2018年11月30日金曜日

日本のお白洲

日本の常識で世界標準からかけ離れていることはいろいろあって、現在はすっかりマスコミから遠のいている竹村健一氏の口癖が「日本の常識は世界の非常識」だったことを思い出している。そもそも日本は3権分立を掲げているが、現政権では司法が政府(行政)の下に取り込まれていることが明らかで、このことが前から実に嫌な感じだった。それに加え最近日産のゴーン氏逮捕のニュースに関連して新たなことが分かり、別の角度から我が国の司法制度を考えてみたくなった。

考え始めると特捜検察制度とかもあるが、もっと普遍的と言うか基本的なところで、日本の司法、特に検察制度には世界標準からすると相当な時代錯誤的なところがあるらしい。欧米の小説には推定無罪をテーマにしたものがかなりあり、映画でもそれを思わせるシーンは何回も観ている。日本も建前は同様らしいが、容疑者が警察から検察に送られると同時に殆ど犯人扱いになるらしい。高手小手に縛り上げられてはいなくても大岡越前守様のお白洲に引き据えられた泥棒と思って良いようだ。

ゴーン氏がどんな大悪人かは知らぬが、畳生活に慣れぬ外国人であることだけは確かだ。仄聞するに拘置所の独房は3畳一間で、そこでの生活はとても推定無罪、人道的とはとはとてもいかぬらしい。検察のリークや日産の告発者の声ばかりがマスコミを賑わし、ゴーン氏側弁護人の声はさっぱり聞こえてこない。当然ながらマスコミは前者の情報で金持ちを羨む下司の勘繰りを煽って視聴率稼ぎに精を出す。ワイドショーには弁護士も登場するが、弁護人の同席も許されず拷問宜しく「有り体に泥を吐け」と締め付ける検察のありようを非難する人間はいない。

名著「国策捜査」で有名な佐藤優氏は家族との面会も1度も許されることなく5百数十日拘置所にぶち込まれた経験を持つが、拘置所の扱いについてラジオで喋っているのを先ほどネットで聞いた。想像を絶する酷さだ。外国の有力メディアがその非人間性を厳しく論評するのも当然かもしれぬ。日本のテレビ新聞は何故その論評が無いのか、それほどまでにお上に楯突くのが怖いのか?日本のマスコミも世界の非常識だ。

2018年11月29日木曜日

歴史の根深さ

外交問題だからどこに問題の根っこがあり、何が是であり否であるか難しくて判断できないが、昨今の日韓関係でとても気になっていることがある。日本政府のもの言い方に明らかな上から目線を感じることだ。韓国は昭和26年のサンフランシスコ講和条約の際に戦勝国の1員となることを主張したものの当時連合国側をリードしていたアメリカ政府によって「日本軍として戦ったのだからそうはいかない」と拒否され、条約にサインしなかった経緯がある(韓国の言い分を認めると日本の賠償額が莫大になりすぎると同情してくれたらしい)。

そして昭和40年に日韓基本条約が結ばれるまで様々な交渉経緯があるようだが、この条約締結に際しても日本側は植民地支配を認めず、そこは玉虫色のまま両国間の請求権の完全かつ最終的な解決、それらに基づく日韓関係正常化などが取り決められた。とされている。従って日韓関係は非常に根の深い問題を抱えていることだけは間違いなさそうだ。

韓国人と同級生になったのは大学に入ってからのこと、後に知ったが彼は帰化せず韓国籍のままだったようだが、帰化人のつもりで付き合っていた。もちろん彼が戦勝国人風を吹かせることもなければ、こちらが卑下することもなかった。社会に出てからいろんな場面で韓国や北朝鮮国籍の人と付き合うことがあったが、皆日本語がうまいので付き合いやすい外国人との印象が強い。韓国の人口は日本の半分以下だが、男性の殆どが軍隊経験者だ。スポーツが強いのもそのせいではと思うし、更に長幼の序に対する意識が日本人より遥かに強い。

他にも日本人とはどこか違うので、敬意をもって付き合う人が多い。だから政府高官の物言いが気になるのだ。数日前BSフジの「プライムニュース」で日韓問題の特集があり、日本人代表で自民党参議院議員松川るいさんと言う女性が出ていた。経歴を見ると、東大から外務省出身で外国語は英仏韓中の4か国語を使うエリート。議員としては1年生であっても優秀な人であることは分かる。

話し方も自信たっぷりなのは結構だが、番組中に韓国人出演者に対する発言「日本は韓国に対してずーっと謝り続けてきたではないですか、どこまで謝ればいいのですか?正直に言えばもう飽き飽きしているのです。」があってこれに相当な違和感を覚えた。「いい加減にしろ!」は喧嘩の常套句。確かに昭和22年小学校入学以来、日本が朝鮮を植民地化して独立主権国朝鮮に対して迷惑を掛けたとは一度も教えられたことは無い。

彼女もそうだろうが優秀だから歴史はよく分かっている筈。我々の少年時代は日常的に彼等を馬鹿にしたような言動があったのも事実。しかし40代女性にも同様な言動が見受けられるのだから歴史は根深いものだ。

2018年11月28日水曜日

自動車のこと

今や運転免許証すら無いが、高校卒業した当座は自家用車が大きな夢だった。関連して、アメリカ経済の好調は日本のそれと異なり本物かと思っていたが、月曜日に米国大手自動車メーカーGMが、北米(カナダを含む)5工場の稼働停止と工場労働者1万5千人の削減を発表した。トランプ大統領が外国製自動車の輸入関税引き上げで頑張ろうと言う矢先のことなので少し驚いた。

アメリカには日本の経団連的な組織が無いとしても、政権と財界トップの蜜月は変わらないだろうにと思っていたが、そうではないらしい。大統領がGMのトップに不満を直接伝え、今日の報道では電気自動車への補助金停止に言及したようだ。日産の例を引くまでもなく不採算部門の合理化は企業業績の回復に資するだろうが、1万5千人の失業者を産む経済的インパクトは相当なものだろう。

それに比較すると日本政府と財界の蜜月は健在で、消費税を上げようと言う騒ぎの中にありながら、自動車関連の税金を下げて自動車をより買いやすくする意向のようだ。どちらの社会がより住みよい社会かは分からないが、日本人であることをやめる訳にいかないので日本が住みよいと言うことにしておこう。しかし日本人の自動車離れは遅かれ早かれ始まるだろう。都会では既に自動車を所有しない世帯が出始めているらしいが、ご近所でも高齢化が主な原因だが車庫から車が消えた世帯が現れ始めている。

現在の産業構造の中で約20%を占める製造業の統計を見ると、最大のシェアを持つのは食品産業と輸送用機器で、次に電気機械と一般機械がほぼ同じ水準で続く。依って自動車産業が日本経済の中心的役割を担っていることは間違いない。若い世代が自動車所有に興味を示さなくなりつつあるようだし。世の中の大きな流れは車から離れつつあると思う。何れにせよ経済の中心が揺らぎ始めていることに違いはあるまい。これが税制の改革程度で止められるなら結構なことではある。

因みに社会に出た頃の産業構造では農業が10%を超えていたような気がするが、現在は1.4%らしい。農業もそのうちに工場生産になり、製造業の一部になるかもしれない。小難しく詰まらない話になってしまった。

2018年11月27日火曜日

やがて逝く日が

昨夕郵便受けを確認した時には何も無かったのに今朝見ると手紙が1通入っていた。日本郵便の土曜日配達が廃止との報道があるが、現在のところ郵便局員は遅くまで働いているようだ。曜日は問わず6時を過ぎたら何もする気が無くなるのはやはり年寄りの証拠だろう。この手紙、高校同期生からの手紙で年末の挨拶と家内への弔意を表した実に丁寧な内容で、仲良く遊んでいた高校時代を思い出し胸が一瞬熱くなった。早速返事を書いていると家がカタカタ鳴り出し久しぶりの地震が来た。

びっくりして手紙書きを中断しテレビをつけると、東京は震度3とのことだから大したことは無かったのだろう。家がガタピシしたのは単に我が家の老朽化のせいらしい。自分の命と家の命が競争しているようで哀れを感じざるを得ない。友人の手紙に書かれていた内容で感激したのは次の言葉「病気になっても病人にはならない」。齢80歳に近いのだから同期生に病気持ちは沢山いる。勿論小生もその一人。彼もまた10年前からリンパ腫と闘っている。

昨年11月の同期会では彼も元気で、2次会まで付き合い長時間語り合ったのに、今年6月上山田温泉での同期会で会えなかった。どうしたかと思っていたが、3回目の抗がん剤治療中だったようだ。既に幽明境を異にした同期生が25%を超えた現在病気持ちは当たり前だ。でも顔を合わせればたちまち時空を遡りティーンエイジに還りつく。最近同期会に几帳面に出席するのもこの効果を来するからに他ならない。

彼も似たような強い気持ちで思い出してくれたに違いない。小生も彼が手紙を書いてくれた気持ちと同じ思いでこのブログを綴っている。彼なんかと昔からよく言っていた我々の合言葉「身体頑健なれど学力やや劣る」、しかしお互い身体も最早頑健とは言い難く、早めに逝く友人も増えてきた。残った者どもが代わりに使うには「病気になっても病人にはならんぞ」が最も適切な合言葉になりつつある。

2018年11月26日月曜日

外国人労働者

近くの道路や建築物の打ちこわし現場やゴミ集めの現場でいわゆる3K(きつい、汚い、危険)産業に従事する外国人労働者を日常的に数多く目にするが、街中に行けば肌の色が同じですぐには外国人と判別できない店員も多いから、外国人労働者は発表されている100万人強では済まぬだろうと思っている。いつからそんなになったか定かではないが、最近の経営者は仕事をする社員を育てるより少しでも安い労働力を使った方が会社にとって有益と考えるようになってしまったようだ。人手が不足していると言われるが本当だろうか?

収益を上げる方法はコストの抑制にあり、との考えは一見合理的のようであるが、それで生産性が高まる筈はない。ここ20年近くのGDP推移で見る限り、他の先進国に比べ日本だけが伸びずに足踏みしているのはこの考えが日本企業の根底にあるせい、と指摘する経済学者もいる。余談になるが会社の中に派遣会社から来た社員がいるのを知ったのは50歳近くなってサラリーマン2度目のお勤め時代だった。昔から大抵の職場に学生アルバイトの給仕さん等がいることはいた。しかしアルバイト(派遣社員)の人がお茶汲みや掃除ではなく、営業会議のような場所にメンバーとして参加するのを見たことがなかったのでびっくりしたものだ。

当時は未だリクルートが最大手の派遣企業だったかしれないが、今や派遣企業花盛りのようでどこが大手かも分からない。竹中平蔵氏が関与しているパソナとかその類が大儲けしていることだろう。話が逸れてしまったので戻そう。今働いている外国人がどんなルートで就職しているかは知らぬが、世の中には嗅覚の鋭い人間が多く、ニーズがあれば必ずそれに応えるご商売が誕生するとしたものだ。そもそも日本は職業選択のが自由の国で、古来口入屋はヤクザのお仕事だ。リクルートやパソナが外国人の職業斡旋をするとも思えないので、中には非合法組織もあるかもしれぬ。

政府が見かねて法制化に乗り出そうとしていることは悪いことではあるまい。ただ実態をどこまで認識できているかが問題で、法務省が原局になっての法案提出はどう考えても進め方が拙速だろう。何れにせよ偉い人の考えることは場当たり的なことが多い。時あたかも外国人労働者の企業経営者が訳の分からない理由で特捜検察に逮捕されて牢屋に入れられてしまった。日本人をまともに育てられないリーダーたちが外国人をまともに扱える筈もあるまい。根っこの問題が分からないから何とも言えぬが、違和感だけが残っている。

2018年11月24日土曜日

読後感「江戸開城」海音寺潮五郎著

海音寺潮五郎の小説は大分読んだ気がするが久しぶりの著書である。本書は京都鳥羽伏見の戦い(慶応4年1月)直前から江戸城明け渡し(形式上の儀式が4月11日)を経て約2か月後上野で抵抗を続けていた彰義隊が打ち負かされるまでの経緯を資料を丹念に追って書いたもので、もちろん小説ではなく「史伝」と呼ぶらしい。兎も角小説以上に面白いとも言える。著者は江戸開城が明け渡す側の徳川方にとっても受け取る政府側にとっても如何に大変なことであったかを正確に検証してくれている。

勿論大勢の人物が登場するが、中でも重要な人物は徳川方の勝海舟と政府側の西郷隆盛である。更に重要なことは著者が冒頭第1章に設けた「革命の血の祭壇」で語る総括である。総括を冒頭に持ってくること自体いかにも小説家らしく読者を引き込む術を心得ていると先ず感心する。曰く「明治維新を王政復古と呼ぶ向きもある。日本人は長い間日本本来の政治形態が天皇親政であったと考えてきたが実はそうではない。日本国が始まって以来の歴史はほぼ西洋紀元と同じ程度と見て、天皇親政の期間は約280年程度である。即ち明治維新とは徳川に対して薩長が仕掛けた権力闘争であり革命であった。」

先に述べた二人は勿論であるが、登場する多数人物の性格分析が行われている。証拠は現存する手紙や著述或いは日記の類である。この時代は電話やインターネットが無いので、手紙を送るにも手許に複写を残すとか受けた側が複写するとかで貴重な資料が数多くも残されている。惜しむらくは墨痕鮮やかなこれら資料を解読する能力が自分には無いことであるが、著者はその能力があったに違いない。

江戸開城と言えば、西郷と勝が三田かどこかで会見をし、意気投合した結果数日後には極めて平和裏に明け渡しが済んだ、と単純に理解していたが飛んでもない。上野の山の戦いは旧暦の4月らしいが、これは現在の6月梅雨のさ中らしい。半年かかってやっと一応のめどが立ったと言うわけで、実に容易ならざる大事業だったことが少し理解できた。一口で言えば徳川方にも薩長側にも大きな国家観を持つ少数がいて、己の立場を守りたい多数がいて双方共に内輪の確執争いが解決を長引かせた原因でもあった。

当時の武士階級を政治家と見れば、今の政界よりは大局観を持った武士が遥かに多く存在したことが確認できたとも言える。

2018年11月23日金曜日

苟日新

一昔もふた昔も前になるが、ふと知り合った中国人の達筆家に色紙の揮毫を依頼した。彼が書いてくれたのが殷の湯王の名文句「苟日新、日日新、又日新」である。1年後くらいに個人的にちっぽけな起業をした時思い出して、何も無く殺風景な6畳一間の安アパートの壁にれを掲げて、10年近くこの色紙を眺めて過ごした時代がある。最近は自宅に戻っているのでこの色紙を見る機会は無いが、今朝このことを思い出した。昨日はまたブログを休んでしまったこととも関係があるので、言い訳代わりに書く。

実はいつか書いたかもしれないが、休眠させていた個人会社を今年になって友人の息子さんでIT技術者でもある青年が「遊ばせておくのはもったいないじゃないですか。」てなことで、代表を引き受けてくれた。こちらも技術スタッフがいなくなると、自宅ンパソコン1台にしても管理が面倒なので渡りに船だった意味もある。以来いろんな相談に乗ってもらっているが、やはり若い人の話を聞くことはとても有益でもある。

面白い話は無数に聞いているが、ひっくるめて言えばテレビコマーシャル一つとっても、意味が分からない、どんな会社か想像できないものが沢山ある。多分ご同輩読者には大いにご賛同いただけるだろう。彼と話をするとその謎が大方解けるので面白いしありがたいのだ。実は昨夜も一寸した依頼ごとがあって彼に会いに行ったのだが、話が盛り上がって夕飯を一緒することになり帰宅が夜になってしまった。ブログは今の自分にとって仕事の様なもので、夜になって書き始めることは考えられない訳である。

その依頼ごとであるが、遂にスマホを購入する決心をしつつあり、その件で相談に乗ってもらっている。最初は先月行った大菩薩嶺での記念写真がきっかけ。同行した友人の写真と比べて余りのご粗末さにがっくりして買い替えの相談をしたところ彼曰く「今やバカチョンはスマホが一押しです。」その後もいろいろな指導があり、愈々ガラケーをやめてスマホに乗り換えるか、それとも電話はガラケーのままにして+スマホで行くかの相談である。

結論的には2台所有になりそうだが、機種選定の問題もあり、複雑な方程式でもある。この齢になって日々新たも無いかもしれぬが、懐かしの長野高校の同窓会機関紙のタイトルも「日新鍾」である。同窓会でも我が年次はだいぶ上の方になってはいるが日々新たもまた良しだ。

2018年11月21日水曜日

手作り朝食

日中の時間が大分短くなってきた。昼飯に出かける序に1万歩も容易でない。早々に帰宅したとて大した用事は無いのだが、何となくうす暗くなってうろつくのは好みでない。代わりに夜が長いせいか睡眠時間8時間近くになるのも考え物だ。これまでのところ取り敢えず健康かと思っているが、睡眠時間が長ければ良いと言うものでもあるまい。運動や栄養とのバランスが大切だろうが、バランスが良いかどうかも分からない。

食欲の秋の延長で、運動量が不足する割には内心食事の量が増えているようにも感じている。最近の朝飯は自分で作るので、作ったものは残さず食べてしまった方が後が楽なのでついつい食い過ぎるのかもしれぬ。それにしても自作の朝飯も1年近く経つと大分様変わりしている。基本的にはご飯とみそ汁と納豆であるが、みそ汁は殆どトン汁。納豆は長ネギ、刻みのり、卵が基本でここ一週間近く釜揚げシラスがこれに加わっていた。

15日頃だったと思うが東武百貨店で購入したのだが、冷蔵庫で3日は大丈夫だから後は冷凍してくださいと言われたが、確か200g位だったような気がするが冷凍はせずに連荘で食べつくしてしまった。千2百円したので結構高級な朝飯だったことになる。その他、最近は冷凍ご飯も買わずに米を1日おきに炊くようにしているが、これも結構早くなくなるものだ。シラスと一緒に味噌も初めて買った。ジャガイモや玉ねぎの皮むきも億劫がらずにしているのだから、我ながら良くしたものだ。

2018年11月20日火曜日

内憂外患

初めてアメリカ大陸に足を踏み入れたのは36歳の時、1976年なのでよく覚えている。この年はアメリカ合衆国建国200周年記念の年に当たり、何故か日本でも大いに喧伝されて盛り上がっていた。その記念日7月4日に自由の鐘が置かれているフィラデルフィアにたまたま滞在することになるのだが、個人的な思い出を書いても読者に失礼だが一つだけ、アメリカ大陸の第一印象を書かせていただく。

入国予定地のサンフランシスコ上空に差し掛かって目に入った大地は茶褐色一色の広大で殺伐したもの、映画で西部劇を観ていたので内陸部が茶褐色である部分が多いとは思っていたが、人口密集地帯であれば、近くに田園や山林があって上空から見れば海の青に対して緑が覆うと勝手に思い込んでいたわけである。

何でこんなことを書くかと言うと、余計な心配かもしれぬがカルフォルニアを襲っている山火事である。確か昨年一昨年にもあったような気がするが、サンフランシスコの郊外で有名なワイン産地ナパバレーが壊滅的被害にあったことが記憶に新しい。今回の山火事は同じ州内でも南のむしろロスアンゼルス近郊のようである。しかもその規模が前回を遥かに上回っているようで、1週間を超えて未だ鎮火の見通しがはっきりしない。

戦争になったら航空機から絨毯爆撃は出来るアメリカでも、消防機動力で東京都の面積の3分の1に当たる土地を消火することは容易ではなさそうだ。毎日報道される僅か数分の報道では被害の実態が分かり難いが、死者が毎日増え続けて100人を超し行方不明者は1500人を超えているとのこと。幾ら人口密度が想像できないほど薄くて土地が余っているのかもしれぬが、日本人の小生には想像することすら困難な大災害である。

数日前には大統領が、そして翌日には国防長官と非常事態相が現地視察をしたとの報道もあったが、後者二人は首になったとかなるとか言われている。所詮分からぬことだらけだが、傲慢国家のアメリカでさえ内憂外患に悩まされているわけで、欧州も中露も韓国も東南アジアや南半球の国々もそれぞれ首脳は内憂外患で悩んでいる。その感じが伺えないのは我が国だけだ。昨日書いた勘の鈍さだけにする訳にはいかない。

出掛けるので早めにアップする。

2018年11月19日月曜日

勘違いはないか?

何事に於いても先人の築いた歴史を学ばず、周りにうろつく出来の悪い官僚の言葉か振り付けに踊らされてだろう、歴史をひっくり返すのが趣味みたいだから当然かもしれない。安倍首相は日露首脳会談(何と23回目とのこと)で、北方領土問題に関して「1956年(昭和31年)の日ソ共同宣言」に立ち返って交渉を加速しよう、と提案したそうだ。首相自身は外務省を嫌っているようだが、この提案には外務大臣が同行せずに外務事務次官と谷内国家安全保障局長が同行している。

首相の父である安倍晋太郎氏は、外務大臣として北方領土問題に心血を注ぎ志半ばで倒れたことはよく知られているところだ。あの世で不出来な倅のことをさぞお嘆きであろう。百歩譲ってこれまでの経緯を総てチャラにして問題が少しでも動き、領土が還るなら良しとしよう。少なくとも安倍氏の力で国境線を確定することは土台無理である。マスコミの大半は分かっている筈だが、何故かこのところネットまで含めて北方領土問題について議論が喧しい。正に空騒ぎに過ぎない。

尖閣も同様であるが、もっと近い竹島でさえ領土問題は解決していない。政府に言わせれば領土問題は存在しないとのことだから、北方領土問題も「ここは日本の領土である」とでも言い続けたらどうかね。竹島に駐留する韓国軍さえ追い払えない日本が、万人を超える正規軍とミサイル基地に軍港まで準備している島を取り戻す術はあるまい。何でも海洋資源が欲しくて一生懸命になっているとの説もあるが、海底の鉱物資源を欲しがっているのが誰か知らぬが、漁獲の問題であれば入漁料を負けてくれと交渉した歩が早いのではないか。

そもそも戦争で占領され、日本人が放棄して一人残らず命からがら逃げだした土地だ。占領軍が好き勝手にしているのは何処の国で同じこと。取り戻すためには戦争で勝つしかないだろう。一部の人は沖縄の例を持ち出して、占領された土地が返ってきた例があると言う。これも詳しく見るといいだろう。アメリカが親切心から返却したのではなく、対ベトナム戦に於いても維持経費だけでなく戦略的に使い勝手が良いように、そんな形を取っただけであることは大勢の人が指摘しているではないか。勘違いも甚だしい。

2018年11月17日土曜日

趣味と好み

今週は毎日のように喪中はがきが配達された。年齢を考えても時節柄からも致し方無いことではあるが、久しく会っていない後輩のご夫人からの葉書には何とも言えない感慨を覚えてしまった。本当は当方からも出すべきかもしれぬが、妻の49日法要が終了した時に妻の友人と自分が毎年賀状のやり取りをしていた先には報告を済ませているので出していない。この報告でも断ったつもりだが、再来年以降健在であったとしても賀状は欠礼するつもりだ。

他にも娑婆の義理を欠くことは多いが、遊ぶことだけは出来るだけ長くしたいものだ。今日も天気予報が外れて朝から快晴になった。雨のつもりで週末2日で読書すべき本迄買ってあったのだが予定を変更。上野公園か江戸城東公園でも散歩すれば可愛げがあるが、日比谷に映画を観に行ってきた。面白そうな映画が無いのは分かっていたが、日経ビジネスオンラインで面白い随筆を書いている小田嶋隆氏が今週べた褒めしていたので野次馬気分で「ボヘミアン・ラプソディー」なるものを観てきた。

小学生時代から自他共に許す音痴であるから、音楽や芸能には全く関心を持っていない。先月末友人から「貴方と同じ境遇ですよ」と紹介された方が「先日ポール・」マッカートニーのコンサートに行ってきました。」といろんな話を聞いたが、印象に残ったのはチケットを入手するのが結構大変であったこと、チケットの料金が1万8千円したとのこと。次回ドームかどこかの時は更に跳ね上がると聞いてもっとびっくりしたものだ。彼は10歳くらい若いのだが、学生時代に聞いたビートルズが忘れられないらしい。

日比谷の東宝シネマで一番大きい部屋がほぼ満員、隅から2番目のM2シートだったのだが、M1側に通路が無い(欠陥設計だろうが)。一番驚いたのがエンドロールが終わって場内が明るくなるまで席を立つ人間が少なく、こちらも動きが取れないので最後まで座っていた。エレベータや出口が混雑すのが嫌なので、映画をこんな観方をしてのは生涯で初めての経験だ。観客は若い人もいたが結構な爺婆が多かった。

ゾロゾロと出口に向かった時後ろから聞こえた婆さんの声「クイーンを初めて聞きに行った時、確か3千9百円だったと思うわ。」友人の友人だけでなく、似たような人は多いのだろう。

2018年11月16日金曜日

日々の楽しみ

この二日三日少し寒くなってきたがそれでも暖かい。今日は春以降初めて灯油販売車の音楽を聴いた。18リットル1980円とマイクが叫んでいる。3月最後に買った時は1800円いっていなかったように思うから大分値上がりしているようだ。独居老人に灯油ストーブは危ないので、夏のうちに暖房をガス温風機に変えてしまったので関係ないことになっているが、経済的にどちらが安いかはまだ分からない。

いい歳をした爺がこんなせこいことを書くのは情けないかもしれぬが、これでも年金暮らしを楽しんでいるつもりだ。今週図書館で1950年11月の雑誌「新潮」をパラパラと読み、帰りに書店で10日に発売になった月刊「文藝春秋」を立ち読みして思ったことがある。その前に書いておくが、月刊「文藝春秋」は書店で買って読む唯一の雑誌であるが、今月発売号は立ち読みだけで買わずに済んだ。

何故か、やたらに金持ちの話が多いことに反発したからだと思う。図書館で読んだ「新潮」は火野葦平と檀一雄の短編小説だが、面白いことに共に私小説ではないかと想像するが、共通している点は「貧乏」がテーマになっていたことだ。二人とも戦後一世を風靡したとは言わぬが、それなりに著名な作家だった。前者は1960年52歳で没、後者は女優檀ふみさんの父で1970年63歳で没である。しかし、今これを書いていても漢字変換が出てこない。歳月を感じざるを得ない。

話を元に戻して、1950年と言えば二人とも作家として既に著名であったと筈で、出版各社からの注文に事欠かなかったともうが、それでも貧乏暮らしをしていたことが窺える。しかしそこは作家先生で、毎晩のように飲み歩いて、人生を楽しんでいたことが小説からも読み取れる。立ち読みした今月の「文藝春秋」には現代高給取りのランク表などが掲載され、お金持ちの暮らし方に関して触れていた。

1年に1億円以上の高級取りは相当な人数になるようだが、そのさらに上位クラスの方々、取り上げられているのがどこそこの住宅とか、別荘の豪華さ、はたまた所蔵する美術品といった類のことばかり。昔の作家のように無頼を決めて早死にするのも人生だし、お上品に立派なお宅で素晴らしい美術や芸能を楽しんで長生きするのもこれまた一つの人生だ。こんな特集を組んで雑誌が売れる筈もあるまい。文藝春秋社には親しい友人が多かっただけに残念でもある。

2018年11月15日木曜日

字が下手で恥ずかしいが

サイバーセキュリティー戦略の担当大臣になった桜田義孝氏、今回の入閣で初めて知った名前ではあるが、25歳で会社を立ち上げ若い時から社長をなさっていた優秀なお人らしいが、お忙しくてこれまでパソコンに触る暇なく過ごされ、図らずもこの任務を与えられてしまった。幸いスタッフにはその方面に強い人材を抱えているので業務遂行に何ら差し障りが無いとご本人は胸を張られた。確かに国会議員の先生でご自身がパソコンを打つ余裕がある人の方が珍しいだろうから、それはそれで良しとすべきかもしれぬ。

問題は数日前に少し書いたが、日本が他国人からITスキル後進国と見られていることである。見られるだけで済めばいいのだが、今日の日経ビジネスには「IT音痴で負け組へ、日本に残された時間は7年」と言う記事が掲載されている。内容は現在我が国で稼働している様々なシステム(コンピュータに依存したものを指すのだろう)の殆どは前世紀の末にかけて多くの企業が取り入れたものである。システムの老朽化に伴いメンテナンスを繰り返すうちにその構造が複雑化して使い勝手が悪く、性能の劣化が否めない。

そのことに関し経産省ではこの秋「日本企業は7年以内に既存システムを一新しないと、人工知能(AI)やビッグデータ解析、IoT技術を駆使する海外企業に対して、競争力を失う。」と警告を発している。即ち「デジタルトランスフォーメーション(DX)」(初めて聞く言葉だ)を産業界に促す報告書である。サイバーセキュリティ問題もネットに依存するところが大きい現代社会では基本的問題であはあるが、ビジネスシステムの保守と更新に関する問題も基本と言える大問題である。

現役時代の最後、有限会社を立ち上げてからのことになるが、ある法人の社内LANシステム(僅か40数台のパソコン機材を結ぶ社内システム)のメンテを請け負っていた時期がある。大手であれば何が無くても毎月なにがしかのリテイナーズ・フィーを請求するのだろうが、零細業者の悲しさでパソコン等の機材を更新する、引っ越しをする、人事があった時とか、必要に応じて出張した時しかお手当てを頂けなかった悔しさが残っている。

当時からこの要員を確保することは難しかったし、機械に慣れない偉い人にコストを理解してもらえない作業であったことは間違いない。現在でもその状況は変わっていないだろうし、益々厳しくなっている筈だ。いい爺さんでも子供の頃から機械であるタイプライターに馴染んで育った国と、水茎の跡麗しくを教えられた国との違いと言えばそれまでだが。

2018年11月14日水曜日

興味半減どころか

政治に興味があったのは間違いないが、日本の政治は少し不謹慎な言い方になるが面白くない。理由として思うのは、どの報道や解説を見ても、或いは国会中継を見てさえも政治家の本音又は本質を伺うのが難しく、下手な学芸会を見ている気持ちになるからである。

現在の国会中継を一度も見ていないので何とも言えないが、国会中継は各委員会に於ける与野党の質疑応答が基本であり、本当の意味での与野党の駆け引き、(実態は知らないが国対とか議運と言ったところで話し合われている筈)には触れることは出来ないし、各委員会の理事が委員長と如何なる談合なり談判をしているかも分からない。

従って、中継されるのは2日前に提出と決められている事前通告に基づく質問と、それに対して双方共に役人が用意した原稿を読むに等しい質疑応答シーンのみである。これで本当に政治或いは立法の本質、問題点が理解できるとは到底思えない。今回の米国中間選挙報道や海外の政治関連報道を見て感じるのは、同じ民主主義を標榜する国家でも議会のありようはそれぞれ特徴があり、我が国とは大分異なる国が多いようだ。むしろ我が国と同じスタイルの国を見つける方が難しい。

ロシアや中国のようにある種の独裁国家では首脳クラスの演説が殆どで、平の国会議員の発言などは海外では全く窺い知ることは出来ない。しかし考えてみればこれは欧米先進国に於いても似たようなもので、野党の抵抗はメディアのインタビューでやっと知ることが出来る程度だが、仄聞するに欧米の議会は演説が主体で、議員と閣僚の質疑応答なんてないところが多いらしい。質疑が公開されるのは、ある特定の人物を呼んで開かれる公聴会(ここでは与野党の議員が自由に質問するらしい)ぐらいのようだ。

考えてみれば、台本に沿った台詞を聞いても結論は議員数で決するし、しかも日本は政党の党議拘束が公然化している。これでは何のための委員会か分からなくなって当たり前だ。日本の議会にも公聴会と言う言葉があるようなので、ここに加計学園の理事長とかを呼んでアメリカ式公聴会を開いて、有権者に後の選挙での参考にしてもらえばいいではないか。トランプ大統領もロシア疑惑捜査の立役者モラー特別何とか氏を公聴会に呼ぶことに必死の抵抗をしているようだから加計氏公聴会は自民党も必死に抵抗することにはなるだろう。

政府高官が外国首脳と会談すれば何度も繰り返す「確認」と「意見の一致」ばかり、これで政治への関心が高まる筈がない。

2018年11月13日火曜日

世界の中の日本

日本ではあまり大きく取り上げられなかったが、11日にヨーロッパで行われた第1次世界大戦終結100年の記念式典は欧米の各国が大きく報道している。英国の式典も大々的なものだったが、これは主に国内行事的色彩が濃かったのに比べ、パリでの行事は世界中から当時の敵味方の恩讐を超えて70か国以上の首脳が顔を揃えている。残念なことに第一次世界大戦に参画して漁夫の利を得た日本からは麻生副総理が出席と伝えられたが、その姿かたちは映像や写真で全く確認できない。

フランス・マクロン大統領ははこの式典に引き続いて「パリ平和フォーラム」を開催して、「大戦後に誰もが平和を誓ったが、ナショナリズムや全体主義の高まりが2度目の大戦を生んでしまった。」と振り返り「歴史は繰り返す時がある。愛国主義はナショナリズムとは正反対の位置にあるものだ」とし、欧州など一部でナショナリズムが高まる兆候があることに危機感の共有を呼びかけている。式典にはトランプ大統領夫妻も参加していたが、アメリカ一国主義標榜のせいか、流石にフォーラムは欠席したようだ。

このニュースを何度も見せられて思うのは、日本の存在感の薄さだ。欧米敢えて言うが先進国の間では仕方ないとしても、今朝報道されているシンガポールで開催されたRCEP(東アジア地域包括的経済連携)閣僚会議に出席した世耕経産大臣の写真もそうだ。大勢いる閣僚の一番左隅に写っている。写真の立ち位置で早急な判断は良くないかもしれぬが、会議に入る際に毎度のことではあるが胸を張って偉そうな受け答えをしていたことを思い浮かべると、発展途上国からも内心バカにされているのでは心配になってきた。

我が先祖が丁髷を結ってた時代から外国で戦争を繰り返し、勝ったり負けたりてきた歴史を持つ国の首脳と比べては可哀そうかもしれぬが、戦争と平和の意味も分からず国民に対して薄っぺらな発言を繰り返す我が国首脳、戦没者の慰霊の在り方等、言いたいことは山ほどあるが今日はやめよう。代わりに己のことだけ。昔日本テレビ系列で放送されていた「世界の中の日本」と言う番組の企画に関わったことがある。当時通産省OBとして結構世に知られていた作家の堺屋太一氏(番組のメインキャスター)の事務所に足しげく通ったことを懐かしく思いだした。

2018年11月12日月曜日

読後感「自衛隊の闇組織」石井暁著

サブタイトルに<秘密情報組織「別班」の組織>とある。著者は現役の共同通信の編集委員。5年前の2013年11月に共同通信が配信して全国で30以上の新聞社がトップ記事つぃて取り上げた記事を書いた人物である。内容は自衛隊内部に設けられている非公然組織「陸上自衛隊幕僚監部運用支援・情報部別班」(通称「別班」)の実態に迫るべく努力した日々を回想した記録である。

著者は、この組織の存在を首相や防衛大臣にも知らせず独断で海外情報活動を行っているので、文民統制の逸脱していると断じている。まかり間違うと、嘗て満州で暴走して中国と泥沼の戦いに国を引き込んだ旧帝国陸軍関東軍の二の舞になりかねないとの心配をしている訳だ。但しアマゾンで読書のコメントを読むと次の感想もある。

少し長くなるが以下に「鞍馬天狗氏」のコメントから一部を引用させて頂く。
『私は、この本を本屋で立ち読みしたが、買う気は起こらなかった。理由は以下のとおり。 この本には、「総理も防衛大臣も別班の存在を知らない」「だから別班は文民統制の埒外にあり、危険である」という論調が基底にある。もし著者が本気でそう思っているなら、ナイーブにも程がある。
 例えば、公安警察が、国の治安に悪影響を及ぼしそうな集団の構成員にお金を握らせて、情報提供者として運用しているのは事実と思われる。しかしそれを総理や国家公安委員長に質問しても、「与り知らない」で通されるだろう。それはそうだろう。それを「知っている」と認めてしまえば、「そんな活動はやめてしまえ」と国民に反対運動が起り、治安維持活動に支障が出る。国民の生命身体財産を預かっていると自覚している政治家は、しらを通すしかない。
 別班の活動を、総理や大臣が知らない筈はない。知っていながら、国民の安全を守るために、しらを切っているのだ。まあ、民主党が政権を取った際に、自民党の防衛大臣が後任の民主党の防衛大臣には別班の存在を引き継がなかった可能性はあるが。』

確かに鞍馬天狗氏の言い分も分かる。しかしその組織が日本にも実在し、アメリカCIAやイギリスのMI6(007のモデル)と似たような活動をしていることはびっくり仰天。帝国陸軍の中野学校が源流のようで、当初はアメリカ軍の基地内に事務所があったらしい。昔の取材なので最新情報とは言いかねるが、現代でも世界の各地で身分を隠した自衛官が隠密行動はしているのだろう。私は反対するが、それをすんなり認めるか否かについて、大勢の人に読んでから判断してもらいたい。

2018年11月11日日曜日

変幻自在

子供の頃は猿飛佐助や霧隠才蔵のように変幻自在になれたらどんなに嬉しい事だろうと胸を躍らせたこともある。しかしこの歳になってやっと、それが絵空事であることに気が付いた。所詮己は己、隠しようもないし隠すことはむしろ悪いと思い始めている。しかし、日本は外国人から見ると随分変幻自在の国に見られていると確信する。対応する相手に応じて、ある時はタクシーの運転手、またある時は大富豪そしてある時は・・・往年の名優片岡千恵蔵演ずるところの多羅尾伴内シリーズと言っても意味が通じない人が多いだろう。

シリーズ最後の作品「七つの顔の男だぜ」は小生が20歳の時なので観たかどうか不明だが、、この頃から映画に毒されていたとは驚きだ。脇にそれたが、相手によって対応を変えるのは已む得ないだろうし、悪いことではないだろう。但し、自己の本質、原則だけは曲げてはいけない。これは一人人間だけの問題ではなく、国家に於いてもそう、役所や政党あらゆる組織に於いてもそうあるべきだ。現在無原則の極みとされているアメリカのトランプ大統領でさえ、事の善悪は別として「ジコチュウ」の原則を貫いていることだけは分かり易い。

比較してイライラしてしまうのは首相の無原則さである。民主主義の原則とか法に照らしてとか如何にも原則らしき言葉を時々聞くが、肝心の法については最高法規の憲法まで時に応じて都合よく解釈を変えたりしてし、行政府の長が三権を総べるかのように振舞まうのだからやりきれない。周囲の高位高官は行政府の長に逆らわず、原則が分からず意味不明の日本語を発信し続けている。融通無碍、適当にその日を過ごす彼等はハッピーだろうが、技能実習生ならずとも振り回される側はたまったものであるまい。

無原則な振る舞いは下々から如何様に見られようと構わぬかもしれぬが、外交の場面で他国からどのように見られるか考えたことは無いのだろうか?他人のことを論う毎日であるが、ジコチュウの小生が親から教えられて守りたいと思っている原則は「人さまにご迷惑を掛けない」ただ一点である。家内が生きていれば怒髪冠を衝くだろうが、幸か不幸か彼女は今は天にいるからいいだろう。問題は私の身勝手に迷惑している友人知人だが、笑って済まして頂きたい。

2018年11月10日土曜日

ネットでの買い物

暖かいのは結構だが今日はなんだか夏に戻ったような暑さだ。お天気も日本の政治と同じで「どうなっちゃたの?」とお聞きしたいようだ。とは言っても世界には日中と夜の気温差が20度以上の場所は沢山あるらしいから、贅沢を言ってはいけないかもしれぬ。面倒くさがらずに薄着をすれば良いだけではないか。面倒くさいと言えば、今日は来月の法事に備えてお土産をネットで注文した。

昔からカードの買い物はしないし、ネット販売なんか何となく胡散臭く思っていたので、皆無とは言わないがあまりやったことがない。故に手続きに四苦八苦、送料無料についその気になったものの本当に厄介なことだ。偶々今朝のテレビか何かで聞いたような気がするが、日本人は世界でITスキルが最も遅れている国とのこと。悔しいから「超保守主義なので措いといてくれ!」と言いたいところだが、これは意外と的を射ているかもしれぬ。

若い人にとっては侮辱だろうが、電車の中や歩きながらスマホに対面している連中もあまりITスキルに長けているようには見受けられない。閉鎖社会の日本で生きて来た人間だから我々は好いが、これからは言いたくないがグローバル化とやらで競争相手が国内にいるとは限らない。英語使いがうまいだけで進歩的とされる時代はとっくに過ぎ去り、IT(辞書には情報技術を意味する英語Information Technologyの略と書いてある)によって何事もコントロールされる時代に入っているようだ。

今日のネットショップでの苦労を思い出すとご苦労なことのような気もするが、若い方々には頑張ってもらうしかないだろう。

2018年11月9日金曜日

鬼が笑う

暖かくても流石に冬だ。日が暮れるのがめっきり早くなった。昨夜はまた友人に誘われ飲んでしまった。嘗ては連日忘年会だことの新年会と言う時代もあったが、10日間に3回も飲み会が重なると疲れが出る。今日は久しぶりにお昼寝をしてしまって起きたら普通であればブログをアップする時刻の4時半の直前4:20。

昨夜の飲み会で友人の従弟さんのプロのに紹介され、嬉しくなってその場でこのブログを見てもらったりした。毎日ほぼ同じ分量の作文をするのはいいですね、と褒められたばかりだが起き抜けで頭の回転不足。依って今日はお休み同様にしたい。たった今メールを半日振りにチェックしたら長野の友人からメールが入っていた。詳しく読んでいないが、内容は来年の予定に関することだ。年寄りにとって1日が暮れるのも早いが1年経つのも早いものだ。

2018年11月8日木曜日

国民気質

立冬を過ぎても暖かい日が続くのは有難い。今週はアメリカの中間選挙報道でもちきりだが、日本の政治報道がかくも貧弱で良いのだろうか。と自分に問いかけてみるが、国内政治のご粗末さ、内容が無きに等しい薄っぺらさは自分自身にも責任があると思い至った。我が身だけの問題に非ずして国民の大半に共通するのではないかとも思う。その依って来るところは、今さら我一人が声を上げてもどうにもなるまい、との思いであろう。

今回のアメリカ中間選挙報道を見ていてつくづく感じたものだ。政治に関する意思表明の原点は選挙の投票行動にある。選挙の争点がトランプ大統領を是とするか非とするかに絞られていたせいもあるだろうが、与党共和党も野党民主党側も政策論争でなく、投票をしきりに呼びかけていた。分かり易いと言えばその通りである。投票結果は大方の予想通りだったようで、トランプ氏側の作戦成功、これで大統領2期目を狙える可能性が高くなったとする見方が内外メディの一致するところみたいだ。

それにしても思うのはアメリカ人の行動力と発信への意欲だ。昨日も書いたばかりだが日本人は横着でぐずで何を考えているかはっきり言わない人が多い。71歳のアメリカ大統領に比べ、10歳も若い安倍首相の存在感の薄さは偏に首相の行動力と発信力が余りにも貧弱なことにあるのではないか。今日は首相のことでなく、日米一般国民のその差をしみじみ思い知った。老いも若きも自らの意思を表明するにに何の衒いも感じられない。

選挙権の行使は暇だから行ってみるかではなくて、もっと積極的な行為であるべきだが、政治意識の薄い人にとっては前者であるのはやむを得ない。アメリカの場合は自己の意思を明らかにすると同時に、一人でも多くの同志を得ようと持てる力を発揮するのが自然のようだ。やがて一周忌を迎える家内も区会議員の一人の熱心な支援者だったが、所詮は日本人でその勧誘は極めて控えめだったに違いない。

国民一人一人のそういった積極的な行為が無ければ、世の中が変わるはずも無い。小生にとって出来ることはこのブログによる発信のみではあるが、これでも蟷螂之斧を振るっているつもりである。

2018年11月7日水曜日

「ずくなし」長野の方言

「ずくなし」は横着を決め込むことの意である。

昨日は久しぶりに横浜で昼酒を飲んでしまってブログを書く気をなくしてしまった。何もこのことだけではなく、最近はルーティン化している筈のことをやめてしまっても余り気にならなくなってきている。体力だけでなく気力も萎えはじめている証拠だろう。困ったものだ。体力ついでに言えば、先週来腰痛がひどい。昔、久し振りに実家に帰って玄関先で迎えてくれたオヤジを見た時、その腰の曲がり具合にびっくりしたことがあった。

果たしてあれはオヤジが何歳の時だったのだろう?きっと今の俺と同じくらいの年齢ではないかな。何れにしても椅子から立ち上ると暫くは腰が伸びないことだけは厳然たる事実だ。昨日もエレベータの中で、どこかのお母さんが先を急ぐ子供に対して諭していた。「お爺さんが先よ。」今さら<お兄さん>でもあるまいに、いつまでも年寄りになりたくない自分を我ながら笑いたくもあり、哀れでもある。

昨日書こうと思ってメモったことを古くならないうちに書いてしまう。「急いては事を仕損じる」の諺を信ずる向きが多いのが日本人の特徴かどうか知らぬが、少なくとも政府のすることを見ていると、なすべきことを見つける気が無いのかどうか。何事も現状の成り行きをずーっと見ていて、適当なところを見計らって法律で追認するのが一般的なようだ。政治家が鈍感なのか、官僚が面倒くさがりなのかは分からない。

確かにトランプ氏のように、思いついたことを次から次へと喋りまくり、挙句の果ては与えられている権力をフルに使って実行に移すのも如何かと思うが、我が国における外国人労働者対策のように、既成事実の後追いで法律の繕いに貴重な国会審議時間を費やすのもどうかと思う。関連して思ったのが、昨日のメモだ。全く耳慣れず意味も殆ど理解できないが東北北上の山地に<ILC>計画なるものがあるらしい。

嘗て小柴博士のノーベル受賞で有名になったカミオカンデの発展形と勝手に理解しているが、先月末の河北新報の記事のよると、地方自治体ベースでは「国際リニアコライダー(ILC)」の誘致計画としてヨーロッパにも積極的に働きかけ、先月末、日本と欧州の調整役を担うドイツ連邦議会のステファン・カウフマン議員が30日、岩手県一関市の建設予定地を視察した。その後のカウフマン議員のコメントがキモである。

曰く「プロジェクトによって7年前の災害を克服でき、国際的に注目を浴びることになる。日本政府は、はっきり『やりたい』という意思を示してほしい」と要望したと書かれている。

2018年11月5日月曜日

無責任極まる

元日本企業の徴用工であった老人が日本の企業に慰謝料を払えと訴えを起こし、韓国の最高裁が尤もなことだと認めたので、日韓で大きな外交問題となって騒いでいる。日本は外交交渉で韓国側にお金を払ってとっくに解決している話だ。もしその老人にお金が渡っていなければ、それは韓国国内の問題だろう、そっちの政府の責任できちんと解決しろとの姿勢で強弁しているが、韓国裁判所の個人の慰謝料については未解決との判決に対して、大統領は今のところ何も言及していない。昔日本の言い分を了とした経緯があるので苦しいらしい。

その争いがどう決着するかは大して関心は無いが、戦争の傷跡に対する慰謝料問題はややこしい問題だと思う。戦争は国と国が軍隊を出して殺し合い、軍隊同士の勝負で政治の決着をつけることであるのは分かり切ったこと。負けた方の政府は、先の大戦以降敵国の司法によって裁かれ、極刑に処せられたりする。これも知っての通りだが、敗戦国の国民は特に罪を負っている訳ではあるまい。とどこかで読んだ記憶がある。

しかし米国と日本の関係を見ると、戦勝国のアメリカは戦後73年経った今でも敗戦国の日本の国民から莫大な金額を搾取し続けている。向こうからすれば先の大戦の慰謝料のつもりだろうから胸は痛まないのだろう。搾取は税金だけではなく、領土領空領海と言った国土の物理的支配も変わっていない。我が国の総理や外相流に言えば「如何なる国際法に基づくや?」であるが、日本は大人しくアメリカの言うがまま蹂躙に耐えている。

それを思うと100歳近い韓国の一老人が、日本の企業に1千万円の慰謝料を要求し続けたのも分かるような気がする。先日テレビを観ていたら、慰安婦問題で10億円の基金を作ることでの決着に尽力したとされる元外務官僚の岡本行男氏が、「慰安婦は強制的にさせらているのに対し、徴用工は自ら志願して職に就いていたのだから全く事情が異なる。」としたり顔で言っていたのを聞いて唖然とした。もっと言いたいがそのことは措くとして。

朝鮮を植民地として蹂躙した日本は他にも大きな傷跡を残している。テレビでも一部報道(ニュースにはなっていない)されているから知っている人もいるだろうが、BC級戦犯問題である。大戦中日本軍人軍属として戦勝国の裁判にかけられながら、死刑を免れ生き残った朝鮮出身者がまだ日本に生存している。これも韓国徴用工と同じく 五指に満たないようだ。この老人は終戦で日本人でなくなった(釈放当時は無国籍)との理由で軍人恩給の対象にすらなっていない。日本は植民地を全て日本人とする建前で支配したが、敗戦と同時にその責任を一切放棄してしまった。これを無責任と言わずして何と言うべきかである。

2018年11月4日日曜日

冬の足音

昨夜はだいぶ寒くなりそうだったので夜具をすっかり冬支度に変えてた。ぬくぬくと気持ちはいいが、そのせいか今朝はすっかり寝坊をしてしまった。4時頃一回目が覚めたのだが、もう1時間寝るつもりが起きたら5:40になっていた。寝坊したからどうしたと言うことは無いのだが、山行きの時に同じことが起こると電車に乗れず、その日の予定を断念せざるを得なくなる。それが嫌なのだ。

季節はいつものように巡り冬が来たように感じるが、地球規模で見ると今年は暖冬になる可能性が高いそうだ。日本の冬に影響を与える北極からシベリア一帯を覆う寒気団の気温が今年は異常に高らしい。普通であれば既にー20度程度に下がる筈の地点で未だー10度に届かない地点があるようなことを数日前に聞いたばかりだ。昔は冬が寒いことを願ったものだが今や暖冬大歓迎だから身勝手なことだ。

身勝手とはスケールが大分異なるが、アメリカのトランプ大統領の手前勝手に世界中が振り回されている。つい2年前には泡沫候補扱いだった大統領閣下の真似をする指導者が増えていると言うのだから恐ろしいことだ。日本はトランプ閣下の言うがままだから関係ないが、世界には勇敢にも抵抗を示す国が多数ある。これらの国から始まり、基軸通貨からドルを外そうなんて動きが広がりアメリカの実力が試されたりするのを期して待ちたい。このように心情的には抵抗勢力を応援したりしているが、経済知識皆無の無責任爺である。

明日投票が行われるアメリカの中間選挙について、数日前のテレビで漫才師パックンことパトリック・ハーラン君が興味深いことを教えてくれた。即ち、かの地では選挙の戦い方が日本とまるきり異なり、与党共和党は有権者を出来るだけ投票させないような工作をし、野党民主党は出来るだけ投票率を高める努力をすのだそうだ。理由は若い人やマイノリティの有権者には民主党寄りの人が多いらしい(世論調査でも裏付けられているとのこと)。

昨日の報道でオバマ氏の演説を確認したら、成程しきりに投票しましょうと訴えていった。そして共和党の戦術だが、これがまた相当にえぐいのだ。一例を挙げると投票所を民主党支持者の居住地帯から遠くに設置するとか、ミドルネームを正確に書かないと無効扱いにするとか。日本では考えられないくらい酷いもののようである。民主党側も女性候補者を共和党の3倍近く立てたりして頑張っているようだが、ひょっとすると不利とされていた下院でも共和党が善戦するかもしれぬと、あまり嬉しくない報道が流れている。

マイケル・ムーア監督の「華氏911度」を観て帰宅したところだが、監督も高校生の勇気ある行動に感動したようだが、現実にはかなり悲観的のようだった。

2018年11月3日土曜日

土曜朝5:30から

11月3日は昔から言われる「晴れ」の特異日、弟と孫二人の誕生日でもある。同じ特異日としては4月29日と10月10日もその筈だが、最近当てが外れることが屡々ある。皇族を蔑ろにしたり、オリンピックをけがしたりする輩が多いので、天が怒っているかもしれぬ。しかし今日は目出度いことに正にその通りの快晴となった。

今朝テレビTBS「上田晋也のサタデージャーナル」を観ていたら田原総一朗氏がゲスト出演をして、興味深い話を聞かせてもらった。彼ももう80歳を大分過ぎているようで入れ歯の具合でも悪いのか、口をしきりにもぐもぐさせているのは可哀そうではあるが。曰く「自民党代議士の多くは勿論だが、安倍首相も今国会で憲法改正が出来るとも思っていないし、しようなんて思っていない。口先で唱えているのは日本会議家系の支援者に対するジェスチュアに過ぎない。」

何となれば、一昨年でしたか集団的自衛権行使の憲法解釈を強引に変更して、自衛隊がアメリカ軍と一緒に戦えるように設えて以降、それまで改憲でやいのやいの騒いでいたアメリカがピタッと何も言わなくなったとのこと。彼は先月10日に官邸で安倍氏と直接話したとのこと。もちろん改憲もテーマになったと言った上での発言だから、満更嘘でもないかもしれぬ。では、安倍首相の本当にやりたいことはと聞かれ、次のように答えた。

官邸での会見で自分から提案したのは、北方領土問題の解決である。プーチン大統領は歯舞・色丹の2島は返還しても良いと考えている。だから安倍氏が本気で平和条約締結に取り組めば2島返還への道筋が付けられるのだ。と占い師の様な事を言って、首相も賛同していたと得意げに語った。テレビ出演する解説者は一般的にそうだが、無責任な発言が許容されていると思い込んでいる節がある。こちらもそのつもりで聞いてはいるが、ロシア大統領の腹中を見てきたような言い方は少し度が過ぎる。

しかし首相の改憲推進ジェスチュア論は、多くの人が唱えているので本当かもしれぬ。国民投票をすれば相当な費用が掛かるらしいが、一度やってみたらどうかな。

2018年11月2日金曜日

上から目線

どのような理由が考えられるか知らないが、日本人はアジア諸国の人々を心のどこかで見下しているように思えてならない。例えば中国との首脳会談で安倍首相が「競争から協調へ」を第一とする3原則を提案して同意を得たとか、正式な同意は無いとか議論になったりしている。議論はどうでもいいが、かけっこをしていると仮定して、後ろから追い越していった後輩を捕まえてそんな言い方は無いだろう。

最早倍以上のスピードで走っている追い越した側が、少し待ってやろかとかと言うなら分かる。何を勘違いして偉そうに言うのか、同意を求める方が無理だろう。韓国に対しては徴用工の韓国最高裁判決に関して、駐日大使を呼びつけて肩を怒らせて睨みつけるような形相で、お前のところの司法はなっていないから政府として何とかしろ!と要求をたたきつけている。外交問題として穏便な配慮を求めるなら口の利き方あるだろうに。ある自民問党国会議員が「国家の体をなしていない」と言ってのけたが、自国のこと言っているのではと耳を疑った。

「韓国が条約守らないと大騒ぎの日本国民は、今日本政府が沖縄に何をしているかを直視したらいい。法律に基づく埋め立て承認撤回処分の効力を、本来政府の行為から国民を救済する行政不服審査法を使ってその効力を剥奪する、限りなく恥ずかしい行為である。」孫崎享氏が言っているがその通りだと思う。そもそも迷惑掛けた側が謝罪に行く際、菓子折りを持っていくのか金銭を持参するかは別としてだ。発する台詞は「どうぞこれで勘弁してください。あとでまた何かありましたら何なりと仰ってください。」が普通の作法であろう。

それを何かと言えば舌を噛みそうな例の台詞「不可逆的に・・・・・」を鬼の首でも取ったかのように吹聴するのも如何ものかだ。本当にガキの頃から喧嘩もしなければ謝ったり謝られたり、仲直りの仕方も知らないお坊ちゃんばかりが集まっているのが高級官僚と政治家なんだろう。ただインドだけは経済発展の見込みが高いので妙にへいこらしている。本当に笑ってしまうくらい分かり易い政府の面々だ。

2018年11月1日木曜日

国語の大切さ

ついに11月になってしまった。歳をとると月日の進み具合が一層早まるとは聞いているが、そうかもしれない。でも気にしたところでどうしようもないだろう。今日は嬉しいことにまた友人からお誘いがあり、久しぶりに飲み会に出かけるので早めにアップする。つまらぬことしか思い浮かばないが、昨日か今朝のロシアのテレビでプーチン大統領の演説を聞くと善いことを言っていた。

ロシアを敵視する国について団結を呼びかけたものだったと思うが、彼曰く「敵国は様々な手段で我が国から何かを奪おうと画策している。」その具体例の一つに「ロシア語」を強調していたことが印象深い。国語が失われることは国が無くなることに等しいのだろう。世界のどこに住もうと同胞が団結していることの証として、ロシア人会議を招集しての演説だったかもしれない。

嘗て台湾人から似たような話を聞いた覚えもあるが、彼の先祖もかなり昔から様々な事情で移住を余儀なくした訳だ。故郷への思いは各人様々だろうが、ロシア語を忘れぬ限りはロシア人或いは中国人で同胞意識は非常に強い。台湾人や香港人であっても現代の中国と言うくくりの中で、欧米に対して強い民族意識を持っている場面に遭遇したこともあった。

そういったことと比較して思うのは我が日本、日本語を余りにぞんざいに扱い過ぎはしないか。正月よりクリスマスを祝い、ハロウィンとやらで若きもいい歳のおばさんまで燥ぐのは良いとしても、会社の公用語を英語にして、社員の英語力が上がったと喜ぶ経営者。社員の英語力向上は結構だが、その努力に費やされた時間だけ国語能力学習時間が少なくなっている筈。

政治家の中で言えば、河野太郎外務大臣が英語に関して一番の使い手とよく言われる。確かに彼の発音は聞き取りやすいが、用意した演説ではなく本当の外交々渉に臨むむときは、もちろん通訳を帯同して日本語でゆっくりやり取りしている筈だ。そんな場合、普段から言語能力を高めておかないと機に臨み変に応じた微妙なやり取りは出来ぬ筈。それにしても彼の人相を各国の外相と比較するに、険し過ぎると言うか悪すぎはしないか。英語で能力を使い果たした結果でなければいいが。