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読後感「テレビ局削減論」石光勝 著

年内ブログは書かないつもりだったが、長距離バスの中で読んだ本について忘れないうちに書きとめる。
バスの移動中に読むために活字の大きい新書を選んだ。内容的にも大凡想像のできる事だろうし、著者も互いの現役時代に仕事を通じて知り合っている仲である。著者と付き合いがあったのはテレビ東京の営業局長時代だが、氏はラジオ局からテレビ東京に来て制作なり編成も経験しているようだ。年齢的にももっと近いと思っていたが、小生より6歳も上である。肩書はメディア・コンサルタントだそうだ。
小生もブログを書いているが、読んでくれるのは毎回精々50人。同じく文章を書いて、立派な本として出版出来る事に先ず敬意を表すべきだろう。放送局を削減すべきと結論的には持って行きたい気持ちもよく分かる。しかし削減を必要とする根拠、即ちテレビ局の経営が非常に困難になりつつあり、拠って来る番組の質的低下で負のスパイラルに入りつつある。これについては、勿論否定のしようがない現実だろうし、容易に想像がつく。
だからと言いうことになるのだが、その削減に至る道筋とその結果将来される事態についての記述は、論と言うには極めて薄い。現代人にとっては、昔のシャーマンか神様みたい存在のメディアの存在に対する一種の批判論だから、仕方ないと言ってしまえばそれまでだ。しかし筆者が何度も指摘する「どこの局もおんなじ」「食べ物番組ばっかり」「通販番組の氾濫」とネット社会の出現と相俟ってテレビ離れが急速なのは事実だろう。
従って、ことさら論を唱えなくても、テレビ局減っていかざるを得ない運命にあることだけは再確認できた。

平成23年ブログ納め

今日で御用納めをすることになった。サンデー毎日のような生活とは言え、明日から正月休みと聞けばやはり嬉しい。
振り返れば今年はいろいろあった。最大のイベントは4月に事務所を引っ越した事。平成15年に個人起業して以来8年使っていた所を、大家さんが建て替えるので出てくれと言う話になった。似たような家賃で駅の近くに新しい事務所が見つかったのは幸いだった。経営を代わってもらった会社に家賃を持ってもらっているのだが、来年4月以降も家賃の負担をお願いできるかは今のところ不明だ。もし個人負担になっても後1年は最低でも頑張るつもり。
会社の代表を代わってもらったのは昨年4月だからもう2年近くになる。今年の4月からは大分暇になったのも事実。お陰で遊び歩く時間が増えて、納得いくまで山歩きを楽しむことが出来た。記録を見ると、スキーを含めて16回も山に行っている。父がよく言っていた。「山なんかいつまでも無くならないのだから、お金も時間も自分の自由になってから行けばいい。」改めてその通りだったと思う。
「遊びも、遊べる時に後で寝言を言わなくて済むように、納得するまで遊べばいい。」これもよく聞いた言葉なので、兎に角思い切り山を楽しんだ。これで寝言は言わずに済む筈だ。来年から、或いは来年こそしようと思う特別な事は何もない。来年は6回目の辰年になるので、全ての事にペースダウンして、1日1日をできるだけ無理をしないで楽しく過ごすよう心掛けたいと思うのみ。
ブログは来年も引き続き1月3日からぼちぼちと書き続けたいと思っています。これまでに拙い文を読んでくださった皆様に心から感謝申し上げます。どうぞよい年をお迎えください。

年の瀬に、昭和を思う

朝の通勤時に先週まで毎朝すれ違っていた小学生から高校生までの学生が、一人も見えない。もう冬休みに入ってしまったのだろうか?一寸早すぎるようにも思うが、わけが分からない。こちらは明日で仕事納めになりそうだ。 水曜日は可燃物の回収日の筈だから、ゆっくり部屋の掃除でもしよう。今年は4月に仕事場の引っ越しをしたので、ごみが案外少ないのでこれも楽ちんな事だろう。
日本全体でみると今年は自然災害に原発事故で大変な年であった。被災されている皆さんの復旧復興に関して、政治の対応が遅いとか悪いとかの非難ごうごうたるものがある。被災者の立場に立てば、9か月経っても元の生活からはほど遠く、誰かを恨んでみたくもなるだろう。ここ数日テレビはその恨み節で溢れかえっていたみたいだ。そんなものを見ても仕方がないので、最近テレビを殆ど見ないで済む。
行政の対応がまずいのは最終的には政府の責任だろうし、政府の最終責任者は菅前総理と野田総理だから、この二人の罪は重いと言う事か。しかし辞めればその罪を逃れることが出来るのだから気楽ものだろう。これからも当分は、日本政府と言う巨大組織を管理する能力の無い人間が、総理大臣の職に着くと思うと少し暗い気分になってしまう。そんな能力があるかどうかはどのように見分けたらいいのか、誰かに教えてもらいたい。
歴代総理大臣をウイキペディアで見てみると、終戦時(昭和20年)の第29代総理鈴木貫太郎氏から第46代総理竹下登氏までが昭和の総理大臣。平成に入って最初の総理が第47代の宇野宗助氏、野田氏は第62代総理とのこと。明治は遠くなりにけりと聞いて育ったが、昭和が遠くなったことを改めて思う。

来年度予算とマニフェスト違反

昨日平成24年度予算案が出来たらしい。これも最近の傾向で、翌年度予算案は暮の早い時期に上がってしまう。予算案とはいかなるものか、今でも理解できているとは言い難いが、思い起こせば現在の年齢の半分頃は予算編成が1年で最大のイベントだった記憶がある。農村へのPR窓口をうたい文句にした広告代理店の張り切り営業マンだったころの話である。
日本も戦後を脱し豊かになるにつれ、食糧事情も急速に変化して飽食の時代に入りつつあった。17,8年前に上京する時大切に持ってきた配給手帳(米を買う際に必要とされた)は必要なくなり、米や魚の消費量が落ち始めていた時代である。子供の頃田舎の親せきに行ってもなかなか分けてもらえなかった米を、政府や農協が「もっと米を食べましょう」と宣伝し、肉に押されて消費が減ってきた魚介類を同じように政府や漁協が消費拡大を図る時代になってきていた。
宣伝するにはお金がかかる。しかし当時お米は全量国が買い上げるシステム(まさに戦後社会主義国家ニッポンの象徴ですな)で、既に米余りの予兆が出始めていたのだ。米の流通や余剰米の管理に費やされる費用は幾らであったか記憶にないが、兎に角莫大なものであったことは間違いない。そこで米の需給バランスを図るために宣伝の効果があるとすれば、1億や2億の費用はお安いものだったのだろう。
こっちは商売だから、宣伝はかくも効果のあるものと言った資料を沢山用意して、毎日のように霞が関通いをしていたものだ。そしてその成果が現われるのが毎年12月、11月の末頃から各省庁と大蔵省の予算折衝が本格化し始め、お祭りのような忙しさになる。当時は今のように8月に予算を詰めてしまうなんて事はなく、優雅なものだった。新年度に入るとどこの省庁もお休み状態で、夏の人事異動までは仕事をせずに出張と称して地方など回遊しながら骨休めをしている。
新しい人事が発令されても、来年度予算を本格的に勉強しだすのはお盆過ぎではなかったろうか。(当事者ではないので当たっていないかもしれない)何れにせよ、我々外の人間が予算の説明資料を本格的に求められるのは晩秋以降。昼間我々が原課に提出した資料が、夕方には省庁の予算担当課に上がり、深夜に及んで予算担当課から大蔵省主計局に届けられて説明をする仕掛けになっていた。師走に入ると連日の作業となり、御用納めの日に目出度く大臣折衝が終わって予算が上がる。
これ…

ハイキング納め

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昨日は天皇陛下のお誕生日、天皇家のもの日は不思議に晴天が多い。国民はおろか自然界もお慶び申し上げていると素直に考え、お裾分けに預かって本年最後のハイキングに出かけた。目的地は河口湖畔に立つ三ッ峠山。聳えると書きたいが、そんなに高くも険しくも無い。ただ山梨県側から富士山を眺めるには最高のポジションと聞いたので、行く気になった。

新宿発8:14のホリデー快速でJRが富士急に乗り入れ、乗り換えなしで10:20に河口湖に到着する。河口湖に近づくと、雪をかぶった峰が青空に浮かび、裾野が眼前まで伸びる富士山が現れる。今年は遠くから何度も見たが、目の当たりにする富士山の美しさと雄大さには圧倒された。登山口までは季節外れのためバスが無いのでタクシーを利用。11時から登り始めて12:30には山頂に着いてしまった。

途中の道はアイゼンを必要とするほどではないが、雪が張り付いている。寒さのため引き締まっていて歩きやすいのは良いのだが、指先の感覚が無くなって、昼食を摂るのに難儀したこと、温かい麦茶を持参したのが正解で、用意してくれた婆さんには感謝感謝だ。残念だったのは登頂時間が遅かったので、山頂は寒さがきついだけでなく、肝心の富士山が雲に隠れて頂上を拝むことが出来なかったのと、朝のうちに写真を撮らなかったので、日記に自慢できる写真を上げられない事かな。

しかし、時に冬の太陽のぬくもりを楽しみながらも、身の引き締まる寒さの中を4時間ぐらい(帰りはタクシー利用を往路の半分にした)山の中を歩いて、冷え切った体で飛び込んだ我が家の風呂の有難さだ。平成23年山歩きの納めとしては上々で、缶ビール1杯飲んであっという間に寝てしまった。

冒頭の写真は帰りの電車の車窓から。
山紀行は下記からご覧願います。 http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-157544.html

来年は

あまりぱっとしない話題が多い師走だ。テレビの報道を見ても東日本の被災地その後を追うみたい気が重くなる話が多い。就職難は若い人にも及んでいる。高校を出ても大学を出てもまともな就職が出来ない人が多いようだ。両親の健在に甘えているのか、それ以外の方策が無いのか、両親の脛をかじりながらアルバイトでもしていればいい、てな考えの若者は知っている範囲だけでも何人かいる。これは少し問題だ。

来年の事を言えば鬼が笑うが、昨日行ったジャーナリスト田中良紹氏の会で「来年の干支は壬辰(みずのえたつ)、蕾が膨らみ大いに奮い立つ年になるのでは」と話していた。更に言うと今年平成23年の干支は「辛卯」(かのとのう)辛抱と同じ読みで、実が落ちる秋を象徴して地殻のみならず大きな変動がある年だったのだそうだ。

多くの識者が、来年について混迷がさらに深まるようなこと言う年の瀬に、嘘でもいいからこんな話を聴けたのはよかった。こちらは、それこそアルバイトでも探したい年になりそうだが、そんなことはどうでもいい。生きているだけでも有難いようなものだ。田中氏の話は八卦見とは異なり、彼なりに根拠はある。有料の話を余り細かに披露しては具合が悪いかもしれない。

その一つは311の災害で証明された、東北地方の中小企業(部品製造メーカー)の存在と持てる力。これは侮りがたいもので被災で世界中の自動車生産がストップしたことを見ても分かるでしょう。他にも技術力とか農生物の優秀性を示すものは数多い。アメリカが世界に誇る兵器産業でブラックボックスを開示しないからといって悲観するには及ばないようだ。むしろ航空機の製造に関して言うなら、ボーイング社が(878からだったかな)採用した炭素繊維の技術なんぞは日本がブラックボックス化しているのだそうだ。

昨日も書いたが、氏は政治の混迷についてもあまり悲観主義に立った見方をしていない。民主主義の手続き上やむを得ないとやや突き放しているようにも感じた。マスコミについても嘘八百を並べ立てるのは仕方がない。もとは言えば民権運動、反権力から出発している新聞が、すぐに権力にすり寄ってしまったのは全て金力、吸い寄せられてしまうのは本能的なもの。せめて、皆さんがそういう事を知って見たり読んだりしてほしい。

会の参加者は残念ながらご同輩が多いのはやむを得ないのだろうが、参加してよかった。来年は落ちた実が再び妊娠するがごと…

ニュースの読み方

家で新聞は1紙取っているが、まともに読んではいない。朝夕刊とも精々20分から30分、斜めに読み飛ばすのみである。しかも食後の事とて、すぐそばでテレビがニュースを流したり、我が家ではお気に入りの歌謡番組を流したりしている。小難しい事はとても頭に入らないし、論説とか制度改革などについての細かな解説などは読まない主義である。例えば年金制度の改革について詳しく知ったところで、受給額が増える筈もないし、減りようを知ってがっかりしても始まらない。

なれば何故新聞を購読するかは小生にとっては単なる習慣、婆さんにとってはチラシ広告のフォルダーとしての機能とテレビ欄に用事があるからだろう。
代わりに事務所に来てから、毎朝幾つかのメルマガやブログを読むのを楽しみにしている。読まないくせに申すのも烏滸がましいが、新聞の論説論調て奴はどうも既製品の安物衣料みたいに感じてしまう。大いに愛用しているユニクロ製品ならまだしも、どこのスーパーでも特売日の目玉になる衣料品だ。

しかも大抵は上から目線と決まったものらしい。婆さんの買い物エリアには3軒のスーパーが存在する。毎日のように婆さんから解説を聞く小生としては、各店舗が折り込みチラシの折り込み日とチラシの体裁、そして目玉商品に対して、非常に細かい戦略を練っている事を知っている。それに引きかえ新聞の論説論調はどうだ。たまには署名記事もあるようだが、同一の日に同一の大きさで同じ論調を並べるとしたものらしい。

この論説委員の成れの果てがテレビに顔を曝して、同じように偉そうに喋ったのではテレビも面白くなりようがない。そこに行くとメルマガ実に面白い。
書いている人間の主義主張が明確である。たまには自分で間違った事を言ってしまったと思うときもあるだろうが、素直に謝ってしまえばそれまでだ。
新聞やテレビにはそれが無い。戦争を煽ろうが、特定の政治家をヨイショしようが勝手だが、自分が方向転換する時は、読者視聴者に一言断るなり、謝るべきだろう。

今日の夕方、小生が愛読しているメルマガの発信者の一人、田中良紹氏の肉声を聞く会に行くことにした。メルマガの発信者に直接会うのは初めての事だ。彼はTBS報道出身の一匹狼、兎に角言う事がユニークだ。例えばも財政破たんが心配と大騒ぎしている。「財政破たんして潰れた国は数多ある。日本も大変だと言うなら破綻させりゃいいだろう。」と言った調子で自分…

陽だまりで考えた

天気がいいので昼休みに上野公園を歩いてみる気になった。流石に師走だ、上野公園全体が閑散としていた。多くのミュウジアムも殆ど新年の準備で、改装中であったりして、特別な展示は殆ど無い。久しぶりだったので驚いたのは、公園中央(昔長方形の池に噴水があった場所一帯)がテントで覆われ大々的な工事をしている。多分ここは都営の公園だろうから予算に不自由がないのだろう。

都は財政が堅調で(当たり前だろう)国家財政とは別と言う事かもしらぬが、国が財政危機で国が潰れそうだとか、子や孫の稼ぎを親が前借で使ってしまうと言われる時代に、よくやるなと半ばあきれる思いだ。国と地方合わせて1000兆円の借金なんて事も、お役人様から見れば他人事に過ぎないのか。要するに殆どの官僚(行政職の政治家を含め)は全体の事は全く考えず、己の権利権益を守ることにだけ専念している事の一端が垣間見えているだけと思うと情けないが、これが現実だろう。

首都圏の知事さんは政府に対し、八ツ場ダムも結局作るよう猛烈にプレッシャーをかけている。群馬県長野原地域の人にとっては長年の悲願かも知れないが、これから先、それこそ子や孫の事を考えたら優先度が低いのは素人目にも明らか過ぎる話しである。公共工事が減れば景気が良くならない、困る人も出てくるとの理屈もあるのだろう。

それにしても東京は至る所で建設工事が進んでいる。勿論公共事業ばかりでなくて民間事業もあるのだろう。しかし今本当に必要な事業ばかりとは言えまい。先を急いで金を使う事ばかり考えずに、少し立ち止まって「このまま直線的に進む事がいいのか、方向を選び直す必要はないか」を考えてみる気になってほしいものだ。

行方も知らず、明日は何処ぞ

年の瀬には思わぬことが起きる。北朝鮮の金正日将軍が亡くなったそうだ。まだ69歳と報じられている。独裁国家の最高権力者であれば、この世をば我が世とばかり好き放題であったろうに、生来蒲柳の質であったのか、余程不健康な生活をしていたのか。権力や金力なんて儚いものだ。少し可哀そうでもあるし、カダフィ大佐のように殺されずに済んだのは彼のために善かったと言うべきか、余りにも遠い存在なので彼については何と言っていいか分からない。

後継者は決めてあったと言っても、俄か仕立ては否めない。隣国の事でもあるので、大きな混乱が起きないよう、周辺の友好大国には上手くサポートしてほしいものだ。その中国やロシアも、自国のリーダーの交代が焦眉の問題で国内は騒然としているらしい。韓国に至っては、同様に大統領選挙を目前に控え、日本とは友好的になんて言っているが、国内的には泥鰌総理状態に置かれているらしい。

EUも経済問題で通貨危機が収まらないし、中東でもイラクはアメリカ軍を追っ払った意気は褒めてやりたいが、パキスタンも同様だが、アメリカに背を向けた途端に国内がぐちゃぐちゃになってしまう危険性は大だろう。先日友人から聞いた話だが、アメリカを追っ払ったと言われているフィリピンは、アメリカが匙を投げたのだそうだ。まるで国家の態をなしていないと言う話は他からも聞いた。

「何れにしても、今年は予告編で来年は騒乱の本番が来る。」一昨日のテレビ番組「時事放談」で浜矩子さんと言う怖い顔をした一ツ橋の先生が仰っていた。この方非常にユニークで、趣味の大量飲酒を公言するからではなく、お説ご尤もと我が家では評判が高い。経済学者との事ではあるが円は50円になっても不思議でないなんて思い切った事を仰る。こういったご時世になると、大阪の橋本市長さんもそうだが、オタオタせずに思い切った事を言う人の人気は上がる。

さて、騒乱の来年だが、良い年を迎えたいと思っている小生なんかにはショックであるが、確かに今年を予告編と見ると分からないでもない。舵を任されている政府も大変だろうが頑張ってもらいたい。国政の運営ともなると、そう無責任に言いたい事をいう訳に行かないのかもしらぬが、官僚の手に乗せられて「停止状態」の宣言なんかしない方が良かった。自分の言葉で確信もてる事実を淡々と言えなかったのは残念だ。

良い方向か悪い方向かは知らぬが、歴史の流れは後戻りも…

高校の東京同窓会年次総会

昨日は昼から東京に於ける高校同窓会があり、約30人もの懐かしい友だちと夜まで、賑やかで楽しい時を過ごすことになった。毎年この季節に首都圏在住卒業生で組織されている同窓会総会が都内のホテルで開かれ、親父のような大先輩から息子のような後輩が集うことになっている。最近では71歳の我々も長老に近くなって、後輩の方は孫に近づいている感が無きにしもである。

この会は年次を超えた交流、懇親が主たる目的だろうが、やはり年次ごとに寄り集い、互いの無事を確認する事がメインになる。小生にとってもう一つ大事なのは、校歌「山また山」と県歌「信濃の国」を大声で歌うことにある。
普段カラオケとは全く縁が無い音痴であるが、毎年暮れにこれを歌わない事には正月が来ないと言っても過言ではない。

会費はデフレの中でも少しずつ上がり続け、数年前から1万円になっているが高いと思ったことはない。勿論、酒や料理はご多分に漏れず大したものではない。しかし、この歌の斉唱に参加できることの他に、懇親会の前に卒業生の中から選ばれた講師による講演ががあって、これを聴くのも大きな楽しみの一つである。

「長野県の教育環境にも大きな変化が起き始めているので、今後はどうなるか分からない。」現在の校長が長野から出てきて、現状報告の中で言っていたが、母校は今までのところ、県内でも有数の進学校で、実に多くの人材を輩出してきた。講師はどんなに偉い先生でも無報酬であるが、講師には事欠かない。社会に様々な形で貢献してきた先輩や後輩の講演は有益ばかりでなく楽しいものだ。

昨日のその講演が我が同窓生に回ってきた。それ故に例年になく同期の出席者が多かった。ところがこの講演内容が実にユニーク、従来のアカデミックなテイストは全く無くて「古稀祝い北米大陸横断の報告」と来た。何のことはない、わが友が8人(いわゆる著名人は一人もいない)、平たく言えば暇に任せて車2台に分乗して北米大陸横断(8200km)をしたので、スライドでご披露しようと言うだけの事。我が同期生には講師に相応しい優秀な学者もたくさんいるのだが、たまたま同窓会のメルマガに掲載された旅行記を読んだ他学年幹事から強い要望が出されたらしい。

高校生活を楽しむ事だけに専念した仲間の一人として嬉しい限りだ。講師に指名された本人も戸惑ったり心配はしたようで、冒頭「どうぞご遠慮なさらずに居眠りしてください。」と前振り…

読後感「天皇家の執事―侍従長の十年半 」渡邉 允 著

1996年12月から2007年6月まで侍従長を務めた人の手記。元は外務官僚で中近東アフリカ局長などを歴任後1993年11月宮内庁儀典長に転出、式部官長を経て侍従長になっている。お父さんが昭和天皇のご学友で、遡れば大山巌氏まで行ってしまうようだから代々皇室とは縁が深いのだろう。

天皇陛下とご一家のお姿は報道で度々拝見しているが、実際どのような生活をしておられるのかは知る由もない。本書を読んで第一に感じたのはその公務(あるいは私的行為とされているが、古来伝承されて天皇家で義務化されている神事を含む)の多さ、これは半端なものではない。昔、月月火水木金金と歌われた時代があるが、それ以上だ。我々には最低正月はあるが、この時こそ天皇ご一家は大忙しになる。

第二はお人柄によるものかもしれないが、国民の幸福を願う気持ちの強さだ。第三はやはり先祖を崇拝する念の強さだろう。端的にまとめてしまえばそんな括りになるかもしれない。私的な楽しみとか娯楽快楽を求めるお気持ちは殆ど無いほどまでに薄められた生活を送られているのではと思ってしまうのは凡人の悲しさかも。

陛下にとってはチェロやテニスばかりではなく、お歌を詠まれるのも、魚や植物について勉強されるのも、ひょっとしたら皆楽しみの一つなのかもしれない。国内に於いては国体や植樹祭等の公式行事における全国の各地訪問、自然災害の被災地訪問、大戦の戦没者慰霊の旅、外国元首との交換儀礼も兼ねた外国訪問等旅行の延長距離と時間は相当であるが、これも我々凡俗と違い、決して名所旧跡への関心はお示しならないのだそうだ。

僻地の移動中に例え一人でも人がいれば、車の徐行させて窓を下げて手を振るのが当たり前との事。内容を挙げて行けばきりがないが、改めて天皇陛下の存在が、古い形容を使えば有難く感じられる。しかしこの有難味を感じる国民がだんだん減っていくのも事実かも知れない。今上陛下は戦争をある意味で体験し、肩身の狭い敗戦国の皇太子として、若い時から私的な意識を持たず、日本国天皇たるべきを意識して世界と向き合ってこられたようだ。本書を読んで一番納得のいった点である。

お隠れになるまでお勤めいただくのは恐縮の限りだが、余人をもって代えがたいのも事実かもしれない。恐れ多いが皇太子殿下の天皇たるお覚悟は、今上陛下とかなり異なるのではと心配になる。秋篠宮になれば私的な思いが強いのはもっとだ…

口は災いの元

昔から「馬鹿を馬鹿と言ってどこが悪い!」式の言わずものがな事を言って、物議をかもしたりすることが多い。他人に迷惑をかけるのみならず、己のためにも全くならないで損するばかりである。婆さんがこのブログを書くことに反対する理由もそれである。でも「分かっちゃいるけど止められない。」
それに引きかえ中2の孫が時々発する「一言」は、同じ余計であっても物議を醸すどころか、周りを笑いに包むので感心せざるを得ない。見倣いたくとも、こういった芸は巧まずして出るものだろうから簡単には真似が出来ない。
前にも書いたような気がするが、未だに語り草にしているのは、次の二つ。何れも小学校3年とか4年頃の事だったろうが、確かに笑える。 1.何かいたずらをしたので、婆さんが孫を捕まえて「こらぁ、お尻ピンだよ。」 するりと逃げながら「○○(婿さんの実家)は優しいなあ。」とのつぶやき。 2.ピアノの発表会で、婆さんが「○○ちゃんは本当に上手ね。」と言うと、隣に座っていて顔も上げずにやはりボソッと「でも、お顔が。」とだけで口を閉ざしてしまう。
この間合いが何ともユーモラスであることは認めざるを得ない。小生のように「あいつはブスだ。」なんて間違っても言わない。ある時、孫と車に同乗していてやはりボソッと言われたことがある。同乗していた弟の名誉に関する事を思わず言ってしまった時の事だ。「お祖父ちゃん、それだけは言わない方がいいよ。」と窘められてしまった。案の定弟は涙を溜めていた。
確かに感性の問題かもしれないが、普段ふざけてばかりで、ポンポン言っているかに見える子供たちの方が、余程しっかり考えて発言しているのを思うと、鉢呂氏や一川氏と同レベルにある己が恥ずかしい。

高齢者対策

若者が少なくなっている事は誰の目にも明らかで、街中を歩いていてもどこかに遊びに行っても年寄りばかりだ。よたよた歩いている人もいれば、山なんぞに行くと、元気だけが取り柄みたいなご老人が佃煮にしたいくらい溢れている。かく言う小生もその一人に違いはない。皆さんそれなりに社会への貢献を果たし、老後を楽しんでいるのだから結構なことかもしれない。
しかし中には何の因果か、住む家や3度の食事に事欠く人も無きにしもだろう。しかしそれは高齢者約3000万人のうちからすればごく少数に違いない。政治は弱者のためにあると言われるので、恵まれないお年寄りをケアするのは当然だ。それにしても、いまの世の中、少し高齢者を優遇しすぎるのではないだろうか。子供の頃からの友人が凡そ1000人近くいると思うが、この中で本当に困窮したりして音信不通になっている者は5人といない。
中にはホームレスになってどこかの施設に収容されているか、寒空で野宿をしているか、或いは無縁仏となって朽ち果てているかと気になる友人もいる。 しかし彼とて音信があった当時、既に月に15万円ほどの年金を受け取っていた筈。ある事件をきっかけに音信が途絶えたが、彼の半生には個人的な問題があり、因果応報ともいえる。普通に暮らしてきた老人にとって老後の不安要因と何だろう?
早く死ねとは言えないだろうが、現代社会全体、何も政治だけではないかもしれないが、高齢者に少し甘すぎるのではなかろうか。之に引きかえ、社会が若者への配慮が薄い、或いは冷淡すぎると思うのだ。教育だ事の体力だ事の留学意欲が少ない事だの大人はいろいろ言うが、根本的なところで若者を粗末にしている。老人を粗末に扱えと言うと、とんでもない奴と言われかねないのを承知で敢えて言いたい。姨捨伝説ではないが、古来爺婆はある程度粗末に扱われても文句を言わず、ひっそり死んでいく運命にあった。
人の命は尊く、1日でも長生きする事が最善とされている。馬に食わせるほどの薬を大量に飲ませて長生きさせることが、本人にも親族にも本当に幸せな事だろうか。元気でいればいたで、定年延長で職場を若者から奪う事が当然のごとく法制化されようとしている。50歳を過ぎたら役人も政治家も給料を下げていく法律でも制定すべきだろう。民間企業では当たり前の話だ。

孫の快挙

昨日1日中バタバタしていたので日記を書く時間が無かった。一昨日の話になってしまうが一応書いておきたい。日曜日、東京都中学校バスケの新人大会の決勝戦で孫が入っている梅ヶ丘中学校が優勝した。11月20日にトーナメントの第1試合を見に行ってから休日の5日目、試合数でみると6試合目の快挙と言えよう。血統的に運動神経の無い筈なのに不思議な話だと言ったら、嫁の母親は運動神経が良かったのだそうだ。
以前日記にも書いておいたが、試合を見ているとハラハラドキドキしてしまう。心臓によくないので最初の試合を見ただけで、後は結果をインターネットで確認して婆さんに報告していた。ところが、一昨日に限って主催者の東京都中体連バスケットボール部公式ホームページに不具合が発生して、夕食の時刻になっても結果が掴めなかった。「娘に直接電話をして聞いてみたら?」と言っても、負けていると可哀そうだからと電話をしない。
8時過ぎてもう一度アクセスしてみると、試合結果のPDFファイルは治っていないが、テキスト部分に優勝とはっきり書いてあった。最初からもっときちんと見ればよかったのだ。相変わらずの粗忽者で困ったものだ。早速婆さんが娘に電話をし、小生も孫を呼び出して「よかったね、おめでとう。」と伝えた。孫も嬉しかったろう、しかし若干照れ気味ではあるが「ありがとうございます。」と淡々と答えた。こっちももう少し何か付け加えようと思ったが、余計な事は言わないようにした。
興奮したのは周囲の大人の方かもしれないし、通信簿でお勉強不足が証明されても周囲は慰めとすればよかろう。

あの放射性物質どこに行ったのか?

3月に起きた大地震から早いもので9か月が過ぎてしまった。被災地の皆さんに1日も早く立ち直って頂くことが、日本全体の重要案件である事は勿論である。関連して発生した福島原発事故についても、20キロ圏での除染が始まったとかの報道がある一方、安全宣言が出された福島の新米や明治乳業の粉ミルクからセシュムが検出されたニュースが未だに続き、収束には程遠い感が否めない。
これらの報道を追いかけていると、根本的な問題を忘れてしまう危険がある。 実際に我が家では、福島産の食物は買わないように気を付けているようだが、昼飯が毎日外食になっている小生は、放射性物質を含む食品を口にしている可能性は否定できないだろう。まして家でも魚はよく食べるし、特に危険とされている小魚は毎日のように口にしている。仮に駿河湾より西で上がった魚であっても、海洋汚染の実態なんか分かったものではない。
青酸カリの2000倍の毒性を持ち、半減期は30年とされるセシウムが我が体内に蓄積され内部被曝が進もうと、己の年齢を考えれば心配は無用かもしれぬ。 しかし子供は兎も角、孫に至れば幼児もいる。心配無用とばかりは言っておれないのではないか。東京に居てさえこの通りだ、原発により近く、しかも土壌の放射線量が高い地域の人の心配は如何ばかりであろう。昨日現地事情に詳しい方からお聞きすると、そういった地域からいち早く避難した人と、現地に残らざるを得ない人の間で深刻な感情問題が多発しているようだ。
誰の責任とあげつらっても始まらないが、兎に角一刻も早くセシウムを何とかせねばならない。除染の報道は盛んにされるが、同じ方から伺うと撒き散らされたセシウムを掃き溜めて、ブルーシート掛けて放置するだけで、何の問題の解決にもなっていないとの事だ。
8月の時点で政府が発表したところの、福島第1原発1~3号機から放出されたセシウム137は1万5000テラベクレル(テラは1兆)。広島型原爆は89テラベクレルだったということなので、福島原発は広島原爆168.5個分ということになっている。ベクレルなる単位が如何なるものか分からないのでイメージが湧かないが、それから3か月後の現在、そのうちどのくらいが回収されどのような処分がなされたのだろう?
非常に大事な問題の筈だが、関連する報道は全く見当たらない。

政党政治と民意

今日は地元で陰ながら応援している民主党の政治家の会がったので顔を出してみた。勿論2年前の熱狂的な追い風に乗って初当選を果たした1年生議員である。当時の国政報告会では数百人の人が集まり、選挙区外からの友人や応援の議員仲間で大変賑やかなものであった。今日は当時と比較して何と人数の少ない事か、多分7,80人程度であったろう。議員が可哀そうになる。簡単な昼食を兼ねた集まりで、全員にテーブルと椅子が用意されていた。
偶々同じテーブルに座った若干先輩2名の方と話が弾んだので、参加した甲斐があったようにも思う。議員も有権者の厳しい声は覚悟の上だったろう。会の名前も「いっしょに語ろう!!」として自分の名前の表示すらなかった。そしてタイトル通り、参加者からどんどん意見を言わせたので面白かった。老いも若きもヨイショする発言はゼロで、質問や意見は皆厳しいものばかりだ。隣に座って始まる前から会話をしていた先輩も早速挙手をして発言を求めた。
官僚の天下りと議員定数削減に絡む意見で、官僚の2度目以降の就職に関して、関連団体に就職した場合の給料や退職金を民間並みに引き下げるようにしろとのご意見だったと思う。皮切りの発言だから比較的易しかったが、段々と発言が厳しくなっていく。議員は財務金融委員会や党税調に役を貰っているのだが、税問題については首相諸共財務省に洗脳され過ぎているとの指摘が、投資銀行に勤務していた専門家と自称する人間から出されたり、議員に面と向かって「あなたの言っている事は言い訳に過ぎない。」と切り捨てる小父さんが出たりした。
流石にこの意見に対しては、誰かが立ち上がり「今日参集しているのは応援団ではないか、我々も同志を集める努力をしよう。」とフォローはしたが。議員も苦しいところだったろう。最後に「役職を干されても、議員定数の削減については税論議の前に実現させるべく行動する。」とのことだ。その言や良しである。でも政党政治の中で初心を貫くのは相当に苦しいのだろう、最後に神奈川の横久米議員の話を出してきた。志を貫いて菅代表に楯突いはいいが、1匹狼になって何ができるかとの喩えだろう。
意見を開陳した諸氏、テーブルで懇談した先輩、皆民主党の現状を憂いている事だけははっきりしている。指摘される問題点も非常に常識的なものだった。民意をくみ取ることはそんなに難しい事ではない、が正直な感想だ。議員は党内無派…

読後感「本土の人間は知らないが沖縄の人はみんな知っていること」矢部 宏治(写真) 須田 慎太郎(文)前泊博盛(監修)

最近防衛大臣の問責にまで発展した沖縄問題。沖縄の基地問題は己とは無関係と全く気にもしていなかったので、防衛大臣ではないが素人以前。これではニュースを聞いても何も分かる筈がない。少し勉強しようかと思っていたところで、この本の書評が目に入った。池袋や銀座の書店を3,4軒尋ねたが入手できなかったので、図書館に2回通って読んだ。インパクトのある内容で、売り切れているのも頷ける。
出版は今年の6月、沖縄の旅行ガイドブックの体裁を取っているので写真が非常に多い。但し、旅行のメインストリームは沖縄に存在する米軍基地のすべて。ルートや移動手段、レストラン、ビューポイントは添え物で、基地問題について過去の歴史から理解するには実に恰好のものと言える。防衛大臣のみならず与野党の全議員に一読を薦めたい。
本の制作に携わった3人のうち矢部氏と須田氏は写真家とヨーロッパの美術館ガイドなどを書いている旅行ガイドブックの専門家のようだ。但し監修の前泊氏は琉球新報の論説委員長まで務めて現在は沖縄国際大学の教授である。ほぼ同世代であるこの3人の組み合わせが新鮮でユニークな出版物を生み出したと言えよう。
約350ページほどの構成で、沖縄の米軍基地を本島の南端から北に向かって訪ねて行く観光ガイドのスタイルになっている。しかし書名にもあるように、狙いは別にある。これが28項目にわたり、トップが「なぜペリーは、最初に那覇に来たのか」である。浦賀に来る1年も前にぺりーが那覇に来ていた事実、それも南回りでやって来た事。アメリカの軍隊が1世紀半も前から如何なる世界戦略を以て日本に対峙しているかを根底から考えさせられる内容が飛び込んでくる。
28項目にわたる内容は、今まで無知であった小生には勿論衝撃的でもあるが、日本人の多くが勘違いしているであろう事を鋭く突いているように思える。即ち日米関係である。宗主国アメリカは民主的国家とばかりは思わないにしても、かなり強固な同盟関係下にあるように錯覚しているが、とんでもない間違いらしい。在日米軍基地は全てアメリカのために存在するものであり、日本防衛のためはない。当たり前と言えば当たり前だが、有事に際して在日米軍が日本のために機能しないなんて事を想像する人がいるだろうか。
アメリカ自体も民主主義と帝国主義の狭間で揺れているのか、都合によって敵とに使い分けているのか、これに対して日本人がど…

開戦記念日

終戦記念日には戦没者を慰霊する行事などが大々的に行われ、それなりの報道もあるが、戦争の火ぶたが切られた日は記念すべき日ではないらしい。何も笛や太鼓で祝えとは言わぬが、我が国の歴史上重大なターニングポイントである日には間違いない筈。当時の世界情勢とこの日の国民のありよう、特に上は上御一人から補佐した内閣や政治家、官僚、上御一人様直属とされた軍隊、社会の木鐸であったマスコミ、そして下々の皆さんはどうであったか。
むしろこちらの方を、子子孫孫にまで忘れないように仕向ける事の方が大事なように思う。もし総理大臣か文科大臣なりせば、小学校と中学校の日本史のカリキュラムにこの部分をかなり長時間組み込むべく努力するだろう。毎年この日が来ると、現存する生き証人がいるうちに実現できれば、と夢のようなことを考えている。
偶々昨日は、それこそ現存する旧陸軍関係者と偕行社(旧陸軍から自衛隊OB迄の親睦組織の事務所)で碁を打っていた。碁会所ではないので、周りに幾つかの懇談の輪がある。老人の集まるところだから仕方がないのだろうが、声が大きい人がいる。最初は開戦時のアメリカの策略について論じていたようだが、やがてそれに乗っかってしまった当時の上役即ち軍幹部を悪しざまに言い始めた。
偕行社は元々士官のクラブと聞いていたが、こんな行儀の悪い兵隊の成れの果てみたい人間が出入りしているには些かびっくりした。誘って頂いた方も眉をひそめていらしたが、黙って碁に集中するよう努力されている様子だった。老人の親睦クラブで喧嘩する訳にはいかなかったのだろう。
話が逸れたが、昨年と一昨年の今日に日記を読み直してみた。書いているのはやはり個人的な思いで、開戦そのものについては記憶が風化しつつある事しか伺えない。戦争と言う大事件ともなると、誰にその責任があるのか特定するのは非常に難しい事かもしれないし、国民が責任追及を選択しなかったのも一つの知恵だったのかもしれぬ。しかし三条河原で打ち首とか磔獄門とかの厳しい罰が下されたものについては、記憶がいつまでも鮮明になるとも言える。
東京裁判で断罪された7人の方には可哀そうだと思うが、どうせ絞首刑になるなら日本の裁判で死んでもらった方が後世のためにはなった筈。こんな不謹慎を敢えて書いたのは、今年起きた東電の福島原発事故が似ていると感じているからである。誰かに責任はある筈だが、誰もがその特定…

いい年して先生は・・・?

大学は慶応義塾に在学した。慶応では教師を先生と呼ばず君付けで呼ぶ習わしになっている。学内の掲示板に「○日○○君は休講」てな張り紙が出るのである。当初不思議な気がしたが4年居てすっかり慣れてしまった。逆に未だに馴れないで困るのは「先生」の方である。中国では○○さん程度の事らしいが、我が国では敬称である。人様を敬して呼ぶのだから目くじら立てるほどの事ではないが、どうもしっくりこない。
テレビに出てくる解説者の殆どが先生と呼ばれるが、新聞記者上がりの小父さんなんか馬鹿にされていると思わないのだろうか?個人的には面と向かう可能性が殆ど無いからどうでもいいだろうが、もしあったらとてもそうは言えない。却って失礼に思ってしまうだろう。どうも昔の刷り込み「先生と呼ばれるほどの馬鹿じゃなし」が強すぎるのかな?国会議員同士が先生と呼び合うのは良いとして、昨日報道された鈴木宗男先生の釈放を祝う会は面白かった。
流石に共産党(ところで共産党の議員も先生と呼ばれることを許すのだろうか)や公明党に出席者はいなかったろうが、嘗て天敵に近い発言をしていた人を含め、議員仲間が100名近く鈴木先生の釈放を祝うべく集まったらしい。小沢一郎氏の挨拶を取り上げていたが、検察によって貶められた仲間と思えば両者気持ちが強く繋がるのだろう。筆頭に挨拶するのも当然かもしれない。
少し関連して最近思っている事、ここにも鳩山由紀夫元総理が登場していたことだ。どこに現れようと何を言おうと本人の自由だろうが、メディアは何で彼を取り上げるのだろう?元総理ともなれば取り上げない訳にはいかないのかも知らぬが、一度引退を宣言した彼に関しては政治的行動や発言を一切無視してほしいものだ。見て見ぬ振りをするのもせめての情けだろう。政治家には節操も恥も、当然ながら晩節も無縁のものであっても、見ているこちらが恥ずかしくなる。

民意はどこに行った?

戦後長きにわたって政権を維持し続けた自民党は、些か責任感と節操に欠ける政党であった。但しこれは個人的見解。2年前に政権を奪取した民主党が、政権担当能力に欠ける素人の集まり揶揄されるのは多数の意見のようだ。 前者が政権担当能力を持つ玄人とも思えないが、政権交代2代目総理の菅氏以来、民主党は民意を念頭に置いていないように見える。
少なくとも小生は、民主党が政権を獲得した理由を次のように思っている。「国民の生活が第一」のスローガンやマニフェストに惑わされたのでもなく、スマートに政権運営が出来て、この国が抱える問題を次々に解決していくだろうと期待した訳ではない。若くて清新な人が多いから、下々に近いところで分かりやすい政治形態を作ることが可能ではないかと期待した。こちらも素人ならお前も素人で大いに結構の世界である。
従来の訳の分からない政治に倦んでいたので、メディアの協力も取り付け、政党の内部や政治の裏も少しは透明になってくる事への思いである。さっぱり分からなった政治について、きっと何かが変わって、今までと異なる判断基準がもたらされれば政権交代の意味は大いに有った筈だ。しかし実態はご案内の通り、攻守所を代えているだけにしか見えない。強いて言えば、政策に関する与党内における見解の相違と、その調整の難しさが露呈している事だが、これがあまりプラスに作用していない。
従来であれば、この手の相違は当然あっても決して表に出ることはなかった。 これを表に出さず、裏と言うかアンダーテーブルで脅したりすかしたり、金を使ったりして纏めるのが政治家であったのだろう。素人の悲しさと言えばそれまでだが、ここを見せると成程みな馬鹿に見えてくる。そばにいる官僚からするとたまらんだろう。官僚達はこの調整能力に関してはなまじの政治家はとても及ばないプロ中のプロの筈だが、上にいる政治家が丸裸では働き様も無いだろう。
それでも、民主党の政権の閣僚が愚直に「民意」を尊重しながら事に及べばいいのに、もともと頭だけは良いつもりの人間が多いのだろう。役人の上に立って、役人共に少しいいところを見せようと言う気になってしまっているに違いない。金でも権力でも力を手にすると、人間は変わる?堕落する?昔から言われるとおりであるが情けない。制度が変われば何とかなると言う人もいる。果たしてそうだろうか?やはり人の問題だろう。
国政に橋下徹のような…

年寄りの所帯

田舎とは少し異なるところと思うが、都会は日常的に非常に大勢の人に接触しながら生きている。近隣で顔を見慣れている人でも、その人の職業とか年齢とか詳しい事は一切分からない。特に小生の場合地域での付き合いを一切してないので、よく見る人でも挨拶しない人が大勢いる。会えば必ず挨拶するのは向こう2軒と両隣のご夫婦が精々で、そのご家庭にどんな家族がいるのかも定かではない。そういった事は全て婆さんの役目で、時々必要に応じて情報をコッソリ教えてもらっている。
婆さんはPTAの役員もしていたし、ある政治家の応援団をしたりしていたこともあるので、ある程度地域の情報通でもある筈だ。しかし選挙が近づくと我が家の塀はさながら政党の見本市の態をなす。これは婆さんらしい知恵で、主義主張が違っても地域の人とは仲良く暮らすべきで、変に人の恨みを買うとどこでどんな仕返しがあるかもしれないとのことだ。都会には得体のしれない方が大勢おられるのは鈍感な小生にさえわかる。(小生だって得体のしれない人物だろう)
老夫婦の情報交換の一環で、今日はこんな電話があったと言う話を聞かされる。兎に角昼となく夜となく訳の分からない電話が毎日のようにあるようだ。大方は光回線から墓場までありとあらゆる売り込みが多いらしい。婆さんもいつも暇にしている訳ではないので、しょっちゅう腹を立てている。しかしその撃退にあまり過激なこと言って、仕返しにあらぬところで悪さをされても困るので苦労しているのは、ご近所づきあいの時と同様の事だろう。
しかし中には随分怪しげな電話も多いらしい。時節柄使っていない貴金属はありませんか?なんてのは可愛い方だが、単純な株のセールスとは明らかに異なる話なんぞもあるとの事だ。どこから名簿が流れているか分からないが、婆さんに言わせると、兎に角日本人にプライバシーなんかないと思っていた方が良いとの事だ。面白かったのは先週来た電話の話だ。
「もしもし、こちら目白警察ですが(我が家の所管が池袋警察でないのも面白い)、最近そちらの1丁目2丁目で振り込め詐欺が多発しています。怪しい電話に引っかからないように注意してください。」との趣旨の電話が来たらしい。婆さん「はい、分かりました。」と返事をして、すぐ目白警察に電話をしたそうだ。「こういう変な電話が来ましたので、確認のため電話をしました。」そしたらこの電話は本物で礼を言われたとの事…

これからを思うと

昔から合点太郎で、「よしわかった、そうしよう。」と何でもすぐ新しい行動を起こすのを以て善しとしてきたが、最近やっと人並みに、行動を起こす前に一呼吸置くことの重要性が少し分かりつつある。関連して最近思うのは、時に世の中が急速に変わっているように思うが、本当のところ世の中にそんなに急激な変化なんてある筈がないと言うことである。東京だけでも1300万人、日本中では1億3千万人近い人間が生活しているのだから、一夜にして何かが劇的に変化なんかする訳がない。
政治なんかを見るときも、政権が代わっても何も変わらないと見るか、変わりつつあることを見るかで受け止めがだいぶ違ってくるだろう。野党は常に現政権に対しては批判の目を持ち、変えるべき方向性を示さなければいけない。しかし、それが功を奏して政権についたときが問題だろう。小生みたい慌て者は、その翌日からでも手の平が返ったように世の中が変わると思い込んでしまう。冷静に考えればそんなことはあり得ないとすぐわかる。民主党もその辺の事を国民に向かってうまく説明すべきだった。
鳩山氏は小沢氏がこけて、思いがけず代わって首相の座が転がり込んできたので、舞い上がってしまったのだろう。お馬鹿な小生なんぞもつられて世の中が手の平返しで変わるかと錯覚してしまった。そこへ行くと今度の大阪市長橋下氏は強かさを感じさせる。選挙中あれほど前市長をこき下ろしながら当選早々に前市長の票数は重いようなこと言っている。彼の掲げる目標のハードルは高そうだ。それを乗り越えていくためには市民の理解と協力が欠かせない。そう簡単にいくと思っていない事を表明するメッセージとしては上手い言い回しだなと思う。
野田氏も、自公路線がしてきたことを引き継いだのだから協力してよ、と言っているがこれも同じ効果を狙っているのか。但しこっちはあまり上手くいきそうにない。まして沖縄問題になると、60年以上の歴史を引きずる話だ。手の平返しが通用しないのは勿論だろうが、かと言って元の木阿弥にするわけにもいかないだろう。旧政権の中から力を貸そうと言いだす人間が一人も出てこないのも不思議だ。

腰痛

混沌としている巷には、日記に書けそうなテーマがごろごろしている。しかし何を言ってみたところで、所詮は一老人の嘆き節、書いていて情けなくなるばかりだ。天気も悪いし、気候が激変した影響か身体の調子が極めて悪くなってしまった。老人らしく病気自慢でもしておく。
小生元来腰痛持ちである。子供の頃よく木や鉄棒から落ちた後遺症と勝手に決め込んでいる。特にここ5,6年、山歩きを始めた頃から傾向が顕著になってきて、時々整体に通うようになった。特に酷くなったのは07年の10月だからもう4年になる。秋の黒姫山登山をして降りてきた翌朝だ。腰が立たなくなって、布団から容易に起き上がれなくなってしまった。その時は整形外科にまで行って、レントゲンで診断してもらったり痛み止めの処方をしてもらったりした。
タレントのみのもんた氏が、腰痛で手術と大きく報道された時期だったので、或いは自分もと心配になった。しかし結局のところ、何をしても俄かに回復する事は難しい、或いはありえない事か。結局は自分で腰に気を遣いながら関係する筋肉を鍛える?しかないようである。爾来気長に構え、週に1回程度整体に通いながら自己流リハビリと言うかトレーニングをして、だましだまし今日に至っている。ゴルフを辞めたのもこの腰痛が一因だったかもしれない。
その他は、大げさに自己流何とかと書いたが何のことはない、普段極力車の利用をやめて、歩くようにする事と週に1,2回プールに通う事だけである。ゴルフに変わるイベントとして、山歩きを始めたのも同じ理由に他ならない。その山歩きも今年は、先月23日の雲取登山でシーズンを締めくくったところだった。その後、週が変わってから、どうも腰の塩梅が良くないなと思っていたところ、今朝再び4年前の10月同様のアタックに見舞われてしまった。
今日も外出する予定が入っているが、起きたり腰を屈めたりするのが大変ななので、朝から整体に行っていつも以上に入念なマッサージを受けてきた。分かっている事だが、すぐにはよくなることは期待しても無理だろう。4年前は2,3か月でだいぶ楽になったような記憶だが、今度はもっと掛かるかもしれない。気が重いが仕方がない。腰を伸ばして歩き始めてしまえば結構歩けるが、これも調子づいて度が過ぎると、別の箇所への負荷が高まり、そこに故障が出る事になる。
暫くは整体の先生のアドバイスを聞いて、少し静かにしていた…

時代の変化が津波となって

今日は朝から雨模様、終日重い雲が立ち込め真冬のような寒さがやってきた。社長と共にクライアントに呼ばれ、予算的に実に厳しい要求を突き付けられる。
先方も来年度から社団法人から一般法人になるので、生き残りのためには必死だろう。こちらも生き延びるには何をすべきか?これまでのような考えでは生きていけない事だけは確か現実。一つの時代の終焉を見る思いだ。