2010年12月31日金曜日

大晦日

今年も余すところ数時間、いつもの年だとお伊勢参りを終わり、名古屋から東京行の電車に乗り込む時間、でも今日は夕方6時にバスが発車する。どんな旅になるやら、天気は大荒れらしい。道中さえ無事ならば、境内の混雑が若干緩和されるのではと期待したりしている。兎に角寒そうなので山行きの下着を着用した。

振り返れば、今年は長年懸案であった仕事の引き継ぎも出来たし、健康もなんとか維持をしている。子や孫達も皆平穏に暮らしている事を感謝しなければいけない。来年も過剰な期待はせず、皆が平穏で過ごせるよう祈ってくるつもりだ。

2010年12月30日木曜日

年の瀬に

一見するに世の中の流れが早くなっているようにも見えるが、この先行きつく所が分からないので、若干の苛立ちや不安を抱えて越年する人も少なくないだろう。特にJALの社員で指名解雇の候補となっている人や、一般論として冬のボーナスが少し良くなったと報道されているのに、来年の給料が下がりそうな気配を感じている人もいる。深刻さの度合いはそれぞれ異なるが、何れも東証1部上場企業の社員の話で、メディアが好んで取り上げる仕事納めが済んでいるのを承知でハローワークに行っている人の事ではない。

こんな事を言うと叱られるかもしれないが、メディアが取り上げる就職できないとか、仕事がないと言って居る人は、メディアの取り上げ方と本人の考え方に少し問題があるように思う。メディアはお涙ちょうだいのステレオタイプでしかないし、学生の就職についてはいつか日記に書いたが、高齢者の再就職にしても、本人の来歴と求職内容や職業の選び方を詳細に分析すれば、問題点の所在が少し違って見えるのではなかろうか。ハローワークの職員の方はご苦労な事だ。

むしろ、今勤めている会社が後何年持つか、これが日本の政治や世界の経済とどんな関係にあるのか。この辺をすっきり割り切れない人が、いわゆる中年の中間層に結構多い筈だ。彼等は家庭や仕事に一番エネルギーを注がなければならない筈。極言すれば、老後の事やアホな政治の話なんかに関心を持つ暇なんか無いかもしれない。小生もそうだが年寄りはその辺と無関係だから、アホと一緒になってアホな話に付き合っている。本当のところ、年寄りの解説者なんかテレビでもの言う資格がないと思っている。

行く川は流れ流れて何処迄行くか、それは誰にも分からない。今日のところは胸に若干の不安があるかもしれないが、近くの町を見ても多くの市民は明るい新年を迎えるべくお節料理の買い出しにいそしんでいる。目出度いことだ。

昨日小生が関心を持つ政治に関して、友人の若いジャーナリストから話を聞いた。

「むかし江藤淳氏が、菅直人は市民運動家でもなんでもない、単に出世欲の塊と言っています。1日でも長く総理の座に居たいのでしょう。そう簡単に辞めると言わない可能性が高いと思います。今年9月の民主党代表選、あれは一政党の選挙と言っても国民の選択じゃありませんか。小沢はこのまま菅にやらせたのでは駄目になる。仕方がないので俺が、と立ち上がった筈です。当時の報道を思い出してください。」言われてみればそうかもしれない。

「もう手遅れです。総理大臣は自ら辞めると言わない限り辞めさせる手段が無いのですから。これから2年数か月、菅氏が居座る可能性が高いと思いますし、仮に誰が総理になっても数年はダッチロールが続くでしょう。」少し悲しい気分にもなったが、国民の選択であれば仕方が無いだろう。最後にもし国民の選択が小沢氏だったとしたらと聞いてみた。
「彼だったら、尖閣問題は起きなかったと思います。まして法務大臣更迭なんかは絶対にあり得ません。マスコミも彼は怖いので書けないでしょう。国会対策は万全ですから、公明党は引きずり込んだでしょう。但し彼は経済対策については音痴ですから、どうなったでしょうね。」成程、成程と思いませんか。

2010年12月29日水曜日

年中行事

今年もウィークデイは殆ど毎日、変わり映えのしない日常なのに小1時間掛けて日記を書いてきた。読み返すのも恥ずかしくなる内容ばかりである。小生にとっては一種の娯楽だから来年もきっと続ける心算、お付き合い頂く方には予めお許しを願いたい。昔からお喋りが好きで、勉強は嫌いだが耳学問は大歓迎だった。これが高齢化と共にお喋りする相手がどんどん減って、毎日会話が出来るのが婆さん一人になってしまった。婆さん相手だと殆ど聞く一方なので、こちらが喋る代わりに日記を書いているようなものだ。内容的には婆さんとの会話に依るものが圧倒的になっている。

今年も残すところは後二日。大晦日は伊勢神宮参拝をここ20年ぐらいの習慣にしている。昨年までは会社の経費を遣って日帰りで行っていた。今年は代表を降りた事でもあるので、ポケットにある年金で行く事にした。JR「のぞみ」と近鉄で日帰りをするには現地で少しタクシーを利用する必要があり、何やかにやで5万円仕事になってしまう。どうしたものかと思案して居た時に、婆さんが新聞広告に折り込まれた初詣のバスツアーを発見。何と9,800円なので、早速これに申し込み。明後日の夕方6時に新宿を出発する夜行バスで年を越す事になる。

一寸きつそうな感じがしないでもないが、山に行ったと思えば大したことはあるまい。昨年最後の日記にはお伊勢さんの美しい写真が掲載してある。今年は真夜中に到着との事なので、こんなに素晴らしい写真は撮れないだろう。昨年の日記を読むと、人出の多いのにびっくりしたような事が書いてある。昨今はパワースポットが流行との事だから、今年も真夜中と言うのに大変な混雑になるのかもしれない。バスツアーの予定表を見ても内宮到着深夜とあるだけで、ここで何時間過ごせるか書いてないのが気になる。

元日の参拝をした事もあるが大変な混雑で、お札を与かって(買うと言ってはいけないらしい)くる事が出来るか、それが心配なのだ。何事も「物は試し」だからやってみるまでは分からない。費用が安く済んで今迄通りに行けと言う方が無理だろう。こういった事は一度始めたらなかなか止められないものだ。

2010年12月28日火曜日

小沢一郎記者会見

小沢一郎氏が、今日の午後2時から記者会見を開くと言う事が、急に決まったらしい。その10分くらい前、丁度昼飯から帰ってきたところで、特に予定も無かったので、テレビを見たが、どこも中継していない。あれほどまでに連日、出るのでないので大騒ぎをしてきたのだから、せめてNHKぐらいはニュースを切り替えても中継すべきではなかろうか。日テレ系列もニュースショーの時間だが、一言も触れていない。ニュースショーなんてものが如何に予定稿に基づくものかがよく分かる。

小沢サイドは何を狙っているかしれないが、本当に電光石火決断して記者会見だったのだろうか?それとも狙い澄まして大方の裏を斯いたのだろうか?インターネットでさえ中継を流した人は一人しかいなかった。しかもソフトバンクのiphonからのもので、1000人近くがアクセスしていたが、生でまともに視聴出来た人は殆ど居ない筈だ。それにしてもこれを流した畠山さんと言う人は男を上げた。30分足らずの中継中、畠山さんに対する感謝や応援と、既成メディアに対する罵倒のツイートと言うのかチャットが凄かった。小沢氏自身は機械に触らないだろうが、この辺りの時代の変化を読んでいるのかもしれない。

これで、何となく政権運営にイライラしていた政権支持派の国民も少し安心、迄はいかないかもしれないが、年末に少し部屋を片付けたぐらいの気分では年を越せるだろう。ここら辺は、有権者の心理を汲みとるのに長けているのかもしれない。兎に角政治の世界の事は分かりにくい。政治家本人が、基本的にメディアに向かって余り本当の事を言わないようだし、メディアの編集委員、論説、コメンテータがこれ又実にいい加減。自分の考えや、支持政党を明確にしないまま、その場その場で尤もらしい事を言う。当然前後の脈絡に矛盾が出てくるのは当たり前だが、日本ではこれを問題視する事が皆無である。

だから一時は、改憲派の超保守「立ちあげれ日本」が連立なんて話までまともに飛び出してきたりする。要するに何でもあり、自分が国会議員として生き永らえれば、それで良いのだろう。メディアの報道に振り回されている小生のように無知蒙昧の市民は、頭が混乱するばかりだ。

政治家の皆さん、権力闘争でもなんでも、どうでも良いが、子供じみた芝居は止めて頂きたい。婆さんが最近よく口にする言葉「頭は生きているうちに使いなさいよ。」孫に言って聞かせるのだそうだ。総理大臣にも贈りたい。

読後感「幕末百話」篠田鉱造 著

明治時代のジャーナリストが長年にわたってコツコツ集めた聞き書きを、明治35年に「報知新聞」で発表、38年に単行本として出版したものである。当時は日露戦争の最中で、それいけどんどんの時代、暗い過去を思い起こす暇も無かったのか、あまり売れなかったようだ。それが戊辰60年に当たる昭和3年に東京日日新聞社から再出版され、今度は結構売れたらしい。手にした岩波文庫は平成8年に初版となっている。

明治維新は日本における大革命で、幕末から明治にかけては、大争乱と共に価値観が大きく変化した時代である。現代にもどこか似たような雰囲気がないでもない。内容は全て当時現存している人から聞きだした実話である。それも特に偉い人ではなく、いわゆる市井に埋もれている人々なので、権力や価値観の大きな変化に巻き込まれ市民の悲哀がにじみ出ている。お上に従順でなければならなく、事実従順であった江戸市民に対して、ある日突然官軍と称する占領軍乗り込んできた。

昭和の終戦時のように、ラジオ放送にせよ終戦宣言が出された訳でもない。市民感覚と言う物は鋭いもので、大部分の人は何となく臭いをかぎ取って、騒乱に巻き込まれないよう、逃げたり隠れたり準備をした事だろう。中にはそのタイミングをほんの少し見誤り、幕末に薩摩の武士の乱暴にたまりかね、それを捕まえたりしたばかりに、後に乗り込んできた薩摩軍に夫婦もろとも切り殺される事件もあったらしい。

幕末と言えば直ぐに西郷だ事の勝海舟、最近では坂本龍一なんかの話しで、何となく華々しさが先に立つが、日本全体として暗い時代であったに違いない。兎に角お話全体が、非常に殺伐として暗いし、一見華やかに見えても、裏か見たりその後を聴くと実際は貧乏くさい話しが多い。先人の苦労や悲しみが伝わってくる。

もう一つ印象的だった事は、いつの時代も変わら無いと感じた事。例えば、支配階級の武士社会でも人材的には玉石混交、ピンからキリまで居たらしい事。奉行制度即ち現在の司法制度の源流だが、これのいい加減さ。無実の人間を犯人に仕立てる拷問が日常化している事やヤクザな人間との馴れ合いなど。岡っ引き時代から今日に何かが繋がっているように感じてしまう。

大きく変わったようでも、根源的な人間社会の変化が如何に難しいかに思いが至ったような気がする。


2010年12月27日月曜日

来年はきっと良い年に

今日で仕事納めにする予定。この1年を振り返ると、仕事的には代表を若い人に譲って、収入が減る事になったことぐらいで、個人的には特筆大書するような事は何も無く、相も変わらずの年だった。これも毎年のことだが、
年末になると毎年思うのだ。「来年こそは何か良い事がありそうだ。」しかし冷静に考えれば、70歳を越してこれは少し虫が良すぎるかもしれない。本当は、生き永らえるだけでめっけものとしたものだろう。

ぼちぼち冷静になって、もっと平穏に淡々と生きる事を身につけなければいけないのかもしれない。先日古い友人と懐旧談やら近況報告をしあった時に言われてしまった。「君、それは少し見栄の張り過ぎではないかえ。」たしか、会社代表の譲り方とか家族との関わり方についての話の時だった。これからの安心に保険をかけるつもりで、それなりのやり方でやってきたつもりだが、彼に言わせると「甘い、甘い。今までの見返りを期待するなんて。男は死ぬまで自分の事は自分で始末しなきゃ。」とかなり無理な事を仰る。

そんな事で、冒頭の生臭い思いが湧いてくる次第。別に欲ボケするつもりはないし、ポンコツになりかかっているものの、今のところ身体に大きな支障もない。昔から人並み以上の才能は何も持ち合わせないのに、なんとかここまで来たのが自分でも不思議だ。駆けっこでは何周も遅れて走ったり、普通の人がとっくにやり遂げた事を随分と、場合によっては最近の山歩きのように何年も後からボチボチするのは得意中の得意。「鶏口となるも牛後となるなかれ」の正反対、牛の最後尾、いつも鶏の殿集団の中でボチボチ歩くのが好みである。

しかし、会社勤めを辞めてから、偶然の所産で随分趣旨と違う事に嵌ってしまったが、これもそろそろ終わりにしよう。と思いながらも、また残りものの福を期待して、神頼みを続けているのだからいい気なものだ。昨日碁会所で、中学1年生の坊やに5目置いて、碁を教えてもらった。坊や曰く「冷静になったり、強気になったり、考え方が一貫していませんね。」
要するに、言う事成す事常にバラバラ、これも毎度の事で困った性格だ。

2010年12月24日金曜日

どうやら元気で過ごす事が出来た

仕事は27日で終わりにしたいので、年初の頃を思い出すために1月の日記をざっとを読み直した。やはり早いようでも長い1年なのか、惚けているのか忘れている事が多い。はっきり覚えているのは、新年早々雲取山に行ったことぐらい。今年は年初から元気だったが、ここに来て大分体力も低下している。来年の正月はとても山に行く気力がない。でも大過無く過ごせた事は有難いと思わなければいけないだろう。

来年の事はもう少し先で考える事にして、やはり1月13日の日記に「何が起きるのだろう?」のタイトルで政権交代関連で書いている。
>見ている側とすれば歴史の流れを押し戻されてしまうのかハラハラしてしまう。逆戻りはないにしても混乱は長引きそうだ。中略 現政権で世の中が変わるとすれば、これからどんな方向を見据えてものごとを考えたらいいのだろう?<

こんな風には書いてみたものの、ここ迄混乱が長引くとは思っていなかったのが正直なところだ。今月の初め頃だったろうか、NHKの「日曜討論」で民主党贔屓の山口二郎氏が「どうもリフォーム詐欺の片棒を担いだみたいで、居心地が悪い。」と発言していた。言い得て妙で、小生も全く同じような気分である。代表選以降の菅氏が、ここまで官僚にいいようにあしらわれるとは想定外だった。誰が政権についても結局は宗主国アメリカの思い通りにならざるを得ないのだろうか、残念の極みだ。

それにしても自民党の専売特許のように思われた「政治と金」で、民主党が攻めたてられる構図は何なんだろう?菅さんや岡田さん達は、自分とは関係ないことだから、と簡単に割り切っているように思う。しかしそれは少し違うのではないか、選挙に勝たなければ政権は取れない訳だし、政権を取らせてもらえたのは、小沢氏の金の配り方が適切だったからに他ならぬだろう。野党の尻馬に乗っかって、お家騒動をしている場合ではあるまい。

次の選挙がいつあるか分からないが、落選候補に投票するのはつらい。なんとか党勢を立て直してほしい、これも正直な気持ち。昨日日経だけが小さく報じたそうだが、こんな記事がある。

天木直人のメルマガから引用
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来年1月11日―16日の日程で訪米を予定していた谷垣自民党総裁が、米政府要人との面会日程が入らずに訪米を断念したことが22日明らかになった、というものである。
これは、米政府がもはや谷垣自民党総裁に会っても意味はない、と判断した。ということだ。 有体にいえば、もはや自民党は米国政府に捨てられたということだ。
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こんな記事で溜飲を下げても始まらない。

2010年12月22日水曜日

読後感「祖父たちの零戦」神立尚紀著

著者は戦後も戦後、昭和38年生まれの人である事に先ず感心した。日大芸術学部写真学科卒業後、講談社専属のカメラマンになって、平成7年から縁があって、近くに住んでいた元零戦搭乗員の取材を開始したらしい。この人物と同じ元零戦搭乗員で士官学校同期の友人の二人の軌跡をたどりながら、その周辺の生存者から多くの丹念な取材も取り込みながら構成された大ノンフィクションである。主人公のお二人もこの出版(本年7月)前には亡くなられている。ある意味で貴重な読みものだろう。

零戦が有名になったのはどうも戦後の事らしい。戦時中は陸軍の隼戦闘機の方が、加藤隼戦闘隊で歌になったりして有名だったらしい。それは兎も角、海軍の零戦が前大戦で当初大活躍した事には違いがない。零戦と命名されたのは昭和15年即ち皇紀2600年4月に海軍が正式採用になった事に依る。たまたま小生の誕生と同じ年だったので、昔からこの飛行機の優秀だったと言う噂を信じ、これで戦った戦闘機乗りの人には親しみを感じたり、誇らしく思っていたものだ。

しかしこの書を読んで、零戦もその搭乗員達もそんな甘くロマンチックで無い事がよく分かった。その意味でもこの著者には敬意を捧げたい。大戦後も世界各地で戦争や紛争は相次ぎ、戦闘機は無くならないし、すっかり変わっている。第一プロペラで飛ぶ飛行機、まして戦闘機なんか見たくても無いだろう。きっと昔も今も戦闘機の役割は同じで、戦闘機同士の戦いにどうすれば勝てるかに違いない。

条件が二つも同じ事だろう。一つは機の性能が相手に優っている事。二つはパイロットの技術が相手に優る事につきる、がよく分かる。零戦が登場した時は、確かに世界でも屈指の航続距離とスピードを誇り得たのも事実らしい。これが開戦当初の真珠湾やフィリッピン・ルソン島の大戦果に繋がっている。小生はこの優秀性が終戦まで継続したかのように錯覚していたが、終戦の前々年昭和18年の9月には、敵側ではスピードでは零戦を凌駕するスピットファイヤーなんかが投入されているのだ、その後さらに強力なグラマンF6Fなんて奴が出てきて、圧倒的な物量差にも押され、坂道を転げ落ちるが如く敗戦に向かう事になる。

更に問題は、人的資源の供給が覚束ない中で特攻なんて馬鹿な作戦が取られる。上が現場を知らずに不合理な作戦を推進して、結果、前線は摩耗するだけで誰も責任を取らなかった事も記されている。どこの国の軍隊も同じ事かもしれないが、特に日本の軍隊は現代の官僚機構の前身みたいもので酷かったのだろう。要するに空中戦はセーフティーネットの無いサーカスみたいもので、搭乗員は常に死と隣合わせだった事がよく分かった。

この本の素晴らしいところは、二人の主人公だけでなく生き残った搭乗員の終戦後の生きざまに相当なページを割いている事にある。特に戦後撃墜王として世界に名を知られた坂井三郎氏の事については非常に考えさせられるものがあった。空中戦の結果と言う奴は非常に分かりにくいもので、戦後当事国の正式な文書を確認しなければ判明し難いものらしい。又戦時中は、戦闘機乗りはそんな不確かな事を自ら吹聴するような事は決してしなかったらしい。

時間と共に正に失われつつある事実を丁寧に拾い集めて、日本人の記憶に留めようとしている著者の姿勢に脱帽したい。



2010年12月21日火曜日

加齢現象 今昔

昨日の夕食時に婆さんが突然に言った「私の脳は未だ全然問題がないそうよ。」何を言うのかと思って詳しく聞いてみると、物忘れが多いので心配になり、脳のMRIテストを受診したらしい。結果を診断してもらったところ、脳味噌がびっしりと詰まって極めて健康との結果だったらしい。ずっと前に小生も一度受診した事があるので「ありゃ結構高かったろう、確か8千円ぐらいしたのでは?」と聞くと、「その位だったかしら、忘れたわ。」との事。診断結果の割には物忘れが激しいのでは、と言えば喧嘩になるからやめた。きっととぼけているのかもしれない。

なんでも痴呆症の人なんかは脳味噌がすかすかになっているのが一発で分かるらしい。現代では、生まれてくる子の性別は勿論、障害があるなんて事も、母体の診断で簡単に分かるらしい。倫理的には如何なんて声もあるようだが、本音で言えば、生まれた時から業火を背負う人を少なくするのは良いことだと思う。婆さんに「余り本当の事は言わない方が良い。」とまた怒られそうだ。

21世紀に入って早10年が過ぎてしまった。日々の暮らしは何も変わらないが、世の中の変わり方には驚くべきものがある。例えば、一昔前までは「脳梗塞」で倒れたり「癌」告知されたら一巻の終わりみたいに思っていた。最近どうだろう、周辺に持病が「癌」や「脳梗塞」から復帰の友人が大勢居て、手術を受けたり放射線治療をした割には皆結構あっけらかんとしている。胃癌から復帰した友人なんかは流動食は何の問題も無い、とて酒をがんがん飲んでいる。

つい先日も食道癌持ちの友人と酒を酌み交わした。彼は数年前の検査で食道癌が見つかり、内視鏡で切除して短期入院で終わったので、会社でも余り大ぴらにしていないそうだ。その後は1年一度の検査で済ましているらしい。宴席でもむしろ最近掛かった痛風の方を心配して飲食するのだから面白い。こちらはその痛風と前立腺肥大だけでびくびくしているのだから、前立腺癌が発見された暁にあんなに明るく振る舞えるか自信はない。

2010年12月20日月曜日

囲碁の面白さ

昨日、民主党の小沢元幹事長と立ち上がれ日本の与謝野衆議院議員が囲碁の公開対局をしたそうだ。小沢氏が逆転勝ちと大マスコミが報じている。テレビでは言わないが、明らかにニコニコ動画のバックが映っている。小沢氏は以前代表選挙の際にニコ動に出演した経緯があるので、その時の縁だろう。NHK以外の囲碁中継は見た事がないので、野次馬気分で今日朝からパソコンで見入ってしまった。政治家の囲碁なんて大した実力も無いだろうし、どうせ数分のやらせ映像だろう。と思っていたのだが、大違い。

時間の制約こそ無かったようだが、どうしてどうして、なかなか本格的なものでちゃんと記録係やプロ棋士の解説まで付いていた。ツイッターでは最初から中継はしてたようだが、PC版は打ち始めから1時間以上経過して終盤戦に入ってからの中継だった。解説のプロ棋士が黒番の与謝野氏の方がやや優勢と解説している。小生も少し碁は打つので、明らかに与謝野氏が大優勢に思える。与謝野氏の表情は「これで負ける筈がない」で、小沢氏は真剣そのもの、正に崖っぷちに立っている表情だ。

小生だったら「こりゃ駄目だ、前回勝っているのだから負けてもいいや」てな事で、投げ場(投了と言って自ら負けを宣告する事)を何処にするか考えたり、どうせ負けるならと無茶な手を打ったりするのが常である。ところが、小沢氏にはその気配が全く見えない。真剣そのものである。対する与謝野氏も表情にやや余裕が伺えるが、決して先ほど書いたように甘くは考えていない事が分かる。与謝野氏が高段者と言う事は聞いているが、二人とも今までの想像とは全く異なり、相当なレベルにある事がすぐ分かった。

結果的には本当の終盤で10数目の争い(劫と言う囲碁独特のせめぎ合いだが解説が難しいので略)が起こり、与謝野氏がうっかりして其の10数目を利益を取ってしまった。与謝野氏はこれで勝ちが決まったと思っただろう。ところが、囲碁と言うのは実に面白いもので、ある場所で相当な利益が上がっても、別の場所の手を抜いたばかりに、その何倍もの物を失う事がよく起きる。正にこの大逆転起きてしまったのだ。

実は小生あたりのレベルではよく起きる事ではあるが、政界で最高の打ち手である与謝野氏のレベルでも起きるのだから楽しい。小沢氏も勝負に勝ってはいるが、碁が悪かった事は認めている。それにしても小沢氏の粘りは凄い。どんなに碁が悪くても負けるなんて事を想定をしない気迫が感じられた。
与謝野氏の方がどう見ても小沢氏より本格的な碁で、わざと土壇場でと思われかねないが、見ていると明かにうっかりして手を見逃している(読みが浅い)のだ。八百長なんかはあり得ない、勝ち碁を勝ちきることの難しさが分かる。

2010年12月17日金曜日

忘年会 今昔

昨日は珍しく出先から忘年会に回ってしまったので日記を書けなかった。終日寒くて、忘年会の「ねぎま鍋」と焼酎のお湯割りには実に相応しい日だった。料理も美味かったが、狭い部屋での歓談も楽しく、心身ともに十分暖まり、楽しく過ごす事が出来た。今夜もまた忘年会なので、夕方日記を付ける事が出来ないので今の中に書いておく。今夜は鯨だそうだが、これもきっと「はりはり鍋」だろう。大阪時代は南に有名な店があって、何度か行った事があるが東京では初めて、何処に連れて行かれるか楽しみである。

忘年会も今日でおしまい。喪中ハガキも来なくなったので、来週初めに年賀状を出してしまえば気にする事は殆ど無くなる。最近の年の瀬は楽なものだ。若い頃の忘年会と言えば、役所関係の人とが多かった。この時期は予算編成の真っ最中、お客さんは、昼間に紫色の風呂敷包みを抱えて、自分の役所と大蔵省の間を飛び回っている。そして彼等の夕方は早くて20時、酷い時は10時始まりなんて事まであった。

大体そんな時は双方とも偉いさんが出席する席で、幹事役を務める小生なんかには最悪の事態だ。先についている人の機嫌を取り結ばなくてはいけない上に、料理屋だっていい顔をしない。板前さんや女中さんをオーバータイムで拘束するように店に掛け合う必要があるが、これだって無論只では済まない。余程顔がきく店であっても、領収書の必要が無いなにがしかを渡さざるを得ない。これを翌日精算するのが一苦労。経理は当然「チップなんか落とせる筈が無いでしょう。」てな事になる。

思えば、そんな時に備えて、若いくせに銀座赤坂界隈の料理屋を個人的にもよく利用したものだ。自慢にゃならぬが、借金こそ増え貯金なんか考えた事も無い。当時頻繁に使っていたこれら料理屋は殆ど姿を消している。昨日の話では、座敷付きの料理屋だけでなく、中小の飲み屋は不景気で大変なようだ。居酒屋での一次会の後はカラオケに行ってしまうと、昔風のバーなんかはやっていける筈がなかろう。こちらの忘年会も6時前から初めて二次会も無し、当然酒量も限定的。年寄りには結構な事ではある。

2010年12月15日水曜日

名古屋市議リコール署名

先月名古屋市の選挙管理委員会が発表した、リコール署名に10万を超す無効票があったとする件。案の定、市民から猛烈な反撥があって再調査する羽目に。どうやら要件を満たしそうな雰囲気である。あの選挙管理委員会の委員長さんはどのように責任を取るのだろう?報道で知る限り「費用が無いから再調査は出来ない。」と言ってみたり、再調査のアンケートも極めて分かり難い内容で、恣意的である事がありありだった。

日本の民主主義は、やれ調査委員会だ事の審議会だといって、どこからか尤もらしい人間を寄せてでっち上げ、役所が良いようにコントロールをするのがお定まりのパターン。この度は市議会事務局の小役人の差配に違いない。委員長が責任をとれば立派なものだが、これ又市議上がりのおっさんだから恬として恥じないのかもしれない。誰が考えても市議会議員の定数を減らしたうえで月給を800万円にすると言えば署名するだろう。それに対抗して、無効票が出るようにしかけているのだから悪質だ。

折も折、昨日の事としてこんな報道がある。『鳩山前首相が、国会内で開かれた超党派の国会議員で作る「衆参対等統合一院制国会実現議連」の会合で、一院制導入のための私案を示した。』こんな議連は初めて聞くが、要するに議員定数を減らして、今や存在意味の無くなった参議院を廃止する趣旨のようだ。発言が政治家を引退すべき鳩山前首相とは気に入らないが、趣旨は名古屋市議リコールと同じとすれば結構な事だろう。

と言っても憲法9条の若干の修正すら何十年も店晒しになっている我が国で、こんな大改造が実現するのは何世代先の事になるのだろう?記事は次のような文句で締めくくられている。『座長の衛藤氏も、2016年までの一院制国会創設や、議員定数を500人以下に削減することなどを柱とした私案を発表済みで、同議連では鳩山、衛藤両案をたたき台に、年内にも試案を取りまとめたい考えだ。』

テレビには登場しないある政治記者が講演で面白い話をしていた。「皆さん、いつかは正論正義が通ると思っていませんか?政治にとって正論正義なんてありませんよ。多分国民の皆さんも一緒です。政治家の行動原理は多くの人と同様、個人の利益にあります。保守も革新も関係無く、思想理念なんか殆ど関係無いのではないのです。」そうかもしれない。その政治家をどのように動かすべきか。この記者が言うには「永田町は戦場、一般の人とは大分違うのです。四方八方敵だらけ、流れている情報は全て謀略が絡んでいると思ってください。マスメディアが全て同じ報道をしていますが、100人が同じ事を言っているからと言って正しいとは限りません。」

関連しない二つのテーマを取り上げているかもしれない。なまじ政治に関心を持った市民にとってはさっぱりした気分になれない年の瀬だ。しかし政治家の本当の意中を、報道から押し図ろうとる事自体に無理があるのかも。

2010年12月14日火曜日

健康管理

今日は泌尿器科で採尿・採血の今年最後の検診、結果は年明けになるが大した問題はない筈だ。お医者さんとは毎度おなじみの「体を冷やさないように。」だけで、和やかに年末のあいさつして別れる。
健康は運動・休養・栄養補給のバランスと精神の安定が大事と認識している。高齢者になった現在、精神の安定は規則正しい生活に依ると勝手に決めて、出来るだけ規則正しい生活を心掛けている。

平日は6:30起床、7:00から朝食、7:50に家を出て8:00に仕事部屋に到着、夕方19:30に仕事場を出て19:40に帰宅、風呂に入って20:10から夕食、22:00から遅くても22:30には就寝。休日は起床時間を1時間遅れにして、出かけるのも1時間遅れ、出先はプールや碁会所になる。帰宅は大体18:00前後で、就寝時間も変わらないから、テレビを見ている時間が平日より少し長いと言う事だろう。

最近もう一つ気を遣っているのは運動量で、毎日極力歩く事にして、1日最低でも5000歩以上、階段の上り下りを100段以上を目標にしてきた。幸い携帯電話に歩数計がついているので、これに依るとここ数カ月は1日7000歩くらいの日が多くなっている。階段も毎日池袋の往復だけで100段以上はありそうだ。いつまで続くか分からないが、出来るうちが花だろう。

食事については朝晩は家内に任せきり、出されたものは極力全て食べる事にしている。彼女の主義で「必要な量だけ作り、出来たものをすぐに食べる」が原則、同じおかずが連続して食卓に上る事はない。朝食も卵料理や魚の干物なんかが多いが、2日連続して同じ料理と言う事はあり得ない。漬物も毎日変わっている。

昼は毎日外食が基本だ。千川と池袋の間で10か所ほどお気にリの店があって、これをとっかえ引き換え利用している。昼はパンやパスタ・うどん等粉食系が多いかもしれない。費用は平均すると1食750円くらいかな。でもどの店も結構旨い、食事は美味いのが一番の栄養らしい。健康診断の結果を見た医者が「栄養指導を受けましたか?」と聞く程だから、栄養バランスは余程いいのだろう。

2010年12月13日月曜日

頭が良いのに越したことはないが

確かこの週末に見たNHKのニュースだったと思うが、日本の小学生か中学生の学力が若干の改善を見た、があった。それに関連して、子どもの学力世界一になった上海からの報告で、中学低学年くらいの女の子が「将来ハーバート大学に進学したい」と言ったのを放送していた。多分ご覧になった人も多い事だろう。同じ年格好の孫の居る我が家では「ハーバート大学を知っているだけでも大したものだ。我が孫はハーバートとだけ聞けば、多分食べ物を連想するのではないか。」てな事で大笑いになってしまった。

若いうちに一所懸命勉強するのは決して悪い事ではないから、日本の子供や親も上海を見習うのは結構なことだ。しかし世の中それが全てでもないと言いたいので。

先日大学の同窓会的忘年会でのある友人の話。彼は慶応の志木校から来た。現在慶応の志木と言えば、医学部を目指す高校生が最も入りたがる名門付属高校で、日吉の慶応高校より難しいとも言われるらしい。だが我々が高校時代は慶応志木農業高校と言われていた。

彼によると、
「慶応の付属であっても、進学するには試験があって半分は落とされるのだから大変よ。なんたって100点取らなきゃ駄目なんだから。」
「そりゃ大変だな。で、落ちた奴はどうするの?」
「翌年又再受験するか、諦めて他校に行くかだ。」
「でも100点とはハードルが高すぎるな。」
「そうでもないさ、5科目で100点なんだから。」
「なんだ、それなら話が分かる。ところで君は確か留年したんだろう?」
「そうさ、更についていたのは、留年したお陰で翌年から(農業)が外れて普通高校になってしまったのよ。お陰で日吉と同じで、全員大学進学が可能になってしまったと言う訳さ。」

高校時代5科目100点に苦労した彼が、70歳(彼は71歳)の今日、集った仲間の中で最も元気で、仕事もスポーツにも現役でもあり、我々年金生活者には一銭も出させず飲み食いを全て支払った。彼は高校まで仙台で、高校から志木に来たようだ。決して金持ちの息子ではない。大学卒業から今日までの人生も波瀾万丈で、とても順調だったわけではない。

2010年12月10日金曜日

冬来たりなば春遠からじ

先日強風が吹いた際に、近くの学校に沿った桜並木の葉が一晩で全て散ってしまって、用務員さんのお掃除も大分楽になったようだ。その脇を通って通勤しているのだが、今朝は青空がすっきりと見えて気持ちが良かった。なんとなく上を向いて歩いていたら、桜はどの枝を見てももうふっくらとした蕾実のようなものが沢山ついている。植物の代替わりとは上手く出来ているものと改めて感心した。

同じ生物でも人間社会は、枯れ葉がいつまでも枝にぶら下がっているようなものかもしれない。どこを見ても世代交代がうまくいかない訳だ。このところ同世代の友人に会うと、みな異常に元気だ。自分も頑張って長生きはしたいが、余り欲張るのは如何なものかと考えたりする事がある。

昨日はテレビで、女性の初産年齢の平均が29歳てな事を言っていた。こんな事では益々長生きをしなければならなくなる。皆もっと早めに結婚する事を考えるような社会にするにはどうすればいいのだろう?何処か田舎の自治体で、若い夫婦が住んでくれたら家を提供するなんて話を聞いた事がある。でも家があっても仕事が無ければ、どうしようもないか。

タイトルからしたらもっと別な事を書きたい気持ちもあったようだが、考えが纏まらず、枯れ落葉が余計な事を言ってしまった。

2010年12月9日木曜日

読後感「政治とカネ」海部俊樹 著

先週、細川護煕の回想録を読んだばかりだが、又その一世代前の総理の回想録を読んでしまった。どうも同じ傾向の書物を立て続けに手に取るのが習慣めいている。細川氏のものは日記であり、所感はところどころに入っているが、何を言いたいか理解するのにやや時間が掛かる。総理として何を志し、何を果たして何を果たし得なかったか、未練があるのかないのか。

文章が平易な話し言葉で書かれているせいもあり、海部氏の場合はこの点はっきりしているし分かりやすい。彼は議会の子三木武雄氏の子分であって、自民党の最小派閥河本派に所属する1議員でありながら、角栄支配の自民党政治にうんざりした国民の気持ちをそらすために、自民党が総裁に選んだ異色の総理である。誰しも回顧録を書くときは、「きれいな政治」に対する志を持っていて、政治改革を成し遂げるために心血を注いだと書く。

確かに海部内閣で一旦店晒しになった政治改革法案は、細川内閣で成立して陽の目を見たのも事実。そうは言っても、現実の政治はかなり汚く、カネが動かなければならない実態をかなりの所まで明らかにしている。カネと同様であるが、55年体制とか言って自民党と社会党との間には決定的な対立があると一般に思われていたが、ある日突然連立政権が成立してしまう等、政治の表と裏ではかなりの違いがある事もある程度書きこんでいる。政治家は与野党を問わず、みなかなりの悪党でペテン師のようだ。

自身は勿論自民党時代に田中派、竹下派の幹部小沢一郎のお陰で総理になりながら、彼とついたり離れたりお3度繰り返したらしい。お陰で自民党から離れて、いろいろな野党をぐるっと一巡りして最後に又自民党に戻っているのだから何をか況やである。自分だけが悪者になるのも気が引けたのだろう、後に自社さ政権で総理の座に就く村山富一氏なんぞはかなりの悪玉で、だまし、約束違反は数知れずみたい事まで書いている。政治の裏の駆け引きでは、最後に彼自身に引導(解散権を封じた)を突き付けた新聞へのリークについては、さすがに当人を名指しするのは避けている。

しかし捨てるものが無いという心境からか、本書のタイトルになった「政治とカネ」については相当あからさまに書いている。金が無ければ政治は動かないが現実らしい。今日でも国会ではみな綺麗事を言っているが、一皮むけば「同じ穴のムジナ」と言う事が分かった。二重人格とは言わば精神異常だろう、情けない話だ。

2010年12月8日水曜日

昭和も遠くなりにけり

今朝読んだのに気がつかなかったが、朝日の天声人語は開戦記念日、即ち12月8日について書かれていたようだ。その通り、開戦前に生まれた小生が忘れているくらいだし、今日同年の人間に会っても、そんな事は少しも話題に上がってこない。忘れっぽいのは結構だが、草葉の陰で泣いている方も多いだろう。昔から日本人はこんなに忘れっぽかったのだろうか?

考えてみると、これは日本特有の現象で、マスメディアのありようが大きく影響しているように思う。我が国は沢山のメディアがあるようでも、報道が非常にシンプルで、ある日時を切り取ってみると、全てに近いメディアが同種の情報しか発信していない。尖閣列島沖事件と言えばそればかり。次は、普通の市民とは無関係の、いかがわしい場所での不良と馬鹿な役者の喧嘩沙汰。その前に大騒ぎになった特捜検察の証拠改竄なんてどうなってしまったのだろう。

まして69年前に我が先祖が大戦争をおっぱじめた事などは、「わしゃ知らん」で、関心無くても当たり前なのかもしれない。「坂の上の雲」も結構だが、もっと近代の歴史をしっかり検証しておく必要はないのか。小生自身も書いていながら忸怩たる思いだ。もう少し子や孫たちに何かを伝えるべきではなかろうか。先程電車乗っていて考えた。同じ「日本号」と言う電車に乗り合わせていても、先頭車両で前景を見ている人、横の窓から移り行く景色を見ている人、後部車両で過ぎゆく景色ばかりを見ている人といろいろ居るだろうが、それぞれ同じ景色を見てるのだが、受け止め方は異なるに違いない。

ひょっとすると乗る車両の違いは世代間にもあるだろう。さしずめ我々世代は後部車両かもしれない。昔の事ばかり云っても仕方が無いかもしれないが、国民が上げて流行を追いかけ、一定の時間で潮が引くように忘れていく。今日の話題はスポーツで、昔あれだけ華やかだったスキー場ばかりかゴルフ場までが、今やどこも閑古鳥だそうだ。辛うじて支えている客はシルバー層にご婦人層らしい。カラオケ店なんかも同じらしい。

同世代が話しているので直ぐ意見が一致する。これも皆同じく後ろ方向を見ているからかもしれない。我々が知らない場所で若い人が集まっていそうな所、友人と別れて一人で考えてみた。学習塾くらいしか思い浮かばなかった。


2010年12月7日火曜日

スペースバトルシップ 妄想

昨日友人のブログに宇宙生命体に関して、NASAの与太話ではなく本当に可能性が高い事が書いてあった。直接的な関係は無いが、インターネット上のウイキリークスサイトが、アメリカの国務省から25万ページに及ぶ秘密文書をすっぱ抜いて公開してしまった事が世界的に大問題になっているらしい。

この二つの事からふと思った。地救上には200前後に及ぶ国家が存在して、互いに連合してみたり角突き合わせて戦争で人殺しをしたりしている。日本も例外ではなく、外交て奴は国家の大問題らしい。当然「愛国心」なんて言葉も世界中にあるようで、どこの国でも愛国心の無い奴は人間扱いされないのかもしれない。

小生はひねくれ者だが、日本に生まれて日本語しか喋れないので、日本に居るのが一番居心地は良いし、外国に住みたいとは思わない。しかし、「それで愛国心は如何ほど?」と聞かれると、はてどんなものやら見当がつきかねるが、人並みのものは持ち合わせているつもりでもある。人類の全ては好き好んでその国に生まれた訳ではないので、恐らく殆どの人間が同様に思っているのではなかろうか。北朝鮮だって同じで、住民の大部分は現在住んでいる国に対して、小生が日本に対して抱くと同じくらいの居心地良さと愛国心は感じているのではなかろうか。

でもこれが(世界のあちこちで行われているが)本当の戦闘状態に入ってしまうと、居心地が途端に悪くなって、難民だ事のボートピープルみたい事になるのだろう。兎に角戦争は絶対的な悪だと思う。なんとか戦争は止めてほしいものだ。余談になるが、戦争とは国家と国家の争いで、テロに対する戦争とはあり得ないのだそうだ。テロは犯罪行為で、これに対する闘いは戦いに非ずして、犯罪の取り締まり行為らしい。従って戦争をなくすためには、国家が無くなれば手っ取り早いとずっと考えていた。ここらへんから小生の愛国心が怪しくなる。

しかし、そんな事は幾ら空想しても実現不可能だと思っていたのも事実。即ち地球上から国家や戦争が無くなるなんて事はあり得ないだろう。日本もいつかはアメリカに再挑戦してこれをやっつけ、アメリカを日本の属国にする日が来れば良い、と願った日もある。

ところが最近は少し考えが変わってきた。今ネット社会に出現しつつある人種、特にウイキリークスなんかに関わっている連中に国家意識なんか何処まであるのだろう。多分国家とか人種なんかどうでも良いのではないだろうか。インターポリスから国際指名手配を受けたウイキリークスの主催者なんか世界を股にかけて神出鬼没だ。彼はスェーデン人らしいが属国意識なんか無いのではと想像をたくましくしている。

一方、企業なんかが大きくなりすぎると、企業組織と国家が利害対立したりするケースが今以上に顕著になるだろう。企業がマフィア化してしまい、これまたギャング同様国家なんか無視する可能性もあるだろう。そうなると、個人は国家に帰属するより別の組織に帰属する意識を強く持つ時代が来るに違いない。もとよりインターネットは意思の疎通における言語障壁を大分低くしつつある。国語より先に、インターネット語を覚えた方が居心地が良くなる時代なんかが来るかもしれない。

そんな時がもし来れば、インターネットの最先端を行く人種(多分現代風に言えば科学者か)が人類の指導者となり、世界中の通信システムをコントロールして、旧世代の指導者(軍人や政治家)が後生大事にしていた人殺しの道具は全て無力化することだって可能じゃなかろうか。目出度しめでたしとも思うが、その時にはもっと恐ろしいスターウォーズが始まっているかな。

2010年12月6日月曜日

健忘症

師走に入ると隠居の身ではあっても方々から忘年会のお誘いがある。友人から忘れ去られていない事は有難い限りであるが、出来る事であれば昼飯の時間で設定して頂くと、互いに深酒をしないで済むので余計有難い。大きなグループでの集りは夜にならざるを得ないが、小グループでは幹事役もその辺の塩加減を心得て、今年は昼飯のお誘いが多い。12月に入って小春日和が続いているので、連日いそいそと出かけている。

旧友と久し振りに会って他愛のない昔話をするだけだが、現代のご隠居のする事はこの程度の事しかないのだろう。会話の途中に思うのは皆さん記憶力だ。どうも忘れっぽい性質で、こちらの記憶にない事が結構話題に上る。だから面白いし楽しい訳でもある。考えてみると忘れっぽいのは昔からの性癖で、誰かに「鶏と一緒で3歩も歩けばもう忘れるのだろう。」とからかわれた記憶があるが、これは囲碁の先生の言葉だったかな?

今でも何かの必要に迫られて、思い出そうにもどうしても思い出せなくてイラつく事がままある。ここ数年日記や読後感を書き残しているのは、これの予防に役立つかと思っている面もあるが、役だった事は殆ど無いし、むしろ物忘れを促進しているのではとも思えてくる。未だかなり若い頃、新しい本を読み始めて、何処かで聞いたような話だなと思うと、自分の書棚に同じ本が並んでいた事がある。その時はさすがに恥ずかしく、「お父さんやめてよ!」と娘に怒られた事は覚えている。さすがブログの読後感に同じ本は無いだろうと思うが、確認していないので保証の限りではない。

元々物覚えが悪くて物忘れが早いと来ると、人生に少なからぬ不都合が生じたのではとも思うが、凄く損をした記憶もない。考えてみると、人生いろいろな事が起きるが「人の噂」の75日どころではなく、小生の場合、忘年会をする迄もなく、都合の悪い事は1日も早く忘れてしまうよう身体が出来ているようだ。

2010年12月3日金曜日

大学の同窓会

昨夜から今朝の出勤時間にかけて、まるでバケツを引っくり返した様な土砂降りで、大きめの傘をさしていても僅か10分足らず濡れ鼠になってしまった。かと思ったら9時過ぎには嘘のような快晴になり、外でもコートはとても着ていられない程の暑さだ。お天気まで何処か気狂いじみている。今日は高校同期の勇氏が高崎のゴルフ場で忘年ゴルフ会の筈で、「俺たちは絶対晴れる事になっている。」と元気な諸氏が自慢しあっている事だろう。

こちらは昨晩大学の同窓忘年会に出席した。久し振りに少しばかり飲んだので、今朝は未だ少し酒が残っていたように感じた。10時前には帰宅し、婆さんが「えぇ、もう帰って来たの!」とびっくりしていたのに、やっぱり酒は適度に飲み続けないと弱くなるものだ。その席で参加者の一人が全員に披露した話にこんなのがあった。「先週横浜の中華街で小中学校の同窓会を10人規模で開催したところが、会場で2人倒れてしまい、1人は救急車のお世話になってしまった。2人ともそんなに馬鹿飲みした訳ではないが、1人は最近具合が悪かったようで、も1人はこのところ酒を止めていたらしい。」

昨日の会は20人ちょっと集まったが、やはり病気をして酒を控えていると言った人が3人いた。半分は女性なので、男性だけで見れば結構な比率になる。3人とも控えてるとは言いながらも結構なペースで飲んでいた。一番飲まなかったのは一所懸命お酌に回った小生かもしれない。もうひとつ印象に残ったのは、1人が「この秋久し振りに平城京から奈良の寺々を回ってきた」との事で彼曰く「薬師寺や興福寺で仏の顔を見ていると、何故かほっとする気分になって、思わずじいっと立ち止まって見入ってしまった。俺も年だなぁとしみじみ感じた。」そうだ。

周りの人間が「もうそんな年かぁ」と囃したてたが、彼の気持ちや発言も分かるような気がする。こちらはあまり海外旅行をしないので、西洋の教会や寺院はそんなに知らないが、日本人は血だらけのキリスト像からほっとする感覚は得られないのかもしれない(マリア像もありますね、クリスチャンの人ごめんなさい)。仏像のミステリアスな表情は、確かにどのようにも受け取る事が出来そうだ。

小生も仏教の教えをよく知っている訳でもない。薬師寺展は見逃したが、興福寺の阿修羅像はたまたま上野に来た時に見る事が出来た。人混みの中で見たので友人のようにほっとするところまでは行かなかったが、観光客の少ない時にじっくり見れば、小生も又何かを感じる事が出来るだろう。何れにせよ、「互いにお迎えが近づいている事に他ならない、来年又会おうぜ。」でお開きとなった。

2010年12月2日木曜日

読後感「内訟録―細川護熙総理大臣日記 」細川 護煕 著

著者が総理大臣であった1993年8月から翌94年4月迄の日記を纏め、関係者の証言などを挿入して編集されたものである。今年の5月に出版された。

当時余り政治に関心が無かったので、細川護煕については別に好きでも嫌いでもないが、所詮はお殿さまで身勝手な人、くらいの印象である。しかし親の反対と家訓に背いて政治を志し、総理大臣に迄登りつめたのだから、それなりの資質と才能は評価すべきだろう。本書を読んで感じたのは、日本のセレブとして身につけた教養の深さだ。学歴は上智大の出身でゴルフ部のキャプテンだから、通信簿や受験戦争向きの学力は大した事が無いだろうが、上流社会ならではの教養が文章ににじみ出ている。

総理大臣の責務よりも、身に備えたその教養に裏付けられた美学をもって、僅か8ヶ月でも総理総裁になった事を後世に伝え、ご先祖と肩を並べたい気持ちがありありだ。こうやって下らないブログを世間にさらして自己満足している何処かの馬鹿と相通じるところがある。心理の根底では通ずるところ無きにしもだろうが、日本の政治史に残した足跡は大きい。何と言っても半世紀近くに亘った自民党政権を初めて倒したのだから。現在と同じで当時もマスコミによる世論調査があり、政府も勿論同様な調査をしている。そしてこれも現在と同様で、総理自身もこの結果にはかなり神経を尖らしているのが分る。

彼の場合は、94年2月に「3%の消費税を廃止して国民福祉税7%」を打ちだす迄、政策にしても内閣にしても世論調査での支持率が結構高いのだ。この辺は現政権と大分違う。確かに8会派で構成される難しい与党事情ながら、小選挙区制や政治資金規正導入のきっかけとなる政治改革法案を成立させたりしている。更にこの時期、クリントン政権下のアメリカ経済が厳しく、アメリカからの市場開放プレッシャーが相当であったらしい。93年にはウルガイラウンドでコメの部分開放に道筋をつけたり、辞める直前にはクリントンに直接「出来ない事は出来ない。」とはっきり言って役人をハラハラさせたりしている。

簡単に言えば、彼の内閣は役人も適当に使いながら、時宜に応じてよく働いているし、政治を浄化したいとの志も果たしかけていたとも言えるだろう。唯惜しむらくは、育ちが良すぎたのだろうが、交渉相手の悪意や裏の裏を見通す眼力や真の政治家としての非情さにやや欠けていたのではなかろうか。8か月の間でよく仕事をしたと思う一方、総理になってしまうとこの程度の人間としか会えないのかとか、入手しうる情報とはこの程度のものかという点は現在も似たようなものだろう。

当時は最大野党の自民党が圧倒的な多数議席を占めているので、役人にしても半分は野党にも気を使っていたようだ。佐川事件で攻撃する野党の先頭に立ったは野中氏自身が言っている。「本当はこの程度の事は内閣を倒す程の事件ではない。」他に側近や関係者のもいろいろな証言があり、実に興味深い。本人は志も高く金の面でも本当は清潔であり、政策的にも頑張っていたのに、8ヶ月しか持たなかったところに、綺麗事だけでは済まない政治の難しさがあるのだろう。

なによりも、与党の内部がガタガタで、「魁」党首の武村氏が官房長官だったのだが、彼に総理の女房役の自覚が全くなく、党首としての党利党略に終始。新進党と公明党の一一ラインと決定的に対立したばかりか、自民党や社会党と裏で握り合っていろいろな画策(これを小沢氏は凄く嫌ったようだ)をしたために、内閣が崩壊したようなものだろう。彼の後は羽田内閣が誕生するが、3か月持たずに自社さ政権が誕生した事見れば明らかだ。

この間、渡辺美智雄を担ごうとするYKKの動きや、クリントンとの会談で表面に出なかったが、北朝鮮問題が大きなテーマで、クリントンが北朝鮮攻撃を意図していて、その際日本が掃海艇を出して機雷除去をする事を強く求めた話なんかを読むと、今も全く同じ状況ではないか、と思えてくるところが随所にある。このタイミングで出版をするとは著者は才人との感を益々深くした。


2010年12月1日水曜日

老人医療費 個人的体験

このところ暖かく穏やかな日が続いているので、今のところは風邪も引かず取敢えず息災に過ごす事が出来ている。この季節の変わり目には、例年行事のように鼻水が出たりして不愉快な思いをするので、今年は有難い。しかし昨日、もう10年以上8週間おきに通っている内科医に行って若干面白くない事があった。ここに通院するようになったきっかけは痛風のアタックである。未だ60歳になる前で、酒も随分飲んでいたし食生活もいい加減だったので当然の帰結だった。

当時勤めていた会社の近くでたまたま飛び込んだのだが、その後、10数年の間には大腸のポリープ摘出から始まり帯状疱疹やら胆石の手術やらを含め様々な病気の際に適切な初期診断で、いろんな病院を紹介してもらった。従ってこの先生を勝手にホームドクターに位置付けをして、2カ月に1度豊島区から渋谷まで態々通っている。ここ数年はこちらの生活態度が改まったし、尿酸を処理するザイロリックなる薬を飲み続けているので痛風の恐れは全く無い。

ここは結構繁盛しているお医者さんで、いつも最低1時間は待たされる。やっと診察室に呼ばれると、「どうですか、変わりありませんか?」「はい、お陰さまで変わりありません。」「では血圧を測りましょう。」結果はいつも大体同じで「130の80で特に問題はありません。いつものお薬を出しておきましょう。」で、まあ5分もあれば終わりである。しかし小生もホームドクターが居る事に安心感を覚えているので、この先生が何か検査をしたいと言えば「どうぞお願いします。」で文句を言った事はない。

たまたま昨日は前回からの約束で血液検査を受ける事になっていた。実は7月に豊島区の老人健診で血液検査を受けて、その結果を前回持参していたのだが、帰り際に「こちらでは4月以降血液検査をしていないので、次回検査をしましょう。」と言われて同意していたのだ。お医者さんもある意味でご商売でもあるので、厳密に言えばこの時点で不要かもしれないが、少しばかりのダブリには文句を言ってはいけないと思っている。

ところが、血圧測定のすぐ後でいきなり「もうそろそろ尿をアルカリ性にする薬を飲んだ方が良いと思います。ウラリットと言うとても良い薬があるので、それも出しましょう。」との話。「一寸待ってください。特に現在何の問題もない筈ですし、ザイロリックを毎日飲んでいますよ。その上に泌尿器科に役立つと言う事で漢方の八味地黄丸迄飲んでいますよ。」と抵抗したが、先生は「70歳を超えると、同じ予防でも多方面からのアプローチが必要で、現在服用している薬とバッティングする事も無いし・・・」と言う事でメリットをつらつらとお述べになる。

お医者さんと喧嘩をしても始まらないので、少し口論になりかけたところで「わかりました。」とこちらが引いた。薬を処方するとお医者さんにどんなメリットがあるか知らないが、先生もせめて血液検査をた後、その結果を見ながら次回に持ちかけてほしかった。馬の餌程の袋を持ち帰って婆さんに話をすると「もう渋谷のお医者さんは辞めたら。薬を処方すればお医者さんにメリットがあるのは当たり前じゃないの、そんな事も知らないの?」とこれまたあっさり仰る。そう言われても薬を売って儲かるのは薬局だけと思っていたし、通院を打ち切るなんて勇気はとてもない。

昨年は医療費が丁度10万円に届いてしまった。この調子では今年もまた行ってしまうのでないだろうか。個人の家計は兎も角、このようにして国の老人医療費は膨れて行くのだろうな。ま、次回は勇を鼓して八味地黄丸はお断りしよう。