2014年7月25日金曜日

読後感「倫敦!倫敦?」長谷川如是閑著

「前立腺癌のマーカーPSA値の上昇で3度目の生体検査が必要と診断され、3日間の入院を余儀なくされた。時間だけはたっぷりあったので500ページ近い岩波文庫を一気に読めた。検査はきつかったが、これを読破出来たことが唯一の救いだった。」

子供の頃から「ガリバー旅行記」「船乗りシンドバットの冒険」「80日間世界1周記」等々、著者自身が見知らぬ土地を探検した旅行記ほど面白い読み物は無かった。例として引いたのは何れもお伽話又は小説とでもいうべきもので実際の旅行記ではない。しかし長じてもテレビ番組の「兼高かおる世界の旅」なんか好んで見ていた記憶がある。著者やレポータの感動は多くの読者や視聴者に素直に伝わる何かがあるような気がする。

本書は今から114年前の明治43年(1910年)に実現した大阪朝日新聞社記者のロンドン訪問記である。著者は朝日新聞記者ではあるが、主に「天声人語」を担当してようで、記者と言うより随筆家、今ようにではコラムニストとでも言うべきかもしれぬ。明治8年の生まれであるから渡欧した時の年齢は35歳、働き盛りで人間的にも最も充実する年代である。出発が春3月で、帰国は多分9月初旬の約半年の旅行記である。これも推測ではあるが、往復に2か月程度は掛かったこと思うので、英国(ロンドンから遠くへは殆ど出ていない模様)滞在はほゞ4か月くらいか。

現在ではロンドンを旅行した人は多いと思うが、こちらがロンドンなる土地を知らないせいもあるだろうが、実に興味深く又面白い。100年以上前のロンドンと現在では趣の代わっていることは多々あるにせよ、共通項も多い筈である。当時の英国は正にパックス・ブリタニカで世界7つの海を征服していた時代の最盛期、著者も書いているが、口惜しいけれど、世界1周してきたが英国の支配及ばざる国は殆ど無きに等しかったそうだ。日本も当時は英国との間に同盟関係があり、日清・日露の両戦争に勝利したこともあったりして、先進国としての意が高かったのだろう。

タイトルに!マークと?マークが着いてることからも分かる通り、日本人としてのプライドが至る所に現われている。と言っても決して上から目線で見ている訳ではない。飽く迄日本人として、地理的な側面と人文的側面を丁寧に観察することに徹していたことが窺える。要するに徒に西洋かぶれしていないのだ。この辺が、近頃の横文字使いの人種と大分違うように思う。当時世界の中心であった都市ロンドンを、長短余すことなく丹念に描こうとしている姿勢には好感せざるを得ない。

大阪勤務であったので神戸を出航して神戸に帰港していると思うが、この道中記も非常に興味深い。日本海の船旅を経てウラジオストックに上陸する前後から書き起こされている。更にはシベリア鉄道で10日間、満州・ソ連へ、そこからベルギー・ドイツ・フランス等を経てロンドン入りし、帰路はプリマウスからジブラルタル経て地中海に入り、イタリアのナポリまで日本海軍の駆逐艦「生駒」にも乗船させてもらっている。ナポリから地中海・インド洋を経てセイロン島・シンガポール・香港等に寄港しながらの大航海記でもある。

英国滞在中に国王エドワード8世の薨去にぶつかり、新聞記者であったことからその葬儀に参列することも出来ているし、同様に上下院の国会も丹念に傍聴して、その様子を克明に描いている。当時の旅行では常識だったに違いないと思うが、ロンドンではホテルでなくて下宿に滞在している。現在の日本の民宿とは大分異なり、学生時代に高級官僚の自宅に下宿していたことを思いだした。
著者の場合は、ご亭主がゴム商人で1年の3分の2を南洋に出張している家庭である。

500ページ近い大著ではあるが、ところどころに写真(当然モノクロ)が挿入されていて、これがまた当時のロンドンを知る上で非常に助けになっている。
ロンドンと言えば煤けた暗い街との印象で、何となく現代の北京や上海を思い浮かべるが、著者の受け止めも同様だったようだ。それとホームレスが想像以上に多いように描かれているが、この辺りは現状はどうなっているのか?雑多な人種と言う意味では現代のニューヨークなんかのイメージと重なる。現代と大分様相が異なっていても、読書自体が楽しいので、それは関係ないし仕方がない。

一寸以外だったのは、ロンドンと言えば真っ先に「パブ」を思い起こすのだが、それに関する記述が全く無かったことぐらいだ。

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