2014年2月28日金曜日

朗報で考えた

仕事をしていないので携帯電話が鳴ることは滅多に無いが、今朝比較的早い時間、10時頃だったと記憶するが、家から携帯に電話が来た。孫が都立三田高の入試に合格したとのこと。婆さんの声も弾んでいたが、こちらも気分が一気に良くなった。1年上の兄と同様滑り止めに日大桜ヶ丘を受験して、三田高校を受験したのは知っていた。娘からの報告によると、先生が三田高からワンランク下の高校であれば、推薦すると言ってくれたのを断っての受験とのこと。

偏差値と言うものについて何度聞いても理解が出来ぬが、都内に幾百ある高校が全て偏差値でランク付けされているらしい。娘の中学時代は、毎学期毎に通信簿を婆さんの実家に持参させ、祖父に見せて小遣を貰ってくる仕組みになっていた。孫たちも小学校低学年時代は、これに習って通信簿を見せに来ていたが、高学年になり部活のバスケットに精を出すようになった頃から習慣が途絶えてしまった。多分成績も順調に下がり始めたのだろう。学業の成績は製造責任者やら、そのまた上の責任者である己を思えば全く期待はしていない。

しかし、高校くらいは出ていないと何かと将来困るだろうから、何処でもいいから高校だけは行ってほしいと思っていた。従って推薦で行ける高校がるならそこに行ってくれれば良いのにと、内心思うが、他家の子供である孫の教育に横から口を出す訳にもいかず、今週はずっと婆さんと二人で心配し続けていたようなものだ。娘のところは年子である。昨年と全く同じ心配をして、同じように胸を撫で下ろしたことになる。

兄弟が同じコースを進むのは、親の手間も大分省力化できるメリットがあるだろうし、何よりも教育費負担が少なくて済むのが最大の親孝行だ。私学の日大桜ヶ丘に入学すると、学校への初年度の納付金額だけでも100万円近い。都立高校の場合は授業料が無償になっているので、制服代金やら何やら合算しても20万円とは掛からぬものらしい。高校から上への進学となると、つい2日前の報道に「大学に入学するためにかかる費用の目安」があった。概要は以下の通り。

「初年度は入学料として国立・私立大共に26万~30万円程度、そのほか国立大学で約54万円、私立大学では授業料と施設設備費・寄付金などが加わり、平均すると約115万円かかります。そのほか、就学・課外活動費や通学費などで年間15万~30万円程度の出費になります。※学校・学部により費用は変わりますので、大体の目安として考えてください。」この他に受験費用も馬鹿にならないようだ。東京を離れることになれば生活費も必要だろう。

何れにせよ現代は、親の負担が殆ど無い形で高校教育迄は受けることが可能になっていることが改めて分かった。我々の時代と比較すると相当な進歩だとは思う。しかしその先の大学となると大分事情が異なりそうだ。明らかに低所得層にとっては不利な条件となっている。孫たちが今後どんな道筋を志すか分からないが、これからの道は彼ら自身や親にとっても大変そうだ。

2014年2月27日木曜日

後輩が頑張っている

衆議院予算委員会集中審議のテレビ中継があったので午前中1時間ほど見た。高校の後輩民主党篠原孝氏の質問があったからである。彼の持ち時間は40分程と短かったが見応えがあった。民主党政権時代にそんなに派手に喧伝される存在ではなかったが、地元長野では着実に足場を固め、大逆風の前回選挙でも見事選挙区で当選を果たした。信州人の例に洩れず、演説はお世辞にも上手とは言えない。

彼の前に質問に立ったのは民主党の古川元久議員、民主党政権時代には国家戦略担当も務めたスター的な存在なので、篠原氏とは好対照かもしれない。弁舌も実に爽やかで篠原氏のような聞き取り難さが無い。古川氏の質問は後半の一部しか見ていないが、エネルギー政策に関連して、一昨日発表になった「エネルギー基本計画」の内容について茂木経産大臣委噛みついていた。言いたいことは原子力政策に関して、311原発事故の学習効果が全くないこと、即ち嘗ての自民党政権時代の反省がなされずに同じ轍を踏んでいる。

しかし受け手の政権側にすれば質問は全て想定の範囲だろうから、いくら噛みついても蛙の面に何とかで、軽くいなされた上に、震災直後の民主党政権時代にエネルギー政策を見直さなかったことで逆襲されてしまうので、スター議員であるが質問が空ぶっているように見えた。篠原氏の場合は早口で聞き取り難いのが欠点ではあり、特に今日の質問は短い時間の割に少し内容を盛り込み過ぎの感もある。しかし、よく聞いていると素人にも非常に分かりやすい話をしている。

篠原氏は元農水官僚だし、選挙区は長野1区で高校の後輩でもあるが、電車通学者で出身地は長野市内から離れた田舎から通っていた。現在の応援者が農家の人が多い筈だ。しかし大学が京都であったことが関係しているかどうかは知らぬが、農水省時代もそんなに出世街道を歩んだとは思えない。単なる後輩と言うだけで個人的に親しく付き合ったわけだはないので、当て推量に過ぎぬが、そう言った世俗の欲に薄い性格のかもしれない。母校の校風でもある。

役所時代にパリのOECD事務局に出向したことなどもあり、国際的通商交渉は大分経験しているので、この経歴は現在相当役に立っているのだろう。民主党政権時代TPP交渉に入る前から、多くの疑問点を上げて警鐘乱打し、内外の事情を熱心に研究して著書を顕したりメルマガで情報発信を続けている。如何なる事情があったかは分からぬが、折角の機会だからこの問題だけに絞っても良かったと思う。

今日の質問で感心したのは、政権から決まりきった答えを引き出すことを極力避けて、むしろ褒め殺し的な質問に終始していたところである。得意のTPP問題では甘利明経済再生担当相に向けて無意味な質問はしていない。シンガポール会議が纏まらなかったことも勿論非難していない。纏まる筈がないけど頑張れみたいことであった。時間が少なくて残念だったが、日本の農業の現状を具体的な数字を図表にして持ち込み、これを説明したのが秀逸だった。

日本の農業は過保護だとか、規模が小さいから何とかしなければと我々は思わされている。この犯人がマスコミであるかどうかは別にして、少なくとも相当認識を新たにした。素人でさえそうなんだから、農水大臣でも総理大臣でも反論のしようがない。

このブログを読まれた方は、明日以降の衆議院インターネット中継で検索可能になりますので、篠原氏の質問を聞いてみてください。秀逸と書いた資料は下記で参照可能ですが、説明を聞かないと少し分かり難いかもしれません。
http://www.shinohara21.com/blog/archives/2014/02/140227.html#more

2014年2月26日水曜日

元総理の発言二題

我が兄弟では長男だけが既にこの世にあり、3男だった小生は未だこの世に生を受けていない78年前の2月26日は、やはり首都圏では大雪だったらしい。
今年の2月も大雪続きで悩まされたが、大分春めいてきたのでホッとしている。

毎度似たようなことばかり書いて読者には申し訳ない。それだけ世の移り変わりに鈍感な年恰好、即ち時代遅れになっている証拠だ。それでも昨日のニュースで知った浅田真央選手の笑顔での発言「失敗したくて失敗しているわけではない。」は実に感動的だった。4年もの間、命がけの練習を積み重ねてきてさえ失敗は避けがたい。まして己の如き凡百の輩が連日失敗を重ねるのは当たり前だのクラッカーと胸をなでおろすに至った。即ち毎日一喜一憂を繰り返すヘボ碁のことである。笑

「森さんも今後悔しているのでは?」と図星を指されては元総理も苦笑いするしかないだろう。外国人記者クラブが爆笑の渦となったのもよく分かる。浅田選手とは別の場所で行われたらしいメダリスト諸氏の会見でのコメントも、政治家に見習えと言いたくなるような立派なものだった。特に17歳の羽生結弦君のそれなんぞ、若々しく堂々としてはいるが、内容が実に謙虚で敬服に値する。同じ年頃の孫が居る我が家としては、一芸に秀でる人はどこか違うものと感心しきりだった。

何れにせよ、今回のオリンピックは毎日十分楽しませてもらった。選手の皆さんは現役を引退する人を含め、きっとスポーツの分野で活躍されることだろう。
益々の活躍を期待したい。子供の頃から運動会と遠足が大嫌いだったと変な自慢をする婆さんでさえ、日本人選手の活躍には顔をほころばせる。スポーツほど精神衛生に好ましいものは無いだろう。

話がガラッと変わるが、今日読んだメルマガに面白い記事がある。毎日新聞に掲載されたようだが、先日の村山元総理が先日韓国国会で行った演説に関するものだ。浅田選手に関する森元総理の発言との対比で興味深いのでそっくり引用する。

>倉重篤郎氏(毎日新聞社 専門編集委員 )はまず訪韓にあたって村山元首相が周到な準備と戦略を持っていた事を次のように書いている。

すなわち招待元の韓国国会議員団に対し、あなたがたが期待するような話は出来ませんよと条件を付け、「それで結構です」と相手側に認めさせている。
それにもかかわらず事前に送った講演要旨に韓国側から一部手直しの注文がついたので「それでは訪韓できない」と断り、韓国側から「今後は何も注文をつけません」と譲歩させたという。
その一方で菅官房長官に電話を入れ、安倍政権が村山談話を継承するという姿勢を改めて確認した上で出発したという。<

同じように引退している元総理だが、片や今を時めく自民党の重鎮、片やまさに消滅の危機に瀕している社民党の元党首だが毀誉褒貶定まらぬのも気にせず、田舎に引っ込んでいるお爺さん。国益を考えているのは何れだろうか。

2014年2月25日火曜日

経験の有る無し

やっと温もりが感じられる陽気になった。三寒四温で四日ほどは続いてくれるらしい。春が待ち遠しいとは年を取った証拠だろう。それにしても今度の関東甲信地方の雪は凄かった。一部報道には120年振りともあったが、テレビ取材を受ける80歳代のお年寄りが「生まれて初めての経験」と語るほどだから本当かも知れない。幾ら山奥とは言え、東京都内で雪に閉じ込められることを想定した人がいなくても不思議は無い。

まして2週続けての週末で、被害が発生した2度目は金曜の夜から降り出して、1週目と同じ積雪量になったところで雨に変わったのだから始末に負えない。個人的経験を言えば、金曜日は婆さんが手術で終わったのが20:30。医者の説明やら婆さんの顔を確認するやらで病院の裏口から出たのが21:10頃かな。勿論タクシーは無いので、歩いて玄関に辿り着いた時は既に雨靴の上から雪が入って靴下が濡れていた。玄関先だけ少し雪かきをしようかとも思ったが、ご近所を驚かすのも悪いと思ってやめた。

翌朝起きると既に雪が雨に変わっている。食事の支度前に雨合羽を着込んで雪かきをして都会の雪の重さにうんざりしたが、まさかあちこちでこんな大事になっているとは思わなかった。安倍総理や升添都知事の緊張感の無さと対応の遅れが非難されて、逆に新潟県の泉田知事が素早く対応して、山梨県に除雪専用のブルドーザーを5台派遣されたことが評価されている。新潟県では大雪対策は毎度のこと。迅速な対応とその手順も分かっている。要は、経験が有るのと無いではこうも違うことがよく分かった。

今回のことで改めて311東北大震災と福島原発事故を思い出した。当時の民主党政権の対応が良かったとは思えないが、今回週末が明けて火曜日になってやっと官邸が動き始めたことは、やはり非難の対象なっても仕方がないだろう。
3年前の3月12日の早朝に菅直人氏が福島までヘリで直行して東電の吉田所長に直接会ったことについては、当時も現在も非難が渦巻いている。しかし全ての采配を古屋防災相に任せて自宅でのんびり過ごす現首相の姿と比較すると、菅氏の行動の方が可愛く思えてくる。

安倍首相にとっては「今、目の前で発生している命の危険」より、明日起こるかもしれぬ外国との有事から国民の命を守る方が大切なんだろう。その外国との有事とやらさえ、どうやら自ら好んで外国に喧嘩を売っているようなものだ。祖父の血を引く首相一人が血気にはやるなら兎も角、その尻馬に乗る人間が意外に多い。経験に学ばない人たちの困った現象と言わざるを得ない。

2014年2月24日月曜日

反骨精神

近くの飯屋で昼飯を食いながらテレビを見ていると、最新の世論調査の結果で安倍内閣の支持率が少し下がったそうだが、それでもまだ48%くらいあるそうだ。これだけやりたい放題のことをしていて、国民半分近いの指示を確保できているとするなら驚かざるを得ない。市民とは何と寛容なものなのか、或いはもう期待するものが何も無いので、いい加減な回答をしたのではと思いたくなる。事実我が家も現在の政治に対してはあきらめの境地に近い。関連ニュースは殆ど見ない状態が続いている。

但し、民主党政権時代に凍結されていた箱もの関連予算が25年度補正で大幅復活したそうで、爺さんにもアルバイトの声が掛かるくらいだ。現在国会では26年度予算審議中で、事業仕分けで鳴りを潜めていた天下り団体も息を吹き返すことだろう。それで世の中が明るくなるなら結構なことで善しとしなければならぬが、どうも近くの食いもの屋は、口を揃えて景気が上向かないと言っているのが不思議な現象だ。

飯屋で顔を合わせるサラリーマンたちの顔色もあまりぱっとしていない。我が家の近くはベンツ・BMW・アウディと欧州車のディーラーが軒を連ねている。駆け込み需要で景気が良くても良さそうだが、何故か若い人の顔色がさえない。おまけに夏であれば昼に生ビールを引っ掛ける職人も見かけるが、最近は寒いせいかそのような光景も見なくなっている。経済は兎も角として、安倍内閣が昨年末の特定秘密保護法案以来方向を露骨に示し始めている右傾化傾向の数々の行きつく先がどうなるのか。どうせ碌なことにはならない筈だが、大手新聞社は沈黙したままである。

なんたってナベツネ読売社主が秘密指定の「情報保全諮問会議」座長に就任と聞いて、読売社内には開いた口が塞がらない程驚いた記者もいるだろうが、彼等とて所詮はサラリーマンなのか。基本的に我が国のマスメディアは一人NHKばかりでなく、押しなべて政権のゴマすりに成り下がっていると解釈せざるを得ないだろう。ウクライナとか中国に見られる反政府デモみたいなものは日本では当分発生しないにしても、国民がこう易々と安倍政権如きにアンダーコントロールされているのは残念でならない。

これも日本が豊かになり過ぎたせいかもしれない。自家用車の所有が普通の社会が実現して、普通の人間でも持っていた筈の反骨精神だけはもの見事に無くしてしまった。これが子供たちに与えた影響は大きいと思う。そこに持ってきて今度は道徳とやらを学校で教えると来たものだ。オリンピックに出場するような選手は皆旺盛なファイティングスピリットの持ち主であるのは間違いない。そして礼儀正しいし言葉遣いなんかも下手な政治家以上である。

しかし残念ながら彼等は非常に稀なケースで、普通の子にこれらは期待できないように思う。今日は都立高校の入学試験日、孫も受験しているが彼もごく普通の子供、果たしてどうなることやら。

2014年2月23日日曜日

寒波が遠のくらしい

婆さんが思いのほか早く21日に退院することが出来た。抜糸は来月5日に外来で出来るらしい。迎えに行くと、杖をついて病人らしく振舞っていたが、痛みも殆ど無くなったようだ。昨日の朝はこちらがアルバイトに出掛けるので単身時代と同様、朝飯をトーストで済ませたが、今朝から通常に戻って久し振りに納豆ご飯を食べることが出来た。やはり「うち飯」が一番うまいし、身体の調子が良くなる気分だ。

婆さんも包丁を握ってお勝手に立たないとストレスが溜まるそうで、家の中で杖なんか全く使用していない。畳の上に椅子を置いて座ってはいるが、家の中のことは殆ど普段通りになった。今夜から安心して帰宅できる。一人で炊事・洗濯・掃除が出来ないわけではないが、帰宅する時は一寸気が重かったのも事実。今日はいつものようにプールに行っただけだが、身体の調子も悪くない、明日からは少し晴々した気分で過ごせそうな予感がする。

オリンピックは今日で終わるようだが、3月3日の月曜日から2泊3日で、高校同期の仲間と志賀高原でスキーを楽しむことになっている。今月は雪にかなり悩まされたが、今度はその雪で遊ばせてもらう。といったところで、スキーにハッスルする年ではない。7,8人気の置けない連中が集まって酒盛りするのを楽しみに出掛けるようなものである。天気も明日から少し春めいてくるとの予報だ、期待したい。

2014年2月21日金曜日

祝エイトトリプル成功

朝起きてテレビをつけると、浅田真央選手の泣き顔が大写しになっていた。そうか昨夜はフリーの演技があったんだな、やっぱりショートの失敗を引きずってしまったか、と思いきやなんと。完璧な演技だった様で自己ベストを更新する142.71 点をたたき出し、合計でも198.22点。ショートの16位から10人抜きで6位に食い込んだ。最初目にした映像は、演技が終わった瞬間に彼女自身が感極まってしまった時のようだ。

昨日は超一流の人間であってもやはり人の子と思ったが、今朝は身体に浸みこんでいる何かが全く凡人とは異なることを思い知らせてくれた。これまで精神力に弱点があると何度か聞かされたが、それも違うのではないか?昨日書いたばかりだが、凡人であればお腹が痛くなったりして、今日のフリーに出場することさえ嫌になるだろう。生涯うだつの上がらぬ己と比較するのも失礼だが、幾ら天才的であろうと天から和尚であった筈は無い。ショートの失敗も多くの失敗の一つで、失敗をバネにする根性の有る無しが凡人に差をつける所以だろうと思う。兎も角ホッとした。

そして朝刊(朝日新聞)を見てこんどはびっくりする。浅田真央のの写真が1面に大きくあしらわれているが、競技の結果は出ていない。そして社会面の大部分を占めて彼女の記事が書かれている。当然ショートの失敗を撥ね退けてフリーでの善戦を期待する内容であるのは言うまでもない。ところがその記事のすぐ脇に森喜朗元首相の写真入りの囲み記事が掲載されている。この内容が酷いと言うか、ちぐはぐと言うべきか、読者からすると実に理解に苦しむものだ。

浅田選手のことを「見事にひっくり返った。あの子、大事なときには必ず転ぶ」とか「団体戦に出場させない方が良かった」とどう見ても競技が全て終わり、結果が極めて不本意であったかのような後ろ向きの発言が並んでいるのだ。森氏に対してネット上で批判が炎上するのは当然の成り行きだろうが、不思議に思うのは朝日の編集部がこの記事を採用したことである。何でこんなセンスの悪い編集をしなければならなかったのか?森氏に何か恨みでもあるのかと疑いたくなる。

森氏の発言はどこかの講演会だそうだから、大勢のファンを前にした芸能人と同じで、ファンサービスで軽口を言ったのだろう。森氏は本人のご意思とは無関係に、芸人同様に軽い人であるのは周知の事実。まとも聴くのも憚る人は多いだろう。それを発行部数1千万部近いとされる新聞が取り上げると、森氏の発言が冗談で済まなくなってしまう。森氏は東京オリンピック組織委員長の肩書はあっても既に終わっている人間だ。NHKの会長が経営委員会でしたとされる聞き捨てならぬ発言とは少し性格が異なる。

時間の関係があるにしても、遅版ではこの囲み記事が削除されていること期待するのみである。

2014年2月20日木曜日

挑戦の祭典もやがて

人は自然の中で生かされている生き物で、自然と共に生きるのが本来なのだろう。ところが火を起こすことから始まって、数限りない不思議なことを発見して、自然を克服できるものと思っている。地球上にはそう思わない人間も沢山いるが、日本人の大部分と同じで自分もその傲慢な一人である。酷寒酷暑も何するものぞだし、美味い食料を口にするのも手間要らず、好きなだけ食って身体に支障が生じても、医学的な手当てで肉体を正常値に戻すことも可能だ。

冬は寒くて当たり前だろうが、普段から天然自然を無視した生活を常としているので、冬らしさが約1週間ほど続いただけでへばってしまった。首都圏周辺でもさらに厳しい環境に取り残されているお年寄りを思うと、何とも意気地のないことだ。自然の摂理からすれば「いつまでもあると思うな」は親と金ではなくて、己のことかやっと気がつく昨今である。昼飯を共にした友人から「今年の山行きについての計画は?」と聞かれ、「山行きのことを考える元気が出ない。」と答えた。連れ合いが入院している上に、昨日は弟の嫁まで倒れたとのこと。落ち込まない方が不思議だろう。

誰にとっても時間だけはどうしても取り戻すことが出来ない。しかし季節は巡るので、やがて冬も去るだろう。せめてその移り変わりを楽しむ他はあるまい。

寒さの中で楽しませてもらったソチのオリンピックも愈々終盤戦、過大な期待はしていなかったが、昨夜の女子フィギャショートプログラム浅田真央選手の16位には流石にびっくりした。これがプロの競技と言うものなんだろう。未だフリーも残っている。凡人であれば出場すらしたくないだろうが、ここでプロの根性を見せてほしいものだ。何れにしても日本人選手はよく頑張って楽しませてくれた。

オリンピックは夏冬問わず、人類の知力体力の精華を誇る最大のお祭りに他ならない。事前に会場設営が間に合わないとか言われていたロシアの関係者もよく頑張っている。ソチはロシア有数のリゾートエリアとだけ知らされたが、実際にどんな場所かをイメージすることが出来ない。ソチ地方の人口構成も、スキーやボードなどのウィンタースポーツの施設が従来どれほどあって、それが庶民にどれほど浸透しているのかは知らない。報道で見る限りは気象条件が最適ではないように思うが、雪を運んでくるのか人工降雪を利用しているのか判然としないが、広大な会場を日程通りに運営しているのは大したものだ。地球の広さを改めて感じざるを得ない。

実態が分からないので余計なお世話だろうが、我が故郷長野市や周辺エリアでは16年前のお祭り騒ぎの後に相当な負の遺産が残った。当然ながらソチのイベントのためには膨大な施設が準備されたろうし、そのために労働者も国内外から動員されて、ソチ地方は活性したことだろう。少なくとも長野の場合はそうだった。バブル崩壊で日本全体が不況に喘いでいる最中、長野県の北部だけは好況が続いた。ところが、オリンピックが終了した途端にその灯が消えたと仄聞している。えらい目にあったと言う友人も少なくない。

当然ながら現地ではそんなことは承知の介で、対応していることだろう。残る数日、心配されているテロが発生することなく、無事平穏に祭りの閉会式を迎えることを心より祈っている。

2014年2月19日水曜日

手前勝手

昨日ブログを休んだので今日は早めに上げる。

昨日は日経平均株価も大幅に上がったようだが、今年に入ってからの値動きは非常に不安定なようだ。「今年も買いです」と煽った人はどう思っているのだろうか?「その場の雰囲気を盛り上げるために、上顎と下顎の当たり放題のことを言ったまでのことだし、日銀も金融を一層緩和するそうだし、何れはどうにかなるだろう。」でさしたる責任を感じてはいないだろう。度胸がいいのか頭が悪いのか、常識の範囲を超えていることに変わりは無い。

これは総理一人のことではない。類は友を呼ぶの喩えではないが、似たような性格の者が政権中枢に群がり、雲の上の存在と化している感がある。名参謀と呼ばれかけていた菅官房長官も記者会見で、雪害を甘く見ていた総理の対応を問われ、苦し紛れに「土日の休日に総理がプライベートで天ぷらを食ってどこがいけないのですか?質問の意味が分からない。」と開き直ってしまったようで、ネット上では格好の餌食にされている。

政権の感度の鈍さは国民生活への目配りだけではなさそうだ。仕方ないことかもしれぬが、感度が鈍いことを追及された時に開き直って反撃的な言辞を弄するところも似た者が集まっている。総理自身が最も公的な発言を求められる国会においてすら、都合の悪い質問に対しては木端で鼻をくくるとしか例えようのない答弁に終始する代わりに、安保や憲法改正については、質問に答えず自論を延々と述べ、そこに自慢話と他党政権時代への悪口発言が加わる。聞くに堪えいない気がする。

リーダーがこれだから、その集団に属する者どもの開き直理は枚挙にいとまが無くなる。ならず者集団ならいざ知らず、国家を代表する集団の全員が下々を上から目線で押さえつけようとしても少し無理が生ずる。老婆心ながら心配になってくるのは、今日明らかにされた「<衛藤首相補佐官>動画サイトで米国批判 靖国問題で」の記事(毎日新聞)。自分が昨年11月の末に訪米して事前通告したにも拘らず、「失望した」とはとんでもない。こちらこそアメリカの態度に失望している。先の官房長官同様、相手の意を汲み取らずに開き直りをしている。

NHKの会長さんも「俺の言っていることに間違いがあるか、第一発言を取り消しもしている。」と仰っていることが報道されている。恥の上塗りを絵に描いているようなものだが、公式の記者会見で一度喋ったことを無かったことにしてくれで済むと思っている無神経さ。経営委員の作家百田尚樹氏が田母神閣下の選挙応援で「アメリカが広島や長崎に原爆を投下して市民を虐殺したことを棚上げするため、南京で日本軍が市民を虐殺したなんて嘘をでっち上げている。」とか演説したとで、駐日大使のケネディー氏がNHKの単独インタビューを断ったそうな。

NHKのトップなんか庶民の生活と関係ないかもしれぬが、こんなに強気の人間が集まって我田引水を続けていて、国の内外を問わず国家運営は上手くいくものなのか?昨年の今頃は総理自身がアメリカに出かけて、大統領閣下から「TPP交渉では互いにセンシティブな課題ある」とのお墨付きを頂いて胸を張り、経済改革3本目の矢の中心に据えられたTPP交渉。肝心の米国で成立を不安視する観測になりつつある。幾つかのシナリオが考えられるようだが竜頭蛇尾の結末ならまだしも、破談になったら「日本が農産物の関税を死守できた」と胸を張るおつもりのようだ。

ことの序でにこちらも十八番の手前勝手を言えば、年金生活の我が家にとっては諸物価が下がって年金が増えるデフレが有難い。

2014年2月17日月曜日

便利な自動引き落とし、だが

今朝は久し振りに陽の温もりを感ずることが出来てホッとしたところだ。科学技術の進歩がどんなにに素晴らしくても、自然災害の恐ろしさはなくならない。災害発生が実に気まぐれなことも恨めしいではないか。今回の大雪を東京では45年振りのことと知ったが、その1週間後に又同様の積雪となった。45年振りが1週間後に起きるのだから、300年に一度の地震や津波が数年後に起きても不思議は無いかもしれぬ。今週半ばに雪の予報が出ているが、大した降りとならぬことを願うしかない。

このところの報道は大雪以外はオリンピック関係が圧倒的に多い。観ていて楽しいから文句を言う訳にもいかぬが、スポーツ関連はテレビの独擅場になるのは已むを得ぬだろう。今回は殆ど日本時間深夜に競技が行われているので直接関係していないが、中継となると俄然NHKが優位になってくる。いっそ民間放送は中継なんぞ止めればいいと思うが、実際はどうなんだろう?そのNHKが最近何かと話題を提供してくれる。

自宅と事務所(こちらは衛星契約をしていない)の2か所で契約しているので年間約4万円もお支払している上に、ご丁寧にオンディマンドでも年間2万円近くお支払しているので結構な金額になる。今書いてみて、オンディマンドの月極め契約は打ち切るべきと悟った。確かにNHKは見る頻度も高いし、見て為になる番組も多く、見逃した後にオンディマンドで視聴することもある。しかしそんな機会が月に何回有るだろう?1回も見ない月もあるし、年間2万円も支払ってみるほどのことは無いとやっと気がついた。

何事によらず、銀行引き落とし契約は痛みを感じるのが遅くなる。完全年金生活に入って既に2年近く経って気がつくのだから馬鹿を絵に描いたような話だ。
乏しい蓄えから毎月チマチマと引き落とされるもの。大きいのは電話代とインターネット関連の通信費、そして幾つかのメルマガ関連、これも大体840円が多い。大した額ではないと考えているが、塵も積もればの喩え通りで1年経てば小1万円となる。面白半分で幾つも契約していることは少し反省を要するだろう。

巨大組織NHKについて恨み節でもと思って書き始めたが、他人の悪口の前に己を反省する羽目になってしまった。最近チマチマした話の連続で恐縮の限りです。親の教えに背いて若い時に貯蓄を心掛けず、イソップのお話通り冬のキリギリスになってしまった老人の脱線をお許しあれ。

NHK幹部も安倍総理のシンパばかりではなく、いろんなタイプの人がいるのだろう。莫大な聴取料金も投入される国費も全て国民の負担であることだけは、お忘れなきようお願いするに止めておこう。

2014年2月16日日曜日

若者の気持ちを分かろうとしても無理

41歳の葛西紀明選手が、ソチオリンピック男子ラージヒルジャンプで見事銀メダルに輝いた。10代の選手がメダル獲得で特筆される中、41歳の現役での銀メダル、しかも飛距離では金メダルの選手を上回っている。実に見事な成績で「伝説」に相応しい。心からお祝いを伝えたい。過去の大会ではメダルが1個なんて時もあったようだが、既に獲得数が5個、一応金銀銅と揃っている。報道を聞いていると、数はもう少し増えるかもしれないとのこと。

メダルの数は兎も角、今回のオリンピックは本当に楽しませてもらった。選手諸氏の努力に敬意を以て感謝している。このヒーロー達に若い少年少女が触発されて、ウィンタースポーツの未来の名選手を目指すのは当然だろう。昔も今も若い人にとってはヒーローが必要であることに変わりは無い。たまたま我が幼少時代は、それが特攻隊員であったのは悲しいことだ。現代っ子には、きっと様々なジャンルでヒーローがいると思うが、政治家だけには憧れるような人材がいないように思われるのが少し残念でもある。

と勝手に若い人の気持ちが分かるような事を書いたが、やはり世代のギャップは大きい。先日の都知事選の結果で痛感した。田母神俊雄氏が5位に食い込んでいるが得票率でみると、細川氏の19.6%と大差のない12.5%となっている。因みにトップの枡添氏43.4%、投票率46.1%であったので、投票者の1割以上、有権者の5%以上が田母神氏を支持したことになる。しかも出口調査で年代別得票率を見ると、20代、30代では宇都宮氏と細川氏を断然引き離して2位に食い込んでいる。

年寄りである小生から見ると極めて不思議な現象である。我が友人知人にも彼に投票した人間を最低2人知っているが、一人は同年輩で一人が30歳代である。同年輩の方は消去法で彼しかいなかったらしい。若い人には余り深くは聞かないが、彼の人間性に魅力を感じているみたいだ。若い彼とて田母神氏が「50年原発を使っていて、運転中の原発で、放射能で死んだ人はひとりもいないんです、日本に。原発なしにGDPを伸ばしていくことはできない。」発言には目が点になったとは言っていたが。

田母神氏も「運転中の原発で」と保険を掛けているので、重箱の隅をつついても仕方がないので置くとして。全体的な思想信条が、安倍総理と同様で、非常に右翼がかっていることだけは間違いない。それだけで距離を置きたくなるが、若い人は同様の感情を持つことにはならないようだ。若い人とて特段戦争を好む筈もないし、平和を願う気持ちは一緒だろう。しかし経験していないと言うことはやはり恐ろしいことかと思う。日米同盟が基本となっている現代日本の立場から論理的に解釈していくと、同盟国と協力し合うのは当然と答えが出てくるのだろう。

安倍氏の理論も田母神氏の理論も、少なくとも東京都では、違和感なく受け止める若い人が多いことを改めて認識した。これを年寄りが危ないのなんのと言っても始まらない。オリンピックで活躍する爽やかな少年と選挙結果に現われた若年層の意識の双方を見ながら、未来のことは計り知れないと痛感している。

2014年2月15日土曜日

また腰痛だ

夕べの雪と今朝の雨には参った。当初6時半頃には終わるだろうとされていた家内の手術が、担当医の都合があったそうで終了したのが8時半近く。担当医から経過説明を受けて、そんな心配することは無いとの見通しを聞けたのは良かったが、婆さんが部屋に戻るのを待って一声かけ、病院を出る時は9時の消灯時間を廻っていた。院内にタクシー専用電話が設置されているが、何分待っても応答が無い。已む無く自宅まで歩いて帰る羽目に。

大した距離でもないので、普段であれば30分もあれば十分の筈だが、流石に昨夜は雪が降りしきって歩きにくかった。その時から翌朝のことが気になっていたが、案の定今朝起きて見ると、家の前は先週日曜と同じ状況。いや、降り積もっている雪の量は同じくらいだが、雨が激しく降っているので雪かきの条件は一段と悪化している。週末は平日より起床を1時間遅らせるのが常だが、朝飯の段取りと雪かきを考えるとそうも言っていられない。仕方なしにいつも通り6時半に起きて、8時頃から今年2度目の雪かきをした。

20歳前後にしていた志賀高原での雪かきと異なり、水分をたっぷり含んだ雪なので始末が悪い。そうではなくて、多分こちらの体力が足りないせいだろうが、すっかり腰がおかしくなってしまった。その後プールに行っていつも通りのメニューをこなしてよく分かった。泳ぎには影響が無くても、その後行うストレッチで前屈が全然ままならない。もとより体が固い方だが、足を伸ばしての前屈で、手首までとはいかなくとも手の平の半ばまでは爪先の外に出すことが出来ていた筈が今日は全く駄目。

指先がかろうじて爪先に届くか届かないかである。腰は度々痛めているので、これを騙しながらでも使用可能状態に戻すことが如何に時間が掛かるかを知っている。前回の雪かき以降少しおかしかったので、今週は接骨院通いを3回もしたが効果が無かったようだ。又やってしまったかと些かうんざりするも、せんの無いことである。山歩きのシーズンには間に合うよう回復させたいものだ。

2014年2月14日金曜日

沖縄問題の今後 オバマ大統領にケネディ大使

4月にオバマ大統領の訪日が決まったようだ。日程的には予定に無かった訪韓が割り込んできたので、1泊2日以上は無理となった。日頃から政府は日米関係は揺るぎない同盟関係を保っていると強調している。しかし安倍-オバマの関係はどう見てもしっくりいっているようには見えない。そもそも支配と服従の関係が長年に亘り続いているが、安倍政権はアメリカからすると、従来とは勝手が違って当然だ。従来の政権はどの政権であれ、基本的な歴史観を共有する安心感に基づく日米関係であった。即ち「嘗て日米戦争があり、アメリカが勝者で日本は敗者となった」との事実である。

サンフランシスコ講和条約はこの事実を排除することにはなりえない。然るに安倍総理は歴史観を共有できているのか、いないのかが判然としないのだろう。
アメリカ国内にはいろんな憶測が飛び交い、理解できていないと解釈する人間が出てきても不思議はない。A級戦犯として巣鴨に3年半も拘留されながら何故か不起訴となり、サンフランシスコ講和条約発効で公職追放まで解かれて、CIAの資金援助を得て遂には自民党の初代幹事長にのし上がった祖父岸信介氏を持つ安倍総理である。アメリカに出向いて「私を右翼と呼びたきゃ、そう呼んでいただいて結構」とまで言っている。アメリカ政府も少し困っているだろう。

折しもキャロライン・ケネディ米国駐日大使が3日もかけて沖縄を訪問した。オバマ大統領の親しいお友達と言うだけで政治経験が全く無いときいて、何か期待する気もおきないし、単に日本は舐められていると思っていた。しかし大使の着任後に行動を見ていると、見かけとは大分異なる意志の強さが垣間見える。今回の沖縄訪問も、任地の事情を自分の目で確認したい気持ちが伝わってくる。大使とは、本国の偉いさんの顔色を常に窺いながら偉いさんに喜ばれそうな情報を集めるの仕事かと思っていた。日本の大使の行動が報道される機会は少ないが、少なくとも日本の大使の大半はそうではなかろうか。

ケネディ大使もオバマ大統領の喜びそうな情報集めをしているのだろうか?期待を込めてだが、どうもそうではなさそうな雰囲気がある。大使の目や耳で収集したものを、大統領の顔色を窺いながら報告するようには思えない。沖縄訪問前の予定に辺野古の視察は含まれていたが、日程の都合上ヘリコプターで空からの視察となっていた。それが実際には陸地からの視察となり、その前日には、暮に再選を果たしたばかりの稲嶺名護市長とさしの会談までしたそうだ。

稲嶺氏によれば、思いの丈を述べさせて頂き、真摯に聴いてもらえた。と感激している。大使の本職は弁護士だそうだから、訴えを汲み取るのはお手のもので、市長の意を分かってもらえたとすれば市民にとっても喜ぶべきことだろう。問題は大使自身の見聞に基づく沖縄基地問題についての率直な感じを、果たして本国でアッピールする機会が巡りくるや否やである。視察を終えて「沖縄にはこれからもっと度々訪れたい。」として、出来れば先の大戦時に沖縄で組織的な戦闘が終了したとされる6月23日あたりで2度目の訪問を望んでいるとも報道されている。

本来日本のトップに期待すべきだところだが、大使が沖縄県の事情、即ち普天間の危険性と辺野古基地の格調の無意味さを理解して頂き、大統領に率直な意見具申されることを期待したい。

2014年2月13日木曜日

暫しの単身生活開始

婆さんの膝裏に、何かが溜まって歩くのが不自由になったとのこと。病院通いをしていたが、担当医から手術を薦められて決心をした。手術は明日だが、今日から入院。朝から付き添って病院に向かう。小生が昨年入院した大学病院とは違うが、総合病院の手続きは似たようなものだ。家からの距離も似たようなもので歩いて行けるのが有難い。彼女は以前もこの病院に入院したが、その後病棟が新築されている。全体が明るくて広々している。

外科入院病棟の看護士さん達も皆親切そうな人たちだった。先生には未だお会いしていないが、万事専門家にお任せするのが一番だろう。婆さんも昨日で68歳、あちこちに不具合が出ても仕方がない。運動したり出歩く趣味は無いが、家事全般を担当しているので、毎日のように食料品の買い出しはしていると思う。これが唯一の運動だろうから、歩けなくなると困ってしまう。買い物くらいはこちらが代わってやれなくはないが、寝たきりにでもなられたのではお手上げである。

この齢になると、奥さんの介護にあたる友人も少なくない。密かに尊敬の念をもって話を伺っているが、さて自分はと問うと全く自信が無い。明日手術の直前に先生から直接伺うのだろうが、先生もその予防の意味から早めの手術を薦めてくださったようだ。介護に関しては、する心配もさることながら、自分が寝たきりでされる身になるのも恐ろしい。その恐怖感から寒さに負けず毎日歩いているが、今週はどうしたことか、急に腰が痛くなってしまった。整体師の先生が「日曜日の雪かきのせいでは?」と言うが、疲れるほど働いてはいない筈。

原因不明の不具合が生じる頃合いの老夫婦である。それぞれメンテナンスに気を使っているつもりでも、作動に不具合が生じるのは生身も機械も同じことのようだ。それぞれ現われ方に違いがあるが、どちらも寝たきりだけは勘弁してくれと祈らざるを得ない。婆さんが担当ナースに差し出す問診票を盗み見ると、生活習慣の「1週間にお酒は」は「ゼロ」になっていた。あの手の書式への記入も性格によって個人差が出るのが面白い。確かに今月はゼロかもしれぬ。小生だったら既往症なんかもそうだが、几帳面または少しオーバー気味に記入する。

婆さんはその点大らかかもしれぬ。食料品の買い物なんかでも、生鮮食品の産地表示は念入りにチェックしても、加工食品の賞味期限なんかあまり気にしないそうだ。ところが娘の一人が変に几帳面だ。賞味期限がきた食品を皆捨てると聞いて、勿体ないことをしなさるなと説教したらしい。似たような話に、使っている洗濯機が発火の可能性があるリコール対象製品と知った時、メーカーに電話して「使用するのをすぐ止めてください」と言われると、不自由であっても使用を止めてしまったらしい。

この時も「馬鹿ねぇ、2漕式なら乾燥機の使用は止めても洗濯機から火が出る筈は無いでしょう。手で洗濯なんかしなくていいのよ。」大学まで出ても、脳みその柔軟性は短大出の婆さんには敵わないらしい。

何れにせよ今日から暫しの間、単身生活をしなければならない。とは言っても自宅でのことだから、大阪時代とは全く異なり楽ちんなものだろう。

2014年2月12日水曜日

いつも通りの「馬鹿の一つ覚え」

テレビ局の若いアナウサーやら放送記者に、大人らしい知性や感情の細やかさを求めるのは無い物ねだりかもしれぬ。それにしても「誰それさんになんて言葉を掛けたいですか?」にはいつも閉口する。インタビュー対象の人が心の底で思っていることが、そんな安っぽい質問で本当に引き出すことが出来ると思っているなら、いくら学歴が高くて外国語に堪能であるとしても知性さえ疑わざるを得ない。

いつも書いている通りテレビ放送自体がやらせ芝居みたいなもので、インタビューも全て予定稿に則って進行する仕掛けになっている。従ってインタビュアーにしてみれば、予定稿に書いてある通りに質問するまでかもしれない。しかしオリンピックに派遣されている放送局員は、有名人の葬式に群がる芸能リポーターではない。それなりに優秀とされる記者やアナウサーであろう。選手の地元の応援を取材している2軍のリポーターが、試合後に「今選手に何と声を掛けたいですか?」と引き出すのは許されるかもしれぬ。

しかし選手に対して、「ご両親に対して」とか「応援してくれた地元の皆さんに」と質問するのは余りに芸が無さすぎはしないか。メダルでも獲得していればまだしも、年端もいかぬ子どもを捉まえて無理やり感謝の言葉を引き出す「なんて声を掛けたいですか?」は放送法で禁句にしてもらいたいくらいだ。婆さんに言わせれば、例え金メダル受賞者であっても本音で言えば「早いとこ風呂でも入って一杯やりてえ。」(成人に限る、笑)だろう。今朝の放送を見る限り、期待した女子ジャンプの高梨紗羅選手の結果は残念だった。

本人も多分残念ではあったろう。しかし今日の順位についての残念さと、次のオリンピックを自分の目で見ることが出来るかどうか定かではない小生の残念とは、かなり異質のものであると思う。沙羅ちゃんの「残念」は横綱白鵬が中日くらいに星一つ取りこぼした時に感ずる思いに通じていても不思議は無い。何故ワールドカップで今シーズン10勝もしている彼女に、目に涙を浮かべとか肩を落として、といった常套句に沿った演出を誘導しなければならぬのか。高学歴のお兄さんやお姉さんに難癖をつけて申し訳ないが、もう少しインタビューについて勉強してもらいたい。

しかし、昨夜はメダルを獲得できてほっとした。観客である我々は勝手な思いでオリンピックを楽しんでいる。銀と銅2個のメダルで満足なんてことは決してあり得ない。金も欲しいなと思い、羽生結弦選手や高橋大輔選手への期待が益々高まるのが人情だろう。我が家では男子ラージヒルも女子フィギャーも過大な期待はしていない。浅田真央選手が表彰台に上がったり、葛西紀明選手が入賞でもしてくれれば十分である。

どの選手もそんな勝手な思いを、多分ちゃんとプレッシャーとして受け止め、頑張ってくれるのだから大したものだ。これからも選手の健闘を祈りたい。

2014年2月11日火曜日

「建国記念日」お笑い提供です

昨年の建国記念日には丹沢の山に登っている。今朝出しなにふと思い出して、「今日も寒いな。去年は確か15日くらいに山に行った筈だ。俺が弱くなったのか今年は寒すぎるのか、とてもじゃないが当分山なんぞいく気になりそうにないな。」「あら、そう。去年はどこへ行ったの?」と会話をしてきたので、先ほどブログで確認すると11日に、丹沢山塊の塔ノ岳に行っている。山頂には雪が大分残っていたが、麓の登山口は春を思わせる麗らかな日であったのを改めて思い出した。やはり今年の寒明けはきつい。

ところで今日は「建国記念日」。休日気分ではいるが、プールに行くこともなく、何となく朝から弛んだ気分でいる。世界を見渡しても、こんないい加減な日を国を挙げて祝う国は無いだろう。伝説上の建国を祝う国があっても不思議は無いが、外国の建国記念日の曰く因縁を調べてみたい。先ずは我が国、ウィキペディアで調べてみると、紀元節が制定されたのは明治5年11月だから、日本が国家の形態を整えていない頃の話である。

明治政府が決めたとなっているが、明治憲法すら無く、まるで国家の態を成していない時期に、太政官布告第342号をもって定めたと記されている。休日の徒然に面白いことを発見した気分なので、読者の皆様にも楽しんで頂きたい。明治5年と言えば、未だ江戸時代の気分が色濃く残っていたのだろう。日本ではまだ太陽暦さえ採用されていなかったようだ。公家の一部と薩長土肥くらいか、西国外様の連中が、討幕の勢いに乗ってこれから国づくりをするのだから、そのスタートの日付を確定しようとのことだったらしい。

そこで決めたのが来年の元日、大陰暦で暮れも押し迫った11月のことだった。昔から政治家は格好をつけたがる。翌明治6年1月1日を神武天皇即位の日と定めた。ここから笑えてくるのだが、このすぐ後に同じ政府が、暦の使い勝手が悪いので太陽暦に統一することを決める。その結果、折角定めた紀元節が太陽暦の1月29日となってしまった。更に1月29日は、政府要人が暗殺したとも噂される孝明天皇の命日(28日)と前後してしまう。そういった不都合を修正するため、翌年明治6年太政官布告第344号で、新たに神武天皇即位日を定め直して2月11日を紀元節とした。となっている。

政府のご都合主義といい加減さは現在にも共通している。勿論この間には、干支を専門とする暦学者が動員されて検証も行われ、暦上神武天皇即位の日は太陽暦2月11日に間違いないとのお墨付きまで得ている。まるで、憲法解釈を変えるために学識者を集めたとされる内閣法制懇を彷彿させる。

明治5年、1869年の本邦人の殆どに国家意識があったとは思えない。国と言えば薩摩の人は薩摩、我が故郷で国を問えば松代程度のことだろう。当時は決める側も、お伽話を承知のすけだ。だから恰好がつきさすれば何でもいいし、誰に迷惑が掛かる訳ではない、日にちがいつなろうと人畜無害だから笑って済ませる。

しかし建国記念日と名前を変えてまで150年近くも後生大事に温存すると、笑って済ますわけにはいかないみたいだ。総理が国民に向けて「国家に誇りを持てだの先人の努力に感謝しろ」と言うのは結構だろうが、古希を過ぎてしみじみ思うのは、余りにも歴史(特に近代の)を知らな過ぎることである。いっそのこと日本の建国(神武天皇の即位)は2674年前の1月1日の旧に復した方がすっきりしないか。笑 (拍手でもして下さい)

2014年2月10日月曜日

枡添新東京都知事おめでとう

小生の期待値含みの予想が大外れして、枡添要一東京都知事が決まった。氏には先ずお祝いを言うべきだろう。「おめでとうございます。」地方の一選挙について我が党本部がいちいち関与すべきでない、てなことを言っていた自民党が、終盤になって形勢優位と見るや党を挙げての応援で、当選を受けて悪乗りしているのを見るのは辛いが、敗者を応援した以上は仕方あるまい。新都知事は石原、猪瀬両知事に比べれば頭が良いのは確かだろうし、性格的にはどうか知らぬが、大臣も経験しているから役人の扱いもかなり分かっているだろう。


願わくばリーダーシップを発揮しておかしな銀行を作ったり、沖縄県の島嶼についてちょっかいを出すようなことだけは止めておいてほしいものだ。世界で一番との枕詞も大分引っ掛かっている。今や悪評高い蓮舫女史の「何で世界で一番でなくてはいけないのですか、二番では何故駄目なんですか?」以来、庶民までが世界の中での順番を気にしているかのような報道が多い。しかし庶民が世界の中での順番が気になるのは、精々オリンピックぐらいなものだろう。

暮らしに関して一生活者として言わせてもらえば「他国や他都市との比較なんかどうでもいい。普通の生活が長続きするのが一番である。」幸い我が家は未だ普通の暮らしが維持できている方だろう。問題は普通でない劣悪状況下にいる人々にどんな救いの手を差し伸べるかだろうが、公共工事を増やして景気を拡大することだけで如何程の人が救われるか、冷静に考えてほしい。都の職員が16万人もいるそうだ。中には警官も医者も消防も教職員もケースワーカーもいて、都庁舎の何階にいるか知らないが、都知事の目には金輪際留まらぬ普通以下の生活者の実態を、日常的に目にしている職員もいる筈である。

新都知事が、「現場の意見を尊重したい。」と言ったかどうか知らぬが、選挙に出る人は大概いうセリフである。しかし現場の意見がトップに届く頃は、統計の数字に置き換えられてしまうのも事実で、政治家は相当な想像力が必要である。氏の選挙公約は2020年オリンピック・パラリンピックの成功、首都直下地震などに向けた防災対策、社会保障対策が3本柱とされているが、これに賛同した人が投票者の4割を占めているのも驚きである。我が身のことより国家や都市を大切に思う人の何と多いことよ。

その他には「東京を『特別経済特区』と位置づける」なんてことを掲げ、経済成長を促す腹積もりのようだ。ただでさえ税金が使い切れなくて余っている、と聞いているのに不思議な事を仰っている。『特別経済特区』なんて何を意味するのか、分かっている人がどのくらいいるか知らぬが、随分インチキ臭い話だと言う人もいる。何れにせよ「都政の課題は待機児童、多摩の格差是正、教育、高齢者福祉など、やらなきゃいけないことがたくさんある。」こちらの方に大いに期待することとしたい。

2014年2月9日日曜日

都知事選結果 どうなることやら

東京では夕べ遅くまで雪が降り続いたようだ。部屋の電気を消す直前10時少し前頃かに気がついたのだが、座敷の障子が濡れているではないか。障子の敷居の外にガラス戸が1枚あるのだが、その隙間から雪が吹き込み、敷居には雪が積もっていた。婆さんを呼んで相談したが、今更雨戸をたてる訳にもいかずケセラセラでいくことにした。今朝起きると、障子は乾いていたが敷居の雪は3センチ近く積もっている。

昔の志賀高原で、朝目が覚めると掛布団の襟布上に雪が積もっていることを経験してはいたが、東京で、部屋の中に積雪を発見するとは風流なことだ。我が家では風通しが良すぎてガス中毒の心配だけは無い、これが唯一の自慢かもしれぬ。外は一面雪景色、気象庁発表によれば積雪27cmで45年振りのことらしい。出かける前に玄関廻りの雪をざっと片づける。町中が総出の感じで、家の前の雪片づけに励んでいいるが、都会の家は皆こじんまりしているので悲壮感は全く無い。

今朝は朝から快晴で気温も上がっているので、多くの家では子供(多分同世代人が多いのでお孫さんだろうが)の雪遊びにお祖父さんが付き合っている感じだ。それでも道路には雪が沢山残っているので、出歩く人数は少ない気がする。プールも常の日曜に比べて、常連の半分くらいしか顔を見せていない気がした。それも男女比で見ると女性は7割、男性3割てな感じで、婆さんがいつも言う事だが、最近の男性は意気地がない。或いは女性が強すぎるのか?

今日は都知事選の投票日だが、この雪のお陰で投票率は相当下がるだろう。いつも7時の開場を待つかのように投票を早めに済ませる婆さんが、小生が出かける9時までに出かけた形跡がない。「投票したい人がいないから亭主の名前でも書いてこようかな。」と言っていたが、どうする気なんだろう。どんなことがあっても棄権だけはしない主義だったし、やっと半分不本意でも宇都宮氏にに投票する気になったようだったが、雪で気勢をそがれたのかもしれぬ。

しかも昨夜19時頃のニュースでNHKのアナウサーが言った「不必要な外出は止めるように」の忠告を笑いながら聞いていたが、本気で今回の選挙を不必要と受け止めたかだ。今や婆さんの楽しみは舛添氏氏の得票数が減ることだけにある。だから今朝出がけに、婆さんの機嫌を取るために言った。「大丈夫、舛添氏の得票は猪瀬氏の半分はいかず、好いところ170~180万票程度じゃないかな。投票総数も600万票はとてもいかないだろう。宇都宮氏と小生が1票入れた細川氏の票を合計したら、舛添票を上回ってほしいね。」

多分にいい加減な話だが、婆さん曰く「創価学会の友人から電話が来たが、舛添氏ではお願いしますと言う訳にもいかないしねぇ。」との事。舛添氏は意外に女性受けが良くないらしい。何回も結婚離婚を繰り返す男は、我が国では女性から嫌われるらしい。雪で足元も悪いので、こういう時は俄然共産党が頑張って宇都宮氏の票が伸びるから、舛添票は投票総数の3割が良いところではと意見が一致。投票したい人間が違って心配だったが、家庭不和にならずに済みそうだ。

2014年2月8日土曜日

下手な言い訳

天気予報が見事に当たり東京は未明から雪、しかも風を伴っているので、歩いていると吹き付ける雪で顔が痛い。珍しくゴム底の雨靴に毛糸の帽子を被り、鞄はきちんと肩にかけて両手を開放して歩いた。それでも何度かスリップして転びそうになる。ジムの外回りを雪掻きしている警備の人が、「先ほど女性がもんどりうってしまった。」と済まなそうに話していた。子供の頃から、雪の日は傘を差さずに歩くものと決められていたようだが、最近の傾向か都会故のことか判然としないが、雪降りに傘を片手には少し危険だと思う。

明日まで降り続きそうなので、大分積もるかもしれない。都知事選で投票率が下がらなければいいが、今日も街中は人通りが全く少ない。昨夜のオリンピック開会式は夜中の2時からだったので中継放送は観ることは出来なかった。日本テレビで8時から再放送をやっていたが、9時にはプールに出掛けなくてはならず、選手団の入場行進までしか見ることが出来なかったが、華やかな雰囲気だけは少し味あわせてもらった。ロシアはヨーロッパから見ると田舎らしいが、信州の田舎育ちには芸術に富んだ国柄に見える。

血生臭い歴史の国ながら音楽や文学で世界的な作品として生み出してきたのだから、スケールの大きな才能ある人が多いのだろう。その点、残念ながら我が日本はチマチマしている。日本にも戦争を背景とする恋愛小説は沢山あるように思うのだが、「戦争と平和」のように社会背景の変化が恋愛にまで及ぼす落差の大きさを、上手く表現した作家がいないと言うことだろうか。江戸時代は太平の世でもあり、鎖国をしていた関係から戯作者に世界観を求めても無理かもしれぬ。精々「南総里見八犬伝」が関の山か。

せめて平安時代に紫式部女史が、現代の宮廷風俗なんか書かずに数百年前の白村江の戦いを背景とする恋愛小説をものしてくれたら、国際的評価は別として、日本人の国際感覚も少しは変わっていたのでは、なんて夢想した。こんなことを持ち出したのは、今朝のオリンピック開会式で安倍総理の姿を確認する前の前夜、岸田外相がワシントンでケリー米国国務長官と会談とのニュースを見ていたからである。総理が米国の意に反してオリンピック開会式に出席するのは分かる。プーチンとも仲良くしたいのだろう。

しかし外相がこの時期にのこのこワシントンまで出かける理由は、素人目にも明らかで、総理のソチ行についての言い訳以外の何ものでもあるまい。昨日の記者会見の記事には「岸田外相は、韓国との間に難しい問題が存在しているとの認識を示した上で、同国は日本の重要な近隣国であるため、協力関係の構築に向け粘り強く努力していきたいとの考えを示し、オバマ大統領のアジア歴訪に合わせ、日本を公式訪問するよう要請していることも伝えた。」とある。

この発表による限りは、なにも国会開催中に外務大臣が出向くほどの目新しさは何も無い。素人考えが的を射ている筈だ。これが外交とはとても思えない。ロシアに行く勇気は買うが、根性を決めているなら変な言い訳はしない方が良いとしたものだ。性根も据えず二股膏薬的な行いに及ぶことは、一般的に双方から馬鹿にされるだけとされている。いい歳の小父さん方が知らぬ筈は無かろうに。

2014年2月7日金曜日

オリンピックと冬の想い出

いよいよ冬季オリンピックの開催だ。日本選手の活躍も期待したいが、昨今の物騒な情勢を思うと、何よりも平和、無事に終了することを願ってやまない。日本も一昔前まではスキーもスケートも庶民のスポーツだった。郷里の長野は子供の頃雪がたくさん降ったような気がする。道であれ、お宮の階段脇の斜面であれ、雪が降り積もれば、近くの子供が湧き出て、幼い子供は先ずそり遊びから始まる。

兄貴に手伝ってもらい、ミカン箱や薪なんぞを工夫して小さな台を作り、下に竹スキーを打ち付けて出来上がりだ。竹スキーは荒物屋で売っていたが、長さは1尺の物差し大で、幅を少し拡げて先端を炙って反らせたものである。少し学年が進むと、その竹スキーを長靴の下に置いて、立って滑るのを楽しむことになる。これがスキーの始まりで、更に学年が進むと木のスキーの登場となる。このスキーを履くようになると、出来るだけ長いスロープを求めて少し郊外の方へ足を伸ばし始める。

そんな道路には市内のあらゆる学校の小学生が集まっている。多分もう小学校の高学年だったろう。こうなると一端大人の気分で、滑る順番や危険防止対策なんかについても、知らぬ同士が声を掛け合い、何となくルールを作っていた古き良き時代だ。スケートにしても大体似たようなもので、長野市は氷の張る池が少なかったので、余りメジャーにはならなかった。しかし4年生の冬を松本で過ごした経験で言うと、冬になると校庭に水を撒いてスケートリンクが出来上がる。冬、体操の時間は毎週スケートだったような記憶がある。

学校にスケート道具の準備は無く、スケートは父兄の負担だったような気がする。下駄の裏にエッジを打ち付けたもので、鼻緒を支点として1メートル位の真田紐で草鞋でも履くように足袋裸足に縛り付けるのである。この授業も楽しかったし、下駄スケートを履くだけでも、子供たちの手先がある程度器用になったのではないだろうか。少なくとも長野県では、このように平均的な子供の遊びまたは体育から始まっているので、スキーやスケートはブルジョア階級のお遊びではなかった。

小学校低学年時代の長野市は、トラックをたまに見るだけで乗用車なんぞ皆無に近かったのだろう。道路は当然無舗装で、子供の雪遊びの邪魔になるのは馬が木材を引きずった跡くらいのものだった。そんな時代からスキーに馴染んでいたので、大学を卒業する頃はのめり込んで、冬中志賀高原に入り浸っていた。
大学生になる頃には、猪谷選手がイタリアのコルチナで開催された冬季オリンピックで銀メダルを獲得し、スキーがサラリーマンやOLの冬のレジャーになっていくことになるが、こちら1963年サラリーマンになったのを契機にスキーを止めてしまった。

怪我をしたら元も子もないと思ったし、両親や会社の上司からも忠告されたのだろう。結局10年少したってから、少しずつ滑り始めた。25年目に転職すると、会社の社長さんが逆に誘ってくれたので50歳前後から毎年行くようになり、娘に教えたり、孫が小学校に上がると、孫のコーチになったりしたが、その時期も終わってしまった。それでも最近は、年に1回高校の同期性が集まるスキー会があるので、それが唯一の機会となっている。

こんな思い出に浸りながらテレビ観戦をして、日本選手に声援を送りたい。

2014年2月6日木曜日

勘違い民主主義

寒明け10日とか立春寒波と言われる通りここ二日は本当に寒い。この変化に富む季節感がこそ日本人の感性や美意識を育んでいるのかもしれない。酷寒なればとて向かいのお宅の梅でも愛でて春遠からじの思いを綴りたいが、残念ながら才能に欠ける。さればとて、二日も続けて化けの皮が剥げつつある政権の悪口も芸が無さすぎるが仕方ない。昨夜の「報道ステーション」(テレビ朝日)を見て、安倍政権の傍若無人ぶりを指摘せざるにいられなくなった。彼等は何かを完全にはき違えている。

自民党は衆参両院で、国民の信任を受けた選挙によって、圧倒的多数を持つに至った。これは間違いない事実であり、それを力の背景として彼らが目指す国づくりを進めることは民主主義の原則であろう。しかしその推進に当たっては、国会における十分な審議が必要とされていることを知らない筈は無い。議員数では過半数を持っても、国民の過半数の支持がある訳ではないのは当たり前で、議論の為に国会での審議がある。

昨年末の臨時国会で、与党が特定秘密法案を強行突破した時に、読売新聞が「多数決が民主主義」と書いたそうだが、これを痛烈に批判した人がいる。彼は、『安倍総理は「私は国民から選ばれた議員の多数から選ばれて総理になった。行政府のトップではあるが、国民の代表のトップでもある」と答弁し、さらに「政権交代すれば総理は代わるのだからそこでチェックされる」と発言した。これを聞いて私は唖然とした。民主主義の根本が分かっていないのである。』

更に『ヒトラーは選挙で国民の多数から選ばれて首相になった。しかしヒトラーの政治を民主主義と考える人間はいない。』とも言っている。総理自身は多忙でむりだろうが、スタッフにはこのような批判が目に留まらぬ筈は無いと思うが、昨日の報道を見る限りでは、世間に充満していると思われるこのような批判は総理の耳に一切届かぬものらしい。昨晩の「報道ステーション」が取り上げたのは参議院予算委員会での民主党羽田雄一郎氏(羽田孜元総理の息子さんで長野県上田の人らしい)の質問。

質問内容は安全保障問題関連で、これまでの集団的自衛権の憲法解釈を、内閣法制局長官人事を梃に政府権限だけで強引に変更しようとの動きを牽制したもの。靖国参拝問題や、NHKの人事問題を絡めながら質問をして、総理や閣僚の答弁を求めている。しかし、映像を見る限り質疑応答になっていない。総理は特にそうだが、お前みたい小僧っこなんかにまともに相手していられないといった雰囲気がありありであった。羽田氏は総理に上り詰めたお父さんと比べれば小僧かもしれぬが。

国会議員の資格は年齢も党派も関係ない。同じ土俵上で対等の議論をすべきであるにも拘らず、閣僚のこの不真面目な態度は許されるべきではない。民主主義は多数党の意見だけを正しいとするのではなく、少数意見を尊重するところに基本があり、そのための議会であろう。基本が全くなっていない。羽田氏の質問に、総理の諮問機関「法制懇」の論議の中で「憲法解釈を変更したときのデメリットも当然議論されているとは思いますが、そのデメリットにはどんなことがあるのでしょう?」があった。

極めてまともな質問だと思うが、総理が立って「現在の憲法解釈にデメリットがあるので、それを変えようとして検討しているのです。」と傲然と言い放った。巷間指摘されてる通り「最初に結論ありき」で平然としている。今や総理は憲法さえを乗り越え、正に神にでもなった気分であろう。麻原彰晃とイメージが重なる。

2014年2月5日水曜日

見直しと反省

他人様に言えた義理ではないかもしれぬが、人間時々反省はしてみたいものだ。
安倍政権が発足して既に1年が過ぎた。国内の景気回復が最優先事項と言ってきた割には実際はどうだったか。マスコミには実態を検証してもらいたいが、能力に欠けているのか、する気が無いのか、社会を俯瞰する報道は見当たらない。政権に迎合するような部分報道「自動車・銀行・家電大手の3月決算見込みは久しぶりの好決算」が特筆大書されているばかりだ。

この大手企業の従業員が本当にハッピーかどうか、アンケートでもしてみればいいだろうに。会社が儲かるのは従業員がハッピーでないからだ、と言う人もいる。それでもこういった大手企業では、ボーナスぐらいは増えるだろうから、プチハッピーにはなれるだろう。年金生活者の意見なんか聞く必要は無いが、本日公表された厚労省の毎月勤労統計調査(速報)によると、残業代やボーナスを含めた2013年の従業員1人当たり現金給与総額(月平均)は31万4150円で、12年と横ばいだそうだ。

今年の春闘については、連合は1%以上のベア要求を掲げたが、経団連は固定的経費の増加につながるため、賃金の底上げには消極的。好業績は一時金など、各企業の経営状況に応じた形で還元すべきだとの考えを示している。米倉会長も「各社の業績に応じて最大限の努力を行う」と語っているそうだ。何れにしても景気回復の実感は乏しいし、安倍政権の売りになっている「デフレ脱却」に向けて動き出しているとはとても思えない。

昨年の正月に読んだエコノミスト藻谷俊介氏の記事を未だに保存してるので、読み直してみた。ひょっとすると昨年1月半ばのブログで取り上げたかもしれない。参院選前のことでもあり、株価も上昇し始めて「アベノミクス」が大いに持て囃されていたと思う。記事の見出しは『「無制限にやれば良くなる」のウソ』として、氏は次のように言っている。

質問:安倍首相の発言と経済政策で、円安と株高が起きたと言われます。本当に経済は良くなるのでしょうか。
藻谷:ちょっと、アベノミクスはどうかと思いますよね。国土強靭化のために公共投資を増やし、一方でマネーを供給して流動性を高めるという。それは、どっちも過去、やってきたことじゃないか、と。それで経済が良くなるんだったら、とっくに良くなっているはずですよ。

氏の指摘が余計説得力を強めている感じがしなくもない。総理と藻谷氏のどちらが正しいかは分からないが、総理の方もかなりの自信で、処方については変更する気は無さそうである。検査方法も旧態依然の町医者ではないのだから、やばいと思ったら処方を変更するのも知恵の一つ思うのだが。誰しも偉くなると、方針を変更するのは嫌なのか。中国や韓国との外交姿勢も1年経っても何も変わらない。

その点プロのスポーツ選手は柔軟性がある。若手の優秀な選手はしょっちゅうコーチやトレーナーを変更するみたいだ。年は取ったが、彼等を見習いたい。

2014年2月4日火曜日

何か不安定

安倍総理は先月スイスのダボス会議で演説して、100年前の1914年に勃発した第1次世界大戦を引き合いにして、地球の平和を願っていると言いたかったらしい。しかし意図に反して、物議を醸してしまったのは皮肉なことだ。総理と同じで、生半可の知識をもとに書く。

迷信めいた話で恐縮だが、今年の干支は「甲午」(きのえねうま)だそうだ。一説には「甲」は兜を顕し「午」は時刻で昼、太陽が頂点に達しているとのこと。何事も活発で結構かと思いきや、これがそうでもないらしい。頂点に達する時、後は降りしかないのは山登りも同じこと。降りが楽ちんでないのも山と同じで、動乱があっても不思議でない年回りとされているらしい。

干支の占いは一種の統計学に基づいていると聞くが、60年前の1954年(昭和29年)は日本の高度経済成長が始まった年であり、原子力発電が決まり、高速鉄道計画も決まりとあるが、一方で警察予備隊が警察機能補完の衣を脱ぎ捨て、遂に自衛隊が発足した年でもある。正月早々には皇居参賀の混乱で多数の死者が出たり、秋には津軽海峡で洞爺丸事故が起きたりしている。既に中学生だったので、これらのことは全てぼんやりした記憶がある。日本全体が活発で、上を目指して走り始めていたことは間違いないだろう。

120年前の1894年(明治27年)となると完全に歴史の世界で、実感は何もないが、これまた日本も国家としての興隆期だ。憲法も議会も制定され、先進国の仲間入りをしようと意気が盛んであったに違いない。しかしこの年に朝鮮半島で起った農民反乱「東学党の乱」を機に日本が朝鮮に出兵、同時に介入してきた清国(中国)と衝突して、日清戦争が勃発している。個人的に言えば、勢い余って危険な道に踏み込んだと言えなくもない。

占いなんてものは統計を都合良く使い分ければいいのだから、今年を運気盛んな年とするものも多い。一方では、冒頭に書いたように動乱が起りかねないから、気を付けた方が善いよとするものもある。占い師の予言は言葉遣いの問題だけで、どっちに転んでも当たるように出来ている(笑)のだからさておき。来週の東京の都知事選に続いて、昨日は大阪市長が辞職を表明して大阪でも近々選挙となるらしい。何れも想定外で、世の中は混乱している。大阪のことはよく分からないが、維新の会以外の政党がまるで選挙ボイコットに近い声明を出しているのを見ると、タイの総選挙を連想してしまう。

一見平和な日本だが、昨年末くらいから何となく世の中が動乱とまでは行かないだろうが、不安定な感じを受けるのは小生だけだろうか?「アベノミクス」で経済は上向きに転じている「アベノミクスは今年も買いです。」と総理は大見得を切ったが、株価ですら何か不安定なようだ。トヨタは今季2兆円を超える営業利益になるそうだが、26年度以降も好調を維持できるだろうか。今のところ新車の売れ行きはすこぶる良いらしいが、消費税アップ前の駆け込みかもしれない。

どんな時でも企業間は競争だから、景気良い会社もあればよくない会社があるのは仕方ない。何れにせよ人間社会はお互い様だから、我一人や我が一社我が一国だけが良いのは難しいのだろう。新興国の人々の暮らし向きが向上しない中で、日本人だけがハッピーとも言っていられないようにも思う。

2014年2月3日月曜日

今日は節分

こんなに暖かな節分は近来稀ではないか。東京はまだ雪らしい雪も降っていない。このまま本当の春が来るなんてことはあり得ないだろうが、暖かいのは大歓迎だ。婆さん一流の冗談だろうが、今朝は鰯の丸干しがおかずに添えられていた。商業ベースに乗せられて恵方巻きなんか食べることはないが、鰯は昔から言い伝えがあるらしいからとのことだ。夕飯の後で豆を食べることになるだろうが、年齢分は少し食い過ぎでしょう。

部屋の掃除をしただけで、書くべきことが何も見つからない。

2014年2月2日日曜日

国語と言葉遣い

余りまともでない文章を書き散らしている自分のことは棚に上げさせて頂き、国語と言葉遣いについて書いてみたい。中国や韓国の人が漢字を忘れかけていることが話題になっている。日本も明治維新頃には英語を公用語にしようとか、表記については漢字や仮名文字を廃して全てローマ字表記にしようとの議論が大真面目であり、喧々諤々の議論の結果、日本語は残そうと言うことになったらしい。

その時、せめて漢字は少し制限しようではないかとの意見が大勢を占め、当座使って可とする漢字を千幾つ残したのが当用漢字と聞いている。外国のものにすぐ飛びつく如何にも日本人らしい話で面白い。これで今はやりのグローバリゼイションに遅れを取ったかどうか知らないが、日本人の端くれとして、先人の正しい判断に敬意を表したい。中国は言語は昔からのものを使っているのだろうが、表記は殆ど簡体字(古い表記を繁体字と言っている)の筈。韓国は同じく昔からの言語であろうが、表記は例のハングルで完全に表音文字らしい。

○と棒と三角の組み合わせが非常に合理的で、覚えやすいと聞いたことがある。
日本語をローマ字表記にしたようなものだろうか。日本は幸いなことに漢字が大分残っているので、文字列を眺めただけである程度意味が理解できる。富士山を藤山(何処かにこんな町だか駅があるらしい)と取り違える心配は先ず無いだろう。漢字を知らない外国人にとっては迷惑な話で、観光庁なる役所が道路標識の表記を再検討しているそうだ。富士山=Mt.Fujisanとするらしい。

ところが使い勝手のいい日本語にも問題点も確かにある。使い勝手が良すぎるからだろうが、俗語とは少し違う意味で、誰にでもやたらに言葉や文章らしきものが作ることが出来てしまう。反省を込めて言えば「お前のブログを読んでいるが、時々難しい言葉が出てくるので困る。もっと分かりやすく書けよ。」とのご指摘を頂いたことがある。浅知恵か馬鹿の一つ覚えで、頭に浮かんだ古い言葉を好んで使う悪い癖は仰る通りだ。

しかし、自ら新しい言葉を作り出して書くことはないよう心掛けているつもりである。若い人であれば、仲間内で新しい言葉を通用させるのは楽しみの一種だ。一定の教育を受けた大人は、世間に通用していない言語の使用を慎むのが当たり前だ。さもないと、「お里が知れる」と馬鹿にされても仕方がない。使い勝手がいいと書いたが、漢字と平仮名の併用で読み書きには便利だが、話し言葉になると、融通無碍なるが故に却って難しくなる。

その昔、竹下登首相の国会答弁が「言語明瞭にして意味不明」と褒めたのか貶したのか知らぬが揶揄された。このブログも出来るだけ話し言葉をもって書いているつもりなので、時々不安になる。例えば先に「作ることが出来てしまう。」と書いたが、「作られてしまう。」又はら抜きで「作れてしまう。」どちらが正しい日本語か自信が無いので、文章を変えた。てにをはも難しいし、真面目に考えるとブログなんか書いていられない。

婆さんに言わせると問題は内容だそうだ。幸いにも婆さんは亭主のブログなんか見たことは一度も無い。話で言えば、中身のある人はどんな話かたで話しても意味が通じるそうだ。それが例え日本語であろうと外国語であろうと(サッカーの本田選手の会見を見よだ)。小保方晴子さんは英語があまり得意ではないそうだが、日本語は素晴らしい。引き換え、安倍総理は英語が得意らしい。しかし「愚弄」したくはないが日本語の「積極的平和外交」意味を理解できる日本人は如何程かな。この人にだけは教育を論じてほしくない。

2014年2月1日土曜日

マスコミ目線

いつも書いているが、本当に日本のマスコミはよろしくない。テレビ新聞どいつもこいつもの感があるが、特に最近のNHKは酷過ぎる。もとより半分国営放送と思っていたものの、公共放送が聞いて呆れる。国営放送なら市民から聴取料なんか取ってはいけない。それも結構な聴取料を取るものだから余計腹が立つ。ドラマを観る趣味が無いので観るのは圧倒的にニュース報道が多く、平日21時台の「News Watch9」を毎日のように観る習慣だった。

東大野球部出身で比較的若く見える大越健介と言う小父さんがニュースキャスターである。報道番組がどのようなプロセスで制作されるか十分理解できていないので、キャスターを責めるべきかどうかは自信が無い。制作過程は分からないが、テーマの選び方について非常に問題がある。平日21時台と言えば正にゴールデンタイム、視聴者が最も多い時間の筈である。国民ニーズの平均値を知るのは難しいかもしれないが、かりそめにも報道機関ではないか、国民の大多数が今日一番に知るべき事柄を選ぶセンスが無くて、報道なんて言ってくれるな。

因みに昨日の内容をチェックしてみた。オンデマンドに残っているデータは次の通りである。「ひつぎに遺体500キロ逃避行、暖かくなるので落雪の怖さ、春節で大移動狙いは中国人客、建設業深刻人材不足の現場で、アベノミクス巡り予算委で論戦、NHK会長就任会見について、ゴジラのテーマ 半世紀越えて」となっている。データには残っていないが、トップは、北海道で行方不明になっている小3の女の子の行方が未だ掴めない、だったかもしれない。

国会審議だけが国民にとって最重要課題かどうかは意見が分かれるかもしれない。個人的には総理の顔を見るのも不愉快なので、予算委員会の論戦なんて見たくもないが、春節の爆竹騒ぎで北京市以内の空気が濁った話との軽重を問われた時になんて答えるのだろう。好みから言えばテレビ朝日の22時台「報道Station」の方がずっとましである。キャスターの古館伊知郎はアナウサー出身のせいか、標準語で聞き取りやすいし、分を弁えているのか偉そうなことを言わない。朝日新聞社の恵村さんと言う若いコメンテータがレギュラーで出演しているが、彼も比較的穏やかで余り偉そうな口をきかない。

いつも21時台のNHKを大凡30分観て、就寝の準備をしてから報道Stationを10時半まで観る習慣にしているが、テーマの選び方も後者の方がずっとまともである。報道番組のメインキャスターの好みを書きすぎた。

もっと大きな問題は全社に共通する報道姿勢のこと。政府見解なり政府や日銀の発表を報道するのはいいが、発表を裏打ちする取材が酷すぎる。何事も否定すればいいと言うものでもなかろうが、やはり昨日のNHKニュースから項目を拾ってみよう。「去年の消費者物価5年ぶり上昇、12月完全失業率は3.7%、年金支給額を4月から引き下げ、税制改革 来月にも検討開始へ」これはお昼のこと、夜19時になると「消費者物価指数5年ぶり上昇、有効求人倍率1.1」と加わる。発表は事実だから仕方がない。

その裏付け映像が「全くその通り」と言わんばかりの映像で構成されるので参ってしまう。本当に日本中が好景気に沸いているなら、俺だけが取り残されてしまったと悲しくなってしまう。今日昼飯を食いながら食堂の親爺と話をした。食いもの屋は随分潰れているし、近くのスーパーでも値下がり時間を待って買う客は、ここの親爺以外に沢山いるそうだ。世の中の流れに取り残された者同士の会話でもなさそうである。マスコミの目は何処に向いているのだろう。