2021年9月30日木曜日

古巣を顧みて

 また月末になってしまった。唯一の取り柄はコロナに関して出ていた緊急事態宣言なるものがやっと終わるらしい。やっと食事の時に飲みたければビールの1杯を注文できる。飲料の販売に関わる職業の人も喜んでいるだろうが、こちらも同じ気分と言える。しかしコロナの先行きに関して政府が保証できるものは何も無いのも明らかだ。なんと言っても新規感染者が減ってきている理由は誰にも明確に説明ができないからだ。

要するに「後は野となれ山となれ」の解除だから、年内にまた宣言発出となる可能性を指摘する専門家もいるが、マスコミは取り上げない。まるでコロナ問題は終わったかのようだ。新規陽性者は確かに激減しているが、自宅療養中の患者は未だ3万人を越しているのだ。マスコミの問題意識はその日暮らし、過去の検証も将来展望も関係ないことがよく分かる。何度も指摘してきたが、マスコミも自らの存在意義を意識して読者視聴者にアッピールしないと、巡り巡って最後は自分が潰れてしまうのではないか。

大手の新聞社や放送局の社員は、自分の会社が潰れるなんてあり得ないと思っているのだろう。街中から書店が次々に姿を消しつつあり、出版物の売上が減少している事実は承知だろう。新聞だってサンケイなんかとっくの昔に一度潰れている。毎日なんかも似たようなものだろう。朝日や読売なら安心かと言えばそうではあるまい。全国紙の勧誘が連日郵便受けに入っているので、これが減っているのもよく分かる。

先日久し振りに新幹線に乗車した時に新聞を買ってみた。内容の薄さは勿論だが、広告の薄さも哀れを誘った。テレビもチャンネルは増えているが観たいと思う番組が本当に少なくなっている。半ば強制的に視聴料を払わされているNHKも6チャンネルあるようだが、ずっと毎日観ている19時のニュースくらいだ。この時間に合わせて首相記者会見がライブで放送されることが最近しばしばあるのも腹立たしい。要するに内容が薄いと思う。娯楽番組も観たくなるような番組が無い。

他界した親父がずっと楽しみにしていた日曜日の「素人のど自慢」も最近はコロナの影響で開催出来ないらしい。最近はBS1で「時論・公論」を毎朝5:50から10分間観るようになったのが唯一の取り柄かもしれぬ。一方民間放送は目も当てられるぬ。番組構成は10年1日の上、出演者がご粗末すぎる。これは放送局を取り巻くヤクザな芸能界を思えば仕方ないのだろう。広告も借金関係や葬式関係のコマーシャルの多さには辟易するばかりだ。

マスコミ界で飯を食わせてもらったくせに、つまらぬことばかり書き連ねてしまった、反省しよう。

2021年9月29日水曜日

思わぬ落とし穴

 季節につきものだから仕方ないが、台風が関東に接近中とのことで昨日からテレビはずっと騒いでいる。その割には少なくとも都内では台風の気配は殆ど感じず厳しい残暑が続いている。それとは全く関係無いだろうが、世界も日本も経済の先行きが大分おかしいみたいだ。先ず大きいのは中国のこと、不動産大手の恒大集団の経営不安が国内外に如何程の影響を及ぼすか知らぬが、昨夜の報道からはエネルギー不足が大きく報じられている。

何でも、政府の温室効果ガス切り下げ政策の影響を受けて、石炭の産出量が激減、価格高騰の影響で石炭火力発電量不足が起きて東北方面で深刻な電力不足が起きているらしい。この影響は一般家庭のみならず産業界にも深刻で日本を含む多くの海外企業が大巾な減産に追い込まれているとのこと。中国の石炭火力はエネルギー供給の60%を占めているのが現状でありながら、一方で習主席は中国のCO2排出について、2030年までにピークを迎え、60年までに実質ゼロにするということを昨年来示している。

半ば国際的なこの公約が、絵に描いた餅のようなものでありながら、習政権は強引にその目標実現を現実化しようとしているのだろうが、結果がこんな悲劇を生んでいることをどのように判断し、辻褄を合わせるのだろう?他国のことながら大いに気になり始めた。似たようなことが欧州にも見られる。イギリスのガソリン不足問題だ。目下何かと支持率の低下に悩むジョンソン政権は、本件は些細な問題で、軍隊の協力も得てすぐ解決するから、と国民に呼びかけてるらしい。

しかし事がそんなに簡単に収まるか否かは今のところ不透明な状態だ。何故ならこれも遠因が先年実施されたブレグジット(EU離脱)にある故だ。意外な因縁となるが、EUメンバーだった時代にガソリンを運んでいた大型トレーラーのドライバーが英国から居なくなったため、ガソリンの運搬に支障が生じたことが原因らしい。佐川急便やヤマト運輸等、我々も日常的に様々な運送業のお世話になっているが、大型トレーラーのドライバーはどこの国でもそんなに沢山は居ないのだろう。

産業や経済は思わぬところに落とし穴があるものだ。今回は落とし穴かとの推測でエネルギー問題を取り上げてみた。エネルギー問題は何もこの2国に留まらない。知る限りでも欧州にもあり、アメリカやロシアにもあるかもしれない。まして日本に於いても原発をどうするかは大きな問題だ。今日たまたま電気とガスの9月分引き落とし金額が送られてきた。合計10620円也。これが安いか否かであるが、8月分は8420円だから未だ暖房を使っていないのに大分高くなっている。ちょっと不思議だが気を引き締める必要がありそうだ。

2021年9月28日火曜日

いい気なものだ

 関係の無い小生なんかにはただ騒がしいだけの自民党総裁選挙、オリンピックの騒ぎ以上に迷惑以外の何物でもなかった。やっとこれも今日で終わるらしい。国民の1%にも満たない党員とやらを対象にしたこの馬鹿騒ぎのお陰で、自民党の支持率が回復して、次回総選挙はひとまず安心と大半の現職議員が胸を撫で下ろしているとマスコミは報じている。選挙の結果は誰が当たりくじになろうとあまり関係無いらしい。僅か1年ほどで首相が二人国民の支持を失って退陣せざるを得なかった政党が3人目の首相を出せるとなれば喜ぶのも当然かも知れぬ。

これを見て思うのは、日本は果たして民主主義国家と言えるかどうかだ。専制国家か?と問われればそうでも無さそうだが、民意が正確に反映されてるとは言い難いのではないか。民意が反映されにくい理由は幾つかある。一つは政権に依って情報が恣意的に歪められて一般市民に届かないことだ。これはマスコミにも大きな責任がある。マスコミの中には政権に依るこの問題を時折指摘する向きもあるが、殆ど全てが一過性であって、徹底追及の信念で追いかける姿勢は見ることが出来ない。

もう一点は、国の形となっている三権分立が機能していないことにある。司法、立法、行政の間に立つべき壁の存在が曖昧で、国権の最高機関とされる立法府の機能が極めて脆弱になっていることだ。ここは国民から投票に依って選ばれた人達に依る議論の場でありながら、議論の内容が極めて形式的であるのは仕方ないとしても、内容の希薄さは覆い隠すことが出来ないほど劣化している筈だ。筈だとしたのは歴史に残りそうな演説を聞いたことがないからかもしれない。

歴史に残るかどうか分からないが、耳に残っているの田中角栄氏とか浅沼稲次郎氏とか春日一幸氏といった時代の政治家の声のみだ。残念なのはこちらがあまりに無知蒙昧だったので、彼らが話した内容を全く記憶してない。最近20年くらいはようやく物心がついて少し内容を消化するようになったが、政治家自身が内容を自分のものとして訴えてくるように感じた演説は少ない。政治家の出す音(とても言論と言えず)が殆ど芸能人の発する声と同様、国民に媚びてるように感じられる。

第三点はより大きな問題と言えるが、アメリカによる占領政策が続いてる問題。これが戦後社会の根幹にあって、日本の全ての規範が損なわれているのかもしれぬ。日本人が米英を主たる敵として戦争し、しかも負けたにも関わらず豊かになれたのはアメリカのお陰であるのは確かかもしれぬ。だからと言って日米関係がこのままであれば、我が子孫は永遠に救われず奴隷状態のままだ。この関係打破を問題視しない政治家もマスコミも真の値打ちは無いに等しい。

2021年9月27日月曜日

断捨離のすすめ

 日本年金機構から「重要書類在中」と仰々しく特筆大書された分厚い封筒が郵送されてきた。何事ならんと開封すると中身は「扶養親族等申告書」だけのこと。これが毎年必要なことはずっと前から知っている。何故なら未だ家内がこの世に居た頃、ハガキに切手を貼らずに投函して返送されてきたことがあり、家内に怒られた記憶があるからだ。いつからこれが封書になったか記憶が無いが、兎に角今回は84円切手が必要だった。

年金機構の事務予算がどの様になっているか知らぬが、数年前までは往復はがき(但し返信部分に切手が必要)で済んでたものが、今回送られてきた書類の量は莫大で、その殆どが廃棄されるものだ。このことでデジタル庁に関する様々なことに思いが至った。安倍政権時代か菅政権になってからか記憶が曖昧だが、デジタル担当大臣が誕生して先月デジタル庁が発足した。多くの国民もそうだろうが、この意味が全く分からない。

屋上屋か無用の長物の典型だろう。何をするか誰も注視していないから良いようなものかもしれぬが、マイナンバーカードと健康保険証を合体させるなんて言っている。(健康保険については、国民皆保険と言われる日本で、コロナで病院外で死亡した人が既に800人以上になっている問題があるが、話が飛躍しすぎるので今日は措くことにする。)ところがマイナンバーカードなんてものを所有する人は未だ40%に満たないとのこと。

マイナンバーカードの発行は市区町村の自治体だから、デジタル庁が出来ても発行を促進することにはならないし、全国自治体のデーターを統一する手段も未だ目処が立っていないようだ。これでどうすれば健康保険証との合体が図れるのか、出来もしないことをさも出来るかのように言うのは、宣伝に非ずして詐欺に近い。そんなことを言えば自民党総裁選に立候補して毎日テレビカメラの前で喋っている諸氏は皆詐欺師になるから可哀想かな。

何も年金機構やデジタル庁だけの問題ではない。事程左様に政府のしていることは間が抜けていたり、現実離れしていることが多い。新しいことを始めて余計な手間をかけるより、コロナ関係で増えに増えた大臣や、諮問機関委員の断捨離でもして効率化の実を取るほうが先だと思う。

2021年9月26日日曜日

読後感「開放された世界」H.G.ウェルズ著 浜野輝訳

 感想を書く前に本書を教えてくださったブログ友達の無無無庵2『(むさんあん) - 思考が無く - 躰が無く - 心が無く』にお礼を申し上げたい。

面白いSF(科学空想)小説とのことで興味を惹かれ、1997年発刊の岩波文庫版をアマゾンで購入して読み始めた。著者は英国人で本書は1913年に書かれている。普通本を読み始める前に<まえがき>を読むが、本書は古い故かどうか、まえがきがかなりの量だったので、いきなり本文を読み始めた。始めは人類の起源から当時の文明開化に至る人類史的考察から始まり、19世紀末から20世紀初頭に掛けて科学技術の発展がついに来るところまで来てしまった。との感慨がまともに書かれている。

そして本書の主要登場人物(ホルステン少年)が1933年(本書が書かれた20年後)に人工放射能を発見、「太陽をつかまえてやる」と叫ぶのだ。ここまではプレリュード(前奏曲)で、この後から第1章が始まり第5章が本文となっている。目次を羅列する。第1章「新しいエネルギー源」第2章「最後の戦争」第3章「戦争の根絶」第4章「新しい段階」第5章「マーカス・カレーニン最後の日々」

著者は第1次世界大戦の前夜に原子爆弾の原理を理解し、尚、それが実用化された時にその破壊力が人間社会に齎す脅威を十分に予測して、小説として書き進めている。即ち、20世紀なかばの人間社会は愚かな世界戦争となり、結果的には自然は破壊され、人口的に構築されオランダの堤防は決壊しするし、大半の人間は死に至るだろうが、生き残った少数の人間は目覚めて世界政府を構築すべく協力し合うことになる。

第5章が非常に暗示的で、戦争以前にあった人間社会の様々な生態(言語とか社会体制とか)と行動様式を乗り越えて世界平和をを築くことの困難さが記される。それはヒマラヤの山中奥深くに建設された研究施設または病院といった場所、数千人の科学者が勤務する場所にヘリコプターのような航空機で送られてきたカレーニンと言う人物が主役。彼は障害者であり、重病も抱えて手術を待つ身。

このベッドの中で彼は医師や看護婦たちと人間の基本的人権や今で言うジェンダー問題、宇宙開発などについて様々な意見を交わし、手術は成功するが、1週間後に、治りつつあった手術の傷跡から血の塊が心臓に逆流して死に至ってしまう。となんとも暗示的ではないか。

本書の著者ウェルズの発想も凄いが、更に驚異的なのが訳者浜野輝氏だ。本文の後に書かれている「ウェルズと日本国憲法」こそこの書の肝、正にウェルズの気持ちを正確に伝えるものと言えよう。小説というより非常に分かりやすい哲学書のような書物だった。氏は1928年生まれであることは分かったが、没年は不明。現存されてるかもしれない。

2021年9月25日土曜日

印象上の問題

 政治問題については分からないことが多いまま、折に触れてここでも取り上げてきた。特に外交問題となるとその分からなさは一層深くなる。しかし今日は兼ねて気になっていた米中のファーウェイ問題。ファーウェイ製品のスマホとタブレットを使っているからだが、特に気になっていた。ファーウェイは5G と言う通信技術の先駆者で、中国以外に中東から欧州やアフリカまで市場を急速に拡大し、他社が追いつくには数年掛かるとか、或いは永遠に追いつけないだろうと言われていた。

ところがこれに反発したのがアメリカで、この技術格差に因縁をつけるのにトランプ大統領も関わっただろうが政治力を用いた。アメリカの制裁対象になっているイランとの取引をしたとか、秘密漏洩か何かが詐欺に当たるとか、素人目にはさっぱり理解出来ぬが、兎も角、副社長であった社長夫人孟氏をカナダ政府に逮捕させてカナダに軟禁状態にしていた。経済問題を犯罪と断じて経営者を逮捕とは老人の常識では考えられぬ。正に「何でもあり」のアメリカ式かもしれぬ。(中国は即座に反発、カナダ人ジャーナリスト二人を逮捕勾留している)それが今回急に米中で司法取引が成立して双方が釈放されたのニュースだ。何が何だがさっぱり分からないが、米中間で何らかの取引が成立したことだけは間違いない。

日経の記事によれば次のようにも書かれている。「一方、中国は孟氏の帰国だけでなく、ファーウェイなど中国企業への制裁解除を求めてきた。ファーウェイは24日、米国の輸出規制によって21年のスマートフォン事業が300億~400億ドル(約3兆3000億~4兆4000億円)の減収になるとの見通しを明らかにした。米国側は強力な交渉カードを温存したままだ。」米中はインド太平洋海域なんてどこのことか判別も出来ず、しかも航行した日本人が何人いるかもわからない大洋の制海権を巡って軍事的に激しく対立し、経済的にもアジア諸国の商圏を巡り訳の分からぬ闘いをしてるようにも報じられている。

日経の記者もどこまで理解してるか知らぬが、このようにも言っている。「バイデン政権内では対中政策を巡り、硬軟両論が浮上する。強硬派は中国への新たな制裁を視野に入れた調査の開始を検討する。穏健派は脱炭素で中国との連携を優先する。米中が水面下で出方を探り合う展開が続く。バイデン大統領は中国の習近平国家主席との首脳会談実現を探る。中国側が訴えてきた孟氏の解放を認めることで、秋波を送る形になる。」この引用は文章の順番を多少入れ替えている。

こういった動きと現在ワシントンで行われている日、米、豪、印の4ヶ国首脳会談がどのように関係してくるのか理解できる人が居たら是非ご教示願いたい。勝手な想像だが、我々日本人はマスコミ報道によって米中の駆引きを必要以上に険悪に印象付けられているかもしれぬ。

2021年9月24日金曜日

遺言

 これから似たような日が増えるのだろうが、今朝はブログのネタが思いつかず困ってしまった。今やブログが数少ないルーチンワーク、昼前には少なくてもテーマを決めて少し書いてみる習慣になっている。朝6時頃からワールドニュースを観ないまでも、モニターに背を向けながら音を聞き、7時からは飯を食いながら観ることにしているので、世界の動きは凡そ分かる。後片付けをしながらもテレビワイドショーも何となく観てるし、9時頃からはパソコンを立ち上げてメールをチェックする。

これで世の中の動きはだいたい分かるので、その中からテーマを適当に選ぶのが普通のパターンになっている。ところが今日は10時頃になっても因縁の付け所が無くて弱ってしまった。仕方ないから散歩にでも出かけようと、池袋から地下鉄で竹橋まで行って昼食を摂った後で皇居を半周してみた。なにか思いつかぬか考えながら歩いたが、100メートルが非常に長く、とても1分やそこらでは歩けないことが改めて分かったことぐらい。北の丸公園から飯田橋に出ようとしたら武道館前で交通止、しかたなく戻って桜田門まで半周した次第。

有楽町線に乗り込み、ふと前を見ると週刊現代の小さな広告が目に入った。ああ、週刊誌も遂にこんな小さな広告になったか、と思いながら目を凝らしたが、目が悪くなっているので小さな文字が読めない。千川駅で下車する前に立ち上がって態々反対側に歩み寄り、前に座っていたお姉さんが変な顔するのを無視して読むと大変ためになることが書いてあった。最後の最後にテーマが見つかったので早速披露させてもらう。「人生最後の選択」である。

確かに80歳を超えれば様々な問題は人生最後の選択かもしれない。宣伝文句は次のように書かれている。「終の棲家、富、墓、健康診断やクスリとの付き合い方、老人ホーム、再婚、生前贈与・・・・人生の終盤に迫られる選択は一度間違えるとやり直しがきかない」実にうまい文句だ。実はブログを書くために最新号を大枚540円払って購入したが、宣伝文句で一番印象的だった記事が見当たらない。

それは「遺言は書くな。書いたら終わりだ」書かなきゃいかんかなと思っていただけに強烈だった。540円損したような気もするが、編集子の言わんとするところは「年寄は余計なことを考えるな、するな。」に尽きるのかもしれぬ。先日次女も似たようなこと言っていたような気がする。

2021年9月23日木曜日

北朝鮮のこと

 先日上高地に同行した次女が言うには「金正恩氏の影武者説」何でも太り方ではなくて、顔の目の位置がこれまでと違うのだそうだ。面白い見方があるものと感心して聞いたが、今日ネットにも影武者説が流行しそうとの記事があった。ことの発端は今月9日に行われた軍事パレード。参加した兵士は1万人以上。広場には、多くの一般市民も集まっている。だが、マスクを着用している人は誰もいなかった。但し、その後イベントに参加したすべての人が翌9月10日から15日間の「自宅隔離生活」に入ったとされる。

参加者の中でリハーサル中からかなりの症状を示していた人も居たようだが、休みを認めず薬を飲ませて強引に強行したとも言われる。何を考えているか分からないが、随分無茶なことをするものだ。以上は「フライデー・デジタル」からの引用だが、最後は次のように締めくくられている。「体調万全をアピールするために、「影武者」を使っているという噂もある金正恩氏。クラスター発生が事実ならば、健康不安説が再燃しかねない。」次女の主張も満更根拠がない話でも無さそうだ。

兎に角、北朝鮮については長いこと政府が拉致事件を最重要課題として上げているが、とてもそれに見合う動きは伝わってこない。たまたま今朝NHK/BSプレミアム「アナザーストーリー:朝鮮南北会談実現まで」(タイトルは不正確かもしれぬ)韓国の金大中氏と北朝鮮金正日氏の会談実現までのドキュメンタリーを観た。主役の二人は既に他界してるが、関係者は韓国国内に現存しているのだ。同民族でありながら長年敵対してきた隣国同士の最高指導者の物語で非常に見応えがあった。

即ち、異なる事情を抱える異国のこと。たとえ言語を同じくする同民族でも接近は容易でないし、まして交渉事には表裏様々なことがあり、とても一筋縄ではいかないことがよく理解出来た。日本は韓半島とは海を隔てているのも事実、接近は更に難しかろう。どんなルートで接近を試みてるか知らぬが、アメリカを頼りすぎているように見えるのは僻目だろうか?


2021年9月22日水曜日

勝手な言い分

 今日は少し蒸し暑いがすっかり秋の気配で、日が極端に短くなった。特に夕方の太陽の沈み方の速さは正に釣瓶落としだ。昨日早めの夕食を池袋で済ませ、明るいうちに帰宅と思ったが、6時頃帰宅すると既に真っ暗、日暮れが早くなったことを実感した。ただ残念なことに中秋の名月、しかも満月だったようだが見逃してしまった。

最近コロナの感染者が急速に減ってきたことは実にご同慶の至りだ。やっと今月末には飲食店でも制限が少し緩和されるだろう。個人的には喉から手が出るほど渇いていたわけではないが、やはり食事の際アルコール類が一切ダメは味気なさすぎる。たまには大勢は無理だろうが、友人との会食も出来るようになる可能性がもある。ただ残念なのは、新規感染者のピークアウトの原因がハッキリしないことだ。

政府関係者にすればワクチン接種率の拡大が功を奏したと思いたいだろうが、どうもそうとは断言できないらしい。専門家の中には東大の児玉龍彦教授のように、ウィルスの変異によって一定の株ごとに自壊作用が起きるとしたものだから、今後別の変異でまた新たな山が発生することも起こり得るという人もいる。要するに素人は分からないのだから、もう暫くは慎重な行動をするしかあるまい。

高齢者は当然そうするだろうが、若い人たちはそうも行かない。制限緩和となればそれなりに張り切るだろう。仕事をサボって選挙ごっこに明け暮れて給料が貰える自民党議員なんてほんの一握り。仕事に精を出さなければならないのが大多数の人たちだ。我が次女も上高地から帰ると俄然働く意欲が湧いたみたいで就職活動に邁進してるらしい。

アメリカ・ニューヨークでも国連総会が開催されて、今年は約100カ国の代表が会場に来て演説をするそうだ。菅首相が招待されているらしいが、来月半ばには退陣が決まっている首脳が国を代表して演説なんてあり得るのだろうか?既にアメリカや韓国の大統領が演説をしたようだ。韓国ムン・ジェイン大統領が、韓半島の終戦宣言のために、力を結集するよう呼びかけたのは理解できる。

しかし米国バイデン大統領の演説は随分勝手な言い分だ。先ずはアフガン政策の失敗で一言あるべきと思うが、何も無しでいきなりインド太平洋地域の同盟国などとの連携を強化して新たな脅威に向き合っていくと言いながら、「新たな冷戦は望んでいない」と述べて対立を望むわけではないと強調したとのこと。これこそ矛と盾を売りつける商人の常套手段ではないか。

2021年9月21日火曜日

AIの勝敗予測

 孫の一人が現在大学院生で、学んでいるのが人工知能、所謂AIなるものであるのは承知してる。何度か話を聞いてるが実際は何も理解出来ていない。知能と言うからには応用範囲は広いのだろうが、知っているのは囲碁ソフトがこれによって急速に発達、遂に人間の知能を上回って世界中のプロ棋士が師匠として利用し始めていることだ。いま暇つぶしに1914年に書かれた英国のSF(空想科学)小説をポツポツ読んでいるが、科学も進歩しすぎるとあまり嬉しくないことが起こりかねない。

囲碁ソフトもその典型で、毎週日曜日に楽しみに観ているNHK囲碁トーナメントが最近興味が半減してきた。と言うのは番組プロデューサーが余計なことを考えて、AIに依る勝敗予測を画面に導入しているのだ。この番組は1時間半、初手から終局までの約百数十手を一流のプロ棋士の解説付きでの放送になっている。素人としてはその解説に興味を誘われるし、参考になることも多い。囲碁は勝負事だが、プロ同士の戦いは素人には最終局面まで勝負の行方が分からないことの方が多かった。

このことが囲碁への興味を深めてくれるのだが、AIに依る1手ごとの勝敗予測は全く小さな親切、大きなお世話だ。解説者のプロ棋士はAIの予想など気にするなと口を揃えて仰るが、凡人は目に入る予測が気になるのは当然のこと。世の中は1寸先が見えないのが当たり前で、先のことがよく当たる人もいるし、小生のように、かくあるべしと予想することは大概外れ、こうなってほしくないと思うことが殆ど現実化してしまう。これは日頃の行いかもしれぬ。

何れにしても明日がどうなるか分からないから、曲りなりにも懸命にに今日を生きる努力をしているのが普通の人だろう。AIが科学技術の進歩を促進する面がありそうなことは理解するが、無人で飛行機を飛ばしたりして、人間の代わりに戦争を激化することだけは止めてもらいたい。カリフォルニアで操縦していたドローンがアフガニスタンで無辜の市民を誤爆したことをアメリカ軍高官が謝罪した。ゴメンで済むような話ではないと思う。

2021年9月20日月曜日

足に来た

 穏やかな秋の陽差しと爽やかな風が吹いている。あれほど大騒ぎであったコロナ禍も少し収まりつつあるようだ。アメリカや欧州各国もコロナ禍は完全に克服できていないが、それでも経済を徐々に活性化する方向に向かっている。アフガニスタン首都カブールも何となく落ち着きを取り戻しつつあるようだ。北朝鮮も少し元気を取り戻したようだし、ロシアの総選挙も一応は与党が圧勝した。一見するに内外ともに小康を得たかのように見えるが、嵐の前の静けさでないことを祈ろう。

我が身はいつもと変わらぬ日々だが、友人が面白い歌を教えてくれた。「春と思えば夏が来て/夏と思えば秋が来て/所詮最期は寒い冬(必殺仕事人)」転じて「古稀と思えば喜寿がきて 喜寿と思えば傘寿が来て所詮最後は墓の中(人生断捨離)」だそうだ。最後は決まってるにしても今日という日を楽しまずには居られないが、残された日がそう多くないことだけは実感するこの頃だ。今日も散歩をしながら先日も山で転倒した事を考えた。

人は足から衰えると言われるが、本当にその通りだ。普段歩く距離(歩数)だけは意識して、昨日と変わっていないなんて喜んでいたが、これが大間違いだった。肝心の大腿四頭筋と言われる太腿の筋肉が物凄く劣化(硬直化)してるようだ。少し前から、山で内股の筋肉が急に硬直してしまうことが頻発するようになっている。その度にツムラ68【杓薬甘草湯(シャクヤクカンゾウトウ)】を飲んで誤魔化してきた。

先日の転倒の原因もその延長にあることにやっと気がついた。普段舗装道路ばかり歩いているので足が上がらなくなっているのだろう。今回は歩いた距離が大したことがないので筋肉痛は起こらなかったが、代わりに何かに躓いたに違いない。顔面は辛うじて何もなかったものの、帰宅して風呂場で確認すると身体中傷だらけ。特に右膝を打っているので下半身に力が入らず、3日間は足が震えていた。

整形外科医や接骨院の先生たちは、年をとっても筋肉は鍛えることが出来るという。確かにそうかも知れぬが、自分にはもうそれは無理そうだ。気をつけないと、そのうちには畳の縁にもつまずくようになるだろう。

2021年9月19日日曜日

不器用者

 台風一過でやっと気持ちの良い秋晴れとなった。子どもたちには運動会、大人たちには墓参りや行楽にと何かと楽しみの多い季節の始まりの筈。ところが日本は相変わらずコロナの影響が長引いて、それもままにならない。大人のテレワークは未だ当分続きそうだし、田舎は少ないだろうが、都会の小中学校ではリモート授業が強いられているところも少なく無さそうだ。

大学生でさえリモート授業では内容を理解する程度が下がると思われるが、小中学生にリモート授業で教育効果は半減以下になるだろう。昨夜の高校同期生とのリモート懇談会で、高校時代に学業やスポーツに秀でた友人たちが話題になった。優秀だった人たちがどこかで並以上の勉強をしてたことだけは疑う余地が無さそうだが、中には授業中に一切ノートを取らない人も居たらしい。そんな秀才児童であればリモート授業でも良いだろうが、普通の児童には通用しないだろう。

リモート懇談会に参加してる友人の中にはパソコンモニターを2台並べていると思われる人や、パソコンとタブレットやスマホの複数を器用に使いこなしている人がいる。確かに話題をすぐに別のデバイスで検索できたりするので非常に便利であるのは間違いない。非常に羨ましく思うが、残念なことにこの芸当がどうしてもできない。元来不器用で、未だにキーボード操作が満足にできないのだから困ったものだ。既に八十路を越してるから誰にも文句を言われずに済んでいるが、義務教育中の生徒だったらたちまち落第生になるところだ。リモート授業が教育格差を生むことだけは確かだと思う。

現在マスコミは自民党総裁選挙で持ち切りになっている。昨夜も話題になったが自民党員はたかが110万人、全人口の1%にも満たない。自民党員が特に上級国民でもないし、自民党政権が国民の支持を失い下野せざるを得なくなったのに、国民の1%に満たない連中が代わりの頭を決めることで大騒ぎになっている。政権の下野は頭一人の責任で、閣僚や政権を構成した政党の責任は一切無いようにさえ見える。友人の一人が発言「候補者は先ず前政権で国民に迷惑を掛けたことの詫びるべきだろう。」

この意見は全く同感だ。なのに前政権の閣僚やその前の安倍絵政権での閣僚たちが、胸を張って「政治を変える」なんて言っている。この言葉に大いなる嘘があるのは誰にも否定出来る筈がない。「政治を変えるポジションに居た時、あなたは何をしていたの?」との疑問を呈するなら兎も角、この無責任を認めるマスコミも大いに反省をしてもらいたい。だから小生は「日本唯一のクオリティーペーパーは日刊ゲンダイ」と言い続けている。

2021年9月18日土曜日

木に竹を接いでも

 勝ちっこないから好きに言わせているのかもしれぬが、自民党総裁選に立候補した野田聖子氏、人口減少問題を真っ先に口にした。森友問題の再調査も中国のTPP参加問題も前向きに考えるそうだ。政治家と1度離婚歴を持ち、その後元暴力団員の男を夫とし、夫と無関係な精子から借り腹で子供を授かり、しかもその子が障害児だったにも関わらず母として育てているとのこと(娘に教えてもらった)。小泉純一郎の郵政改革には反対して離党をしたし、エセ学者の竹中平蔵氏を嫌っているらしい。常識では測れない人だ。

離党前には当時閣僚史上最年少の37歳10か月で郵政大臣に抜擢もされているし、復党してからの活躍も並ではない。総務大臣では高市氏のはるか先輩だし、離党前から余程実力を評価されていたのだろう、男勝りの根性の座り方だ。こんな女性が小石川(小泉進次郎・石破茂・河野太郎)と称される根性無しに負けるとはもったいない。頑張れと声援を送ろう。しかしいくら市井の爺一人が声援しても当選することはない。当選すれば自民党が自民党でなくなるし、野党だって不要になってしまう。自民党とすれば、むしろこのことで自民党なる政党の幅が出ると、積極的に野田氏を煽っているのかもしれぬ。

窮すれば真反対の社会党と組んでみたり、悪魔と呼んだ新興宗教団体の公明党と未だに手を組んでいるではないか。今更幅が出れば良いという訳でもあるまいに、これで世間を騙せると思うなら、自民党の無節操ぶりはオレオレ詐欺集団と大差が無いと言われても仕方あるまい。今日の昼間、公共放送の電波を多分無料でだろうが使って、4人の候補者が討論会のようなことをやっていた。食休みも兼ねて45分くらい観たが、やはり一味違うのは野田氏だった。残る3人では前政権の嘘は究明できないだろうし、結局似たようなウソを付くことにならざるを得ないだろう。

*昨日の続き

今週半ば1泊2日で久しぶりに訪れて浩然の気を養うことが出来た。上高地は、1934年から国立公園に指定された中部山岳国立公園の中心に位置する高原であり、信州人である以上必ず一度は行くべきだと今は思っている。ところが、山好きのくせに天の邪鬼だったので、実際に行けたのは満66歳の2006年だった。ここの素晴らしさは自然保護が徹底されていることに尽きるように思う。最近は多くの山で駆けっこの真似事をする人や犬を連れた人を見かけるが、これが全く無いこと。アルプスを舞台にしたレースも上高地は外している。

詳細は下記を参照

https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-3524058.html

2021年9月17日金曜日

上高地

        

久しぶりにブログも忘れ、メールも一切見ずにまる2日間高原に遊んだ。列車や宿泊の予約も必要なので、エイやと日程を決めたのは大分前のこと。8月末だったかもしれぬ。同行してくれることになっていた次女の了解も取らずに決めての事後承諾だった。9月12日が期限となっていた東京の緊急事態宣言は解除されないだろうと予測していたが、娘も2回のワクチン接種をとっくに済ませていたので、どうしても行くことにした。

ところが先週末になると今度は天気が怪しくなってきた。山で雨に遭遇するのは慣れているが、娘は初めてだから電話をしてあれこれ、例えば100円ショップのカッパでいいから用意しろとか、指示をしたものだ。火曜の夜の待ち合わせなどの最終確認の際も色々言ったが、娘は「そんなに心配しなくて大丈夫そうよ。」と割合平然としていた。1昨日早朝、生ゴミをいち早く出して6時に家を出発、池袋まで足慣らしをして新宿に向かい、7時15分の待ち合わせまでに時間が余ったので、朝飯の握り飯を買い込み、久しぶりに朝刊を読む。

新宿発7:30の特急あずさで松本に向かい、松本電鉄に乗り換えようとすると松電の途中の橋が流され運休で振替バスに乗車が必要になったことが分かった時はバスがちょうど発車する時刻。何とも幸先の悪い出足で、仕方なく新島々までタクシーを利用。すると今度は時間が早すぎて、30分以上待つ羽目に、結局予定通りに昼過ぎに上高地に到着することが出来た。4年ぶりの上高地は快晴で、人影が少ないから高原情緒は満喫可能で娘も大喜びだ。

午後は小梨平のキャンプ場の食堂で昼食、その後は高原を散策しながら明神池までを往復。これまで何度も来ていたが、穂高奥宮や明神池や嘉門次小屋をゆっくり観たのは初めて。娘も明神岳を仰ぎ見る奥宮の鳥居の前で「次男も彼女とここに来て結婚に至れば良いのに。」なんて冗談か本心か分からぬ発言を。合計2時間半から3時間位のウォーキングだが気持ちがリフレッシュできたことだけは間違いない。

翌日も快晴、穂高連峰を照らす朝日がまばゆい限り。娘が帰りのバスを心配してたので早めに朝食を済ませて8時過ぎにはチェックアウト。バスセンターで14:05発の便を予約(4年前に来た時にこんな制度あったかな?)。6時間での行動を協議。娘はこちらにお任せではあるが、昼食はこの河童橋近辺で摂ることとすると、片道2時間を厳守しなければならない。昨日は梓川流域の沿ったウォーキングだったので、今日は更に高い位置から上高地を俯瞰しようと、岳沢小屋小屋方面を歩くことにする。

小屋まではコースタイムでも2時間半なので無理だが、少なくても上高地を俯瞰できる地点までは登ろう、と合意。前穂高を目指す本格的登山者が歩く道を約2時間歩き、岳沢のガラバにも立って登山気分も味わい10:30に引き返した。ところがその帰り道でこちらが転倒、大怪我こそ無かったが危ないところだった。娘は「引き返す前に30分くらいは休むべきだった。」と後で言ったが、全くそのとおりだろう。       

*詳細は明日ヤマレコにアップします。



2021年9月14日火曜日

政治家のお仕事

 台風が接近してるのか、天気が芳しくない。自民党の支持率は上昇傾向だと言うし、面白いことが何も無い。本当に野党がだらしないのが悔しい限り。昨夜のテレビなんか見てると、枝野氏よりいつもテレビで見慣れている長妻氏の方がずっと風格を感じるが、集団の中での位置付けは外野からは伺いしれない何かがあるのだろう。誰が総裁になろうと関係ないが、総選挙前の国会論戦だけは楽しみだ。

未だ候補者は3人だが、石破氏も偉そうに言ってた割にはハッキリしないと言うか、ハッキリ出来ない事情があるのかな。先日最低の候補と悪口を書いた河野氏と組みそうな気配を見せているが、幹事長になれなかったらどうする気だろう?昨夜のテレビ報道では8月末には年末の総選挙で自民党は80近く議席を減らすとの観測だったが、菅氏の政権投げ出しで先に述べたように支持率が急速に回復、直近の調査では30議席減で止まりそうとのこと。

我が選挙区の自民党候補は鈴木隼人氏、東大から経産省経由で議員となり、奥方はセガサミーホールディングスオーナーお嬢さん。趣味がスキーと来れば、会ったことはなくても大凡の想像はつく。先日IR事業関連の汚職で実刑判決が出た秋元司氏の二の舞になりかねない。横浜市は市長が野党に変わってIR事業から撤退すようだが、競馬、競輪、からパチンコまでギャンブルに事欠かない日本でこれ以上ギャンブルは要らぬだろう。

4年前の選挙で立憲民主党の候補者、鈴木庸介氏に清き1票を投じたが、こちらは立教からNHKで報道記者だったジャーナリストの端くれ。鈴木同士の戦いで、自民党が9万票、立憲は7万票だからその差は2万。かなり大きとは言えるが、彼はよくこの辺を回っているので、今度も応援しようと思っている。しかし最近は自民党候補者のチラシ大分郵便受けに入るようになったし、ポスターも多くなってきた。当初菅氏の写真入りだったが、最近は茂木外務大臣とのコラボだ。

我が家の近くは共産党も結構多いので、うまく共闘が進めばひょっとするかもしれぬが、ポスターの数からするとそう上手く運ぶかどうかは相当疑問だ。両者とも年齢は40歳になるかなったかといったところ。体力は立憲の鈴木氏の方に分がありそうだが、資金力では圧倒的に自民の現職が強そうだ。

これも昨夜のテレビで観て、そうあるべきだと思ったのは、有権者宅を1軒1軒の戸別訪問。しかし1日に100軒回っても、1ヶ月で僅か3000軒だ。48ヶ月(4年)でやっと14万4千軒。他には早朝から駅立ちをするとか、このように考えると、やはり政治家なんてなるものじゃない。

天気はイマイチですが、明日と明後日次女をお供に上高地に行きますのでブログは休みます。

2021年9月13日月曜日

国民総背番号制

 暑さ寒さも彼岸まで、とはよく言ったものでかなり秋らしくなってきた。次々に発生する台風もお決まりだが、なるべく日本に接近しないことを祈ろう。いつかブログで取り上げようと思ってデスクトップに置いてあるメモが増えてしまった。中で一番古いのは5月21日の日付になっているので、これを読み直してテーマにしたい。大手町に自衛隊が運営するワクチンの大規模接種会場が設置された頃のことで、防衛省を始めとする役所のシステムの脆弱性を論じている。

現在進行している自民党総裁選立候補者のお題目を聞く限り、一様に言うのはDXとグリーン、即ち行政のデジタル化とエネルギーのCO2削減のようだ。問題はその前半に言うところだが、メモには次のように書かれている。以下の記事は朝日新聞デジタルの牛尾梓さんの記事だと思う。

『日本は、まず役所にIT屋さんがほぼいない。そうすると、役所の担当者が自分で判断できないので、業者を呼んでヒアリングするところから始まる。次は公平性が必要ということで、入札という話になる。入札ということになると、もっと安いシステムが入る。その善し悪し(よしあし)の判断ができる人がいない。随意契約にすれば、「なんでその企業なんだ」という話にもなり、本当にその予算が妥当なのか判断できる人がいない。』

政府もこれを認めたのだろう、デジタル担当大臣を任命して今月1日に約500人体制とされるデジタル庁まで発足させた。これで問題が解決すれば結構だろうが、どうもそう簡単には行きそうにもない。デジタル庁は先ずマイナンバーカードを利用して、国民全員に背番号性を付与した膨大なサーバーを構築しよとしてるように見える。これが可能になれば、中国のように国民の行動から資産状況まで監視するのも可能になるだろうし、てなことを考えているのだろう。

いかにも素人が考えそうな理想論で、システム設計も何もあったものじゃない。取り敢えずは個人の銀行口座との紐付けを、なんて報道もでているが、みずほ銀行やゆうちょ銀行で発生しているシステムトラブルの実態なんかは眼中にないのだろう。システム設計者は当面与えられた命題を解決するべく、それぞれ使用するデバイス(機材)を特定して設計を行う。現在国が運用するシステムがどれほどあるかは知らぬが、これが地方自治体とどのように繋がるかは分からない。

例えば東京都の豊島区とは繋がるかもしれぬが、大阪市と繋がることは出来ないだろう。言いたいのは、日本は役所の窓口業務を省力化するために中途半端に勝手バラバラなシステムが導入されてしまってることだ。これを統合することは不可能に近いと素人の小生でも分かる。今回デジタル監に就任された石倉洋子氏は幸いにもITに関して全くの素人とのこと。却って国民に何が必要かを思いつかれることを期待したい。

2021年9月12日日曜日

謎だらけ

 昨日はアメリカ同時多発テロから20年目の日だった。各地で追悼行事が開催され、大統領や元大統領の挨拶が報道されているが、彼らの挨拶に無くて一般市民の反応に強いのは「この事件は何故起きたのか?」因果関係解明への思いのようだ。当日の犠牲者だけでも約3千人、それに続いたアフガン戦争、イラク戦争では更に倍する兵員の犠牲だ。おまけに多額の国費を費やして、外国を侵略して何十万人も殺傷した挙げ句に今年はアフガンから、来年はイラクから撤兵とのこと。この年月が無駄だったと感じる市民は多いとのこと。

アメリカ市民でなくても原因究明は求めたくなるだろう。アメリカのことだから事件の3年後には所謂第3者による調査報告書があり、歴代大統領が公開を約束してるらしいが現大統領に至っても公開されていないとのこと。大型航空機4機を同日同時刻にハイジャックしての犯行だから、実行組織は並のテロ組織ではない。準備に費やされた年月や関わった人員は膨大だろう。どこかの国家が関与していると考えるのは自然な成り行きだ。実行犯の多数がサウディアラビア人だったようだし、調査報告にはそのことを示す記述もあるとのこと。

主犯格とされたオサマ・ビン・ラディンもサウディの王族でアメリカ中央情報局と深い関係にあり、イラン・イラク戦争に協力してたことは公然化されているようだ。そうでなくては事件直後に犯人の特定はできないだろう。兎も角20年前から「テロとの戦い」なるアメリカの戦争が世界中を巻き込んで始まった。大昔ヨーロッパのキリスト教徒がイスラム教徒に対して十字軍を結成して戦争を仕掛けたのと似てるかもしれない。事件の因果関係が解明されることがイスラム世界の平和に繋がるかどうか分からないので、早くしろとは言い難い意味もある。

結果的には日本も参加を余儀なくされて、この20年でかなり国力が疲弊した現実がある。反省をする必要があるかもしれぬ。アメリカは世界の警察官を辞めるとトランプ大統領が言い出し、民主党政権もそれを引き継ぐようだが、これに代わる強固な組織を誰が担保するのだろう?世の中は益々混迷を深めるかもしれぬ。老人には少し難しすぎるテーマだった。

2021年9月11日土曜日

海外留学

 知恵の向上や性格形成に大きな影響を与えるのは家族であるのは言うまでもない。5人兄弟でもあったので兄弟からの影響も少なくない。中でも次兄とは大学進学後東京で約2年半同居したので、大きな影響を受けている。次兄の言葉で今でも記憶に残っているのは「大学は何か学ぶ場所だと思うな。人生は4年やそこらで学べることなど殆ど無い。学び方を学ぶべき場所だ。どの辞書を引けば何が分かるか、誰に聞けば何が分かるかだ。」

兄も文系(法学部)だったので、学ぶべきことが多すぎたからそんな事を言ったのだろう。理系や芸術関係に志を持つ人は自分の進路を絞りやすいが、文系の人は今でも絞り難いかもしれない。例外は二十歳前後から金持ちになりたいと志を持つ人ぐらいだろう。幸か不幸か我々の学生時代、昭和30年代半ばはそんな発想ができず、兄も小生も同様で4年間暗中模索を続けていたようなものだ。

暗中模索にはいろんな方法論があり、中でも大きかったのが海外留学。今では裕福な家庭が増えたので、比較的簡単に選べるが兄の時代は勿論、昭和38年卒業の我が世代でも留学は高嶺の花だった。しかし友人の一人がそれを実現した。羨ましい気持ちで羽田まで見送りに行ったものだ。渡米先はアメリカのニューヨーク。かなり親しかったし、心配やら好奇心もあり何度か手紙のやり取りをしていたが、兎に角2年後に無事帰国してきた。しかし彼は渡米前と殆ど変わっていないように思い、不思議な気持ちだったのも事実。

実家の機械製作会社で海外事業部長に就任したが、彼が両親の期待に応えることが出来たかどうかは定かでない。留学に関しては身内にも一人高校からアメリカ留学を経験した甥がいる。彼の留学先はボストンで、ある年末年始の休暇で渡米した際に随分世話になったので頭が上がらない意味もある。彼は世界各国に多くの友人がいるようだが、それが彼の現在の仕事にどれほど役立っているかは分からない。

長い人生経験の中で、若い時から海外経験をすることは、それなりに大きな意味があるだろう。特に海外との関係が国を上げての時代なので、その管理運営に当たる政治家や高級官僚にとって必須であるのは当然で、異を唱えるつもりもない。現在自民党総裁選に出馬宣言をしている3人の候補者中、海外経験が一番とされているのが河野太郎氏であるのは言うまでもない。しかし先崎彰容日大教授(専門は近代日本思想史)が言うには、彼が一番無定見で無政策とのことだ。

小生は自民党全体が好みでないので彼に悪意を持つ必要も無いが、アメリカ政府が、レイムダックの菅首相をアメリカに招いたのは「河野氏を頼むぞ」との趣旨だとの報道もある。これには怒りを感じざるを得ない。

2021年9月10日金曜日

神頼み

 昔から自助努力をせず、すぐに他力本願で来たせいだと思うが、神頼みの癖が抜けない。自分でも褒められたことではないと思うので、なるべく気にしないようにしてることがある。気にしないということは即ち年がら年中気にしてるということだろう。その一つがカレンダーに書かれている「大安」なんて書かれた文字。

今日はその「大安」だから良いが、昨日は「仏滅」。これが意味するところはよく分からないが、「仏滅」は個人的統計で考えてもパットしない日が多いと思っている。ならば余計なことが記入されてないカレンダーを使用すれば良いのだが、カレンダーは全て貰い物と決めてるので出来ない。故に気にしないようにしたいのだが先述の通り、気にしないということは気にしている証拠だ。

そこでwikiで調べてみたら次のように書かれている。『「先勝」「友引」「先負」「仏滅」「大安」「赤口」の6つを「六曜」と呼び、現代の日本では、日にちの吉凶を占う指標として利用されています。』へ~てなもので、仏教とかの宗教由来のものではないとのこと。これで少し気が楽になった。神様と無関係とのことだが、時間による縁起担ぎのこれも外国からの輸入概念らしい。

古来先進諸国では時間、時刻を大切にしていたのだろう。自慢になってしまうが、どちらかといえば小生もその口で、「遊ぶ時ぐらい時間は厳守しよう。」が口癖なので、勝手にカレンダーの日付を変更するなんて所業は許せない気がする。時間はひょっとすると神以上のものかもしれぬのに、今の我々日本人はその時間を無駄に過ごしてることになるから残念と言わざるを得ない。

回り道をしたが時間を切り離して神様に話を戻す。我が家の宗旨は仏教の禅宗、更に言えば曹洞宗と言うことになる。開祖は道元禅師。本山は福井県吉田群にあって一度は行きたいと思いながら未だに果たせていない。このお寺のホームページをご覧頂けばすぐ分かるが、この宗派は、こちらの願いを聞いてもらえるのかどうかがどうも疑わしい。他力本願なら別の宗派に乗り換えたほうが良さそうだ。

そもそも仏教は神様と異なり、下々の願いを聞いてもらえると思うほうが間違ってるのかもしれない。それを知っていたわけでもないが、願い事は子供の頃から祖母の勧めなんから近くの宗派不明の観音様や神社ににしてきたものだ。それが公助なんかより余程霊験あらたかだったので他力本願が癖になってしまった。その極みが毎年一度の伊勢神宮参拝だが、家内が亡くなっても欠かさなかったこれも、コロナ禍をきっかけにしてサボり始めてしまった。復活するかどうかは未だ決めかねている。

2021年9月9日木曜日

このブログ

 読者の皆様にはご推察の通り、このブログは極めて大事な老後の楽しみである。mixiで日記を書き始めたのが2005年10月だから、既に15年以上になってしまった。当初は日記だから身辺のことを思いつくままに書いて、家内にも自慢していたが、他人に日記を公開するなんて碌な事にならないから止めなさいと注意されていた。当時は未だ現役で起業して間もない頃。

仕事はウェブサイト(ホームページ)管理で、まわりにその関係の技術スタッフが沢山いて、家で不評の代わりに彼らが大いに盛り上げてくれていた。曰く、時代の要請だからできるだけ多く書くべきだ。更に時代が進み、ツイターとかブログと言う言葉が流行り始め、一人のスタッフがそのブログを薦めてきた。彼は映画マニアで、映画関係のブロガーになっていた。どんなブログが良いのか聞くと、何でも良いのですとのこと。

ではと、取り敢えずテーマも無しにgoogleの無料サイトBloggerに「たかが一人、されど一人」と訳の分からぬタイトルを付けて日記を移行したのが2009年の4月。最近は殆ど毎日書いているが、この月は13日しか書いていない。当時から読者数をカウントしてたかどうか忘れたが、読者を増やすために自分で吹聴したりしたし、日本ブログ村なんてところに登録したりしたこともあった。そんな具合で宣伝に努めたが、読者はそんなに増えず、却って家内の姪のことを書いて一騒動起こし、家内からすごく怒られた記憶がある。

以来10年以上書き綴ったブログは3500件近くなっている。仕事をやめてしまったしブログの指南をしてくれた友人の技術者も久しく会っていない。彼の映画のブログはそれなりに読者も多かったようだが辞めてしまった。この書き綴った量は紙にすれば相当な量になるだろうが、量が気にならず、好きな時に好きな箇所を読み返せるのがブログの長所と言える。

2009年4月1日の短いブログは次のように締めくくられている。

頑張ると言っても歳でもあるし、何をどうするのかは分からない。明日以降も今までと同じように同じようにやるだけだろう。何と言っても取りあえずは健康維持だな。「無理をせず、しかし怠けずに」「高望みをしない、身の丈に合うことを考える、急ぐ人には道を譲る」

こんなことを書いたのは最近読者数が増えてることに気がついたからだ。増えると言っても100人前後だった読者が5割くらい増えてるような感じ。理由はもちろん分からないが嬉しいことに違いはない。


2021年9月8日水曜日

友人

 秋の夕暮れは、百人一首から詩を引き合いに出すまでもなく何となく物悲しい。折角コロナの新規陽性者が減り始めたのに、最近は池袋界隈で閉店する店が急増してるように感じられ、その思いが一層つのる。寂しさは人によって感じ方が異なるだろうが、個人的に言えば他人との会話が無いのが一番切ない。家族が居なくなって独居生活に陥ったのは正に不徳の致すところで仕方ないが、朝から晩まで無言の行は坊主ならぬ身にとって厳しすぎるとも言える。

この環境の中で、有り難いのは友人とのつながりをネットで確認できること。でもこれが可能なのは大勢居た友人の中で限られた人数になってしまった。昔から「友を選ばば、書を読みて、六分の侠気、四分の熱」とされているが、全くそういう事は無くて、酒盃を傾けながら談論風発出来さえすれば相手は問わずと、実に無定見だから一種の友達中毒のようなものだ。よくこの欠乏に耐えていると自分でも感心している。

話が飛躍するが、いま日本で僅か400人足らずの政治集団の親方選びで大騒ぎになっている。なりたい人間は結構いるようだ。政治が国家国民のためにあるなら、なりたい人間があるべき国家像を示せばことは簡単に済みそうだが、政治集団と言えば聞こえは良いが、ある種の利権集団だから、分前配分の思惑が先立ち、絞り込みが大変らしい。当然のことで、利益配分となれば友人もへったくれもあったものじゃない。昨日の友は今日の敵だ。

この騒ぎをマスコミが張り扇で囃し立てるのだから、子供だけでなく大人の教育にも芳しくない。これは与党のことだが、野党も似たようなものかもしれぬ。およそ政治の世界には友人と言う言葉は存在し得ないのかもしれぬ。先週3日に寺田寅彦氏の随筆から「大臣にも富豪にもならずにすんだ」との言葉を引用させてもらったが全くその通りで、政治家や金持ちになれない僻みと取られるかもしれぬが、小市民で良かった。

権力や大金は掴んだことがないので当たらぬかも知らぬが、若い時ならいざ知らず、この歳になると何より大事なのは健康。いつもどおりに目覚め、いつもどおりに飯を食い、いつもどおりにぐっすり休む。その合間に「おはよう」「いただきます」「おやすみ」なんて声を掛ける相手がいればなお良いが。お金は、孫が学校に行ってる限り、彼らにささやかなお年玉を上げることが出来れば十分だろう。

あとは友人との談論風発、これがある限り誰がなんと言おうと我が人生は充実したものになる。

2021年9月7日火曜日

興味深い報道

 今朝は久しぶりに朝日が上るのを見ることが出来た。5時半ころだったと思うが玄関前を東西に走る道路東の彼方、遠くの家の屋根越しに大きく赤いような黄色いような火の玉が輝いていた。なんだか非常に懐かしい者にやっと出会えた感じだ。高い山でご来光を拝むとなにか神々しさを感じたものだが、都会での日の出には親しみがある。それでも日中はそんなに気温が上がってこないで曇ってしまった、やはり少し変な秋の到来だ。

話が変わるが、2ヶ月ほど前にガラケーをやめてスマホに切り替えたので、未だ使い方に慣れていない。様々な不都合があるが、中で煩わしく思っているのが不必要な電話の多さだ。パソコンのメールも不必要なメールが多いし、テレビを観ても感心感激するような報道は乏しい。今朝のテレビ報道で感心したことが1件だけあった。下記である。

ベラルーシの首都ミンスクの裁判所は6日、国家権力奪取の陰謀罪などに問われていた反政権派幹部、マリア・コレスニコワ氏(39)に対し、禁錮11年の実刑判決を言い渡した。」マリアさんだから当然女性。ベラルーシの反政府運動は昨年の大統領選挙以来だからもう1年以上になる。彼女は3人の著名な仲間と一緒に活動していたが、ルカシェンコ大統領の弾圧が厳しく、他の二人は取り敢えず国外に脱出して国外から運動を継続することになった。

しかし国外からの運動はアフガンの日本大使館に見られる通り隔靴掻痒の感を免れないのだろう。マリアさん国内に踏み止まって活動を継続したが、遂に1年前の9月ミンスクで覆面姿の集団に連れ去られ、ウクライナ国境から強制的に国外退去させられそうになった際に、自らパスポートを破って退去を拒否し、拘束された。恐らくウクライナに追放は、そこで暗殺された仲間が多かったこともあるだろう。

またルカシェンコ大統領は日本のマスコミでは評判が悪いが、現地の事情は全く分からないので、どちらに理があるかなんてことは分からない。ただ感心したのは彼女の勇気だ。聞くと彼女は国立交響楽団のフルート奏者出身とのこと。何を好き好んで反政府運動に身を投じたか知らぬが、これから10年は牢屋にはいる判決が出ても余裕の笑みを見せている。しかも気のせいかも知らぬが口紅を塗って化粧までしてるように見えた。すごい美人だと思う。

ベラルーシの裁判所は勾留中の容疑者にも推定無罪の原則で、出廷の際私服を認めるらしい。でも映像は檻の中に入れられて手錠まで架けられていた。これが裁判中なのか判決後かは分からないが、日本との比較していろいろな意味で興味深く思った。

2021年9月6日月曜日

健康診断

 未だ僅か1週間ほど前の先月末、今年の残暑は厳しいな、これも歳のせいかなんて思っていたが、9月に入るや一転して涼しくなった。涼しいのは結構だが、1週間毎日雨が続きお天道様を見ることが出来ないのも辛いものがある。どこかで残暑がぶり返すと、生乾きのシャツを着なくて済むだろうが、体力的には本当にダメージが大きくなるかもしれぬ。なんて言っても、このところ毎晩布団をかぶって寝ているのだから。東京で彼岸前に布団を引っ張り出すなんて異常だろう。

異常は天気だけでないから困ったことだ。今日は朝飯抜きで区から通知が来ていた無料健康診断を受けに行ってきた。体重は1年前と変わらなかったが、身長は少し縮んでいたようだ。血圧にも異常が無いし問題無さそうだと思ったが、最後の血液採取で事件が起きた。掛かりつけ医の馴染みの看護婦さんが針を刺す場所が見つけられないのだ。寒さのために血管が萎縮したためらしい。腕をさすったり掌のグーパーを繰り返したりしても駄目。結局は暫く横になって、いつもより掌に近い場所にやっと探し当ててもらった。

他の看護師達も不思議そうにこの光景を見ていたが、担当している彼女が最古参だから仕方ない。迷惑を掛けたのは後に連なったお年寄りの受診たちで、大いに苛立ったに違いない。他人のことを「あいつは血の巡りが悪い」と悪口を言い募ってきたが、それは自分であったことを思い知らされた。確かに昔から手先や足先が冷たいことは自覚してたが、これも血の巡りが悪いせいのようだ。

診断の結果は後日区から手紙が来て、それを持って又医院に出向かねばならない。

2021年9月5日日曜日

小田原評定

 慶応3年(1867年)の秋10月、将軍職にあった徳川慶喜が朝廷に上奏した大政奉還の文章にはこうある。「前略、臣其職ヲ奉スト雖モ、政刑當ヲ失フコト不少、今日之形勢ニ至リ候モ、畢竟薄德之所致、不堪慙懼候、後略」砕いて書くと「私がその職を奉じて参りましたが、その政治の当を得ないことが少なくなく、今日の形勢に立ち至ってしまったのも、ひとえに私の不徳の致すところ、慙愧に堪えない次第であります。」

結論として「この際従来の旧習を改めて、政権を朝廷に返し奉り、広く天下の公議を尽くした上でご聖断を仰ぎ、皆心を一つにして協力して、共に皇国をお守りしていったならば、必ずや海外万国と並び立つことが出来ると存じ上げます。」政権を投げ出す姿勢を見せた。しかし、本心は未練たっぷりで結果的には鳥羽伏見の戦いを惹起した挙げ句に戦いに負けて、己だけ大阪湾から船で江戸に逃げ帰ってしまった。

その後江戸城には全国の諸侯約300人が続々と詰めかけ、数日に亘る有名な小田原評定が繰り広げられる。現在の自民党国会議員数は360人くらいと聞いたように思うが、大人が300人も集まれば簡単には意見が纏まらない。ましてや主題は権力を投げ出すかどうかだ。故郷長野市の隣町須坂藩の藩主堀直虎なんかは、徳川慶喜に向かって詰腹を迫り、拒否されたら当日江戸城内で自分が腹を切って死んでしまったりした。

なんと言っても侍の世界、威勢のいいのが大勢居て、薩長の芋侍と一戦を交えようとの意見も多かったが、結局は謹慎に落ち着いたようにも見える。勝海舟なんて直参の侍が側に居て、小泉進次郎氏のような役割を演じたかどうかは分からない。しかし戦争の火種は残り、戊辰戦争の内戦は3年とかからず終わっても、暫くすると西南戦争と言う内戦が又もや勃発、何やかにやで明治政府が確立するのは憲法が公布された1890年まで23年掛かったと見るのが妥当かもしれぬ。

小田原評定も若い人ばかりなら面白いだろうし意味もあろうが、現代のようにゾンビみたいな年寄が混じっていてはどうかと思う。これを実況報道をしているマスコミが問題であるのは再三指摘してる通り。聞くに耐えないのは「新しい首相が一体何をしてくれるかを明確にしてほしい。」少なくともマスコミに登場するなら「新しい首相には〇〇をしてほしい。」と明確に言うべきだ。かつて占領軍総司令官だったアメリカ陸軍のマッカーサー氏は「日本人の精神構造は14歳の少年並み」と評したそうだが全くその通りだ。

自分の意志を明確に発言せず、空気に流された発言を繰り返す。結果的に嘘をついたことになる。よくよく考えて見る必要がある。

2021年9月4日土曜日

がっかりさせるな

 政治記者の端くれになっている友人がいる。若いと言っても娘たちと同年輩だから50歳は過ぎているが、55歳までは行ってないと思う。その彼と別件で用事があり昨日少し話をした。彼の話を聞いてがっかりしてしまった。彼はフリーの記者で特定の政党に思い入れが有る訳がない。曰く「年末の総選挙は自民党単独過半数で決まり。」とのこと。自民党総裁が誰になろうと全国の票数を分析していく限り、野党の候補者調整もそう簡単に纏まりそうにないことから過半数割れがないと判断したらしい。菅内閣の終わりが決まったので、こちらの声が少し燥ぎ気味だったかもしれないが、別に意地悪で言ってるわけでは無さそうだ。

少しがっかりしたが、問題はその次の選挙がどうなるかにあるとのことで、若干含みを持たせてくれた。兎に角、今回は、野党の頭が枝野幸男氏では悪すぎるとのこと。言われてみれば分かるような気がする。昨日もテレビで枝野氏が何か喋っていたが、心に響くようなことは何も無かった。先ずは「千載一遇のチャンスが来ました。野党共闘の先頭に立ち皆さんのご協力を得て、政権奪取を果たしたいと思います。」程度の意気込みは示すべきだろう。怒りを覚えるとか残念なんてことはどうでもいい。

政権についたらやるべきことは多かろうが、それを言い出したらきりがない。ただ一つ「嘘をつかない政治を目指し、前政権の嘘は徹底的に究明」を掲げて欲しかった。友人の見立てとはかなり異なるが、今回は野党側からすれば絶好のチャンスで、ここで得点が入らなければ先の短い人生で、永遠に自公政権が続きかねない。そんなことにはなってほしくないので敢えて言いたい。野党共闘が難しいのは分かるが、立つ瀬を捨てての精神で立憲が先ず譲る姿勢を示すことが大事なことだ。

昨夜BSフジ「プライムニュース」に出演していた辻元清美氏が共産党の存在を大分持ち上げて良いことを言っていた。本音は別にしても野党は共産党だけは嫌だなんてことを言うべきではない。自民党の凄いところは権力の座を守るために党首に詰腹を切らせて頭を変える決断ができたことだ。今度は野党全体が共闘して決断する番だ。当然だが戦いを前にして野党側にも相当な恐怖感はあるだろう。この期に及んで内輪揉めの最大要因が連合神津会長にあるとすれば彼の罪は大きい。

神津氏は新日鉄出身とのことだが、彼自身が貴族化しているのではないだろうか?労働組合運動そのものに参加した経験が皆無なので偉そうに言えぬが、組合運動の原点を問うと共に、枝野氏に神津氏をどこまで説得できるかがが問われている。

2021年9月3日金曜日

臨界点

 勝負師と言われていたらしい菅首相が総裁選不出馬を表明したそうだ。政治家の内輪争いは、馬鹿と阿呆の騙し合いだから何も書けなかった。それにしても随分長い時間かけて騙し合いをするものだ、登場人物が多いのだろうと思っていたが、別に目出度くもない舞台から一人消えたことだけは間違いない。どうせだったら、あの偉そうにしている若手とされてる小泉進次郎や河野太郎も消えた失くなってほしいものだ。首相一人程度のことでは気持ちも晴れないし、天気もぐずついたままだ。

他に特筆することも無いので、今週読み終わった寺田寅彦の随筆「柿の種」から「なるほど」と思ったことを幾つか抜粋したい。以下引用

「気が緩むと同時に一時に発した疲れのため朽木のように倒れる。従来既に成功の道を進んできた人が、いよいよ隠退でもして老後を楽しむために新しい邸宅でも構えようとと言うような場合にも、やはり同じようなことが言われようかと思う。」「植物が花を咲かせ実を結ぶ時はやがて枯死する時である。いつまでも花を咲かせないで適当に貧乏しながら適当に働く。平凡なようではあるが長生きの道はやはりこれ以外にはないようである。」引用終わり

著者は物理学者であったそうだが、そっち方面の業績についてはさっぱり分からない。1878年(明治11年)生まれで1935年(昭和10年)57歳没だから当時としては兎も角、現代風に言えばそれほど長生きとは言えない。しかし長生きの秘訣が幾つか記され大いに参考になった。小生も年齢だけは80歳を超えてしまった。

この随筆には1回毎のタイトルは無いが、上記は「健康の臨界点」と括らせてもらう。もう1件は「ものぐさのすすめ」ものぐさは信州の方言で「ずくなし」と言われて子どもたちは親から注意されることだ。以下引用

「このごろ朝が寒いので床の中で寝たままメリヤスのズボン下をはき、それから、すでに夜じゅう着たきりのシャツの上にもう1枚のシャツを、これも寝たままで着ることを発明して実行している。今朝はよほど頭が悪かったと見えて、・・・右の足はズボン下の左足に入っていた。・・・中略・・・ものぐさのお陰で大臣にも富豪にも泥棒にも乞食にもならずにすんだのかもしれない。」引用終わり

どうも性格的に「ものぐさ」になれない性格なので羨ましい限りだ。変に几帳面なところもあり、気が緩むことなく臨界点に近づいている可能性もある。死に急いでいるのかな。


2021年9月2日木曜日

小沢一郎氏の教え

 小沢一郎氏の教え

ここ1ヶ月足らずの間アフガニスタンと言う国の崩壊が連日実況放送されている。併せて「タリバン」と言う組織名が何度も耳に入る。ひょっとするとこれがアフガニスタンに政権を樹立するかもしれない。何がなんだか分からぬが、テレビでは毎日入れ代わり立ち代わり関係者と称する政治家や学者先生が尤もらしい解説をしてくれている。

強いて分かったことを上げれば、タリバンなる組織はイスラム教信徒で構成されていること。イスラム教にも色々あるのだろうが、この一党は日蓮宗の一派創価学会のように頭目がはっきりして、ある程度教義めいたものが明らかであればいいが、今の所マスコミに登場する日本の物知りにはそれを詳らかに出来る人物は居ないみたいだ。何となく分かったのは女性を蔑視の男性中心組織らしいこと。もう一つがもっと大きな問題で、歌舞音曲を徹底的に嫌っていることだ。

アラビアンナイトで真っ先に想像するのはベリーダンスだから、同じイスラム教でも歌舞音曲禁止は珍しいと思う。日本の神道にさえ天宇受賣命(アメノウズメノミコト)の昔から歌舞音曲はつきもので、キリスト教に至れば近代音楽の源と言っても良いかもしれない。タリバンはバーミヤン遺跡の大仏を破壊したりしているので、およそ芸術とは縁遠い小生のようなオッサンの集まりと言っても差し支えないだろう。この一点からしてもタリバン政権なんてものは余り大きな期待が出来ない。

先に書いたように、芸術には経済的価値が有るか無いかがよく分からないが、人間にとって非常に重要であるように思う。芸術と書けば小難しくなるが、芸だけで良いかもしれない。個性の涵養には必須だ。タリバンとは対極的な位置にある「民主主義」教育で育った小生なので全身これで覆われているつもりだったが、昨日そうではないことを思い知った。日本の民主主義について勘違いを指摘してくれたのは著名な政治家小沢一郎氏。

彼曰く「日本人は民主主義を勘違いしている。民主主義は言わば個人主義で、個人がそれぞれの意見を十分に闘わせる所に意味がある。ところが日本人はおかしなところで周りの空気に支配され馴れ合ってしまうのが悪いところだ。」続けて「その原因を醸し出すのがマスコミで、中立公正の美名に隠れた横並び報道、この罪は大きい。」ここは考えさせられた。欧米では個人の意見をはっきりさせることを小さい頃から教育してるので、そんな事は考えられない。

一例を上げてくれた。昔大蔵省の役人がアメリカに留学した時のこと。優秀な彼は試験問題に対し教授に教わった通りの回答をしたら落第点を付けられた。理由はこれは君の意見でなくて私の意見だ、問題は君の見解を求めている。先の大戦前夜に世論調査をしてたら多分対米戦争に踏み切るべしとなったろうとのこと。大いに考えるべきことだ。

時間のある方は下記を参照されたい。

https://www.youtube.com/watch?v=n9Dyq8pgml8 小沢一郎

https://www.youtube.com/watch?v=pJWT8M569ME 安倍晋三


2021年9月1日水曜日

都会の時雨

 何となく虚しい日が過ぎてまた月が変わってしまった。カレンダーも残りが2枚、昔からそんなに充実感があった訳でもないが、残り少ない人生がこんなに空虚なのは残念だ。昨日は夕方から雨との予報だったので、昼のうちに少し運動を稼ごうと思って神田方面まで出かけた。理由は一橋にうまい昼飯が有ることと古書店の店頭を冷やかしながらゆっくり散歩もまた良いだろうとの発想。

昼飯は一橋にある如水会館の1階食堂(一橋大学卒業生でなくても利用可能)のランチ定食。1100円と少し高いが、東京會舘が経営を担当しているので本格的でフレンチと言える。メインは数品の中から好きなものを選べる。選んだのはスズキのバターソティー、昔はサラダやコーヒーはビュッフェだったがコロナの影響でお仕着せではあるがスープと同時にテーブルまで運んでくれる。もちろんデザートのケーキなんかも夏らしいゼリーだったが美味かった。

このビルには幾つものオフィスがあって昼飯時は行列ができるほど混むのだが、コロナ禍のせいだろう、4人掛けテーブルに一人だから非常にリッチな気分になることが出来た。ここでゆっくりしてから神保町交差点に出て、古書店を冷やかしながら九段靖国神社前を通って飯田橋まで歩いた。飯田橋から千川までは有楽町線で精々15分足らず、下車後駅のすぐ近くのスーパーで買物をしたら、未だ大丈夫だろうと思っていた雨が降り出し瞬く間に土砂降り。目の前にビニール傘売り場があるが悔しいので軒先で雨宿り。

結局20分くらいはたっぷり待った。軒先で待った人は最大10人近く居たが、雨が止むまで我慢できたのは一人だけだったかもしれない。殆どの人がビニール傘を買って歩いていった。時刻は14時を少し回ったくらいだったと思う。洗濯物を干しっぱなしで来てしまったと言っていた主婦なんかの我慢できない気持ちは分からぬではないが、もう間に合わないのだから諦めればいいのにと思わないでもない。兎も角都会住まいの人は何かと忙しそうだ。