2014年12月24日水曜日

天皇誕生日

昨日は天皇誕生日で祝日、流石に繁華街は賑わっていた。子供連れも多いが、昨今の親も大変だ。今週はクリスマスだとてやれケーキだことのプレゼントだのとねだられ、10日も経たないのに今度はお年玉ではお手上げだろう。テレビで宣伝がじゃんじゃん流されているので、親だけがその商魂を無視するのは容易ではないだろう。子供が幼稚園や小学校に上がって、物心ついてからではとても間に合うまい。

ところで、天皇陛下の誕生日に当たってのお言葉は、いつものことながら実に清々しい。東京駅100周年記念スイカ欲しさに集まった人数の倍以上の1万8千人とかが、皇居に参賀に訪れたそうだがむべなるかなである。これは現在の市民の健全な発想として結構なことではある。だがしかし、マスコミは旧占領軍、即ちマッカーサーを総司令官とする戦勝連合軍が1948年(昭和23年)12月23日を選んでA級戦犯の死刑を執行したことについては何も報道しない。

占領軍が何を意図して、態々皇太子の誕生日を選んだのか永遠に謎ではあるが、少なくとも天皇陛下の胸には深い思いが刻まれているのではなかろうか。「日本が世界の中で安定した平和で健全な国として、近隣諸国はもとより、できるだけ多くの世界の国々と共に支え合って歩んでいけるよう、せつに願っています。」で締めくくられているメッセージには戦争に走った過去についての深い反省と非戦への強い願いが込められている。

戦時中皇太子であった天皇には、先の大戦についての責任は全く無いが、国民をして思いを共有することを願っているに違いあるまい。同時に口にこそ出せないが、現政権の危うさをどんなに心配されていることだろうか。顔で笑って心で泣いて、心中を察して思余るものがある。そんな会話の後、事務所で武田邦彦氏のブログの中に関連する記事を見つけた。山下奉文陸軍大将の遺言や辞世の句についてである。山下大将も年は異なる1946年(昭和21年)であるが、同じ12月23日にフィリピンで死刑が執行されている。

毛唐の執念深さを押して知るべしだ。詳しくは是非下記を逐一ご覧頂きたい。
http://takedanet.com/archives/1016239856.html

遺訓の書き出しは下記の通り。
「自由なる社会に於きましては、自らの意志により社会人として、否、教養ある世界人としての高貴なる人間の義務を遂行する道徳的判断力を養成して頂きたいのであります。この倫理性の欠除ということが信を世界に失ひ醜を萬世に残すに至った戦犯容疑者を多数出だすに至った根本的原因であると思うのであります。」

誰のこととは言いたくないが、姑息な手段に走りがちな昨今の風潮を、あの世からどのようにご覧になっていることやら。

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