2018年4月30日月曜日

今日はなんの日?

今日は〔昭和の日〕の振替休日だそうだ。 先ほどマッサージの先生に 、天皇誕生日じゃなかった? と言って笑われてしまった。

今は平成時代 、4月29日は 昭和 天皇の誕生日ですよ。 その平成時代もあとちょうど一年で終わるそうだ。 天皇陛下より 7歳 年下なので 同世代とは言い難いが 、 陛下には 皇太子時代に 何度も 志賀高原で 何度もお会いしているので、 畏れ多いがとても 敬愛の念 を 感じている。

何故か、 70年を超える我が人生において、 天皇陛下ほど印象が変わらない人は珍しい。勝手な思い込みかもしれぬが、陛下のお気持ちがよくわかる気がするのだ。一言で言えば、憲法に則り平和を愛する日本国民の象徴としてあり続ける。このことを念頭に80年の長きに亘り立ち居振舞いを続けることができる人間は簡単には見つけることができぬだろう。

何れにせよ、多くの国民は 平和を満喫しながら、家族連れで 連休の行楽に うつつを抜かしている。国旗を揚げる家もなく、皇室に思いを馳せる輩も少ないだろうが、陛下は〔其れで善し〕と思われているに違いない。

2018年4月29日日曜日

再挑戦

タブレットに慣れるために再挑戦をします。 Windows のパソコンと大分似ているところもあるんですが やはりOS の違いで使いづらい点もあります。そのうちになれることでしょう。金曜日の朝鮮半島南北首脳会談は素晴らしいことだったと思いますが、日本が全く相手にされていないことは少し残念に思います。

対話のための対話が まさに始まったわけですから 、日本もいい加減にこの対話の重要性を認めるべきではないでしょうか。 それが世界平和への貢献第一歩でしょう。 北の若旦那も相当な役者だと思いますが韓国の 大統領もたいしたものだと思いました。日本には情報収集機能が ないので という 言い訳は通用しません 。何もかもアメリカに頼るだけでなく 自ら進んで 近隣諸国と対話する勇気を持つべきです

私は対話する相手がなくて 困っていますが、日本は多くの友好国がありながら、まともに対応してくれる国が少ないように思います。ポケットにお金さえあれば、どこにでも行けるでしょうが、行った先でまともに相手してくれるかどうかは別の問題であることを知るべきでしょうしょう。

2018年4月28日土曜日

気を取り直して

前回 参ったと書いたがいつまでも泣いてばかりいられませんので、気ををとりなおしての挑戦です。パソコンが ないのは確かに 不便です。 しかし一応メールも確認できますしこのようにブログを書こうと思えば書けわけです。 できないことの不便さをかこつよりむしろ新しくできることをもっと探求すべきだと思い始めています。 昨日は朝鮮半島の南北首脳会談報道で1日もちきりでした。 両首脳の共同記者会見で発表された 言葉の中で最も印象に残った言葉があります。 確か北朝鮮の若旦那が言った言葉だと思いますが、 歴史に対する責任と使命感です。 また段落の付け方がわからないので読みにくいと思いますが今日はこの辺で やめてきます。

2018年4月27日金曜日

参った

昨日のことである。 パソコンが急に壊れてしまったブログを書き書いている最中のことである メーカーは NEC どうしようも無い。 c もうパソコンは諦めて新しいタブレット買ってきた これから音声入力を勉強して 新しくブログを 始めたいと しばらくお休みします。

2018年4月24日火曜日

シニアライフのお手本

今年の正月、妻の死亡について170人程の知人と友人に、来年の喪中案内の意味を込めて手紙を送った。お悔やみの手紙で返事をくれた人もいるが、すぐに電話をしてきた友人の一人から、今日久しぶりに昼食をご馳走になった。もうそろそろ食事でもして、少し楽しくやろうよと気を遣ってくれているのだ。確かに何回か書いているように、妻がいない寂しさもさることながら、友達との会話が無いことの寂しさが募り始めているのも事実だ。誘ってもらったのは高円寺にある24時間営業の居酒屋。

昨日電話で「君は貝が好きか?」と聞かれて不思議に思っていたのだが、好き嫌い以前に一人になってから貝類は1度も食べていないので、喜んでご馳走になった。彼は4年先輩にあたるが物凄く元気で、元気の源が鶏卵と甲殻類とのこと。珍しい人かもしれぬ。ゴルフは未だにレギュラーティーでプレーをしたい方で、仲間泣かせのようでもある。酒も生ビールの後は日本酒の冷をコップからこぼれるほど注がせて2杯軽々とあけてしまっていた。ご馳走になりながら失礼だったが、こちらはチューハイ1杯で勘弁してもらった。彼はこちらのピッチが遅いので「焼酎を注ぎさししないとまずいのでは?」と気を遣ってくれるが、最近飲みつけないので勘弁してもらった。

ホタテ・サザエ・エビ3本・ハマグリ・鮭のハラミだけでも相当なボリュームだが、〆の丼も彼は全部平らげ、こちらは食べきれなかった。長生きしたけりゃもっと食を太くしないといかんみたいだ。更に面白かったのが会話の内容、主に懐旧談で子供や孫の話、病気自慢は一切無し。付き合いは既に半世紀を超えているので互いに相当知っているつもりだったが、広島出身の彼の政治信条がこちらとまるきり違うことに初めて気が付いたのも新鮮だった。政治信条が異なっても、互いの人格や友情が変わるわけは無い。彼の自慢はリタイアしてから友人が減るどころか、どんどん増えてしまったこと。

確かにそれは羨むべきことと痛感した次第。

2018年4月23日月曜日

身なりは大人

妻のように往生際が良すぎるのも考え物かもしれぬが、安倍内閣の閣僚や日銀総裁なんかの往生際の悪さは度が過ぎている。何れ全ては歴史に刻まれることになるが、ご本人たちはそのことをどう考えているのだろうか?尤も安倍内閣なんて歴史に顧みられることもなく、当事者もそんなことは考えてもいないかもしれぬ。歌(仰げば尊しかな)の文句に「身を立て名をあげ・・・」があるが、昔の人たちは「名をあげる」ことを、後世に名を遺すことと考えていたように思う。

現世で少々流行りもののごとく扱われても名をあげたことにはならなかったと理解したい。六三制以前の高等教育は旧制高等学校において行われたようだが、現在の高等学校はとても高等教育の名に値しない。大学教育も残念ながら同じだと思う。経験が無いので憶測で書くしかないが、昔の高等教育の核心は大人になるための考え、心構えを注入することにあったのではと思う。16歳で入学した新制高校だが、文化祭のファイヤーストームなんかで歌われる歌のなかに「デカンショ節」は残っていた。

これは旧制中学生の旧制高校生への憧れの遺産であろう。要するに卑猥な歌ばかりがなる年頃ではあるが、大人の仲間入りをするために「俺だって少しは哲学を勉強しているぞ。」との強がりである。現代で言うところの高等教育を一応受けて卒業免状は貰っているが、デカルトもカントもショウペンハウエルも何一つ知らない。まして漢文や坊主のお経なんて聞いても眠くなるだけだ。国会議員の座右の銘などをたまにテレビで聴くことがあるが、漢文からの引用を書く者もいるので、小生みたいバカばかりだとは言いたくないが、それにしても字が下手なのが気になる。中学校さえ出ていない角栄先生を見習えである。

現代日本はどうしてこうも子供みたい人間が多いのだろう。天に唾を吐いてしまった。

2018年4月22日日曜日

相続すべきこと

兄弟が5人いるが、既に二人は泉下の住人。それは兎も角として、思うに誰一人あらゆる意味で親父を超えることができた者はいないように思う。学歴はもちろん社会的地位やら児孫や資産形成に至るまで何もかもである。両親が健在の頃から母が笑いながらよく言っていたものだ。「遺伝子学的に言えばお父さんは隔世遺伝で出藍の誉れ、あなたたちは残念ながら劣性遺伝が出てしまったようね。」

しかし少し冷静に考えると、親の後を継いで親を超えることは難しいらしい。昔から言うではないか「売り家と唐様で書く三代目」である。それを知ってか知らずか、5人とも早くから、父のように学を修めて官僚になる意思は放棄していた。お陰でと言えるかどうか、一人は教師を経て芸術家になり、一人は宗教家とでも言っておこう。残る3人は社長さんになることができた。と言っても何れも吹けば飛ぶようなケチな話で、とても社会的に成功とはいかぬだろう。(笑)

個人的な話はこの通り自慢にもならないが、親と同じ職業について親を超えることができる人が少ないのは古今東西共通のようだ。些か不敬に当たるが、統治者も同じらしい。最近読んだ本に書いてあったのだが、徳川家が15代に亘り統治者の地位を守ったのは素晴らしいと言えばそうだが、よく調べると、まともな人は8代将軍吉宗くらいで、他は極めて凡庸だったり虚弱だったそうだ。後継者つくりが仕事のような江戸の将軍でさえである。まして市井の庶民においておやだ。

特に長男相続なんて制度は愚の骨頂で、唐様で書くになりかねないとのこと。江戸時代には長子相続が認められるケースもあったようで、長女の婿に継がせてうまくいったというケースが多いとのことだ。現代は相続と言えば資産、銭金が全てのように考える人が多かろうが、世界の常識がそうとは限らない。親の意思は千差万別、権力だったりする場合もあろう。また中国の話になるが、近世に入ると功成り名を遂げた親は、一般的に子供に教育を授けることを優先したらしい。現代日本と同じじゃないか、との声もあろうが、その志では大分異なるように思う。

彼の国の統治者は数千年の歴史の中でいろんな民族があるが、民族を超えて1300年間受け継がれた制度に「科挙」と言う官僚の採用試験制度がある。権力者や金持ちの子供だから裏口で科挙になれたと言うことはなかったようだ。因みに初めて知ったのだが、この科挙の制度の難しさは想像を絶する。3年に一度最終試験があって数人が任用されるようだが、その裾野は数万人を超えていそうだ。基礎は読み書きと歴史、当たり前と言えばそれまでだ。20世紀初頭に廃止されたが、現在の共産党にもその精神が受け継がれているとすれば、我が国の政治家が足元にも及ばないのは理解できる。

2018年4月21日土曜日

小生には難しすぎる「経済」

これまでさんざ悪口を書いてきた北朝鮮の若旦那、国民の苦しみをよそに夜な夜な酒池肉林の宴に酔いしれているデブの大馬鹿者とのイメージがある。その若旦那が昨日「兵器開発でアメリカと張り合ってきたが、一定の効果が出たので今後は路線を変更し、経済発展のために注力する。」と国内的に宣言した。恐怖政治を布いていることは無視しても、国内的に否は無いだろう。但し、これが国際的にどう受け止められるかは分からない。日本は勿論懐疑的に受け止め、やれ欺瞞だとか騙されるなと言っているようだ。

この問題はさておき、少し飛躍して日本の経済問題について最近思うことがある。今ご臨終を迎えている安倍長期政権だけの問題ではないかもしれぬが、日本政府の経済政策を日本人は真面目に考えてこなかったのではないだろうか?1985年のプラザ合意が、戦後国民が営々と積み上げてきた日本の経済に非常なインパクトをもたらしたらしい。当時こちらは45歳の働き盛り。為替が云々と言う言葉に記憶があるが、意味するところは全く理解できないし、理解しようとも思わなかった。4人の家族が食っていくために懸命に働くことしか頭に無かった。

己のことをもって日本全体を推し量ることはできないが、政府の経済政策なんか自分とは無関係、ただ働くことあるのみと考えた人もいたと思うし、現在もおられることだろう。そこで勤め人の「働くこと」の概念である。「会社の目的のために貢献する、結果としてお給金が増える。」だが、類推するに当時はこの概念がある程度通用したが、現在は必ずしもそうはいかないようである。そしてそれが政府の経済政策とかなり密接に関連しているのでは、とぼんやり考え始めている。論理的には説明できないので、ものしりの読者の方からコメントでも頂戴できればありがたい。

何故そんな疑問が、であるが、中国の経済成長が目覚ましいのはよく聞くところである。低成長の我が国との違いは何か?はっきりしているのは人口の相違だ。しかし人口が10倍以上違ったのは昔からのことで、ここ10年やそこらの話ではない。GDP世界2位の日本が中国にとってかわられたのは高々8年前のことだ。以来日本と中国のGDPの差は拡大の一方。国民一人当たりのGDPでは日本は現在世界25位くらい、これがどんな意味かもよく分からない。

もちろん中国の経済政策なんて分かろう筈がない。しかし数日前の宋文洲氏のメルマガに次の記述があった。『そう言えば、中国では銀行も土日営業しています。「日本の銀行は3時まで」と言うと中国人は目が点になります。夫婦が共に働く中国では、行政サービスや金融サービスは仕事時間外に受けるのが当たり前です。』タイトルは<失礼な「働き方改革」法案>である。兎に角因果関係は分からないが、政策と個人の生活は密接しているのかもしれぬ。とすれば、俺より北の若旦那の方が理屈が分かっているのかもしれぬ。

2018年4月19日木曜日

結婚記念日

少し肌寒い日が続いていたが今日から暖かくなるそうだ。実は今日は49回目の結婚記念日、相手がいなくなって初めて当時をしみじみ思いだす。今年と逆で、前日までお花見に最適ないい陽気だったが、当日長野市内は霙から雪になったような日だった。婚礼は昼で、今は無くなってしまったが、市内の料亭(富貴楼)で行われた。先ず座敷に親せきが居並び、その中から伯父さんが進み出て謡曲「高砂」を謡う中、上座に座った我々二人が仲居さんのお酌で三々九度の杯を受けた。正に人前結婚である。

現代は神前だったりキリストの前だったりするのが当たり前で、今では映画の中でしか観られないだろうが、半世紀前まではごく当たり前の光景だったわけだ。引き続いての披露宴も同じ料亭で行われたが、これも現代とはかなり異なり、招待客は殆どが新郎側だけで新婦側は親戚だけとかなりアンバランスだった。もう忘れてしまったが、何でも「見立て」とか「出会い」とか何とかがあり、新婦側両親が当時静岡在住だったこともあったのだろう。当時の結婚は当事者より家と家のイベントの意味が大きく、いわゆる見合い結婚でもあったので当事者は殆ど意見を言えなかったように思う。

従って式の後の披露宴は当時勤務していた会社の親睦会の様相で、出席者約100人くらいだったと思うが、当時まだ市内に結構いた芸者衆が20人くらい呼び込まれての大宴会。出席者全員からのお酌を受けなければならず、几帳面にそれを全部真面目に飲んだので大分酔ってしまったことを覚えている。兎も角そこを無事突破して、その日の夕方には東京から来てくれた学生時代の友人と母の友人の4人で、信越線の普通車に4人向かい合わせに乗って東京に帰ってきた。

その夜は自宅で過ごして翌日から2泊、当時勤務先の真ん前のホテル・ニュージャパンが新婚旅行だった。6日目には出勤して、それから暫くは連日勤務先の同僚やら先輩後輩取り混ぜて仕事帰りに家に招待しての宴会だった。それを嫁は嫌な顔をせずご接待に勤めてくれた。爾来48年近くこちらは我がままのしほうだい、妻は一度もお手伝いを頼むこともなく、正に女手一つで二人の子供まで育て上げてくれたことを思うと本当に感謝の念でいっぱいである。一つ残念なのは婚礼の記念写真がどうしても見つからないことだ。

大手企業に就職した友人に比べれば引っ越しの回数は少ないし、身の回りの品に対する執着はあまり無いが、ものの管理方法で夫婦間に大きな違いがあったようだ。

2018年4月18日水曜日

総理大臣の資格

政治の世界は分からないことと知らないことが多すぎて、考えようではミステリー小説を読む面白さのようなものがある。眼前の事実を取り上げて皮肉でも書けば済むかもしれぬが、こちらの知識が浅いので笑われるのが落ちだ。だから安倍総理が訪米して仲良しの大統領に「ハイ!ドナルド」と言って喜んでいことにケチをつけるのは措きたい。

どうせ分からないなら少し先のことでも書こうかなと思う。昨夜テレビBSフジの「プライムニュース」に飯島勲氏が出演して、「安倍さん以外に現在の日本を託せる政治家はいない」ことを力説強調していた。併せて、5月の連休明けには解散して総選挙をすれば必ず国民の信頼を取り戻し、9月に予定されている総裁選もなくなるから更に長期安定政権に向かう、なる恐ろしいご託宣だ。この飯島氏同じ長野県出身なので言いたくないが、信州人には珍しい得体のしれない人物である。苦労人であるのは事実のようだが、少し節操に欠ける嫌いがあるので好きになれない。

そのことは兎も角、現内閣の命運が尽きて延命措置で息している状態に対し、問題は野党側に政権交代に対する準備が全く無いことが大問題と言うことだけはよく理解できた。番組には民進党・大塚耕平氏と希望の党・玉木雄一郎氏、その応援団として政治学者・山口二郎氏が同席していて、山口氏は飯島氏の早期解散と野党の無気力には賛意を示さざるを得なかった。野党の党首二人もその点については同意せざるを得ないわけで、目下二人で新党立ち上げについて協議中であると言っていた。先の総選挙から未だ1年も経っていない中で巡ってきたチャンスと言えばチャンスだろう。

言語感覚で言えば「舌の根も乾かないうち」であり、また新党となると一般人から相当な反発があるかもしれぬ。そのリスクを冒さなければ自公に他する対立軸ができないのも事実だ。ご苦労なことだと思うが、大いに頑張って野党共闘体制を早急に作り上げて貰いたいものだ。そこで何か餞でも探したい気持ちでこのブログの中を「小泉首相」で検索してみた。(彼が日本を相当悪くした思っているので)10件近いヒットがあったが、その中から次を掲げたい。
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2011年8月24日水曜日
「総理大臣の資格」
<自民党時代の総理の条件>
最近40年、つまり田中角栄以降の総理がどのような経歴の持ち主かというのを表にしてみた。自民党政権ではよく、総理・総裁の条件として、当選10回60歳前後、党三役1回、閣僚3回で、内外務か大蔵(現財務)を1回経験するということがあげられていた。もっというと、3回のうち経済関係閣僚が2回というのもあった。田中角栄、三木赳夫、福田赳夫、大平正芳まではこの条件を一つも外すことなく全部クリアしていた。三角大福中とか言われていたが、すべて条件を整えた大物が派閥の領袖をしていたことになる。
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*高校の後輩代議士のブログからの引用文である。

2018年4月17日火曜日

健康ブーム

両親は長寿(共に90歳以上)だったし、最近は長生きの人が多いのも事実だ。しかし、平均寿命が己の寿命を保証してくれるものでないことは言うまでもない。小学生時代に教わっていた平均寿命は確か60歳にも達していなかったように記憶する。昭和の前半は戦争があったり、保健衛生観念も現在とはかなり異なって幼児死亡率も相当低かった筈だから当たり前だろうが、近年生まれた赤ちゃんは人生100年時代だそうだ。誰がこんな無責任なこと言い募って拡散させているか知らないが、日本人の平均寿命が延びていること事実なんだろう。

平均寿命が少し変わろうと、人体諸機関の寿命、換言するなら運動能力は昔も今も大差あるまい。妻の心臓は71年間動き続けて72年目に入る直前に突然停止してしまった。アスリートであった訳でもないから特に心臓を酷使していたとも思わないが、特に養生していた訳でもない。ごく普通に生活していたある日、生体の中枢部が「もう、やめた」と、自動停止してくれたのだから、考えようではハッピーかもしれぬ。翻って我が身も普通の耐用年数は大分過ぎているので、今後は意識して用心深くしないといけないと思っているところでもある。

とは言っても所詮は78歳、身体諸機関の劣化は否みようがない。統計によれば今年生まれた男子は80歳まで生きても不思議は無いらしいが、小生の場合は精々50歳くらいまで生きればよしとされていた時代の生まれである。これから先はただ生きていれば良いというものでもなく、他人の世話にならずに食事ができる生活をどこまで続けることができるか?この恐怖感が常にあって拭い去ることができない。そのため従来以上に健康について神経質になっている。3食きちんと食べて、適度な運動に規則正しい睡眠だと?

独居になって100日はもったが、こんなことがいつまで続くのかと思うとゾッとする。風邪でも引けば一巻の終わりじゃないか。終わりになればまだしも、終わりにならなきゃもっと悲惨だ。最近飯を食いに行くと「ご飯は白米にしますか、それとも健康米にしますか?」と言って五穀米やら麦飯を出す店がやたらに多い。社会人になりたての頃、精麦業者の団体の仕事をしたので、家で「麦飯にしてくれ」とリクエストしたことを思い出す。「何も好んで不味いご飯にすることはないでしょう。栄養なんかは食事全体を考えれば良いのよ。」

そう返事をした妻がよく言っていた「これからの若者は長生きできないと思うわ。食事が貧相に過ぎるから。」世は健康ブームに見えるが実際がどうなるかはわからない。我が食事が貧相になっていることだけは間違いない。

2018年4月15日日曜日

お薦めネット番組

昨日思いがけぬ人から「ブログを読みましたよ」と声を掛けられた。最近使用しているメールの署名欄にブログのアドレスを入れているせいだろう。同年輩の友人知人には既に宣伝しつくしていたが、乏しいメールの往復で若い読者を得たことは何よりも嬉しい。此のところ他人と会話する機会がめっきり減って少ないので、手段は兎も角として他人と繋がることが喜びになる。従って余り無責任なことを書き散らすのは慎まなければいかんだろう。しかし毎度幼児的な感情から来る文章の脱線に後悔し続ける身には荷が重いが、固く考えずに書かせてもらう。

今日特筆すべきは昨日の米英仏共同でのシリア攻撃だろうが、国連決議無きこの戦争行為をどう評価すべきか?半ボケの老人に分かろう筈がない。皮肉を込めて言えば、政府はしっかりした情報を持っているのかも知れぬが、すかさずトランプ親父に100%同意のサインを送っている。17日に親父と会談がセットされえていることを思うと当然なのかもしれぬ。ロシアとの関係を心配する向きもあるが、今の総理にはそんなことを考える余裕は無いだろう。

もりかけ問題で追い詰められている国会から逃げ出し、フロリダでゴルフをすれば気が晴れるのか?その程度の人材だと言うことだろう。大臣の経験が一度も無く、学歴も社会人としての経験も碌に無く、親父の秘書で口利きだけを覚えた2世議員がどこでどうした訳か官房長官に抜擢され、更に総理大臣になってしまった。彼が一人前の政治家として国際社会で通用する筈が無いと指摘されるのは当然のことだ。とは言っても国内では安倍一強だから、周りの人間は皆言うなりではないか。

と思っていたら、強烈に反論する人間がいた。「周りに寄ってきている人間、特に政治家は全員二流三流の人材ばかり、官僚も意のままに操られているように見えるが、実際は馬鹿にしきっている。陰で本音を聞くとよく分かる。」その毒舌は田中真紀子氏。安倍総理と同期の自民党議員で大臣経験も2回ある。中身をここでバラスのは勿体ない、次の番組(前半の約40分)でお楽しみ頂きたい。
https://www.youtube.com/watch?v=i2dW_hYZOWU&t=3862s

彼女の発言を聞いて思ったのは、こんな人材を総理に持ち上げた責任は有権者、言い換えれば己の責任も重い。今からでも遅くないから覚醒して真面目に考えたい。この番組を少しでも拡散することも些かの役に立つだろうと思って取り上げた次第。ぜひ時間を割いて御覧願いたい。

2018年4月14日土曜日

報道人のプライド

今朝テレビを観ていたら、興味深い発言を聞いた。新井紀子さんと言う方で近著「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」がベストセラーになっているそうだ。著書を読む気にはならないが、以下の発言は考える価値があると思った。「現代の小学3年生ぐらいの子に火を見たことが無い子が結構いる。」なるほどガスは危ないから家庭内にガス器具を置かない、誰もタバコを吸わなければライターもないかもしれない。我が家は最近仏壇ができたので毎朝火を使うが、これと無縁ならば子供が火を見ない道理ではある。

理科の実験で初めて火を見る子供、切り出しナイフで鉛筆の削り方が分からない子供、けれど小学校低学年でもプログラムを考えることができる子供。世代で言えば僅か3世代、共にこの世に居ながら宇宙人のような人種が増えているらしい。同世代にも婆さんが「宇宙人」と綽名をつけた友人がいたが、彼なんか愛敬ある方だ。火を知らない人種を何と呼んだらいいのだろうか。もちろん善悪の問題ではない、あと何年になるか分からないが、彼等と仲良く共存していくためには、こちらも心すべきことが何かあるのだろう。と考え込んだ次第である。但し、残念ながら特段の知恵は思い浮かばない。

子供たちとは仲良くしていけるだろうが、テレビを観ていて閉口するのがいい歳をした大人、それもテレビに出てくるくらいだから、知識人とされる人種の日本語である。本当に「いい加減にしてくれ」と耳を覆いたくなるのが、最近よく聞く「もりかけ問題について、違法性は何も無いが道義的責任はある。」だ。これを最初にテレビで聞いたのは大分前になるが、伊吹元衆院議長の発言である。その後自民党議員などがテレビに出てくると必ずと言っていいくらいこれと似たようなことを口走る。「だから、最初から何も隠さず正直に言ってしまえばよかったのですよ。」

与党政治家が調子づいて「学校は一点の曇りもない法手続きに従って開校され、真面目な若者たちが学問に真剣に取り組み始めている。」「自衛隊員の皆様は今日でもまじめに災害復旧に汗を流していらっしゃる。文書の隠蔽なんか・・・。」なんて御託を並べて違法性無きことを強調するのは分かるとしても、放送局の人間やコメンテーターと称する者までが似たようなことを言って政権擁護に走るのを見るのはなんとも辛い。こいつ等「道義的責任」を明らかに違法性と比べて軽んじている。

思えば一時「法と事実に基づく法治国家」なる言葉が流行ったこともある。法に触れなきゃ何してもいい、見つからなきゃ何してもいいのか?局によって違いがあるが、この期に及んで未だ政権擁護に走るメディアは何をもって使命と感じているのだろうか?数日前図書館で読んだ1955年1月の文藝春秋に荒垣秀雄氏(朝日新聞論説員、天声人語執筆者として有名)が吉田ワンマン内閣総辞職に際し「言論は空しくなかった」との一文を寄せていた。言論は非力であるが、しかし・・・である。報道に携わる人間は、その矜持が無ければ資格がないのと同じだろう。

2018年4月12日木曜日

子供と大人

喜寿を過ぎても相当子供じみているので、他人のことを論うのは些か気が引けるが敢えて言いたい。国会は国家の権威の最高峰だから、ここに集う人間は幾ら人気投票のような選挙で選出されるとはいえ、識見ともに大人の中の大人であると信じている人が多いだろう。小生もそう信じたいが、少し古い雑誌なんかと読んでいると、現代の政治家諸氏は名前だけしか知らない5、60年前の政治家と比べて相当に子供じみているようだ。

子供大人の違いはどこにあるのだろうか?ここだと断言することは難しいが、責任の取り方も大きな要素だ。悪戯したとき子供は謝れば済まされるが、代わりに大人が弁償したりして責任を取らされる。社会の常識である。先日総理の言葉の軽さを嘆いて書いた通り、最近の政治報道を見ていると「遺憾」とか「お詫びする」の氾濫とも言いたくなる。子供じゃあるまいし「ごめんで済めば警察はいらない」である。

まだ小学校に上がる前のことを思い出す。物心ついた時に父は南方に出征していて、我が兄弟を養ってくれていたのは祖母と母の女手だった。祖母の実家に初めて行った時のことである。祖母が小生を仏壇の前に座らせて手を合わせてお参りさせた後の言葉である。「ご先祖様たちはお前がどんなに状況になろうと、例え世界中がお前の敵に回るようなことになろうと、必ずお前の側に立って守ってくださる。但し、男の子は自分でしでかしたことについては自分で責任を取らねばならない。」

そして仏壇の下の引き出しを開けた。そこには過去帳と短刀が一振り置いてあった。過去帳は漢字しか書いてないので訳が分からなかったが、短刀は今でもはっきり覚えている。更に祖母が言った言葉も併せてである。「昔の侍は喧嘩をしたら相手を殺して、自分もすぐに腹を切って死んだものだ。だから侍は自分の腹を切るために常に短刀を懐に隠し持っていたのだ。男の子はそうでなくてはいけない。」我が家は百姓の系譜だったが、祖母は武士の娘だったので出自ついても誇りを秘めていたのだろう。

祖母の言葉には無理と矛盾があるかもしれぬが、子供心に強く響いたのも事実だ。その後祖母の教えを守っているとは言えず、相変わらず子供じみたことばかりしているが、他人のアラは目につくものだ。少なくとも日本の国会は小学校の生徒会以下に落ちていると言っても言い過ぎには当たらない。「いま明確に嘘つきとおっしゃいましたね、ならば証拠を示して頂かねばなりませぬ。」動かぬ証拠を突き付けられても、こんな強弁をする総理大臣である。本当に教育上悪すぎる。

2018年4月10日火曜日

これからが見もの

これだけ政権の嘘がばれても、総理は「官僚の病巣を究明して膿を出し切りるために全力を傾注するので、お任せ下さい。」みたいことを言っている。正気の沙汰とは思えないが、国会に薄ら笑いを浮かべながら座り、平然と言い放つ姿を映像で見ていると、この人はやはりどこかが狂っている、とても常人ではないと思えてくる。トランプ大統領でさえ、この薄ら笑いを気持ち悪がっているのだからどうしようもあるまい。誰かがツイッターに総理の嘘に対する感覚を捉えて、<戦後日本の歴代首相の中で現首相ほど「言葉」に不誠実な人物が他にいただろうか。>と書いていたが、政治家の資質以前にまともな国語教育を履修できていないように感じてしまう。

何れにしても、ここまで来ると余命は時間の問題だと思うが、今後は周辺で甘い汁を吸っていた連中の逃げ足の競争が一種の見ものとなるだろう。官僚も上に行くと政治的選択を迫られるのは仕方なかろうが、佐川氏なんか沈没間近の船の機関室に自ら入っていったようなことで仕方ないが、気の毒なものだ。普通下級官僚は政治とは無関係でよかった筈が、今回はどの省庁でも、ご粗末な政治家が下級官僚まで巻き込んで犠牲を増やしそうなのが気の毒でならぬ。

政治家は元からいい加減だから、現政権の忠犬を気取っている連中も、上は幹事長なんかを始めとして、決戦になったらどっちにつくべきかの研究に没頭していることだろう。市井にあっては、評論家なんかでも微妙に軌道修正し始めているのがちらほら出始めている。当たり前と言えば当たり前だが、派閥なるものが判然としないので、次にトップを引く者はおろか、候補者たりうる存在すら判然としない。閣僚がこれまた小者ぞろいだから余計難しい。

先週図書館で1955年政変(正確には1954年末政変と言うべきかも)当時の雑誌をちらちら見て思ったことがある。大長期政権築いた吉田茂でさえ末期になると行動様式が現安倍政権に似ているのだ。当時は対抗馬の鳩山一郎を担ぐ動きが党外で活発になったことに加え、吉田が右腕と頼んだ緒方竹虎が造反したことが決定打になったようだ。現在の自民党内に安倍に造反できる人材はいないようだ。

石破にしても小泉進次郎しても格好つけているが、本気で戦うという姿勢は見えてこない。沈没すると決まった船の上で未だに逡巡しているようにしか見えない。それにしても、トランプも首脳会談の予定をキャンセルしない神経がよく分からない。

2018年4月8日日曜日

唱歌「平城山」

昨日故郷長野にある先祖代々の墓に妻の納骨をしてきた。葬儀が年末で慌ただしかったこともあり、気候が良くなってから納骨しようとずっと前から決めていたのだが、近づくにつれ天気予報が7日は全国的に大荒れと言っている。特に6日は都内も強風が吹き荒れて参ったなと思ったが、寺との約束もあり今更変更はできない。「なるようになれ」と思って就寝し、朝目覚めると雨も上がり風も止んでいる。昔から「晴女」と自慢していた妻のもの日だけのことがあったようだ。

狙い通り長野は快晴となり桜も満開でいい日和となった。納骨を無事に済ませ、駅前の蕎麦屋でお斎 を設けさせてもらった。近い親族だけの気の置けない会だったが、冒頭の献杯の音頭を本席での最長老、我が夫婦の実質的仲人(小父さんと呼ばせてもらったが、義理の兄が正確かもしれぬ)にお願いした。年齢は丁度一回り上の満90歳。掘りごたつにはなっていたが座敷なので、そのままでやってくださいとお願いするも「こんな大事な役目は立たずにはすまされない。」と態々立ち上がってのご挨拶だった。

足元が弱っているのは確かで、数日前に暗闇で庭の立木に打つかったとのことで眼帯をしたままである。しかし話の内容や声の張りはとても90歳には思えない。さらに驚いたことに話の区切りがついたところで、歌を1曲歌わせてくれと、いきなり「平城山」を歌いだした。昔は小学校唱歌だから知らない人はいなかっただろうが、小生だってこれまでに聞いたことは何回あっただろうか?出席者の大部分は子や孫たちの年代である。宴会の余興で歌を歌うことに違和感は無いだろうが、献杯のご発声である。こちらはびっくりしたが、小父さんの選曲と声の素晴らしさには感心して拍手をしてしまった。

この小父さんの健康法を伺うと、酒を毎晩飲んで出来るだけ肉食を心掛けているとのこと。若い時から酒を飲み比べて負けたことが無いらしい。昨日は向かいに座って頂いたが、酒量は全く敵わなかった。頑張れよ!とのお励ましも頂戴したが、食事の不自由はかこっているし酒もとても真似が出来そうにない。今さら自分の心配をしても始まらないが、無事納骨を澄ませたことだけはありがたかった。

2018年4月6日金曜日

「イメージ」

新聞を取ることをやめ、たまにネットで検索するだけなので次の記事が何面に掲載されたものか分からないが、今朝の朝日新聞に掲載されたらしい。『森友問題、官邸関与は「イメージ」 騒ぐ国会、政策論は』(佐伯啓思・京大名誉教授)との署名記事だ。佐伯氏は経済学者だが、随筆めいたものもよく書いているので時々読んだりしている。今回の記事はかなり長文だが要約すると「野党が森友事件について官邸の関与の疑惑濃厚として騒ぎ、マスコミがそれを大きく扱った結果、隠蔽疑惑として一種の世論を形成している。しかし、現時点で確かなことは、ただ財務省内部での改ざんの事実だけで、官邸の関与を示す証拠は何もない。」

佐伯氏は国会が1か月以上の長きにわたりこの事案に明け暮れ、政策論議がなおざりにされていることを憂いている。氏は専門とする経済分野でも与党寄りの見解を持つわけでもなく、むしろ普段は安倍政策全般について批判的である。であるのにまるでネトウヨが言いそうなことを書き、それを問題に火をつけた朝日新聞が掲載しているのは面白いと言っては不謹慎かもしれぬが、不思議でもある。佐伯氏が言うところは正論であるが、朝日新聞は社運をかけて政権と闘っている、と言われている最中ではないか?

国会における与野党のせめぎあいは兎も角、政権と一メディアの戦いとしては一種の勝利宣言のようにも聞こえてしまう。いくら何でもそれは無いだろう。今話題の映画「ペンタゴン ペーパーズ」でワシントンポストの社主が、それこそ社運を賭けた山場で「報道の自由は国民のためにあるので、統治者のためではない。」と名言を吐いている。朝日新聞社に言わせれば、一連の報道にはたが言うほど社運を賭けてなんかいないかもしれないし、経営面では政府から優遇されている大企業だ。

間違って政権がひっくり返ることなんかになったら却って具合の悪いので、経営サイドが記者にブレーキをかけるなんてことがあるかもしれぬ。テレビ業界ではよく聞く話でもある。幸い野党もだらしないし、適当なところで手を引かねばと考える向きがあっても不思議は無い。それには誰にも反対できない正論を持ち出すのが一番だなんて、日本のクオリティーペーパーにまさかそんな下心は無いことを願う。洋の東西を問わず、マスコミの社主クラスは社会の最上層部に位置するものらしい。穿ち過ぎかもしれぬが、イメージに翻弄されている己を反省しながら、ふと不安感を覚えてしまった。

2018年4月4日水曜日

情報公開

このところ政府の公文書の改竄や隠ぺい問題が世間を騒がしている。これまで深く考えたことも無かったし、子供の頃から夏休みの日記をまとめて向かいのお姉さんに書いてもらっていたくらいだから今さら偉そうなことを言えた義理でもない。私的な記録はべつであるが、この年になると公的記録は大事なものと感じざるを得ない。公私の別はなにか。仕事上の記録は全て公的と言えるだろう。我が家は文書管理がかなり乱雑で、通信簿や手紙類は殆ど残さない主義だったが、家の権利書と近隣との境界確定確認書類だけはしっかり残されていた。

市井の民はこの程度でいいだろうが、民から税金(年金などの社会保険料も同じ)を徴収する側は連続性が大事なので、記録を大事にしてもらいたいものだ。昨年10月、12月と年金支給額が急減したので、正月に区役所にクレームをつけたばかりだ。こんなチマチマした話は措くとして、政府が公文書を改竄したり隠蔽するのは罪が重い。野党が民主主義の根幹を揺るがすと言うのも大げさではあるまい。歴史上、記録が不都合だからとて焼却したりして失くしてしまった政権は内外共に多々ある。

極端に言えば、権力を勝ち取った者の最初の仕事は前政権の不都合な文書を亡きものにすることにあったのかもしれぬ。気持ちは分からないではないが独裁国家でなければ不可能だろう。勿論日本は三権分立の立派な民主国家で、官僚が国民の中で最も優秀な人材が当たり、多少問題ある政治家がトップに座っても記録の改竄などはさせないだろうと信じられてきた。ところがギッチョン、その官僚たちが次から次へと改竄、隠蔽を図っていることが発覚しているのだ。

それも大分昔の文書ではなく、現政権期間中のことである。更に困ったことに法律家によると、これらの行為は犯罪にはならないらしい。試験の答案を書き換えたことがばれれば生徒は一巻の終わりになるが、役所の公文書を作成した本人が書き換えたとしても、それを罰する法律を見つけるのが困難だと言うのだ。確かに試験の答案でないのは分かるが、理解しにくいなぁ。。政権交代でもないのに公文書を書き換えるなんてことを思いつく者は、これまでにいなかったということらしい。

情報公開請求で開示された文書が墨塗りばかりも似たようなことで、何となく政権は嘘を言いたい放題らしい。その政権を信用するかどうかは民が選挙によって示すしかないとのこと。日本の政治システムがこんないい加減だとは知らなかった。あまり利口そうに見えない安倍総理が、そこをうまくついて長期政権を維持しているのだから馬鹿にできないかもしれぬ。

2018年4月3日火曜日

社会復帰に向けて

無職の老人には関係なく時は坦々と移ろい、また入社、入学のシーズンがやってきた。自分の時代と比べれば、同年齢の人間が半分以下になっているのだから社会の何かが大きく変わっていて当たり前だ。しかし、18歳や22歳くらいの若者の心理には半世紀を超える昔の我が想いと変わらぬことも沢山あるだろう。入社して間もなくと言っても2、3年は経っていたかもしれぬが、得意先の先輩から聞いた言葉を懐かしく思い出す。たまたま同じ高校(先輩にとっては中学)の出身であったことから、大変かわいがっていただいた。

未だ社会のことが殆ど理解できず、無我夢中だったころだったが、何かの拍子に聞いた一言である。「君が今の私の年齢に来るまでには気が遠くなるくらい長い時間がある。」要するに、経験不足を気にするな、一つ一つ経験を大事につき重ねていきなさい。良いこと悪いことが次々に現れるだろうが、それが人生と言ううものさとの意味だったように思う。年齢的には二回り近い先輩だと思うが、父なんかよりは大分若く戦地にも行っていなかった方だった。

今にして思えば、経験を通して学習したことは確かに貴重と言えるような気もする。しかし半世紀以上の年月を経て、自分は如何ほどの経験を積むことができたのであろうか?先輩の言葉を思い出して、今更ながら経験の乏しさに忸怩たるものがある。考えてみると、過去30年くらいの間、結婚生活の後半は夫婦共々意図的に新たな経験を避けて暮らしてきたからだろう。恐らく普通のリタイアメントは第2の人生と称する時期を、趣味などに大いに拡大するところかもしれぬ。現役時代はその予行演習と心得、現役時代に培った知識をさらに掘り下げたり、やり残したことを改めて追及したりする人も多い。

60歳過ぎてからゴルフがうまくなったとか、夫婦で世界をくまなく回るといった話はよく聞くところでもある。人生100年時代が現実味を帯びているのだから、至極当然かもしれぬ。ところが我が家は妻がそういった精神の拡大傾向が全く無かったせいか、こちらも現役時代に羽を伸ばし放題だったせいか、会社勤めを終えると何となく内に籠りがちになり社交性も縮小するし、新たな経験に挑戦する意欲が失せる一方だった。そこにもってきて突然の妻の死だから、ここ3か月は一層その傾向が強まった。

引き籠りは一番いけないと他人から忠告されたりして、多少は自覚するようになったこともあり、陽気が良くなってきたこともあり、今日は今年初めて国会図書館で小説を読んできた。浅田次郎の『神坐す山の物語』である。神坐す山とは奥多摩の御嶽山のことであり、結構面白い。夢枕獏であればいざ知らず彼がこんな小説を書いているとは知らなかった。3か月以上活字から遠ざかっていたので、こんなところから徐々にらしさがもどってくれば良いことだろう。

それにしても国会図書館のパソコンシステムの変貌ぶりは凄い。莫大な投資なんだろうが、もっと他の方面に向けたらどうかと思ったりもした。