2014年12月31日水曜日

ご愛読に感謝

遂に今年もどん詰まりになってしまった。振り返ると、恰も長野新幹線に乗車しているが如く、トンネルに継ぐトンネルで、周辺の景色を見る間もなく日中でも暗闇となり、ただ不安感がつのる今日この頃ではないだろうか。一見すると、世の中には膨大な情報が溢れているようにも見えるが、個人個人が物事を深く洞察するきっかけになるような、質の高い情報は却って発見しにくくなっている気がしないではない。

大晦日になっても政府の予算関連情報は何ら示されず、与党税調の改正案が特筆大書されている。要するに与党が圧倒的優位の国会に於いて、予算案審議なんぞしてもしなくても同じことと、政権側が高を括っているに違いない。少なくとも編成に携わっている官僚は、粛々と編成作業を進め、例年通りこの年末には大勢は決していることだろう。マスコミも関心があるのか無いのか、何れにせよ国民不在の極みだ。

そんな大層な不満を述べても仕方がないか。所詮己の生き方は、政府方針やマスコミなんかと余り関係は無さそうだ。さて今年の総括や来年はと考えても大したことは思いつかぬ。

今年は随分ライフスタイルを変える年になった。癌告知があったせいもあろうが、時折肉体的に負荷を掛けていた過度な運動を止め、健康維持のためは日常的に適度な運動(歩行)を心掛けるようになった。来年がどんな年になるかは勿論知る由も無いが、はっきりしているのは春先から放射線治療が始まることだ。病魔と闘うと言った威勢のいい気持ちも無いし、年を取るにつれて身体の劣化が進むのは已むを得ないだろうし、抵抗できるものでも無かろう。

むしろ出来るだけ健康を損ねないためには、気の持ちようで笑いが大切とのこと。普通に暮らしていれば雨が降って鬱陶しい日があっても、結構楽しい日もあるだろう。厭な日のことは早く忘れ、楽しい日が多く残るような来年でありたいものだ。取り敢えず今年のブログはこれで終了、今夜から例年の通り深夜の弾丸バスツアーで伊勢神宮初詣に参ります。明日夜遅く戻りますが、2日と3日は家内の実家で過ごす予定です。このブログは正月4日から又始めるつもりでおりますので、来年もどうぞよろしくお願いします。

最後に読者皆様のご愛読に感謝し、皆様の来年が幸多からんことを心からお祈りします。

2014年12月30日火曜日

残すはあと1日

今日は又なんという暖かさ、先週末からの寒さが嘘のようだ。3日何も書かなかったが、相変わらず書きたくなるようなことが何もない。霞が関の官僚も何をしているのか、多分何もしていないのだろうが、政治家がお休みを作ってくれているので呑気なものだ。企業減税の方針が決まったとか、庶民には全く関係の無いことばかり報道され、厳しくなる社会保障関係は義理で書かれている感が否めない。

一昨日の日曜日から「NHKテレビ囲碁トーナメント」はお休みで、どのチャンネルでも似たような長たらしい番組でとても見る気がしない。1年の締めくくりで、今年を少し冷静に振り返り、来年への課題を発見すべきところだろうが、馬鹿笑いするのが使命と考えているような出演者を並べた番組ばかりだ。政府は不気味な沈黙を守っているが、来月末から始まる国会ではやりたい放題をするつもりだろう。貧富の格差が拡大する一方で、本当に景気とやらが回復に向かうのだろか?

今年は政権の掛け声ばかりが勇ましく、実質的に暮らしが良くなったと感じる人が果たしてどのくらい居るのか?我が周辺では残念ながら一人も居そうにない。来年は消費増税が一先ず先送りされたので、少しは落ち着いた世の中になれば良いのだが、孫の成長に伴い娘たちの家計は経費が増える分だけ節約が必要になる可能性が高い。

考え出すと、外交安保では先ず沖縄問題、せっかく盛り上がった民意を政権は全く無視しているが、沖縄のリーダーがどんな動きをするのか?アメリカに直接働きかけることを考えてるそうだが、誰にどう働きかけても所詮は国内問題で肩透かしに会いそうで心配だ。近隣諸国関係では現政権である限り関係改善は相当困難だろう。特に北朝鮮拉致問題や北方領土問題なんぞは絶望的ではなかろうか。

日米関係重視政策を堅持するのは結構だが、TPPで日本は相当な譲歩を強いられ、挙句の果ては嘗て貴重な資産とされた郵貯マネーが、海外の禿鷹に食い荒らされる初年度になり兼ねない。原発再稼働、自然災害の脅威、テロの脅威何れも発生予測不能では似たようなものだ。この年末になってやっと、サイバーテロが報道でも取り上げられるようになっている。海外の気の利いた国は、とっくの昔にこの対策について相当頭を悩ませている筈。

我が国ではどんな対策を講じているか知らぬが、先ず対策専門の官庁を聞いたことが無い。想像するに警察が最前線に立っているように思うが、所詮予算が毎年前年度に対して数%しか伸びないのだから、思い切った組織が編成される筈がないだろう。せめて今年掴まえたあの片山某なんて奴を刑務所で食わせるのでなく、警察で更に腕を磨かせる方が役に立ちそうだ。何れにしても総理がのんびりゴルフなんかしている場合ではない。

2014年12月26日金曜日

歴史への興味

今日御用納めのところが多いそうだ。御用納めや御用始とは無縁だが、今日は昼前から出かけて事務所に戻らない可能性が高いので、早めにブログを書いておく。

昨日のブログで、孫への同情心から高校の詰め込み教育問題に触れているうちに、日本の歴史教育に少し言及してしまった。この延長について書いておきたい。先ず、歴史は記憶と記録だけが頼りなことゆえ、個人であっても国家の場合でも視点をどこに置くかで様々な受け止め、解釈が可能であるだけに厄介でもある。しかし個人的な興味で言うなら、それが逆にミステリーアスで、謎解きの面白さにもつながっていることは否めない。

中国では、伝統的に王朝の大事業として歴史書の編纂があるようで、何でも紀元前100年前後の漢時代に編纂されたとされる「史記」以来清代まで24(26?)の王朝による歴史書(正史)が現存している。中華民国から中華人民共和国に至る現代でも、中国では正史編纂の重要性は変わらず、時の政府が都合の良いように歴史を作り上げていることを知っておくことが大切かも知れぬ。日本帝国による侵略に関する記述で南京大虐殺なんてことが典型なんだろう。

時の王朝による歴史書編纂は何も中国だけのお家芸ではなく、むしろ現代に至っても、編纂しない国家の方が少ないのではないだろうか。我が国でも江戸時代に御三家のひとつである水戸徳川家当主徳川光圀によって開始され、光圀死後も水戸藩の事業として継続、明治時代に完成した「大日本史」は有名である。これが現在どんな歴史的意味(価値)を持つかについては知らないが、100年以上経っても有名であるからには、それなりの意味があるのだろう。

韓国と日本の間で専門家だの学者が協議を続けているが、所詮歴史とは過去をどう認識するかの問題だから、喧嘩した加害者と被害者が歴史認識を共有するなんてことは永遠にできないと思う。中国の例を引くまでも無く、現在の力関係で強い方の意見が通るだけのことだろう。何たって、日本でもよくやる手だが、都合の悪い証拠は皆焼却してしまえばそれまでなんだから。むしろ水戸光圀ではないが、先の大戦後からカウントしても既に70年、明治維新から数えれば150年近くも経つのだから、歴史教育を考える前に政府が歴史書を編纂することを考えてほしい。

歴史書編纂は純然たる国内問題だろうし、国内的にこれが権威として認められることが重要である。結果的に外国からあれこれ言われても、言ってしまった者、書いてしまった者の勝ちではなかろうか。例えば韓国が面白くないからと言って、これを焼き捨てるためには日本に戦争を仕掛けて乗り込んでくるしかないだろう。しかしまともな史書である限り、そんなことが現在の国際情勢で許される筈は無い。

冗談みたい話になってしまったが、史書は概ね皇帝即ち日本では天皇の歴史を中心に記されるもののようである。江戸時代に書かれた「大日本史」は神武天皇を初代として記述されているが、もし現在新たに史書を編纂するならこれに一考を加える必要がありそうだ。誰もがご存知のように神武天皇は神話のお話なので、科学が進歩した現代の史書には相応しくない。年が明けて2月になると「建国記念日」の祝日があるが、これも遠因を探ると神武天皇に由来している。

そもそも「建国記念日」を祝日にする国家はアメリカなどの新興国であって、千年以上の歴史を持つ我が国には相応しくないと仰った人が居る。もちろん記念日制定前の昭和30年代初めことであるが、仰ったのは三笠宮殿下。殿下は軍人として大戦に深く関わったことを反省する一方で、歴史学に造詣が深くていらした。紀元節が天皇の神聖化に繋がり、国民に与えた影響を戦後深く憂いてらしたようである。

暦が我が国に伝来したのが6世紀半ばらしいが、歴史的に検証可能な史書の編纂がなされることを望んでいらっしゃるかもしれぬ。

2014年12月25日木曜日

暗記教育

時々陽は射すが、肌寒いうえに低い雲と風もあり、第一人通りが少ない。気の早いところでは既に門松の準備が始まっていた。重苦しい年末の風景である。数日前のテレビで最近の高校における暗記教育批判をやっていた。最近の高校では異常に暗記を強要されるらしい。若い時に暗記力を鍛えることも必要ではあろうが、そればかり強調されたのでは孫たちも可哀そうだ。NHK夜9時のニュースの時間だったが、ニュースキャスターの二人も勿論知らなかったことで、具体例を思いだせないほど下らないことだった。

確か日本史関連で、4択の中から何百年も前の何とか天皇と関係あるのは○○を選ぶ設問だった。こんなクイズ形式の出題ばかりで若い人の歴史認識が涵養出来る筈もないが、日本史ならば出題する教師自身が如何程の認識を持っているかが心配になってくる。先日友人と食事をした時に聞いた話で成程ねと思ったことがある。競馬の話だ。ゴールしてから走路妨害などのクレームがついて着順変更などの際に取られている手法だそうだが、ゴール正面に据えられたカメラを逆回しで確認するのだそうだ。

するてえと、途中の走路妨害なんぞが明確になるとのこと。人間の歴史も似たようなもので、現在からフィルムを逆回しするように見ていくと気が付かなかった何かを発見することがあるだろうとのこと。我が家の婆さんも似たような意見で、一緒にテレビを見ながら「推古天皇の時代のこまごましたこと暗記しても意味ないでしょう、もっと近代の歴史をきちんと教えなさい。」と息巻いていた。

義務教育の一定期間を数年間海外で過ごした子が日本に戻ってくると、日本の学校の教育や雰囲気にとても馴染めず、母子が海外に戻って親父が逆単身で日本で生活をするなんて話はよく聞くし、事実数人の我が友人もその例に洩れない。昭和22年だったかに6・3・3・4の学制が施行されて以来、日本の教育の根本が見直されたことはないのではないか。現文科官僚の何人が現教育の根本問題を考えているだろう?多分一人も真剣に考えていないと思う。

何れにせよ高校だけでなく義務教育も含め、日本の学校教育制度は、つまらないことがころころ変わるのが特徴のようだ。明治維新以来、教育が大切だと言うことから文部省を設置したのは結構だが、今や法律の枝葉末節を頻繁にいじくりまわしているばかりで、日本がどんな人材を育成しなければならぬかを全く考えていないように思えてならぬ。これは文部官僚に限らず戦後官僚の特質であらゆる省庁に共通する問題だろう。官僚の大部分が役所本来の目的は我関せずで、己が立っている立場の温存だけにしか頭が回っていない。

自分がしていることの正当性を立証するだけに汲々とするのは、国会議員も同様で上が上なら下も下だ。

2014年12月24日水曜日

天皇誕生日

昨日は天皇誕生日で祝日、流石に繁華街は賑わっていた。子供連れも多いが、昨今の親も大変だ。今週はクリスマスだとてやれケーキだことのプレゼントだのとねだられ、10日も経たないのに今度はお年玉ではお手上げだろう。テレビで宣伝がじゃんじゃん流されているので、親だけがその商魂を無視するのは容易ではないだろう。子供が幼稚園や小学校に上がって、物心ついてからではとても間に合うまい。

ところで、天皇陛下の誕生日に当たってのお言葉は、いつものことながら実に清々しい。東京駅100周年記念スイカ欲しさに集まった人数の倍以上の1万8千人とかが、皇居に参賀に訪れたそうだがむべなるかなである。これは現在の市民の健全な発想として結構なことではある。だがしかし、マスコミは旧占領軍、即ちマッカーサーを総司令官とする戦勝連合軍が1948年(昭和23年)12月23日を選んでA級戦犯の死刑を執行したことについては何も報道しない。

占領軍が何を意図して、態々皇太子の誕生日を選んだのか永遠に謎ではあるが、少なくとも天皇陛下の胸には深い思いが刻まれているのではなかろうか。「日本が世界の中で安定した平和で健全な国として、近隣諸国はもとより、できるだけ多くの世界の国々と共に支え合って歩んでいけるよう、せつに願っています。」で締めくくられているメッセージには戦争に走った過去についての深い反省と非戦への強い願いが込められている。

戦時中皇太子であった天皇には、先の大戦についての責任は全く無いが、国民をして思いを共有することを願っているに違いあるまい。同時に口にこそ出せないが、現政権の危うさをどんなに心配されていることだろうか。顔で笑って心で泣いて、心中を察して思余るものがある。そんな会話の後、事務所で武田邦彦氏のブログの中に関連する記事を見つけた。山下奉文陸軍大将の遺言や辞世の句についてである。山下大将も年は異なる1946年(昭和21年)であるが、同じ12月23日にフィリピンで死刑が執行されている。

毛唐の執念深さを押して知るべしだ。詳しくは是非下記を逐一ご覧頂きたい。
http://takedanet.com/archives/1016239856.html

遺訓の書き出しは下記の通り。
「自由なる社会に於きましては、自らの意志により社会人として、否、教養ある世界人としての高貴なる人間の義務を遂行する道徳的判断力を養成して頂きたいのであります。この倫理性の欠除ということが信を世界に失ひ醜を萬世に残すに至った戦犯容疑者を多数出だすに至った根本的原因であると思うのであります。」

誰のこととは言いたくないが、姑息な手段に走りがちな昨今の風潮を、あの世からどのようにご覧になっていることやら。

2014年12月22日月曜日

国会議員定数削減

この週末テレビ新聞は1週間前の総選挙の総括と今後の政局関連ばかり。殆どの解説が、さながら辻占が最大の顧客の安倍政権さえヨイショしていれば、結構なお鳥目に与れるとばかりの論調が多く、面白くもなんともない。所詮は自公政権が最低2年はやりたい放題で、我々庶民は相当難儀をする覚悟をするしかないだろう。何と言っても物価上昇が政策の中心課題に置かれているのだから、こちとらはたまったものでない。金曜日に届いた毎年恒例のお伊勢参りのバス弾丸ツアーの詳細を読んで驚いた。

料金は昨年と同じ9900円なのだが、内容が全く異なっている。昨年までは新宿の出発時刻が大晦日の18:30だったのが、今回は23:30となっている。はてな、と思ってよくよく読むと、今まで付いていた年越しそばと元日のおせち弁当が無くなってしまっている。大して旨くも無いサービスエリア食堂の蕎麦や、元日から冷たい弁当など食いたくないので、どうでもよいと言えばそれまでだが、料金据え置きで2食分サービスをネグっているのだ。

1食分を仮に500円相当にしても、千円の実質値上げに他ならない。隣の洋食屋の親爺も固定資産税を70万円とか溜めたら差し押さえと脅かされて、金曜日に都税事務所に行って5千円だけ支払ってきたとのこと。差し押さえは取り敢えず止っても、ローンを組んでいる信用金庫との取引に支障が出て不便で仕方ないそうだ。難しいことは理解できないのだが、ひょっとすると、来年は500円の日替わり定食を食い続けることが出来ないかもしれない。

親爺さんの年齢は2歳ほど下だが、もう十分草臥れている。店を売却処分したようだが、この古い店に買い手がつくかどうか?他人事ながら心配になってくる。何でも、食べ物や商売は駅から200m以内でないと上手くいかぬものらしい。距離的条件は満たしているが、駅の出入り口から通り1本裏に入っている。親爺さんが言うには、この界隈で閉店する店が多いのも当然で、このところ土日なんぞめったに人が通らないのだそうだ。食べ物屋もそうだが、個人で商売している人は大変だと思う。

帰宅して、その話をしているうちに老夫婦の意見が一致したのがこれ。こっちは先が短いから我慢で済むかもしれぬが、前途ある若い人のことを思うと、安倍政権の出現を契機として、日本の政治体制を根本から考え直すべきだ。安倍氏の目指す憲法改正とは全く違うが、政治体制の根本は、やはり選挙制度でしょう。議院内閣制と2院制は当面そのままにしても、先ず議員定数を衆議院は多くても300人、参議院は多くても100人に減らす。次に衆議院の区割りを変更して、人口の約10%120~130万人目途で都道府県別に区割りを割り振る。

東京は10区、神奈川・大阪が7区、愛知・埼玉6区・・・と割り振っていくと、鳥取島根だけは2県で1区になるかもしれないが、100かそこらの選挙区ができる。この1選挙区から3名の代議士を記名で選べば程好いだろう。大体農耕民族の日本に一か八かの選挙法なんて馴染まない。政党助成金なかもやめて、配るなら無所属であろうと政治家個人に助成すべきだ。等々、話しているうちに「定数削減を第3者機関に丸投げして枝葉末節をいくら弄っても、まるで意味が無いな。何でも根本を見直さないと、有効な改善策が出る訳がない。我々に任せれば1週間で公平な案を作ってやる。」が結論になった。

2014年12月21日日曜日

侘しい年の瀬

昨日昼に首都圏在住の高校同期生有志9人で簡単な忘年会。小生も勿論だが飲み放題の店なのに誰も酒量が上がらない。別に昼酒だからと言う訳でもない。全員が夜の会合よりむしろ昼の方が有りがたい口だ。話題の大部分が病気自慢であるのもやむを得ないだろう。前立腺癌初心者の小生にとっては、経験者からとても参考になる話を沢山聞くことが出来た。

パナマに20年以上も駐在していた人や商社マンが居たりするので、オバマの対キューバ外交政策転換から中南米への影響、ひいては世界情勢が大きく変わっていくだろうと言った高い次元のことまで話題が発展したりして、楽しいランチだった。

今日は今日とて、隣の洋食屋で昼飯をしていると、親爺さんが「向かいの風呂屋の親爺が死んだのを知っているかい?」とのこと。我が事務所は風呂屋の裏にあるのだが、地主大家は件の風呂屋で、内儀さんには普段からお菓子やドリンクの差し入れなどを頂き何かとお世話になっている。そう言われてみれば、先週シャッターに「暫く休業します」と張り紙が出ていたのは知っていたが、ご主人の不幸とは気が付かなった。

更に、3軒隣の寿司屋の内儀さんも数日前に亡くなったのだそうだ。どちらも近所にも知らせず密かに葬儀を済ませたものらしい。寿司屋の方は兎も角、風呂屋は少なくとも大家さんで、こちらは店子である。普通に考えれば、線香の1本くらいは上げるべきだろう。こちらの怠慢からではなく、施主様の方でそれを拒否している訳だ。それが当たり前になってくると、日本の社会構造の根本が相当変わってきてしまうだろう。

数日前にも書いたように、今年は知り合いの訃報に接することが多かった。ただでさえうすら侘しい年の瀬に、人情と生活の合理性の狭間の問題かもしれぬが、一層心寒い感じが否めない。

2014年12月19日金曜日

孫のクリスマス会

昨日孫が通う幼稚園のクリスマス会が行われた。この幼稚園は私立であって、園長先生が80過ぎのお婆さんながらとてもしっかりした方で、娘の話を聞くたびに何かと感心していたことが多い。孫は既に入園3年目、今年度で卒園になるが、娘は区立幼稚園に入れることが適わず結果的にここに預けたことをとても喜んでいる。園長先生はクリスチャンなので、普段からキリスト教的教育をされているらしい。従ってこの会には教育成果を保護者に見せる意味もあるのだろう。

幼稚園最大の恒例行事だが、過去2回は何故か祖父宛てのご招待は頂かなかった。娘とすれば、祖父さんには成長成果が十分出るまでお預けにした方が良いとの判断もあったようだ。今年は最後と言うこともあり、婆さんと連れ立って、寒風吹きすさぶ中をいそいそ出掛けた訳である。会場は幼稚園ではなくて、近くの東武東上線大山駅近くにある板橋区文化会館の大ホール。毎年ここで開催しているそうだが、これが又びっくりの立派さ。舞台の奥行きはオーケストラでも十分対応できそうだし、客席は絨毯張りで椅子も立派で何とも豪華な劇場である。

プログラムは礼拝に始まり、年長組の定番「聖劇」から各クラス毎の歌やダンス等、2時間半に亘り観客を飽きさせることもなくスムーズに進捗した。園児は1クラス40人弱とのことで、インフルエンザで出席できなかった子もいるようなので、総勢110人程度だったらしい。先生の方は最後に紹介があって、やはりインフルエンザで欠席された先生を別にして、総勢14人。事務とか音楽指導や遊戯指導の先生の勤務シフトがどうなのかは分からないが、普段は15人の指導者で園児の成長を見守ってくれているらしい。

壇上に園児全員が整列したのを見ると、4歳児から6歳児までの身体の差がびっくりするほどよく分かる。我が孫も僅か3年、されど3年の間にこんなに大きくなったのかと感無量の思いであった。年長組が演じたキリストの誕生を語り伝える「聖劇」は、小生も小学生時代に通った長野聖公会日曜学校でお馴染みであるが、演じたのは確か2年生3年生になった時であったように記憶する。昨日はこれを幼稚園児が演じたのであるが、よくぞここまでと感心しきりであった。

聞けば、秋の運動会終了後は、専らクリスマス会向けの準備に励んできたとのことである。それにしても幼稚園の先生方の教育の効果は素晴らしい。我が孫も「お名前は?」「○○で~す」「お年は?」「4歳で~す」と覚束ない日本語らしき返事をするのが精一杯だったのが3年前。それが人並みと言おうか、一種の団体行動をとりながら、台詞を言い、歌まで歌うのである。挨拶から会話まで、とても日本語が上手くなった。

年寄りとして感激しない筈はない。宗教的な意味合いがどこまで理解できているかどうかは問題ではないし、教会付属の幼稚園でもないし、孫が洗礼を受けてクリスチャンにはならないだろう。なればなったで、それも結構ではないか。なによりも、先生方の努力に内心頭が下がる思いである。


2014年12月18日木曜日

気象予報と経済予測

今月初めに長野で「今年は雪が遅い」なんて暢気なことを聞いていたが、ここ数日のニュースは全国各地でのドカ雪被害が最大である。数週間前にはアメリカ全州で豪雪被害が出たとの報道もあったし、予期せざると言うべきか、地球規模で自然現象さえ異常なのか。または、気象観測技術が未熟で、予報や予期することが出来ないだけのことなのだろうか。どちらにせよ、人間の知恵なんてものは高が知れていそうだ。

気象予想以上に当てにならないのが、経済専門家の予想ではないか。石油に代表される資源価格の高騰が地球規模で経済に悪影響を与える。我が国の長期不況も主たる要因はこれである。てな話を聞き続けていたような気がするが、気が付くと石油価格は非常な勢いで下落しているらしい。我が家の灯油代は一向に安くならないようだが、代わりにロシアの貨幣価値が下がってロシア経済に大打撃を与えているとのこと。

今になると、これはウクライナ紛争に端を発してアメリカが仕掛けた経済制裁と相俟って、米露経済戦争の結果でアメリカが上手くやっている。なんてしたり顔で言う声も聞こえてくるが、本当にそうだろうか?別に本当でなくても構わないが、少なくともウクライナ紛争勃発当時に、経済の専門家からそんな解説を仄聞した記憶はない。他国のことは兎も角、総選挙で与党大勝の後を受けて、日本の経済がどうなるかを心配すべきだと思うが、晴れとなるのか雨模様になるのか、専門家の確たるご意見は一向に聞こえてこない。

経済がグローバル化しているのは小生でも分かることである。昔は第1次産業と教わった農林水産業でさえ、原材料は大量に輸入に依存するだろうし、品目によっては輸出を念頭に置くこともあろう。他産業は推して知るべしである。従って、経済の見通しはそれこそ地球上のあらゆる動きとリンクするのが当然のこと。ロシアの経済変化やアメリカとキューバの和解が日本経済にどんな影響を与えるか、経済音痴のこちらには知る由も無いし、知る必要が無いのかもしれぬ。

また、経済の変化はその国の外交・安全保障政策にも少なからずの影響するものらしい。今月発売の月刊「文藝春秋」新年号によると、麻生幾氏が北方領土4島に対するプーチン大統領の戦略をおどろおどろしく書いている。さように経済問題は目配りの範囲が広すぎて、とても小人の考えが及ぶところではない。
アベノミクスと聞いてもアラビア語くらいにしか思えないので、個人的に関係あるのか無いのか、論評のしようが無いのが本当のところだ。

小人として気になるのは、やはり社会に出た時から関係してきた農林水産業の行く末。大学卒業してすぐ就職したのが、農協の機関誌的存在で、当時日本最大の発行部数を持っていた雑誌「家の光」の専属広告会社勤務だったからだろう。当時と異なり、現在では農業が全産業の下支えなんてことはないだろうが、農家や水産業従事者の存在を無視する産業政策なるものが成立するものなのか、些かの不安を感じている。

2014年12月17日水曜日

来年の夢

全国的に冬将軍が暴れ回っているようだが、東京も雪こそ降らねど寒風吹きすさぶ真冬の寒さになった。終日家で落ち着いていることが出来ぬ性分なので、懲りずに歩いてきたが、顔がヒリヒリしている。平日なので歳末気分が盛り上がっているとは言い難いが、宝くじ売り場に長蛇の列が出来ているのが目についた。昔から籤運が悪いと決めているので、1度も買ったことが無いが、宝くじだけは年齢性別に関係無いみたいだ。

勤め人のいる家庭は、既にボーナスの支給があっただろうし、年金暮らしのご同輩にしてみれば、この月曜日15日に2か月分の振り込みがあったところだ。
何れも満足いく額であろう筈がないとすれば、夢を求めて宝くじ売り場の行列に加わる気持ちは分からぬではない。小生も碌でもないことが続いた今年の厄払いをして、来年に何か夢を求めたいが、夢を追いかけるには歳を取り過ぎているのだろうか。個人的に強いて希望を言えば健康で過ごしたいだけで、現実、具体的な夢が思い浮かばない。

あとはひたすら家族頼みだ。婆さんも60歳頃までは風邪一つ引かず元気なので有難いと思っていたが、近年あちこちに不具合が生じてきている。自分が入院するのは嫌なことだが、連れ合いに入院されると、もっと悲惨かもしれない。今年は夫婦ともどもの入院があった。たとえ宝くじに当たっても、健康だけは金で買えない。今まで他人の健康までは気にしてこなかったが、これが高齢化社会の現実だろう。

ところがこの健康管理と言う代物、同じ夫婦でも個人差があり過ぎて、心配であっても相手の管理法に口を出すことが出来ない。健康管理の要諦は栄養の補給・適度な運動・そして休養(睡眠)と思っているし、婆さんの認識に違いがある筈は無い。ところが、こちらの栄養管理について気を配っていることは十分理解しているが、婆さん自身がいつどんな食事を摂っているかを全く知らないのだ。娘どもが嫁に行く前から、それぞれ異なる時間に食事していた関係から、何度言っても未だに一緒に食事を摂らない。

趣味が異なるかのように、食事の好みも異なるのだそうだ。当然ながら就寝と起床時刻も亭主とは大幅に違う。運動に至っては、用も無いのに身体を動かすなんて馬鹿みたい、と思っているに違いない。今まではそれで気にはならなかったが、今年弟の連れ合いが倒れたりして最近大分気になりだした。でも今更言いだす訳にいかない。取り敢えず今度の初詣は、真剣に夫婦ともどもの健康を祈らなくてはならない。

2014年12月16日火曜日

船旅への憧れ

先週末の土曜日に都内のホテルで、長野高校OBの首都圏在住者が集う同窓会があって100人近い同窓生が集まった。昭和34年卒業の我が同期生は、既にかなり年配の方である。長野中学時代から数えると創立130年を超える歴史を有するだけに、昔から実に多くの有名人を輩出している。現存する卒業生も多士済々、いろいろな方面で活躍している人物がいる。懇親パーティーの前に、いつもそんな中から選ばれた人が文化講演をしてくれる。

未だノーベル賞受賞者や超有名な芸能人はいないが、仮にいたとしても常にノーギャラである筈だ。年に3回あるこの同窓会の講演が老後の楽しみでもある。今回は木版画のプロ作家と日本郵船で豪華客船「飛鳥」の船長を務めた後輩の話だった。どちらも実に興味深かったが、元船長の話が意外だった。と言うのは、金持ちの年寄りが多くて海外旅行がブームの筈だが、豪華客船でのクルーズ旅行にだけついて言えば、日本は世界水準よりかなり低いとのこと。

我が友人にしても家内の友人なんかでも、1年に何度も海外旅行する人の話をよく聞く。それも結構な料金のツアーらしい。しかし確かにクルーズ旅行の話はあまり聞かない。今年耳にしたのは1度だけ、友人の奥さんが娘さんと神戸から横浜だったか東京まで1泊旅行を楽しんだとのこと。何故か友人は同行しなかったらしい。今度会ったら理由を聞いてみたいが、何故だろう?小生は先日も書いたように、横メシが苦手なので海外旅行をしたいと思っていなかった。

しかし今度の講演を聞いて気が変わった。我が家の財務大臣が許可してくれるなら、1度世界1周のクルーズをしてみたい。ま、無理だろうが、500万円出せば100日ほどで世界1周が可能みたいだ。宿泊が日本国籍の船であれば、飯も日本で食べるようなものだろうし、時差ぼけの心配も無さそうだ。因みに、このクルーズ旅行をする日本人は、ここ何年も年間20万人程度であまり変化が無いらしい。ところがアメリカは年間1300万人とかイギリスが180万人とかで、人口比からするとメチャクチャ多い。

しかもそれが増え続けているそうだから、日本人と欧米人のレジャーに関する感覚は大分異なるものあるらしい。欧米人にとっても船旅が経費的に高いのは同じだと思うが、老後に対する人生観の違いだろうか。彼等には葬式の費用から墓の心配まで、生きているうちにしている日本人の感覚が理解できぬのかもしれぬ。

小生もその日本人の一人だが、稼いだ分だけは綺麗に使い切ってあの世に行きたいものだ。1万円のバスツアーを毎年申し込んでいる関係から、定期的に送られてくるJTBの旅行ガイドを見ても、10日くらいで50万円を超すツアーが沢山掲載されている。急に船旅をしたくなったせいか、だったら郵船の豪華客船に依るクルーズも安いものだと感じてしまった。残念なのは年金暮らしでは50万円のツアーでさえ、覚束ない現実である。

2014年12月15日月曜日

総選挙の結果

全く無意味な選挙が終わった。選挙の大義はおろか、狙いが安倍内閣の延命だけにしかないことは誰の目に明らかであっても、選挙となれば投票しない訳にもいかない。明けて結果を見れば案の定である。嘗て在席した品の無い横綱が、土俵を割っている十両力士に駄目押しするのを見て鼻白む気分だ。虚しい思いを感じながら投票された人も多いに違いないことだろうし、むしろ棄権した有権者の約半数が正解かもしれない。

昨夜6時頃投票に行ったのだが、がらんとした投票所にはアルバイト人員の多さだけが際立っていた。この半月余りにばら撒かれた国費、即ち税金が700億円に喃々とすると言われるのが分かるような気がする。唯一救われた思いは民主党の海江田代表の落選くらいのものだ。そもそも選挙区で当選していない代議士を代表に選んだ民主党は、全員相当反省する必要がある。海江田氏本人も、選挙の顔となることは想定していなかったようなので不本意ではあろうが、
これも時の流れ、巡りあわせで致し方あるまい。落選はせめてもの罪滅ぼしだろう。それを言うなら菅直人氏が当選したのは残念。彼も後進に道を譲るべきではなかろうか。

今回の結果を見る限り、野党再編もなかなか進みそうにない。さりとて何も変わらないのだから、日本の経済環境が良くなる筈もない。今暫くは、我々庶民は寒い思いを続けざる得ないだろう。今暫くが何年か分からないのは当然で、老い先短い我が身を思えば、生きて暖かい社会を拝むのは無理と考えた方が良いかもしれぬ。しかし「奢れるもの久しからず、ただ春の夜の夢の如し」であれば、現政権もそう長くは続かず、どこかだ何か新しい動きは起きるのだろうが、それが何かは想像の外である。

あまり豊かになることばかりは願わないまでも、平和な国ではあり続けてもらいたいものだ。

2014年12月12日金曜日

祖母、そして今日は寄席

我が家の婆さん、いつも孫に好かれていることが自慢だ。その筈だと思う、亭主のこちらより孫が大事で、孫のことがいつも優先されているように思って僻んでいる己でもある。明日はこちらが同窓会で夕飯の支度の必要が無いときて、早速幼稚園の孫を連れて実家に赴くとのこと。それが決まって先日のこと、娘が孫の髪の毛を整えようとしたら孫が曰く「お祖母ちゃんに切ってもらうから触らないで。」と断られたと聞いたのが又自慢の種だ。

これは互いに結構なことだと思う。小生も子供時代は正真正銘大変なお祖母ちゃん子だった。兄弟5人であったけれど、とびぬけて可愛がられたのには理由がありそうだ。昭和18年の夏だったとすれば、こちらは未だ満3歳一寸の時のことだ。当時熊本県に奉職していた父が戦地の司政官(パソコンの変換が出来ない程古い概念、即ち占領地域の行政官)としてバリ島に出征することになり、母は子供連れて故郷の長の実家で留守を預かることになった。当時兄二人は小学生、すぐ下の弟が生まれたばかりの4人兄弟である。

熊本から長野も今のように新幹線なり飛行機が利用できるわけではない。汽車で関門トンネルを潜ってのかなりの長旅となる。母も引っ越しの段取りに加えて乳飲み子を抱えての移動は大変だったと思う。その応援に長野から祖母が駆け付けてくれて、あらかた整理の目途がついたところで一足先に長野に帰り、今度は受け入れの段取りをすることになった。そしてその序でに、幼児であっても乳離れはしている小生を先に連れて行くことに決まったらしい。

母親と離れてどこかに行くなんてことはもちろん初めての経験。家の玄関先で大泣きして、母と祖母をてこずらせたことを未だに記憶しているくらいだ。それでも何十時間後に長野駅に到着して、人力車なるものに乗せてもらい、赤い毛氈で包んでもらった時には大喜びしたことも覚えている。祖父は既に亡くなっていたので、それから数日は毎晩祖母に抱いて寝させてもらった。家族が合流した後も、母は4人の子供を抱えて何かと家事に追われ、中途半端な年齢の3番目までは手が回りかねたのだろう。小生は何かにつけ祖母の世話になった。

戦後、昭和22年に父が復員してからは又別の所帯になったこともあるし、こちらが小学生になったこともあり、戦時中程には祖母の世話を焼かせることが少なくなっていったが、祖母の家へのお使いは小生に決まっていたようなものだ。用が無くてもこちらから頻繁に祖母が住まいしていた松代(現在は市内であるが、当時は市内から3里も離れた田舎の佇まい)に遊び行ったし、祖母も頻繁に我が家に来て、小学生の小生を映画や演芸に連れて行ってくれたりしたものだ。

そんな中で特に印象深いのが、ある小学校の講堂で行われた演芸会に落語を聞きに連れて行ってもらったことである。戦後の暗い雰囲気は子供には関係ないことであったとは言え、未だラジオも満足に聞けない時代のこと、あの楽しさは格別でもあった。ずっと後年になるが、こちらが大学生になって東京に住むと、祖母が訪ねてくれたことがある。その時は早速一緒に新宿末広亭に行って楽しんでもらい、喜んでもらえたのが今となればいい思い出だ。その後も時折憂さ晴らしに寄席に行くこともあったが、ここ何十年と無く寄席に行ったことが無い。

池袋にも池袋演芸場があるのは知っているし、その真ん前の碁会所には何年も通い続けながら、一度も入場しなかった。婆さんが孫自慢するのを聞いて、こちらもふと祖母を思い、そして急に寄席が懐かしくなった。久し振りに寄席にでも行ってさっぱりしたくなって、近くにありながら行ったことの無かった池袋演芸場に行き、半日を愉快に潰すことが出来た。ただでさえ、100席も無いと思う小さな小屋で、入りは半数に満たなかっただろう。

約4時間の興業で昼の部の取りは桂歌丸さんの弟子で歌蔵さん。噺家は揃って、自ら古典芸能ではあるけどピンキリのキリと謙遜するが、なかなかどうして大したものだ。老人割引2千円で、観ようと思えば夜の部も入れ替え無しで観ることができる。安いものだ。

2014年12月11日木曜日

老人惚け礼賛

お葬式が多くてお経を聞く機会が多かったせいか、高倉健氏の影響か、最近よく思うのは諸行無常とか色即是空といった言葉である。昨日も病院にって半日もぼーっと待っている間、周りに大勢いる似たようなお年寄りを見ながら思った。それぞれ異なる様々な道を歩んできた人たちだろうが、この病院の待合室に来てしまえば大差は無いものだ。大部分の人が長時間待たされることにイライラしているだけだ。イライラの度合いは何となく裕福そうな人の方が酷く感じられる。

こちらは暇だから何時間待たされようと大して気にならない。何より病院は暖かくて、先ず病院に居る間は自宅の電気代の節約になる。読書でもいいし、人間観察していても結構面白い。最近は通い慣れてきたので、窓口に断って病院外に見つけた旨くて安い昼飯屋に行くことも覚えた。あの苛ついている老紳士は、本日為すべき用件が他に沢山おありなのだろう。しかしあと何年何日この世に居られると思っているのだろうか。なんて思って密かに面白がっている訳である。

年を取ると、冒頭の経文ではないが、一般的にはあきらめの境地に達してあまり苛つかなくなるものかとも思うが、個人差があってそうならない人が居ても不思議ではない。昨日はたまたまそういった人に出くわしただけのことだろう。
何も最近のことではないかもしれぬが、毎日のことが記憶に残り難い。朝めしを食ったことは記憶していても、昨日の朝飯のおかずになるともう思い出せない。こんなことは憶える必要もないからどうでもいい。高齢者には記憶すべきことなど殆ど無いのだ。

そんな不心得のせいだろう、しっかり覚えておかなくてはならぬことをいとも簡単に忘れるのは問題である。昼間はそれでもメモ帳を持ち歩いたり、手近にカレンダーを置いたりしているので、どこかにメモることが可能だが、自宅に帰って風呂にでも入ると、さっぱりと何もかにも忘れてしまう癖がついてしまったのか。たまに家人から到来物の礼を言ってくれとか、誰それに電話してなんて話を聞いて、翌日はすっかり忘れているケースが多くなった。メモせずに記憶だけに頼ろうとするからである。夕方近くになって思い出したりしているうちはいいが、今後は注意を要するだろう。

もの忘れは注意が必要だが、最近妙に諦めがよくなっている。世の中ままにならぬことばかり頻発するが、こっちも一晩で忘れてしまえば翌朝は爽やかである道理だ。お腹も脳みそも常に空っぽにしておくことが、高齢者の健康には有効かもしれない。

2014年12月10日水曜日

友を選ばば

何時の頃からか「グローバリズム」なる言葉を頻繁に聞くようになった。経済用語らしいが、グローブは地球を意味するので地球主義とでも解釈すればいいのだろう。昨今の経済活動は1国内で完結するものは殆どあり得ず、全て国外のどこかと関係なしには成立しえないだろうから、仕事をする人にとっては至極当たり前のことだろうと理解していた。ところが最近読んだ雑誌記事の中にこんなことが書いてあった。

「グローバル化とは、資本家や富裕層が行使する政治力の産物に過ぎない。経済行為の潮流などでは決してない。」通産省OBの経済評論家でTPPに強く異を唱えている中野剛志氏の寄稿である。要するに、グローバル化は先進国と途上国の競争を激化させる。その結果先進国の労働者の賃金を下落させ、資本家は利潤を拡大する。因って先進国に於いては格差が拡大する。今の日本はこの弊害をもろに受けている。しかしこのグローバル化は政治現象だから、これに抵抗できるのも政治現象である。との論法になっている。

経済に関する話は、何を聞いても難しすぎてよく分からない。しかし、この記事を読んで全く別のことに考えが及んだ。似た言葉に「インターナショナリズム」がある。我が世代は経済成長真只中で、友人にも国際性豊かな人が大勢いる。小生は機会に恵まれなかった故もあるが、どうも横メシが苦手で国際性が極めて乏しい者であるが、国際性豊かな友人と話していて外国のことに話が及んだ時に思うことがある。「彼等も小生と共通する何かを持っているなぁ。」やはり日本人なのである。

実際に言葉を交わしたことが無いので定かではないが、日産自動車のカルロス・ゴーン氏や社内公用語を英語に切り換えた楽天のオーナー三木谷浩史氏や経済評論家の竹中平蔵氏は、同じ国際派でも我が同期生諸氏とは大分趣を異にするのだろう。彼等のようにグローバリズムの信奉者あることを露わにする人と我が友人の違いを考えてみると、はっきり言えそうなことがある。何か、「アイデンティティ」をどこまで大切にするかではなかろうか。「アイデンティティ」を辞書で引くといろいろな解釈が出て来るが、最もぴったり来たのがこれ「独自性,主体性,本性,帰属意識.」

長野出身の友人が大半だが、信州人は我の強い人間が多そうだ。国際化しても本性を違えない人が多い。だから長い付き合いが出来ている。話したこともないグローバリズム信奉者を「アイデンティティ」喪失者と決めつけるのは些か失礼ではあるが、どうも友達にはなり難そうな気がしてならない。

2014年12月9日火曜日

大本営発表今昔

昨日に続いて先の大戦中のことにもう少し触れたい。戦時中は軍部から国民向け広報として大本営発表が頻繁にあったそうだ。当時のマスメディア、ラジオと新聞はこれを積極的に採用して国民に伝え、国民はこの報道に一喜一憂と言うより、むしろ歓喜の思いに浸っていたらしい。現代に置き換えると、自衛隊広報や内閣官房から国民向けに「自衛隊は海外でこんな活動して、海賊をやっつけたり、同盟国の軍隊や地元の人に感謝される支援を行っています。」と言ったところだろうか。

当時は「どこそこの戦闘に於いて、敵をこんなに撃破して味方の損耗はこんなに軽微で済んだ。」と言ったことが圧倒的で、日本軍が壊滅状態であっても、終戦間際まで全く偽りの話をでっち上げて広報していたのが事実らしい。当時の国民は、メディアの報道に嘘があることなど思いも及ばなかったのかもしれない。1945年の8月15日になって、突然玉音放送を聞かされてびっくりした人が多かった筈だ。

現代市民はその辺については大分学習効果が現われて、宣伝広告や企業にせよ行政の広報も100%鵜呑みにはできなくなっているだろう。長いこと広告屋稼業に従事してきたので分かるが、広告や広報は基本的(特に法的には)に嘘を言ってはいけないとされている。しかしアッピールするポイントが事の本質から外れていると、嘘を言っていなくても事の本質から大分かけ離れた印象を伝えることは可能だし、場合によっては真逆のことを伝えることが可能になるのは言うまでもない。

この手法を意図的に駆使して成功したのが、現役時代に大いに加担してきたところの、原子力安全神話形成がその典型だろう。小生なんぞは下っ端だったので、正直その神話を頭から信じ切って仕事としてやっていた。こんなことを書く気になったのは、昨日報道された麻生財務相の演説である。少子化問題に関連して述べた女性の妊娠問題は脇に置くが、景気回復問題に関連して述べたところの「2年前より(景気が)悪いのは、よほど運が悪いか経営能力がないかだ」の方である。

この発言が適切であったかどうかより気になるのは、麻生氏も若い頃の小生と同じで、役所(財務省)の広報(官僚の報告)に取り込まれて、無邪気にも本気でそのように信じ込んでいるのでは、との思いである。昨夜久し振りにタクシーを利用したのだが、そのドライバーが最近の景気について話をしてくれた。案の定さっぱりだそうだ。2010年から個人タクシーを開業したが、2011年3月の大震災までは少しずつ収入が増えてきたかなと言う感じがありました。良い時には1日の売り上げが5万円に達する日が出るようになってきました。

ところが、あの3月11日、車が全く動かなくて、翌朝の4時になっても3万5千円くらいにしかなりませんでした。お客さんも困るでしょうが、タクシーは待ち料金では稼げません。この日がケチのつき初めで、以来売り上げは減る一方です。今年に入っても全く良くなりません。極端に言えば月収が毎月千円ずつ減っている感じです。現在は年金と1日の売り上げ目標3万5千円で頑張っているのですが、目標達成が難しい状況です。目標額をオーバーしたら、その分一杯やることにしているのですが、最近では飲める日が殆どありません。むしろ税金の支払いが出来なくて困っているくらいです。前年の稼ぎに対しての課税なので、毎年税金の支払いが遅れる一方です。

アメリカの大統領が「日本は不況から脱出できなくて苦しんでいるがアメリカが影響受けないようしなければならない。」と言ったそうだが、タクシードライバーの話を聞いて、初めて得心の行く思いであった。一方で、景気は回復しつつあると胸を張っている政府広報と、歩調を合わせているマスメディアの姿勢に大本営発表が重なった。

2014年12月8日月曜日

大東亜戦争開戦記念日

土日はブログが面倒に感じて休んでしまった。今後の週末もそうなるだろう。今日は夕方出掛けるので厭なにならないうちに早めに上げる。

本日はタイトル通りの開戦記念日、と言っても昨今では特別の感慨を持つ人間はごくごく少数派だろう。今日たまたま、陸軍士官学校の最上級生で終戦を迎えた知人と話をする機会があったので、余程感想を聞こうかと思ったが、態々こちらから持ち出す話題でもなさそうなのでやめておいた。多分89か90歳になる筈で、好々爺ではあるが、全く呆けてはいないし、一回り以上若いこちらが負けそうなくらい矍鑠としている。流石若い時にみっしり体を鍛えている人は土台が違う。こちらが先にあの世に行きそうだ。

こちらは日支事変の最中、米英蘭仏との開戦前年の生まれではあるが、育ちが戦後だから戦争については何も知らないに等しい。73年前の今日未明に帝国海軍の連合艦隊がハワイ沖から飛行機の大編隊を発進させて、オアフ島にあった米連合艦隊基地を奇襲攻撃して大戦果を挙げて、大部分の国民が提灯行列でそれを祝ったことぐらいは、物心ついてからの後知恵で知っている。しかし陸軍もマレー半島やフィリピンや香港など、アジア諸国にも一斉に攻撃を開始して1941年末までにはかなり広大な地域を制圧した経緯や成果等は、今でも殆ど知らない。

恐らく、今日から大晦日までの短時日の間に、日本軍によって殺された外国の将兵と民間人犠牲者はどのくらいの数に登るのだろう?日本の将兵の犠牲はきっと少ないのだろうが、無かったわけでもあるまい。きっとその御霊は靖国神社に祀られているとでも言うのだろう。日本人の一人としては靖国参拝も結構だが、戦争の犠牲になった世界中の人に、心からの謝罪と冥福を祈りたいと思う。とは言っても、先の大戦については我々の年代に限らず、現代に至るまでその経緯、即ち歴史を教えてもらっていなのが実情だろう。

悲しむべきことだと思うが、現在でも地球上に戦争或いは戦争紛いの紛争が絶えず、これがテレビで生に近い形で報道される。ところが、当事者に降りかかっているその悲惨さを、視聴者である我々はどのくらいまともに汲み取ることが出来ているだろうか。想像するに実感の受け止めはゼロに限りなく近いだろう。御岳山噴火の被害者報道にしても同様で、被害者が身内でない限りは本当の悲しみ何か分かる筈が無い。テレビ報道はおろか、学校でも親からも聞いたことの無い戦争なんか、感慨もへったくれもあろう筈が無い。

今や定番の観光スポット、真珠湾があるハワイだろうが、マレー半島のシンガポールであろうが、極めてまともなうちの爺さんや父さんたちがある日突然、爆弾や鉄砲、ひょっとすると刀を振り回して現地人を殺しまくったなんてとても信じられないだろう。知っていりゃ、ひょっとすると観光に行くのも躊躇するかもしれないので、知らぬ方が両国親善には好都合かもしれぬ。しかし、歴史は正しく知って上で、大いに親善を図った方が双方にとって気持ちが良いのではなかろうか。

国内的に見ても、73年前の今日「これしか道が無い」と開戦に踏み切った当時の指導者の判断基準のどこに間違いがあったのか、語り継ぐ意義が大きいと言えよう。

2014年12月5日金曜日

東京散歩

昨日のは雨だったが、今日は朝から快晴。都心は紅葉真っ盛り、もみじやナナカマドのの朱色は少ないが、銀杏の黄色は見事である。昼時に永田町の国会図書館から憲政記念館公園を抜けて皇居内堀沿いに散歩をしたが、お年寄りが大勢歩いていて、お巡りさんも大勢出て交通整理に当たっていた。昼休みのマラソンランナーにとっては迷惑だったかもしれぬが、皇居乾通り開放で押しかけた皇居紅葉狩りの人混みである。

中に交じって紅葉狩りも悪くないと思ったりしたが、余りの人出なので参加はしないことにした。帰りに立ち寄った友人に聞くと、憲政記念館は幕末には彦根藩の上屋敷となり、大老井伊直弼もここに住んでいたとのこと。水戸浪士の襲撃で命を落とした桜田門までは、直線距離にすれば600mと教えてもらったが、確かに目と鼻の先である。高低差が多分10メートル以上あるのではなかろうか。公園内は永田町からお堀を眺めながら降る快適な散歩道になっている。

東京には所々にこんな公園があるのも嬉しいが、皇居周辺を散歩して改めて思うのは都心の清潔さ。この辺は昔から、と言っても知っているのは昭和34年以降のことだが、薄汚くはなかった場所ではある。しかし約半世紀前、この皇居前の芝生の上で昼飯を食ったりしていた頃は、未だホームレスも沢山たむろしていたし、周りに都電は走るわ、空には電線が蜘蛛の巣状になっていた。周りのビルだって灰色がかった印象である。

それが今や、汚れを全く感じさせず、夾雑物が一切見当たらない。皇居にしても公園や街路樹にしても、遠くに映える丸の内のスカイラインにしてもだ、やや人工的な嫌いはあるが、見事なまでに空のブルーと調和している。最近は豊島区内のメインストリートでも電線の地中化がかなり進んで、空中が片付いている通りがかなり増えてきたように思う。街路の落ち葉清掃もかなりこまめにされているので、落ち葉の汚れも目立たない。外国の事情は詳しくないが、この清潔感は世界に冠たるものだろうと思う。

清潔であるばかりではなくて、安心安全でもあろう。中国にしてもアメリカにしても、一人でタクシーに乗ることさえ少し緊張したことを思うと、日本は安全度も世界に誇って良いかもしれぬ。そこに来てこの円安と来れば、中国や韓国からの観光客が増えるのも分からぬではない。永田町の政治にはうんざりだが、千代田区から中央区への美観を満喫した1日だった。

2014年12月4日木曜日

この道の先には

今日初めて事務所の近くを選挙カーがけたたましく喚いていた。「自民党からの公認、そして公明党からも力強いご支援を頂きました○○でございます。どうぞ皆様の暖かいご支援をよろしくお願い申し上げます。」総選挙序盤戦における各種世論調査では自民党圧勝で、単独300議席を超す勢いとのこと。与党だけで憲法改正の発議さえ可能になりそうと書いているところもある。

安倍総理は作戦が狙い通りにいって、目出度し目出度しで笑いが止まらぬことだろう。こっちは少しも面白くなくて投票する気も萎えがちだが、投票だけはすべきだと自らを励まさねばならない。予想通り自公与党が圧勝したら世の中はどうなっていくのだろうか?世の大半の人が、このまま与党に任せる他に選択肢はないだろうと思っているのだから、我が家の考えは相当常識とはずれていたことになる。党首の演説を聞いても公約にざっと目を通しても、何を言いたいのか理解に苦しむ野党のだらしなさからすると、それも仕方ないことか思わぬでもない。

年齢を考えれば、この先世の中がどうなろうと知ったことではないのだが、自公路線是認の人たちは、選挙後の日本がどんな道筋を辿り、それが自分の生活にどんな影響を及ぼすと見ているのだろうか?選挙後の来年になると、景気が上向き、多少の差はあっても我が暮らしも少し良くなる筈との思い込みが勘違いにならないことを祈りたい。知りうる範囲での話を総合して考えると、来年になれば消費意欲が出てきそうに考えている人は少ないのだが、付き合う範囲が偏っているのかもしれぬ。

そんな思いでいたら、今日沖縄在住の友人から電話が来た。序でに聞いてみると、彼の地は官需が極めて強い地域なので、現政権の公共事業等のばら撒きの影響は極端だそうだ。官庁に出入りさえしていれば予算獲得に不自由はない。予算さえ付けてしまえば、あとは野となれ山となれで、事業評価なんぞ気にしなくても良いらしい。それでも予算が消化しきれ無いと言うのだから何をか況やである。政府の末端である官庁の窓口担当者からすれば、国家の借金なんか関係の無いことかもしれぬ。しかしとどのつまりはどうなるのでしょうね?と友人も心配していた。

経済活動に従事している人は、先のことや他人のことなど考えていられない気持ちは解る。しかし、公益を専らにする筈の霞が関の高級官僚から代議士に至るまで、誰もが将来の日本、そして子孫に対しては極めて無責任であることが明らかである。土曜日のテレビ東京「田勢康弘の週刊ニュース新書」に出演した竹中平蔵氏が、金融政策の出口戦略についての質問に堂々と答ていた。「日銀黒田総裁も出口戦略なんか考えていないと思いますよ。マクロ経済政策によるデフレ脱却が重大で、正にそれを始めたばかりなんですから。これから数年経って必要にはなるでしょうが、今アメリカがやっている出口戦略を参考に、その時に考えればいいのです。」

小生も無責任さでは他人の悪口を言えたものでないが、こんな発言にびっくりしてはいけないのかもしれぬ。思えば我が国のお家芸如きもので、満州事変も日支事変も大東亜戦争も、原発にしても似たようなことかもしれぬ。始める時にはそれなりに立派な道筋が見えたのだろう。しかし予想外の結果があるとは考えず、予想の1点を外したら、その時の人誰かが責任を取ればいいだろう、である。結果責任は政権を選んだ国民にもあるだろうが、責任を常に最も重く受け止めているのは選挙権の無い天皇陛下だけかもしれぬ。

2014年12月3日水曜日

選挙の鶯嬢

愈々総選挙が始まった。今度の選挙は解散が電撃的であっただけに、多くの候補者が選挙準備が間に合わず苦労しているらしい。昨夜の食事時に面白い話を聞いた。上の娘から電話が来て「お母さん、鶯嬢に伝手はないかしら?」とのこと。聞くと幼稚園のママ友から頼まれているらしい。娘の所在地は板橋区、依頼してきた候補者は選挙区違いの中野区方面の候補者らしい。確かにもう大分昔、婆さんが豊島区議の応援を熱心にしていた時代があるので、ママさん仲間の話の徒然に娘がそんなことを言ったのかもしれぬ。

それで、友達からすぐに聞いてみてよとの依頼になったらしい。残念ながら、婆さんも応援していた区議も引退しているので、役に立つことはできなかったようだ。しかし、娘あたりにまで依頼してきた衆議院候補者の気持ちはよーく分かる。皆溺れる者で、藁にもすがりたいのだろう。と言って解説してくれた。先ずは今回立候補した大部分の候補者が似たような環境に置かれているだろうとのこと。昨日から僅か12日間の選挙運動期間であるが、この準備は相当手間のかかるものらしい。

アナウサー志望の女子学生のアルバイトを雇って、直ぐに使いものになると言う訳にはなかなかいかぬようだ。選挙鶯は台本を読めばいいと言うものではなく、機に臨み変に応ずる特別の技術も必要だし、なによりも公職選挙法についての勉強が必要。区議なんかでもそこそこのマニュアルがあるが、衆議院選ともなると、詰め込む知識も半端では済むまい。専門の人材派遣会社は当然あるが、そういった企業でさえこの暮れの選挙は予想外だろうから、需給バランスは大崩れしているに違いない。

なにも、鶯嬢だけではない筈で、あの選挙カーだって全く同一仕様のバックアップを常に用意しておく必要がある。と言うのは不思議なことに、区議選のように狭い地域でも必ずと言っていいほど故障が出るのだそうだ。安倍総理が解散を明言したのが先月18日、昨日までの2週間で選挙事務所から大道具小道具、なによりもチームを構成する人材の確保は、小渕優子さんのようによほどしっかりしたスタッフいないと先ず難しいのでは。が婆さんに見立て。

「日当1万5千円にもなるなら、丁度亭主の稼ぎが無くなって生活苦の折から、お前が行ければな。」「私だってやろうと思えば上手いものよ。その昔、あくまで事務所詰のみと言う約束で応援していたが、選挙が始まるとどうしても鶯嬢が間に合わないことがあって、その度に拝み倒されて地元を離れた地域で随分代役を務めたものよ。」料理番だけかと思っていたが、鶯までしてたとは初めて聞いた。事務所番にもそれなりの神経が必要で、スパイらしきものやら警官の見回りやら、選挙法をきっちり覚えていないといろいろあるのだそうだ。

テレビでは各党々首の演説ばかりが取り上げられるが、選挙事務所のドキュメントでも作ったら面白かろうにだ。こんな話聞いたせいか、昨日も今日も豊島区と千代田区の街中を一時間以上歩いたが、選挙カーのけたたましさには未だ一度も遭遇していない。

2014年12月2日火曜日

スキーシーズン到来

今日から本格的な冬型気圧配置となって雪国では降雪が続く予想になっているが、これまでのところ各地のスキー場は雪不足で、北海道では例年の30%ほどしか降雪が無いと嘆く声も聞かれていた。昨日法事があって長野に行って聞いても、志賀高原辺りも例年に比較すると雪はまだ少ないと言っていた。スキー場のオープンを待ちかねる年齢ではないが、つい先週の初めだったか、娘から「高2の孫がお祖父さんに、冬休みにスキーに連れて行ってもらいたいと言っている。都合は如何ですか?」との電話。

ここ数年すっかり祖父離れしている孫からのリクエストなので、むしろ喜んでご期待に応える旨の返事をした。ところが翌日再び電話があり「お騒がせしましたが、冬休みにスキーなんかしている陽気でなくなったようなので忘れてください。」で逆に少しがっかりしてしまった。帰宅すると婆さんが詳しい事情を教えてくれた。なんでも中間か期末か何かの試験の結果が出て、結果が予想以上に悪かったらしい。それで冬休みも勉強に打ち込まなければと気が変わったとのこと。そりゃ結構なことじゃないかと思ったが、そこからが面白い。

一緒にスキーに行く相談していた友人が2人いるのだそうだが、この3人で連れ添って副校長(昔の教頭先生らしい)に面会を求めて掛け合いをしたそうだ。我が身を振り返れば、職員室は校内で最も敬遠すべき恐ろしい場所。そこに自ら乗り込む度胸に先ずは感心するばかり。掛け合いは「冬休みに教室を開放してほしいことと、併せて先生に勉強を見てほしい。」結果、教室の開放は直ぐに了解が出されたようだが、言ってみれば補習授業をしてくれとの要求までは直ぐに返事が出なかったらしい。

当たり前だろう、先生だって1労働者だ。彼らがアルバイト代を支払うなら兎も角、なんで彼等の為に予備校の真似をしなきゃならぬのだ。親に相談して予備校にでも行かせてもらえ。大方そんな気持ちではなかろうか。孫たちにしても、高校生だからその程度のことは勿論分かっているだろう。しかし、敢えてそのような行動に出るのは如何なる存念なのか?面白くはあるが、少し理解し兼ねるところでもある。

何れにせよ己は勿論、母親である娘も、冬休みに自主的に勉強なんてことは夢にも考えたことが無いので、彼の心境を慮ることはできない筈。血筋からは窺い知ることが出来ぬ現象にせよ、スキーより勉強を優先する心意気は見上げたものだ。父がよく言っていた「山は逃げやせん。学生時代にやるべきことをしないと、後で悔やむことになるよ。」学生時代にやるべきことを疎かにして多少悔やむ結果にはなっているが、年を取ってから、山が逃げていないことを実感した。」スキー同行をキャンセルされて少しばかり残念ではあるが、それ以上に嬉しくも思うところがある。スキーする機会なんか、これからなんぼでもあるさ。