2011年5月25日水曜日

好き嫌い

食べ物なんかの好き嫌いも年と共に大いに変化する。子供の頃は兎に角甘いものが好きで、ザラメ砂糖が配給になると母と一緒にカルメ焼きを作るのが大好物だったし、野菜では人参牛蒡と言った根菜類は嫌いだった。魚と言ってもしょっぱいようなものばかりだったが、嫌いで、獣肉が好きで脂身部分を喜んで食べていた。しかし長ずるに及んで嗜好がまるきり変わり、最近は好んで野菜や魚を食べている。野菜なんかは昔のものに比べると味が変わったか、灰汁が抜けて食べやすくなっているのかもしれない。最近は特に旬の春野菜、ジャガイモにキャベツ、玉ねぎ、アスパラ等を方々から頂き、毎食いろんな形で美味しく食べている。

同様に歴史上の人物に対する好き嫌いも大分変化している。子供の頃は近くの大人と言うよりお兄さんやお姉さんかもしれないが、絵本か何かで「この人は偉い人だよ」と教えられると直ぐ好きになってしまった。典型的なのが上杉謙信である。武田信玄が悪い奴で、かなり大きくなるまで故郷の長野が上杉領だと内心誇りに思いこんだりして、川中島の古戦場に寝転んで、僧兵のような白い頭巾をかぶった武将の姿を想像したりしていた。そうこうするうちに、今度はやはり郷里が同じと言う事で、猿飛佐助と真田幸村が好きになったりした。ま、無邪気なものです。

小学校に上がって自分で絵本を読めるようになると、好きな人物にも幅が出てきます。野口英世博士やナポレオン、面白いのは戦前の絵本を読んだせいで、ヒトラーなんて人物も相当尊敬に値する人物だと思っていました。もっと進んで少年向きの本を読み始めた頃、父が小林一茶と湯川秀樹博士の伝記を買ってくれました。湯川先生がノーベル賞を受賞して1,2年後の4年生ぐらいの頃だったような気がします。この時は湯川先生より一茶の方がインパクトがあったように思います。

小学校も高学年になり、ある程度漢字も読めるようになると乱読が始まり、講談本や戦記ものをを大分読み漁りましたので、家康が悪い奴で秀吉贔屓とか、吉良上野介が大悪人で大石内蔵助が日本人の鑑とか、東郷元帥やら乃木大将、山本五十六に清水の次郎長。好きな人物は真に種々雑多一気に増え、その物語に登場する敵役は総て嫌な奴、悪い奴、従って嫌いな人物になってしまいました。このような幼少時の思い込みはかなり後を引きます。

しかし半世紀以上過ぎて、歴史的な知識も少し分かって来た現在、こういった思い込みは相当に是正されなければいけないと考えています。特に先の大戦と敗戦の責任者なんかについて、子供の頃は陸軍が悪くて、海軍は正しかったと思いこんでいました。戦争責任を糾弾するとすれば、真っ先に陸軍と近衛総理、更に引き継いで戦端を開く命令をした陸軍の東条総理、この二人が決定的な責任者とばかり思っていたものです。しかし最近は戦争の責任者については全く分からなくなってしまいました。特に海軍と陸軍の責任を分けて考えるのは、相当無理があるように思い始めています。

昔憧れの対象であった海軍にも国策をミスリードした責任は相当あるようです。広田弘毅の本を読んで外務省は可哀そうだと思った時代もありますが、外務省にしろ内務省にせよ大蔵省でも、今回の福島原発のように検証委員会でも立ちあげてきちんと調査すれば、相当問題点が抽出できたのではと思うこのごろです。歴史上の人物で今でも好きなのは「真田幸村」ぐらいかな。しかし歴史を詳しく学べばもっと違う評価になってしまうかも。

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