2019年7月31日水曜日

やっと梅雨明け

一昨日気象庁が発表した梅雨明け宣言で、昨日急遽ハイキングに出かけることにした。当初棒の嶺にでも行こうかと思ったが、調べると昨年行ったばかり。芸が無いので同じくらい近間の日の出山を選んだ。こちらは一昨年の6月以来で2回目だから、何か目新しいこともあるだろうとの思いだ。一昨年は武蔵五日市発9:15のバスに乗り、正午に山頂に到着している。真夏になっている訳だし照り返しの強い道を大分歩いた記憶があったので、時間を早めたいと思って8時過ぎには武蔵五日市に着いた。

ところがバスはやはり9:15まで無いようだ。行く先をすぐバスが来そうな三頭山に切り替えようかとも思ったが、こちらは込み合っているのでやめ、タクシーを奮発した。登山口まで2980円、運転手さんも親切で日の出山登山道のうちタクシーが一番奥まで入るところに案内してくれた。このルートは照り返しの林道を歩く必要が全く無くて、いきなり山歩きらしい登山道、しかも整備が行き届いている。

道のコンディションは良くても、夏の山歩きはきつい。熱射病にならぬよう無理をしないように気を付け乍ら歩くが楽ではない。それでも一昨年に比べれば大分早く山頂に到着。山頂でこんなにゆっくりするは初めてと思うほどゆっくり休憩して御嶽山を経由してケーブルで下山することにした。御嶽山は距離的には近く、宿のあるところまでは約40分、しかしそこからこんな階段が長かったかと思うほど長い階段が続く。

神社下で思わず茶屋に飛び込みかき氷で喉を潤す。かき氷なんて何十年振りで実に美味かった。神社に参拝した後、お札の販売所で巫女さんに「レンゲショウマ」について質問、未だ時期的に早いが一番奥の社殿の脇に数輪咲いているとのこと。成程咲いてはいたがこの花も群生しないと見応えが無いようだ。大した山歩きではなかったが、それでも諦めていた7月に歩けたことは幸いだったと言える。

そんなに疲れた訳でもないが、最後に新しい発見が帰りの電車、御嶽は始発駅で無いが、昨日は座ることが出来た。青梅で乗り換え、これも始発だから問題無し、立川から立ちんぼかと思ったので拝島から西武線に乗ってみた。始発だから座席の心配は無いし、高田馬場迄意外に早い。これから奥多摩の帰りはこれにしようと思う。

山歩き情報は下記でお願いします。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1948270.html

2019年7月29日月曜日

素人故か理解不能

如何なる意図があって日本政府が韓国と事を構えることに至ったか、想像をたくましくしても理由らしきものが見つからない。明治維新以降日本人は朝鮮と朝鮮人をやや見下していたことだけは間違いない。小中学時代は周りに半島の人間が居なかったこともあり、何も意識することは無かった。高校の終わりころから東京や大阪に友人が出来、彼等が高校時代から韓国や北朝鮮の友人を持っていることにびっくりしたりしたものだ。

話を聞くと、彼等が付き合っている友人たちは日本式姓名を名乗ったりしていることもあるが、国籍は違うとのこと。特に大阪にはそのような人が多いらしいことも段々分かってきた。大学に進学すると同級生に韓国人(李君)が居たが、余り深い付き合いはしなかった。付き合っている友人の話では、何でも大金持ちでお母さんも麻雀が好きなので、よく自宅に遊びに行ったらしい。そして高校時代から話に聞いていた友人の友人を何人か紹介された。

全員我々と同じように大学通ったりしていた者もいたが、既に働いている者もいた。要するに長野高校時代の友人と同じことである。そんな環境で育ってきたので、朝鮮系の人に対して特に見下すつもりもなく、友人となった人には普通に付き合っていた。しかしである、一世代前には植民地時代があったことは当然知ってはいたし、彼等の親達が苦労したであろうことは容易に想像できたものの、同世代の友人たちに贖罪の気持なんか全く無かったのも事実。

日韓の国情の違いは多々あろうし政治的な違いは大きいが、戦後70数年新しい世代による交流は深まり、ビジネス的には随分深い結びつきが出来てきた筈。私自身も何度も韓国には旅行をして、楽しい思い出が沢山ある。そこへ今度の事件、日本政府が韓国を友好国と認めず輸出管理を厳しくする、との突然の発表。現在はビジネス関係が何も無いので痛く痒くも無いものの。関係ある人はかなり戸惑っている筈だ。

冒頭に書いたように、日本の経産相や外務相が若くて歴史認識も浅く、韓国に対する贖罪意識など持ち合わせないのは十分理解する。それにしてもあの上から目線の物言いは何だろうか?打ち合わせに訪日した韓国政府の貿易担当者を倉庫同然の部屋に通すとか、大使を呼びつけて無礼者呼ばわりをするとか。同じ日本人として恥ずかしい限りだ。

2019年7月28日日曜日

東京オリンピック

2020東京オリンピック開会まで1年を切ったようだ。何の期待も無いが、オリンピック開催に関しては様々なケチもついているが、仕掛けだけは大げさでマスコミも連日盛り上げに協力している。こんな早くから力んでは息切れしないかと余計な心配をしてしまう。高齢化している日本だから1964年の東京オリンピックを記憶している人も多い筈。当時はまだテレビはそれほど普及していなかったし、多くの人が外国事情にも疎かった。

そこへ多くの外国人が急に来ることになった訳だ。当然国民の多くは口にはしなくても、もはや戦後ではないとは言うものの日本がどう見られることになるのか、期待と不安が混じり合った複雑な思いをもって開会日を待っていたことだろう。原宿にあった米軍施設が返還され、代々木と原宿では競技場や宿舎が建設されたのであの辺一帯の風景も随分変わっていった。原宿に親しい友人がいたのでよく覚えている。

未だ自家用車を持つ家は少なかったと思うが、東京には首都高速道路が出来て夜霧の第2国道がかすみ始めたし、国鉄の新幹線が運行し始めたのもこの頃ではないか。マスコミが特に煽らなくても、東京にはオリンピック景気が沸き、その影響は出稼ぎの人を含め、全国に広がっていったに違いない。マスコミが煽らなくても、多くの人がオリンピック景気からの恩恵に与ることが出来たと思う。

東京都知事東竜太郎氏の名前だけは記憶しているが、当時誰がどのようにオリンピックを招致したかは未だに知らずのままだ。幾ら1940年のオリンピックを返上とは言え、占領解除直後1954年にオリンピック開催候補に手を挙げたことは凄いと思う。この時は選ばれなかったが1959年再び立候補して決まったようだ。準備期間は僅か5年、2013年からだらだらやっている現在とは大違い、当時の日本人は相当燃えたのだろう。

何事も天の時や地の利よりも人間の団結が必用とよく言われるが、前回の東京オリンピックにはそれがあった。残念ながら来年のオリンピックにはそれが無いように思えてならぬ。

2019年7月27日土曜日

同じ穴の貉

今日は土用丑の日、台風の影響は朝の時点で幸いにも東京には及ばず、8時過ぎに「お婆さんからの言付け」として娘がうなぎのかば焼きを届けてくれた。我が家は家内生存中から季節感を大事にする習慣があり、八十八夜の新茶と土用丑の日のかば焼きは共に静岡の名産なので、実家から届くと決まっている。うなぎはもちろん好きだが、最近は高値が続いているようで手軽にうなぎ屋に入ることは無い。一年に一度のお楽しみになってしまった。

閑話休題:「手を変え品を変え」と言われるように、ある現象を見方を変えるなら兎も角、日本のテレビはよくもまあ毎日のように同じことを繰り返し放送するものだ。いい加減にしてほしいのが京都アニメーション放火関連ニュース。悲惨な事故で犠牲者を悼む気持ちは人並みの心算だが、こう毎日同じような台詞を聞かされるのは辛いものがある。如何に平和な日本であっても、テレビ局が追及すべき大事な問題は他にも沢山ある筈だ。

偶々娘が来た時テレビが放送していたのが辛坊治郎の「ウェークアップ!ぷらす」すぐ消したが、取り上げていた話題が吉本興業関連だった。関心が無いせいもあるが、これも長々と話題になるのか不思議だ。そもそも社名に興行と掲げるほどだからインチキ臭いのは当たり前。ネットで観た日刊ゲンダイの記事によれば大阪維新を通してらしいが安倍政権ともズブズブの関係にあり、相当な税金が吉本興業に流れているとのこと。

本当ならそのうちに野党が国会で騒ぐだろうが、結果的には森友や加計問題と同じことでうやむやになるのがミエミエ。関心を持っても仕方ないと思っている。娘に言わせると「売り上げ100億円以上の大企業なのに株式を公開していないのがそもそもおかしい。」(2009年に突如上場廃止)とのこと。そういう見方考えもあるのかとも思うが、テレビに出演している連中なんて言わば一蓮托生、同じ穴の狢だから目くそと鼻くそが互いに悪口を言い合っているのだろう。

2019年7月26日金曜日

夏日

明日は土用丑の日、今朝は早朝からやっと真夏の陽射しがさしている。それでも台風が接近とか何とかで梅雨明け宣言が未だらしい。結局7月は山に行けずじまいになるだろう。どうでもいいが、昨日の早朝北朝鮮がまたミサイルの発射実験を行った。北がミサイル発射の度に思うのだが、日本自衛隊はこの事実を即座にキャッチしていないのだろうか。いつも韓国政府の発表を受けての報道ではないか。

しかもその韓国に対して日本は信用の置けない国だなんて言って半ば喧嘩を売っているのだから不思議でならぬ。信用すべきは自衛隊情報であるべきだ。自衛隊情報がどのように官邸に上がるか国民には分からぬが、昨日の総理はミサイル発射の1時間後には小学生の様なご衣裳で別荘近くのゴルフ場に登場「皆さん心配ありませんよ。」とのお言葉。日本の平和が有難すぎて涙がチョチョ切れる。

ありがた序に、日本の夏もそれなりに暑いが、古くて狭い建屋のせいで朝は外気を十分取り込むことが出来る。朝一で網戸になっている部分を開け放ち、部屋と部屋の境を全て開放すると気持ちが良い。子供時代を過ごした長野では、庭に面したガラス戸は夜中でも開け放ち、部屋の襖は全て取り外して網戸をたて、蚊帳の中で寝たものだ。そこまではいかぬが、毎朝空気を入れ替えると生きた心地がする。

更に食事が終わる8時頃からエアコンを除湿で稼働させているので昼近くでも相当爽やかでいられる。そこで思うのがヨーロッパの暑さの厳しさ、主要都市の中で最も南のパリでさえ北緯48度51分、北緯43度の札幌よりかなり北になる。ロンドンやドイツ諸都市は更に北だから、これらの国の一般住宅に冷房装置が無いのは不思議はない。ところがこのヨーロッパ諸国がこの夏猛烈な暑さに見舞われている。

一般的に連日40度近い暑さとなっている。関連があるかどうかはっきりはしていないのだろうが、炭酸ガスの影響による地球温暖化の影響として環境問題が真剣に語られるのも分かるような気がする。ヨーロッパに比べれば遥か南で、熱帯性気候の影響を受ける日本が、何故比較的温暖でいられる理屈も分からないし、将来的保証がある訳でもなかろう。

2019年7月25日木曜日

寿命

毎日のようにパソコンを使っているが、最近と言っても今週の頭くらいだろうか、どうも起動の時間とかキーをたたいてから反映に要する時間が掛かり過ぎる。多分こちら同様寿命が尽きかけてているのだろうと推察。愈々買い替えなくてはならぬみたいだ。購入以来相当な時間が経ったのは承知だが、念のためいつのモデルか調べてみた。メーカーNECのサイトで検索しようにも機種が古すぎてだろう、引っ掛からないが、価格ドットコムでやっと見つけた。2011年夏モデルで5月発売とあるから少なくともまる8年は経っている勘定。

OSはWindows7と表示されている。購入時はこれで、Windows10を入れてからでも相当経つ筈、生鮮食料並みとされる寿命だろうから諦めざるを得ないだろう。とは言ってもパソコンは年金暮らしの身からするとかなり高額な買い物である。また、購入して使い始める前の準備がひと騒動。現在使用しているプログラムや重要なファイルが無くなったりする危険もある。機種の選定も考えなくてはならない。一昨日IT関係でご指導いただいている師匠と会ってスマホの使い方について指導を受けてきたばかり。

スマホは何度教えて貰ってもまともに使いこなせない。しかしパソコンは少なくとも毎日ブログを書くことだけは習慣化することが出来た。それと毎日のメールチェックがあるので、これを機会にパソコンとさよならするのも心残りが大きい。どんなに安くても年金の半月分約10万円は使うつもりで師匠に相談しなければならないようだ。買うと決まれば昔みたいにビックカメラなんかでなく、アマゾンと言うことになるだろう。

だから機械そのものは翌日には自宅に届く。しかしそこからが大変なのは先に書いた通り。この日記を書いていてもイライラしっぱなしだ。ひょっとすると明日辺りから暫く休むことにもなりかねない。ついにあいつも年貢の納め時か、と思わずにいてほしい。パソコンの寿命で暫く精進せざるを得ないだけのこととご承知願いたい。

2019年7月24日水曜日

音痴の類

小学生時代に父が「音楽なんて学問のうちに入らないから通信簿の評価がどんな低くても構わない。」と慰めのつもりで言ってくれたのかもしれぬが、未だに酷い音痴。でかい声は出せるが音程というか音の高低が全く分からないのは情けない限り。似たように思うのは現政権の外交音痴ぶり。毎日論うのも可哀そうに思うが本当にそうだから仕方ない。

日韓問題について書くつもりだが、その前に誰かが「外交の安倍」と言ったような気がする。これは「外交音痴の安倍」を言い間違えたのではなかろうか。総理の座に就いて以来歴訪した外国の数とその度にばら撒いた税金は高だけで言えば相当なものらしい。しかしこれで国益の沿った外交成果は何があっただのだろう。問われてすぐに答えを出せる人は庶民にはいないだろう。就任当初最も強調していた案件は「北朝鮮に拉致された被害者の救出」。

最近はすっかり聞かなくなった「これを安倍内閣の最優先課題として必ず成し遂げる。」と何度聞かされたことか。次はご存知北方領土の解決、4島一括返還を棚上げして、「2島でいいや」とまで妥協しても、それさえ裏目に出て全くの暗礁に乗り上げている。「でも僕は、オバマ氏とは少しぎくしゃくしたけど今のトランプ氏とは世界で一番波長が合う首脳首脳とまで言われているよ。」と言いたいかもしれぬ。

これが正しく小生の「ドレミファソラシド」と同じで、自分では正しい音程の心算だが、他人からするととても聴けたものではない。参議院選挙も終わったのでトランプ氏側は一層笠にかかって難題を突き付けてくることだろう。ロシアにしても中国にしても同じことで、真の敬意をもって安倍氏とお付き合いする気配は認められない。それでも安倍氏の良いところは相手の腹が分からなくてもお世辞笑いを絶やさず、前向きお付き合いしたがるところであろう。

しかし何を思ったかしれぬが、大阪G20での韓国文大統領と2国間会談をしなかったことがそもそもおかしい。徴用工問題が喉に刺さった小骨なら余計重要なチャンスだった筈。何らかの思惑があって意識してなら兎も角、大人になり切れていない小僧の様な世耕経産相あたりが、未だオシメも取れていなかった頃に交わされた日韓請求権協定について訳知り顔で解説しているのを聞くと、官邸経産官僚の悪だくみにはまり切っているようだ。

こんな時こそ指導力が必要だが、指導力も音痴なのかもしれぬ。

2019年7月23日火曜日

政権のお先棒担ぎ

参議院選挙終了と同時に各党の党首が一斉にテレビでコメントを発するのは当たり前だが、中でも昨日から今日にかけ安倍首相の映像が際立って多くなっている。自民党関係者は当選者数と得票率が大幅に減っているにも拘らず、今回の選挙で負けたとは一切言わない。欧米のジャーナリストは真実の追及を使命と考え、特に選挙が始まるとマスコミが一斉に候補者への質問をより厳しく、ファクトチェックに拍車が掛かるそうだ。

未だ結果の発表に至っていないが、既に投票が終了したイギリスの保守党々首選関連のニュースをBBCで毎日観ていても、それを痛感する。ところが我が国のマスコミ、特にテレビの選挙関連報道は司会或いは報道記者がまるではれ物に触るかのようで、「それはあなたがこれまで言っていた事とは違いますね。」なんてことは間違っても言わない。放送の公平と公正をどこかではき違え、結果的に視聴者をミスリードしている。

選挙期間中自民党はずっと争点を隠し続けてきたことを追及できなかったマスコミの責任は大きいが、過ぎたこととして大目に見ても、選挙が終わる否や安倍氏が「この選挙では憲法改正も大きな争点となった」との発言をそのまま垂れ流す姿勢は全く頂けない。どこの世論調査に憲法改正が大きな争点としてカウントされているのか。喫緊の政策課題として憲法改正を上げている調査は1社も無い筈。

反安倍と称される朝日新聞でさえ今朝の新聞を見ると『「議論を前に進める政党を選ぶのか、それとも議論すら拒否する政党を選ぶのか。それを問う選挙だと繰り返し申し上げてきた」と述べ、自民、公明両党の与党で改選過半数を確保した選挙結果はそうした主張が認められたものだと強調』と書いている。とんでもない話で、自民党広報戦略のお先棒担ぎだ。自民党政権は経済政策も外交政策も、即ち何もかも行き詰まって「憲法改正」ぐらいしか過去のしがらみ抜きに国民に提示できるものが無くなっているのは明らか。

マスコミは池に落ちた犬を叩くのは紳士のすることに非ず、と思うほど紳士でもあるまい。自民党内では次期総選挙を安倍首相では戦えないと思っている議員は相当増えている筈。なのに態々二階幹事長の「安倍4選もありうべし」なんて白々しいコメントを取り上げる。いくら政府の土地を貰っている、消費税を免除してもらっているとは言え、そこまで節操を失ってはいけないだろう。

2019年7月22日月曜日

参議員選挙総括

昨夜は9時頃までNHKの開票速報を観ていたが、与党圧倒的に優勢で維新を含めると改憲勢力に届く勢い、のようなコメントが多いので嫌気がさして早々に寝てしまった。今朝になって改めてテレビを観ると、どうやら維新や無所属のシンパを勘定に入れても改憲議席に届いていないようなので一安心。しかし自公与党は改選議席を一つか二つ上回り過半数を確保とのこと。これを受けて安倍総理は「国民の皆さんが政治の混乱より安定を選択し、これまでの政策をしっかり前に進めろとの意思表示を頂いた。」と胸を張っている。

野党の共闘もあまり機能せず、32の1人区に於ける結果も前回の11に届かず勝利できたのは10区だけとのこと。投票した東京選挙区の野原よしまさ氏も比例区の山本太郎氏も落選だから、少しばかりがっかりだった。朝から落ち込むのは良くないがNHKしか観ていないので仕方がない。所が顔を洗ってネットでよくよく見直すと、そうがっかりしたものでないことが徐々に分かってきた。与党が過半数を確保していることは事実であっても、自民党は改選議席67から57へと10議席も減らし過半数割れ。

消えてなくなると言われていた社民党も1議席を確保できたし、似たように言われていた国民民主党も2議席減、共産党も1議席減で踏みとどまっている。これで勝利宣言をするとは馬鹿じゃないか。激戦と言われた秋田、新潟では野党候補が勝利しているし、山本太郎氏の落選は本人からすれば想定の範囲内の筈。100万票近い得票で落選するのも愉快なことだろう。今度の選挙直前新規に立ち上げた「れいわ維新」、マスコミから無視され続けながら今回の結果で政党要件を満たすそうだ。

当然政党助成の対象にもなりマスコミも今後は無視できなくなるらしい。それやこれやを考えあわせれば、今度の選挙も満更捨てたものではなかったとも言えそうだ。残念なのは維新が遂に東京と神奈川に進出してしまったこと。特に神奈川は共産党の浅賀由香氏に勝たせたかった。東京の音喜多駿氏は特段の思想もなさそうだが、選挙戦略として他の選択肢が無かったのだろう。贅沢を言えば切りがない。代わりに良かったこと、小泉進次郎氏の化けの皮がはがれたと言うか、応援=必勝神話が崩れつつあることかな。

何れにせよこれからの日本は、我々庶民のみならず暫く相当困難な時代に突入することになりそうだ。頼みとするのは若い人の力のみ、次回国政選挙から投票率を上げて行けるかが最大の問題と思う。

2019年7月21日日曜日

これからの社会

朝一番で投票だけは済ませたが、空模様を見ているとそれ以上出歩くのが億劫になる。爺だから仕方ないか。日曜日の夜は昼間放送された囲碁の番組を録画で観るのが習慣だが、今日は選挙速報があるので本放送で観終わったばかり。投票所で民放の出口調査に協力してきたが、いつもの就寝時刻21:30頃には大勢が判明していることだろう。問題は自公がどこまで票を伸ばすかだろうが、大勝せず改憲に必要な数に届かぬことを祈るばかりだ。

自公党首の演説を聞きながらいつも思うこと。実行力が無く口先だけと、野党への批判は善しとしても違和感を禁じ得ないのが「我が党による政治の安定が重要」だ。持って生まれた野次馬根性のせいか、個人的にも社会にとっても安定感てものの有難さがよく分からない。人間は何事に於いても生きている証として、横文字を使えば<ダイナミズム>邦訳すれば<活力>が必要と思っているからだ。政治だって正にそうあるべきで、現在の政治が高齢化社会を象徴するようなヨボヨボ状態になりつつあるのは非常に心配。経済もそう、社会全体の活力が生まれないと思っている。

安倍晋三氏も山口夏生氏もそんなに老けている訳ではないし、声はでかいが言っていることが如何にも爺臭い。髪を振り乱し若い人に訴える振りをしながら訴える内容が「政治の安定」では頂けない。これでは若者の投票意欲は起きる筈がない。尤も一昔前には「家で寝ていてもらえばいい」と率直に喋った自民党の党首もいたから、結果を予測して発しているのかもしれない。何れにしても活力の無い社会になったものだ。なんて思ったりして20:00からの放送を楽しみにしている。

2019年7月20日土曜日

長梅雨

昨日は本当に久しぶりで日照時間が4時間を超えたらしい。今日からは小中学校が夏休みとのこと。日本海側には未だ台風がウロチョロしているようだが、これさえ行ってしまえばやっと夏本番の到来かと思いたいところでもある。しかしそうは簡単にいかぬようで週が明けても梅雨明けにはならないと聞いてがっかりだ。AIとかいわゆる情報工学の発達が思いもよらぬ社会的変化をもたらすニュースが続くが、お天気だけはどうにもならないのだろう。

梅雨が長引いていることも当初は涼しくていい塩梅と思っていたが、最近では蒸し暑くなってきたのでそうも言っていられない。野菜の作柄に影響が出始めているのは聞いていたが、どうも米にも影響が出始めているようだ。米は野菜果物とは異なりハウス栽培は出来ない貴重な資源。毎日几帳面に2食は米に頼っているので、秋以降米の価格が暴騰したりするのは御免被りたい。そんなことより1年に1回しか収穫できない米作り農家の心配は深刻だろう。秋になって昨年比○○%減収と報道を受ける時、我々消費者側はその比率しか思いが及ばないが、実際には収穫がゼロなんて農家も多く含まれる筈。

昭和40年代初め頃まではマスコミでも農業問題がもっと深刻に扱われたように思うが、テレビ放送がマスコミの中心になった頃から農業問題は重要視されなくなっている。新聞社の報道部門には様々な専門家がいるだろうが、農業の専門家が居るかどうか怪しいものだ。ましてテレビ局に於いておやである。今や米が無ければ麺やパンを食えばいいとと思う人が大部分だろう。食料不足なんてことは外国の難民とされる人のための言葉で、我が国とは無縁と思う人が大半の筈。結構なことではある。

しかし日本でも子供が飢えたり、親も飢えてる人が出始めている。大分前になるが、我が家の隣に一人暮らししていた人がひっそり亡くなっていたことを思い出した。そんな事例があちこちで顕在化したのではたまったものだは無いし、未だ稀有な例に過ぎぬかもしれぬ。しかし食料不足を経験した一人として、長梅雨を恨めしく思い始めたところである。

2019年7月19日金曜日

参議院選挙が目前

参議院選挙がとうとう明後日になった。もう1週間以上食卓に放り出してあった選挙公報を明日のゴミ出しで捨てる前にざっと見直してみた。流石だと思ったのは自民党比例区の広報だ。総裁以下候補者の顔写真を並べただけで、政策めいた公約は何一つ書いてない。ただ「日本の明日を切り拓く」と特筆大書するのみ。僅かなキャプションが添えられているが、超簡単。政治が出来るのは自民党だけと傲然たる態度。これで33人分の立候補宣言に代えている。このうち何人の当選を目指すのか知らぬが、自信あるいは思い上がりかもしれぬが大したものだ。

東京選挙区には丸川珠代氏とたけみ敬氏の2人が立候補している。こちらも「東京オリンピック・パラリンピックの成功とその先の未来を創る」或いは「活力ある!健康長寿社会の実現」のみで公約めいたものは何も書いてない。これがリーディング政党だから選挙民も舐められたものだ。事実行きつけの昼めし屋でも「俺は昔から武見敬三に決めている」なんて自慢げに語る声が耳に入ってくる。それなりの人物に見える客なら未だ分かるが、相当草臥れたおっさんである。どうすりゃそんな気持ちになるか聞いてみたかった。

自公と与党モドキの維新はどんなに美辞麗句を並べても投票する気は最初からない。問題は野党である。特に縁あって、総理が繰り返し口にするあの悪夢のような時代をつくった民主党を応援していた。その経緯で現在でも国民民主党に細やかな会費を払っている。それでも3年前の選挙では共産党に投票してしまった。ある人に聞くと今回共産党候補者吉良よし子氏は鉄板で硬いとのこと。では立憲にしようかと思ったが、見ると元都議会で騒がれた塩村あやか氏。掲げた五つの公約に「ライフワークとしての動物愛護」なんて書いてある。これは如何なものかでダメ。

最後の方で目に止まったのがれいわ新選組の野原よしまさ氏。東京選挙区でありながら「辺野古新基地反対」と「消費税廃止」を公約として掲げている。もし清き1票を投ずれば、消費税導入の際、当時の大蔵省側に立ってマスコミ操作に協力した恥ずべき過去の罪滅ぼしになるかもしれぬ。山本太郎氏は現在の参議院としては貴重な存在だと思うが、比例区8番目の候補。いっそ比例区も山本太郎と書きたくなった。

2019年7月18日木曜日

続、普遍性と覇権主義

昨日のブログ、首尾一貫性を欠き何を言いたいか理解不能のまま終わってしまったので、続きと思って読んで頂ければ幸いです。

最近「普遍的価値」とか「普遍的価値を共有する国と協力しながら・・・」との台詞を聞くたびに、理解不能で首を捻っていたものだ。辞書を引くと「普遍性:1.すべての物に通ずる性質2.すべての場合にあてはまる可能性」とされているし、多くの人もそのように理解している筈。従って、安倍政権が好んで使いたがる冒頭の台詞は違和感を持って聞いても仕方がなかろう。

地球が猿の惑星で人類と猿が共存しているなら兎も角、彼等の用語用法が間違っている。普遍的価値を共有しない国家とは価値観のどこが異なるのか、少なくとも人権なら人権、人命の軽重ならそうとはっきり言ってもらいたい。一見そのように見える北朝鮮だって普遍価値観は同じだろうに。文章に喧しいジャーナリストがこの点を指摘しないのが不思議でならない。

下らぬ揚げ足取りが先ず一点。関連して言いたかったことが二点目の「覇権主義」。地球上に存在する主権国家が少なく、未開と言われた地域が広く存在していた時代には、先進国の間で未開地域への影響力拡大を目指す競争が激しく行われた。これが所謂「覇権主義」の始まりで、そのために二回に亘る世界大戦を経ても、その争いが続いている。しかし現在は未開地は無くなり、地球上どこに行こうと主権国家によって統治されるようになった。

それでも尚、手を替え品を変え覇権を目指す国家の代表がお隣の中国であろう。それに対抗しているように見えるのがアメリカに他ならない。アメリカはもともと弱小国、フランスなどの助けを借りてやっと独立した国柄。第1次大戦でパックスブリタニカ、即ち英国覇権の終焉を見てチャンス到来とばかり第2次大戦を惹き起こして、パックスアメリカーナ(米国覇権)を確立したとされている。国連設立主導しドルが世界の基軸通貨となり、この世に欠けたること無しでご満足と思いきや、中国の覇権は許せないてなことかもしれぬ。

所詮人間は浅はかな動物だから、覇権争いは無くならないのかもしれぬが、いい加減にしてもらいたいものだ。あらゆる国家が人類の普遍的価値観を改めて考え、平和共存に向け協力し合うよう強く希望したいる。その願いからうすると、欧州におけるEUの枠組みは壮大な実験であり、英国のブレグジットなんて動きは極めて残念でもある。新しい委員長になるフォン・デア・ライアン氏の下で今後EUがどのような展開になるか分からないが、これ以上分裂してほしくないので、昨日書き始めた訳である。

2019年7月17日水曜日

普遍性と覇権主義

昨日は何をしても上手くいかなかったので早寝をしてしまった。今朝は天気は相変わらず梅雨模様でどんよりしているが、睡眠十分だったせいか頭の方は大分すっきりしたようだ。気分が充実しているうちにブログを書いてしまうことにする。書く気になりさえすれば書くべきことが多すぎるくらいで、思いついたことがいつもの分量におさまるか心配なくらい。

今朝一番に観たニュースで拍手したいのはEU委員会委員長就任が決まったフォン・デア・ライアン氏のこと。就任は11月1日とのことだが、立候補が決まってから、何故かハラハラしながら注目していた。立候補するまではもちろん聞いたこともない人だったがドイツからヨーロッパ全体に相当有名な人だったのだろう。ドイツ人の友人もいないし行ったことも無いので国柄についても知るところは少ない。

知っているのは、昔で言えばカメラ今で言えば自動車などに代表される機械類に強く、医療関係では先駆的なので理科系に弱い小生とは無縁そうだが、哲学や文学的にも有名人が多い。また現代日本はそうでもないが、つい先頃の敗戦当時迄は何かと言えば国家建設のお手本にしていた国である。明治維当時、裏の世界で暗躍していた主要国英仏を措いて何故そうなったかも知らない。兎も角、父(多分伯父も)が大学で独法を専攻し、戦前日本は圧倒的な親独国家であった筈。

独和辞書が家に何冊もあったせいでもなかろうが、大学1年生の時、第2外国語でドイツ語を専攻したのはいいが見事落第、選考進級の通知が家に届き、両親を大変心配させた苦い記憶もある。親独の知り合いが何人かいて、ドイツ留学経験のある人の話では先方ドイツもかなり親日家が多いようだ。これは皆若い頃の話なので、何となく社会主義者ぽいメルケル氏が指導者の現在も同じかどうかは分からない。

もちろん知識もない小生が特にドイツ贔屓の筈もないが、このライアン氏の経歴には驚かされる。委員長選立候補以来の報道では年齢や出身大学は紹介されず、過去6年間ドイツの国防大臣であったこと、医者の出で7人の子持ちであることのみが紹介されていた。日本であれば一寸有名になった女性は必ずと言っていいくらい、○○大学を出た秀才との枕詞が常識化しているが、少なくと27の国が参加する議会ではそんなこけおどしは通用しないのだろう。

wikiで改めて経歴を確認すると年齢は60歳、ルター派教会所属と書いてある。彼女が就任後は、国境を超える大企業GAFA等の企業群には厳しくなりそうだ。普遍性と覇権主義について書きたかったが、前書きだけで終わる。

2019年7月16日火曜日

アホみたい

本日は何も書くべきこと見つからない。終日降り込められてテレビや録画を見て過ごす。ぼんやりしすぎて思考能力ゼロ。昨夜は友人との食事だったので、それなりにしっかり食ったので昼飯を抜いて自宅に引きこもりぱなしっだった。流石に腹が減ったのでこれから出かけようと思ったが、夕飯には時間が少し早い。アリバイのためこれを上げる。

2019年7月15日月曜日

読後感「現代語訳:平家物語」
尾崎士郎著

遠い昔、平清盛とか源頼朝なる武士が存在していたこと、或いはその時代の武士集団が源氏組と平家組に色分けされていたこと、どちらの方にも名高い武士が沢山居て、短編的お話としては何度も聞いてきたことがある。しかしそれが一体いつ頃話なのか、恥ずかしながら系統だった知識が無かった。10日ほど前であったろうか、全く別の本を探しに神田の本屋街をうろついた際、目当ての本の代わりに目に留まったのが本書だ。

著者は昔いろんな小説も面白く読ませてもらった記憶があるので、購入してこの連休で読了することが出来た。流石に読み易く、読み始めると珍しいくらい読み進むことが出来たのは、偏に著者の筆力と言うものであろう。著者は若い時から琵琶を嗜んでいたとのこと、平家物語の原本は著者がはっきりしない(一説には信濃前司行長が著者との説もある)が、古くから琵琶法師が語り伝えていることだけは確かのようだ。

本書は古くからの伝え、即ち原本にかなり忠実なようで、全12巻と各項目立ては殆ど原本をそのまま使っている。但し、余りにも有名な冒頭の「祇園精舎の鐘の声・・」は本文としては採用せず、簡単な前書きに留めて、いきなり平家の専横ぶりから書き始めている。平安末期の約6年間に北は奥州から南は四国九州、北海道を除く全日本を戦乱に巻き込み、時には南北朝時代のように天皇が二人存在することもあったことも初めて知った次第。

登場人物が多すぎて、それを一々記憶に入れながら読まねばならぬだろうが、とても敵わない。平家組と源氏組と書いたが、それが明確に敵味方になっているなら話が早いが、寝返りだけに限らず、この色分けも相当に難しい。トルコがアメリカの味方か敵か分かり兼ねるように、敵対関係は現代も同じことのようだ。細かいことは余り気にせず、場面場面の面白さを追って読み進んだ。幼い時から話に聞いたりして記憶に残っている話が沢山出てくる。

しかし、今まで認識していた事との違いも多い。特に義経と頼朝の不仲説、義経が最終的に東北に逃げたのは記憶と一致するが、牛若丸弁慶との関係は全く出てこない。幼い頃、ある意味で弁慶はヒーローであった筈が、本書ではその他大勢の一人にしか過ぎなかったのが少し意外でもあった。




2019年7月13日土曜日

忍者になれと?

アメリカは産油国でもあるし代替エネルギー源も豊富で、エネルギー源として中東の石油に依存は全くしていないそうだ。それが何故地中海やら中東近海に空母艦隊を派遣までしているかについては、見立ては種々あるようだが正直なところよく分からない。一つだけはっきりしているのはイランを目の敵にしていることだけである。

昨年6月トランプ大統領は、突如オバマ政権時代に結ばれたイランの核開発に関する国際合意 から離脱を表明。イランは国際合意に違反しているとしてイランに対する圧力を強めている。北朝鮮に対する圧力ならまだ分かるが、何故イランを目の敵にしなきゃならんのか?中東が政治的に不安定なのは分かるが、これとても元はと言えば、アメリカが引き金を引いたイラクでの大義無き戦争が大きな要因だとする人も多い。

アメリカはもちろん国連加盟国だが、国際紛争処理に国連を利用する意思は無いようでもある。2位以下の7か国が束になっても敵わないような世界最大の軍事力を持つ国故だろうが、トランプ大統領は地球の支配者の様な気分でいるのだろう。日本は困ったことに、そのアメリカの子分筆頭だと思っている節がある。同盟関係にあるのは間違いないが、親分のアメリカで日本を子分筆頭と思っている人間がいるかどうか。アメリカ政府高官にアンケートでもしてみれば面白い。

そのアメリカが悪乗りして遂に中東に於いて、ここ数週間以内に、「有志連合護衛艦隊」(センチネル作戦)を結成すると今週9日に米軍統合参謀本部議長が発表した。日本のテレビ局もこれを取り上げているが、この取り上げ方極めて曖昧。アメリカは既に候補国と詳細なすり合わせをしていると公式に言っているのに、日本側は公式な打診は未だ無いなんて呑気に答えている。民主党時代に防衛相になりながら、今や完全に安倍シンパに成り下がっている森本敏氏なんぞ「今日アメリカ大使館に行っていたが、そんな話一言も出なかった。」ととぼけた迷言を吐いたりしている。

この小父さん、齢は幾らも違わないのに、名誉とか恥に対する思いが随分異なるのが不思議でならない。何れにせよこういった人たちが、これから如何に国民を欺くか目下真剣に考えているのだろう。

*センチネル:我が家の安い辞書掲載されていない単語、どうもスパイとかモグラとか番人との意味らしい。

2019年7月12日金曜日

季節の変わり目だけか?

今年の梅雨は長く、真夏と言ってもいい時期の筈が雨模様でうすら寒い日が続いている。それでも報道で知るヨーロッパの異常気象はもっと凄いものがある。干ばつで農業が成り立たない地域や大規模な山火事が出現する一方で、洪水による被害出てみたり、竜巻、落雷、雹等で死者が多数出たりしている。極東のシベリア辺りも過去に例を見ない洪水に襲われてるようだ。こんな状況に比べれば日本は未だ良い方かもしれぬ。

要するに地球全体が異常気象で、今世紀末には平均気温が3℃上昇するとの見方もあるそうだ。これはただ事ではないだろう。ヨーロッパではこの問題を重要視し、環境問題を政策の筆頭に挙げる政党が出現しつつあるのはご承知の通り。このところあまり見なくなったが、嘗ては「日本沈没」とか「ゴジラ」のように、国家を超えたところでの人類の敵、或いは脅威を描いた映画例えば「地球最後の日」とかがハリウッドでも盛んに製作された時期がある。極楽島の日本ではこれを荒唐無稽全くのフィクションとしてしか受け止められぬが、ヨーロッパでは真剣に考える人が出てきたようだ。

気象問題ばかりではなくプラスチックごみの問題も相当深刻だ。1週間に2回ゴミ出しをする度に思うのは我が家前に設置されているごみの集積所に積まれるごみの容量、可燃ごみだけではこんなボリュームになろう筈がない。大容量を占めるのはプラスチック製品の多さだろう。我が身を振り返ると、家内を亡くしてから飲料水は全て水道水にしているのでペットボトル製品は先ず購入しない。従ってプラスチックごみは少ない方かと思うが、それでも包装材などで馬鹿にできない量となる。

こんな環境になっている現代、人類が協力しあって何かしなければいけないように思う。先の大阪で行われた20か国首脳会議なんて場に於いて何が話し合われたか知らぬが、世界の政治家は己が立っている足元の栄耀栄華しか考えていないようだ。そんなことは生きているうちに実現しそうにないと思っていたことが、現実として目の当たりにする昨今である。貿易の公平・公正なんてことが空しく聞こえる。

2019年7月11日木曜日

権力集中と分散

個人的に確認の仕様が無いので何とも言えぬが、英国は民主主義が根付いているお手本のような国とも言われる。何がそのような大そうな評価を生み出したかもよく分からない。しかしここ数日イギリスBBCの報道を観て、民主主義と関係あるかどうかは別として感心することがある。彼の国に於いては政治家・官僚・報道陣の役割が非常にはっきり区別されていることである。

現在日本のこの3者と比べた場合、その差は驚くほどの距離を感じざるを得ない。安倍一強と言われる所以は、政治家安倍氏に官僚も報道もなびいてしまっているところにあることは誰にも否定できないだろう。今回英国の駐米大使が本国に送った報告メール(極秘)が、日曜紙メール・オン・サンデー(電子版)なるメディアに暴露される事件が起きた。初めて知ったメディアであるが日刊ゲンダイ電子版の様なものかもしれぬ。

メールなんぞに極秘は託せないことの証かもしれぬが、それはこの際措くくことにしよう。そこに書かれた内容は、アメリカの現政権は現在も今後も統治能力を欠いており信頼に値しない、旨だったようだ。ワシントンから1万キロ以上離れた島国に寓居するボケ老人でも、さもありなんと思う内容だ。勿論トランプ氏は激怒、英国の政治家諸氏も秘密が漏洩したことへの遺憾は表明したものの、内心困ったに違いない。

しかし、首相以下殆どの政治家は、官僚である駐米大使の報告を官僚の義務を忠実に果たしているとして、内容は個人的見解であり、政治的にどう受け止めるかはコメントしていない。ところが、彼の国は政権与党である保守党が総裁選の真っ只中、元外相のジョンソン氏と現外相のケント氏が激しく闘っている。数日前に両氏がBBCの公開討論会の登場。この討論会の司会者が実に見事で書きたいと思っていたくらいだ。何故ならば質問が非常に率直で、多分国民の多くが聞きたいであろうことを鋭く突っ込んでいる。

これも日本のヤラセ臭い司会とは大違い。ここでも当然この極秘電漏洩問題に話が及び、「貴方が首相になったら、駐米大使を更迭するか?」と投げかけた。今のところ優勢と言われているジョンソン氏は少なくとも彼を守るとは答えず、一方のケント氏は彼の擁護を明言した。ジョンソン氏はすぐ後で「官僚を政治問題に巻き込んではいけないと言っただけ。」と弁解している。しかしこのことでジョンソン氏は評判をかなり落としているとの指摘もある。

異国のことなのでよく分からないところでもあるが、我が国との違いの大きさは本当に驚くばかりだ。

2019年7月10日水曜日

つかの間の晴れ

人間誰でもそうらしいが、心のうちに真面目な自分と不真面目な自分を併せ持つらしい。教えてくれたのは中国の文学者で周作人という人物。全くその通りだと思う。その両方を時により、或いは相手によって使い分けて楽しむことが出来ればいいが、相手をしてくれる人間が居なくなるとそれもなかなか叶わない。自分の心をお手玉のように弄んでみたところで栓も無い。兎に角独居とは侘しいものだ。

もちろん私もそうだったが周作人なんて人を知る人は極めて少ないと思う。知ったところでどうということは無いだろうが、序に知ったかぶりをして、魯迅の弟で、兄の後を追って日本に留学したことを書き添える。この周作人先生が面白い歌を詠んでいる。昨日は「腹が立つ」と不穏当のことを書いてしまったので、その埋め合わせに一部を紹介する。「可笑老翁垂八十 行為端的似童痴 劇憐独脚思山父 幻作青畳羨野狸」(変換が出来ない漢字を畳に変更)

読み下すと「笑うべし老翁八十になんなんとして、行為まことに童痴に似たり 甚だいとおしみて独脚の案山子を思い 畳に化ける狸を羨む」高校時代に<わたひゃ>とあだ名された漢文の先生から落第点を付けられたものだが、この読み下し文を読むと、自分のことを言われているようで何となく笑えてくる。確かにここまで来ると、子供同然になるのも已むをえまい。

久し振りに午前中から晴れていたので、昼飯を有楽町まで足を延ばし、序に東京→大手町→皇居経由桜田門といつも異なる場所を歩いて少しさっぱりもした。
不思議に思ったのが、久しぶりに入ったステーキ屋のランチメニュ―、単価が随分下がっていた。もちろん組み合わせで従来以上の料金になるが、サイドについていたデザートなんかが外されて、従来無かった単価千円以下のメニューが増えている。これはいったい何を意味するのだろう?

実質所得が減り、誰にも節約したい気持ちが出るのは当たり前だろうが、経済学者の見解を聞いてみたい気がした。

2019年7月9日火曜日

1円でも腹が立つ

先日「7pay」騒動が持ち上がった時少し書いたが、世の中便利そうに見えて結構不便・負担になることが増えている。スマホは使えないのでまだいいが、それでもパソコンは何かと重宝して使用してきた。お陰で、パソコン操作する際必要になる「ID」と「パスワード」が問題だ。自分の電話番号すら時々分からなくなるほど脳みその劣化が進んでいるのだから、必要なそれについて覚えきれるものではない。

当然の成り行きで、安全性の観点から見れば極めて脆弱であろうそれを、一覧表にして置いてある。中には金融機関のネット口座関係も勿論ある。金融口座関係の「パスワード」はそこそこにセキュリティ精度があったにしても、最低3か月に1度は変更するのが常識らしい。口座にアクセスしようとすると、必ず「パスワード」の更新を催促される。口座に残金があろうと無かろうとそれは常識だろうが、その催促に従ったことは一度もない。

ところが最近はメールでその催促が頻繁に来るようになった。これは金融機関が親切心から送ってくれているものかもしれぬが、悪い輩が老人から何か情報を引き出すためのものかもしれぬ。例えば今日来たものにこういうのがある。「ペイパル:あなたのアカウントは24時間以内に制限されます。」削除するならしてくれればいい。ペイパル側から見ればこちらは少なくとも顧客だろうに。腹立たしいが触らぬ神に何とやらで、こういったメールは即削除している。

ネット口座とは言え金融に関わる一種の契約又はその変更が、メールで行われるのが常識化しているかどうかは知らぬ。「7pay」騒動の原因もそこにあった筈だ。確かに口座開設等の契約が一々文書の往復で行われ、やれ捺印だことのは面倒でもある。しかし面倒でも踏まざるを得ない手順が世の中にあることを知らない社会人が増えて、ネット犯罪が増える一方となるに違いない。このことも腹立たしいが、今日の報道では10月の消費税増税で郵便料金が上がり、例えばハガキは62円が63円になるとのこと。10円切手や2円切手の残りがあるうえ、今度は1円切手を買わされる。これも腹立たしい。

2019年7月8日月曜日

飯縄山(いいづなやま)

昼間一瞬晴れたが、1週間天気予報によれば梅雨は今週いっぱい続きそうだ。ここ数日陽射しが無くうすら寒くて元気が湧かない。たまには読書をしたり物思いにふけるの良いことかもしれぬ。昨日はしょぼふる雨の中。ある本を探して神田神保町の本屋街歩いたが結局見つからず、大正時代以前の山関係の本を何冊か立ち読みした後、歩きながら考えた。「俺は何のために山に行くのだろう?」

何のためと言われても大した目的がある訳ではない。強いて言えば気分転換と健康状態確認のためかもしれぬ。気分転換と言っても、それが必要なほど毎日厳しいプレッシャーに曝されている訳でもない。暇な極楽トンボではないか。逆に言えば、暇すぎるので少しは緊張感を感じたいのかもしれぬ。次の健康状態確認はその通りである。高かったり険しかったりする山はもう無理だが、目標とした山の山頂に至らなくても一定程度歩けることを確認できた時は大きな喜びに繋がる。

帰宅してから、これまで歩いた山に関して記録を確認してみた。記録は2004年9月20日「大町ー黒部湖ー室堂ー浄土山ー黒部温泉-欅平」から始まっている。それまで行ったことも無し、知らないことを自慢してたひねくれ者の悪い癖を母に窘められ「1度くらいは北アルプスを観ておいで」と言われたのがきっかけだった。信州人でありながら日本アルプスを観ずして山について知ったような口はきけないよ。室堂までは誰でも行けるのだから、と兄夫婦も口を添えた。

サラリーマン生活も終盤に入り、偏屈な性格も反省期に入っていたのかもしれぬ。64歳にして初めて観た室堂山からの雄大な光景は未だに瞼に焼き付いている。これは確かに我が愛する長野市界隈の里山とは大分趣が違う。人里の気配から隔絶した世界だ。よし、これから少し準備をしてこの辺を歩いてみよう。と決心したような気がする。高校1年の時、僅か3か月で山岳部をやめる時に父が言った言葉が思い出された。「山はいつまで経ってもそこにある。自分のお金で行けるようになってから行けば良い。」

その時からちょうど2年間、トレッキングシューズやリュックサック、ゴアテックスの雨がっぱ等を順次買い整えて近隣の山にボチボチ登り始めた。すぐに疲れもしたが不思議と山歩きが楽しくなってきて、ゴルフをやめたりして約2年後2006年9月初めて上高地に足を踏み入れた。以来これまで春から秋まで殆ど月1回は山に行っている。中でも多いのが先日も行った東京の雲取山8回と長野の飯縄山の7回。飯縄山は小中学生頃から数えれば優に10回は超すだろう。我が心のふるさととも言える山である。

2019年7月7日日曜日

読後感「新聞記者」望月 衣塑子著

2年も前の発売で賞味期限切れの感があるので、読後感はアップするのをやめようかと考えていた折から、今日のメルマガで次の記事を発見。『米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は5日(一昨日)、菅義偉官房長官が記者会見で東京新聞記者の質問に対する回答を拒むなど、そのメディア対応を指摘したうえで、「日本は憲法で報道の自由が記された現代的民主国家だ。それでも日本政府はときに独裁政権をほうふつとさせる振る舞いをしている。」と批判した。』

先日同名の映画を観て余りに詰まらなかったので、どうすればこんな映画になったのかと検証の心算で読み下したが、内容は全く異なっていた。映画は森友と加計学園問題をごちゃまぜにして仕立てた本書の趣旨とは全く異質のフィクション。本書は著者がこれまでの半生を明らかにする中で、新聞記者が置かれている実態、特に司法や国家権力との向き合いあい方を赤裸々に綴っていて、それなりに読みごたえがあった。

著者は当然のことながら一昨年秋の時点で、新聞と権力の向き合い方が同じ土俵に立っているとは感じられないし、これからも闘い続けないと国民に真実が伝わらないとの焦燥感を拭いきれないと、中途半端な形で本書を締めくくっている。言うなれば未完の書であって、小説や映画になるとは思っていなかったと思う。発行元の角川書店が映画製作も手掛けているので契約の際抵抗しかねたのだろうと推測した。

本書で著者が心配したことは何一つ改善されず、政府は相も変わらず国民に平然と嘘をつき、都合の悪いことを言う人間を少年探偵団モドキの諜報機関や、権力にすり寄らざるを得ないマスコミを使ってプレッシャーを掛け続けている。著者もとっくにその対象の一人になっているに違いないが、元気に活躍を続けているのはご同慶の至りでもある。因みに最初は儚い抵抗であるかもしれぬが、政府に対して抵抗力の弱い多くのマスコミの中にも、著者と同様、個人的にジャーナリストの使命を貫かんとする記者が多数いることも実例を挙げて紹介している。

2019年7月5日金曜日

年寄りには無縁ながら

ニュースの見出しだけは何のことやらさっぱり分からなかった「7ペイ問題」。コンビニ「セブンイレブン」が発行したカードに関する詐欺被害のようだ。このカードなるものも実はよく分からない。あまり利用はしないが小生が持っているカードは、一定の額までは預金口座から自動的に引き落とされる仕組みの代物である。コンビニのカードも同じかもしれぬし、或いはプリペイド方式かもしれぬ。どちらにせよ老い先短い身には関係ないかもしれぬ。

しかしこれからの世の中、日本も中国のように老いも若きも現金を持ち歩かず、どんなに少額でもスマホで決済なんて日が来るやもしれぬ。IT後進国で幸いだ。高齢者の自動車事故が多発しているようだが、久しく自動車の運転席に座ったことが無いので分からないが、運転が相当簡略化されているようだ。ドライバーはキーを差し込んでハンドルを握り、シフトレバーを然るべき位置に動かすだけで、後はペダルを踏みこむだけ。

日本の場合、免許資格取得には60年以上前と同じような小難しい教試験があるようだ。ところが免許取得後の運転が楽過ぎるので教習所のこと等すっかり忘れてしまうのも当たり前。運転免許が必要ではあろうが、実際の運転事情をに即した方法を考える必要があろう。

2019年7月4日木曜日

目標が「安定」か

街宣車の喧しさは未だ聞こえてこないが参院選挙が始まった。ポスター掲示は相変わらず公明党と自民党が圧倒的に早い。組織力の違いをまざまざと見せつけている。昨日は日本記者クラブで党首討論会が開かれたが、頭の20分ほど聞いたのみ。それぞれ言わんとすることは聞き飽きたのかもしれぬ。結果予想も関心が無い。自公党首は政治には「安定」が何より重要と言い、若者の支持が多いのもそれ故だと聞く。

今日の昼、古い友人と飯を食いながら話したことがこの問題に大きく関係している。彼の一人息子さん、慶應の出身でIT技術者としてそこそこの企業に勤務されていたが、この度、父の会社に転職を希望されたとのこと。父親である友人はこれを窘めて「定年になるまでは現在の会社に居ろ」と説得に努めるも、「もう宮仕えには飽きた。のんびりしたいので同族企業で大した仕事もない父の会社に入りたい」と聞かない。

仕方なく親戚を根回しをして転職することに決まったとのこと。息子さんはそろそろ50歳近くの独身、彼が言うには、生涯安定した生活を送るだけのお金は十分溜まった、後はただのんびりしたいだけだそうだ。友人の息子さんも「安定」の価値観を最重要視されているのだろう。友人も若い時(少なくとも55歳くらいまで)は家業発展のためそれなりに努力をしてきた。

しかし、時代の変化に取り残され、今は事業の殆どは廃業、或いは縮小を余儀なくされて、結局不動産を主にした資産運用で悠々自適になっているのも事実。私立と謂えど立派な大学を出てIT技術者として高級を取っていた若者にあるまじき振る舞い、とややご機嫌は斜めで今更何をか況やと嘆きをぶつけてきたようだ。参院選の自民党キャッチフレーズの話は持ち出さなかったが、現在日本人からハングリー精神とかチャレンジ精神が失われていることだけは間違いない。

政治の責任ではなく、教育の問題かもしれぬしもっと他の問題であるかもしれない。寂しい気がするのはしょぼふる雨のせいばかりではないと思う。

2019年7月3日水曜日

日韓関係

経済問題か政治問題か分からないが、最近の日韓関係と今回新たに日本が取った半導体関連商品輸出に関する輸出規制の強化方針。これについては強化ではなく、2003年以前の普通状態に戻しただけとの見方もある。もちろん、G20で自由で開かれた貿易や国際的協力・協調を高らかに歌い上げた議長国日本のことだ。舌の根も乾かぬうちにWTO違反とか何かの意趣返しなんかあろう筈もない。単に韓国が貿易対象国として信用出来なくなっただけのこと。と政府を上げて言っている。

日韓には安保条約があるのか無いのかも知らぬが、安全保障上の同盟に近い国柄の筈。それがG20でバイの会談も無ければ、いきなり「あんたを信用できない」とは随分な表現に聞こえる。分かり易い言い方をすれば、喧嘩を売っているようなものだ。韓国も立派な自主独立国、国家間に緊張感が生じることがあるのはやむを得ないことかも知らぬが、仕掛けた側は常に着地点、着地方法を想定する必要がある。それが先の大戦最大の教訓ではないか。

我が国の公式態度は、韓国の態度が気に入らないのだから、態度を変えない限り日本からは何も言う必要はない。「もう俺は知らないよ。」である。関係する経済人の発言からも、日本も経済的に返り血を浴びることは当然のようだし、韓国側は経済戦争が始まったと言っている。昨日の夜のテレビ番組であるコメンテータが「日本はトランプ氏の手法を真似しているのでは?」と発言すると元外務官僚の宮家邦彦氏が色をなして「それは全く当たらない」と憤慨していた。でも常識的にはそのようにしか見えない。

もちろん誰の言い分が当たっているかは分からない。ただこんな騒ぎが両国にとって何も生産的なことは無いと思うのみだ。小生も全くそうだが単純な精神構造が多い日本人の中にあって、少なくとも政治家になろうと言う人たちには、少なくとも歴史や社会を学んで余り単純な発想をしないように望む者である。ことの発端が100年以上前(1910-1945年)に行われた日本の植民地支配にあることだけは確か。この歴史的事実のしこり解消が、簡単に行えると思うのは間違いであるとは断言できる。

2019年7月2日火曜日

つまみ食い

中途半端の本人が書くのも烏滸がましいが、先ほど久し振りに和製映画「新聞記者」を観てきてつくづく思う。中途半端程不味いものはない。月衣塑子原作の書をベースにしたので、スタッフ集めから始まり、諸々政府から睨まれるのを覚悟で・・・の宣伝文句につられてつい行ってしまった。記者と言えば、今年はハリウッド製「記者たち」がヒットしたこともある。制作会社としてはそれにあやかる心算だったろうが、モドキにもならない。

原作とかの宣伝文句が無ければ行くことはなかったろう。広告会社出身者が乗せられてどうする?で我ながら笑ってしまう。原作云々以外に何がいけないかと言えば、最悪は完全フィクションなら許せるが、なまじにノンフィクション紛いのつまみ食いが多いことだ。しかも前川喜平氏や原作者の望月衣塑子氏の映像迄挿入している。ノンフィクション紛いで作るなら事実関係を徹底的に検証して作るべきだし、そうでないならもっと制作者の想像力で徹底的に押すべきだろう。

現政権の隠ぺい体質や特高警察紛いの諜報活動を描くなら、小生でもフィクションで相当面白いテーマを幾つも上げることが出来る。美人の誉れ高い望月氏もよくこんな映画に協力したものだ。主演の韓国人女優がそうでないとは言いません。ただやたらおどろおどろと重苦しく暗いのも趣味に合わない。どうしてこんなことになったのか、検証するため帰り際に書店によって、予定に無かった原作なる本を購入する羽目になってしまった。

2019年7月1日月曜日

参院選を前にして

参議院選挙が近づいてきた。妻が生きていた頃は、夫婦間で最も多い話題は政治問題だったかもしれぬ。現在の反自公、反安倍思想ももとを糺せば妻譲りであるのは間違いない。しかし他家に嫁いで独立した所帯持ちになった娘達やその孫たちがどんな政治認識でいるかは、聞いたことが無いので何を考えているかは分からない。今日の朝日新聞によると、子や孫の世代は現政権を支持する層が厚いとのこと。

原因は安定感とか失業率が低いとか株価を維持してくれることにあるらしい。これから就職を控える孫たちにも一度是非本音を聞いてみたいものだ。恐らくそんな月並みな返事は返ってこないと思うが、もし就職率云々と言う答えが返ってきたら窘めようと思う。進路の分岐点に立つ時に安易な道を選ぶのか?多少困難であっても自分の進みたい道を探すのか?たった一度の大事な人生ではないか、就職環境がどうであれ大きなお世話だと言ってほしい。

しかし現実の若年層の多数は、年寄りみたいにぬるま湯のような環境が好きなようだ。将来が案じられたならない。今の日本は指導的立場の政治家や官僚、或いは学者に於いてさえチャレンジングな精神が見当たらない。当然の帰結として産業力が諸外国に比べてつるべ落としに落ちるのは理の当然だ。清き1票の投ずる先を思い悩んむこの頃である。