2019年7月18日木曜日

続、普遍性と覇権主義

昨日のブログ、首尾一貫性を欠き何を言いたいか理解不能のまま終わってしまったので、続きと思って読んで頂ければ幸いです。

最近「普遍的価値」とか「普遍的価値を共有する国と協力しながら・・・」との台詞を聞くたびに、理解不能で首を捻っていたものだ。辞書を引くと「普遍性:1.すべての物に通ずる性質2.すべての場合にあてはまる可能性」とされているし、多くの人もそのように理解している筈。従って、安倍政権が好んで使いたがる冒頭の台詞は違和感を持って聞いても仕方がなかろう。

地球が猿の惑星で人類と猿が共存しているなら兎も角、彼等の用語用法が間違っている。普遍的価値を共有しない国家とは価値観のどこが異なるのか、少なくとも人権なら人権、人命の軽重ならそうとはっきり言ってもらいたい。一見そのように見える北朝鮮だって普遍価値観は同じだろうに。文章に喧しいジャーナリストがこの点を指摘しないのが不思議でならない。

下らぬ揚げ足取りが先ず一点。関連して言いたかったことが二点目の「覇権主義」。地球上に存在する主権国家が少なく、未開と言われた地域が広く存在していた時代には、先進国の間で未開地域への影響力拡大を目指す競争が激しく行われた。これが所謂「覇権主義」の始まりで、そのために二回に亘る世界大戦を経ても、その争いが続いている。しかし現在は未開地は無くなり、地球上どこに行こうと主権国家によって統治されるようになった。

それでも尚、手を替え品を変え覇権を目指す国家の代表がお隣の中国であろう。それに対抗しているように見えるのがアメリカに他ならない。アメリカはもともと弱小国、フランスなどの助けを借りてやっと独立した国柄。第1次大戦でパックスブリタニカ、即ち英国覇権の終焉を見てチャンス到来とばかり第2次大戦を惹き起こして、パックスアメリカーナ(米国覇権)を確立したとされている。国連設立主導しドルが世界の基軸通貨となり、この世に欠けたること無しでご満足と思いきや、中国の覇権は許せないてなことかもしれぬ。

所詮人間は浅はかな動物だから、覇権争いは無くならないのかもしれぬが、いい加減にしてもらいたいものだ。あらゆる国家が人類の普遍的価値観を改めて考え、平和共存に向け協力し合うよう強く希望したいる。その願いからうすると、欧州におけるEUの枠組みは壮大な実験であり、英国のブレグジットなんて動きは極めて残念でもある。新しい委員長になるフォン・デア・ライアン氏の下で今後EUがどのような展開になるか分からないが、これ以上分裂してほしくないので、昨日書き始めた訳である。

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