脳で『改憲』だけを考えられた日には国民が迷惑である。日刊ゲンダイの記事は次のように締めくくられている。<自民党の改憲論者は「国破れて憲法あり、では困る」なんて言っているようだが、憲法破れて自民党あり、ではもっと困る。一刻も早く政権の座から引きずり降ろすべきだ。>全く同感である。

自民党内では戦後教育が国民を駄目にしたと言っているようだが、こちらは丸々戦後教育で育てられた。確かにかなり自由を満喫した人生であったかもしれぬ。しかし少なくとも他人に迷惑や不幸を及ぼしてまで己の満足を得るなんてことは厳に慎むべきと教えられてきた。こう言った基本的道徳は戦前も戦後ないだろう。同じ教育環境にありながら、かくも我がままな人間が出来てしまったのは、気の毒ながらやはり家庭環境の影響が大きいのだろう。

2015年8月6日木曜日

酷暑、思考停止状態

日本の夏は寒けりゃ異常で、暑いのが当たり前。とは言っても猛暑日が1週間も続くと勘弁してくれと言いたくもなる。この暑さの中、日中最も暑い時間帯(大凡12:30~13:00と14:30~15:00)に月~金で毎日かんかん照りの舗装の上を歩き続けているのだから。片道3千歩弱だから正確には30分も掛からないが、発汗量だけは大したものだ。減量を期待して今朝久し振りに体重計に乗って見たら、期待とは裏腹で少しも減っていない。やはりプールで泳ぐ運動量には敵わないのかもしれぬ。

昨日だったか一昨日だったか、婆さんが暑さを愚痴る時に言った。「テレビで、年寄りはクーラーを使え、使えと、としきりに煽るが、節電と言う日本語を全く聞かなくなってしまった。つい最近まで大騒ぎしたあの省エネ騒ぎは一体何だったのでしょうね?」成程その通りだと思っていたら、昨日の参議院安保法制特別委員会で、民主党白眞勲氏が全く同じことを言っていた。ニュースでは彼が、今度の法制で原爆でも毒ガスでも輸送できるようになることを追求したとある。

その文脈の中で語ったわけで、省エネを引込めて原発再稼働に踏み切るのは如何なものかと詰め寄り、法制局長官から「日本国憲法は原爆の保有を禁じてはいない。」との答弁に導いている。「総理は行く末に原爆でも作ろうと考えているのでしょうか?」と皮肉を言っていた。広島原爆の日の前日の質問だから、マスコミ各社もそこまで大きく取り上げれば内閣支持率低下に貢献するのに、と少し残念でもある。

終戦の年は長野にいたし、未だ5歳の子供でもあったのでので、原爆については何も知らなかった。ただあの年の8月も相当暑い日が続いたような印象が微かに残っている。特に15日の昼、薄暗い座敷に祖母と母と叔母が集まって泣いていた光景だけは今でも非常に鮮明である。長ずるに及んでは、夏休みともなれば毎日のようにプールに行ったり川に行ったり、或いは近くの山や高原で遊び過ごすことが多かったので、夏が特に暑かったとの印象は少ない。ただ、昭和33年に高校3年生になり、夏に予備校の夏季講座受講で東京に出てきた。この時東京の夏は異常な暑さだと思ったことが印象に残っていることくらいか。

現在は思考停止状態にあるが、暑い暑いと言っても仕方がないのだろう。故郷長野では、来週お盆が過ぎれば秋空になるとしたものだ。

2015年8月5日水曜日

国家の危機管理

昨日の参議院安保法制特別委員会で、民主党桜井充氏が質問の冒頭、総理に先日ウィキリークスが明らかにしたアメリカ米国家安全保障局に依る日本政府高官の盗聴事件について問いかけた。「このニュースに接してから国家安全保障会議を開きましたか?」総理の回答は「一民間機関の情報に一々コメントするつもりはない。」で、結論的には一応アメリカに問い合わせをしているよ。である。桜井氏は、この件は党派の対立を超えて対処すべき重要な問題と思うのでとして、「盗聴した当事者に、あなたは盗聴しましたかと聞いてまともな返事が蹴ってくるものですかね。」些か呆れ顔であったが質問を打ち切った。

今日病院の待ち時間14時少し前にテレビを観ていると、TBS「ひるおび」でゲストに元外務官僚の三宅邦彦氏を入れてこの問題を取り上げていた。安倍総理が今日になって米国バイデン副大統領に電話「「同盟国の信頼関係を揺るがしかねないものであり、深刻な懸念を表明せざるを得ない」と伝えたとのこと。ゲストの三宅氏も「電話でなんか重要な話をしませんよ。」と、大した問題でないと言わんばかりの解説。

昨日報道された次の甘利TPP担当相のコメントと軌を一にしている。「事実であれば極めてけしからん。今までの報道を見て、日本だけが(盗聴の)例外ではないと思っていた。TPP交渉ではそういう事態を想定している。仮に盗聴されていても、それを元に対応するととんでもないことになる。」何れにせよ、昨日の段階では各閣僚が口を揃えて「遺憾」を述べているだけだったが、事の重大性にやっと気が付いたようだ。現政権が対米追随一辺倒は昨日書いた通りだから仕方ないのかもしれぬが、余りの脳天気ぶりには素人ながら驚かざるを得ない。

閣僚ともなればスパイ小説なんか読んでいる暇もないのだろうが、米国諜報機関がビッグデータをどのように利用解析しているかを誰かに学ぶべきだ。重要なことは話していないから大丈夫だと?とんでもない勘違いである。例えば総理の使っている電話番号の全てについての受発信履歴からだけでも、総理の考えていることなんか容易に推測できてしまうことがあるのだ。日本も米国を真似て日本版NSCを創設なんて得意がっているが、盗聴はおろか情報収集能力ではゼロに等しいのではなかろうか。

これで国家存立危機事態だことの蜂の頭だとよくも言えたものだ。米国の植民地状態に置かれている限り何も心配することはないなら、偉そうなことを言ってくれるな。戦争をするつもりの無い平和国家だから良いようなものの、それこそ普通の国であれば、国家機密漏えいが明らかになった以上、相当深刻に受け止めて対策を講ずるとともに、相手国に対して厳重な抗議をするのが当たり前だろう。なにもドイツやフランスが例外ではない。日本が如何に特殊であるかだが、ここにも現政権のご粗末さが現われている。

関連して思いついたことがある。なんで安倍政権は唐突に安全保障関連問題でとんでもないことに着手したかである。安倍総理は現在行政府のトップにあって特権意識だけは高そうだが、よく考えると彼は行政府の経験として官房長官を経験してはいるだけで、省庁のトップを一度も経験していない。英語で言えばスポークスマン経験だけで、行政権はこれまたゼロと同じだ。国民生活と接点を持つ行政府の経験無くしていきなりトップに就任したのは能力以前の問題として、政治家として決定的な資格を欠いている可能性がある。

氏の浮世離れした考え方の根底にはこの経歴の異常があることに気が付いたが、多くの国民も同じ気持ちだろうが後の祭りだ。何で彼が党役員としてはトップの幹事長職を経験出来たのかも又不思議である。それほど家系血筋がこの日本では未だにものを言うのか?国家の危機から変な方向に来てしまった。世襲議員について是非論があるが、総理を見ている限り否定論に傾斜せざるを得ない。

2015年8月4日火曜日

少し変わるかなぁ

自ら認めるのは些か辛いけど身体の衰えは毎日のように実感して、来し方と未来を比較するに後者が圧倒的に短いことがますますはっきりしてくる。幸い別姓とはなるが若干の子孫もこの世に残すことが出来たので、未来のことについては何も言わずに子や孫たちの判断に委ねるべきで、記憶が薄れかかっている過去の思い出に浸りながら静かに日々を過ごすべきであろう。理屈の上ではよく分かっているつもりだが、相も変わらずブログなんぞを書き続けている。

当然他人の目に止まることも分かりきったことで、この戯言を見て下さったアクセス数を毎日見て喜んでいる。男兄弟5人の中で育ったので、若い頃は口のきき方がぞんざいで、母からしょっちゅう注意されていた。「自分では気が付かないだろうけど、お前の一言が痛く他人を傷つけていることがある。」気をつけろだの、注意しなさいと言われても、自分ではなかなか分からないものだ。
このブログについても、軽い頭の体操のつもりで、余り毒にも薬にもならぬことを書いているつもりだが。

75歳にして今度は婆さんから何度も注意されている。老夫婦が二人だけで、例え他人の悪口であるにしても、しょうも無い会話をするのは構わないとしよう。しかし他人、しかも不特定多数の目に触れることを期待して、家族や友人のことを書き連ねるのは大きな迷惑で、一番いけないことだ。言われてみればその通りかもしれぬ。ブログをやめてしまうのが世の中のためには最善のようだが、頭の体操の他に指先の運動にもなると信じているので、なかなか止める訳にいかない。

婆さんも、現政権の悪口だけはどんどん書いて良いと言ってくれているので、極力そこに焦点を絞りたいのだが、現政権の馬鹿さ加減、無為無策、対米追随一辺倒には些か飽きが来て、新たな切り口が見つからなくなってきた。余りのご粗末さに、派閥不在で安倍一辺倒とされている自民党内でも。流石に来月の総裁選に向け、総理から距離を取ろうとする動きが見え始めたらしい。自民党内の政権盥回しは余り気乗りしないが、次善の策として善しとしたい。

何らかの力が働いて、安保法案が座礁するのがベストだが、そう上手い具合には世の中は廻らぬだろう。せめて石破茂氏+小泉進次郎氏でも野田聖子氏でも安倍総理よりは益しかと思うので、是非総裁選で交代してほしい。比較的穏健で学もありそうだった谷垣氏は、幹事長に据えられてすっかり株を下げてしまったし、代わりにいつの間にか二階俊博なんておじさんがしっかり力を付けてきたのも、安倍政権が余りにも異質だったからなのかなぁ。兎に角変化を期待するしかない。

2015年8月3日月曜日

病気になりそうだ

今日は月初の月曜日であるので、他の日と異なり診療科目が増える。同じ大学病院内だからまだいいが、採血と尿検査→泌尿器科診察→泌尿器科治療(ホルモン注射)→放射線治療→放射線科診察の5段階を通過しないとお会計とはならない。普段は14時からの放射線治療だけなので、12時半に家を出て13:15に放射線科で受け付けてもらえば、治療は2時半前に終わる。放射線科の受け付けが13:15で固定されているので、余り早く採血してもらっても早く帰れるわけではない。

泌尿器科の診察予約が11:30になっていたので、10時ちょい過ぎに採血をしてもらった。普段凄く混む泌尿器科であるが、珍しく予約時間通りに診察してもらうことが出来た。次の13:15まで大分時間もあるが、生憎読みたい本も無かったので手ぶらで来てしまった。仕方なしに病院から1キロ弱の場所にある接骨院に行ってマッサージをしてもらった。これも月曜日のルーティンにしているので、帰りにでも寄ろうかと思っていた場所だ。

13時過ぎに病院に戻って14時から放射線治療に入ったのだが、照射の前に位置合わせをしていると今日に限って「直腸にガスが溜まっているので、おならをしてだ放出してください。」とのこと。「寝たままでおならなんか出来ません。」「ああ、そうですか。では看護士に抜いてもらいましょう。」てなことで、直ぐに女性が来て肛門に何かを挿入「気持ち悪いでしょが、我慢してください。」で余計な時間が掛かってしまう。

院外処方の薬を薬局で受け取り、帰宅したのが16:15。携帯電話に表示されている歩数計を確認すると1万歩を超えている。噴き出す汗は中々止まらないし、頭がボーとしてどうかなりそうである。下手な山歩きにも匹敵する酷暑のトレーニングである。診療費と薬代の合計が1割負担でも10,470円也。悪名高い「後期高齢者医療制度」に感謝すべきなのか、どうなのか。病人であることは紛れもないのだろうが、本当の病人になりそうな1日であった。

2015年8月2日日曜日

土日の運動

土日にプールに行って泳ぐことを長年の習慣にしてきた。正確には覚えていないが、サラリーマンを辞めた時には既に習慣化していたので、15年以上になるだろう。その習慣を先月25日の土曜日で断ち切った。26日の日曜日が休館日だったので中途半端だったが土曜日で卒業にしたのである。理由は幾つかある。最大の理由はプールに行くと、どうしても激しいアレルギー性の鼻炎になり、土日の晩はクシャミと鼻水で安眠できなくなったからだ。

勿論ここ1年くらいは耳鼻科で診てもらい、点鼻薬なんかを処方してもらってはいた。それでも何ともならんので、掛かり付けの内科医に相談すると「アレルギー症状はアルゲン物質が体内に溜まり、それがダムから溢れるように症状を発するので、根本治療は難しい。プールに行かないようにする以外にアドバイスできることはありませんね。」とのご託宣。1年契約の更新期を迎えたこともあり、この暑さの中で土日まで池袋に通うことが辛く思いはじめたことも重なっての決断だった。

しかし、土日全く身体を動かさないのも何となく嫌なので、最近(と言っても1年くらい経つかな)100mと離れていない場所に出来たフィットネスクラブに昨日から通うことにした。ベルトの上で歩くのは馬鹿じゃないかと思っていたが、遂にその馬鹿になってしまった訳だ。昨日と今日、機械を時速5kmに設定してベルトの上を1時間歩いてみた。歩数で約7千歩だから、丁度池袋往復するに等しい。手すりに掴まったりするので、実際の歩行に比べると負荷は幾分低いだろうが、それでも何もしないよりは益しだろうと思う。