2011年12月25日日曜日

来年度予算とマニフェスト違反

昨日平成24年度予算案が出来たらしい。これも最近の傾向で、翌年度予算案は暮の早い時期に上がってしまう。予算案とはいかなるものか、今でも理解できているとは言い難いが、思い起こせば現在の年齢の半分頃は予算編成が1年で最大のイベントだった記憶がある。農村へのPR窓口をうたい文句にした広告代理店の張り切り営業マンだったころの話である。

日本も戦後を脱し豊かになるにつれ、食糧事情も急速に変化して飽食の時代に入りつつあった。17,8年前に上京する時大切に持ってきた配給手帳(米を買う際に必要とされた)は必要なくなり、米や魚の消費量が落ち始めていた時代である。子供の頃田舎の親せきに行ってもなかなか分けてもらえなかった米を、政府や農協が「もっと米を食べましょう」と宣伝し、肉に押されて消費が減ってきた魚介類を同じように政府や漁協が消費拡大を図る時代になってきていた。

宣伝するにはお金がかかる。しかし当時お米は全量国が買い上げるシステム(まさに戦後社会主義国家ニッポンの象徴ですな)で、既に米余りの予兆が出始めていたのだ。米の流通や余剰米の管理に費やされる費用は幾らであったか記憶にないが、兎に角莫大なものであったことは間違いない。そこで米の需給バランスを図るために宣伝の効果があるとすれば、1億や2億の費用はお安いものだったのだろう。

こっちは商売だから、宣伝はかくも効果のあるものと言った資料を沢山用意して、毎日のように霞が関通いをしていたものだ。そしてその成果が現われるのが毎年12月、11月の末頃から各省庁と大蔵省の予算折衝が本格化し始め、お祭りのような忙しさになる。当時は今のように8月に予算を詰めてしまうなんて事はなく、優雅なものだった。新年度に入るとどこの省庁もお休み状態で、夏の人事異動までは仕事をせずに出張と称して地方など回遊しながら骨休めをしている。

新しい人事が発令されても、来年度予算を本格的に勉強しだすのはお盆過ぎではなかったろうか。(当事者ではないので当たっていないかもしれない)何れにせよ、我々外の人間が予算の説明資料を本格的に求められるのは晩秋以降。昼間我々が原課に提出した資料が、夕方には省庁の予算担当課に上がり、深夜に及んで予算担当課から大蔵省主計局に届けられて説明をする仕掛けになっていた。師走に入ると連日の作業となり、御用納めの日に目出度く大臣折衝が終わって予算が上がる。

これがノーマルな姿で目出度し目出度しだったが、近年は全く段取りが変わってしまったようだ。各省庁と財務省の折衝で局長、次官、大臣折衝の芝居じみた事はなくなり、代わりに党と政府の何とか会議が大々的に報じられている。予算が発表されると、すかさず野党から批判の嵐になるが、これも昔はあまりなかった風景だ。当たり前の話で、予算は要所要所に野党の意向も組み込んでいるし、野党も使わせてもらうものだから、その方が自然かもしれない。

今朝の新聞を見て思うのだが、自民党の政調会長が予算を相変わらずマニフェスト違反と批判している。マニフェスト違反を反民主の親玉が声高に叫ぶのは、不思議な気がするが誰も違和感を覚えないらしい。民主党支持者に「あなた方は騙されたのですよ。」と教えてくださっているようだが、余計なお世話だと思うこっちがおかしいのかな?

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