2014年7月31日木曜日

読後感「努力論」幸田露伴著

書店で偶然見つけた本である。小説家とばかり思っていた著者が、随筆めいたものも書くのかと再認識させられた。店頭で「初刊自序」に目を通して面白そうだと思った。項目が多岐にわたっているので、休み休みゆっくり読むことが出来そうだし、努力とは実に縁遠い人生であったので、せめてその意味だけでも知るのは悪くなかろうとの思いで読み始めた。

露伴先生、小説家の割には非常に生真面目な哲学者のようでもある。読み進んで先ず思ったのは、こりゃとても随筆ではなくて、マジで修身の教科書か哲学書のつもりで書かれたのかもしれぬ。全巻を通して著者の人生観、即ち、人は如何にして幸せな生涯を送ることができるかを説いている。最後の解説を「清貧の思想」で有名な中野孝次氏が執筆し、その中で「西洋に向かって発せられた東洋からの幸福論と言っていい」と表現している。

明治45年に出版されたものなので、難しい言葉と漢字が多いことには少し閉口しながら解らない部分は読み飛ばしてきたが、大凡のことは理解できる。余談ながら、日本語は高々100年ぐらいでどうしてこんなに変化するのだろう?英国では現代でもシェクスピアの原文をそのまま読む人も多いと聞くが、日本では明治後期のものでさえこんなに読みにくいのだから、江戸時代より前の文章なんかを読める人が少なくなるのは当たり前だ。

一例をあげよう。「遼豕の誹りを承知で・・・」との文章が何回か現われる。漢字「遼豕」の読みと意味が全く分からない。仕方なしに辞書を検索した(開いた訳ではありません)。時間が掛かりましたが、解りました。読みは「りょうし」意味は「これは珍しいものだと自分で思っ ているのに、他の人が見ると、少しも珍しくもなんともなくて恥をかくこと。」だそうです。露伴先生として、は知ったかぶりかもしれません、と謙遜気味に書いている訳だ。

「恥を遼豕に招く」とは小生のために用意されているような言葉かもしれぬ。本論から逸れてしまったが、結論は簡単である。実は昨日のブログで少し触れたことでもある。人生で「幸」なんてそう簡単に巡りあわせで来るものではないし、努力してさえ「不幸」に終わることだってある。幸せを他力にすがるのは論外であり、人間は目的を持って努力をすべきで、それが結果的には「幸」に結びつくことが多い。しかし、たまたま「幸」とか「福」に恵まれても、それに奢るとでも言うか、無駄に使うと碌なことにはならない。

むしろ他人に分けるとか、後のことを考えた方が身のためだよ。とごく当たり前のようなことから始まり、これも別に新しい考えではないと思うが、「気」の大切さ等を念入りに書いている。露伴先生も仰るが、人生気の持ちよう一つだろう。この読書では、内容よりも先に書いたような漢字の珍しさに加え、明治時代の人が漢籍は勿論、西欧の科学的新知識に至るまで、貪欲に知識を吸収していたことに驚嘆するばかりだった。




2014年7月30日水曜日

一寸した刺激

2日ほどからりとして比較的凌ぎやすい日が続いたが、今日は湿気がが大分戻ってきたようである。台風が日本に接近中とのことだから仕方なさそうだ。お天気ですら、そんなにうまい日が続くものではない。まして娑婆の諸事情は都合の悪いことが続くことは多いが、都合の善いことなんぞは滅多に無いものだ。しかしものは考えようだから、極力つまらぬことは忘れて、肯定的に受け止められる事柄を見つけて、出来るだけ明るく過ごしたいものだ。

今日も古い友人が訪ねてきて昔話になった。いろいろな話が出たが、忘れていることが非常に多いことに気が付いた。改めて考えると、過去を振り返っても「あの時は良かったなぁ」なんてことは少なく、苦しかったことの方が多いのかもしれぬ。前立腺癌の検査を受診して、結果が知らされる迄2週間も待つのも嫌なものだが、昨日の同期会で同期生の相憐れむような話を沢山聞いた結果、自分は未だ程度が良い方だ、仮にアウトの結果が出ても仕方ないかと思いはじめた。

今日来てくれた友人は大分先輩にあたる年齢だ。昨日の同期生連とは異なり元気なこともさりながら、仕事に対する意欲が凄い。芸術家と言うべきなのかクリエイター的な仕事のせいでもあろうが、金銭的な欲求を度外視した執念はある意味で敬服した。彼の話を聞いて一寸刺激を受けた意味もある。休眠させている有限会社の看板を借りたいとの申し出を簡単に了承した。折角落ち着いているのに余計なことを!と思う人もいるかもしれぬが、これもまた人生で、面白いではないか。

2014年7月29日火曜日

強き者 汝の名は「女性」

学生時代であれば当たり前かもしれぬが、いい歳の爺さん婆さんが土用の最中に都心に集まって同期会とはこれ如何に?ではあるが、兎も角本日の昼飯時に日比谷公園近くの会員制クラブの1室で、大学時代の同期会があったので参加してきた。昨日から多少暑さが和らいだとは言え、やはり真夏のこと、参加者は少し少なめの12人。男女比は丁度丁度半々だったが、この齢になるとどうも女性の方が活力があるみたいだ。

男性は病気持ちが多く、女性は未亡人2人を含め皆元気そうで溌剌としている。
話を聞いていると、男性は小生もそのうちの一人ではあるが、全員が身体に故障を抱えているようだった。重症と思われる方から上げると、心臓にペースメーカーを入れている者、今年腎臓癌の摘出手術をした者、脳梗塞を既に2回患い、併せて前立腺癌で放射線治療中の者、脊椎間狭窄で悩んでいる者、そしてもう一人は小生同様に前立腺がんの疑いで検査したばかりの者である。

しかし6人ともお酒だけは懲りずにしっかり飲んでいる。2次会を同じ日比谷の帝国ホテル地下にある三田倶楽部でお茶でもと言うことになったら、男性のうち二人は、出来上がってしまっていて不参加を表明したが、女性は全員参加だ。大学同期だから年齢的には後期高齢者になっている者もいるし、男性は歩くのも覚束なくなっている者までいるので仕方ない。改めて生命力の男女差を痛感してしまった。

話の内容も、男子は9割以上が病気の話だが、女性の話はバラエティーに富んでいる。海外旅行や山歩き、読書等の趣味に関する話、同じ病気の話でもご亭主や親御さん介護の苦労話となると、男性の話と質的に大分異なり、聞いて大いに参考になった。相続に関する配慮、税金や株式の話からは現政権批判まで話が発展していく。今日朝日新聞が発表した世論調査では、男性の政権支持率は現在でも50%近くあって不支持率をしのいでいるが、女性だけで見ると不支持率が支持率を上回っている。

女性にゴマをすりながらも、女性の心に響く政策が全く打ち出せない現政権のご粗末さは女性を舐めているのかどうかだが。その姑息さは完全に見透かされているようだ。

2014年7月28日月曜日

政権与党の緊張感喪失

未だ7月だと言うのに、9月初旬に内閣を改造すると政府が公式に発表したとのこと。一体何を考えているのだろう?確かに国会は休会中で、大臣と言えども国会議員の大部分は何をしているのか分からない。なんたって総理閣下自身がまた大好きな大名旅行中で、中南米の観光地を愛妻ご同伴で廻っていらっしゃる。自分も含むが有権者側も「どうでもいいから好きにしてくれ。」と些か投げやりな気分でいるのではと思ってしまう。

福一原発のトラブル続出問題、沖縄辺野古の埋め立て問題、オスプレー全国拡散問題等、国内には解決が急がれる問題は沢山ある筈であるが、何れも無責任の極みで政治的イニシアティブは全く伺うことが出来ない。現在ほど無責任な国家体制は近年稀ではないか。TBS日曜日6:00の「時事放談」に出演した片山善博元鳥取県知事がいみじくも指摘していたが、福一原発の復興が一向に進まず、次から次へとトラブルが露呈するのは、責任者の存在がはっきりしていないことに起因すると思う。ゴルフ焼けした茂木経産大臣の顔からは、とてもじゃないが国家が責任を持って廃炉に向けた作業に取り組んでいる様子は伺えない。

福一の現場は、この暑さの中連日千を超える作業員が働いていると聞く。人材のみならず、投入されている金額も莫大なものになるだろう。その人・物・金・情報の流れは如何なる神経系統でコントロールされているのか、頂点に立って管理をしている責任者が誰かは全く見えてこない。同番組に同じく出演していた浜規子教授の科白ではないが、全くの「ノー・コントロール」そのものに思えてくる。民主党政権時代に経産大臣のもとで細野某氏が災害復旧か何かの特別補佐とか何とかで、東電に張り付けられていたことが懐かしくさえ憶えてくる。

1か月後に内閣改造と声を掛ければ、涎を垂らして集まってくる陣笠議員は「総理の仰せご尤も」となるだろう。しかし馘首となる可能性が高まる現役大臣はどう思うか。石原環境相ならずとも、どうせだからのんびりしたい放題のこと始めるに違いあるまい。中にそうでない責任感ある人がいることを祈るが、残念ながら人間の性は悪貨が良貨を駆逐するように出来ている。しかも本来であれば、各官庁にとって8月は、平成27年度予算案を固める極めて重要な時期である。トップが腰の据わらない無責任であれば、官僚はやり易いことだろう。

尤も、その概算要求基準そのものが、公共事業費を1割カットして、それを上回る公共事業費の特別予算を設けると宣言するインチキ極まりないものであれば、何をか況やである。何れにせよ年末にかけては福島知事選、沖縄知事選もあることだ。与党が如何なる作戦を考えているか知る由もないが、滋賀県に引き続いて、苦労することになるだろう。姑息なことを言って騙そうにも、国民はそんなに馬鹿ではないと信じたい。

2014年7月27日日曜日

無関心では済まされないかもしれぬ

余りにも遠い異国のことなので正確には理解できていないだろう。今年の冬に起きた暴力デモから始まったウクライナの政変、クリミヤの独立からロシアへの編入、更にはドネツク共和国の独立宣言とウクライナとの内戦、そしてマレーシア航空機の撃墜事件の発生。裏にはロシアとアメリカが密接に関係しているようではあるし、政変そのものは、その前からずっと続いていることのようである。そこに住む住民、市民はどんな思いでいるのか?嘗てのユーゴ程でないにしても、複数民族国家の統一の困難さと分裂の容易さだけが印象に残る。

我が国も昔は出雲民族が圧倒的であったところに、九州方面から後に大和朝廷を立ち上げる南方民族が攻め上ってきて、一時は複数民族が混在していたのだろう。それが千数百年の時を経て一応単一民族のように自覚できるようになっているのだから目出度い限りだ。その時に如何なる知恵者がいて如何なる条件設定がなされたのか?。歴史は常に勝者が書いたものしか残らないので、検証は不可能である。戦いはいつの時代であれ悲惨で、限定的な戦などある筈もない。当時も戦に巻き込まれた市民農民も多かったこだろう。期待値で想像を逞しくすると、日本の場合は最終的に戦争当事国(出雲側)の責任者層の首が刎ねられることでの決着が図られ、市民の被害が少なかったことを期待したい。

我が人生で物心ついた時はチトー大統領がいるユーゴソラヴィアなる国が実在していた。それが僅か70年にも満たない短期間で、現在は7つの国家に分裂している。この間に発生したこの地域の民族や国家分裂の歴史について全く理解出来ていないが、理解できている同輩諸氏は如何程になるだろうか。少なくとも個人的に承知しているのは、そのうちの1国ボスニアの首都サラエボでオリンピックが開催されたこと、全日本サッカーの監督に就任したオシム氏も同地のご出身と聞いたことぐらいものだろう。

今や地球所に存在する国家なるものが200を超えているらしい。飛行機に乗って行こうと思えば、地球の裏側でも2日もあれば行けない国は無いだろう。生存している人類は確か80億人とか90億人であったかとうろ覚えである。しかし民族については全く分からない。ある日突然の悲惨な報道でふと耳にして、そうかと思うのである。嘗て友人の薦めで観た「ホテル・ルワンダ」と言う映画がある。これもアフリカののどこかにある国のお話(実話)に基づいた民族紛争の悲惨さがテーマであった。

その民族名がツチ族にフツ族。ところがその後偶然知ってびっくりしたことが記憶に残っている。本であったかテレビであったかの記憶も無いが、現地人でも民族の違いが分からないのだそうだ。民族を分けたのは、ある時点で為政者が勝手に区域分けをしてこっち側はツチ族、向こう側をフツ族と決めたとのこと。俄かには信じがたいが実際のことらしい。

話があちこちに飛んで纏まりないことになりつつある。本当に書きたかったことはパレスチナで起きている悲惨な事件だ。これが毎日のようにテレビで断片的映像が送られてくる。これを観て心を傷めない人がいるとも思えないが、アメリカのホワイトハウス関係者は意外と平然としている。何故か不思議に思っていたら、パレスチナ側のハマスなる組織を人類のものと認めていないらしい。テロ集団と断定して、西部劇に出てくるインディアンと同様人間扱いされないようだ。

子供の頃は西部劇を見て、インディアンをカウボーイが皆殺しにしようとなんとも思わなかった。しかしその小生でさえ、最近は白人の方が間違っていたのでは?と思うようになっている。ホワイトハウスの何とかいう女性報道官嬢は精神年齢が若すぎるのか、構造的に異なるのか定かではないが、兎に角遠い国のことは分からないことばかりである。

2014年7月26日土曜日

入院顛末記

火・水・木と3日間エアコンが入りっぱなしの病院でに居たせいと、検査が予想以上にきつかったせいの二つの悪条件が重なって、退院して既に2日の今でも身体、精神の状態共に健康とは言いかねる。前立腺の生体検査は今回で3回目になるが、担当医の巡りあわせが酷過ぎた。検査は肛門から内視鏡を前立腺まで突っ込んで、尿道を取り囲む前立腺から肉腫を摘み取るものらしい。

らしいと書くのは、モニターを患者見ることが出来ないからである。大昔大阪の北野病院で、内視鏡を十二指腸まで挿入して胆管の出口を念入りに見てもらったことがある。すい臓がんの可能性ありとの診断で、造影剤を飲まされて長時間にわたる検査でこれもきつかったが、この時は患者に内視鏡映像を見せていたのでなんとか我慢が出来た。3回目でも慣れることが出来ない痛みを伴う検査である上に、今回の担当がAKB48と見紛うばかりの若い先生、ひょっとすると学生だったのでは疑いたくもなる。

この先生が処置室で迎えてくれた時は多分助手の看護士の一人と思っていた。最初は周りの少し大人っぽい先生がこちらに向かって、パンツを下ろしてお尻を突き出すところまで指示していたからである。ベッドで横になってお尻を突き出した途端「内視鏡が入りますので少し痛いですよ、我慢してください。」の声が急に女性の声に変わったので、え?と思った。それからは正に地獄の苦しみ、一々女性が質問して男性の答える声、男性「駄目々々、そんなに突っ込むと尿道を傷つけてしまう。もっと手前で止めるように優しく動かして」とか何とか。

誰も天から和尚にはなれないのだから、実地訓練は何事にも必要不可欠であるのはよく理解できる。まさかその実験台になって国家に貢献できるとは夢にも思っていなかった。婆さんは区立病院御愛用で、日大板橋なんて絶対信用できないが口癖だが、こちらの通っている泌尿器科の老先生が日大のご出身とあれば選択の余地は無い道理である。前回(昨年6月に同じ病院)と比較すると、同じ検査で所要時間は5割増し、ひょっとするとそれ以上だったかもしれない。手術から部屋に戻ると、血圧が170に跳ね上がっている。普段は110~120なので余程痛かったのだろう。

おまけに病室が8人部屋なのは普通気にしないのだが、隣のおじさんのいびきが物凄い。その上術後の痛みが酷いし、尿意だけは頻繁なので最初の夜は睡眠が十分で無かったのだろう。2日目の朝の検温が37℃をマークしてしまった。
明日も体温が下がらなければ、もう1日入院を延長させてもらう。と脅かされて厭な気分になったが、木曜朝の検温が36.8度で辛うじてセーフ。午後には何とか退院したものの、まるで病人になってしまった気分である。

昨日の下界の暑さには流石に参ってしまい、何の運動もする気が起きなかった。
ほゞ1日中ネット碁ばかりしていたが、集中力が全く無いのだろう、ミスの連続で負けてばかりだ。今朝、これではいけないと、気を取り直してプールに行ったら誰も来ていない。変だなと思って時計を取り出して確認すると、本日は26日の定休日。未だ頭がしっかり動いていないようだ。仕方がないので、池袋から部屋まで久し振りに歩いて帰ってきた。

30分一寸ではあるが、暑い日差しで十分すぎるほど汗をかいた。もう少し覚醒させるためにと思って、着ていた服をそっくり着換えて床屋に行ってさっぱりしてきた。プールが休館だったので、この程度が丁度良かったのかもしれない。明日はレギュラーのメニューに戻すことができるだろう。

2014年7月25日金曜日

読後感「倫敦!倫敦?」長谷川如是閑著

「前立腺癌のマーカーPSA値の上昇で3度目の生体検査が必要と診断され、3日間の入院を余儀なくされた。時間だけはたっぷりあったので500ページ近い岩波文庫を一気に読めた。検査はきつかったが、これを読破出来たことが唯一の救いだった。」

子供の頃から「ガリバー旅行記」「船乗りシンドバットの冒険」「80日間世界1周記」等々、著者自身が見知らぬ土地を探検した旅行記ほど面白い読み物は無かった。例として引いたのは何れもお伽話又は小説とでもいうべきもので実際の旅行記ではない。しかし長じてもテレビ番組の「兼高かおる世界の旅」なんか好んで見ていた記憶がある。著者やレポータの感動は多くの読者や視聴者に素直に伝わる何かがあるような気がする。

本書は今から114年前の明治43年(1910年)に実現した大阪朝日新聞社記者のロンドン訪問記である。著者は朝日新聞記者ではあるが、主に「天声人語」を担当してようで、記者と言うより随筆家、今ようにではコラムニストとでも言うべきかもしれぬ。明治8年の生まれであるから渡欧した時の年齢は35歳、働き盛りで人間的にも最も充実する年代である。出発が春3月で、帰国は多分9月初旬の約半年の旅行記である。これも推測ではあるが、往復に2か月程度は掛かったこと思うので、英国(ロンドンから遠くへは殆ど出ていない模様)滞在はほゞ4か月くらいか。

現在ではロンドンを旅行した人は多いと思うが、こちらがロンドンなる土地を知らないせいもあるだろうが、実に興味深く又面白い。100年以上前のロンドンと現在では趣の代わっていることは多々あるにせよ、共通項も多い筈である。当時の英国は正にパックス・ブリタニカで世界7つの海を征服していた時代の最盛期、著者も書いているが、口惜しいけれど、世界1周してきたが英国の支配及ばざる国は殆ど無きに等しかったそうだ。日本も当時は英国との間に同盟関係があり、日清・日露の両戦争に勝利したこともあったりして、先進国としての意が高かったのだろう。

タイトルに!マークと?マークが着いてることからも分かる通り、日本人としてのプライドが至る所に現われている。と言っても決して上から目線で見ている訳ではない。飽く迄日本人として、地理的な側面と人文的側面を丁寧に観察することに徹していたことが窺える。要するに徒に西洋かぶれしていないのだ。この辺が、近頃の横文字使いの人種と大分違うように思う。当時世界の中心であった都市ロンドンを、長短余すことなく丹念に描こうとしている姿勢には好感せざるを得ない。

大阪勤務であったので神戸を出航して神戸に帰港していると思うが、この道中記も非常に興味深い。日本海の船旅を経てウラジオストックに上陸する前後から書き起こされている。更にはシベリア鉄道で10日間、満州・ソ連へ、そこからベルギー・ドイツ・フランス等を経てロンドン入りし、帰路はプリマウスからジブラルタル経て地中海に入り、イタリアのナポリまで日本海軍の駆逐艦「生駒」にも乗船させてもらっている。ナポリから地中海・インド洋を経てセイロン島・シンガポール・香港等に寄港しながらの大航海記でもある。

英国滞在中に国王エドワード8世の薨去にぶつかり、新聞記者であったことからその葬儀に参列することも出来ているし、同様に上下院の国会も丹念に傍聴して、その様子を克明に描いている。当時の旅行では常識だったに違いないと思うが、ロンドンではホテルでなくて下宿に滞在している。現在の日本の民宿とは大分異なり、学生時代に高級官僚の自宅に下宿していたことを思いだした。
著者の場合は、ご亭主がゴム商人で1年の3分の2を南洋に出張している家庭である。

500ページ近い大著ではあるが、ところどころに写真(当然モノクロ)が挿入されていて、これがまた当時のロンドンを知る上で非常に助けになっている。
ロンドンと言えば煤けた暗い街との印象で、何となく現代の北京や上海を思い浮かべるが、著者の受け止めも同様だったようだ。それとホームレスが想像以上に多いように描かれているが、この辺りは現状はどうなっているのか?雑多な人種と言う意味では現代のニューヨークなんかのイメージと重なる。現代と大分様相が異なっていても、読書自体が楽しいので、それは関係ないし仕方がない。

一寸以外だったのは、ロンドンと言えば真っ先に「パブ」を思い起こすのだが、それに関する記述が全く無かったことぐらいだ。

2014年7月21日月曜日

世界一の安全基準

朝日新聞が昨日から元中部電力役員の告白として、政界工作資金をばら撒いていたとの記事でキャンペーンをしているが、マスコミ全体としてみると大した騒ぎになっていないようだ。内容的には1985年からの20年間で、建設会社から受け取った裏金を、少なくとも計2億5千万円を政界対策のために受け取り、多くを知事や国会議員ら政治家側に渡したという。今日の記事によれば、中には受領を認めた元知事もいるらしい。

1年での平均値に置き換えれば1千万円強の金額、兎に角この程度の話ではマスコミに火がつく筈もない。何故か、当事者として1980年代の原子力広報に少し関係していたのでよく分かっていることが幾つかある。電力会社が当時ばら撒いた金額は、朝日新聞が掴んだ程度の半端な額ではない。お金の蛇口は多岐にわたっていたが、経団連ビルに入っていた電事連なる任意団体、これが最たるものと思うが、未だに、ここを本格的に追及するメディアは現れない。

その金の力が未だにものを言っているのか、再び新しい安全神話が形成されつつある。311事故前も現在も同じ構図だが、安全神話の発信源は政府と官僚である。神話に組して応援したのが、俗に有識者と言われる学者の一部とオピニオンリーダーとされた電波芸者、それに加えてマスコミ人脈にも相当いたので、マスコミ報道がどうしても手ぬるくなってくる。今回の安全神話は「世界一の安全基準」だそうだが、何を根拠に言うのか証明不可能なこの言葉がまかり通るのは噴飯ものである。

しかし何度も聞いていると、実際にそうなのかと思い込んでしまうのがマスコミによる刷り込みの怖さだ。日本のマスコミは新聞社毎に系列化されているが、朝日新聞系は当時から無批判に原発をヨイショすることは控えていたと記憶している。正反対に位置していたのが読売新聞系で、元々原発を日本に導入したのが読売出身の正力松太郎氏であったのだから当然でもあった。テレビ媒体に不可欠な芸能人も大分動員されていたと記憶するが、多くは今や口を拭って反原発を唱えたりしている。

彼等は特に確固たる信念がある訳はないだろうし、思想信条が時に応じて変わるのは仕方がないことだ。小生もその一員なので他人の心変わりをとやかく言う資格は無い。今度は無償で、大いに反原発の宣伝に努めてもらえばいいのだ。

2014年7月20日日曜日

私事ながら

いわゆる国民の祝日に「海の日」があり、今度は「山の日」が旧盆の前日かに設定されるそうだが意味が全く分からない。両方とも夏休みの最中ではないか。家族を大切にさせたいとの親心かもしれぬが、余計なお世話だろう。只でさえ企業の長期休暇制度は大分前から導入されている。そんなことは正規従業員が9割を占めていた昔物語かもしれぬが、企業に膏血を絞られている現代の非正規従業員にとっては祝日もへったくれもなかろう。

皮肉な言い方をすれば、海や山での遭難事故が増えるのも、この下らぬ祝日と関係があるかもしれぬ。小生はここ数年、海の日前後に山に行く機会が多かったが、20日前後にまともな梅雨明けしていた記憶が無い。しかし今日の空を見ていると、何となく今年は梅雨明けが近づいてきているような感じだ。幼稚園児の孫が昨日から信州の諏訪に園のバス旅行中なので、信州も晴れていることを祈っている。梅雨が明ければ10日間は晴天が続くとしたものなので、来週あたり絶好のハイキング日和になるかもしれない。

皮肉なことに来週は、大学病院に前立腺癌の検査入院である。身から出た錆ではなくて、転ばぬ先の杖だと前向きに受け止めよう。ハイキングなんぞは何時でも出来る。3度目の検査になるのだが、結果が吉と出るか凶と出るか、いつもドキドキしてしまう。凶と出たらどうするのか分からないが、出たところで改めて考えなくてはならぬことだ。2泊するので、来週は少なくとも火曜と水曜の2日はブログを休まざるを得ない。このところ百人近い読者がお見えになることもあるので、予めお断りさせて頂く。

2014年7月19日土曜日

マレーシア航空MH17撃墜関連報道

昨日来大騒ぎになっているマレーシア航空MH17便墜落の報道。地対空ミサイルでの撃墜だったことには間違いが無さそうだ。この第1報を受けた時に岸田外相が首都キエフにいたそうだが、ウクライナ東部地方は戦闘地域である。こんな物騒な場所に何で日本の外相がのこのこ出かけていたのか、不思議でならない。マスコミ報道ではいつものことだが、この地域の戦闘(戦争?)は誰と誰が戦っているのか、その概略の説明が無いままで発生した事件だけが取り上げられる。

そのため、非常に分かり難いところがある。一方にウクライナ軍、対する親ロシア派と使われるが、これが混乱の元である。ここは内戦の地で、「ウクライナ」対今年の4月に独立を宣言した「ドネツク人民共和国」の戦いであることを忘れられないように表現してもらいたい。派と言えば、まるで自民党の派閥か精々ヤクザの1派であるかのように、多くても数百人規模の集団であるかのような錯覚に陥ってしまう。

そもそもウクライナなんて国自体を知っている日本人がどのくらいいるだろうか?友人が昔木材輸入に携わっていたので、再三訪問した話を一寸聞いた程度で、あとはチェルノブイリの原発の事くらいしか関心が無い。まるきり知らなくても、ウクライナは立派な国家だろうから、空軍を含めまともな軍隊はあるだろう程度の想像はできる。一方のドネツク人民共和国側の情報について、マスメディアはある意味無責任で、親ロシア派がどこそこを制圧とかなんとか、借りてきたような情報を垂れ流している。

1国の正規軍に対抗して一定の面積を確保しているのだから、ドネツク人民共和国側にも相当な軍事組織が形成されていて当然だと思うが、そのことに関して具体的な情報が全く無いまま突発する事件の上っ面を報じるので、読者、聞き手としてまともに理解出来ず、消化不良でイライラしてしまう。マレーシア航空側も、戦闘地域を飛んでいたのだから、ある程度の責任はあるかもしれぬが、同情には値しよう。

どちらが地対空ミサイルを発射したかに興味が行くような報道が多いが、第3者として冷やかではあるが、関係の無いことである。日本なんかが検証に立ち会っても碌な結果は齎されないだろう。テレビに出演しているコメンテータなる人物も余り余計なことは言わない方が良いだろう。パレスチナのガザ地区での戦争も同じだ。事実関係の報道だけからは本質的なところは何も分からない。視聴率が取れると言うことだけで、他人の不幸をこれ見よがしに見せつけることは止めてもらいたい。

世界の警察官と言われたアメリカが能力を発揮できなくなっているのは何故か?そこから見えてくる将来像はどんなことになるのか?考えてみると不安材料ばかりだ。日本の外相が米国国務長官に面会を申し込んでいるそうだ。テーマは北朝鮮との交渉について経過のご報告(即ち言い訳させてくださいだろう)だそうだ。ところが、先方からは調整が難しいと言われているらしい。当たり前のことだと思う。それ何処じゃないだろう。

2014年7月18日金曜日

スマホの時代

今更後悔しても遅すぎるが、やはりスマホの利用にチャレンジしておけば生活がもう少し面白くなっていたかもしれぬ。1年ちょっと前に一瞬その思いがよぎったが、パソコンさえ十分使いこなしていないのに無理なことだと諦めてしまった。最近の報道を見ていると、スマホは携帯電話とパソコン機能を共有する便利な道具との概念が基本であるにしても、それだけでは説明しきれない、年寄りの想像を超える機能があるようだ。

地下鉄の車内でスマホと睨めっこしている大勢の人たちを見て、こんなところで何を見ているのだろう、目が悪くなるばかりではないか。僻み半分で些か冷ややかに見ていたが、これは本当のゼネレーションギャップで、これからの世の中では、個人が所有すべき必須の道具になるのかもしれない。平成の初期、初めてパソコンを使い始めた頃は、従前ワープロでしていた書類の整理+メールが出来る道具のイメージが標準であったように思う。

それから10年も経ずして、インターネットとホームページの時代が始まる。幸い全くの偶然ではあるが、平成9年にはその波の中で仕事のチャンスを掴むことが出来た。当時のパソコンについては、書き込めるデータ容量とメモリ容量(速度かな?)と演算の処理速度が問題で、これと値段が比例していたと思う。あとはインターネット回線の太さと言うのかこれも流れの速度が問題で、日本はゴア副大統領が旗を振るアメリカにはとても追いつけない状況であったとされていた。

ところが、あれから15年、パソコンとインターネット環境の進化は目覚ましく、アメリカに比較してどうかは知らぬが、我が国ではあらゆる分野で重宝され、兎に角誠に使い勝手のいい道具になっている。小生にとってもパソコン1台有れば、これからの老後を退屈せずに過ごせることだろう満足していた。あとはガラパゴス携帯電話とデジタルテレビが1台寝室に有れば十分との考えである。

ガラ携もそれなりに進化はしているのだろうが、使い方を知ろうとも思わないのでメールですら満足に利用できていない。写真や動画が撮影できることも知ってはいるが、試みに何枚か静止画を撮ってみたが、デジカメに比較するとその差が歴然なので使う気にもならない。公衆電話以上の機能は最初から期待していないのだ。しかし、最近の報道にはスマホが頻繁に登場する。報道内容が十分に理解できぬままであるが、察するにガラ携とは大分趣を異にする使用方法があるみたいだ。

パソコン機能を併せ持つことは何となく理解しているが、パソコン初期に問題としていたデータ容量とか処理速度は今や別次元で解決されてしまっているようでもある。現代はアラビアンナイトの世界で、ドアの前に立つと呪文が無くてもドアが開くのが当たり前になっている。それと同じで、スマホは魔法のランプ宜しく、なんでも取り出せる仕組みになりつつあるようだ。ベネッセの名簿流出の犯人逮捕の情報からすると、記憶媒体としても利用できるみたいだ。

これは仕組みがよく理解できないのだが、スマホが自動的にパソコンに繋がるとパソコン上のデータをスマホが読み取って、自分のクラウドにでも保存するのだろうか。そんなことはどうでもいいが、最近よく売れているらしいクロームキャストについての記事があった。インターネットとテレビを接続する簡単な装置らしい。繋いだ後の操作はパソコンからも可能らしいが、我が部屋のテレビは型が古くてUSBのポートが無いので何れにしてもしようが出来ない。スマホがリモコンの代わりになれば便利だろう。

但し、便利さの裏には不都合もあるらしい。アップル社の携帯端末には最初から所有者の情報を逆に探知できる機能が組み込まれているので、中国では使用が禁止されたとの記事をどこかで読んだ気がする。何れにせよ、こちらは既にガラパゴス化を覚悟しているので無関係ではあるが、スパイ小説家などは構想を練るのがますます大変になるかもしれない。

2014年7月17日木曜日

料裁健母だそうだ

昼から出かけることになってしまったが、未だに暑さにめげず出歩くことができる健康は有りがたいと思う。昼前で少しいつもと気分が違うが、そのことについて書いておこう。

気が付けば70有余年馬齢を重ねるに至ってしまった。随分長い年月である。現在は平凡ながら比較的平穏な日々であることを嬉しく思わざるを得ない。小学校入学から大学卒業までが16年間、サラリーマンとしての会社勤務が40年間で63歳になっていた。その後既に10年一寸になるが、そのうち8年ほどはごく小さなアルバイトをするために個人会社を興して、細やかながらも法人税なども納付させて頂いた。

アルバイトと言っても、電話1本とパソコン1台あれば事足りる仕事なので、自宅の1室で起業するのが普通だと思うが、家内の機嫌を損ねないようにするため、自宅の表札に会社名だけ書き加えて、近くに1室を借りて仕事部屋とした。結果的にこの判断がとてもよかったと満足している。婆さんも同様と思うので、仕事が完全に無くなった現在でも仕事部屋だけは維持し続けている。少しコストが掛かるが、自家用車を維持すると思えば大差はないようだ。

この生活パターンの特徴は健康的であること。生活のリズムが規則的になっている。大学生とサラリーマン時代を合わせた44年間からはとても想像できない。原因は仕事場が外にあることで、起床時刻と朝食・夕食時刻が固定化され、朝晩の食事を几帳面に自宅で取るようになったことにある。サラリーマン時代とは違って一人で仕事をしているのだから、仕事の後で仲間と1杯やることが絶無になった。考えると、同世代の人は皆同じだろうが、日本のサラリーマンにとっては、仕事の後の飲み会が非常に重要な意味を持っていた。

この飲み会が無くなることは、当人にとってもその家庭にとって大きな変化をもたらすことがよく分かった。昼食だけは自分で考えて決める必要があるが、こちらもよくしたもので、10年以上となると摂取食品のバランス、コストを勘案して大凡10数件程度のローテーションが固定化しつつある。正にお陰であろうが、ここ数年の健康診断結果で前立腺腫瘍マーカー(PSA)以外の数値は殆ど変化していない。

土日に通うプールでよく耳にするのは、毎日泳いでいても体重が増えるとの比較的若い人の声だ。恐らく原因の多くは不規則な生活、特に食事摂取の仕方にあるに違いない。一定の年齢までは仕方がないかもしれない。亭主が朝晩几帳面に飯を食うようになると、主婦も毎日大変だと思う。幸い我が家は婆さんが料理を作ることが好きだとも言っている。旅行も好きではないようで、高い金で外の高級旅館に1泊するより「美味い素材を仕入れて腹いっぱい食べた方が良いでしょ、」が口癖である。

「三度の飯が美味く食えて、規則正しい生活を送るのが健康の元」はそもそも父親譲りである。当然いつかはこれが継続できぬ日は来るのだろうが、出来るだけ頑張るしかない。当然ながら内助の功が大事で、昨日婆さんが自慢げに言ったのがタイトルの「料裁健母」。料理と裁縫が上手で健康な母であることが一家の幸せ。全くもってご尤もである。

2014年7月16日水曜日

昨日のブログは不明の至り

慌てる乞食は・・とはよく言われる警句であるが、全くその通りだと思う。子供の頃からガッテン太郎と不名誉なあだ名を頂戴するくらいだから余程肝に銘ずべきだが、三つ子の魂で悪癖はなかなか直らない。早とちりの失敗は多いが、得した思う記憶は皆無に等しい。昨日のブログで国会閉会中審議を無意味とさんざ貶し、最後に共産党の質問だけ後日チェックしてみようと書いた。ところが今日池袋を散歩中に夕刊紙の広告を見て気がついた。昨日のブログは早とちりだった。

スタンドの褌広告に「総理の異常な言動、薬の副作用か?」とでかでかと書いてある。昨夜テレビ朝日報道ステーションで垣間見た参議院での審議の中で、民主党福山哲郎氏の質問が少し取り上げられていた。昨日のブログに書いたことについて彼が問い質していたようでもあるので、先ず彼の質問をチェックしてみた。持ち時間は1時間にも満たなかったが、法制局長官をして、次の2点を認めさせているので、それなりに意味があったと認めずばなるまい。

内容的には、今回の憲法解釈の変更が戦後2回目のことであること。にも拘らず、法案事例の診査も無しで、たった1日の極めていい加減な手続きで行われてしまっていること。新聞も余り強い論調では書いていないが、何れも極めて重大なことである。即ち安倍政権は、内閣法制局の存在そのものを否定しているのと同じである。そのことは別にして、夕刊紙の宣伝との関連である。昔から安倍総理の質問者に対する攻撃的な口調は昔から気にはなっていたが、福山氏とのやり取りを見ていても確かにどこかおかしい。

福山氏に「総理がヤジを飛ばさないでください。」と窘められたりしている。元々健康とは言えない体質のようで、一度総理を辞任したのも正真正銘の健康的理由だったのかもしれぬ。最近テレビで観ても、そんなに不調とも思えなかったが、言われてみると少し顔がむくんでいるかもしれない。考えてみれば、それこそ自分の時間なるものが、極論してしまえば一瞬も無いに等しいのだろう。

普通の人間で例え健康であっても、1年足らずで職を投げ出したくなっても不思議は無い。小生だったら1月と持たずに何処かがおかしくなるだろう。仮に非常に強い精神力の持ち主であったとしても、薬なんかのせいで精神状態がおかしくなっている人間が国を差配しているとしたら恐ろしい。夕刊紙の与太記事と思いたいが、国会を生で見ているとどうも気になってしまう。どう見ても質問者とのやり取りの不整合、応えにならない答を聞いていると心配である。

当然だろうが、総理が抱える身体上の問題については、名医が側について最新の薬を投薬していることだろう。最近は医療事故やら新薬のインチキがニュースになる時代なので気になってくる。

2014年7月15日火曜日

国会閉会中審議、何故今なのか?

日曜日の滋賀県知事選挙で、自公が推していた候補者が鉄板で勝利と言われながら嘉田前知事の後継者に敗れたのことは、久し振りの朗報として受け止めることが出来た。これで応援した民主党が有頂天になるようなことは無いと思うが、政権与党が荒野を行くが如き傍若無人の暴走について少し反省することを期待したいものである。憲法解釈を僅か19人の閣僚の合意で変更することを暴挙と自覚できない政治家もおかしいが、これに異を唱えない大マスコミがあるのも不思議と言えば不思議。

しかし聞くところでは、地方新聞でこれを是としたのは僅か数紙に留まり、大部分は反対を主張しているらしい。中でも故郷の地元紙「信濃毎日」はかなり強烈な反対キャンペーンを繰り広げたと報道されているので、些か誇りに思ったりしている。願わくばこの後繰り広げられる福島と沖縄の知事選でも、野党候補に勝ってほしいものだ。昨日と今日、集団的自衛権に関する憲法解釈変更について、国会の閉会中審議が行われている。注目に値しないと思うので中継は見ていないが、この下手な芝居に野党は何故合意したのだろう?

通常国会を延長して延々と議論するならば兎も角、言い訳のアリバイ作りに手を貸すようなことをしているから、1強なんて状態から抜け出す目途が見えてこないのだろう。国対政治の実態ほど素人に理解し難いものは無い。閉会になった以上は、地元に帰って死に物狂いで田起こしをすべきだろう。安倍政権を高転びに転げさせる絶好の機会ではないか。幾らテレビに映ることができるからと言ってヘイコラするな。ふざけるな!と言って蹴飛ばしてやればいいと思うのが素人の浅はかさかな。

しかも昨日の夜から今朝にかけてのニュースで見る限り、相も変らぬ議論とも言えない擦れ違いばかりではないか。当たり前の話である。政権側の論理は最初から破綻しているのだから、まともな答えを期待する方が無理である。答える側の無神経ぶりも見上げたものとでも褒めるべきか、相当なものである。未だに堂々と、あのあり得ないとされた、米国の艦船に邦人避難家族が乗り合わせているイラストを使用している。

野党の側もそれを許しながら、一般市民に分かり難いなんて言っても始まらぬだろう。答弁側に座っている岸田外相、小野寺防衛相の緊張感に欠けた顔、あくびを我慢しているような麻生財務相の顔。彼もたまには答弁しているのだろうか?余りに馬鹿馬鹿しくて調べる気にもならない。質疑の際に相手に対する相応のリスペクトの念は必要だろうが、与野党で馴れ合うことだけはしないで貰いたい。その点立派なのはやはり共産党かもしれない。後日共産党の質問だけネットで確認しよう。

2014年7月14日月曜日

嫌中韓風潮

基本的な考えであるが、人生友人が多い方が楽しいに決まっている。しかし人間にはいろいろな考えがあるので、友人が皆小生と同じ考えを持っているとは限らない。いろいろな職業や性格の違い、思想信条の違いがあればこそ、友人と話をするのが楽しくもあり、人生の豊かさにつながっていくのだろう。他人のことはよく分からないので、特に友人が多いとも思えないが、150人を超える年賀状の枚数を考えると、結構な数だ。

勿論何年も顔を合わせない友人もいるし、1年に一度だけの人もいる。年賀状のやり取りは無くても、ブログ仲間や始終顔を合わせて会話をしている人たちの存在も自分にとっては貴重な存在である。例えば毎週プールで顔を合わせているご同輩の老人や、行きつけの食堂のご主人などがそうである。互いに名前も知らないのだが、却って赤裸々な本心が覗けて面白い。当然こちらから先方に対しても、何も隠すものは無い。

但し、余り他人を説得する自信が無いので、自分の考えと大分異なる人の場合は、専ら聞き役に回ることにしている。だから余計面白いと言っては語弊があるかもしれえぬが、興味深いものがある。未だ昨日昼食時のことであるが、隣の食堂に行くと、たまたま客の入りが悪くて、暇な親爺と長い時間いろんな無駄話をした。この親爺さん歳は一つ二つ下であるが、何故か気が合う。17歳の時にラーメン屋の小僧になり、板前の修業と洋食コックの修業をしてきている。

現在はオムレツをメインとする洋食屋であるが、何と言っても日替わり定食500円を堅持しているところが偉い。例えば昨日の日替わりは、トマトソースのかかったオムレツに鶏肉と魚のフライが乗っかったサラダ(これも半端な量ではないどんぶり1杯くらいある)に味噌汁だった。洋食修行中にはヨーロッパ各地を食べ歩いたと言うくらいなので味も申し分ない。板前の修業をすると
、流派ではないが何となくお医者さんの医局みたいに組織の繋がりに組み込まれるとしたものらしいが、飽く迄一匹狼でやってきたようだ。

料理人は力仕事のようで身体もがっちりしていて、医者からお前は土方か?と聞かれたことがあるそうだ。水泳にも凝った時期があって、勤め人時代には毎日のように3千メートルも泳いでいたことがあるらしく、こちらプール帰りと知ると、水泳で話が盛り上がることもある。こちらが初めて江戸に上ったのが18歳だから、この親爺さんが上京してきた時と殆ど同じようだし、昔話になると互いの話が絡み合って盛り上がるのが常だ。

ところが昨日は専らこちらが聞き役に回った。なぜならば、ひょんなことから話がラーメンから中華料理、ひいてはキムチから焼肉なんかの朝鮮料理に及んだからである。親爺さん余程の中国人嫌い、半島人嫌いらしい。「何で日本は支那人や朝鮮人に舐められなきゃいけないんだ。ラーメンやキムチなんか一生食わなくてもいいから、あいつらは全員本国に送り返すべきだ。あいつらと縁を絶っても、困るのはあいつらの方だろう。」

我々が子供の頃、チンコロだのチョンコウだのと言って、中国人や半島人を馬鹿にすることを耳にしたことあるし、最近はネトウヨと称して徒に韓国人などを排斥したがる日本の若者が増えてるとも聞いてはいた。しかし同世代の人間が、こうあからさまに中国人や韓国人を排斥する激烈な言葉を吐くことに直面したのは初めてである。雑誌の広告なんぞを眺めていても、中国韓国を悪しざまに取り扱うのが流行っているようだ。安倍政権の思う壺かもしれぬ。

小生はたまたま囲碁を趣味にしていることもあり、中国や韓国に対する嫌悪感は余り無い。囲碁に関しては残念ながら、日本が両国の後塵を拝しているのが事実である。隣の親爺のように中国人従業員で痛い目にあったり(池袋は使用禁止を承知で言えば第3国人が多いので有名)していると、嫌いになるのも分かる気がする。女の子を雇ったつもりが、直ぐ後からマフィアのボスみたいのが出てきて給料は幾ら払ったか教えろ、と言われたそうだ。

親爺は教えずに翌日女の子に小遣いを渡して首にしたとの話だった。親爺のような好き嫌いは当然あるだろう。しかし、国を挙げて両国を小馬鹿にするような雰囲気がある。石破自民党幹事長は防衛相でもあったし軍事オタクとしても有名である。彼なんかに言わせると、軍事的に見た場合中国の海・空軍なんて自衛隊の敵でないと威勢の良いことを言っている。或いは本当かも知れぬが、少なくとも自衛隊は実戦経験がゼロであり、中国も韓国も豊富な実戦経験を持っている違いがある。その違いを知らぬわけでもあるまいに、やたらに上から目線の態度が気になって仕方がない。

2014年7月13日日曜日

負け戦の研究

遥か大昔「ベスト・アンド・ブライテスト」なる長編で難解な書を読んだことだけ記憶しているが、内容を全く思い出せない。著者がかの有名なニューヨーク・タイムズの記者デイヴィッド・ハルバースタムであることを知ったのは、その後10年近く経って、彼が「覇者の驕り―自動車・男たちの産業史」を発表した1980年代の終わりになってからである。何でこんなことを書く気になったか。

ひょっとしたら「ベスト・アンド・ブライテスト」に第2次世界大戦終結期における米国政府内部の動きに関する記述があったのでは、と思ったからである。これは完全な思い違いで、ハルバースタムのウィキメディアを検索すると『アメリカをベトナム戦争に導くことになったケネディと、その政策を継いでベトナム戦争を拡大したジョンソン政権の政治エリート達を中心に描いた「ベスト・アンド・ブライテスト」でその名声を不動のものにした。』と記述されていた。

第2次大戦末期にルーズベルト大統領が急死して、トルーマン氏が終戦時大統領になったこと、彼が原爆使用の命令を下したことだけは小生でも知っている。その他には、戦後になってダレス氏(国務長官)なる人が活躍していたこと、軍人ではマッカーサー占領軍総司令官以外にはアイゼンハワ―氏の名前などが、未だ幼かったにも拘らず記憶に残っている。当時日本は国連と戦っていたわけだから、米国以外の国の政治家も多分に関係しているのだろうが、取り敢えずは問題を簡略化するために米国1国に絞ってでも、知っておいてもいいかなと思うことがある。

このところ安倍内閣の右傾化に対して悪口ばかり書き募ってきたので、自分でも余りに芸が無さすぎると嫌気がさしてきたこともある。それに昨日今日のテレビを見たりしていると、些か六日の菖蒲の感無きにしもであるが、テレビ局の社員や識者が、政権の有様とメディアの意気地なさについて言い始めてくれている感もある。小生如きが老いぼれがき繰り言を百篇書くより遥かに有効だろう。そこでふと思ったのが、連合軍は何故(如何なる思惑で)日本の国体維持を許したかについてである。

日本に降伏を促すポツダム宣言に対して、日本は「国体維持」さえ認めてくれれば降参しますと返信、これに対して連合軍側は飽く迄「無条件降伏」に拘ったと聞いている。このやり取りをしている最中に長崎に原爆を投下されたりして日本は散々な目には合っているが、それはこの際おいておく。結果的には、戦争犯罪を裁く裁判所を設定するから、そこで決める形になって終戦と決まったらしい。しかし、結果的には日本の提示した条件が連合軍側で認められたことになった。

幾ら非国民的な小生でもこれを喜ばないものではないが、一寸不思議な感じも否めない。そもそも戦争とは、国家がその命運をかけて外国と戦うもので、敗戦国が無くなってしまって当たり前。同盟国のドイツとイタリアは、日本より先に敗戦を迎えたが、両国とも単に戦争指導者が死ぬだけではなく、見事に国家が消滅しているのだそうだ。長くなるが、7月5日付冷泉彰彦氏のメルマガ『from 911/USAレポート』第669回から孫引きをしておく。

以下引用
『ドイツの場合は、第三帝国は降伏した後に4つ、いやベルリンの分割統治を計算に入れると8つに分断され、完全に消滅をしたのです。その後、こうした分裂状態は、東西ドイツ、東西ベルリンという「4分割」に収束して行きましたが、その「4分割」というのは35年近い期間続いて、その後、西ドイツ(ドイツ連邦共和国)が東を吸収合併する形で再統一がされました。』
『イタリアに至っては、第二大戦末期の1943年に国王を中心としたグループが、独裁者ムッソリーニを打倒して連合国に降伏し、以降は対独、対日宣戦を行うことで、事実上の連合国側として大戦末期を戦ったわけです。イタリアでは、現在もムッソリーニやファシスト党に肯定的なグループが残っていますが、それでも国際社会として、現在のイタリアの「国のかたち」に「枢軸国の残影」が指摘されることはありません。イタリア自らが枢軸国から連合国側に転じた事実のためです。』
引用終わり

日本の場合だけは不思議なことに、組織として解体されたのは軍だけであり、終身雇用の官僚制は温存され、神御一人から象徴に格下げとは言いながら天皇の退位も、改元も無く、国体は維持されているようだ。その軍も何年も経ずに警察予備隊が編成されて自衛隊に至っている。改めて考えてみると、このことはとても不思議な現象だ。何も弥生時代の歴史を遡る話ではなく、高々70年前のことなので、我が後輩の人たちを含めて、少し詳しく事情を知っておくのも悪くはあるまい。

小生が勝手に考えているのは、日本人は本質的に戦争に向かない弱い人種であることを、彼等(特に米国)は知っていたのではなかろうか?である。若い元気な政治家諸氏には特に、よく調べてもらいたいものである。

2014年7月12日土曜日

休日の徒然に

昨日は蒸し暑さに閉口して昼間歩けず、夕方に歩こうと思っていたが、空模様に一向改善の兆しが見えないので結局取り止め。善い休養になったのかもしれない。今日はプールから帰りの昼頃になると、湿度も下がり気持ちのいい夏空が戻ってきた。お陰で何となく体が軽い。古希を過ぎた年寄りがたまにサボるのも理に適っていると勝手に解釈しておこう。

休養と言えば、鉄人かと思うニューヨークヤンキースの田中将大投手でさえ肘を痛めてしまったそうだ。あの力投を見る度に感嘆するばかりだったが、大事に至らないことを祈ろう。野球に詳しくないので知らないが、テレビ通の婆さんに言わせると、アメリカのプロ野球は日本に比べて投手の休養日数が少ないのではないか、とのこと。同じように活躍するダルビッシュ投手はじめ日本人選手達にも優秀なトレーナーは付いているのだろうが、管理をしっかりしてほしいものである。

見てもらってなんぼのプロスポーツの世界で生きるのも大変なことだ。ゴルフなんかにはそれでもシニア戦があって、かなりの年齢になってからも活躍する場がありそうだが、そこまで行ける人は例外中の例外。大方のスポーツの場合は、長くても40歳(力士は精々30歳か)までの間に稼ぐだけ稼がねばならない。プロと認められてスポーツすることでお金が稼げる期間が20年あれば長い方だろう。30年ほど前にコかマーシャルに起用することで、付き合ったプロゴルファー湯原信光氏なんかどうしているのだろう?ふと思い出してしまった。

昨日、以前ここでも少し触れたことがある同人誌「縦走」編集長から電話があり、「職業」をテーマに特集を組みたいので寄稿してくれとの依頼があった。毎日下らぬ思い付きで駄文を綴っていることを知ったらしく、有難い仰せだ。
名誉なことなので期待に応えたいとと思うし、身体も何となく軽くなりかけたので書きたいと思ったのだが、いざとなると何を書いていいか分からなくなってしまった。まさかプロスポーツ選手のことなど知る訳もないし、結局は自分のことを書くしかないのだろうが、これまたいい加減な人生だったので、何を書くべきか分からない。

やはり休日は、エアコンの効いた部屋で昼寝でもするしかなさそうである。

2014年7月11日金曜日

平和ボケと叱られた

台風一過で晴れたのは有難いが、猛烈な暑さと湿気でお昼に池袋まで歩く元気が出ない。熱中症で倒れても不思議は無いだろうと思うのだ。このように直ぐズルを決め込むのが、アスリートには程遠い只の年寄りである。ブログは労力をあまり使わずに時間が潰せるので、暑かろうが寒かろうがシコシコと書き続けて、早や6年目に入っている。運動と同じようにサボる日もあるが、既に千回を超えた。

このブログを始める前にmixiなる所謂SNSを教わり、そこで日記を書き始めたのが2005年の10月だから、ここから勘定すると既に10年近い歳月になる。ブログの楽しみは、自分の思っていることを大勢の知人友人に知ってもらうことにある。読者の数が増えることも嬉しいが、読者からの反応が書きこまれることが特に嬉しい。居ながらにして友人と語り合っている気分になれるからだ。

従って、ブログを始めた頃は友人知人に宣伝する努力をしたものだ。お陰で最近は、毎日百人近い人が読んでくれているような気配である。コメントの反応はイマイチだが、それでもmixiの方では、兄弟姉妹が毎日のコメントを書き込んでくれるのが有りがたい。ブログ読者の方にも、どんな事でも結構ですので書き込みをお願いします。本日はその書き込みについて、昨日のテーマに関してmixiに書き込まれた内容をご紹介がてら、改めて小生の考えを述べることにする。

度々政治がらみのことを書くが、大抵の場合現政権に対する批判、恨み、つらみが多いのはご承知の通り。社会保障政策やエネルギー問題はさることながら、特には総理の右傾化傾向、特定秘密保護法案から始まり集団的自衛権に関する憲法解釈変更に至る国民無視の暴走には非常に腹立たしく見て書いている筈。更にその根底にある、総理の外交姿勢については昨日も書いた通り。とても外交なんて呼ぶにも値しないご粗末と断じている。しかし本音である。

このことに関して、友人が書きこんでくれたのが次の一文。

「その他にもベトナムと中国、フィリッピンと中国の領土争い、日本と中国、韓国と日本の領土争い、があります。韓国は対馬も韓国領といいはじめています。
中国は沖縄まで中国領と言い出しています。平和ボケもいいかげんにしてください。」

彼にすれば政府が主張するように、日本の安全保障環境が危機的状況にあるとのことだと思う。勿論、その受け止め方が間違っているかどうかを判断する資格は無いのだけれど、小生の受け止めは少し異なる。そこで、そのコメントに対して、応えとして書き込んだのが次の一文。

「平和ボケしているかもしれませんが、私が言いたいのは次のことです。
領土争いがあるのであれば、当事国同士でもっとまともにぶつかるべきではありませんか?アメリカと中国は話合いの中で、まともにぶつかって喧嘩をしているではありませんか。
これこそ外交のあるべき姿でしょう。戦争の準備をして何になりますか?
日本は70年も人殺しの訓練をしていないのですよ。今更いきがっても笑いものになるばかりです。外交とは外国との交渉でしょう。先ずは話し合いをすべきです。当事国とまともに話も出来ずにいるのが情けなく思っているのです。」

これこそブログの醍醐味なので、更なる投稿を期待する次第。

2014年7月10日木曜日

普通の国でなくとも平和な国

ほぼ1週間、連日台風関連のニュースでもちきりである。台風の接近で東京は風が強くなってはいるが、未だそれほどの危険は感じられない。それにしても随分ゆっくりした速度なので、直撃を受けている地方の皆さんは大変な思いだろう。と思っていたら、梅雨前線の影響とやらで信州も大分被害を受けているようだ。南木曽には一度行ったことがあるが、信州と言っても我が故郷の北信濃から見ると別の国のように遠い。小諸は近いので何となく馴染みがあるが、何れにしても、自然災害の被災地がまだら模様になっているのが不思議でならぬ。

世の中は分からぬことだらけであるが、世界が大分きな臭くなってきているようだ。日本の政治家は何を考えて言っているか知らぬが、安全保障環境が急速に悪化していると言う。素直に聞いていると、あたかも中国や北朝鮮が日本に武力攻撃してくる日が迫っているような言い方である。確かに中国は尖閣付近に海公船(海上保安庁と同じ組織)を常時遊弋させているようだし、北朝鮮は日本海に向けてミサイルの発射を繰り返している。

政府は後者の北朝鮮とは、それでも仲良くテーブルについて話し合いをし、ミサイル発射に対して発動した制裁の解除などを公言している。それでもかの国はミサイル発射を止めないのだから舐められたものだ。それを我慢するくらいなら中国とも話し合いのテーブルに着けばいいと思うのだが、テーブルに着いたら尖閣を取られると決まったものでもあるまいし、無条件ではテーブルに着けないと突っ張る考えが理解できない。

何れにしても、我が国をめぐる安全保障環境なんか、誰がどう考えたところで大した問題ではない。国際紛争で重大な局面を迎えているのは、パレスチナ・イスラエルであり、シリア・イラク・イランであり、ウクライナ・ロシアであろう。内戦が深刻化している国もアフガニスタンやアフリカ諸国以外にも沢山あるのだろう。こう言った地域の住民にとっては、安全保障環境の危機なんて言っている場合ではあるまい。

問題は、これらの紛争地帯を作っている人間、或いは国である。小さな国が紛争を起こせるはずがない。資金にせよ、武器にせよ、兵員にせよである。必ずいわゆる大国が裏で糸を引いている。更に絞り込んでいけば、あらゆる紛争の火種をばら撒いているのがアメリカと言う人もいる。勿論紛争が起ればそれを阻止するような風情も見せる。マッチポンプの極みのようだ。これが大国の性かもしれぬが、大国が「普通の国」では絶対にありえない。

そもそも「普通の国」とはいったい何ぞや?最初は小沢一郎氏が使い始めたと記憶するが、首相もかなりお好きなようだ。首相の抱くイメージは軍隊を持つ国が「普通の国」なのだろう。数日前に次の報道がある「14日にフランス政府がパリで開催する革命記念日の軍事パレードに、陸上自衛隊中央即応集団の隊員4人を派遣することを決めた。海外の軍事パレードに自衛隊単独で参加するのは初めてで、日本の国旗を掲げて行進する。防衛省が明らかにした。」

未だ自衛隊は軍隊とはなっていないのに、こう言う事を決める神経からも窺い知るべしである。これこそ我が国の安全保障環境の危機である。

2014年7月9日水曜日

一人芝居では困る

暇なシニア女性に多く見られる傾向だが、現総理の海外旅行好きは少し珍しい珍しいのではないか。政府専用機を駆って世界を飛び回ることを楽しんでいる感がある。ネットで調べて見ると昨年は13回、今年に入って既に8回目の海外訪問をしている最中らしい。歴代総理の中で突出した回数である。まさか海外旅行することが外交だと勘違いしている訳ではないだろうが、総理自身が外国に赴くからには相応の重みがある理由が無ければならぬ筈。

よく言われているのは、中国が武力をもって我が国を威嚇するので、これに対抗するために中国包囲網を形成する目的で自ら出向いているとの説。そのような報道をするメディアもどうかと思うが、中国が我が国の貿易対象国として掛け替えのない取引先であり、中国を敵視して日本の国益が図れる筈もないと思うのは間違っているのだろうか?少し経済発展の速度が落ち始めたからとか、他のアジア諸国やアフリカ諸国が経済発展しつつあるなんて言っても、その規模に於いて、中国を凌駕するのは未だだいぶ先のことに違いあるまい。

その中国には先日ドイツのメルケル首相が、就任以来7度目の訪問をして大歓迎されていると報道されているし、先月の李克強首相の訪英ではごり押しとか何とか悪口を言われているが、エリザベス女王への面会も果たして、結果的には「中国人はタフな交渉相手だ」と言わしめている。この下地は昨年末に英国のキャメロン首相の訪中での発言「英国は中国の欧州最強の支持者になる」にあるのは衆知のことである。先日の習主席の訪韓のニュースでも思うが、北朝鮮を差し置いて韓国を訪問することについては、それこそ相当の思惑を秘めてのことだろう。

徒に中国を褒めたくないが、内外の動乱を俯瞰して、何が国益に繋がるかを相当慎重に計算したうえで、政治家トップが互いに役割を分担しているように見える。彼らの動きは国内へ報道されると同時に、諸外国に向けて大きなメッセージとなっている。アメリカの大統領が中国が好きかどうかは知らないが、少なくとも習主席をキャンプデービッドに招待して少なくとも私的な時間を3日も作らねばならなかった事実。天皇陛下の宮中晩さん会すら欠席したオバマ夫人が、子供を連れて私的にと言いながら1週間も中国を訪問していた事実。

アメリカですら中国を大国と認めざるを得ない何かがある訳だ。一方で、総理がインドやオーストラリア訪問すると日本国内に向け、首脳間で中国を牽制することで意見の一致を見たと誇らしげ発表される。そのことは時間を置くまでも無く中国政権幹部の知ることになるのは間違いあるまい。しかし、中国がそのことについて特別のコメントは発したことは無い。中国が安倍氏を見限って、どう見ても馬鹿を相手にしないとの態度でいるのも明らかだ。

何れにしても我が総理の一人芝居、即ち対中イキガリをアメリカはどのように理解評価しているのだろうか?「どうせ何を言おうと何もできないことが分かっている。対中関係の悪化もこちらにとっては好都合だ。解釈改憲をやってのけてくれたご褒美に、好きなようにやらせてやる。北朝鮮とでも遊んでいろ!」では困ってしまう。

2014年7月8日火曜日

検査入院に備える

今日の東京は晴れているが今週はこれから台風で、荒れるとの予報である。再来週は検査入院が決まったので、先月に引き続いて今月も山歩きが出来ない可能性が出てきた。月に1度は山歩きをしたいと願ってきたが、どうも今年は願い通りに行きそうにない。そんなことを考えていたら、昨夕は旧い友人から久し振りの電話。

どうと言う話ではないのだが、遂に歩けなくなってしまったとのこと。家から最寄りのJRの駅まで1キロほど、歩いても10分あれば悠々だったのが、このところそれがきつくなってバスを利用するようになってしまったそうだ。どうやら日常的にステッキを使っているみたいである。別にどこが痛いと言うことでもないらしい。それこそ幼稚園からの友人で活発そのもの、お勉強から運動まで何も敵うことが出来なかったが、不思議に仲が良かった。

山歩きもスキーもゴルフも万般にわたってリード役で、唯一己が優っていたのは、銀座での飲み屋歩きだけだった。最近は夜遊びを一緒にすることが無くなり、専ら昼食の付き合いだった。こちらは気が小さいので、すでに昼酒は慎み、煙草もやめて久しい。それでも彼は、会えば必ず1杯の赤ワインと食後の一服を欠かさなかった。4月に会った時には、娘さんがやっと片付いたことを喜んでいたし、少し間が空いたので、また今週会おうとの誘いかと思いきやである。

電話の限りでは、別に膝が痛いとか踝がどうと言う話ではなさそうである。従って医者通いをしても始まらぬことらしい。「所謂加齢現象と言う奴よ。」とやや自嘲気味でもある。少し良くなったらまた昼飯を、との話で終わった。その後で考えてみると、最近似たような年齢の人が杖を頼りにとぼとぼ歩いていたり、路傍の石垣などに腰を下ろす姿が思い浮かぶ。彼もそんな姿になってしまったのかもしれぬと思うと、もはや他人事には思えぬ。

毎日歩くことを内心自慢げに思っているのではあるが、それとてなんぼのものだろうか。所詮は少々の時間差があっても、何れ我が身と思うと、たまたま1日病院にいたことと、天気が悪かったこともあってなんだか落ち込んでしまった。今朝は天気のお陰で気持ちが少しは良くなって、暑い中いつものように池袋まで歩いて書店に入った。しかし、そそられる本が見当たらない。つい文庫本の「方丈記」を取ってパラパラとページをめくる。

今更「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。」云々を読んでも折角治った気分が元の木阿弥なので、元の書棚に戻し、近くにあった長谷川如是閑著の「倫敦!倫敦?」を購入。ヨーロッパに行ったことが無いので面白そうだ。暫く積んでおいて入院時に読むことにしよう。

2014年7月7日月曜日

参りました

先週来問題にしている我が持病の前立腺肥大の件。先週金曜日に掛かりつけ泌尿器科医に紹介状を書いてもらい、それを持って近くの日大板橋病院に行ってきた。受付に並んだのが8:25、紹介状持参者の番号で13番目。不吉な予感がしたが、9:50には泌尿器科受付にカルテを提出できた。本日の担当医は5人なので、遅くも昼頃には診察は終わるだろうと腹を決めた。

これが大甘で、診察室に呼びこまれたのが14:00。診察と言っても特に触診がある訳ではない。1年前に検査入院をしているデータと、その後掛かり付け医で受けた検査2回分のデータを見比べただけ。単なる前立腺肥大の可能性もあるが、これを縮小する薬に切り換えると、悪性腫瘍を覆い隠す危険もある。だからもう一度生検をして、その結果を見た上でのことにして下さい。これが結論である。

ものの5分も掛からない話だ。それでは明日にでもして貰いたかったが、そうもいかぬらしい。検査の予定をチェックしてもらい、直近の7月22日から2泊で決まり。それではこれから入院のための機能検査やらに廻って頂き、帰りに入院予約をして下さいとのことで、全行程が終了したのが16:15.何のことは無い、丸1日がかりになってしまった。特にすることない年寄りではあるが、丸1日病院の長いすに座り続けて無念無想。

今更腹を立てても仕方がないので、やや参禅の趣だったかもしれぬ。

2014年7月6日日曜日

高校後輩代議士のメルマガから

朝から久し振りの青空で気持ちが良い。日本は予選落ちしたがサッカーのワールドカップが継続しているので、休日のテレビ番組がいつもと随分違う。お陰で今朝は久し振りに新聞にゆっくり目を通し、メルマガも丁寧に読むことが出来た。朝日新聞には前国会終盤の集団的自衛権行使容認に関する閣議決定に関する世論調査が掲載されていたが、この決定を支持するとする人が44%もいたことにむしろびっくりした。安倍内閣や自民党支持率も少し低下気味らしいが40%超で断トツの強みである。

総理は益々自信を深め、安全保障法制を担当する閣僚を新たに置く考えらしい。大臣ポストが増えるとなれば、総理を支える党内の大臣就任待望組には嬉しいニュースで、総理の党内基盤も一層強固になることだろう。彼にとっては結構づくめではあるが。少なくと5割の人には大いにご不満のようだ。小生も5割の一人である。閣議決定で憲法解釈を変更するとは、選挙に勝って議会で多数を獲得することが出来れば、何でもできることに先鞭をつけたに他ならない。従って、いつの日か違う政党が政権を取ったら、2014年7月1日の閣議決定を取り消せばいい。と気休めめいた記事もあった。

それが果たしていつのことになるか分からないし、原理原則の変更が如何に凄まじい結果をもたらすかについて、高校後輩の篠原孝民主党代議士のメルマガにあったので紹介したい。彼は安倍政権の暴走を長文のメール2回で克明に批判している。小生が成程と思ったのは<一挙に急変する日本社会>についての説明である。以下引用

「前略。一旦認めたら、際限なく広がってしまい、抑えが利かなくなるのが世の常である。特に日本は何事にもその傾向が著しい。その一例を示すと、労働環境の急激な変化があげられる。高度経済成長の末期、日米通商摩擦が大問題になっていた頃、日本型経営が成功の一因ともてはやされた。終身雇用、年功序列等で、解雇の心配はなかった。その代わり社員に忠誠心が生まれ、一つの会社でずっと働き続けるのが当たり前だった。それをアメリカの要求に従ったのかどうか知らないが、労働者派遣法で一般製造業にも労働者派遣が認められると、非正規雇用が瞬く間に増え、今や全雇用労働者の3分の1、2000万人に近づいている。僅か2、30年で「日本株式会社」は消え、冷たい社会に成り下がってしまったのだ。日本あるいは日本は蟻の一穴で何かを認めると、一気にその方向に行ってしまうという危険な体質を備えているのである。後略」

これには全く同感で、忘れた頃に気が付くと、日本では少し前と全く違う企業社会が出現しているのは事実だ。今更誰かを論って悪口を言っても後の祭りでどうにもならない。篠原議員のメールは次のように締めくくられている。
「いくら必要最低限などときれいごとを並べていても、20~30年後は、アメリカを凌いであちこちに自衛隊(国防軍?)を派遣しているかもしれないのだ。歴史は繰り返す。皆がそんな馬鹿なと思うことが平気で起こる国、それが日本なのだ。だから解釈変更とか、閣議とかで軍隊を海外に絶対送らないという日本の方針を軽々と変えてはならない。」

2014年7月5日土曜日

都道府県議会議員のお仕事

このところ都議会のセクハラ発言とか、兵庫県議員の手当ての不適切な利用がかなりの話題になっている。その問題についての感想は書く気にもならない。問題は都道府県議会が、市民に対してどんな役割を果たしているかである。市民へのサービスを直接チェックしているのは区市町村議会の筈である。家の前の道路(国道であろうと何であれ)が壊れて役所の対応が遅い時、電話を掛けるのは東京で言えば区議会の先生に限る。序でに言えば、それも共産党か公明党の先生が一番有効らしい。

要するに、市民への直接のサービスの殆どは区市町村役場が国の定めに則って行っているので、それをチェックする役目は区市町村議会にある。都道府県が所管しているサービスを改めて考えると、警察・消防・水道・交通・道路・河川などの一部などが考えられそうだ。しかしこれらのサービスも国家の中央が全体を掌握しているのだから、何も態々市民と対面する組織の上に屋上屋を重ねる必要も無いように思う。それでも指揮命令の中継ポイントが必要なら都道府県の役場はあってもいいが、役所をスリム化して議会まで置く必要ないと思うのだ。市民の方も知りもしない人間に投票するのは気が引けるだろう。

むしろ知事が区市町村長会議を頻繁に招集して意見を聞くようにした方が、市民サービス向上に繋がるだろう。こんな騒ぎが無ければ、市民の大多数は都道府県議員がどんな仕事をしているか知らないし、知っても余り意味のあることはしていない筈である。市民サービスの監視より、国会議員の走り使いで、東京の場合は区会議員との仲を取り持っているのが最大のお仕事が正直なところだろう。結構なお給金やお手当があって、暇があるとくれば碌なことにならないのは自明の理である。

国会議員の数もやたらに多いし、何で衆参に分かれているかもよく分からない。参議院こそ戦後のどさくさに紛れて、新憲法で制定されたものらしい。憲法を改正するなら、9条に関して訳の分からぬ屁理屈を並べる前に、先ず参議院の存続を国民に問うべきだ。それにしても議員と名のつく職業のと手当の給料が高すぎる。それこそ諸外国のそれと比較してみろ。何れもお手盛りの話だから仕方がないとすれば、永遠に改革はできないのか?嘆かわしいことだ。

2014年7月4日金曜日

やる気スイッチ

梅雨本番とのことで、気が滅入るようなじめじめした嫌な天気である。せめて家庭では明るくありたいものだとて、昨日は面白い話題があった。相変わらず孫のことである。下の娘の高校生の孫2人、同じ学校に通っているのでは母親は楽だろうとの話から発展したお笑いの一席。折しも今は期末テストの最中だそうだ。娘に近況を聞くと、『それが笑っちゃうのよ。弟が「やる気スイッチが入らない。」ですって。』とのこと。

普段からやる気を全く見せない兄貴の方であれば「やっぱり」と思うが、兄弟の相対感では比較的真面目に見える弟が、精一杯大人っぽくしたり顔で言った姿を想像すると確かに笑えてくる。暫く会っていないので最近の様子は知らないが、高校1年生と言っても中学生にしか見られないチビで童顔である。娘も「馬鹿言ってるんじゃないよ。」と一応答えはしたものの、笑いが止まらなかったらしい。人相風体は兎も角、高校生になれば親がどう思うと、やはり大人の気分なんだろう。我が青春を振り返ってもそう思う。

その「やる気スイッチ」について、やはりテレビで見たことの受け売りをすると、朝起きて、先ず体を動かすことが重要らしい。早起きラジオ体操には、脳にやる気を起こさせるシグナル送る効果があるらしい。孫たちの朝はどんなか知らぬが、少なくとも小生は床を離れる前に、布団の上や畳の上でストレッチを20分はすることにしている。それでもこの天気ではなかなかスイッチが入らない。先ずマスコミ報道に余り関心が無くなっているのがその証拠。

ブログのネタが不足しがちで困りものである。

2014年7月3日木曜日

外来語文化

最近テレビを見ていても新聞雑誌を読んでいても、理解できない言葉や文字が多い。特にエコカーとかアプリとか、実生活で縁の無い車やスマホ関係に多いのは仕方ないかもしれぬ。古来文物や概念を輸入して自らのものにするのを得意としてきた国柄故だとしても、もう少し日本語に置き換える努力があっても良いのではないか。偽物造りで天下に名高い中国なんかどうしているのだろう?少なくとも仮名文字の無い国だから、発音は知らぬが表記は漢字である。

中国に比較すると、日本は江戸時代には平仮名に加えてカタカナまで用意したのだから、ことの良し悪しは別として大したものだ。今の教育制度の中でどう位置付けられているか知らぬが、更に、アルファベットを習い、我々世代はローマ字表記が小学校で必須だった。外来文化の受け入れには便利だろうが、意味不明の言葉や略号がマスメディアを通して、堂々と娑婆を闊歩することに対して些か不満を禁じ得ない。

何故こんな事を書いたか。今朝、次の雑誌記事を読んで意味が理解できずに口惜しかったので、八つ当たりをしているだけである。「カリフォルニア・シリコンバレー付近では「朝夕のラッシュ時にはEV、PHV、天然ガス車などのエコカーだけが1人乗りでも通行できる。」エコカーは排気ガスの少い自動車とすぐ分かるが、口惜しいことにEV、PHVが分からなかった。EVは電気自動車、PHVはプラグインハイブリッド車だそうだ。ハイブリットなんて語句も最近あちこちで目にするが、混ぜ物を言うらしいと生半可に分かったつもりでいるが、果たしてどこまで正鵠を得ているか自信は無い。

パソコンを弄っているとプラグインなる単語にもしょっちゅう遭遇する。これも分かっているかどうか怪しいものだ。従って「プラグインハイブリッド車」と説明されても尚、分からないのが正直なところである。その点昔の人は偉かった。外来文物のコピーを作成する時、名詞を極力日本語に翻訳していたのが可愛いとも面白いとも言える。例えば「鉄砲」なんて言葉を態々作った戦国時代のお侍か鍛冶屋さんには敬意を表したくなる。

時代は下って、サッカーは蹴球、バスケは籠球、ベースボールは野球だが、現在でも野球の方が一般的であるのが面白い。スポーツなんて概念も無かった筈だが、どうも運動競技と訳したらしい。お菓子のカステラはポルトガル語の「小舟」の意味と聞いたことがあるが、これとて外来語をそのまま取り込んでいる訳ではない。それなりに苦労の跡が伺えるではないか。

昔から一般人には分かり難い業界用語としての符牒は存在している。だから、医療分野でHIV感染とか使われるのは仕方がない。しかしDVDとなるとかなり一般的な家電製品だから、説明書一つとっても、も少し日本人に分かりやすく書いてほしいと願う。兎に角わからない単語だらけである。現在社会で外来語をそのまま使うのは仕方ないとしても、年寄りにとっては、アルファベットの略号が頻繁に出現するのは難儀な話だ。

東通工がSONYとなり、松下電器がPANASONICの時代である。半世紀以上前には、大学生が憶えておかなくてはいけない略号が入試問題に出るとあって、国連がUNだと暗記する努力が懐かしい。試験は関係ない楽隠居でも、普通に生活するために氾濫する略号のどこまで一般教養として覚えなければならぬだろう?

2014年7月2日水曜日

医師からの呼び出し

案の定であるが、昨日かかりつけの医師から自宅に電話があったとのことで、婆さんが慌てて携帯に電話をしてきた。金曜日の無料検診の結果、PSA値が危険水域に達しているので明日必ず来院してくれとのこと。予想していたことなので分かっているが、折角の好意を無にするのもなんだと思い、朝一番で赴くと、紹介状を書くので至急日大病院に行ってくれとのこと。日大病院は既に掛かりつけ泌尿器科医師からの紹介で行っているので、検査結果を先ずその先生に見せて、紹介状を書いてもらうと言うことで納得してもらう。

PSA値が20.01とかで高いことは高い。明日にでも泌尿器科に行かずばなるまいと覚悟を決める。又3度目の生検も嫌なので、いっそ前立腺を摘出してしまったらどうかと思い、手術した経験を持つ友人に電話で様子を聞いてみる。彼も3回生検を受けたが悪性腫瘍は見つからなかったが、摘出手術で快適になったように聞いていた。しかしこれは聞き違いで、前立腺にこびりついた垢みたいものを掻きだしただけらしい。何でも1週間程度の入院で手術も内視鏡で簡単だったとのこと。

こちらも同様の措置で何とかなればいいが、日大板橋の医者が何と言うかである。担当医師の外来診察日が月曜と水曜とのことなので、来週行くことにする。掛かり付け医の処方を折角8週間に引き伸ばしてもらったと言うのに、何たることか、今週から来週にかけて何度か医者通いをする羽目になってしまった。身から出た錆とも言うべきか、これも皆わが身のことゆえ誰にも文句はつけられない。医者から戻ってうんざりした気分でいたところに、最近最も付き合いの多いブログ友達I氏から電話で昼飯のお誘い。

早速気分を治して池袋で昼酒をご馳走になる。池袋サッポロビヤホールでハーフ&ハーフ生ビール2杯、おつまみのサラダとソーセージが絶品だった。彼は樺太からの引揚者で、昭和20年8月15日後の戦を経験している。運よく翌21年には家族は北海道に引き上げることが出来たが、叔父さんはシベリヤまで連れて行かれたて帰らぬ人になったとのこと。先日彼のブログ少し樺太のことが書いてあったので、直接いろいろ話を聞かせてもらった。

いつものように現政権暴走について互いに歎ずるが、彼が言うには「やはり経験が無いとピンと来ないのかなぁ。」総理だけでなく、息子さんでさえ親の気持ちを理解できないようなので、もう言って聞かせるのを諦めたとのこと。最近娘や婿度にも会う機会が無いので、一度彼らの気持ちを確かめたいものだ。まさか孫たちを自衛隊に入れようとは思っていないだろうと思うが。彼は現役で仕事を続けているので飲み屋に行く機会も圧倒的に多い。

少なくとも台東区内の行きつけの店で景気の良い話は全然聞こえないそうだ。アベノミクスもどうなったことやら。

2014年7月1日火曜日

誰がための内閣?

この週末からまともに新聞も読まずテレビも見ていないので、今朝婆さんが言うには「地方自治体では安倍内閣暴走への反発が凄くて、中でも長野県が断トツみたいよ。」そうか、いよいよ今日が閣議決定をやらかす日だなと再認識。婆さんの言をネットで確認すると次の記事が見つかった。6月29日東京新聞である。

「安倍政権が目指す集団的自衛権行使容認の閣議決定に対し、地方議会で反対、慎重な対応を求める意見書を可決する動きが急速に広がっている。本紙の調べで、今月だけで少なくとも120超の議会に上り、これまでに可決済みは190(28日時点)となった。自民党会派の賛同も目立つ。閣議決定を急ぐ政府と、それを懸念する地方の溝はさらに広がった。-中略-
都道府県レベルでは長野、岐阜両県議会がいずれも六月に慎重審議を求める意見書を可決。市町村議会では三十二都道府県の百八十八に増えた。最多は長野県で、県議会のほか四十五市町村となった。」

普段信州人であることを余り誇りに思う様子も無いうえ、どちらか言うと日本のチベットと小馬鹿にしている同居人が、珍しく誇らしげに言っているのも分かるような気がする。そのことは兎も角として、この記事によると「逆に、全国1788の自治体で政府方針を支持する意見書は一つもない。」この傾向に対して高村自民党副総裁が「「地方議会も日本人であれば、慎重に勉強してほしい。」と反論したところをテレビが放映したらしい。婆さんは「あの言いぐさは何だ!」と怒り心頭である。

既に何回も書いてきているが、現政権は詐欺師と同じで選挙に際して国民と約束してないことに血道を上げている。前政権時代には公約であるマニフェストを逆手にとって政権を厳しく追及したマスコミは、このことについて殆ど沈黙を守っているのだからどうしようもない。だから、序でに婆さんにも一つネタを教えて上げた。婆さんが知らなかったくらいだからテレビでは殆ど無視していることだろう。昨日のネットで知った話であるが、読者はどのくらいの方がご存じだろうか?

1か月以上前のことになるが、5月22日のことである。マスコミでは一切報じられていないようだ。『「日中韓の共存共栄」提案を官邸が受け取り拒否 アベノミクス最大の功労者・浜田宏一教授も賛同』我が国の一流の経済学者18名が揃って首相官邸に提言したのである。一言で言えば中国韓国と仲良くしなければ、経済の発展なんかとても無理ですよ、領土問題とか靖国参拝なんて言っている場合ではありません。という趣旨である。ところが、この提言を官邸が受け取りを拒否して門前払いをしていたのだ。

理由が極めてわかりやすい「安倍総理の方向性と異なることから。」だそうだ。少し正確な情報を付言すると、提案したのは「平和と安全を考えるエコノミストの会」(理事長・河合正弘東大名誉教授)による「東アジアの安定と繁栄のために―日中韓の共存共栄をめざして」との論文。どう見ても内閣にこの提言者より経済学の蘊奥を究めた人間がいるとは思えない。民の声も聞く耳持たず、学識者の警告も無視する傲慢さ加減は、無礼を通り過ぎて滑稽ですらある。

この事実を6月20日付けのロイター電子版が「浜田・河合教授らが日中改善を提言、首相官邸は受け取らず」と報じたそうだ。