2015年7月25日土曜日

「戦後70年ニッポンの肖像」感想 (続)

昨日の続きで19日放送分第2部についてを書く。第1部は佐藤政権で終わっているが、今回はその後を襲った田中角栄から始まり、小泉純一郎で印象的には事実上終わっている。その間に一瞬非自民政権誕生があるがつけたしみたいな扱いになっているが、この一瞬の間に選挙制度が変わり小選挙区制度が導入されたことの意味は大きいだろう。

田中政権自体は二年数か月で終わっているが、田中引退後の1975年から2001年小泉政権誕生まで、四半世紀に亘り政権中枢を担い続けた自民党政治の本質は基本的にあまり変化しなかったようだ。この間何人かの総理が誕生しているが、番組を観る限り田中角栄の政治哲学は非常に明快である。即ち「日本も大分経済復興をしてきているが、未だ陽のあたらない場所が多い。全国民が豊かになることが政治の要諦」として、従来政策と比較にならない大胆な目標を掲げて列島改造に乗り出す。

その目標を新幹線や高速道路の建設を一気に10倍近くに引き上げているのだから、現代の感覚を持って言い換えれば、恰も中国の政策のようである。勿論本を出したり口先だけのことではない。財政的手当ての方法を含め、さまざまなリーダーシップは当時の官僚OBが今でも認めざるを得ないようだ。結局彼の描いた路線で自民党政治は森政権まで引き継がれたのではないだろうか。

中国との国交回復や70歳以上の医療費無償化も含め田中政治についてはかなりの時間を割いているが、より印象的だったのは彼の政治手法、特に金との問題がある。ゲスト出演の田原総一郎と御厨貴が口を揃えて言っていたのが、彼は確かに莫大な金を集めて、常に回転させストックすることに意を用いなかったである。田中は周りに寄ってくる人間を余り差別区別せずに、他派閥の人間にも気前よく金をばら撒いていたらしい。

この田中的現象を根底から覆したのが小泉純一郎と言うことになるらしい。それまでは、田中ほどでなくてもある程度金が無ければ総理になんかとてもなれないとされていた筈である。小泉は田中とは違った頭の良さがあったとも言える。盟友であった山拓が「金なんか1文も無いのだから」と語っていた。代わりに選挙方法が変わったことを利用して、政治問題を先ず白か黒かに単純化して、敵と味方はっきり分ける手法を導入して選挙戦を勝ち抜く。

例の小泉劇場である。このことによって小泉は仇敵田中派の連中を粉砕することに成功。そして政策的には郵政民営化や道路公団民営化をしたり、医療費3割負担を実現していく。同じ自民党ではあるが田中とは真逆の政策を推進した結果が果たしてどうだったのか?番組でも明確には言わないが、羊羹型日本社会が格差社会になったことだけは確かだろう。その揺り戻しでやはり一瞬民主党政権が実現するが、挫折して元の木阿弥となって現在に至っている訳だ。

故に前半では吉田vs岸、後半では田中vs小泉4人の肖像が際立って印象に残った。

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