2011年2月28日月曜日

思い出 期末試験や入学試験

昨日とは打って変わり、朝から冷たい霙が降っている。丁度大学受験の日がそうだった。

昨日、娘と中一の孫が遊びに来た。殆どの日曜日はバスケのの練習で潰れる筈が、昨日は期末テストの前日との配慮から、監督が配慮して休みにしたらしい。月曜日の今日は英語の試験との事だった。孫が英語の勉強をする年頃になったかと思うと、少し感慨深いものもある。しかし監督の配慮とは無関係に、本人はただ休日をのんびり過ごしたいだけの様子で、婆さんの手料理を旨そうに食っていた。娘ものんびりしたもので、勉強しろとは言わないらしい。

我が家は全員、努力が嫌いで困ったものだ。大人が子供の前で「出過ぎず、遅れず、働かず」が一番、なんて言っている始末だから教育上極めて芳しくない。この時期になると、子供も親同士も上級生たちがどの高校に受かったとか滑ったが話題になるらしい。さすが孫の方は、若干それらしき事をいくつか話題にしたが、娘の方は「だから何だって言うの?あんたは普通に勉強して行けるところに行けばいいのよ。」てな感じだ。結局孫も「そりゃそうだ」で終わってしまった。

自分も親から「勉強しなさい」と言われた記憶が無い。でも、中学1年生の時から3年間は、二人の友人と週に1回英語の先生に通って、教科書以外の参考書を使った英語の勉強をした事を思い出した。先生は母の友人で、確か県庁の秘書課か何かで通訳を仕事にしているおばさんだった。いつもおやつを用意してくれたので喜んで通った記憶があるし、これはその後の人生で実際役に立ったような気している。今にして思うと英語は授業プラスアルファが必要と思ってはいるのだが、自分の子供には何もしてやらなかった。

だから、娘と孫のやり取りを聴いて、今更ちょっかいを出すわけにいかない。二人が帰った後で婆さんに聞くと、孫の英語の勉強を娘が教えているらしい。娘は短大時代にオハイオの大学に3か月ほど短期留学をして寮生活をしている。これが少しは役に立っているらしい。子供の頃、姉に宿題をさせて、「私はこんな汚い字じゃない!」と泣きじゃくって文句を言っていた娘も変われば変わるものである。彼女なりに他人に引きずられることはなく、自分の考えで子育て、子供教育の努力をしている。結構じゃないか。

たまたま今日の新聞で、何処かの学習塾が広告で東大の入学試験問題(英語)を掲載していた。1問目に数百語の英文を「70~80文字で要約を記せ」とあったので流し読みしたがとても難しい。直ぐに回答欄を見ると、75文字の日本語の意味が、これ又難しくてすぐには理解できない。さすが東大に入る人は出来が違う、と学生時代の不勉強について、やるせなくも空しい思い出が甦る天気だ。

2011年2月25日金曜日

対策本部会議

「会して議せず、議して決せず、決して行わず」昔から会議が多い会社は成長できないとしたもので、小生も全く同感である。幸い我が社は零細なので、会するほどの社員がいないし、互いの居場所が離れている。こんな小さな我が社でも、仕事の進め方に関して社員間に齟齬が生ずる事はままある。しかし殆どの場合、電話を使って1対1のやり取りで、会社としての方針を決したり再確認したりする事が出来るので、互いの時間を無駄にする事は少ないだろう。

まして現代では電話機能はさらに拡大して、モニターを使用して多元のミーティングが一か所に集まらなくても可能らしい。我が婿殿の会社はそのせいで会議出張が減り、九州に単身で飛ばされていた時、帰京のチャンスが減って嘆いていた。一方、昨日内閣にニュージランド地震対策本部が設置され、その第1回目の会議が招集されたそうだ。(先に本部名を地震災害対策本部と書いて、ホームページで確認すると災害対策ではなく地震対策になっている。これも少し変だと思うが)

9人の大臣様と内閣府から2人の副長官と副長官補1人が参加したらしい。態々報道陣を入れて本部長の総理大臣が挨拶している場面を撮らせている。婆さんに言わせると「祈りに似た気持ちになって・・・」こんな日本語があるものか。「私は脳が無いのでひたすらお祈りします」だったら分かるそうだ。中東か北朝鮮に住んでいたらこちらも含めて銃殺されかねない。与太は置くとして、何かと言えば総理が本部長の対策本部を立ち上げ、会議を開くようになったのはいつ頃からだろう。

内閣官房と官房長官に人材を得てない証拠だろう。会議を重ねれば重ねただけの実が伴うなら結構だ。実態は役所の末端で事務が増え、セクショナリズムが跋扈するだけに違いなかろう。一方、30人近い犠牲者は実にお気の毒ではあるが、繰り返し流される報道にはうんざりする。被災地に報道各社が個別にスタッフを派遣する事自体、救助現場を邪魔している事に何故気がつかないのだろう。

2011年2月24日木曜日

悪口ばかりで己の品性も下がるか

昨日国会で党首討論が行われたらしい。昨日は終日バタバタしていたので、テレビも夕刊も見ないで寝てしまった。今朝のニュースのだいぶ後の方で知った。今朝の朝刊には勿論掲載されているが、扱いが大きくない。どう見ても、読んでも、内容が無いので仕方が無いと言えばそれまでだが。放送業界の友人が言うように、菅総理が出ると途端に視聴率が落ちるので、各局とも極力総理の映像を出し渋っているらしい。

嘘も言えない、我が家のチャンネルリーダーもそのような行動パターンだ。
「新燃岳にエジプト、リビア、パンダにニュージランドのお陰でテレビ局はほっとしているでしょうね。」我が家の婆さんに迄そう言われちゃどうしようもない。国営放送のNHKですらそうなのだから、総理がかわいそうと言うか、情けない事だ。マスメディアの悪口も日記の定番だが、メディアの皆さんは誰に伝えようとして、記事を書いたり番組を制作しているのだろう。

特にテレビなんか、赤ん坊から惚け老人に至るまでが視聴している事を承知の上で、視聴率競争をしているに違いない。無論その影響が何をもたらすかも、十分分かっての事だろう。自ら社会情報番組と位置付けるワイドショー司会者のふざけた態度。正しい日本語もまともに使えない出演者同志が、断片的な知識をひけらかすクイズ番組。無責任な家庭の医学、生兵法の最たるものだろう。これらは全て収益に繋がる視聴率のためと目をつぶったとしても、報道番組のテーマ選びまでがこの観点で行われている実態には寒気を覚える。

政治家をピエロの代わりか芸能人並みに取り扱い、馬鹿にするのも同じ事だ。確かに馬鹿もいるし、あばずれみたい女史もいる。しかし大金を投じて制作している番組そのもののご粗末さはどうだろう。芸能だって同じ事だ。芸の事より、芸能人のスキャンダルばかりが取り上げられる。歌舞伎役者が喧嘩に巻き込まれようと、隠し子いたからどうだと言うのか。外に子供一人や二人いない方がおかしいじゃないか。

話が飛ぶが、朝鮮戦争が勃発したのが小学3年生の時。勿論、家にラジオもあったし、新聞も取っていたので見出しくらいは読んでいたのだろう。はっきり記憶にある。最近になると、当時日本が深く戦争にコミットしていた事が段々分かるようになってきた。隣家の火事見たい事件だから、当然政治の世界でも言論界でも、それなりの苦悩があり、いろいろな議論も交わされたのだろう。一度当時の新聞をもう一度見直そうかと思っているが、兎に角当時少年だった小生には、脳味噌を使う迄もない遠い国の事だった。

ニュージランドの被災地に、日本の報道が即日駈けつけ何日も同じような報道を繰り返す意味が何処にあるのだろう?中東で事件が起これば原油代が上がり、コーヒー代も上がるから市民にいち早く伝える事が使命なのだろうか。報道を見聞している側がどこまで脳みそを使ったりに刷り込まれているか分からない。本当のところは老いも若きも他に見聞する事が多すぎて、こちらが心配するほどの影響は無いかもしれない。

マスコミ直近の流行は「予算を上げるのが政治の役割」「予算が上がらないとこのような大変な事態になる」だ。マスコミだけが正義見たい口調で言われると、首をかしげたくなる。

「どうでもいいだろう、好きなようにやってくれ。結果、公務員のお給料が遅配なろうとカットされようと、はたまた小生の年金が半分になろうと、やってみてくれ。」半世紀以上極楽に住んでいると、面白半分無責任に言いたくなる。

2011年2月23日水曜日

東京湾臨海都市風景

昨日仕事の関係もあり、久し振りに東京湾の埋め立て地にある東京ビッグサイト(国際展示場)まで行ってきた。未だ吹く風は少し冷たかったが、春を感じさせる陽射しがあって東京を海側から眺め、今昔の感を深くした。その昔、まだ30歳になるかならないかの頃、江東区の門前仲町近くに大事なお得意様があり、大変可愛がって頂いた。そのお客様は大のゴルフ好きで、事務所から車で15分とかからずで東雲(しののめ)ゴルフ場に行けるので、仕事の合間にもよく行かれていた。

こちらも何回かお伴をさせて頂いた事がある。木場を通って埋め立て地の端にあるゴルフ場に着くと、茫漠たる風情でもうとても東京なんて感じがしなかった。なんでこんなところを埋め立てたのだろう、と不思議に思ったりしたものだ。でも今から思えば、当時も巨大都市東京から生まれる莫大な産廃などで、埋め立てはどんどん進んでいたのだろう。やがて東雲ゴルフ場は無くなり、こちらも担当を外されて臨海方面を訪ねる事も久しく無かった。

鈴木都政の最後の頃、堺屋太一氏プロデュースの都市博計画が持ちあがってこの方面が話題になった。この計画が持ち上がった時にも、昔のイメージが払拭できず、こんな事でもしなければ、あんな場所の利用法は無いだろうぐらいの思いしか無かった。結局都市博も青島幸男都知事の誕生で潰れ、臨海の埋め立て地は、小生が生きている間は砂漠のままかとも思っていた。勿論国際展示場が出来たり、フジテレビが移転したのは知っているし、何回か足を運んだ事もある。

有楽町線で豊洲に出て、ゆりかもめに乗った。運転士がいない事は知っていたが、10数年ぶりなので前方に運転士がいない電車で何となく不安になるのは、やはりお歳のせいだろう。車窓から見る臨海都市はビルが林立しているし、内陸に聳える東京のスカイラインは、35年前に生まれて初めて見たニューヨークマンハッタン島のスカイライン以上に美しかった。もっと言えばSF映画の一シーンのようにさえ見える。

世界のあちこちから凄惨な映像がニュースとして流れてくる昨今、穏やかな春の日を浴びてシンと済ましている光景を見ていると、日本は平和で良いなぁ、とまたしても思ってしまうのだ。夕方珍しく仕事でトラブッテ帰宅が少し遅くなった。NZの地震も知らず遅くなったのが仕事がらみと言うと、「自国の軍隊に撃ち殺されたり地震で行方不明になっている人の事を思えば、大した事ではないでしょう。」と妙な激励を受けてしまった。

2011年2月22日火曜日

自己流解釈 協力・協同について

昨日は余暇の楽しみとしながらも、一方健康のための個人の努力について書いた。では己の健康が個人的努力だけで達成可能かと言えばそんなことはない。食事内容とか生活時間の管理を考えると、半分以上家内の協力が不可欠である。小生考えるのが苦手なものだから、個人で行く山登りやハイキングの目的地なんか迄、家内の薦めに従っている事が多い。

余暇の娯楽やスポーツは置くにしても、凡そ、何人もこの世で仕事をするには、他人の協力を抜きにして何事もなしえないだろう。個人がしている仕事が他の何人に影響を及ぼし、又は他の何人の協力で成り立つかを、認識するかしないかで生きざまが変わるのは勿論だが、受け取る報酬が違ってくる事に気が付いていない人が多いようだ。

大学時代に社会学なるものを専攻したが、中で未だに印象に残っているのが「社会貢献と報酬の相関」で、数学の公式(1+1=2みたい事かな)と同様と教わった。但し、この場合の社会貢献が何を指すかについては些かあやふやで、タイガーマスクの伊達直人でない事だけは確かだ。これも自己流で、自分が所属する組織とか帰属すると認識できる社会とか、勝手な解釈をしている。

そして報酬についても、大方の場合は自分以外の誰かが決めるものだから、その分の社会貢献をした、即ち公式通りと納得してきた。ところが、最近の名古屋市議会議員報酬1600万円や、米倉経団連会長の「国会議員は税金泥棒」発言を聴いて、世の中には、公式外れのお手盛りに近い報酬も存在する事に気が付いた。小生も個人企業を立ち上げた所為で、ここ数年は報酬を全てお手盛りで決めている。

本当に一人きりなら良いが、最近は代表まで交代してもらっているのだから、一人では何もなしえない。意外に大勢の協力でなんとか会社の態をなしている事を、常に意識するよう心掛けてはいる。独立する迄に4社の会社を渡り歩いた結果、仕事を共にするメンバーの協力関係が、成果に関して重要な意味を持ってくる事だけは確かだ。

他人の事は分からないし、世の中の個人個人は千差万別。馬鹿のような奴もいればハサミみたい奴もいる。それが目標を一にして力を合わせると、何かが生まれるのが不思議でならない。成果が構成員の能力の総和で無い事だけは経験的にも知った。しかし大学では協力・協同成果の算出についての公式は教えてもらえなかった。

しかし、民主党のように、構成員の目標とするところがばらばらになったら、組織への貢献がそれぞれ減るのだから、それぞれが受け取る報酬が低くなる事は、前述の通り公式化されている。この場合の報酬は選挙の際の票かもしれない。理屈を重ねたが、当たり前すぎてつまらないか。

2011年2月21日月曜日

自己流の楽しみ

年齢とともに余暇の楽しみ方も随分と変わってきた。目下のお楽しみは週末のプールと碁会所碁会所通いかもしれない。月に一度くらいはハイキングをしたり、スキーに行ったりもする。数年前まではゴルフもしていたが、3年ほど前からすっかり止めてしまった。止めた理由の一つに、上達が止まったばかりでなく下手になる一方と言う事がある。

ゴルフは一人でやっても面白くない。常に同伴者がいて、ホールごとにスコアを確認せねばならない。同伴者に負けるのが悔しく無いと言えば嘘だろうが、自分の上達が止まっている事が余りにも明確に分かり過ぎる。これが面白くないのである。悔しかったら練習でもすればいいのだが、ごレフの練習は車が無いと行きにくいし、お金もかかる。

その点水泳は良い。スイミングパンツは4~5千円するが、一度買えば毎週土日使用しても最低2年は持つだろう。競技をする訳ではないから、泳法やスピードに神経質になる必要はない。元々自己流ではあるが、最近は1000mをクロールで泳げるようになった(但し時間は30分程掛かる)。やりはじめてもう10年くらいは経つと思うが、初めの頃は25m泳ぐと息が上がったものだ。これ以上距離を伸ばそうとは思わないが、70歳にして上達を実感できるのは喜ばしい事だ。

囲碁も同じで、自己の実感で少しずつ上達しているような気がするのである。昔はプロの手ほどきを受けた時もあったが、これ又自己流のようなものである。当然何級何段のような認定はされていないが、最近、碁盤が急に広く見えるようになった気がする。これも不思議な事だ。歳とると脳味噌の周りに付いた記憶は直ぐ剥がれ落ちるので、学習効果が期待できない。と言われるが、そうでもないのだ。

スキーやハイキングは上達と言う概念そのものが不要で、山に行くだけで常に新鮮なものがある。歩き方や滑りは方全て自己流で充分楽しいのだ。他には読書とうたた寝も自己流の得意技かな、これらが全て健康と長生きに繋がればこんな結構な事は無い。

書き終えてアップしてから思い出した。この日記も最近の楽しみだ、但し健康と長生きには関係なさそう。

2011年2月18日金曜日

一寸先の闇

インターネット情報では、先日の金正日総統の誕生日に本人が姿を見せなかった事から、このところ噂されていた死亡説がかなり信憑性を帯びてきているらしい。ここ1カ月くらいの間に政府要人数人の死亡が発表されたり、今まで表に出なかった次男がシンガポールに現れたりしているのも不自然との事。特に米国と韓国が今月末から来月にかけて行う軍事演習を、北朝鮮の突発事態や局地的挑発に備えたこれまでの基本概念を見直し、北朝鮮の突発事態に備えた大規模な合同演習に切り替えている事実が重要らしい。

この事は両国が北の情勢変化について、何らかの情報を掴んでいることの証らしい。昨夜そんな話をすると「あら、そうなの。実際にそこで異変が勃発すれば、平和日本の在日米軍の抑止力問題がはっきりするからいいではないの。」と婆さんは言った。小生もこの世のパラダイス・ジパング在住の極楽とんぼの1匹だから同感だ。韓半島で異変が発生すれば武器を持った大量の難民が発生して、我が国の日本海岸に押し寄せてくる。それを抑止するために沖縄に米海兵隊が駐留する必要がある。は前政権防衛族の決まり文句である。

一方で反論は、米海兵隊の任務は上陸強襲で、韓国の米人保護には働くかもしれないが、日本を守る機能は持っていない、である。北朝鮮から難民脱出と言っても、船も燃料も無いのにどうやって日本海を乗り切るの?なんて説もある。万一押し寄せても、水際で叩くのは、専ら陸上自衛隊諸氏の役目らしい。それでも討ち漏らしたら、豊島区千川の我が家に迄押し入ってくるかな。孫の得意セリフ「そんな事はあり得ない」と思っているが、政治家はどの辺までシミューレートしているのだろうか?

アメリカから情報を貰っては、ミサイルがどうとかこうとか言ってはいるが。長距離ミサイルなんかどうでもいいだろう。誰が考えても日本に落ちてきたら、この世の終わりと観念する迄の話。むしろ韓国に向けて並んでいる近距離ミサイルの一発でも、発射させれば事件だろう。中東の民主化運動も安全保障からすると大問題と思うが、首相がたまにとんちんかんな発言をするだけで、国会ではまともに議論すら出来ない。中東からは遠いことだし、原油価格も未だ大した影響が無いようでお気楽そのものだ。

民主党内の混乱で総選挙の可能性が出てくると、大マスコミは声を揃えてえ「国民生活が大変な時にそんな事をしている余裕が無い」と仰る。日本の大変(危機)とは何だろう?つい先日迄は野党の尻馬で、「国民に信を問うべき」の大合唱だった筈のように思うが、過去の事については一切責任を負わないのがマスメディアの特権らしい。中東なんかとは異なり、言論の自由が保障されているのに、不思議と我が国のメディアは金太郎飴のような報道しか出来ない。結局危機には程遠いからだと思う。

例えば尖閣のような事件が起きると、急に安全保障が滑ったの転んだのとなるが、次の騒動が持ち上がるとあっという間にそのテーマは見えなくなる。韓半島で事件が起きれば又引っくり返った大騒ぎにはなるだろうが、こんなテーマこそ長期にわたってもっと冷静な議論が必要だろうし、メディアの中にも専門家を育てる必要もあろう。その為には先ず、大学に軍事学の専門コースを設けて、若い人の養成から始めなくてはならぬらしい。

2011年2月17日木曜日

鳩山元首相 方便発言

地球上の楽園みたいな我が国の事だからびっくりするほどではないが、鳩山氏が普天間の移設先を辺野古案に戻した時の理由を、ひっくり返したとの事で大騒ぎになっている。先ず、鳩山氏は総理を辞した時には議員も辞すべきであったとは思う。そのことを恥ずかしいともせず議員活動を続けている事、更には次の選挙にも立候補すると言いだした事等については、どう考えても肯定の仕様が無い。留学で渡米する時に、飛行機の中で人妻を引っ掛けてしまうのもそうだが、頭の構造が普通の人とはかなり異なるようだ。

その事は別にして書きたい。普通「私は嘘を言いました。」と聞けば大方の人間は「では本当のところは?」と聞き返すものだろうと思うが、今回はそうなっていないらしい。既成メディアを見ている限りでは、日本中が上げて「方便だった」発言そのものを非難している。取材した沖縄のローカル紙記者も、沖縄県民とその応援者を自認する社民党の諸氏も、更には政権幹部までもが口を揃えて非難しているのは余りにも異様ではないか。

野党自公の先生方が「沖縄に抑止力なんか必要無い」と言われたら、立つ瀬が無いので怒りまくるのは理解できる。元々アメリカ属州の代官みたい位置付けの政治をしてきたのだから仕方が無い。国会中継を見なかったので直接確認していないが、天木直人さんのメルマガに詳細が掲載されている。以下に昨日の衆議院予算委員会の、自民党町村信孝氏発言の要約を引用させてもらう。

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町村「鳩山前首相の唱えた東アジア共同体構想は米国に不信感を抱かせた。放棄するのだろうな。
民主党は「対等な日米関係」というが、これまでの日米関係はどこが不平等だったというのか、その例を一つでも示してみろ。
よもや普天間基地関連経費の凍結を求める左翼社民党との連携を優先し、ただでさえ壊れた日米同盟をこれ以上悪化させないだろうな、」と。

これに対する菅首相の答弁こそ菅首相の矛盾を露呈した。民主党政権の安全保障政策の虚を見事に突いた。

国内問題ではどんな質問に対しても強弁する菅首相だが、この日米同盟についての応答振りは無残なものだった。顔面蒼白だった。まともに答えられないのだ。
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幾ら対立軸の無いふやけた国会とは言え、野党のおじさんの恫喝に総理大臣が真っ青になって恐れ入ってどうするのか。小沢チルドレンが会派離脱を言い始めたのも分からないではない。どうせ落選するなら、見事散りましょ、小沢のために。の方が余程自分で納得できるのだろう。

中東諸国では虐げられし人々が身体を張ってアメリカ寄りの政府に抵抗を始めている。如何にパラダイスの一角に安住しているとはいえ、沖縄県民もどうかしているのではないか、この発言を奇禍として「海兵隊なんか日本に不要」と声を上げるどころか、鳩山叩きのお先棒を担いでいる。当然マスメディアも同じで、全く馬鹿としか言いようが無い。

2011年2月16日水曜日

河村たかし名古屋市長

先日の選挙で圧勝した河村名古屋市長の話をよく聞いてみると面白い。一見して少し頭がおかしいのかと思っていたが、とんでもない間違いだった。かなり頭が良いようだ。13日のフジテレビ「新報道2001」に出演して長時間喋っている。減税とか議員報酬の削減を前面に打ち出すやり方はインチキくさいとか独裁的だとか言われているが、実に堂々と反論している。巨額の財政赤字を抱える自治体の首長が減税する暇があったら赤字を埋めるべき、の論調が多いが、聞いてみると減税分以上に公務員給与のカット等で節約している事も分かった。

今度の選挙の結果を受けて解散され改めて行われる市議会選挙で、河村チルドレンが第1党にでもなれば、政治には疎い新人議員をコントロールしてあなたの好きなように市を牛耳る事が出来る。これこそ独裁に繋がる事で、私は心配です。みたい事をフジの政治部長なる人が突っ込んでいたが河村氏は全くひるまなかった。自分は最初の選挙の時から言っている事は一つも変えていない。最初の選挙の時党を挙げて応援してくれた民主党が変節しているだけではないか。素人の議員と仰るが、これが何故いけないのですか?

手厚い税金で守られながら職業にしている議員より、ボランティア精神で臨んでくれる人こそ本当の市民代表と言えるのではないか。てな趣旨だ。聞いて尤もだと思った。民主党系市議は、河村氏が市長になって議員報酬800万円を打ちだすと、そんな事をしたら議員になり手が居なくなると自公と足並みをそろえて反対に回った。それが今度の選挙結果が出て、1週間も経つか経たないうちに「議員報酬の削減」を言い出す始末だ。如何に無節操とは言え少し恥ずかしいのでは。

河村氏は市民税の10%減税の必要性を力説したうえで、更に「もし自分が総理なら、消費税を1%引き下げる」と言い放ったのだ。すかさず、出演している自民党代議士やなんとか言う女性の評論家が「年収500間円の世帯が1年で1万円税金が安くなったって、経済効果なんか期待できないだろう。」と激しく反論した。しかし経済学者の日本総研副理事長高橋進氏は、河村氏の論に対し論理的に反論できず、河村氏の言う事にも一理はあると言ってしまった。

要するに消費税の上げ下げに依る経済効果なんかも、学者も政治家も○千億円だ事の○兆円と尤もらしい事を言っているが、実際のところはやってみなければ何も分からないが本音らしい。河村氏が出演していた民主と自民の政治家2人を「あんたたちこそ市民から見れば、談合で成り立っている独裁者だ。」と強烈にやっつけていたが、全く同感だ。国の政治家と偉そうにする前に、議員定数と自らの給与の削減をしてから、名古屋市長に文句を言えだ。

2011年2月15日火曜日

定番「孫の自慢」

歳をとると孫の自慢と病気の事しか話題が無くなるそうだ。全くその通りだと思う。だから今日も昨日に続いて孫とスキーの話を書く。この日記を愛読してくれている友人に面白い人がいて、時々楽しい情報を提供してくれる。今月に入って彼が教えてくれたのが和尚の法話だ。京都高台寺の円徳院の後藤住職の説教である。1回1~2分で60数話の説教がyoutubeにアップされていると教えてもらった。

http://www.youtube.com/watch?v=EhKYIB_Qo6E&feature=channel
暇のある方は是非上記のURLをクリックしてみてください。更に見ようと思えばyoutubeですから、関連でどんどん進めると思います。

話しが逸れるが、我が家の墓は父が長野の禅寺に用意してくれている。従って小生はそこに葬ってもらえれば良いのではと思っている。しかし東京で彼岸に渡る可能性が高いので、葬式がどうなるかは分からない、残る人が決める事だろう。ま、その程度で仏教徒と言えるとしたら、小生も仏教徒の一員ではあろう。その事は別にして、円徳院の坊さんの話を聞くと、仏教と言う宗教は日本的で良いなぁとしみじみ思う。

何が良いって、難しく無いのが一番だ。教典や教義が無い訳では無かろうと思うが、この説教には一切出てこない。気が遠くなるほど昔、聖公会の日曜学校に数年通った事があるが、少なくともキリスト教の説教には聖書が付き物だ。イスラム教に至っては1日に5回礼拝をとか、アラビア語でコーランを丸暗記とかしなきゃいけないようだ。只でさえ勉強嫌いの小生には向かないに決まっている。

厳格な仏教徒には「これをしなさい」とか「何をしてはいけません」と言う事があるのだろう。しかし、この説教はあまり堅苦しい事を言わないので、気楽に聞けるし胸に落ちる良い事を言っている。中に「子育て」について話している回があった。内容は実にシンプルで、留意すべき事は「強く、逞しく、優しく、思いやりのある子に育てなさい」「そして我慢をする事を教えなさい」だけである。

何時かここに書こうと思った所為もあるが、思わずメモを取ってしまった。冷静に考えれば、どんな宗教の坊主でも似たような事は言うのだろう。仏教は「当たり前の事を当たり前に」が基本だそうだが、偉そうな坊さんが厳かにのたまうと有難く思うから不思議だ。

そこで孫とのスキーの話に戻る。今回こんな事があった。小生が後ろの孫に振り向いた時、横からスピードコントロールを失った女性が突っ込んできて、相手も小生も板が2本とも外れる大転倒をしてしまった。気が付くと孫が駆け寄り「お祖父ちゃん大丈夫?」と健気に散乱した道具を持ってきてくれる。更に相手の女性にもスキーを履くのを手伝ったりして、実に優しく労わっている。それを思い出して、今回のスキーは厳寒の中で我慢も強いられたし、和尚さんの説く子育てにはピッタシだったと自画自賛をした。

2011年2月14日月曜日

志賀高原スキー

3連休を利用して小学6年生の孫と志賀高原にスキーに行った。金曜の午後と土曜は雪、日曜の午前も快晴とはいかず3日間寒い日が続いた。それだけに雪質は抜群のコンディションで、スキー滑走は快適である。孫は今シーズン初乗りだったが、3日目になるとスキー操作も目に見えて上達し、一ノ瀬地区や焼額山最高地点から初、中級コースであれば、怖がらずに殆どノンストップで滑り降る迄になった。

子供は元気が一番だ。初日2時間、二日目5時間、三日目2時間半とほぼ休憩なしでお付き合いした。滑るコースやスピードは同期の友人と滑る時と全く違うのだが、すっかり疲れ果てて昨夜は9時前には寝てしまった。今日午前中に筋肉のメンテのつもりで整体のマッサージを受けたら、それまで疲れを感じていなかった左の脹脛がばんばんに張ってしまって未だ痛い。年せいで筋肉疲労すら感じるのが鈍感になっているのかもしれぬ。

一ノ瀬ファミリースキー場天狗パノラマコースの中間地点




焼額パノラマアウトコースコース中間地点


2011年2月10日木曜日

難しすぎて分からない

いつも夜9時からのNHKニュースの前半30分程を婆さんと一緒に見ながら、ワーワー言って楽しんでいる。意見は大概一致しているが、珍しく昨夜は不一致と言うか、こちらが無知なのでご教授いただいたと言うか。テーマは「年金」

面倒くさがりの所為もあるだろうが、我が家の家計でさえどんな危機的状況にあるのか、それとも残り少ない人生の将来について、もう心配が無いのか、全く分からない。自分勝手に後者だと思っているが、婆さんの話では「とんでもない、もっとしっかり稼いでもらわなくては。」との事。まして国家の財政なんて、中途半端に読んだり聞いたりしても、理解が及ぶ筈もない。

お上のお情けでもないが、夫婦ともに年金を頂戴し、もうそろそろ申告時期だが、逆にそこそこの税金は納めさせても頂いている。全てはお上が決めたままで、前政権も現政権も余り変化が無いように思うし、気に食わないからとしても抵抗の術がありようもない。毎日流れてくる国の予算審議の模様は、何か自分とは無関係の話のようで空しい限りだ。

ただ個人的には、毎月25万円弱の年金を貰うのは有難いと思っている。年金を貰い始めてもう10年ちょっと、トータルすると既に3千万円近い。サラリーマン時代に納めた年金保険料がいくらになるか知らないが、そろそろ元は取ったのではと思ったりもする。しかし昨日婆さんと話をしていると、我が家の大蔵大臣だけあって、考えている事が少し違う。年金制度に批判的なのだ。

曰く「若い人が年金未納をするのは良く分かる。これからは給付金額が下がる事は間違いないのだから、そのくらいだったら個人で銀行か民間保険に積み立てて、それを取り崩す方が賢いかも。」因みに婆さんが今いくら年金を貰っているか聞いたがはっきり記憶していない。確か年間20万円ちょっとだったような気がする。

こっちは総理大臣同様全く疎い話なので聞いた。「月々徴収される保険料は幾らなの?」「14,000円よ。」「へえ~、仮に20歳から60歳まで40年積み立てても600か700万円、そんな少ない額でも個人でやった方がいいのかね。」「そうよ、第一今でも年金は60歳から貰えないのよ。その上現代の若い人たちなんか人口が減るばかりでなく、私たちのように長生きできる筈が無いじゃない。」恐ろしい事をこともなげに仰る。

若い人の実態どうなんだろう、婆さんが娘たちに未加入未納をけしかける事は無いだろうが。政権をどちらが握ろうとどうにもならないと思っているのだろう。気持ちは十分すぎるほど分かる。昨日の党首討論なんかまるで八百長だ。谷垣氏の言う意味ではない、与野党一緒になって財務省の代弁をしている。今後も世論調査の度に「支持政党なし」の比率は上がるに違いない。

2011年2月9日水曜日

「陽の名残り」あれこれ 

今度の連休は全国的に天気が悪いらしい。孫とのスキー旅行を楽しみにしているが、天気に恵まれない事になるとは残念だ。今年のスキーはこれで3回目になるが、過去2回は何れも初日大雪、2日目は予想に反して快晴となった。今回もそうなってくれると嬉しいのだが。

今度同行する孫も既に小学6年生、果たして来シーズンも一緒に行こうと言う事になるだろうか。今から心配しても始まらないが、昔見たヘンリーフォンダと娘のジェーンフォンダが共演した映画「黄昏」を思い出した。田舎の大きな池のほとりに住む老夫婦(ヘンリーフォンダとキャサリンヘップバーン)を、ある日不仲だった娘(ジェーンフォンダ)が子供を連れて訪れる。その滞在中爺さんと孫が仲良しになり、娘の心にも響いて親子の情愛が甦るような話で、未だに心に残っている。

我が家も核家族化はしているが、アメリカのそれとは異なり往き来も頻繁で、親と子そして孫へとかなり家族的な心は通じ合っていると思っている。日本ではこれは当たり前、むしろ子や孫が親や祖父母と別れて、精神的にも独り立ちしていく方がドラマになりやすいのではなかろうか。何れにせよ昔から小説や映画演劇の世界では人生の黄昏がドラマチックに取り上げられている。

小中学校の頃の学芸会と言えば「父帰る」(原作:菊池寛)が定番だったが、現在はどうなっているだろう?家族を顧みずに家出した父が、20年ぶりに落ちぶれ果てた姿で戻って来る話は今ではあまり現実的ではないのかな。少なくとも小生は、子供心に胸を打たれたものだ。その他には働き者の嫁さんに逃げられてしまう「夕鶴」(原作:木下順二)も定番だった。こっちは人生の黄昏とは少し違うが、こちらもやはり夫婦分権について子供心に訴えてくる何かがあった。

家族関係を考えると、日本は温かみのある良い国だと思う。こっちはこんな感傷に浸っていい気になっているが、一方でニュースを見ていると、生臭い話に本気になって若い人と張り合っている同世代の政治家が沢山いる。政治の仕事は家族関係なんか無視しないとやっていられないとものだろう。他人の事だからどうでもいいが、一体彼等は何を楽しみに生きていこうとしているのだろう。

因みに本日のタイトルは「日の名残り」(The Remains of the Day)の盗用です。1993年の英国映画で名作とされているようですが、小生はあまりピンときませんでした。どちらかと言えば女性向きだったかもしれません。でもタイトルは良いですね。原作は日本人らしいです。

2011年2月8日火曜日

読後感「三島由紀夫と司馬遼太郎―「美しい日本」をめぐる激突 」松本健一著

三島由紀夫の作品はあまり読んだ事が無いが、司馬遼太郎の方は大分読んだつもりだ。著者の作品もいくらか読んではいるが、この人は果たして何者だろうとずっと疑問に思っていた。歴史学者か、ひょっとしたら右翼の変わり種かななんて思った事もある。今回本書を読んで松本氏の事が初めて分かった。氏は東大の経済学部を卒業の後、文学部に再入学して文学者の道を選んだと自ら語っている。本書は二人の文学を比較しながら、戦後日本の精神史を解き明かそうとしている。

三島氏と司馬氏は共に大正末期の生まれで、戦争と軍隊に少し関わっている。と言っても三島氏は徴兵検査ではねられて実際の軍隊には入隊しないで終戦を迎えている。一方司馬氏は宇都宮の戦車連隊に入隊して終戦を迎えた。三島氏は東大、司馬氏は外国語大で共に一流大学の出身である事も含め、世代と経歴は非常に似ている。ところが、片方の作品を余り読んでいないので知らないが、三島氏のそれが純文学とされるのに対し、司馬氏の方はエンターテイメント即ち大衆文学と言う事になるらしい。

しかし著者は二人を同列に並べて殆どの作品を読破したうえで、彼らが生きた戦後昭和に於いて、二人が日本に託した心象風景の決定的な違いを解き明かす。それがもっとも端的に現れるのが1970年11月25日、三島が自衛隊の市ヶ谷駐屯地に乱入して自決、その死に接して翌日の毎日新聞夕刊に寄せられた司馬の一文に表れている。曰く「この死に接して精神異常者が異常を発し、彼の氏の薄汚れた模倣をするのではないかと心配・・・」全く評価出来ないのは勿論、汲み取ることの出来る心情も無いと一蹴してしまった。

著者は導入部にこれを設定。実に分かりやすくロマンティストの三島とリアリストの司馬を対比していく。著者は出来るだけ公平に二人を分析しようとするが、自らをどちらかと言えば革命的ロマンティストに近い事も告白している。三島は陽明学に基づいて行動してしまった革命的ロマンティストとして位置づけている。司馬は歴史小説も沢山書いているし、陽明学実践者である乃木将軍についても「殉死」で取り上げてはいる。しかし常に覚めた目で歴史も現実も見続けたリアリストであるとしている。

ただ二人に共通するのは、戦後の日本がナショナルアイデンテティーを喪失しつつある事に対する強い危機感であったと結論付けている。当然著者自身が現時点で同様の危機感を抱いている事は言うまでも無い。西郷隆盛と大久保利通、吉田松陰と小林寅三郎等司馬の小説になった人物も随分取り上げ、、ロマンティストとリアリストとして対比をしているが、皇室に対する思いを憶測する事は慎重に避けてはいる。考えさせられることの多い内容となっている。

蛇足ながら印象に残った一文、ロマンティストについて「思想は虚構なり、即ち美しいものを見ようと思ったら目をつぶれ」

2011年2月7日月曜日

中学校の同窓会

土曜日に自分が幹事役で中学校の同窓会があった。首都圏近郊と言っても遠くは長野県の八ヶ岳山麓、埼玉県秩父、茨城県筑波、神奈川県の逗子や横浜からも態々駈けつけてくれた友もいて総勢21名、賑やかな会となった。小生も久しぶりの昼酒ですっかり気持ちよくなってしまった。こういった会に出席してくれる人たちは、気分的な高揚もあってか皆元気そうだ。三々五々の塊になって随所で大いに話が弾んだ。

昔話もあるが、時局に関する話題が多いような気がした。今の70歳は国内外を問わず時局をよく見ているし、正直なところ小生もそうだが、実際半分現役で直接仕事に関わっている人もいる。中には先日エジプト旅行をしていて騒乱のデモに遭遇、「ほうほうの態でローマに脱出できた」なんて話から「自分もイラン革命のときJALの救援機が来た時はうれし涙が出た」なんて話とか。

先日南アフリカから帰国したばかりの友は「リン鉱山からレアメタル抽出のプラント建設に関する調査」だそうだ。オペラ好きの友は病が嵩じて、昨年ザルツブルグまで行ってきたとの事。大抵の人は少なくとも今までのところ、外国旅行をそんなに苦にしないらしい。小生は言葉の不自由さと食事の選り好みでどうも苦手だ。なかに一人、大学教授が長く毎年のように世界を駆け巡った友人が「そろそろ旅行が億劫になってきた。今年あたりから少し控えたい。」ともらしてくれた。

そうである、70歳にもなればくたびれてきて当たり前。医者の友人が二人参加してくれたが、「人間は高齢者になるとやがて死ぬのが運命、徒に逆らっても何ともならんよ。」と語ってくれたのが妙な救いだ。80、90になっても現役で殊更に頑張っている人が医者の世界でもいるらしい。その世代、或いは我々世代でも脳がスカスカになってくるのは防ぎようが無いらしい。脳の中心部分に刷り込まれている知識をベースに能書きを言うのは、老害以外の何ものでもなさそうだ。友人はもう直に診察を止める決心をしているらしい。

小生はここ数年、老化に逆らって相当無理して頑張ってきたつもり。しかし医者の友人の話で、頑張りすぎるのも如何ものかと、急に考えが変わってしまった。この辺が単細胞の真骨頂だろう。彼曰く「皆元気そうにしているが、みな病気持ちだよ。それを薬なんかに頼りながら、なんとか表面的につくろっているだけさ。」言われてみればその通りだ。図星をさされた感があるが、名医からすれば診察なんかしなくてもそんな事は分かるのだろう。

こちらが自慢したい孫の話は殆ど出なかったのが残念だが、中には坊さんの娘さんもいたし、本物の牧師さんもいた。お墓の話もあったし、ボランティアでしている学校教育から為替やTPPの話まで、物凄く幅広い話を聞けただけでも楽しい集いだった。

2011年2月4日金曜日

年寄りのわきまえ

今日は立春、如何にも春らしい暖かな1日だった。昨夜はお隣から小さな姉弟が元気に豆を撒く声が聞こえていた。我が家でも婆さんがスーパーで買ってきた煎り豆を出してくれたが、豆撒きはやめて食べるだけにした。たった二人の高齢者世帯では、福も来ないかもしれないが、鬼も来ないだろう。豆はも美味かったが、とても年の数だけは食いきれなかった。

当たり前と言えば当たり前だが、みんなこうして年をとって行くのだろう。小中学生のいる娘の家は豆撒きをしただろうか。小学生がいるからしたかもしれないし、していないかもしれない。少なくとも娘が中学校くらいまでは豆撒きをしていた筈だ。でも若い人には若い人なりのライフスタイルがあるだろう。こんな些細な事ばかりでなく、世代によって考え方は大きく変わっていく筈だ。

千古の昔から年寄りが口を開くと「最近の若い者は・・・・」と慨嘆するものらしい。今週もテレビで、保守主義の権化のような都知事様がしきりに連発していた。最近テレビに出まっくっているところを見ると、四選に向けて虫が動き出しているのかもしれない。才能のある方だとは思うが、年寄りが偉そうにするのは如何なものかだ。亀の甲よりなんとかで、経験に基づくアドバイスは、若い人から求められてこそ価値があると思う。

やれ親孝行だの公徳心だの、世代を越えて不変の価値観あるような事をよく聞くが、確かにそうかもしれない。しかし間もなくお迎えが来てもおかしく無い人間が声高にそれを叫ぶと、素直に聞けない向きも居るだろう。大体そんな話しのとどのつまりは「愛国心」に行きつくと決まっている。これも不変の価値かもしれないが、知事様がいくら力説強調されようと、それに素直に同調できるヤングは少数かもしれない。

老いも若きも、個々それぞれ少しずつ考え方に相違があっても、同世代の人間同士はなんとなく共通の考え方があって、会話がスムーズに運ぶものらしい。ところが前後6年、即ち12年の年齢差があると考え方の相違はとてつもなく大きく、意思疎通が難しいと聞いた事がある。平たく言えば、言って聞かせても無理なのだ。危なっかしくとも取敢えずはやらせてみるべきらしい。まして政治なんかは将来の社会を設計する仕事だから、結果責任を負えない年寄りは引っ込んだ方が良い。

因みに小生は、日本の将来について極めて楽観視している。若い人が自立していないだの、海外に出ていくチャレンジ精神が無くなっただのいろいろ言われるが、そんな事はどうでもいいだろうと思っている。親達が小金を持っていれば、子供たちはいつまでも親に頼るだろうし、若者の海外留学が減っても、国内の勉強だけで十分と彼等が思うなら、それで良いではないか。その結果、日本は世界に遅れて最貧国になるかもしれない。それがどうした、その時考えるのは彼らである。少なくと我々以上はこの世にいない。

半ボケの年寄りが思うほど若い連中は馬鹿ばかりではない。

2011年2月3日木曜日

見て見ぬふり、知って知らぬふり

大相撲の八百長が野球賭博事件以上の大きな社会問題になりつつある。世界中で、プロスポーツの八百長がこれだけ大きな社会問題になる国が他にあるだろうか。建前を尊重する、これが日本の面白いところだろう。柔道や剣道、日本に古来伝わる格闘技の中で、相撲はいつの頃からか知らぬが「国技」として位置づけられ、相撲協会は文科省所管の社団法人となっている。詳しくは知らないが、公益法人として税制その他で国から様々な便益を受けているに違いない。

勿論プロスポーツだから興行収益を向上させる自助努力もあるだろう。各地の興業を取り仕切る方々との強い絆もあってしかるべきだろう。もうひとつ面白いのは、このプロスポーツの団体のマネージメントを、所属選手上がりの互助団体で一手に引き受けている事だ。部屋や親方と言った制度が古くからあるが、これはチームのようなものだろうか、小生には分かりにくい。基本的には、協会所属の力士には協会から均一の給料が出るらしいが、関取と言われる十両以上と幕下では月とすっぽん以上の差があるらしい。

何でも十両になると月給で100万円強、幕下は一場所15万円(1年でも100万円前後)、即ち幕下に転落すると収入が一気に10分の1以下になる。極めて過酷な世界のようだ。この境をうろうろするお相撲さんにとっては気が気ではないだろう。野球やサッカーと同様、部屋にもスポンサーはいるのだろうし、懸賞金等もある筈だから、お相撲さんの実収入や実経費については一般人としては推測不能だろう。ある意味で日本国の予算と同じかもしれない。

話しが逸れた。相撲の世界に八百長が存在するのは必然と言えば言い過ぎだろうが、誰もが多分あるだろうと思っていた筈だ。しかし今までは、元関取が「私が八百長をしました。」と公言しても、雑誌が「事実が証明できる」と書いても、裁判所を含め世間は無いものとしてきた訳だ。即ち、世間の大半が建前を尊重して、「ここは無い事にしておいた方がよかろう」としてきたのだ。これが良かったか悪かったかは別にして、今回は何故か警視庁がその建前に公然と反旗を翻した事になる。

それが不思議でならない。1年近く前に押収した証拠物件からの話を何故、折角天皇賜杯も復活した今になって持ち出したのだろう。柔剣道をやる連中は警察に練習に行ったりして、警察にお友達が沢山居るが、お相撲は警察と仲がそんなに良くないのかな。相撲協会は裸の王様になってしまった。元々裸の商売なんだから着物を着るのも難しかろう。国家が見放すかどうか、興味深々と言えば無責任に過ぎるか。

警視庁にどんな思惑があったか知らないが、彼等にしても建前で持たせているヤバイ話は沢山ある筈。首相や野党の党首まで新年にはお伊勢参りをする国の、国民的お祭りの一つが壊れてしまって残念だ。インターネット時代が成熟してきて、若い人から情報に対する感度が変わってきている。従来の情報によって形成されてきた権威が、新しい情報で失われる事こそ必然かもしれない。壮大なフィクションの中で息をしている日本人の一人して、いろいろと考えさせられる事件だ。

2011年2月2日水曜日

国会が始まったけれど

1月があっという間に終わり、明日はもう節分。暦の上での季節は春になるが、今年の寒波は厳しく、東京でさえ酷寒は簡単に去りそうにない。寒さの故だろうか、池袋繁華街の人出も急に少なくなってきたように感じる。何と言っても給料が1%上がるかどうかというのだから、無駄遣いは止めてお金が少しでもあれば預貯金に、がごく普通の感覚だろう。そこに持ってきてメディアがデフレデフレと大騒ぎするので、益々消費なんか伸びる訳が無い。お店を構えている人達は大変だろう。

国会で来年度の予算審議が始まった。与野党挙げて景気対策が重要と口にするが、攻守ともに具体策らしきものは何も無い。考えてみれば当然の事で、大部分の日本人が欲しいものを殆ど手にし、後これだけはどうしてもと言うものが無くなっている。テレビのデジタル化なんて無理筋の事も今年で終わるようだし、人口は減少していく事だし、経済成長が停滞する事はごく自然の事だ。祭りの企画でもあるまいに、景気対策と言う言葉自体に胡散臭さを感じてしまう。

所詮どんな施策を講じようと、あちら立てればこちら立たずの世界でしかない。雪国で難儀している一人暮らしのご老人もいれば、一方動乱の町カイロには日本人が2千人もいて、観光客だけでも500人以上いたらしい。昨日、そのうちの3百名程が特別機で帰国した映像が流れた。圧倒的に老人が多い。自由の国だから仕方が無いが、人様々な事だ。経済界に良い顔をすれば農林漁業に従事する人が怒る。子供手当に喜ぶ人がいれば、無責任なバラマキと怒る人もいる。

政治家もジャーナリストも二言目には「国民が」を振り回すが、「国民」を一括りに言う事自体慎重でなければならぬだろう。少なくとも小生は君たちの言う「国民」の一人には入らない事が多い。まして野党の諸氏が「マニフェスト違反を先ず謝罪しなさい。」と恰も民主党員のように叫ぶのも面白い現象だ。後2年ちょっと黙って見ていれば、嫌でも民主党が国民に頭を下げるだろうに。その時にどんな勝負に出るべきかも考えずに、今から大声を張り上げて、思わぬ時期に選挙になったらどうするのだろう。

福祉のあり方と財政規律の話なんかで民主党を攻める野党の構図も笑止千万。どちらも天に唾するを知らず、財務官僚の手玉に取られているだけにしか見えない。消費税への地ならしが進むことで陰で笑っているのは官僚で、議論を聴いても国民の一人である小生には本当のところはさっぱり分からない。即ち喋っている政治家も似たようなものに違いない。ぶつかるのは本当にガキの喧嘩のような些細な事ばかり。最も顔ぶれもガキみたい奴ばかりだが。

小沢問題なんか国民生活とどんな関係があるのか、司法に任せておきゃいいだろう。暮らしに直結する課題は他に沢山あるだろう。何よりも、与野党協同してでも官僚に対峙する気概を持った奴はいないのか?
長妻君が懐かしい??

2011年2月1日火曜日

贅沢な悩み(体重管理)

世の中難しい事は数々あれど、己の体重管理は結構難しい事の一つかもしれない。体重が気になりだしたのは60歳に近付いた頃だろう。はっきりとした記憶はないが、67kgまでいってたように思う。身長が一番高かった時代でも精々162cm、60歳と言えば既に身長も少し減り始めていただろう。

これ又どうでもいいような事だが、我が国のお医者さんや栄養関係者が好んで使うものにBMI指数なるものがある。ドイツ製の車に似ているがそうではない。人間の体重(kg)を身長の2乗(m)割った数字である。私の数字を当てはめると67÷(1.62×1.62)=25.5となる。日本肥満学会ではBMI22を標準として、25以上を肥満としている。実はWHO(国連専門機関の世界保健機関)では異なる見解を示しているのだが、日本人なので肥満学会に敬意を表す事にしておく。

知らない人からすると何故と思われるだろうが、昔から食料関係の宣伝広報に関わっていた事もあり、何故かこんな知識があった。体重なんか成行きの話だからどうでもいいだろう、と思う方も多いだろう。まして我々の少年時代は栄養摂取がままならず、如何に栄養価の高いものを摂るかが問われた時代でもある。太り過ぎは換言すると栄養の摂りすぎである事は言うまでもない。折角食いたいものを食えるようになったら、今度は食べすぎはいけません、とは殺生な話だ。

しかし因果応報で、「肥満は万病の元」みたい変な刷り込みもある。ちょうどその時期、サラリーマン生活に終止符を打つ時期と重なったので、これ以上体重を増やさないようにしようと思った。といっても、具体的に出来る事はそんなに無い。その頃から実践し始めた事は取敢えず3つ、1.毎週(最低1日出来れば2日)水泳をする事2.プールに行ったら体重を量る事3.酒の量を減らす事である。実践に取りかかってみたが、1年経っても何の変化もない。

馬鹿馬鹿しいから止めようかとも思ったが、土日の暇つぶしにプールに行くのは悪くないので続けた。また暫くすると、今度は胆石のアタックに遭遇、胆のう摘出で入院するはめになる。これは半月ほどだったが、なにやかにやで1カ月程は安静にしただろうか、流石に1~2kg体重が減った筈。これを奇貨として、家での晩酌を止めてしまった。少なくとも現在は全く晩酌はしない。その又1年後に大腸のポリープ摘出なんかをして、今度は大好きな甘い菓子を意識的に少なくした。

これが効いたのか、志を立ててから5年6年目の頃やっと体重を55kgぐらいで安定させる事が出来たように記憶している。そこからは比較的順調に1年1kgずつ減らしてきて、昨年には目出度く61kg台になった。しかしここからが又微妙で、山に行ったりスキーに行って帰ってくると大概1kg近く体重が増えてしまう。一昨日もプールに行って量ると、なんと62.2kgにもなっている。確かに山やスキーではエネルギーをかなり消耗はするだろうが、好物の酒やお菓子も半端ではないからだろう。

61kgに戻すのは難儀な話だ。特に今月は今週土曜日に中学の同窓会、11日からの3連休は又スキー。分かっちゃいるが、飲まずには済まされない、悩ましい事だ。地球上には飢餓に苦しむ人が大勢いるのに、何と贅沢な悩みだろう。