2015年8月6日木曜日

酷暑、思考停止状態

日本の夏は寒けりゃ異常で、暑いのが当たり前。とは言っても猛暑日が1週間も続くと勘弁してくれと言いたくもなる。この暑さの中、日中最も暑い時間帯(大凡12:30~13:00と14:30~15:00)に月~金で毎日かんかん照りの舗装の上を歩き続けているのだから。片道3千歩弱だから正確には30分も掛からないが、発汗量だけは大したものだ。減量を期待して今朝久し振りに体重計に乗って見たら、期待とは裏腹で少しも減っていない。やはりプールで泳ぐ運動量には敵わないのかもしれぬ。

昨日だったか一昨日だったか、婆さんが暑さを愚痴る時に言った。「テレビで、年寄りはクーラーを使え、使えと、としきりに煽るが、節電と言う日本語を全く聞かなくなってしまった。つい最近まで大騒ぎしたあの省エネ騒ぎは一体何だったのでしょうね?」成程その通りだと思っていたら、昨日の参議院安保法制特別委員会で、民主党白眞勲氏が全く同じことを言っていた。ニュースでは彼が、今度の法制で原爆でも毒ガスでも輸送できるようになることを追求したとある。

その文脈の中で語ったわけで、省エネを引込めて原発再稼働に踏み切るのは如何なものかと詰め寄り、法制局長官から「日本国憲法は原爆の保有を禁じてはいない。」との答弁に導いている。「総理は行く末に原爆でも作ろうと考えているのでしょうか?」と皮肉を言っていた。広島原爆の日の前日の質問だから、マスコミ各社もそこまで大きく取り上げれば内閣支持率低下に貢献するのに、と少し残念でもある。

終戦の年は長野にいたし、未だ5歳の子供でもあったのでので、原爆については何も知らなかった。ただあの年の8月も相当暑い日が続いたような印象が微かに残っている。特に15日の昼、薄暗い座敷に祖母と母と叔母が集まって泣いていた光景だけは今でも非常に鮮明である。長ずるに及んでは、夏休みともなれば毎日のようにプールに行ったり川に行ったり、或いは近くの山や高原で遊び過ごすことが多かったので、夏が特に暑かったとの印象は少ない。ただ、昭和33年に高校3年生になり、夏に予備校の夏季講座受講で東京に出てきた。この時東京の夏は異常な暑さだと思ったことが印象に残っていることくらいか。

現在は思考停止状態にあるが、暑い暑いと言っても仕方がないのだろう。故郷長野では、来週お盆が過ぎれば秋空になるとしたものだ。

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