昭和も遠くなりにけり

今朝読んだのに気がつかなかったが、朝日の天声人語は開戦記念日、即ち12月8日について書かれていたようだ。その通り、開戦前に生まれた小生が忘れているくらいだし、今日同年の人間に会っても、そんな事は少しも話題に上がってこない。忘れっぽいのは結構だが、草葉の陰で泣いている方も多いだろう。昔から日本人はこんなに忘れっぽかったのだろうか?

考えてみると、これは日本特有の現象で、マスメディアのありようが大きく影響しているように思う。我が国は沢山のメディアがあるようでも、報道が非常にシンプルで、ある日時を切り取ってみると、全てに近いメディアが同種の情報しか発信していない。尖閣列島沖事件と言えばそればかり。次は、普通の市民とは無関係の、いかがわしい場所での不良と馬鹿な役者の喧嘩沙汰。その前に大騒ぎになった特捜検察の証拠改竄なんてどうなってしまったのだろう。

まして69年前に我が先祖が大戦争をおっぱじめた事などは、「わしゃ知らん」で、関心無くても当たり前なのかもしれない。「坂の上の雲」も結構だが、もっと近代の歴史をしっかり検証しておく必要はないのか。小生自身も書いていながら忸怩たる思いだ。もう少し子や孫たちに何かを伝えるべきではなかろうか。先程電車乗っていて考えた。同じ「日本号」と言う電車に乗り合わせていても、先頭車両で前景を見ている人、横の窓から移り行く景色を見ている人、後部車両で過ぎゆく景色ばかりを見ている人といろいろ居るだろうが、それぞれ同じ景色を見てるのだが、受け止め方は異なるに違いない。

ひょっとすると乗る車両の違いは世代間にもあるだろう。さしずめ我々世代は後部車両かもしれない。昔の事ばかり云っても仕方が無いかもしれないが、国民が上げて流行を追いかけ、一定の時間で潮が引くように忘れていく。今日の話題はスポーツで、昔あれだけ華やかだったスキー場ばかりかゴルフ場までが、今やどこも閑古鳥だそうだ。辛うじて支えている客はシルバー層にご婦人層らしい。カラオケ店なんかも同じらしい。

同世代が話しているので直ぐ意見が一致する。これも皆同じく後ろ方向を見ているからかもしれない。我々が知らない場所で若い人が集まっていそうな所、友人と別れて一人で考えてみた。学習塾くらいしか思い浮かばなかった。


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