2015年7月31日金曜日

凡人の考え及ばざるところ

昨日は、昼にちょっと夕立とは言い難い集中的な豪雨があったが、夕方になっても一向に涼しくはならなかった。今日は朝から終日かんかん照りで病院往復も楽ではない。夏のレジャーを全く考えずに、病院往復以外はただ冷房の効いた部屋にステテコ1枚で居座っているなんて、物心ついて以来この歳になって初めてかもしれぬ。なんとなく変な気分だ。たまには頭を冷やして何か考える見ようと思い立った。改めて思うに普通とか常識とは一体なんだろう?人間の考えようは十人十色、百人百様で実に様々だ。何も俺だけが非常識ではあるまい。

しかし思うに、これまでは随分風変わりなことも沢山してきたかもしれぬ。年相応の考えや思慮深さが意識に上ってくるのが少々遅くなったことは否めない。それでも最近は少し落ち着いて、いろんな人の意見を聞くようになったと思っている。従って国会の安保法制論議はとても面白いし、ネット上の様々意見を見ることが、人間の考えの多様性を知る上でとても勉強になる。今頃勉強してどうなると言うものではないが。

最近何故この人が?と思わぬ人が安倍政権を支持して、安保法制成立を期待している意見に遭遇することがある。論理の合理性なるものは人によって異なるらしい。安倍総理なんかもご自身の思考については何の疑いも感じておられないことだろう。個人個人の思考回路の複雑さに思いを至すと非常に興味深いものがある。

話しが急に変わって恐縮だが、囲碁が正にそうである。相手の着手の意図を読めることもあるが、格段の違いがある人の着手は非常に読みにくい。結局はこちら持っている情報量と解析力の違いと言うことなのだろう。安保法制賛成の人は、総理補佐官のように思わず口走るか否かは別として、立法の経緯より現実危機への対応が大切との考えのようだ。どうすれば現実的な危機を感じるのか、さっぱり分からないのだが、それが凡人たる由縁かもしれぬ。

そこは思考回路とは無関係な現象面なので是非ご教示願いたのだが、どうもはっきりしない。原子力科学者の武田邦彦氏(中部大学教授)はかなり有名な科学者で、毎日のようにブログ(音声ファイル付)を更新していている。その殆どを愛読しており、共感を覚えることも多い。この先生は原子力再稼働については科学者として強力に反対する立場であるが、こと日本近代史における明治以降の戦争に対する評価が少し凡人と異なるところもある。これは措くとして、今回の安保法制についても、現段階では少数派ともされる賛成論を展開している。

その理由は、ここで日米関係を強化しないと、中国が日本を植民地化してしまうだろう、との論理に基づいている。その証拠として示してくださるのは尖閣の問題とか、太平洋への進出問題である。この現象から日本を植民地化しようとの意思を読み取るのは相当難しい気もするのだが、先生はそれこそ学者の信念の基づいて、その可能性を力説されている。やはり人の考え方は様々と改めて思わざるを得ない。
参照:http://takedanet.com/archives/1035571842.html

2015年7月30日木曜日

少数政党からの質問

マスコミでは取り上げられていないが、昨日の参議院安保法制特別委員会における山本太郎氏(生活)の質問は傾聴に値するのに残念と思っていたら、さすがネット上ではでは大分評価されている。ささやかではあるが、ここでもその拡散に少し役立ちたいと思う。マスコミの大記者諸氏は、芸能界出身の山本氏なんかの発言を取り上げるのは沽券に係わるとでも思っているのだろうか?芸能界の出身であろうとスポーツ界の出身であれ、学歴があろうと無かろうと、語ることが尤もであれば取り上げるべきだ。この委員会が弱小と言われる政党からも委員を出すことで、与野党合意したことだけは評価に値する。

山本氏の昨日の質問は、今回提出された法案の欺瞞性に関し実に的を射ているところがある。即ち、国際環境の変化によって迫っている我が国の危機とは何か?あまりピンと来ない人が多いのではないだろうか。そこにある危機を政府は一所懸命説明しようとしているが、聞けば聞くほど分からない。むしろ集団的自衛権を行使すること方が余程危機への接近だろうと思うばかりだった。そこで思考が止まってしまうのだが、山本氏が全く別のアプローチ法を示してくれた。

政府が言うところの危機を認めよう、それに対して政府はどのような対策を講じているのか?集団的自衛権行使による抑止力向上だけで対策は十分なのか?てな訳である。即ち、近隣諸国には弾道ミサイルによって我が国を狙う国があるそうだが、その弾道ミサイルが日本の原子力サイトを直撃した時の対処を質問したのだ。考えれば極まともな質問ではないか。正しく存立危機事態そのものの筈だが、これに対する政府答弁は全くゼロ回答であった。

そのような事態は想定していないと言うのだ。実に大きな矛盾だ。以下はネット上に詳しく掲載された質疑を一部を引用する。話し方が議員としての品位に欠けても実に分かり易い。山本氏の政治家転進については批判も多いようだが、与党に引っ張られたアナウサー出身のお姉さんなんかより小生には余程役立っている。

「都合のいいときだけ仮定や想定を連発しておいて、国防上、ターゲットになりえる核施設に関しての想定、仮定、できかねますって、これどんだけご都合主義ですか?って話だと思うんです。“我が国を取り巻く安全保障環境、著しく変化”してるんでしょ? 飛んでくるかもしれないんでしょ、ミサイル。“中国が!北朝鮮が!”。いろんな話されてるじゃないですか。“10分で到達します!”。え、で、飛んできたときは? 何もできてませんよ。困りますよね。本気で守る気、あるんですか? この国に生きる生命、財産、幸福追求権守るんだったら、いちばん脆弱な施設、しかも核施設を、どのように防御するかを考えなくてはいけないのに、その(人びとを)逃がす方法も、1000分の1、100分の1? その程度の放出量でしかないなんて、これ、なんなんですか? 意味がわからない」

詳しくは下記をご参照ください。
http://lite-ra.com/2015/07/post-1336.html

2015年7月29日水曜日

八百長暴露の感ありだ

安保法制の審議が参議院に移って委員会質疑が始まった。政府は国民に分かり易く説明をすると言いながら、衆議院の質疑をどう聞いても政府が分かり易くとは真逆で、態と解りにくいように言っているとしか思えない。総理に子供がいないのは分かっているが、他の大臣にもしお子さんがいるなら、そのお子さんに国会同様の言葉で説明できるかどうか試してもらいたいものだ。昨夜のテレビ朝日「報道ステーション」でも解説者の立野氏が言っていた。

「政府は我が国を取り巻く国際環境の変化がこの法案を提出させた、と力説している。その環境変化は何かと言えば、安全保障環境なんかではなく、国会における自民党の議席数だ。両院における圧倒的優位の議席を確保したこの時期が、総理周辺が以前から抱いていた戦前の大国に回帰する絶好の機会と捉えただけのこと。この法案は廃案にするしかないでしょう。」と驚くべき発言だったが、廃案にする手だてについては何も語らなかった。

衆議院での質疑を聞きながら今まで度々書いてきたように、廃案にすることが出来れば望ましいだろうが、議会の構成を思うととても難しいだろうと、虚しく感じていたものだ。しかし、昨日参議院委員会初日の質疑を聞いてみると、ひょっとすると廃案の可能性も起こりうるのでは、と微かな希望が芽生えてきた。むしろ、この法案を強行に成立させることの危険性について大分理解が進んだことの意味の方が大きいかもしれない。

答弁側の総理と2大臣の答弁は相変わらず何を言っているか意味が理解できないものが多い。しかし昨日民主党の福山哲郎氏と大塚耕平氏の質問を聞いて、政府提案のどこに無理があるかが大分理解できるようになった。特に大塚氏の質問は、あの分かり難い政府側の答弁を凡俗にも分かり易く通訳してくれたことが大変有難かった。大塚氏の解説で、どうしてこの法案が国家の行く末を大きく変えることになるか、はっきり理解できた。

どう見てもこの法案は戦争法案で、戦争しない国であった我が国が戦争する為の法案であること。しかしこの法案だけ成立させても、現行の自衛隊法など他法案との不整合が生じ、実際に戦争なんかできないだろうとの指摘もあった。素人考えでも、自衛隊が自衛隊のまま、たった1件の新規と10件の改定法案が国会を通過しただけで、戦争に駆り出されたのではたまったものではないだろうし、本当に海外で戦争に巻き込まれたら一たまりも無い悲劇となるだろうことは容易に想像できる。

福山氏の質問にも目から鱗の部分がある。今までもやもやしていたのだが、内閣法制局なる行政組織についてである。政府は違憲の最終判断は司法に委ねられるべきと主張しるが、この発言自体がとんでもない欺瞞である。日本の司法に憲法裁判所が無いことは知っていたが、これに代わるものが内閣法制局だと言うのだ。ここが今回の法案について合憲との判断を示している訳だが、これがとんでもない八百長だと言うのだ。

即ち、法制局長官が衆議院審議で「日本を取り巻く世界環境の変化が、従来の集団的自衛権概念と全く異なる規範(如何にも難しい言葉だね)が必要になった。今まで集団的自衛権についてこうした限定的な状況を想定して検討したことはない。」度々答弁している。福山氏はこれが全くの虚偽で、これまでも自民党は集団的自衛権の限定的行使について何回も国会で質問している。その度に法制局が、限定的であろうと憲法違反と明確に答えているのだ。

この矛盾を横畠現長官が認めれば、衆議院の審議が全て無効となるらしい。流石昨日の段階では委員長が預かっての理事会での協議となった。政権側がどのような防衛策を講ずるか知れないが、素人目にはかなりのインパクトである。僅か1日でこれだけ新たな論理破綻が出ているのだから、廃案の望みをもたせてくれたと言うものだ。

2015年7月28日火曜日

内閣の責任体制?

愈々昨日から前立腺がんの放射線治療が始まった。治療室に呼びこまれて、機械に上がってからの放射線の照射そのものは、数分ビームの調整をしてから機械が腰の周囲をゆっくり1回転するだけである。従って呼びこまれて治療を終わり、身支度をして治療室を後にするまで精々15分程度かも知れない。また1回の治療だけでは副作用が現われることはないようだ。今のところ体調に特段の変化は見られない。さしあたっての問題は、治療台に上がるまでにある。

治療の予約は14時となっているが、この時刻が微妙である。13:15までに来院して準備をする必要がある。先ず直腸を綺麗にしてガスをすっかり排除、後に膀胱を膨らますために水を400ml飲んで45分待たなければならない。変にガスが溜まるといけないと言われているので、昼飯は抜きで通うことにした。病院まで30分近くかかるので12:30に出発して13時少し前に到着。
涼しい待合室でも汗がなかなかひかない。

それはいいとして、昨日は急患が昼に入ったからとのことで治療スタートが30分遅れになった。結局、会計を終って病院を後に出来たのは14:50、流石に少し腹も減ったようだ。近くのファミレスで遅い昼飯を摂ったが、こんな時間でも超満員だったことには驚いた。結局帰宅は16時過ぎになってしまった。今日からは12:30発で昼飯を済まして帰宅するのが15:30くらいがルーティンとなるだろう。

話が変るが、昨日礒崎陽輔首相補佐官が安全保障関連法案を巡り、「法的安定性は関係ない」と発言をしたそうだ。昨夜は半分眠り始めていたのでぼんやりしていたが、今朝の新聞では大分大きく扱われている。折恰も今日から参議院で安保法制の本格論戦が始まろうとしている。法律の安定性が重要な争点になっていることを考えると、手早く補佐官を外した方が傷が浅いかと思うのだが、総理や官房長官にはその考えはないようだ。

先日問題になった作家の百田氏を講師とした勉強会参加者や開催責任者も、すっかり忘れてしまったようだ。日曜日の大相撲名古屋場所千秋楽に、総理大臣杯授与に登場したのが例の会議の実質責任者加藤内閣官房副長官だったのを見て思わず一人笑いをしてしまった。加藤氏は内閣人事局長でもある。安倍総理自身が、未来についての責任を強調して持てる権力を行使しようとするが、過去の責任については「学者に任せればいい」といった具合で、責任を取る姿勢が全く見られない。

嘗ての帝国陸軍でもあるまいに、国民尾多くが望まない方向にひたすら前進あるのみで、都合の悪い事態に遭遇しても何とかその場をやり過ごすことだけを考えているようである。どう考えてもまともな市民(シビリアン)或いは政治家(ステイツマン)とは程遠い姿勢であろう。代わりに、国立競技場建設に関して文科相の役人の首はあっさり切ったようだ。大臣など身内の政治家については責任を問わないが、身内でない役人は使い捨てである。

下村大臣ばかりでなく小渕元経産大臣にしても同じことだろうが、数合わせの上から身内が大切は分かるが、こんな無責任な内閣に勝手に憲法解釈を変えられたのではたまったものではない。何とか勘弁してほしい。

2015年7月27日月曜日

インターネット技術力

先週マスコミ報道で「教えて!ヒゲの隊長」パロディー版が大きな話題になったので、今日はこれを実際に見てみた。皆さんにも一見をお薦めしたい。
参照:https://www.youtube.com/watch?t=388&v=L9WjGyo9AU8
成程実に良くできている。ひげの隊長の喋りは本人かと思ってしまうほどだ。論点の整理と言い、この喋りと言い、一人の人間で作ったとしたら大変な才能ではないだろうか。果たして制作者(達)はどんな人なんだろうか?

インターネットとかIT技術の進歩は恐ろしいものだ。この週末に観たテレビにはこんな事もあった。アメリカの話だったが、インターネット接続可能の自動車(Jeepのチェロキーとかだった気がする)があって、この機能をハイジャックすると、外からこの車を自由に操ることが可能にになるとのことだった。なんで車にインターネット機能を搭載する必要があるのか不思議な気もするが、毎日インターネットに接続している自分を思えば、一時もここから離れられない人間が居ても不思議は無い。

若い頃サイエンス・フィクションと呼んでいた世界は、今や殆ど現実化してしまっているような気になる時がある。ある意味での味気なさや、夢や希望が少なくなるのではと心配するのは年寄りのとり越し苦労だろう。年寄りの想像以上に科学技術が発達してきたのだから、その技術をもっと有効活用して、インターネット技術による兵器の無力化が可能になればと思うのだが、どうもその方向には技術が向かっていないようだ。

遠隔操作の延長線上に現われているのは、無人兵器による相も変らぬ野蛮な殺し合いなんだから嫌になってしまう。早いところ天才的科学者が出現して、遠隔操作で全世界の軍事力を無力化してしまうこと実現してもらいたいものだ。そうならないくらいなら、不便な生活の方が有難いということになり兼ねない。

2015年7月26日日曜日

読後感「戦争をしない国 明仁天皇メッセージ」
矢部 宏治 , 須田 慎太郎 (著)

美しく写真と装丁、読みやすい平明な文章、大人の絵本のようでもある。難しい本を読む力を失った年寄りが、暑い夏の日に読むには最適と言える。アマゾンの書評などざっと見ると、皇室を商売に利用しているとか、天皇の地位が如何なるものか分かっていないとか悪口を書き込む人もいるが、前から出版人としての矢部氏には敬意を覚えていた。

安倍内閣の出現で憲法違反と解されかねない政治現象が出現している現在、本書の示唆するところは大きいと思う。天皇皇后両陛下が折に触れて発するメッセージには感動することが多いが、改めて両陛下の宸襟を思うと成程著者がまえがきに言う通りだと思う。

曰く「もっとも高いとされる地位にありながら、もっとも人権が守られない世界に住み、被災地へのお見舞いや、国事行為などの公務を日々繰り返される明仁天皇と路子皇后。<矛盾に満ちた世界にあって、それでもなお、自分の立場で最善をつくすこと>それこそが人生において何より大切だということを、おふたりはいつもその行動で私たちに教えてくれていうような気がします。」

とりわけ、いつも過去の戦争を忘れず、被害を被った人々への思いをすること、そしてご自身を天皇の地位にあらしめている憲法を順守することへの思いの強さが伝わってくる。政治的発言は許されないにしても、戦争をしない国=日本をこれほど強く思っている天皇陛下。人間として家族を思う気持ちから旧来の伝統を強い意志で打ち破った皇后陛下。

与党政治家には爪の垢でも煎じて飲ませたい。


2015年7月25日土曜日

「戦後70年ニッポンの肖像」感想 (続)

昨日の続きで19日放送分第2部についてを書く。第1部は佐藤政権で終わっているが、今回はその後を襲った田中角栄から始まり、小泉純一郎で印象的には事実上終わっている。その間に一瞬非自民政権誕生があるがつけたしみたいな扱いになっているが、この一瞬の間に選挙制度が変わり小選挙区制度が導入されたことの意味は大きいだろう。

田中政権自体は二年数か月で終わっているが、田中引退後の1975年から2001年小泉政権誕生まで、四半世紀に亘り政権中枢を担い続けた自民党政治の本質は基本的にあまり変化しなかったようだ。この間何人かの総理が誕生しているが、番組を観る限り田中角栄の政治哲学は非常に明快である。即ち「日本も大分経済復興をしてきているが、未だ陽のあたらない場所が多い。全国民が豊かになることが政治の要諦」として、従来政策と比較にならない大胆な目標を掲げて列島改造に乗り出す。

その目標を新幹線や高速道路の建設を一気に10倍近くに引き上げているのだから、現代の感覚を持って言い換えれば、恰も中国の政策のようである。勿論本を出したり口先だけのことではない。財政的手当ての方法を含め、さまざまなリーダーシップは当時の官僚OBが今でも認めざるを得ないようだ。結局彼の描いた路線で自民党政治は森政権まで引き継がれたのではないだろうか。

中国との国交回復や70歳以上の医療費無償化も含め田中政治についてはかなりの時間を割いているが、より印象的だったのは彼の政治手法、特に金との問題がある。ゲスト出演の田原総一郎と御厨貴が口を揃えて言っていたのが、彼は確かに莫大な金を集めて、常に回転させストックすることに意を用いなかったである。田中は周りに寄ってくる人間を余り差別区別せずに、他派閥の人間にも気前よく金をばら撒いていたらしい。

この田中的現象を根底から覆したのが小泉純一郎と言うことになるらしい。それまでは、田中ほどでなくてもある程度金が無ければ総理になんかとてもなれないとされていた筈である。小泉は田中とは違った頭の良さがあったとも言える。盟友であった山拓が「金なんか1文も無いのだから」と語っていた。代わりに選挙方法が変わったことを利用して、政治問題を先ず白か黒かに単純化して、敵と味方はっきり分ける手法を導入して選挙戦を勝ち抜く。

例の小泉劇場である。このことによって小泉は仇敵田中派の連中を粉砕することに成功。そして政策的には郵政民営化や道路公団民営化をしたり、医療費3割負担を実現していく。同じ自民党ではあるが田中とは真逆の政策を推進した結果が果たしてどうだったのか?番組でも明確には言わないが、羊羹型日本社会が格差社会になったことだけは確かだろう。その揺り戻しでやはり一瞬民主党政権が実現するが、挫折して元の木阿弥となって現在に至っている訳だ。

故に前半では吉田vs岸、後半では田中vs小泉4人の肖像が際立って印象に残った。

2015年7月24日金曜日

「戦後70年ニッポンの肖像」感想

昨夜、この18日19日に連続放映されたNHKスペシャル「戦後70年ニッポンの肖像ー政治の模索ー」をゆっくり観た。終戦時の総理大臣は第42代で現在の安倍総理は第96代だそうだ。この中からこのスペシャルで取り上げたのは、第1部では吉田茂と岸信介そして佐藤栄作まで(中に鳩山一郎・池田勇人・石橋湛山も少し紹介されてはいたが、殆ど刺身のつま扱い)第2部に至ると圧倒的に田名角栄と小泉純一郎が主役になる。

戦後70年の歴史と言えば、すべてが誕生以来現在までの人生中で生じたことになるので不思議な感慨を覚えてしまう。もちろん、政治に関心を持ち出したのは最近のことだし只でも記憶力に乏しいので、番組を非常に興味深く観ることが出来た。先ず思ったのは吉田茂と岸信介との憲法をめぐる対決姿勢。岸信介と言う人は戦犯として3年も拘留されて絞首刑を免れたばかりなのに、政治家になるや否や改憲を唱えて、1953年には鳩山一郎と共に日本民主党を結成し幹事長に就任、更に2年後の1955年には保守合同を成し遂げて初代幹事長となる。

そしてその自民党綱領に自主憲法制定を掲げる(念のため自民党ホームページで立党に際しての綱領を確認すると、自主憲法とか改憲の文字は確認できない)が、2年後総理に就任すると、あっさりかどうか知らぬが改憲論を引込めて、実質的に占領と同じじゃないかと嫌っていたアメリカに向き合って、日米安保条約改定を推し進める。この辺は既にかすかな記憶があるが、国民に不人気であったことは事実だ。しかし岸の思いとしては、余りに偏りの酷い条約を、現実の問題として少しでも平等なものへとの思いがあってのことで、自身は満足だったらしい。

結局日米安保の改定を成し遂げて彼は辞職に至るが、改憲論を捨てた訳ではなく、後輩にしっかり督励はしている。しかし跡を継いだ池田勇人や弟の佐藤栄作に依っても改憲論は陽の目を見なかったし、少し後段になるがあの中曽根康弘でさえ「今はまだその時期でない」として政治課題として取り組まなかった。しかし岸が後の政界に隠然たる影響力を持ち続けた事実で、御殿場に隠棲していた時代に東富士のゴルフ場で一度会ったことがあるが、誰かは忘れたが当時の偉い人がぺこぺこしていたような微かな記憶がある。

岸は若い時から身体は弱かったようだが、頭脳は頭抜けて良いうえに気が相当強く、官僚時代も政治家になってからも喧嘩を良くしたらしい。ほんの子供の頃なので何も知らなかったし、開戦詔書に署名しながらよく命が助かったものと不思議に思っていた。しかし、満州に飛ばされたのも、昭和18年に戦争終結を言いだして東条英機との喧嘩が原因らしい。連合軍側もその辺は十分押さえた上での釈放だったのかもだ。

一緒に生きた時間は長いが、岸は1800年代生まれの人だから歴史上だけの人物と同じで、好きとか嫌い以前の人である。ただ明治生まれの人に共通することの一つに「嘘をつかない、お天道様は見ている。」がある。最近孫の安倍総理が祖父を真似て「自ら顧みてなおくんば、千万人ともいえども我行かん」をよく口にするが、人間の出来としては月とすっぽんほどの違いがありそうだ。

第2部では田名角栄と小泉純一郎の話がとても興味深かったが、長くなったので今日はここまでにして明日か明後日改めて書きたい。

2015年7月23日木曜日

日本の恥だ

安倍内閣は何かと立ち上げることが好きである。有識者懇談会の類は数知れずだろうし、関係閣僚会議も幾つあるか知れたものでない。一昨日も新国立競技場建設を一からやり直すためと称して官邸内に省庁横断的に関係閣僚を集めて会議を開催、遠藤五輪相をヘッドとして建設計画の取りまとめ作業を加速させるとしている。

同じ日に来年10月に開かれる「スポーツ・文化・ワールド・フォーラム」の官民協働実行委員会の初会合として、オリンピック組織委員会が開催されており、委員会には東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の森喜朗元首相はじめ安倍首相・御手洗冨士夫・ラグビーワールドカップ2019組織委員会会長や財界人ら約80人が参加していたそうだ。

ところが議長としてこの会議に出席していた下村文科相と総理は冒頭の挨拶だけで、官邸の新国立競技場関係閣僚会議出席のため早々に退席。森氏は「呼びかけた下村大臣がただちに退出するというのは極めて非礼」と不快感を示す場面があった。更に翌日の昨日は日本記者クラブで、森氏が新国立競技場の問題で記者会見を開き、改めて政府の白紙撤回や世論の反発に不快感を示している。

誰の責任かまだ特定されていないが、予算が莫大に膨れ上がった国立競技場問題について総理がちゃぶ台返しを断行したのは世論に押されてのことだから、世論的には反対の声は少ない。しかし思い起こすと2020年東京リンピック開催が決まったのは2013年の9月。総理自身が万端の準備が整い、全てがアンダーコントロールです。と世界に発信してから既に丸2年近い。

しかしこの期に及んでこの体たらくで、又同じ総理が今度は国民に向かって、胸を張って「見るに見かねて自分が乗り出した」みたい風情である。今日世界に恥を晒しているとの感覚は全く無いらしい。森氏にすれば恨み節の一つも言いたくなるのだろう。省庁横断しようが何しようが、、いや省庁横断すればこそかもしれぬが、当事者能力がありそうな顔は一人も見えない。いっそ、土建専門の国交省にでも丸投げすれば話は大分変るかもしれぬが、今回は関係閣僚会議に呼ばれなかった東京都知事まで嬉しそうにしゃしゃり出てきた。

こんな会議のどこに意味があるのだろう?都知事がいみじくも言ったらしいが旧帝国陸海軍の参謀会議と同じではないか。会議と言う名の船に乗っている間は全員尤もらしい顔をしているが、誰も責任は取らない仕組みがスタートから用意されている。これが日本の特質とは情けなさすぎだ。遠藤五輪相をヘッドなんて格好をつけても部局を持たない大臣なんて屁のツッパリにもならない。結局は文科省が中心にならざるを得ないのだろう。

森氏は「(オリンピックの総額が)最終的に2兆円を超すことになるかもしれない」と述べ、当初の7000億円という予測が3倍に増える可能性があると指摘したらしいが、こちらの見通しは意外と的を射ている可能性がありそうで困ったことだ。

2015年7月22日水曜日

責任の取り方

酷い暑さになった。とても1万歩なんか歩けるものではない。足腰の筋肉や骨の劣化を防ぐつもりで細やかな抵抗をしてきたが、一昨日のハイキングで殆ど役に立っていないことが証明されたようなものだ。熱中症で道で転んだりしたら目も当てられないので、久し振りに涼しい部屋でネット碁を楽しんだ。明日は又病院、来週月曜日からは毎日通うことになっている。当初歩いて通うつもりでいたが、バスの便が至極いいので誘惑に負けそうな感じである。

東芝の不正経理について報道が喧しい。民間放送で嘗ては大スポンサーなので、新聞も含め多少扱いが小さいと思っていたが、第3者委員会の報告が出ると流石に見逃す訳にいかないのだろう。婆さんの親爺は昔東芝の社員であったので「赤字を粉食したなら兎も角・・・・」なんて少し悔しそうだ。兎も角不正についての責任者が自ら名乗り出て辞任することになった。

当たり前と言えば当たり前かもしれぬが、国立競技場の騒ぎと比較すると、責任者が明確になるだけまだましと言うことだろう。

2015年7月21日火曜日

奥多摩百尋ノ滝

昨日は久し振りに奥多摩にハイキングに出かけたので、ブログは書かずじまいだった。記録を振り返ると、昨年9月14日信州の雨飾山に出掛け、山頂目前に引き返して以来10か月以上のブランクがある。今回目指したのは川苔山12年の8月26日に行った記録が残っている。そんなに危険な山ではないが、帰りに水が切れて苦労した記憶が鮮明なので、水だけはしっかり持って、この時より新宿を一電車早く出発することにした。

要するに、ブランクによる体力低下は明らかなので用心したのである。珍しく5時前に起床、婆さんにも協力願って準備万端整えたうえで新宿発6:46のホリデー快速1号に悠々と間に合った。JR奥多摩からはバスに20分ほど乗るのだが、途中ドライバーが「川苔山方面登山のお客様へ」と何か呼びかけたのだが、混雑でうまく聞き取れない。多分梅雨明けで道の悪いところを気を付けてください、程度のことだろうと高を括って登山口で降りる。一緒に降りた客が4、5人いて、そのうちの一組が話しているのが気になった。どうもどこかの橋が落ちて通行不能なので、う回路とか言っている。

確かに川苔山へのこちらからのルートは、前半川乗谷沿いの道である。少し不安を覚えたが、う回路があれば問題ないだろうと思いそのまま進む。川乗谷から山登りに分岐する場所に百尋ノ滝があり、滝壺に降りられる場所がある。百尋ノ滝まではコースタイムで1時間半と表示されているくらいだからそんなに危険はない筈だ。と思ったが、最初谷の西側を歩き途中何回か左岸から右岸そしてまた左岸そして右岸と何回か渡河しなくてはならに事を思い出した。最初の渡河地点に到達すると案の定、この先の橋が落ちているので迂回するよう指示が出ている。

しかもその指示の下には、百尋ノ滝から先にはスズメ蜂の巣があり通行できません、と書き添えられている。ここ10年近く大分山歩きをしたが、スズメ蜂通行禁止は初めてである。しかしここまで来るだけでも結構草臥れたし、滝から上はかなりの急登だった記憶があるので却ってホッとする。今日は久し振りにゆっくりハイキングを楽しめるから却って有難いくらいのことである。登山道の大部分が舗装された林道は少し興も削がれるが、大雨の影響で落石があちこちに散乱している。

最終的に滝に降るためにの道に誘導する看板は7月18日付けだからかなり新しい。それだけに、道が極めつけの悪路で正直恐怖感を覚えた。ヤマレコの写真をご参照頂きたいが、今まで登山路で恐怖感を感じたことなど殆ど無かったのに、浮石も未処理なので踏み外したら一貫の終りである。幸い前後に人影もないので、恐ろしいくらい時間を掛けて慎重に歩いた。

スズメ蜂のお陰で無理をしないハイキングが出来たのは良かったが、体力の衰えだけはひしひし身につまされた。昨年秋の雨飾山も同じだが、目標を持って家を出ても目標に達することなく撤退するのが当たり前になりそうだ。今回も大した距離でもない歩行だったが、久し振りの筋肉痛の今朝である。

詳しくは下記ヤマレコをご参照願います。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-681181.html

2015年7月19日日曜日

梅雨明け期待

未だ台風の余波で湿気がかなり残っているようだが、関東地方もどうやら梅雨明けらしい。海の日の前に梅雨明けとは少し早い気もするが、気象庁の発表であれば当たる可能性の方が高いだろう。今年の夏は何れにして前立腺癌の治療に専念するので、楽しいことを期待するのは土台無理である。今日もプールで馴染みの人から聞かれてしまった。「会員資格の更新は何時ですか?本当にやめてしまうのですか?」

実は今月一杯で資格が切れるので、ここ数日中には継続するかしないか決心しなくてはならない。問いかけてきた人が教えてくれたのだが、土日限定の会員資格が昔はあったそうだ。帰りに早速フロントで聞くと、今で似たような制度はあるらしいが、結局1回の利用料が2千円程になるらしい。ならば、現在の月約1万円強(年間で14万円ほどになる)の資格を継続した方が安そうなので、契約更改せざるを得ないかと考え始めている。

運動はしないと健康に悪いとも言われるが、やり過ぎも良くないらしい。婆さんに言わせると「今まで定期的にやっていたことを急にやめるのが一番よくない。私のように最初から何もしないのが一番よ。」この一言の影響も大きい。同じ運動を続けていると、体調の自己管理には何かと役に立つ。体力の衰えを実感出来るのもメリットの一つだ。衰えを実感して運動量を減らしているのか、運動量を減らしているので体力が落ちているのか、どちらか分からないが落ちていることだけは間違いない。

昨夜のテレビで、これから夏山シーズン、高齢者の遭難事故が多いので注意願いますと言っていた。事故を起こす人はベテラン登山者に多いのだそうだ。一昨年まで約10年山を歩いたので、自分もベテランの仲間に入るだろう。経験的にもそのことはよく理解できる。丁度いい時期に癌宣告を受けて、難しそうな山を敬遠しだしたのは不幸中の幸いかもしれぬ。同じ番組の中で、長野県だったと思うが、高齢者の体力テストハイキングをやっていた。

その結果内容だが、どうすれば公共の放送でそんな結果を発表したのか知れぬが、何十人かの参加者の中で一番足の遅かった人が確か71歳かの女性。それでも1時間以内に標高差400m以上を登ったとのこと。俄かには信じがたい。2、3年前元気よく山を歩いていた時でも、1時間で登る高さはおおよそ300mとしたものだ。別に早くはないが、図抜けて遅かったつもりもない。テレビを観ながらそんな会話をしているうちに、あまりに長くハイキングからも遠ざかっていることに気が付いた。

梅雨が明けるとのことでもあるし、9月の末までは病院通いで身動きが出来ないので、明日にでも奥多摩方面で少し歩いてみたくなり、婆さんに明日の早起きを頼んでしまった。

2015年7月17日金曜日

党内での熟議が必要だろう

安倍自民党の傍若無人ぶりは止まるところを知らない。下駄の雪の公明党も平和の党とされていたそうだが、簡単に趣旨を変更している。権力の甘い香りには勝てないらしい。幅広い層から支持を集めていた嘗ての自民党とは様変わりで、現在の自民党は安倍派一色のようだ。そうなると、庶民は次回の選挙で政党を選びやすくなるだろう。しかし老い先短い身にはそんなに先を待ちきれない。

何とかして早めに安倍派の退場を願いたいと気は焦るばかりだ。現政権は安保法案のみならず、アベノミクスの経済政策や、拉致被害者救出や領土問題に象徴される近隣諸国との外交問題、沖縄の基地移転問題、TPP加盟に関する問題、議員定数是正問題など、ちょっと上げてみるだけでも中途半端な問題が目白押しである。8月15日に発表とされていた「安倍総理談話」が「安倍総理の談話」に変更されるように、すべてが誤魔化しで乗り切れるものなのだろうか?

TPP問題や原発再稼働問題は開き直ってしまえばそれまでかもしれぬが、沖縄の問題のように地域住民の反対が明らかなうえに、手続き上に法的瑕疵が指摘される問題に関しては、開き直りで済まないだろう。同様に安保法制問題も、法案成立後であっても、違憲訴訟が行われる可能性もあるみたいだ。司法手続きには時間が掛かると高を括っているかもしれぬが、今日の報道で一つ救いがあった。

昨日の衆議院本会議での議決に際し、自民党からの退席者が2名とあった。1人は村上誠一郎氏で、彼は既によく知られた存在だが、もう一人は前回の選挙で東京ブロックの比例候補で最後に滑り込んだ若狭勝氏とのこと。これで若狭氏は次回選挙で、自民党の比例に乗せられないことが明確になったろう。氏は元々検事出身の弁護士で、テレビにもよく出ていた。何を考えて代議士を志したか分からないが、僅か半年で政治の世界の下らなさに気が付いたのかもしれぬ。

安倍私党と化した政府与党(公明党もいれると弁護士資格のある者が30人以上いる様子)に、やっと二人目の造反者、それも司法出身者から出たことに意味を見い出したい。日本の民主主義の危険は、そもそも司法制度が米国に依って無視されていることに根源があるような気がしてならない。麻薬法違反で逮捕されたトヨタのアメリカ人役員の不起訴に、ケネディー駐日大使が口先介入したことなども典型的なことだ。

序でに今日は、小泉進次郎氏も「国民の理解が得られていない原因を作った一端は自民党自身にある。」と述べたように報道されているが、やはり村上誠一郎氏のように、肝心な場所では行動で示さないと、口先男の批判を受けてしまうだろう。ここで締めて、本アップしようと思ってニュースを検索したら、国立競技場の白紙見直しがニュースになっている。誰に相談したかもはっきりしないが、党内に人無しを絵に描いたような話ではないか。

2015年7月16日木曜日

自明の理である

時ならぬ台風の襲来で、昨夜から嫌な天気だ。今週の通院は昨日で終わる筈だったのが、病院側の説明によれば月曜日のシステム障害とやらで今日まで延びてしまった。これでテストが終り、27日の本番開始まで少し休めるかと思っていたのだが、さに非ず。来週の木曜日に最終チェックしたいので来てくださいとのこと。下腹部に油性マーカーで線が描かれ、コーティングしてありますので1週間消えないように注意願います。ときたものだ。

更に今日は27日から掛かる費用と、スケジュールについての説明もあった。毎日13:15来院、400mlの水を飲用して45分待機、14時から照射と決まる。昼飯の時間が中途半端になりそうだが、癌と言えば昔は大病だ。この程度の通院で完治するなら文句は言わないでおこう。病院のテレビで衆議院本会議が映っていた。総理の心中は如何にだが、若いつもりでいても人生は短い。余りあれこれ無理をなさらぬことをお薦めしたい。

同じ思いの国民も少なくないと思うが、もちろん総理の心には全く響かない。
今や我が世の春を謳歌する心地だろうが、老婆心までに申し上げれば「好事魔多し」の喩えもある。少なくても我が人生はそうだった。今でも囲碁していて思うのはそのことばかりだ。

昨夜もテレビを観ていて思ったのだが、放送局によってニュースの取り上げ方が全く違う。特に一番酷いのがNHKのニュース。先輩の一人が振り込みを停止して、集金に来た人に「籾井会長を連れてきて、ここで手をついて謝ったら考え直してやる。」と啖呵を切ったら、集金人曰く「私も同感です。」と引き下がったそうだが、我が家もそろそろ真似をしたくなってきた。夜、テレビ朝日の「報道ステーション」を観て改めて思った。

今回の法制に対する国民の声の盛り上がりは凄い。北は北海道から南の沖縄まで、市民のデモが全国に広がっているようだ。しかしNHK19時のニュースでは、委員会強行採決をほんの5分程度に省略して流しただけだ。昨日市民の一人が言っていた「本当の戦いはこれからです。」爺婆だけでなく若者が沢山デモに参加しているようでもある。この法案の仕上がりが例えどのようになろうと、これから世の中をリードするのは我々です。との声を聞いて大変心強い限りだ。現在の自民党が勝てるわけはないだろう。

2015年7月15日水曜日

実に恐ろしき虚仮の一念

暑さで気が狂った訳でもあるまいに、今日の安保法案委員会採決は歴史的暴挙と譬えてもいいだろう。議会のルールにのっとっているのだから文句は言えないだろうが、次回国民が権利を行使する時まで忘れないようにすべきだ。午前中の審議を観ようと思ったのだが、何故かインターネットが繋がらない。アクセスが集中してサーバーがダウンしたなら結構なことだ。

仕方がないので午前中は区役所まで往復してたっぷり汗を流した。高額療養費還付請求の為である。癌治療の割に、今のところ大した金額にもなっていないが、それでも3月分の還付金が854円あるそうだ。3月中に支払った医療費(薬代を含む)の領収書を全部揃えて窓口に提出しなければならない。何でもシステム化されている世の中のように思うが、区役所では「レセプトで金額を確認しているだけなので、実際の支払金額は領収書を確認させて頂く必要があるのです。」とのこと。

こちらの顔に吹き出る汗を見て「暑い中ご苦労様です。年末までまとめてご請求いただいても構いませんので。」と親切に教えてくれた。どうせ暇人で運動がてら歩いているのでどうでもいいが、確かに今日も暑かった。

帰ってネットを確認すると、午後かと思っていた委員会採決は12時半頃やってしまったようである。虚仮の信念とは恐ろしいものだ。次のニュースが目に止まった。安倍総理は「信念と確信があれば政策を前に進めていく必要があるだろう」と述べ、採決の撤回には応じない姿勢を示したそうだ。

同じニュースの中にもう1件聞き捨てならない発言が掲載されている。『安倍首相周辺からは「どうせ理解はされない。支持率も下がるだろうが、国民は時間がたてば忘れるだろう」との声も聞かれた。』国民を愚弄するも甚だしい。

2、3日前からネットでは少し情報が出ていたので気にはなっていたが、中東で邦人ジャーナリストが行方不明になっているようだ。新聞テレでは未だまったく取り上げていないが、官邸では既に事実を確認しているようでもある。
「ジャーナリスト安田純平氏がシリアで拘束されるも、安倍官邸が安保法制への影響を考え情報を隠蔽!?」との見出しで次のように書かれている。

「もちろん安保法制の国会論議への影響を考えてのことです。今の段階で下手に情報が出れば、強行採決がふっとびかねない。だから、隠せるだけ隠そうということでしょう。今後も、政府は後藤さんのときと同じで人質交渉をする気なんてないでしょうね。そのまま放置して、もし発覚したら、逆に『だからこそ安保法制が必要だ』という論議にすりかえる構えでしょう」

http://lite-ra.com/2015/07/post-1278.html から抜粋

2015年7月14日火曜日

これで大詰め?

衆議院の安保法制特別委員会審議がまともな審議が無いまま、との感じが強いのだが、与党側は今週中には採決との意思を固めた模様だ。昨日はその前段階として中央広聴会が設定された。生憎昨日は病院通いで終日時間を取られ、リアルタイムでの傍聴は諦めたが、今朝になって一通り広聴人の質疑を聞いてみた。与党側推薦の広聴人は元外務官僚の岡本行夫氏と同志社大学々長の国際政治学者の村田晃嗣氏。

野党側推薦は東京慈恵会医科大学教授で憲法学者の小澤隆一氏と同じく憲法学者で首都大学東京法学系准教授の木村草太氏。こちらは最近テレビですっかりお馴染みになってしまったが、逆にテレビから遠ざけられている感じの政治学者で法政大学法学部教授の山口二郎氏。面白いと思うのは、野党側が憲法学者を二人も推薦しているのに、与党は何故憲法学者を立てないのかである。今回の法制の違憲論に関して余程忸怩たる思いの証拠みたいだ。

案の定与党側の公述人二人は、ひたすら国際的安全保障環境の変化による法制の必要性を情緒的に強調するばかり。対する憲法学者の二人は当然と言えば当然であるが、集団的自衛権の憲法解釈の変更も今回の法案も、共に論理的に憲法違反であることを述べている。論戦ではないから意見が噛み合わなくてもいいが、論議の府である以上は与党側はもう少し論理的な論客を選ぶべきであったと思うが、公述人を選ぶことすら不可能なぐらい無茶な法案提出であることが印象に残った。

公述人に対する議員からの質問もあった。野党議員から与党推薦公述人に対し、近年の「国際的安全保障環境の変化」に関する質問である。『存立危機事態対処として政府が唯一的に例示している「ホルムズ海峡にばら撒かれた機雷除去」蓋然性があると思いますか?』案の定と言うべきか、お二人とも知見を持ち合わせないとして回答を避けている。野党が国会でしょっちゅう言うように蓋然性が無いのだろう。憲法学者たちは環境変化については特に否定はしない。本当に存立危機事態が迫っていて、最早1国で国を守りきれない、他国との共同作戦がどうしても必要ならば、さっさと憲法改正をして対処すべき、との主張。

正規の手続きを踏んでの憲法改正についてなら、誰も異を唱えない筈で、憲法の文面による定義を重視すべきことのみ力説強調しているだけのことだ。至極当たり前に聞こえる。自民党副総裁高村氏が「憲法学者は字面に拘るばかりで、実生活の役に立たない」のように発言したらしい。憲法学者の一人がいみじくも言っていた。「我々が文面の定義に拘るのは当たり前で、数学者が1+1=2の定義を無視して理論が構築できぬと同じである。」学者の意見さえもないがしろにする自民党代議士の劣化と驕りの行きつく先を思うと、反知性主義がきわまりつつある怖さを禁じ得ない。

2015年7月13日月曜日

システム障害

日本のいろんな場所でシステム障害が発生しているような気がするが、今日は病院でそれにぶつかってしまった。

放射線治療の設計第1日だったのだが、最新式機械のどこかにシステム障害が発生したので、暫くお待ち願いますとのこと。1時の予約で帰ってきたのが5時近く。延々3時間近く待たされたので、帰宅してからも何もする気が起きない。

行き返りの暑さにも閉口したし、明日明後日も作業が続くので、何とか順調に行ってほしいものだ。

2015年7月12日日曜日

嫌な感じ

長雨が止んだと思ったらいきなりの猛暑、身体も面喰っているようだ。それでも東京は北海道に比べたらまだおとなしい方だ。東京の32℃に比べ帯広では35℃を超えている。人間がどんなに偉そうにしても季節の変化だけはどうすることもできない。今週後半は台風11号が本州直撃の可能性もあり、その後例年よりかなり早い梅雨明けなんてことも予想に入っているようだ。実際沖縄の梅雨明けは例年になく早く、農家の人たちも大分苦労されているみたいだ。

人知の及ばぬことがあるを知るのも大切だが、目下の人間社会は困った問題だらけではないか。気になるのは「いじめの問題」と「国立競技場建設問題」。どちらも毎日のように報道されるが、責任者らしき人間の顔や反省の弁が全く聞こえてこない。

前者は中学生を自殺に追い込んだ直接の犯人についての報道が全く無い。犯人か犯人たちか知らぬが、何れも同級生だろうから顔を晒す訳にはいかぬにせよ、名前はとっくに特定されている訳である。親への取材は勿論可能だろうし、親の責任は大きいと思う。亡くなった少年の父親が遂に刑事告訴に踏み切ったらしいが、その前に学校や警察が動いても良かったのではないか。校長もとろいが担任の教師(昨年と今年は別らしい)は一切取材に応じていない。

多分担任の教師二人も犯人側とは何度も話をしているのだろうが、全く効果が無かったことは明らかである。当然その自覚はある筈で、何故その時安倍晋三君ではないが、強面の先生に協力を求められなかったのだろう?それぞれの自宅に連絡するでもなく、職員同士の協力を求めるでもない。教員の劣化より以前に、学校のシステムがどう機能しているのか不思議でならない。これが岩手県の1中学校個別の問題であって欲しいが、似たような事件が発生する懸念は無いのだろうか?事件の究明よりそちらが気になってならぬ。

後者についても、方向転換の決断を出来得るだけ早くすべきだ。いろんな役者が登場するが、どいつもこいつもまるで他人事で、口を開けば、方向転換が出来ない言い訳ばかりである。やれ大臣だことの元総理だのと、これ以上ない大物が次々に登場する。遂にはトップの総理が国会で追及されてさえ「元々の責任が、ディザインを決めた民主党政権にあるのだから仕方ないでしょう。」で、当事者としての責任は毫も感じられない。

序でに言えば、如何なる根拠から可能になっているのか知らぬが、自衛隊を海外に派遣して外国軍隊と合同の戦争訓練はするのも嫌な感じだ。でも考えてみれば、憲法の解釈さえ変えることができるのだから不思議は無いか。国立競技場も「私が総理ですから、正しいのです。」と言ってテーブルをひっくり返せば、支持率は上がるだろうに。

2015年7月10日金曜日

同窓会幹事

朝から夕方まで丸一日陽射しがあったのは実に何日ぶりのことになるだろうか?前の晴天がいつであったかを思い出せない。今年の6~7月は電気代と蚊取り線香の消費量だけは大分節約できたかもしれぬが、何れにしても待ち焦がれた人に会えたようで、ホッとした気分だ。

爽やかな気分で、中学時代の友人宅に押しかけ昼食をご馳走になりながら思い出話をしてきた。中学時代の首都圏在住者同窓会永久幹事を引き受けていながら、今年は未だ設定できていない。後期高齢者の仲間入りしたり、前立腺癌宣告を受けたりしたので、すっかり気分が乗らなくっていた。

友人も同じ後期高齢者、終日四方山話をしているとどうしても最近亡くなった友人の話になる。そして、どうしてもあいつやこいつと古い友人が次々に頭をよぎる。年ふるごとに会う機会は少なくなるが、幼馴染は忘れ難きものだ。友人からもこちらの病気を気遣いながら、同窓会の設営をやんわり催促されてしまった。

思いは同じだろう、まして彼は近く長野に帰る予定とのこと。例年春に設営していた同窓会だが、癌治療が一段落したら設営しなければならぬだろう。

2015年7月9日木曜日

大人の分別

ここ数日お天道様の顔を拝むことが全くできない。東京の人間の行いが余程悪いのだろう。何でも7月に入って今日まで1週間以上になるが、日照時間の合計が25分程度とのことだ。街の散歩もうまい調子にはいかないので、図書館で本を読んだりする機会が多くなる。

昨日もまた図書館で、最近あまり名前を聞くことが少なくなった武者小路実篤氏の随筆を読んだ。敗戦の直後昭和20年10月号の「文藝春秋」に掲載されたものである。氏は「仲良きことは美しき哉」など数々の名言で博愛主義者としての評価が定着していると思う。しかし氏はこの随筆で、率直に「一時我を忘れて、この戦争は正義の戦いとも思い、一定のところで引き分けぐらいに持ち込めるのではとも勘違いしていた。」と述べている。

続いて「知っていることと知らない事を区別できず、他人の言う事を鵜呑みにしていた自分を大いに反省せねば。」といった内容を書いていた。改めてウィキペディアで氏のことを調べてみると、次のように書いてある。
「1936年、ヨーロッパ旅行中に体験した黄色人種としての屈辱によって、実篤は戦争支持者となってゆく。1941年の太平洋戦争開戦後、実篤はトルストイの思想に対する共感から発する個人主義や反戦思想をかなぐり捨て、日露戦争の時期とは態度を180度変えて戦争賛成の立場に転向し、戦争協力を行った。」

どんな戦争協力を行ったか知らぬが、戦争協力をしなかった人間は殆ど牢屋に入れられたのだろうから当然の話で、この反省の言は氏の人格を傷つけるものではないだろう。随筆を読んで共感したのは、自分の意見や行為は自分の知識や理解に基づくべきで、他人の言葉を聞いただけでそれを簡単に自分のものとしてはいけない、との自戒である。このことは大いに参考とすべきだ。冒頭に引用したものと同じくらい有名な氏の名言に「君は君 我は我也 されど仲よき」があるが、簡単なようで難しいことだと思う。

少し関係が無さそうでもあるし独断に過ぎぬが、図書館からの帰り道にふと「分別」なる言葉が思い浮かんだ。彼が言わんとするのは「分別」を持てと言うことに違いない。一般にはものごとの是非や道理を判断する事と定義されているようだが、自分が知らない事や分からない事を素直に認めることと理解したい。大人と子供の違いは、正にこの点にあるのではないかとも思う。

思えば己の知っていることなどほんの塵芥みたいもので、世の中知らないこと分からないことだらけだ。おまけに最近は知識を増やそうにも穴の開いたバケツに水を汲むが如く、見聞するそばから見事に消えて行ってくれる。ある意味では老人の特権で、悩みが増えないので有難いようなものかもしれぬ。

ところが、政権の座にある国家の若き指導者たちとなると、そうはいかない。現実と空想が入り混じり、その分別の無い発言が多すぎる。総理の発言を聞いていると、聞き分けのない幼児が駄々をこねているように聞こえることばかりだ。もういい大人なんだからよく考えてから言葉を発し、余り無茶なことを国民に押し付けることの無いよう願いたい。

2015年7月8日水曜日

読後感「終りと始まり」池澤夏樹著

日本の近代文学について全く疎いので、著者が現代文学界の大御所であることを全く知らなかった。読み終わってから改めて調べてみると実に多くの著作があるが一つも読んでいない。また新聞や雑誌への投稿も頻繁であり、本書の延長で昨日も朝日新聞夕刊への投稿もあった。流石にこれにはすぐ目を通したが、今まで著者のコラムを読んだ記憶は残念ながら想起できない。たまたま店頭に平積みされていたように、新刊ではあるが、内容的には2009年4月から2013年3月まで、朝日新聞夕刊に掲載されたコラム4年分48本を纏めたものでから最近の著作とは言い難い。

先ず思ったのは、これから毎月朝日新聞夕刊で彼のコラムを読もうと決意した。
あとがきに著者自身「コラムの基本はジャーナリズムである。その時々に起っていることを俎上に上げて論じる。」と書いている通り、テーマがいづれもその時代を思い起こさせ、忘れ難いものである。

このブログも、報道から想起したことをテーマに書いていることが多いので、正確的に似ていると思いながら読んだ。しかし内容的には全く異なる。何が違うか。著者の場合は新聞2、3紙の斜め読みから世の動向を知ると、文章を起こすまで実に丁寧な時間を掛けて資料をあさり、現場に足を運んで実態を自分の目で確かめた上での取材を積み重ねている。書かれるボリュームに大差は無くても、説得力が全く違ってくる。

文章の構成は素人の雑文とは全く異なり、読者を引き込む段取りが周到に用意されている。抵抗なく読み進めるのは、個々の表現についても文学者らしく洗練されているからだろう。我が身と比較するのも畏れ多いが、素人と文壇の頂点に居る人との違いを納得せざるを得ない。冒頭に触れたように、日本の現代文学に余り親しまなかった理由の一つに、芥川賞の審査員トップに長く居た石原慎太郎氏の存在がある。

石原氏は政治家としても同じだが、常に偉そう上から目線なので、どうしても説得力に欠ける。著者は彼とは正反対で、文章を書き起こす時、その対象者が常に横にいるような感じがある。書き進めている文章が、著者の如何なる思いから出ているかが理解できるような気がするのだ。そしてその思いが実に深く大きいことが分かる。取材が半端でない。現在は北海道に住んでいるようだが、これまでに住んだ土地は実に多岐にわたる。

東京や沖縄は勿論だが、ギリシャにも居を構えて住んでいる。外国語に堪能であるせいもあるからだろう、ナイル川を遡ってスーダンに行ってみたり、優れた作家になるためには、こんな経験が必要なんだろう。コラムニストとしては相当深くものを考える人と見受けたが、本書を読む限り我が思いと大差がないことだけは嬉しく思った。

最後に、昨7月7日付け朝日夕刊に掲載された著者コラムのタイトルを書き添える。
■死にかけの三権分立:行政独裁に道 粛々と



2015年7月7日火曜日

ギリシャと日本

ギリシャは地中海の奥に位置する気候温暖の国であり、文明発祥の地でもあるので古代遺産に恵まれ、日本の旅行好きには憧れの地と承知している。他には何だろう、後家さんになったジャックリーヌ・ケネディを娶った何とか・オナシスさんなんて大金持ちが居た。確か世界的海運業で財を成した人だった。旅行に縁遠いので他に余り知ることも無いが、このところ連日報道を賑わせている。

何でも国の借金が多くて、借金が返せないので銀行にお金が無くなっているのだそうだ。お陰で1週間以上銀行が店を開けられない状態が続くと、俄かに信じがたい現象になっているらしい。海運業の他にどんな産業があるのかも知らぬが、肝心の観光業、ホテルや飲食業などは営業が出来ているのだろうか?地中海かアドリア海か知らぬがロマンティックな思いを胸に観光に出かけた人は大変かもしれぬ。

そもそも、なんでそんなに無理な借金をするのかも不思議だが、聞けば国の経済規模に対する借金の比率は、日本に比べれば遥かに低いらしい。主な貸し手はEUの中央銀行らしいが、この借金を40歳の若い首相が出現して、踏み倒しかねない勢いで、貸し手と交渉しようとしているらしい。対するEUリーダーのドイツやフランスは、もう仲間にしてやらないよと強硬だとも言われている。

結果がどう落ち着くにせよ、観光地としての魅力は多分変わらず、相変わらず日本から大勢の観光客が押し寄せるのかなぁ。兎に角経済問題て奴は分かり難いものではある。国家の借金に関しては日本の方が遥かに大きい筈だが、ギリシャの大騒ぎをよそ眼に落ち着いたものだ。一つはギリシャの経済規模が小さいので(友人が教えてくれたが、埼玉県と同じ程度だそうだ)、ギリシャで銀行が幾つか倒れるような経済危機が発生しても、他国、特に日本に対する影響は殆ど無いらしい。

もう一つの問題、日本も同様の経済危機が訪れるのでは、についてである。これはについては先ず、借金の性質が違うので心配ないとの説がある。ギリシャは国外からの借金だが、日本は国内福祉や産業の為に国民に借金しているだけだから心配無い、説である。確かに昔のように、国民に借金をして戦争して消費してしまっている訳でもなさそうだ。ではあるが、相当の無駄遣いはあると思うのだが。

一方、我が国の借金はインフレを起こすためだけに無意味な?借金を続けているだけに、余計たちが悪い。外国相手ではないから踏み倒す訳にもいかず、現在目標とするインフレが起きていないから良いが、インフレが起きていざ政策の変換時期が来たらブレーキが利かずに大変なことになり兼ねない。何よりも、国の財政を回復して国民への借金を返すと言えば格好良いが、結局は国民の預貯金を国家が吸い上げる(価値を減額する)だけのことである。

こっちの意見は分かり易い気もするが、これからギリシャ旅行の計画を立てる人と似たようなもので、預貯金が無ければ気楽なものだ。

2015年7月6日月曜日

なでしこジャパンに拍手

なでしこジャパン、惜しくも優勝は成らなかったがよく頑張った。佐々木則夫監督以下選手の全員からひたむきな気持ちが伝わってきた。改めて大きな拍手を贈りたい。スポーツと言えば、小学生の頃は水泳の古橋選手やボクシングの白井選手ぐらいしか名前を知らなかったかもしれぬ。引き換え現代は、いろいろな種目で世界に通用する強い選手が次々に現われている。子供たちもそれぞれに憧れ、幼い頃からスポーツに励む子が増えているようだ。

決して悪いことではない。勉強だけが人生の全てでもあるまい、幼い頃からトップアスリートを目指すのも一つの生き方だろう。若い時から自分の人生目標を持って生きることは素晴らしいことかもしれない。何を目指しても懸命にすればするほど、上手くいく場合もあるだろうが、逆の場合の方が多いに違いない。しかし、誰にとっても人生は多少の紆余曲折があるにせよ、挫折無しに人生一直線なんてことはあり得ない。そして人間は成長するとしたものだ。

昨夜もテレビを観ていたら、司会の関口宏が手品師マギー司郎の半生を聞き出す番組があった。途中で寝てしまったので中途半端な記憶だが、マギー氏は昭和21年生まれだそうだ。昭和30年代前半、高校に上がる年齢くらいで何も考えずに家出をして上京、何となくマジシャンになってしまったとの苦労話をしていた。彼は子供の頃から知恵の輪が大好きだったらしく、結局は芸が身を助けたようだ。

彼より少し年上に当たるが、確かに子供の頃に、将来何をしたいなんて考える余裕が無かったような気がする。彼の場合も、東京には茨城の田舎と違って何か輝いているものがあると思い込んで家出までしてしまったようだ。こちらは一応田舎で高校まで行っていたので、彼ほどではないかとも思ったが、よく考えると余り大差は無い。将来なんか何も考えずに、何が何でも東京の大学に行きたいの一心だった。

その程度のことだから、結局大学卒業間際まで就職先も決まらず、何の志も無いまま小さな広告会社に入って、ずるずるとその日暮らしの成り行き任せで現在の体たらくになってしまった。はなから足が地がつかない人生なので、人生を振り返って後悔だけはすまいと自らに言い聞かせている。でも達成感やら感激が薄い人生であるのも事実かも知れぬ。その何か欠けている部分をここ何週間か、なでしこジャパンに埋めてもらったので、今日は気持ちよくブログを書いている。

ことの序でだが、政府もスポーツを振興しようとするなら、もっと人材の育成に資金を投入すべきだろう。本来オリンピックを東京に招致したこと自体問題だ。まして国立競技場を壊して建て替えるなんて愚の骨頂である。旧国立競技場をを残し、最新の技術でバリアフリーなどのリニューアル化を図り、半世紀前の感激を同じ競技場で再現してほしかった。イスタンブールであろうとバルセロナであれ、勝てる選手を育てることが最も重要だ。東京オリンピック時に生まれていなかった青年と意見が一致して嬉しかった。

2015年7月4日土曜日

聞いて呆れた「看過できぬ」

昨日になって安倍総理が、衆議院の安保特別委員会で民主党枝野議員の質問に答える形で、先日の若手勉強会に於ける様々な不適切な発言について、自民党総裁としての責任を認めやっと謝罪を口にした。今月15日の委員会採決を前提にしたあからさまな環境整備で、本心からではないことが明白なだけに白々しく聞こえてならない。

詳細に覚えてもいないが、中に「沖縄の人を傷つけたとすれば・・・・」と仮定形があったことが引っ掛った。今朝婆さんとそんな話をしていると、婆さんが指摘したのが『総理は日本語の語彙が少ないので、何か新しい言葉をインプットされると、それを多用したがる癖がある。今回その例に当たるのが谷垣幹事長の言から借用した「看過できない」で、現在多用中よ。』

谷垣氏も当初(勉強会翌日の26日段階)はへらへらしながら「批判反論するということは、私は当然、あっていいと思います。むしろ、なければいけないと思います。ただ、そこはやっぱりなんと言いましょうか、その主張の仕方にも品位が必要かな。」だった。ところが世論や国会での風向きが激しくなってきたのを受けて、27日になって急遽処分を発表せざるを得なくなった。

改めてネットで確認すると、この会見では前日と打って変わり「自民党の報道の自由、言論の自由に対する基本的な精神を誤解させるものだ。国民の信頼を大きく損なうもので看過できない」と説明したようだ。婆さんはこれを観ていたのだろう。この日の処分程度で今更、自民党の基本的精神が報道や言論の自由を尊重している、なんて言っても遅すぎるだろうに。

昨夜テレビで英国人ジャーナリストのインタビューを観たが、英国であれば問題になっている大西議員は即議員辞職せざるを得ないだろう。と語っていた。総理の取り巻きが跳ね返って、却って総理の足を引っ張っているのは見え見えだが、幹事長の谷垣氏もなんだか頼りない。本来党内リベラルであるべき筈だが、安倍氏を敵に回したくない思惑が、これもありありではないか。

何れにせよ、事件から10日も経ってから総理が「看過できぬ」とは笑わせてくれる。得意とされる英語も演説を聞く限り中学生以下だが、肝心の国語が、まるで基礎がなっていない。

2015年7月3日金曜日

マスコミのご都合主義もありうる

昨日に続いてまたマスコミについて書きたい。昨日はテレビ番組の感想で書いたが、今回は昨日図書館で読んだ本「そして、メディアは日本を戦争に導いた」を思い出しながら書く。昭和史に関して学者ではないが、相当の権威と思う半藤一利氏と保坂正康氏の対談である。これを読んだ後で、一昨日の衆議院平和安全特別委員会の録画を観たので、どうしても一言書きたくなった。先週のことになるが、自民党の若手勉強会と称して、総理に近い当選回数の浅い議員が開いた会での、報道をコントロールすべきとの発言が漏れて騒ぎになっている。

一昨日の委員会でも野党の辻本議員などが、これを取り上げて自民党を激しく糾弾していた。確かに現政権が何かにつけマスコミをコントロールすべく様々な策を弄しているのは明らかだろう。また過去に於いても、先の大戦時に軍政下に置かれた状態の日本政府が厳しい言論統制を敷いたことも明らかな事実だ。そもそも専制的な国家が真っ先に手を付けるのは、教育と言論の統制と相場が決まっているらしい。従って、野党が先日の勉強会に出席した未熟な政治家の発言を捉えて、言論統制の危険を唱えて政府を攻撃するのは一見尤もにも見える。

そもそも、この衆議院の特別委員会での議論をかなり直接聞いているが、はっきり言って実に聞くに堪えない。まともに聞くことが出来たのは一昨日の午前中に行なわれた参考人5人の意見陳述と、これに関する質疑だけといってもいい。この5人の参考人には自民党推薦の人もいたので、今回の法案の問題点が奈辺にあるかを知る上でも大いに役立った。要するに集団的自衛権を行使せずには日米同盟が成り立たない。そして国会での議論がどうであろうと、日米同盟の実態はどんどん進化してしまっている現実があること。

そういった現実からの発想で、憲法との整合性を後付けで理屈をつけているのだから、何処まで行っても論議が噛み合う筈はあるまい。しかも日本の官僚は戦争体験は勿論、軍事知識が決定的に欠けているので、まともな法案の態を成していないらしいことが窺えた。戦争体験と軍事知識の欠如は、何も官僚のみならず与野党政治家にも共通するのだろう。正に群盲像を撫でての議論を聞かされている訳だ。そんな中にあって、政府による言論統制の危険性は一見まともにも思えた。

しかし、政府による言論統制以上に事の重大性を指摘しているのが、冒頭に述べた本「そして、メディアは日本を戦争に導いた」である。二人の著者によれば、昭和の初め満州事変や支那事変に際して世論を戦争に導いたのは、間違いなく新聞によるものだと意見が一致している。事変以降は政府によるコントロールも徐々に強まったろうが、問題なのは事変勃発前後である。即ち、新聞が威勢のいいことを書くと新聞の発行部数が伸びる現象に気が付いて、むしろ新聞社自身が世論を煽ったというのだ。

このことが保坂氏の研究で、数字に依って裏づけられている。メディアのコマーシャリズムが世論を先導して戦争に導いたのである。現在のところ、マスコミは野党と共に政府自民党の姿勢を糾弾しているが、マスコミの姿勢、政権との距離感が怪しいのも周知の事実だ。放送媒体は視聴率を、印刷媒体は発行部数を追いかけるのが至上命題とすると、いつどこで変節しないとも限らない。しかも日本のマスコミは欧米と異なり、「経営は編集に介入せず」の方針が徹底していない。

大戦前にこの方針を貫こうとした我が故郷の地方紙「信濃毎日新聞」でさえ、1933年(昭和8年)「関東防空大演習を嗤(わら)う」という社説を最後に、編集主筆の桐生悠々を更迭して抵抗の旗を巻いたそうだ。幸い現代はインターネットなどでメディアが多様化してきているので、そう簡単に変節は無いだろうと思いたいが、現実を考えると不安でもある。

2015年7月2日木曜日

政治家の嘘

昨夜たまたまであったが、21時からNHKBSプレミアムで「アナザーストーリーズ▽暴かれた大統領のスキャンダル クリントンと女たちの思惑」を観た。
クリントン元アメリカ大統領とアルバイト学生モニカ・ルインスキーの間で発生したスキャンダルに関わったジャーナリストたちの当時の考えが語られていた。他にヒラリー・クリントンのことについても少し触れられているのだが、今日のテーマから少し外れるのでこちらは割愛する。

元大統領が就任前、即ちアーカンソー知事の時代から女癖が悪いと言うのか、若い時から女性にもてたとするのが正しいのかは別にして、大統領になっても女性スキャンダルに常に追われていたようだ。当然これに目を付けて、どこかで彼の悪癖を暴いてやろうと狙いを付けていたジャーナリストが存在していたことは不思議でない。昨夜の番組で取り上げられたのは男女2名のハンターだが、相手が大物だけに、アメリカであっても単なるスキャンダルに終わらせないための苦労はそれなりにあることが分かる。

一人はルインスキーの同僚から大統領との関係を聴きだし、その同僚に対してルインスキーとの電話をテープに納めることを薦めて実行させた、敏腕と言うべきだろう出版代理人の女性(ルシアン・ゴールドバーグ)。そしてこのテープをニューズウィーク誌に売り込もうとするが、ニューズウィーク側も大物のスキャンダルだけに、会社の判断では素直に誘いに乗らなかったようだ。勿論社内では喧々諤々の議論がされて賛否は相半ばだったらしい。

そこでこの出版代理人は策を巡らして、当時立ち上がったばかりのネットのニュースレターサイト「ドラッジ・レポート」に情報を少し流す。現代日本に喩えれば2チャンネルのようなものかなぁ。それにニューズウィーク誌側で上手く反応したのがマイケル・イシコフ記者で、彼がもう一人の主役で、世紀のスクープをものにすることに繋がっていく。彼は元々ワシントンポストの記者で、ずっとクリントン氏を臭いと思って追いかけていた。

移籍先のニューズウィーク誌で、このテープを持ち込まれた幸運に恵まれたので、予ての念願が叶うと喜んだのだが、内部の検討会で、検察がスキャンダル絡みで大統領周辺を洗っていたことなどを理由に諦めさせられていたのであった。しかし、彼がこれらの障害を乗り越えるきっかけになったのが、今日のブログの味噌である。即ち、イシコフ記者が大統領の「私はルインスキーと性的関係はありません。」と証言したことを知ったからである。彼はこれを「嘘」だと断定したのである。それで検察の制止を振り切って、会社にテープの存在の公表に踏み切らせたのが経緯である。

結果的にクリントン氏は130年振りかの大統領弾劾裁判にかけられるが、大統領職は失わずに済んでいる。判決が上院議員100名の投票なので辛うじて過半数を押さえて済んではいるが、大統領の嘘に対するメディアや世論の厳しさは驚くばかりだ。「アンダー コントロール」に象徴される安倍総理の嘘発言を上げだしたらきりがあるまい。アメリカであれば政治生命が幾つあっても足りぬだろう。

現政権は総理のみならず、文科相や前の小渕経産相などもそうだが、どう見ても白々しい嘘話をして何となく逃げ切ってしまう。政治風土の違いと言ってしまえばそれまでだが、むしろメディア側の政治家に対する姿勢、攻め方に、より大きな問題がありそうだと思わせた番組であった。

2015年7月1日水曜日

カレンダーも半分になった

富士山山梨県側登山口では今日が開山祭だそうだが、東京でさえ肌寒い1日になってしまった。これから月の半ばにかけて各地で開山祭が次々に行われることになるだろう。今年は富士山だけでなく、本州中央に位置するアルプス方面も残雪は少ないらしい。山男や山ガールの気は早やっていることでもあろう。山歩きの楽しみと安全は大きく天気に左右される。これからの1か月半か長くて2か月、天気に恵まれ、多くの人が安全な登山を楽しまれることを祈らずにはいられない。

自分の都合だけを言えば、これから約3か月病院通いが連続するので、余り良い天気にならず今日みたい涼しい夏である方が有難い。しかしこれは身勝手に過ぎる。やはり夏は夏らしくカッと照りつけるような日が望ましい。気候のことは別にして、毎年似たようなことを書いているのだろうが、今年も早や半年が過ぎてしまった。特別思い残すことも無いが、先行きについての期待とか希望みたいもの浮かんでこない。困ったことだ。

昨日幼馴染と昼食を共にしたが、小学生から中学生にかけての思い出話に終始してしまった。昔は思い出話より現代の社会環境などに関する話題が多かったような気がするが、昨日はそんな話が全く無かった。少し残念でもあるが、友人がこちらなの前立腺癌の治療方針方針確定と聞いて、設けてくれた激励会みたいものでもあったので、むしろ彼の配慮に感謝すべきだろう。10月になったらこちらが快気祝いで一席設ける約束をして別れた。

夕方7時にテレビをつけると東海道新幹線で思わぬ大事故のニュースだ。走る新幹線の中で焼身自殺とは何を考えているのだろう。しかも年齢が71歳とのこと。少年犯罪が狂暴化するのも嘆かわしいが、いい歳の爺さんがこんな他人迷惑の自殺を考えるとはやはり世の中が少し狂っている。巻き添えを食らって亡くなった人が一人だけだったのは、不幸中の幸いと言うべきなのだろうか?釈然としないのは、亡くなった人がお伊勢参りに向かう途中にあったとのことだ。

日本全体が神や仏から見放されるとしたら、それは悲しすぎる。