2011年5月31日火曜日

新宿今は昔

5人兄弟の三男であるが、直ぐ上の兄が亡くなったのは2007年4月だから、もう5年目になってしまう。本当に月日の経つのは早いものだ。兄の長男のリクエストに応えて兄との事を書こう。

長男と次男は一つ違い。次男の兄貴と三男の私は生年で3歳、学年では4年も離れていた。(私と四男の弟とは4歳違い、5男の弟とは7歳違い)がしかし、兄貴と私は生涯何故か大変仲が良かった。当時はどこの家でも子供が多く、子供の頃は互いに何かにつけ上の子が下の子の面倒を見るのは当たり前ではあった。だが、こちらが小学校から中学に進む頃になっても、高校生の兄貴と一緒に遊ぶ機会が多かった。この年頃での4年差は結構大きいと思うのだが、一緒に山や川に行ったりスキーに連れて行ってもらったりしたものだ。

この頃から兄貴の同期生に交じって遊んでいたので、50歳前後から彼のゴルフ仲間に入れてもらっても、自分では全く不自然さを感じなかった。確か彼は一時水泳部に属した事があったかもしれない。スキーや水泳で随分と下手を指摘された記憶がある。他にこちらが中学時代に指導されたのは写真かな。彼が高校時代写真部に属したのは間違いない。母の実家にあった古いベスト版のカメラを、フィルム1本12枚撮りを24枚撮りにしたり黄色フィルターを装着できるように改造。撮影した写真は全て押し入れの中で現像したり、印画紙に焼き付けて画像が浮き上がってくる感激の瞬間に立ちあわせてもらったりした。二人とも家がそんなに金持ちではない事を十分分かっていたので、互いに「家にも引き伸ばし機があればいいなぁ。」と慰め合って止まっていた。

映画も一緒に行ったものだ。ある年のお正月に行ったキャサリン ヘップバーン主演の「旅情」を今でもはっきり覚えている。私が彼と同じ高校に進学した時、兄貴は既に中央大学に進学して東京に出ていた。それでも夏休みや冬休みに帰省してくると、東京の生活についていろいろ語ってくれたもので、これが又当時としては非常に新鮮な情報で、酒とか着るもの、即ちおしゃれに関心が向くようになったのも兄貴の影響が大きい。私が高校3年生の夏兄貴は長野に帰省、代わりに私が兄貴の東京での寄宿先である学生寮に置かせてもらった事もある。この時は兄貴と同室の学生が帰省せず居残っていたので、この先輩からも主に新宿や銀座の安い飯屋や喫茶店をメインにいろいろな事を教わった。これも全て兄貴の口添えがあればこそだ。

翌年、こちらも目出度く大学に入学することが出来て上京となる。すると、やはり兄貴が全て親父と掛け合ってくれて、新宿で共同生活をする事になる。見つけてくれたのは柏木1丁目に新築のアパートで、新宿西口から歩いて5分のところ。6畳一間にトイレ(半畳の小さな和式で、2階から下に落ちる時間の長いのが特徴)と1畳分の台所が付いた畳の匂いの新しい部屋だった。家賃が月6千円だったと記憶している。これをそれぞれが3千円ずつ負担としていた。半間分の押し入れの上段は二人の洋服ダンス、下段は布団、家具は二月堂机1脚だけ、机の上にはラジオが一つ置かれていた。

今は新宿副都心で、高層ビル街に変身してしまっているので当時の面影を見いだすのは難しいだろう。青梅街道沿いにある淀橋警察のすぐ脇の路地を入ったところで、大家は質屋だった。学校は神奈川の日吉だったのでそんなに便利ではないが、新宿の繁華街には歩いて行けるので遊びには絶好のポジション。青梅街道沿いには商店や市場も沢山あって都会の活気にあふれていた。しかも新宿から荻窪に伸びる地下鉄丸ノ内線の工事が始まった時で、青梅街道が掘り返されて昼も夜も騒然として埃っぽい街ではあった。


両親がどう思ったか知らないが、こちらは親元を離れ兄貴と二人だけの自由な環境で、正にパラダイスに来たような思いだった。新学期に合わせて上京したのが昭和34年の4月10日、今上天皇陛下のご成婚当日で忘れもしない。待ち構えた兄貴に先ず家賃の3千円を渡し、残りの7千円から今夜の割勘分500円(父から貰った1か月分の生活費1万円)を出して握りしめ、早速夜の新宿に繰り出した。ここから先、我が友人と兄の友達が入り混じり、3年に亘る面白い人生模様が始まるのだが、語れば長い話になるので又の機会にしたい。

2011年5月30日月曜日

甥っ子たちよ

28日土曜日に甥っ子の婚礼が東京であった。兄弟が全員長野に住んでいるので、甥や姪の婚礼が東京であるのは珍しい。披露宴は恵比寿ガーデンプレイスのウェスティンホテルで、これも珍しいと思うが、夕飯でのご披露だった。弟の次男だから年齢的にも小生の半分だし、最近は珍しくもないのだろうが、仲人は無し、新郎の挨拶に始まり新郎の挨拶で締めくくられた。確かその前だったように記憶するが、新郎の父である弟が簡単に挨拶をしたのが唯一同年輩の挨拶で、後は全て若い人同志の和気藹藹とした実に爽やかな宴であった。

省みて思えば、我が家の娘二人も自分で見つけてきた人と一緒になっている。従って仲人は居る事は居たが、後付けでお願いしたに過ぎない。これからは、お仲人さんを形式的に立てる事は益々減って行くのだろう。また、我々の時代のように、会社の上司やら親の関係者である偉いさんに出席をお願いして、祝辞を頂いて喜ぶなんて事も見直されてくるだろう。結婚する当事者が大切に考える人間関係を優先するのが極めて自然な事ではないか。何れにせよ本人たちは幸せそうだったし、弟夫婦もほっとしただろう。可愛い孫が増える事を願ってやまない。

披露宴の後、長野から駆け付けた兄弟たちは全員ホテルに泊まる事になっていたので、女衆は別にして、久し振りに兄弟と甥っこ達とホテルのバーで2次会の飲み会をした。甥っ子たちと言っても新郎の兄と、先年亡くなった直ぐ上の兄の名代で出席した兄の長男二人である。後は弟2人の計五人の2次会だった。特に兄の長男は久しぶりだったので話が弾んだ。彼は高校時代にボストンに留学していて、冬休みに遊びに行き、ボストン・ニューヨークを案内してもらって以来だ。彼はこのブログを時々読んでくれているとの事。若い時から政治に関心を持っているらしい。

「しかし政治家になりたいとは全く思わない」と言うのだから不思議な男だ。ブログを読んだせいだろうが、「伯父さんの政治に対する不満はそれなりに分かります。恐らく平均的な市民感情でしょう。」と解説してくれた。彼はどうも自民党のシンパらしい。それも民主に一旦傾いて、政権を取ってからの体たらくに嫌気がさして自民に来たのではなく、自民党が与党時代からのシンパとの事。小生とは違うが、しっかりした意見を持っているらしい。彼のように若いシンパがいる事は、自民党にとっては有難い事だろう。何れにせよこれからこの甥っ子たちが日本を担うのだから、しっかりした考えを持って行動してほしい。

親族が増えるのは目出度いが、そろそろこちらの葬式も近づいてくる。若い皆さん、その時はよろしくお願いしますよ。それから土曜日の2次会で約束した事もはっきり覚えているよ。これからはボチボチと、君たちの親父即ち我が兄弟の事も、ブログに書くから待っていておくれ。

2011年5月27日金曜日

読後感「沈黙の宗教ー儒教」加地伸行 著

寺もお宮も教会も聞いた事が無い、坊さんも説教する人も存在しない「儒教」が宗教だとは知らなかった。考えてみると、今年の春信州松代の文武学校を見学した際、このような説明を受けた事を思い出した。「幕末に開校したこの学校は近代的な思想を取り入れ、当時どの藩校にも必ず設置されていた孔子廟を置かなかった。」従ってお宮についてはかなり最近まで存在していたと言う事になる。

孔子は単なる学者であったばかりでなく、どうも宗教家として位置づけられるべき人で、日本人の宗教心に大いなる影響を及ぼしていた。と考えたのか著者の見解である。成程指摘を受けてみると思い当たる節が無いでもない。孔子の誕生は紀元前6世紀らしいから、釈迦やキリストなんかより遥か前の人である。従って大陸から仏教が伝来する6世紀以前に儒教の教えが我が国に伝来した事は容易に想像できる。

「論語」はまともに読んだことが無いが、日本人であれば論語の言葉を全く知らない人間なんか一人もいないかもしれない。小学校2年生の甥っこが祖母に向かって「お祖母ちゃん、老いては子に従え、ですよ。」と語ったとい言う笑い話を聞いたことがあるくらいだ。

著者が指摘するのは、どんな宗教でも、その説くところは道徳論が8割に死生観が2割としたものらしい。「論語」の何処に死生観が書かれているか知らないが、書いてあるらしい。その特徴は何かと言えば次のようになる。人は死んでも魂は空にあり、地上に住む子孫のもとに時に帰ってくる。その時に帰る場所として元の身体が必要で、これが墓の中にある。即ち招魂再生思想である。生命は永遠に不滅で今の私は遥か昔の先祖からの生命を受け継いでいる固体で、個体が子や孫に代わっても生命そのものは生き続けている。(秋川雅史の歌を思い出すな)

日本人的にはすんなり受けいる事が出来る思想で、仏教思想かと思っていたが、そうではないらしい。インドで誕生した仏教の根本は「輪廻転生」で、人は死ぬと極楽とか地獄と言ったとんでもない遠方に行ってしまい、生まれ変わる時は人が畜生になったりするので、遺体なんかは捨てたり流して始末してしまうものらしい。成程、思い込みは少し違っていたようだ。

先日修験道の話を聞いた時にも感じたが、価値観の新旧を考えれば6世紀以降に入ってきた仏教も、当時は新興宗教だからどしても既成の価値観を無理に打破する事はしないで、上手に取り込んで勢力を拡張しているので、以前から存在する自然な価値観が残ったのも当たり前でもあろう。その事は自然作用だから結構なのだが、著者が心配するのは、儒教教義の中心は「孝」にある、即ちそれは己を大切にすると同時に先祖から子孫に至る「家」を守る、大事にする精神に繋がるのだそうだ。

これが、昨今我が国でも西欧のライフスタイル取りこむばかりに、キリスト教精神の個人主義の吐き違えで、利己主義がまん延しつつある事を憂いている。少し読みにくいし、面白い本でもない。読んだからどうという事もないのでお薦めはしない。



2011年5月26日木曜日

雨に唄えば

今日は亡き父の誕生日だ。明日は日本海大会戦で日本連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を撃破した海軍記念日。この関連をいつも思い出す。もう一つは父がかなり確度の高い(笑)雨男であった事。この連想で明智光秀を思い出す。彼が反乱の覚悟を決めたのがやはり5月26日とされている。「時は今 天が下知る 五月哉」この句で有名な連歌の会が今日だったと思いこんでいたが、調べたら28,29日になっていた。歴史研究家でもないのでどうでもいいのだが、例年5月末梅雨寒のような日が来ると、何となくこんな事を連想してしまう。

昔の武人は風流なものだ、連歌会当日も雨が滴るように降っていたに違いない。信長の部下の中では、文武共に最も秀でたのが光秀だったと思っているので、今でもファンの一人と言っても差支えない。しかしこちらは年をとっても、風流を嗜むには程遠いのが実態で、極めて残念。絵を描いたり、歌を詠んだりする友人が羨ましくて仕方が無い。せめてと思って、このブログに精を出しているが、どう見ても風流にはほど遠そうだ。も一つ最近の趣味として時々山歩きしているが、血統のしからしむところか山で雨に会う事屡である。

父も無趣味で風流とは縁遠かった。小生はよく山で降られるが、「これ又風流なものよ」と思う事にしている。今年は既に2回(花見を含めると3回か)山に行っているが、毎回間一髪、下山してバスに乗るなり、駅舎に駆け込む迄雨にたたられていない。しかしどう考えても来月あたりからは、山で風流を決め込まざるを得なくなりそうだ。覚悟の程を1句読みたいが、何も浮かばない。

2011年5月25日水曜日

好き嫌い

食べ物なんかの好き嫌いも年と共に大いに変化する。子供の頃は兎に角甘いものが好きで、ザラメ砂糖が配給になると母と一緒にカルメ焼きを作るのが大好物だったし、野菜では人参牛蒡と言った根菜類は嫌いだった。魚と言ってもしょっぱいようなものばかりだったが、嫌いで、獣肉が好きで脂身部分を喜んで食べていた。しかし長ずるに及んで嗜好がまるきり変わり、最近は好んで野菜や魚を食べている。野菜なんかは昔のものに比べると味が変わったか、灰汁が抜けて食べやすくなっているのかもしれない。最近は特に旬の春野菜、ジャガイモにキャベツ、玉ねぎ、アスパラ等を方々から頂き、毎食いろんな形で美味しく食べている。

同様に歴史上の人物に対する好き嫌いも大分変化している。子供の頃は近くの大人と言うよりお兄さんやお姉さんかもしれないが、絵本か何かで「この人は偉い人だよ」と教えられると直ぐ好きになってしまった。典型的なのが上杉謙信である。武田信玄が悪い奴で、かなり大きくなるまで故郷の長野が上杉領だと内心誇りに思いこんだりして、川中島の古戦場に寝転んで、僧兵のような白い頭巾をかぶった武将の姿を想像したりしていた。そうこうするうちに、今度はやはり郷里が同じと言う事で、猿飛佐助と真田幸村が好きになったりした。ま、無邪気なものです。

小学校に上がって自分で絵本を読めるようになると、好きな人物にも幅が出てきます。野口英世博士やナポレオン、面白いのは戦前の絵本を読んだせいで、ヒトラーなんて人物も相当尊敬に値する人物だと思っていました。もっと進んで少年向きの本を読み始めた頃、父が小林一茶と湯川秀樹博士の伝記を買ってくれました。湯川先生がノーベル賞を受賞して1,2年後の4年生ぐらいの頃だったような気がします。この時は湯川先生より一茶の方がインパクトがあったように思います。

小学校も高学年になり、ある程度漢字も読めるようになると乱読が始まり、講談本や戦記ものをを大分読み漁りましたので、家康が悪い奴で秀吉贔屓とか、吉良上野介が大悪人で大石内蔵助が日本人の鑑とか、東郷元帥やら乃木大将、山本五十六に清水の次郎長。好きな人物は真に種々雑多一気に増え、その物語に登場する敵役は総て嫌な奴、悪い奴、従って嫌いな人物になってしまいました。このような幼少時の思い込みはかなり後を引きます。

しかし半世紀以上過ぎて、歴史的な知識も少し分かって来た現在、こういった思い込みは相当に是正されなければいけないと考えています。特に先の大戦と敗戦の責任者なんかについて、子供の頃は陸軍が悪くて、海軍は正しかったと思いこんでいました。戦争責任を糾弾するとすれば、真っ先に陸軍と近衛総理、更に引き継いで戦端を開く命令をした陸軍の東条総理、この二人が決定的な責任者とばかり思っていたものです。しかし最近は戦争の責任者については全く分からなくなってしまいました。特に海軍と陸軍の責任を分けて考えるのは、相当無理があるように思い始めています。

昔憧れの対象であった海軍にも国策をミスリードした責任は相当あるようです。広田弘毅の本を読んで外務省は可哀そうだと思った時代もありますが、外務省にしろ内務省にせよ大蔵省でも、今回の福島原発のように検証委員会でも立ちあげてきちんと調査すれば、相当問題点が抽出できたのではと思うこのごろです。歴史上の人物で今でも好きなのは「真田幸村」ぐらいかな。しかし歴史を詳しく学べばもっと違う評価になってしまうかも。

2011年5月24日火曜日

事故進行中を忘れていませんか?

震災から2カ月以上も経つので、さすがに宮城以北の地震や津波の被災地では徐々に復興の兆しが見えてきているようで、そんな報道に接すると何かほっとしたものを覚えるこの頃だ。しかし、福島を中心とする原発災害に関しては、放射能の漏えいが一時に比べれば遥かに少なくなっているとは言え、被害が拡大する一方である。いや被害の実感がと言った方が正しいのかもしれない。放射能なるものが桁数を聞いてもピンとこない程大量に拡散したのは、先先月半ばの大爆発の時らしい事も、やっと理解できるようになってきた。

以前からこのブログにも「俺は余り気にしない」と強がりを書いてきた。がしかし、段々理解が進み、東京と言えど放射能の影響はかなりあると想像できるようになると、怖くなっているのを否定できない。まして子供さんを持つ福島のお母さん連中が、東電・政府・行政に向かって「なんとかしてよ!」と強い調子で声を張り上げるのはいやな程理解できる。一方あまり理解できないのは、最近盛んになってきた事故原因の犯人探しの方である。確かに原発事故は100%人災である事は言うまでもない。政府や東電から出される情報が、too little,too lateであり、諸外国からのアドバイスや情報については未だに公開されていないものが沢山あるのも想像に難くない。

しかし何と言っても「原発事故対策本部長」は総理大臣であり、最終的には彼が全ての責任を取らざるを得ないのは誰もが承知の事ではないか。現総理閣下もかなりユニークな方だから、どんな形で責任をお取りになるかは分からない。自民党の石破政調会長が日曜日のテレビ番組で「菅さんに言いたい事(不手際)はトラック3台分もある」と発言したが、誰もがそう思っているのだろう。では事故収束に関わっているその他大勢の不手際はどうなるのだろう?少し冷静に考えれば、これだけの前代未聞の大事故だから、関わっている人間総てがてんやわんやの大騒ぎで、それぞれ少しずつまともな事が出来ていないようにも思えてくる。

被害者に取っては酷な話だが、誰が総責任者になっていたとしても大差はなかったのかもしれない。ただ、連休前後から報道や政治の世界では、官邸の判断ミスを非難する声が日を追って高くなっている。今更そんな事を言われても誰も救われないし、小生も同感、菅氏がご粗末であるのはもう分かった。しかし皆少し冷静になって、いま本当に「俺が総理を替ってやる」と腹のある人間が居るなら、小沢派でもいいし野党でもいい、「福島原発対策を今後こう進めます」と明かにしてほしいものだ。復興計画なんかその後の話しだろう。

2011年5月23日月曜日

神さま 仏さま

先週土曜日に面白い講演を聞いた。講師は京都の聖護院 宮城泰年門主と言う方である。日本には「○○院」なる寺だか神社かよく分からないところが沢山ある。高尾山の薬王院なんか典型的で、ハイキングに行くたびに疑問を感じていた。今回の講演で少し分かったのは、聖護院も薬王院もお寺さんで、祀っているのは仏様、お勤めにしている方は全員お坊さんと言う事になるらしい。ここから面白いのだが、仏さんを祀っていても、この聖護院さんは仏教のインディーズで、私の知っている何れの宗派にも属していない。強いて言うと少し神主ぽいところもある。あの創価学会でさえ「日蓮宗」の枝と知れているのだから、マイナーな新興宗教かと言えばそうではない。

現在は修験宗総本山を名乗っている。宗祖は忍者の草分けとして知られた役行者で、仏教が日本に伝来した頃の人とされている。聖護院は1090年の開山以来隆盛を極め、江戸末期には全国に2万5千の末寺を擁していたとの事。山岳で修行をおこなう坊さんが修験道行者、即ち山伏で、日本独特の仏教修行のようである。従って山伏が属する寺にはいろんな宗派が混在していて、彼の高尾山は真言宗の枝になっているとの事。聖護院も一時は天台宗に属した事があったようだ。

丁度今日本人の宗教観に関する本を読みかけていた事もあり、神仏混淆については興味を持ていたところだったので、2時間以上の長丁場だったが居眠りもせず熱心に聞き入ってしまった。そもそも我が国は仏教が伝来する以前から山岳宗教のようなものがあり、そこに行者は当然いた訳で、仏教が入ってくると、彼等が先ずその伝導を担ったのかもしれない。勝手な解釈で言えば、神様と仏様どっちが偉いかは知らないが、少なくとも自然界に宿る神様の方が先に居たことになる。

昔は寺の中にも神社があり、神社の中にも仏が祀られて当たり前の世界だった。神様と仏様が同居していた訳だ。それがどうした訳か、明治初年に神仏混淆の廃止に引き続き廃仏毀釈を政府が命令したのだが、理由がイマイチ良く分からない。ここも勝手に想像するに、先ず奈良・平安時代以降の仏教がその普及にあたって、日本古来土着の自然信仰(崇拝)をうまく取り込む努力をして神仏混淆思想が定着した。神道総本山の伊勢神宮だって当初は仏教を取り込む努力もしたはずだ。ところが明治新政府は「和魂洋才」思想のシンボルとして、仏教を舶来ものとして排斥し、神道を盛り上げようと馬鹿な事を考えたのだろう。しかし既に日本では伝来以来1千年以上を経過した仏教が定着して、神道の復興がうまくいかなかったに違いない。

にも拘らず、大正昭和に至るまで国家が明治天皇だの東郷元帥だの乃木将軍だのを神様に仕立ていたのだから、馬鹿な事をしたものだ。ま、そんな事はどうでもいいのだが、修験道は分かりやすい。山川草木これ全て仏性を備えているので、兎に角自然を有難く思う事が第一。勿論本尊は居るには居るのだが、余りランク(?)上位の仏様は祀らないものらしい。大概は菩薩か菩薩の化身の権現様のようだ。なによりも、お勤めする坊さんも修行がきつそうなので、悟りを開くためかと思ったら左に非ず。そんな高尚な事を目指さず、日々現世での菩薩業(毎日悪い事をしない程の意味か)を目指しているのだそうだ。

「山々は神の領域」日本人である小生にはとても分かりやすいが、死後の世界を何処か遠くの天国や地獄に想像する人達には理解しにくい話かもしれない。

2011年5月20日金曜日

ソーラーパネル

今度の震災の影響で、最近は一般家庭にも節電を呼び掛ける宣伝めいた声が益々大きくなっている。テレビ局が何を考えているのか知らぬが、CMだけではなく番組内でご丁寧にも節電方法を、電球をLEDに替えろとか扇風機を買えとか具体的にお示しくださるが、「お前は電気屋の回しものか」と鼻白むばかりだ。今朝笑ってしまったのは「扇風機の賢い使い方」で、扇風機は風が出ていく窓際に外向きに置くのが効率的に一番、なる話。テレビ局のお姉さんが真顔で喋っている。婆さんもあきれ顔で「扇風機は風が身体に直接当たるように置くのが一番に決まっているじゃないの。ばかでないの。」

婆さんは「私は生れてこの方飛行機に乗った事が無い」に加え、IH調理機はおろか電子レンジだって使った事がないだの、洗濯機は2槽式に限るだのと詰まらない事を自慢しているので、我が家ではオール電化生活とはほど遠く、電気使用量も節約する程のものではないし、必要もないと自覚している。どうしてもと言うなら、使用中の炊飯器をやめてガスにしようかと冗談を言う程度の話である。政府か電力会社か知らぬが、節電節電と大騒ぎをして、自動車会社が休日をウィークデーに振り替えるとか市役所が水曜日を半ドンにして土曜日に役所を開く事に文句を言うつもりはない。

基本的に節電話は我が家とは無関係な話である。だから以下の事も知らないのは小生ぐらいで、ここに特筆大書する程の事ではないかもしれぬ。ただ、いつも家で電力の話をする度に「あんなもの付ける人の気がしれない」と憶測で話していたのだが、この事を知って益々意を強くしたことは事実だ。

それが何かと言えば「ソーラーパネルの設置」である。今日たまたま2年程前にソーラーパネルを設置した作家の村上龍氏の話を聞いた。彼は一昨年家を新築して南面屋上一面にパネルを設置したとの事。どこに住んでいるか知らないが、先月までの計画停電区域内だったようだ。彼が言うには、計画停電の影響を受けてしまったとの事。システム的にソーラーパネルで自家発電した電気は全量東電に流れ、自分の家庭が使用する電気は東電から来ている電気を使用するようになっている。電気料計算だけが相殺勘定になるらしい。

もっとも、やろうと思えば自家発電電気を先ず自家で使用する設定もできなくないらしい、ともごもご言ってはいた。まさかと思ったので、インターネットで調べてみると、やっぱりそのようだ。節電騒ぎに乗じてソーラーパネルの売り込みも力が入ってくるだろうが、検討される諸氏には慎重な検討をお薦めしたい。


多くの証言があるが、以下に一つを引用しておく。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1158455816 参照
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ソーラーパネル付きの家庭の多くは、計画停電時は停電するところが多いです。
ソーラーパネルからは売電する経路のみに繋がり、使う電気は電信柱から来ている線に繋がるため、通常の家と同じように停電します。
ただし、いくつかのメーカーのものは、災害などの停電時用として1.5kWのコンセントがパワーコンディショナに付いている物もあります。

仮に直接ソーラーパネルから直接電気を使えるとして・・
太陽光は、だいたい1平米あたり1kWのエネルギーが有ります。
これを電気に変換する効率が、10%くらいなので、100Wしか発電する事が出来ません。かなり広い面積のパネルを付けている家庭なら、昼間は停電しないかもしれませんね。

パネルは100Wで5万くらいが相場のようですね。
ソーラーパネルは直流発電なので、交流への変換機などを合せて、5kWで300万円くらいするそうです。

2011年5月19日木曜日

情報の集積と利用 日米の大差

原発事故に関する内閣や東電の情報の公開について兎角の批判が多い。昨日も整体に行った際にトレーナーが「当面は健康への影響はないと言われても困ります。なんで分かりやすい言い方が出来ないのでしょう。もっと国民を信用してほしいです。」と言ってこぼしていた。最も平均的な国民の気持ちでもあろうし、不満は良く分かる。そこで自分の経験からこんな話をしてきた。トレーナー氏の生まれた年の事らしい。1976年小生が初めてアメリカを訪れ、西海岸のスタンフォード・リサーチとか東海岸ではボストン・コンサルタント等のシンクタンク巡りをした時の事だ。この時は随分と初見聞に遭遇して、以来考えが大きく変わった。コンピュータ通信なるものに初めてお目に掛かったのもその一つで、へ~と思った事を未だに覚えている。

当時は未だインターネットの概念は出現していない。しかしこれらのシンクタンク組織では、テレックスに替ってコンピュータ通信も始まり、「情報の共有」概念が徹底し始めていた。見学してびっくりしたのは各オフィスにもたらされる情報の全てを、自分の端末にインプットすることが義務付けられていた事だ。それが例え広告DMであろうと来訪者の名刺であろう、自分のデスクで受け取った文書・郵便物は全てコンピュータにインプットし、アメリカとカナダだったか、全ての支局で検索が可能になるとの説明だった。当時は随分無駄な事をするものだと感じたが、今にして思うと彼の国では情報に対する概念が我が国と全く異なっていたと思う。(こちらは未だコンピュータなんてものは計算機のお化けと思っていたにすぎない)

彼らの考えでは、情報とは半ば自然に存在するものであり、作為的又は選択的に(例えば必要とか不必要とか)受け止めるべきものではなく、全ての情報は全て網羅的にに集積してどこかに格納すべきものとしたのだろう。どんな情報でもきっといつかは役に立つと考えている訳である。問題はその利用法で、その為に情報処理と検索機能の概念が発達した。勿論軍事戦略構築にはこれが不可欠の思想で、後のインターネットの出現に繋がったのだろう。今や我が国でもインターネットは存分に発達し、利用されているように一般的には思われているだろうが、実際はアメリカの利用法とは根本的に異なっているのではないだろうか。

我が国では一次情報二次情報なる考えが当たり前である。一次情報が生の情報で、二次情報は一次情報取得者によって加工された情報と理解する必要がある。一般的な情報は全て二次情報なのだ。内閣や官僚或いはマスコミの人間に聴いてみるとよく分かる。自分達が知っているのが一次情報、一般人が知る情報は全てセコハン情報と豪語する筈だ。「己がこれは知らしめたほうがいいと思う情報だけを知らしめる」世間は常にセコハン情報で充分なのだ。そして常に自分達がその二次情報を発信する力を持っていると己の力に酔ってしまい、そうこうするうちに生情報が何であったかさえ忘れてしまう。もともとオーソライズされている場所に集積されたものでは無いので、彼等が発表する情報の信憑性は端から確認のしようが無いのだ。

彼の国は全く違って、情報には一次も二次もない、何処までも生であるべきで、正しく或いは正確に保存されていなければいけない、が基本に置かれている。問題はそこへのアクセス権限で、映画小説で見る限りは、どんな組織でも職位などでかなり厳しい制限がかけられるようだ。従って報道機関の取材方法なんかは決定的に異なる。もし誰かに取材して、嘘をつかれたと思えば、一次情報の集積場所に自ら乗り込んで裏取りをするが当たり前の世界だ。日本では嘘だと思っても、同業のみんなが認めているのだから、取敢えず歩調を合わせるとなる。勿論アメリカでは一次情報は何処かに集積されている。日本は情報の集積概念が無いので、生情報が何処にあるかさえ分からない。

日本は政府にしても企業にしても全情報をコンピュータにインプット、まして共用のサーバに上げるなんて発想は先ず無い。組織内の全端末を回線で結ぶなんて事は毛頭考えていないし、情報のネット化なんてとんでもない話。住基ネットの騒ぎを思い出せば明かで、況や組織を超えて年金等の社会保障記録と税務関係の課税納税記録を統合なんてのも夢のまた夢みたい話になっている。我が国の現状では残念ではあるが、先ず情報を集積してからその利用法、アクセス方法を検討する事には絶対と言っていい程ならない。

ネット化は確かに危険が付き物だ。アクセス権限が無くても技術力があればハックすることも可能だし、意図的に情報を漏えいさせる可能性も無しとはしない。従って政府も大企業もインターネットなんか「便所の落書き」程度にしか考えていないかもしれない。しかし、食べ物は生食を好むのに情報の生もの<raw data>に鈍感だった日本人が、原発事故をきっかけに急に情報の生ものに飢えを感じはじめたようだ。

困った事には、先に述べたように我が国では生情報が分散管理の状態にあるので、必要な時に必要とする情報を、誰が何処で引き出せるかを正確に知る人間が一人もいない事だ。内閣官房や保安院、東電の広報が、ようやく知り得た乏しい情報の中からどれを選んで、どのように発表すべきか、悩んでいる姿を想像すると笑えてくる。嘗て松下幸之助がコンピュータなんか必要ないとして、関連事業からの撤退を表明した時以来、日本人の情報に対するメンタリティーは変わっていないと言う事だろう。インチキ情報に踊らされる危険と生情報が流出する危険、情報を出す側に居るか利用する側に居るかによっても異なるのも明らか。何れにせよ今後は情報の重要性について根本的に考える必要がある。

2011年5月18日水曜日

「はやり言葉」

小泉構造改革の頃からだったろうか、最近は「工程表」なる言葉が頻繁に使われている。民主党のマニフェストの工程表も有名だ。原発事故では東電から収束のための工程表が出たり、昨日は政府からも今回の震災による被災者救済かなんかの工程表が発表されたらしい。こんな事にいちゃもんをつけても始まらないかもしれない。敢えて「違和感を覚える」とでも言っておこうか。これもはやり言葉ではないか。「意味不明で不愉快」とはっきり言うべきだろう。

数日前にメルトダウンを認める認めないに関連した新聞記事かネットの記事で、「売春」を「援助交際」と称するのと同じと書いてあった。売春は露骨に過ぎるので、援助交際とソフトに言いかえる気持ちは分からないでもない。しかし昔の概念で言えば計画表や予定表を工程表と表現するのはどうしてだろう。ある目標に到達するために、恰も複雑なパーツを持つシステムが絡み合う事がはっきりしていて、それぞれの道筋迄もを網羅した予定なので、大変苦労していると言った意図が伺える。しかし実際に提示されている工程表には特段の道筋が見えないので、単なるお笑いになってしまう。

子供の頃の友人に、夏休みなどの長期休暇に入ると必ず最初の数日かけて、休み中の勉強について詳細にわたる計画表を作成して勉強机の前に貼る癖を持った少年がいた。○日午前9時から10時迄は算数、30分休んで10時半から11時半は英語、午後は何々、翌日もその翌日もと、色鉛筆などを駆使して1カ月分綿々と計画を書きだすのである。現在で言えば工程表そのものだ。仲良しだったこちらは、いつも無計画に遊び誘っては、その計画を台無しにしてやった上で、その通りになりっこない計画表をあざ笑っていたものだ。勿論本人も計画は予定、予定は未定であるから往々にして変更これありと分かっている。しかし後に工業大学に進学したくらいだから、子どもの頃から計画の重要性が頭に刷り込まれていたのかもしれない。

きっと彼の予定としては、高校迄そのようにお勉強していけば東大の原子力物理学科(実在するかどうか知らない)ぐらいは入学する筈だったろうが、不幸な事に友人が悪くて東大ではなかった。最近頻繁に報道される「工程表」に接する度に彼の事を懐かしく思い出すのも困ったものだ。

日本語は面白い。英語なんかにも、時代の変化で言葉が置換わって行くと言う事はあるのだろうか?未だ一般的ではないが、最近仕事で頻繁に使用する言葉に「工数」がある。これはソフトウェアの制作費用を見積もる時に、掛かる費用の事を指す。制作に必要とする技術者の人数と期間を掛け合わせて算出される。こんなご時世なので「費用を見積もってくれ」とは言わずに「工数はどの程度になりますか」聞く訳である。初めて聞いた時は「なんじゃ、これは」と思ったが、今では当たり前に使っているから不思議だ。

2011年5月17日火曜日

想定通り

「こうしてこうすりゃこうなると、知っててこうしてこうなった」地震大国日本の原子力科学者の殆どが、今回の大災害は起こるべくして起こり、結果として最悪の事態に至る事は予め想定していた事は今や明らかである。当然科学者の端くれは経産省にも在籍し、保安院3月12日の記者会見で核燃料溶融の可能性について正式に言及している。誰の指示に依るかは明らかにされていないが、この人(中村審議官)は即日更迭されて、後任はご存じかつらの事務官僚西山氏になってしまう。経産省人事であるが一説には「菅首相と枝野官房長官は、中村審議官が国民に不安を与えたと問題視し、もう会見させるなといってきた」(経産省幹部)もある。

徒に国民の不安を与えるのは褒められた話ではないかもしれない。戦時中の大本営発表の大部分も「国民に不安を与えないための」配慮だったかもしれない。事に臨んで最悪の場合を想定しないリーダーはいないだろう。その想定を口にするかしないかは、リーダーが国民を信頼するかしないか、又は同じ船に乗っている同胞意識が共有されているかどうかの差であろう。封建領主と現代の政治指導者を同列で論じてはいけないかもしれないが、武士であった封建領主がどんな教育を受けたか詳しくは知らぬが、戦に臨むに当たっては、己は当たり前だが部下から領内の百姓町民に至るまで死を覚悟させるのが当たり前だった筈だ。であるからこそ指示することが可能になり、領民全員の一致結束保ったのだろう。前大戦の時でさえ、小生は子ども心にではあるが、この戦に負けると自分も含め男は全員鎖につながれてアメリカに拉致され、奴隷になると思いこまされていた。

前大戦の敗戦結果が最悪の想定通りでなかったのは幸いだった。しかし今回の原発事故は今のところ科学者の想定した最悪の事態に向かって推移している。発生から2カ月以上経過しているのに、国家のトップから最悪も事態への言及は未だに無い。トップに近い政治の世界では、全員が暢気な父さんで、互いに過去の責任追及と言い訳のやりとりに終始するばかり。マスメディアやそこに顔や名前が出る連中も、その尻馬に乗って己の売り込みに懸命に見える。今日本はそんな事をしている場合なのだろうか?彼等はメルトダウンからチャイナシンドロームが起きようと、東京も被曝で避難を余議されなくされようと、自分だけは助かると想定しているのだろうか?

事実関係の一部が2カ月も経過して公表されると、メディアの論調も少しずつ変化してきている。しかし事務屋や政治家の話しの事実関係は全て科学者の予見の後追いにすぎないので、極力ネットで科学者の論評を読むようにしている。しかし科学者でさえ、再臨界の可能性迄は指摘してくれるが、その先についての言及は情報が不十分だと言う事で明言を避けている。広瀬隆氏が子供を留学させる決意を述べている事くらいが精いっぱいかもしれない。

前にも書いたが、こちらは年寄りなのでチェルノブイリに居住する老人と同じ心境に近い。しかし可愛い孫の事はやはり心配である。赤ん坊が一人に中学生が二人いるが、二人ともお勉強の方はどうもチョットである。とても留学なんて想像だにつかない。困った事だ。

2011年5月16日月曜日

自然治癒力

一昨日の土曜日に高校の東京同窓会事務局が主催の講演を聞きに行った。講師は二人。演題は「私の歩んでいる形成外科・美容外科というアート」と「カーネギー~ウラジロ ホルン放浪記」二人とも勿論我が後輩のお医者さんとミュージシャン。共に普段全く無縁の世界の話しであったが、大変興味深く聴く事が出来た。

形成外科の先生はアメリカでも医師免許を取得されて活躍されてきた方で、日本では神業とテレビで紹介される程の技量をお持ちらしい。乳がんの手術で乳房を失われた患者さんに、身体の他の部位の脂肪を切り取って胸に移植し、回復を図る事例等、へ~とびっくりするような事を沢山スライド付きで示された。正直なところ、話しは大変興味深いのだが、気が小さいので写真の方は見ていて少し気持ちが悪くなってしまった。元々お医者さんになれるほど頭が良くないから心配は無いのだが、俺はとても医者にはなれんな、と思った次第。

ホルン奏者の方も日本で屈指の人材らしい。高校吹奏楽部に在籍した当時、ひょんなきっかけで東京の音楽大の先生に見いだされ、何となくホルン奏者になってしまったようだ。実演もあったのだが、元来ホルンと言う楽器はラッパの出口に右手を突っ込んで音階を調節するもので(現在の楽器は指先で動かすキーみたいものが付いている)、結構難しく内外を問わずいろんなオーケストラから出演要請が多いものらしい。二人とも大勢の人に癒しをもたらし大いに社会を潤している訳で、結構な職業だと思った。

特に印象に残ったのは、お医者さんの話である。彼の場合高校時代から生物班に所属して、蝶の採集に打ち込んだ時期があったらしい。要するに若い時から自然界に生息する動物の美しさに魅せられていたとの事。その理念の延長で、現在も美を追求しているとの事。時にはベトちゃんドクちゃんの切り離しのように、非常に高度な技術を要するオペをする一方、さすがに具体名は無いが、芸能人などの美容整形なんかを相当こなしているようだった。

その彼が自分の生業とは矛盾するような言ったのだ、即ち人間の自然治癒力には驚異的なものがある。特に生物に限らず科学者の中には神の存在を信じると発言する人は多い。彼も同じで、「現在非常に発達している骨折した時の整形外科の治療法に、金属ボルトをうまく利用すると翌日からでも直ぐ動けるようにうまく繋ぐ手法がある。しかしこれは骨の接合が決してうまくいかない。ボルトを外せば又すぐ折れると教わった。」てな話から人間はあるがままの形を大切に、と自然治癒力の話をした。

時間が掛かっても、それを信じて気長に努力することが必要らしい。意を強くしたと言うか、大いに賛同したい。医者には定期的に見てもらう年齢にはなっているが、薬の処方も出来る限り最低にしてもらっている。何事も即席にうまくいく事は少ないが、努力して時間をかければ機能体力の改善は図る事が可能かもしれない。

2011年5月14日土曜日

小心者

昨日Blogerの不具合でアップできなかった日記を今朝アップします。

今回の原発事故について最早人災だとか責任論を論ずるつもりはない。政治家やメディアは面白がって責任問題を玩具にする。「だったら代わりにお前がやれ。」と言って辞任すればさぞさっぱりすると思うが、報酬ゼロでもその座にしがみつくのは何故なんだろう?他人の思考回路については理解不能だ。

娘夫婦が住むアパートの階下に中国人夫婦が住んでいて、事故後緊急に帰国したそうだが、2カ月過ぎた今又日本に帰ってきたそうだ。如何なる根拠があっての行動か聞いてみたいものだ。今度の大事変については考えさせられることが多い。自分に直接の被害が無いのだから、あまり深刻に考えないのも少し無責任かもしれない。それより無関係とする考えそのものが間違っているのだろう。もともと小心者なのだから素直に怖がろう。

神奈川のお茶に基準量を越える放射性物質なるものが検出されたそうだ。そもそも放射能とは如何なるものか、基準量がどういう意味を持つのか、具体的には何も分からない。ただなんとなく少し怖いかなと思ったりしている。神奈川まで放射能汚染が拡がっていると言う事は、関東平野や東京も間違いなく汚染されていると言う事ではないか。

我が家のプランターで取れた野菜は安全だ、なんて冗談に紛らせているが本当のところはどうだか分からない。口に出したり顔に出すのは悔しいので我慢しているが、怖くないと言ったらウソかもしれない。空には風を遮るものは何も無いし、海水はどこまでも広がっている。原発のお釜に2ヶ月間注水を続けているが、お釜の水が増えている様子が無い。放射能まみれのの水は地中に吸い込まれたり、最終的には海に流れ出すのだろう。世界各国が日本に対して非難めいた眼差しを向けるのは仕方があるまい。とは言っても根本を直すためには一定期間は仕方ないのだろう。問題は一定期間が数カ月か数年なのかだ。

小生も毎日のように魚を食っているが、神経質になればきりが無いし歳も歳だから放射能は無視する事にしている。しかし今度は生肉のO111中毒事件だ。小生は嫌いだが孫はレバ刺しが大好物らしい。年寄りと異なり若い人の事は別だ。「これからはあまり食わさない方が良いのでは。」と思わず言ってしまった。

2011年5月12日木曜日

読後感「北方領土交渉秘録―失われた五度の機会」東郷和彦 著

元役人の回想録としては出色で、読みごたえもある。表現に文学的センスを感じるし文章的にも優れ、読み物としても面白い。ハードカバーの初版は2007年5月だから出版以来4年経過している。外交官としては名門の出ながら、悪名高い鈴木宗男議員や外務省のラスプーチンと言われた佐藤優氏と一蓮托生で検察に睨まれ、暫しヨーロッパへの亡命を余儀なくされた後に帰国。最初に出版したのが本書らしい。

学生時代から外交官を目指し、23歳で入省以来一貫して当時のソ連からロシア関係畑を歩き、役人生活の全てを対ロシア外交に捧げた人生と言っても過言ではなかろう。最終的にある種の政争と絡んだ何処の役所にも存在するつまらぬ派閥争い見たいものに巻き込まれたのは可哀そうだし、本人も極めて残念であった筈だ。同様の意味で実際に監獄に落ちる羽目になった鈴木、佐藤両氏はもっと不幸かもしれない。

むしろこの本を読むと、最も不幸なのは我々日本国民かもしれないとさえ思えてくる。これまでよく理解できていなかったのだが、北方領土交渉には2島先行返還論と4島一括返還論と国論を二分する対立があり、著者たちのグループは一般的に前者とされてやや売国的に扱われていたらしい。小生はそもそも戦争で取られたものに是非もあるまいし、事の善悪を論じても始まらないだろう。ましてや交渉事で「はいそうですか」と返ってくる筈は100%無かろうと、北方領土問題に対する関心はゼロだった。

しかし本書を読み終わって、もう少し真面目に考えなくてはと反省もした。著者はこう述べている。「国家の大本は領土と国民である。北朝鮮に依るに日本人拉致に対する国民的関心は、国民に対する国家の責任の問題を提起している。同様に北方領土問題は、領土に対する国家の責任をどのように果たしていくかという問題であった。」著者は35年に亘る役人生活の大部分を、その国家を背負って領土問題に一貫して取り組んできたことが伝わってくる。

領土問題と言った重い国家の責任を最終的に果たす事が出来るのは政治家しかいないし、官僚の掌で政治家が踊らされるのは良くないかもしれない。しかし、領土問題がくるくる変わる総理や大臣の思いつきで出来る仕事で無い事も確かだ。従って、著者のように何十年も領土問題に取り組んできた官僚が、大臣以上に鈴木宗男氏を頼った事は当たり前と言えば当たり前。一時は大臣でさえ鈴木氏を頼らざるを得なかったのも事実だろう。どこでどのような力が働いたのかは分からないが、これを罪人に貶めて牢屋にぶち込んでしまうのも恐ろしい事かもしれない。

エピローグからもう一つ引用しておきたい。「特にオピニオンリーダーや、世論の形成に影響力を持つマスコミの中で、領土問題を自分の問題として真剣に考えてきた方々は、この問題に関心を持つ持つ日本人が如何に少ないか、よくご承知だと思う。」要するに歴史も交渉の難しさを知らずして、右翼のアジが如き正論ぶった論陣を張るのではなく、冷静な議論を求めて本書は締めくくられている。九仞の功を小泉内閣の川口外相が「4島一括以外はあり得ない」と声高に宣言した事で一簣に虧いた、と言いたかったに違いない。


2011年5月11日水曜日

非国民にはなりたくないが

昨日の日記に「訳の分からない節電なんかしない」と書いたと婆さんに話したら、そう言う非国民的な事を書くものではないとまた怒られた。がしかし、今日は例の反原発の急先鋒広瀬隆氏の講演(民主党有志に招かれての)映像を見て益々その感を強くしている。嘗ては目の敵のように思っていた時代もあるのだが、この2カ月折に触れて彼の映像を見るにつけ、その説得に頷きたくなる。何れは彼の著書をもう一度読む事になるだろう。

些か我田引水だが、彼によれば電力が不足するなんて事はあり得ないとの事。パチンコも自動販売機も必要とする人がいるから存在している。自分は我慢できるからと言って、特定の人に犠牲を強要するのは如何なもの。こちらには実に好都合、心強いお言葉だ。自分に都合のいい言葉を拾って直ぐに宗旨替えをしてしまう小生である。電力需給に関しては昨日の繰り返しになるのでこれ以上書かない事にして、広瀬氏の指摘する次の事について受け売りをしておきたい。昨今時々話題の国が新たにと言うか暫定的にか知らないが設けた「放射能被曝基準(福島の子供たちも取敢えず年間20ミリシーベルトを上限とする例に奴)」についてだ。

正直なところ小佐古内閣参与涙の会見を見た時は、科学者がなんでそんなに感情的になるのかよく分からなかった。広瀬氏の説明は非常にクールではあるが怒りは十分伝わるし、端的で分かりやすい。曰く、非常に危険とされる原発施設内で働く人達でさえ、年間被曝線量が5ミリシーベルトを超える人は殆どいない。彼に言わせると、これを決めている安全委員会なんてのは無責任の極みとしてケチョンケチョンである。そして年寄りは兎も角、子どもたちは学童疎開をさせるべきだ。学童疎開なんて何のことやら分からない人が大半だろうが、子ども達も学校とか学級単位、集団で避難すれば、避難先で疎外感を感じずに済む筈だろう。とも言っている。確かに分からないでもない。

安全委員会と反原発作家(彼も金属関係の技術者だそうで科学者の端くれだろう)何れも専門家の判断だから、科学者でもない小生はどちらが正しいか判定はできない。しかし今の状況下では広瀬氏の説に説得力があるのは確かだ。講演の中には他にも興味深い話盛りだくさんで、原子力関係予算の話があった。これについても触れたいのだが、素人が話を拡散させてもいけないので今日のところは書くのを止めておく。百聞は一見に如かず。お時間があれば下記を実際にご覧ください。
http://www.videonews.com/press-club/0804/001872.php

2011年5月10日火曜日

メディアの責務

 大手メディアの得意技

昨晩「たけしのテレビタックル」を見た。相変わらず下らない?しょうもない番組だったが、一つだけ感心した事がある。ゲストの一人である元NHKワシントン支局長の手嶋龍一氏の発言である。「自らの反省を込めて指摘しておきたい事がある。それは今回の原発事故に関してマスコミは政府や東電などの発表のあいまいさ、いかがわしさを追求ばかりして来た。ならば何故彼等は自分で現地を取材しなかったのか。関係者の会見が信用できないとするなら、自分で確認しに行くのがジャーナリストとして当然の行為ではなかったのか。」

国内の報道が混乱している時、むしろ海外メディアの方が正確な情報を発信していた事実もあったらしい。ゲスト出演していた外国人ジャーナリスト(これも「チャイニーズドラゴン」なるかなりいい加減な新聞だが)が指摘していたが、20キロ圏内に取材に行ったところ周りに居るのは全て海外メディアばかりで、日本メディアは皆無だったそうだ。さもありなんと思う。言われてみれば当たり前だが、日本の大手メディアは揃いも揃って同じような報道を繰り返すばかりで、インターネットメディアやフリージャーナリストの指摘は歯牙にもかけない。

一寸話が逸れるが、このところ朝日新聞がウィキリークスから提供された資料の中から日米外交関連の秘密文書を大分丁寧に扱いだしているが、他メディアが追随しないようだ。これが他の問題のように、記者クラブか何かで共有されれば、国会でも大問題になったり日米関係も相当影響を受けると思う。一定の意見や指摘に対する恣意的な「黙殺」が大手メディアの得意技で、これによって昔から国民をミスリードしながら、彼等がその非を認めた事が無い。

当然、読者であり視聴者である国民の大部分は、何となくメディアが一斉に発信する報道が脳内に刷り込まれてしまう。小生は暇に任せてネットを見ているので、辛うじて完全には洗脳されないつもりではいるが、世の大勢に逆らう程の度胸も無いので、思いついた時点でブログを書くのが関の山、後は知らないよで終わってしまう。情けない話しだ。

 節電て?

このところ節電が大流行だが、我が家はそもそもそんなに電力を無駄に使っている覚えもないので気にしていない。たまたま今朝「そんなに節電したけりゃ、昼間のテレビ放送を止めればいいじゃないか。」と言ったところ、「お婆さんの楽しみが無くなるから、実家の母さんが文句言うわよ。」との事。「婆さんはクーラーをかけて涼しい部屋でラジオでも聞いていろよ。」てなやり取りをしてからネットの「日経ビジネス」を見ると、又共感できる文章が見つかった。

書いていたのは東大の建築学科を出た横山禎徳さんと言う方、曰く「需要の少ない時期に節電しても“愚策”にしかならない」エレベーターを1台止めるなんてつまらない事を訴えるより、電力会社は需給に関する細かいデータを公開して、だからこのように節電の協力を願いたいと言うべきだろう。としている。
婆さんが言うように、仮に家庭の電球を全てLEDにさせると誰かが儲かる代わりに不都合も沢山起きるのじゃないの?横山さんにも婆さんにも全く同感だ。

2011年5月9日月曜日

身体の維持管理は難しい

毎日極力規則正しい寝起きをして、家内の協力で食事の栄養バランスもかなり気を使ってもらっている。過激な事はしないが、週2回の水泳や毎日8000歩程度のウォーキングも欠かさないようにしている。煙草とはとうの昔に縁を切り、酒もたまにしか飲まない。どちらかと言えば健康オタクに類するかもしれない。それでも人体とは不思議なものだ。1日たりと全面的に快調とは行かない。どこかが微妙に具合が悪くなったりしがちだ。

少し神経質すぎるかもしれぬが、意識して対策を講ずると1日或いは一晩で痛みが治ったりすることがあるのも不思議だ。風邪をひいたりしても、売薬1包飲んだだけで一晩で治る事もあれば、こんな暖かいのに今回はなかなか治らない。健康管理で言えば、プロのスポーツ選手は専門のトレーナーやらが居て、毎日のトレーニングと休養のメニューにしても食事から身体のケア迄徹底した管理をしている人が多いだろうし、又そうしなければトップクラスになれないのも事実だろう。

しかしその彼らでさえこの2,3日一寸見るだけでも、日ハムの斎藤祐樹投手が突然わき腹に違和感を感じて1回投げただけで降板とか、女子400mリレーで大活躍をした福島千里選手が、次の日の得意種目100mでは左ふくらはぎの違和感で不完全燃焼、4位に終わるとある。どんなスポーツ選手でも同じだろうが、自分自身も周辺のスタッフも試合の瞬間に照準を定め準備してきている筈だ。にも拘らずこんな事が起きるのだから、身体のコントロールの難しさがよく分かる。だから何もしないのが一番、が家内の言い分。それでもこちらは頑なに健康オタクを続けている。

この歳になると身体のどこをとっても機能が向上する事は期し難い。これは分かっているが、せめて諸機関バランスよく劣化してほしいと思うが、これも又無理な相談だろう。いろいろな部分が気にはなるが、現在一番心配しているのは膝。今のところ大事は無いが、先週ハイキングから帰って少し違和感を覚えた。こりゃヤバイと思い、この土日は膝を大事に、大事にと意識して負担を掛けないようにしていた。今日はどうやら違和感が消えたようでもある。何でもそうだが、最初は一寸した兆候が現れて直ぐ消える。そしてその次は消えるまでの時間が少し長くなる、てな事が何れかは起きるのだろうが、出来るだけ先である事を願うばかりだ。

2011年5月7日土曜日

浜岡原発停止要請

明日は母の日でもあるので、家内でもある婆さんは実家に宿下がり。実の母がまだ健在なのでたまの親孝行だ。お陰こちらは昨夜から独身生活。朝飯を事務所近くの松屋(牛丼チェーン店)で食っていたら突然携帯が鳴った。表示を見ると我がトレーナーの整体士Iさん。何事かと出ると「6時の方向を見てください。」と言っている。振り返るとお兄さんが手を振っている。朝のトレーニング10kmランニングの途中でこちらを発見してからかったらしい。それにしても毎日10キロとはご苦労な事だし、そんな時でも携帯を持っているとはやはり現代人何だろう。

プールは9:30からなので時間があるので事務所に来ている。最近は震災関係のニュースばかりなので、余り新聞やテレビを熱心に見ない。それでも今朝のトップニュース「総理、浜岡原発の停止を要請」は知っている。6時頃から半分寝ながらテレビ(サタずば)を見ていた。最初のゲストは民主党津村議員と自民党平沢議員・元毎日の解説委員岩見隆夫と元アナウサー田丸美鈴。後半に民主党で原発対策本部に入っている細野議員が出演と言うので前半も見てしまった。

総理の昨夜の発表もテレビで見たが、確かに総理がテレビに出ると視聴率を気にする民放の制作者は一刻早く画面を切り替えたくなるという気持ちが分かる。何故か気持ちが伝わってこないのだ。総理の評判は誰に言わせてもケチョンケチョンで、史上最低ではないだろうか。小生は場当たりであっても昨日の発表は歓迎すべきと思っている。しかし前半では民主党議員以外からは、この決定に至る経過が不明だ事の、海外に悪いメッセージが伝わるだの、原子力政策全体の議論が無くて何故浜岡だけなのかと、よくこれだけ悪口を並べられるものよ、と感心してしまった。


後半もみのもんた氏から細野議員に対し、誰に振りつけられたか意地の悪い質問が次から次へと繰り出された。小生もその昔みの氏と仕事をした事もあるので悪い人とは思わないし、司会者がなにか見識を持ち合わせていたり又司会者見識を求めてはいけない事は承知している。でも普通の視聴者はそうではないだろう。特にコメンテータとして出演している評論家の意見が共鳴する時は、その影響力は大きくならざるを得ないだろう。納得し難い気はするが、それが現代社会の実態だから仕方が無い。

それにしても細野議員の受け答えは前半と比較しては申し訳ないくらい説得力もあり、しっかりしていた。彼は静岡選出で浜岡は地元に当たるらしい。
さすがの意地悪軍団も、余り突っ込みが功を奏していなかったように思う。震災の復旧復興については未だ未だ議論が百出するのだろう。別に現政権が長く続く事をもって良しとは言わぬが、実際事に当っている人には「頑張って」としか言いようが無い。

2011年5月6日金曜日

活力不足

未だ連休最終日とは言えないのかもしれないが、何となく休みに飽きてきた。事務所に出勤したものの仕事も殆ど無い。昼前に整体に行ってから、いつものように昼飯と運動を兼ねて池袋まで歩いた。歩数を測ってみたら丁度5000歩、所要時間が40分だった。軽く汗が出る適度な運動と思っている。事務所に戻ってほぼ半日はネットで囲碁。段々爺くさくなってきている。

健康のためには栄養補給と運動、そして休養とのバランスが大事と思っているが、この連休は少し休養の取り過ぎだったかもしれない。

新聞は休刊だしテレビのニュースを見ても、日記に書く程のネタが見つからない。本も読んでいないし、活力不足が自分でも嫌になってしまう。

2011年5月5日木曜日

何故か知らぬが、気持ちが悪い

連休と言っても東日本大震災の復旧が進まないうえに、原発事故が続いているので、何となく気分がぱっとしない。そのうえ連休に入ってアメリカからオサマ・ビン・ラディン殺害と言うニュースが飛び込んできた。しかもこのニュースは、大統領が真夜中にホワイトハウスからテレビを通じて直接国民に伝えると言う芝居がかったもの。又それを受けて一部の市民がお祭り騒ぎをしている映像のおまけつきだ。

このニュースを受けて世界の各地から伝えられる公式コメントの殆どは『結構なこと』として祝意を表明しているようだ。勿論日本は「テロ対策の顕著な前進を歓迎し、関係者の努力に敬意を表する」と即座に発表している。勿論イスラム教徒でもないので「この野郎!」と言うつもりはないが、個人的にはどうもすっきりしない。ネットの中に「人を殺して歓喜する国民にはなりたくない」と書いている人がいたが、同感である。

更に、911事件そのものが未だに判らない部分が多いのに、その首謀者とされる人間を殺してから発表するやり方には余計フラストレーションが溜まる。彼を匿ったとして戦争を仕掛けられ、多くの犠牲者を出しているイラクやアフガンの国民はこれでさっぱりするのだろうか。とてもそうはならないだろう。匿ったとは言っていないが、パキスタン政府が怒るのも無理はない。

アメリカにとって不都合な人間が日本に潜伏と仮定、ある日突然米軍のヘリがそこを強襲、戦闘の結果何人かを殺害したらどうなるのだろう?仮に被害者が不法入国者だとしても、如何にポチの国と言えども歓迎のコメントを発表できるだろうか?何年も前からここに潜伏している事を知りながら、何故今何だろうか?不思議で不気味な事だらけだ。

これらが全てアメリカ政治のなせる技だろうが、兎に角アメリカと言う国は民主主義を建前にして正義と明るさを売りにしているが、実態は嘘のつき放題、暴力を背景にやりたい放題をする恐ろしい国との疑問を持たざるを得ない。平家物語が冒頭に示す通り、古今東西軍事力だけで永遠に栄えた例はない。世界最強と威張っても、強さだけではいつか必ずその上を行く奴が現れる。

本当に知恵のある人の出現を願ってやまない。

2011年5月4日水曜日

気分はガキ大将

今朝はすっきりとした五月晴れ、昨日は今日ほどの快晴には恵まれなかったが、予て計画していたこの連休唯一の行楽、奥多摩ハイキングに行ってきた。今回は連れが二人もいる。1人は3月の生籐山ハイキングにも一緒した我がトレーナーとも言うべき整体士Iさん、もう一人は我が家の向かいに住むEさん。実はこの二人が看護師の有資格者で、昔職場を共にした友人とは露知らなかった。それがひょんなことから分かり、それならばと言う事になった行楽。

整体士Iさんは高校時代相撲部員だけあって堂々の体格だが、毎日10kmのランニングを欠かさないスポーツマン。趣味は鉄道と富士登山だそうだ。以前から富士には誘われているのだが、彼の富士は東京発朝4時何分かの日帰りなので、年寄りには無理と言ってずっと遠慮している。代わりにこちらが近くのハイキングを持ちかけ、こっちに引きずり込みつつある関係。

Eさんは現役で練馬の病院に勤務中、病院の近くの農家から野菜を買っては持ち帰り、我が家ではしょっちゅうそのおすそ分けに与かっている。彼は看護師資格を自衛隊で修得した元自衛隊下士官。我が娘たちより少し若いので少し後輩であるが、娘たちとは勿論昔の遊び仲間。特にIさんのように山歩きが趣味と言う訳ではないのだが、同行するのが前の家の小父さんと聞いて「それならおれも連れていけ」と言う事になったらしい。

元自衛官だけに体力には自信がありそう。聞くと練馬の病院までの通勤に毎日片道50分程歩いているらしい。取敢えず彼に古いリュックサックとストックを渡し、靴はスニーカーでいいから、軍手と水筒だけは忘れずに7時に迎えに来るように言っておいた。約束通り7時に玄関のベルが鳴った。外に出ると少しどんよりしている。

天気予報は昼までは持つが、午後には降り出すと言っている。彼は当然雨具も無いし、無帽である。婆さんを交えて相談して、帽子は家に戻って取ってこさせ、雨具は取敢えず我が家に有ったビニール製レインウェアをリュックに入れて出発した。千川駅でIさんと落ち合い、新宿発7:44のホリデー快速で御嶽迄乗り換えなし。結構な混み具合だが、千川から鉄道マニアのIさんの言う通りに乗り換えが出来たので、どんぴしゃと座る事が出来た。

御嶽駅も相当な混雑だったが、慌ててもしようが無いのでゆっくり構えて、臨時バスに乗り、次いでケーブルカーの正面に陣取り標高800何メートルかの山頂駅迄の景色を楽しむ。ここから少し登ると御嶽神社、残念ながら黄砂に曇って下界は見る事が出来ない。Eさんスカイツリーも東京タワーも見えないと不満そう。安全祈願のお参りの後、支度を整え10時半からいよいよ大岳山に向かう。

登山道は整備されているし、陽気も暑すぎず寒くも無く快適だ。視界不良にやや不満だったEさんも、流石に「山の空気は良いですね。」と言ってくれたのでやや安心。山頂に近付くと登山道が少し険しくなり、軍手を忘れるなと言った意味が分かってくれた筈だ。お昼少し前に山頂に到着。前に来た時は富士山がきれいに見えたが、今回は全然ダメ。早速昼飯にして、婆さんが用意してくれた食品を分配、二人はあっという間に平らげる。

12:45鋸山と愛宕山神社経由で奥多摩駅を目指して下山を開始。これまたIさんの計算で、地図上の標準タイムが3時間だから、4:23のホリデー快速には間に合うだろうとの事。こちらは天気が心配だったが、予定通り3時間ほどで、降り出す前に奥多摩駅に到着。6時には池袋に着いて、焼き肉屋で反省会。久し振りにビールのジョッキを一気に飲み干してしまった。

初参加のEさんも楽しんだ様子で、今度は靴も揃えますから又何処かに行きましょうとの事。昨年までは圧倒的に単独行が多かったが、娘と同世代の青年、しかもトレーナーと看護師を引き連れて山に行けるとなるとこんな嬉しい事はない。

2011年5月2日月曜日

体力の劣化

やっと五月晴れのいい天気になった。昨日までの3連休は雨がぱらついたり強風が吹いたりで天気もいまいちだったが、体調を崩して風邪を引いてしまった。土曜日の夕方から鼻水が止まらない状態になり、日曜日の朝になると変に身体が重い。暖かくなってきたのに風邪とはおかしな話だが、人間の身体は不思議なものだ。土曜の朝起きた時に喉の調子が少しおかしいなとは思ったのだが、朝飯を食うと平常に戻ったように思った。

なので前日と同様にジムに出かけ、プールで1000m泳いだ後、500m水中ウォークをして、その後30分程ストレッチと軽い筋トレのメニューをこなした。ところが夕食頃から又おかしくなったので、食後に常備薬の「改源」を飲んで早く寝たつもりだが、朝になってもすっきりしないので昨日はプールを休んでしまった。丁度朝飯の時、テレビから健康食品のCMかなにかで『毎日トレーニング、健康な体を作りましょう』みたい声が流れてきた。

聞いた途端何故か「スポーツの選手でもあるまいに毎日トレーニングなんてばからしい」と夫婦の意見が目出度く一致。婆さんの「無理をしない、頑張らないが我が家の芸風だから」で、あっさりと水泳は止めて軽い散歩に切り替えてしまった。お陰で今朝は寝起きも良く、気分よく月初の仕事もこなす事が出来た。

歳と共に体力が衰えてくるのは当たり前のこと、週に3日も続けてプールに行く事はない。と自分でも納得したいのだが、これから山のシーズンが始まる事を考えると少し残念でもある。山歩きを初めてからもう数年経つが、もう少し北や南のアルプスにも行ってみたい。しかしこう体力が落ちてくると、2日も3日も高い山を歩き続けるのは少し無理かもしれない。

アルプスと言えば今年の春は残雪が多くて北アルプスの涸沢は入山が禁止になっているらしい。白馬や鹿島槍では雪崩や滑落で死亡事故まで発生しているようだ。連休の最後に燕岳にでも行ってみようかと思ったりしていたのだが、止める理由が出来た。いつでも止める理由は簡単に作ることが出来る。この調子で行くと、もう3000m級の山は永遠に行けなくなってしまうかな。

あすはご近所のお兄さんと奥多摩をハイキングする予定。