2018年11月30日金曜日

日本のお白洲

日本の常識で世界標準からかけ離れていることはいろいろあって、現在はすっかりマスコミから遠のいている竹村健一氏の口癖が「日本の常識は世界の非常識」だったことを思い出している。そもそも日本は3権分立を掲げているが、現政権では司法が政府(行政)の下に取り込まれていることが明らかで、このことが前から実に嫌な感じだった。それに加え最近日産のゴーン氏逮捕のニュースに関連して新たなことが分かり、別の角度から我が国の司法制度を考えてみたくなった。

考え始めると特捜検察制度とかもあるが、もっと普遍的と言うか基本的なところで、日本の司法、特に検察制度には世界標準からすると相当な時代錯誤的なところがあるらしい。欧米の小説には推定無罪をテーマにしたものがかなりあり、映画でもそれを思わせるシーンは何回も観ている。日本も建前は同様らしいが、容疑者が警察から検察に送られると同時に殆ど犯人扱いになるらしい。高手小手に縛り上げられてはいなくても大岡越前守様のお白洲に引き据えられた泥棒と思って良いようだ。

ゴーン氏がどんな大悪人かは知らぬが、畳生活に慣れぬ外国人であることだけは確かだ。仄聞するに拘置所の独房は3畳一間で、そこでの生活はとても推定無罪、人道的とはとはとてもいかぬらしい。検察のリークや日産の告発者の声ばかりがマスコミを賑わし、ゴーン氏側弁護人の声はさっぱり聞こえてこない。当然ながらマスコミは前者の情報で金持ちを羨む下司の勘繰りを煽って視聴率稼ぎに精を出す。ワイドショーには弁護士も登場するが、弁護人の同席も許されず拷問宜しく「有り体に泥を吐け」と締め付ける検察のありようを非難する人間はいない。

名著「国策捜査」で有名な佐藤優氏は家族との面会も1度も許されることなく5百数十日拘置所にぶち込まれた経験を持つが、拘置所の扱いについてラジオで喋っているのを先ほどネットで聞いた。想像を絶する酷さだ。外国の有力メディアがその非人間性を厳しく論評するのも当然かもしれぬ。日本のテレビ新聞は何故その論評が無いのか、それほどまでにお上に楯突くのが怖いのか?日本のマスコミも世界の非常識だ。

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