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通信インフラの発展

物理の知識に全く疎いので、電気のしかけが理解できずに悩んでいることは何度も書いている通りだが、電子なる物か現象かも勿論分からない。電子と通信が関係あるかどうかさえ分からないが取り敢えず悩ましいく思っていることを書いてみる。この歳になって通信の中でインターネットなるものに随分世話になっているが、スマホを弄っている若い人にとっては、もっともっと利用価値の高いものだろう。

そこで思うのが、このインターネットは我が家の場合であれば、NTT東日本の電信柱から引かれた電線経由で入ってきて、家の中では電波で飛ばされ、パソコンがどこにあっても使える仕組みになっている。と言うことは電波でも通信は可能らしい。この電波なる代物が出ている装置は部屋の片隅に置かれた弁当箱程度の大きさである。人工衛星に搭載されて気が遠くなるような宇宙の果てから送られてくる電波を発生している人工衛星をニュース報道で見る限り、我が家の弁当箱と変わらないとは言わないが驚くほどの大きさではない。

電波の発信装置と発信力と装置の大きさの関係は知る由もないが、衛星経由で通信回線を送る術はないのだろうか?疑問の発端は2点ある。一つは、広大なチベットの山奥の村でスマホを使っている子供の記録映像を最近のテレビ番組で見たこと。人跡未踏に近いチベットの山奥にどのように電波を飛ばしているのだろう?電気が来ているとすれば、その電柱を共用している可能性は十分あるだろうが、電気も来ていない放牧地で、どこから来る電波をキャッチするのだろう?そう言えば子供がオヤジの携帯に電話して「つながらない」と半泣きになっていたから、近くに中継局が無いと言うことかな。

もう一つは海底ケーブルの話、インターネットの発達で海底ケーブルの需要が拡大して太平洋でも他の大洋にせよ海底ケーブルの延長が飛躍的に伸びているとのこと。勿論莫大な費用らしいが、関連のGAFA各社(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)が積極的投資をしているとの報道を読んだ。日本の通信各社のことは触れられていなかったが、どうなんだろう?何れにせよこれからの世の中は情報通信を制するものが勝ち組になりそうだ。

偶々この方面に強い友人と今朝メールのやり取りをして思いついたテーマである。

どこを押せばそう簡単に?

昨日やっと国会が再開され、首相の所信表明に対する3党の代表質問が行われたようだ。今日は少し観たが昨日は中継も見なかったし、夜になると複数のテレビ局で質疑について議員のゲストを招いたりしてどんな感想を持ったかと言った総括的な番組も組まれていた。何れも少し観ようかとも思ったが、数分見ただけで馬鹿々々しくなってやめてしまった。蛇足になるが、代わりに一昨日のNHK囲碁トーナメントの一戦、趙治勲vs芝野虎丸を見直した。こっちも30分くらいで止めようと思いながら結局一時間半丸々見直してしまった。

個人的趣味との違いもあるが、中身のあるものと空疎なものとの違いは歴然としている。因みに趙治勲氏はプロ棋士の世界で空前絶後数え切れぬ程のタイトルホルダーで62歳。対する芝野虎丸氏はプロ棋士ではあるが段位は未だ七段(最高位は九段)の18歳でメジャーなタイトルは無いのではなかろうか。しかし対戦結果は芝野氏が勝った。そしてこの芝野氏、吹けば飛ぶようにか細い体で憎らしいくらい表情を変えずに淡々としている。

将棋世界の藤井聡太氏よりは2歳くらい上かもしれぬが、彼らは見ているだけで未来への明るさを感じさせてくれる。ありがたい青年たちだ。藤井氏は高校に進学と言ったかどうか忘れたが、芝野氏も高校を出たかどうかは知らない。要するに人の生き方は様々で、東大を首席で卒業したと称する弁護士資格を持つ元大蔵官僚のお姉さんか小母さんか分からない女性がテレビタレントをしたり、同じようなことお仰る60歳の片山さつき先生は晴れて大臣となられた。一方学歴は無くても小生希望を届けてくれる青年もいる。学歴なんぞは糞の役にも立たないケースが多いのだ。

何が言いたいかと言えば、首相が好んで使う「一億総活躍社会」が気に入らないのである。こちらもそうだが活躍なんかできない人間は多数いる。ご本人は何でこんな言葉遣いをすのか知らぬが、小生には一億とくれば「火の玉」「玉砕」「総白痴」くらいしか思い浮かばない。もう一つ「力強い国家」なんて戯言にもにもケチをつけたいが長くなりそうなので他日に譲る。

暗殺=まるで子供の発想

これからしばらくの間、小春日和が続きそうなので嬉しい限りだ。小春日和が恨めしい人も中にはいるかもしれぬが、それこそ少数派だろう。元来多くの人間はどこに住もうと自然の恵みを一番大切に感じるのが自然だと思う。偶々生まれた国でそれぞれの国家による恵みもあろうが、個人に対しては国家による制約や罰則もある。天罰は自然災害だと考えれば個人的なことではない。罰も極めて公平なものだから、何となく諦めなくてはならぬだろう。

諦めきれないのは法律に依らず国家権力者の恣意で殺されたりする人だ。正に不幸を絵にかいたような話だが、権力者の弟によって殺された兄や同じく甥っ子に殺された伯父の話は隣国のことなので有名だし、今回はアラビアンナイトの国で、親戚かどうか分からないが少なくとも近い関係であったジャーナリストが権力者の皇太子にの意向で殺されたと噂れている。両国ともあまり近代的国家とは見做されていないが、近代国家でも国営暗殺チームを持っている国はが殆どだろう。

我が国でさえ暗殺のケースがあったかどうか分からないが、時の政権に不都合な人間を社会的に抹殺したことは歴然たる事件でも度々見られる。今回のアラビアンナイト事件が計画から実行までかなりご粗末と世界中から非難されるが、日本で起きた事件のご粗末さに比べればまだましとも言える。少し俯瞰すれば脛に傷を持ち敵対する国も多い国家トルコとすれば、似たようなことを自分たちもしょっちゅうしているので諜報機能で少し得点を挙げたところのようだ。

こういったゲームの中で平和国家日本は常に蚊帳の外であるのは喜ばしい限りだが、今の政権はそう考えたくないらしい。しきりに安全保障環境なる言葉を使いたがる。日本は上空だけでなく領土さえもアメリカに占領されている訳だから、アメリカに敵対する国が力を付ければそれだけ厳しさを増すのは馬鹿でも分かる。環境を良くするためにはアメリカの存在を出来るだけ小さくする以外の方法がある筈もあるまい。なのに政府は、アメリカのお先棒を担いで殊更に戦争ごっこの真似をしたがる。まるで子供じみているが、それも現代の子供ではなく昭和10年代の子供と同じ。何を学んでそうなったか知りたいものだ。

世界の認識・日本の思い込み

天皇陛下のご臨席を仰ぎ国会が開幕したと思ったら、翌日から総理以下閣僚数名が中国を訪問した。外交であるから中国訪問はかなり前から決まっていても不思議はない。であれば国会の召集時期を数日先延ばしてはどうかと思うが、これができぬ程総理の日程も詰まっていると言うことだろう。お忙しい割には成果と言うか実りの無い薄っぺらな内閣であることだけは間違いなさそうだ。

中国では特に談判することは何もなかった(出来なかった)ようだが、破格の待遇で迎えられたことははっきりしている。総理としては嬉しいだろうが、日本の対中国政策を変えざるを得ないと見る向きが多い。中国が米国との関係で苦しいから、属国日本を引き込むためにすり寄ってきている。だから7年前の前回は苦虫を噛み潰したような顔で会見した習近平首席でさえ、今回は笑顔で握手をしてくれたし、会談もできた格好にはなっている。

だから取れるものは何でも頂く絶好のチャンスだなんて言う識者(解説者)が多い。総理に面と向かって「トランプ氏との関係は大丈夫ですか?」と質問をする記者はいないが、聞かれても「日米の同盟関係は強固なもの」と簡単に答えることだろう。現在でも安全保障関係では南洋で米軍と一体化した訓練を行っているし、少々のお金が出るのは事実だろうが、中国の一帯一路戦略とは一線を画しているから流石日本と評価してくれる筈と思っている節が窺える。

事実テレビに出る評論家は政府御用達の連中が多いから、日本国民に対するメッセージは「漁船衝突事件で関係を悪化させた民主党政権とは大違いだ。これからは中国とのビジネス環境が益々拡大していくことだろう。」概ねそんな様子で胸を張っている。あっちの親分には杯を貰った正式な子分だが、敵対する親分とは盃のやり取りはしないで、その縄張りで稼がせてもらいます。本当の親分には迷惑かけないし、沢山上納しますのでので宜しく頼んます。で済むほど世界は甘いのだろうか?

中東のみならず国際政治の現状と各国首脳の苦悩は察するに余りあるものがある。何れにせよ政府の認識はパラダイス仕様で結構なことだ。

最高のハイキング

今年は天候が不順で、暇人にとっても山歩きに適切な日を選ぶのが困難だった。しかし昨日は火曜日頃からどこの予報をチェックしても完璧に快晴とのこと、こんな日をむざむざ見過ごす訳にいかないので、娘が来る約束を1日延期してもらい友人を誘って大菩薩嶺に行ってきた。友人は昔仕事の関係で世話になった官僚で、少し年下。山好きで気が合いリタイヤした後も1年に一度くらいは里山ハイキングを共にしている。

昨年は日出山に行って、来年6月には2度目のお勤めも終わる予定と聞いていたので、水曜日の午前中久しぶりに電話で連絡してみた。そしたら、なんと3度目のお勤めをしているとのこと。それも結構なことなので、ならば一人で行こうと思ったら、今度のお勤めは大分気が楽そうで、明日であれば是非にも行こうとのこと。昨年の日出山以降運動不足をかこっていたそうで、大菩薩嶺は未踏とのことでもあり、勿怪の幸いだったらしい。しかも自宅が国分寺なので好都合でもありそう。

取り敢えず電話で集合場所の甲斐大和駅とバスの発車時刻9:50を確認して、1年ぶり以上での再会を果たした。自宅を6時前に出て登山口到着が10;30は少し泣けるが、今さら時間に惜しみがある訳でない二人である。富士山の眺望拝みの狙いは正にばっちり、もう根雪に覆われたらしい美しい富士山を存分楽しむことが出来た。更に古い記憶と異なり、コースの標高差は僅か500メートル程、登りのコースは程々汗もかいて登山気分も出るが、途中で出会った若い夫婦に連れられた元気な娘さんの歳が2歳半と聞いてびっくりだった。

道理で高齢者夫婦が多かったのは平日だった訳だけではなさそうだ。何れにしても我々は人生黄昏の二人連れ、帰路は時間がたっぷりすぎるほどあったので、標高1800mから降りつつある紅葉をたっぷり楽しみながらお散歩気分でゆっくり下山。この山は高尾山と同じように広葉樹の種類が多いので紅葉のバリエーションも見事なものだ。来年以降も又来たくなった。

例によって詳細は下記をご参照願います。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1628661.html

物理のテスト0点ゆえ

今月21日に台湾で発生した列車の大事故、8両編成の特急列車が時速140キロと言われているが脱線転覆して、こう言っては何だが、死者がよく16名で済んだと思う。運転士も生命は取り留めているらしいから、原因が本格的に突き止められることに期待したい。台湾も結構な工業国家と思うが、やはり列車の様な重工業は外国に任せた方が安いのか、列車は日本製とのこと。日車(日本車輌製造)製のTEMU2000型電車と報道されている。

その記事を読むと、これ迄に電車の運転は単純で三輪車の運転より楽ちんではないかと思っていたのが大いなる勘違いと認識できた。日本では数年前にJR西日本が大きな事故を起こしたが、遠隔地だったこともあり他人事のようで、私鉄を含め列車が最も安全な乗り物と心得て毎日のように利用させてもらっている。最近は余り混雑する時間に乗ることも少ないので、予定時刻に列車が定位置に停止することも不思議に思わない。

自動と言えば自転車、動力は足の運動をチェーンで車輪に伝え、制御はタイヤのリムを硬いゴムで摩擦する仕掛け。原理はこれくらいしか分からない。昔は自動車の運転免許に構造のペーパーテストがあったが、一夜漬けで覚えたものの合格と同時に全て忘れたので、自動車の構造など全然分かっていない。大した事故もなく免許を放棄できたのでほっとしているところだ。列車と関係ないが、聞くところによると最近の乗用車は大凡1万点ほどの部品で構成されているらしい。これが電気自動車になると部品が10分の1となるらしい。

元に戻って電車の話だが、運転席は近くの交通公園で見る限り簡単そのもの。電気自動車の部品点数が少なくなるのが分かる気がする。ところが、電気の扱いはボケ老人が思うほど単純ではないらしい。先日北海道のブラックアウトから電力の需給バランスに触れた時も思ったが、電車は架線から電力を取り込むのが基本だが、場合によっては不要な電気を架線に送ることをしながら走っているらしい。

電車に必要な駆動装置は当然全て電力に依っている。もちろんブレーキもそうである。そこで台湾で走っていた件の特急列車、運転士が「ブレーキが効かなかった」と陳述の説もあるが、本当にスピードの出し過ぎだったのか、或いは電気の取り込みと放出の関係でとっさにブレーキの働きが悪くなったのか、想定される原因が多すぎて、記事を読んでも理解できないほどである。

明日…

暇をどう過ごすか

日本と言う国は本当に気楽な国だと思う。お陰でこちらも大分のんびりして日々過ごしてるが果たしてこれで良いのかと少し反省してみたい。世の中に年寄りは佃煮にしたくなるほど多いが、皆さん毎日何を考えているのだろう?天気が良い日は必ず洗濯物と一緒に布団を干す家もある。毎日同じ路上で同じメンバー3人がお喋りしているお婆さんがいるが、よく話が続くものだと感心せざるを得ない。

爺さんは朝早くから犬の散歩する人、車を毎日洗車してピカピカにする人、路上でゴルフの素振りに励むのは危険だから止めてもらいたいものだ。昔取った杵柄で社会福祉関係のNPOを立ち上げたとて物書きに勤しみ乍ら、門前に鉢植えの花々を並べて朝夕水やりに励んでいたお人もいたが、書斎のスペースが手狭になったようで、最近車庫を潰してリフォームを始めた人、外出の機会がただでも少ない人なのに益々運動不足でお腹だけが出てくるだろう。総じて爺さんは何をするにも孤独な感じだ。

毎日同じことを喋っていても婆さんの方が健康的であるのは間違いない。こちらも孤独は紛れも無いし、仕方ないからブログなど書いて無聊を克服したいがブログの種も尽きかけている。結局反省も何もあったものじゃない。明日から国会が始まるそうなので、またバカな政治家がわんさと現れてブログのネタを提供してくれるのを楽しみにしてるところであるが、本格論戦は週明けになるらしい。

昔は政治家の海外出張は連休期間中が常識とされていたが、現在の総理を見ると、外遊の間に国会の予定を入れているようだと言った人がいる。徘徊老人になるには未だお若いのだから、新しい政府専用機に乗り込んで喜んだりするのはみっともないと知るべきである。結局こちらは誰に遠慮する必要もないので木曜か金曜日にまた山にでも行くつもり、今度こそ今年最後の山行きになるだろう。

繰り返すが世界中が騒然とする昨今、騒いでいるのは株屋だけで日本は世界のどこからも本気で相手にしてもらえない。本当に気楽な国だと思う。

温もりを期待して

終日秋晴れの良い一日だったが暮れるのが早い。気が付いたら4時を回っている。冬に備えてガス温風器が使えるようにガス工事を依頼してあった。午後来てくれることになっていたが、来てくれたのが2時半過ぎ。結局一日がその立ち合いで終わってしまったようなものだ。秋の大掃除をして炬燵を出したりする手間が無いのだから文句を言う訳にもいかない。

外国は何やら騒然としているが、日本は蚊帳の外。お陰でのんびりした日が続きそうだ。

国営昭和記念公園

イメージ
遠くに雲取山まではっきり確認できた

紅葉には少し早いが美しい場所が多い
昨日も午後から国会図書館に出かけたが、天気予報を信じたのか虫が知らせたかは分からないが早めに帰宅してよかった。夕方4時半頃からの夕立が江戸にしては珍しいくらいの激しさで、雷も凄かったが雨の勢いが半端でなく、天窓が壊されて水浸しになるのではと心配したほどだった。代わって今朝は早朝から快晴。

日曜日の朝はTBSの「サンデーモーニング」を見終わってから行動を起こすのが常だが、先週はアラビアンナイト以外に大したニュースは無いらしい。本当はハイキングに出掛けるべきだったかもしれぬが、それ程の気力は既に無い。そこで思いついたのが立川の「昭和記念公園」。昭和時代に約半世紀もお世話になりながら一度も行ったことがないのは申し訳あるまいと、ネットで調べると今日は無料開放日とのこと。早速出掛けた。

広いとは聞いていたが流石の広さ、森林や変化に富む造作は大したものだ。ホームページに掲載されている45か所のビューポイントを大体見終わったので入ったゲートに戻れば良かったのだろうがいつもの悪い癖。目の前に見えた砂川口から出てしまった。入場した「あけぼの口」は最南端、砂川口は最北端である。山でもそうだが、勘を頼りに歩くと大体本筋を間違える。本日もその通りで、1万5千歩位の散歩が2万歩を超す散歩になってしまった。

さぞ心地よく寝ることが出来るだろう。

ご参考まで:http://www.showakinen-koen.jp/

バカ万歳

昨日久し振りに国会図書館に行って少し本を読んだりしてきた。行くたびに思うのがこの図書館のシステムのアップデート(更新)のスピードである。

記憶では通い始めたのもそんな昔ではないと思うが、当時蔵書は全て紙のカードで引き出しに収められていて、それを探し当ててカードに記入、そのカードをカウンター提出をしてカウンターの前の椅子に腰かけ自分の番号がボードに表示されるまで待つスタイルであった。従って蔵書の検索が館内に多数設置された端末で行えるようになって日は浅いと思うが、一か月も行かないとこのシステムのどこかが変更されている。

利用する立場からすれば、日進月歩で使い勝手が良くなるのだから文句つける理由は無いが、税金で運用されているこのシステムの初期経費とか運用経費を想像すると莫大な費用になるに違いない。システムは富士通かNECのどちらかだった筈だが、ほぼ永遠に続くビッグなビジネスだから獲得に関しては相当な商戦があったことだろう。世は正にコンピュータシステムの時代、東京では無人の電車が走るのも当たり前、自衛隊の隊員諸氏は連日厳しい訓練に励んでおられるが、いざ鎌倉になった時は米軍と連動したコンピュータシステムが機能しないと動けない。

政敵を外国に置かれている領事館に誘い込んで殺人に及んだとされるサウディアラビアでさえ、軍隊は英米の装備で近代化を図ったり、コンピュータシステムが大活躍の投資ビジネス拡大をアッピールしている。アラビアンナイトのロマンもへったくれもあったものじゃない。世の中には常に頭のいい人が沢山いて、これらの人々が考え出した科学技術の発展がロマンを全く感じさせない殺伐たる世相を生み出してきた。と言ったら語弊があるかな。頭が悪い癖に生意気を言ってしまった、ごめんなさい。

昨日図書館のシステムのお陰で「文藝春秋」1960年1月号同級生交歓に楽しい記事を発見したので抄訳を披露させて頂く。大日本武徳会々長(元陸軍大佐・張作霖顧問、元衆議院議員)町野武馬氏と元陸軍大将・関東軍司令官の植田謙吉氏のお二人。町野氏が文を書いている。「共に明治8年の生まれで陸士の出身、約700人のうち40数人の生き残り中のバカ二人。並べて写真を撮る奴もバカ。自分は小学校もロクに出ずボロ出さず大佐まで進んだ本当のバカ。植田は正反対の立派な奴、大将まで行った。人物を見込まれ入閣を懇請されること数度に及ぶが…

改憲論議で思う

憲法を最も遵守しなければならない総理大臣が、憲法を変えるべきだと旗を振っている。憲法には、変更当然あるべしとして規定まであるのだから、変えること自体はとやかく言うべきではない。しかし総理が旗を振ることは大いなる矛盾であるのは間違いないだろう。何度も書いているように憲法そのものをよく知らないのだから改憲すべきかどうか意見を言う資格はないが、改憲論を強調する人の中にある押し付け憲法論には強く異を唱えたい。

日本国憲法が連合国占領時代、我が国がマッカーサー司令部の司令下にあった時代にその監督下で定められたことは幾らなんでも知っている。悪口を言う向きは、日本側が提出した案に業を煮やしたマッカーサーが何とかいう女性に命じて1週間で原案を作成させたとか、英語の直訳だから日本語としてなっていないなんて言われているのも聞いたことがある。しかし、これが制定されるためには当然ながら国会の審議を経ているだろうし、その議事録もあることだろう。

当然ながら終戦直後の1946年~1946年のことだから、数年後に改憲論を強調し始めた岸信介氏なんて人は戦犯として獄中にあって関与はしていない。当然と言えば当然で、岸氏は戦前から戦中にかけてバリバリの官僚で日本全体を統制していた張本人。絞首刑にならず釈放された方が不思議なくらいだ。総理大臣一家の悪口は程々にして、指摘したいのは当時の政治家の資質である。どんな議事が行われたか詳しくは無いが、芦田修正によって9条が押し付けではなく、日本の積極的意思表明に書き換えられたことは知っている。

確かに草案作成がマッカーサー司令部に相当せかされたようでもあり、さもなければ天皇を戦犯で引っ張るぞとの脅迫もあったようだが、当時の政治家の知的水準と占領軍との交渉能力は、現代のそれと格段の相違があるように思う。特に石原慎太郎氏がケチをつけている日本語の表現であるが、憲法を口語化するについては国語学者の安藤正次博士や作家の山本有三氏まで動員しているのだ。少なくとも石原氏よりは益しだろう。

切歯扼腕するばかり

数日前に安倍首相訪欧の意味が分からないと書いたばかりだが、今日のmsnニュースによると『今回の欧州歴訪で首相の最大のミッションの一つが「中国包囲網」の構築だ。南シナ海などで軍事行動を強める中国にクギを刺す狙いがある。』と書かれている。昨日のフランス大統領との共同記者会見でも首相は「自由で開かれたインド太平洋の発展・繁栄のためにともに力を合わせたい。」と述べている。

来週早々の中国訪問が大々的に喧伝される中で、何を考えているのか益々意味が分からなくなるが、それは措くとして。首相が折に触れて発する、日本を遠く離れた場所での自衛隊が行動することを是とする発言には強い違和感を覚えてならない。運転免許の無い少年に自動車を運転させているような思いに似ている。一方で首相はこのところ自衛隊員の前で「全て の自衛隊員が強い誇りを持って任務を全うできる環境を整える。これは今を生きる政治家の責任だ。私は責任をしっかり果たしていく決意だ。」繰り返し述べている。

現在の自衛隊員が強い誇りを持っているかどうかは兎も角、自衛隊員は任務を全うしてくれているし、国民の方から感謝こそするが蔑む人はいないと言ってもいいだろう。安倍氏にすれば、改憲して専守防衛の軛を解き放ち戦える自衛隊にしてやるから、のつもりで言っているとすればとんでもない話で、それが政治家の責任だとするなら勘違いも甚だしい。もちろん自衛隊員、特に高級幹部の中にはアメリカ軍との一体化強化が進むことや高価な兵器を買うことを良しとする人も多いかもしれぬ。

その傾向が進み暴走することを防ぐのが政治家の務めの筈が、真逆の姿勢が現政権とも言える。来年度もまたアメリカの応援或いは圧力があり防衛予算が拡大するのは目に見えている。それが出来るくらいなら災害対策や福祉に回せ、との声は聞こえるが雑音としてしか扱われない。政権の姿勢を糺すはずの野党の力があまりに弱いのはご承知の通り。ネットの世界は若い人の声が多いとも聞くが、ここでもネトウヨの声が圧倒的に多い。非力な老人としては切歯扼腕するばかりだ。

老後の生き方

先日現役時代の数少ない友人と話していた時のこと、彼曰く「自分は心拍が非常に低い。ある学説によると、動物の寿命は心拍数によって左右されることがあるともされている。いわゆるゾウの時間とネズミの時間と言うやつだ。もしそうなら自分の心臓は相当長生きするように作られているかもしれない。」また彼のお母さんは最近亡くなったそうだが、103歳のご長命だったとのこと。実に目出度いことだと思うが、重ねて彼が言うには「後10年くらいはいいが、それ以上となるとなぁ。最近は自殺なんてことも頭をよぎるよ。」

聞いてびっくりしたが、幸か不幸か長生きを心配するほどこちらの身体は頑健に作られていない。これもつい先日高校時代の友人夫妻と軽い山歩きをした際に奥さんにも指摘された。「貴方の膝は未だ擦り減っていないようで降りは軽そうだけど、登りはすぐハーハー言っているから心臓は弱そうね。」仰る通り自分の身体には全く自信がない。身体に限らず身の回りにある物の殆どが安物故、永持させるべく極力大事に扱うよう心掛けているだけである。自殺自裁なんか夢にも思ったことがない。

恵まれた人には凡人には想像できない悩みがあると半ば感心してしまったが、改めて老後について考えてみたい。78歳後半だからもう立派な老後である。最近亡くなった有名人を上げると前沖縄県知事の翁長雄志さん、女優の樹木希林さん、元横綱の輪島さん、政治家の仙谷由人さん、何れも70歳前後で亡くなっている。それぞれの生き方に大きな違いはあるが、皆さん立派に功成り名を遂げられて惜しまれつつ世を去られた。昨年暮に逝った我妻にも同じことが言える。

一方で人生100年時代なんて馬鹿なことを言い出す人間が現れ、政府はだから75歳まで働いてくれ、とか後期高齢者の医療費負担を1割から2割へとか訳の分からないことを言い出す始末だ。1億2千万人強の人口で2千万人強が70歳以上、100歳以上が7万人もいるのだから政府がオタオタするのも分からぬでもない。しかし、織田信長の戦国時代から我々が小学生の頃まで言われた「人生50年」は確かに伸びた。でもやっぱり「人生70年」が良いところだ。

若い頃から近隣は言うに及ばず広い世間を全く顧みず、只管我が家の暮らしだけを念頭に、来月分の食い扶持を女房に渡すことだけを目標に生きてきた。その目標が無くなった今、これから何をなすべきか、改めて考える必要が…

総理が今やりたいことは?

東京でも秋が深まりだいぶ寒くなってきた。併せて懐も寒くなってきたので、少しでも食費を切り詰めようと、昨日は娘に電話して「スーパーでご飯を買うのをやめてお米を炊いて食べるので、ご飯の炊き方と冷凍並びに解凍方法」を教えてもらった。併せて味噌汁もインスタントを止め、だしと味噌を使って作ってみたらインスタントとは味が全く違うことに気が付いた。これなら野菜も種類が多く摂れることだろう。経費の節減にもなるし一石二鳥だ。

余命がどのくらいにせよガードは益々固くせざるを得ない。似たような思いはお金持ちはいざ知らず、大方の給料生活者はお持ちの筈だ。政府の経済政策は果たして功を奏しているのかいないのか、どうも後者ではないか。昨日総理が来年の消費増税を明言したことも不思議にも思うが、穿った見方をする向きは「これは来年7月に三度目になるが、また消費増税延期を発表してW選挙に持ち込むため」の布石と仰る。

だから総理の記者会見は無しで菅官房長官に任せ「リーマンショックのようなことが起きれば延期もありうべし」と言わせているとのこと。言わば政府も景気が良いのは一部の人だけで大方の庶民の暮らしが良くないことをご承知のようだ。来年のことなど何が起きるか分かるはずも無いが、どう考えても懐事情が良くなることだけはあり得ないことだけはっきりしている。

そして総理は今日からフランスとスペインを訪問されるとのこと。どんな意味を持つのか少なくとも小生には分かない。気になるのは昨日韓国の文大統領が同じくフランスを訪問して、相当の栄誉礼で歓迎されている。総理の訪仏がどんな報道になるか分からぬが、大統領と首相の格の違いはあるにせよ、栄誉礼による歓迎は無いだろう。文大統領の場合は国連安保理による北朝鮮制裁解除を常任理事国の一員であるフランス政府に要請しに訪仏したことははっきりしている。マクロン大統領が了承したとは報じられていないが。 

しかし総理が文大統領を否定に態々訪仏とは思いたくない。欧州は今相当揺れている時期でもある。そこへの訪問だが意図が奈辺にあるのか分かりにくい。世界的に経済が不安定化してきている今日、国内には来年秋の消費増税対策以外になさねばならぬことが多い筈。まさか外遊の回数を重ねたいだけでもあるまいに、本当に何をしたいか分かりにくいお人だ。序に言えば今回党役員人事で改憲シフトを敷いたと言われるが、これす…

命綱

昨日の朝日新聞によると<九電、2日連続で太陽光発電抑制:太陽光発電の受け入れ量を一時的に減らす「出力抑制」を全国(離島を除く)で初めて13日に実施した九州電力は、14日午前から、2回目の出力抑制を始めた。電力の需要と供給のバランスが崩れて大停電が起こるのを防ぐため。>とのこと。

電力の需給バランスと言う意味ではこれと正反対な事件が先月6日早朝北海道で起きている。詳細は複雑だが簡単に纏めると、6日未明の地震で起きた人たちが照明やテレビをつけたことで電力需要は増えていき、それが苫東厚真1号火力発電所に集中することで、ここの需給バランスが崩れて周波数が低下し(高校物理が落第点故ここがよく分からない)、機械が壊れる恐れがあったので送電を停止した結果、地震と無関係な地域を含む全道的大停電になった。

昨年までバイオマス発電所建設に躍起になっている友人の仕事をボランティアで手伝っていたので、少しは電力に関する知識を持ち合わせていたつもりだったが、やはり基本的な知識が無いことにはエネルギー問題の根本は理解できないことが分かった。北海道全域のブラックアウトもさることながら、先日八ヶ岳山麓の友人を訪問した際に聞いた、台風被害による停電の話も怖い話だった。台風25号が多くの電線を引きちぎり友人宅では丸3日、場所によっては5日も停電が続いたらしい。

友人宅はプロパンガスを使用していたうえ、車を2台所有していたので、そのバッテリーを使いながら凌いだようだが、久しく停電を経験していない我が家がそうなったらパニックになること間違いなしだ。我が家に来ている電気の仕組みは前述の通りよく理解していないが、停電は地震や津波や台風でなくても起きる可能性はあるものらしい。ライフラインを考えれば他には水道もそうだ。スイッチを捻れば電気が点く、レバーを上げれば水が出る生活に慣れきっている危険を改めて考え直したい。

日本は昔と言っても最近まで、通信、鉄道、電気、水道と言った社会の基本施設は全て国公営だったが、水道を除いて(これも近いうち)これらを全て民営化してきた。この政策が果たして正しかったかどうか、しかも民営化で利益追求に拍車がかかる一方、様々な規制で政府が彼等を守っているのも明らかだ。大きな矛盾だと思うが、小泉純一郎氏や竹中平蔵氏に改めて感想を聞いてみたい。

「コンビニ」

現代普通に使われている日本語には意味不明の言葉が沢山あるが、その多くは横文字をそのまま使うか、意味不明のまま直訳しているものが殆どだ。明治の初めも同じことで江戸時代に無かった言葉が沢山出来たらしい。しかし明治時代の官僚は良心的で、言葉を導入する際に、その意味するところをきちんと調べて適切な日本語を作り出したとのこと。経済学者の三橋貴明氏の説である。

沢山あるその中で、江戸時代には国家とか経済なんて概念が無かったことは容易に想像できるが、「競争(competition)」についてはやや疑問に思うくらい驚いた。三橋氏が言うには江戸時代には「切磋琢磨」なる概念はあったが、競い争って結果として勝ち負けを決める概念は無かったとのこと。どこかの小学校の先生が喜びそうな話である。外国との関係が複雑化する一方の現在、外国人労働者とか様々な問題が顕在化している。難しい話は休日に相応しくない。

先日信州の友人宅で聞いた話も興味深かった。友人曰く平成の30年間に起きた変化で最も著しいのは「コンビニ」とのこと。車で相当走らなければコンビニが見つからないような田舎住まいの彼が言うくらいだ。ネットで調べてみると2017年統計で約5万8千店舗、平成元年統計は無いが取得可能な最古の値である1983年度では約6千3百店舗だから、30年前にあったかどうか確認の術は無いが数だけでも著しい増加だ。

加えてその機能たるや、簡単に食品が買えるのみならず金融機関窓口であったり役場の窓口にさえなりつつある。正に「Convenience(形)便利な,使いやすい,手ごろな」そのものだから、これが無くては生活が成り立たなくなっている人も多いだろう。30年前に「コンビニ」なる日本語が我が脳中にあったかどうか既に記憶の外になってしまっている。明治30年頃の「競争」と似たようなものだろう。

お偉い人に「新しい国造りを!」なん偉そうに叫んでもらわなくても、庶民にとって便利な事象は自然に国の形を変えていくものだ。

秋が深まる

月曜日の夜、広告代理店でテレビの仕事をしていた頃から付き合っている唯一の友人と久しぶりの飲み会をして、翌朝に新宿から長野県原村八ヶ岳三井の森別荘地に居住する友人を訪問。先ず入笠山ハイキングを案内してもらい、夜は夫人の手料理で大宴会。翌日は雨だと思ったのだが、朝食を済ますと意外に晴れ間が見えた。折角だからってことで、今度は北横岳のハイキングに夫妻ともども案内してくれた。月曜の夜から水曜の昼食まで久しぶりにまともな料理と美味い酒ににありついたうえ、信濃路の秋の山歩きまで堪能出来て素晴らしい週になった。
山歩きの詳細は下記をご参照願います。
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スパイの世界

今やロシアで英雄視されている旧ソ連のスパイ<ゾルゲ>に関連する一連の事件に関しては逮捕者も多く、日米開戦直前でもあり、当時は大騒ぎだったのだろうが、その数年後に日本が敗戦国になったためだろう、余り詳しくない。現在の日本は世界からスパイ天国と言われるほどスパイが多く暗躍しているとされるが、果たして本当だろうか?何故なら日本には機密性の高い情報が集積しているように思えないのだ。スパイ小説やスパイ映画は好きでよく見るが、舞台の本場は英米露であり、中立国のスイスやヨーロッパ本部の置かれているベルギーのブラッセルが多く登場してくる。

元ロシアのスパイが英国で襲撃されたり、オランダ警察でロシア人スパイが逮捕さえる事件を聞くと、日本人には全く絵空事のように思えるスパイが現実に活躍していることがよく分かる。これからは中国が無視できなくなるのではないかな。今回国際刑事警察機構のトップの座に居ながら本国に召還され逮捕監禁されている孟宏偉氏(64)事件は国内汚職事件関連とされているが、スケールの大きさで注目に値する。サウディアラビヤのジャーナリストが自国のトップの悪口をアメリカのワシントンポスト紙に書いたら、トルコのイスタンブール領事館であっさり殺害されたらしいとの報道もある。

英国や米国のように国益を掛けた殺人機関の存在を半ば公然化している国もあるが、小説で頻繁に登場するのがイスラエルのモサドだ。逆の見方をすれば今やこういった諜報機関の無い国の方が少ないのかもしれない。中国や北朝鮮は諜報機関員でなくても海外での行動が不自由のためだろう、国家を害する者は国家の正規の機関が自国民であれ外国人であれ堂々と拉致したり、公衆監視の中で殺人をしてのける。数年前に金正男氏がクワランプールで暗殺された事件は生々し過ぎて小説にすらならぬだろう。

国益とは何かについては難し過ぎて分からないが、日本にとってのそれは当面子供を増やすことのようだ。北朝鮮に拉致された国民の安否を上げる人もいるが、少なくとも現政権内の外務省も政権トップも、この問題はアメリカをはじめとする世界各国の協力もとで解決されると信じているようである。サイバーテロとも人間のスパイとも無縁の日本ならではのこととも言える。

教科書による道徳教育

「体育の日」とはかけ離れているが、今朝の朝日新聞に掲載された道徳教科書問題に関する記事に目が留まった。記事によれば、従来道徳教育は「考え、議論する」という方針だったのが、今回初めて中学でも「教科」になった道徳。来春から中学にも今までなかった道徳の時間が新設され、そのための教科書検定が行われたらしい。「従来の道徳の時間から特に変わるのは、検定教科書を用い、児童生徒を評価する点。」記事には次の見出しが付されている『根拠のない教科書・悩む先生…道徳って何だっけ』そりゃそうだろう、先生だって人の子だ。

たまたま昨日の池袋駅でのことだが、待っていた地下鉄に乗り込もうとしたとこら横から小学低学年の女子生徒が割り込んできた。思わず手が出かかったが辛うじて思いとどまった。そのタイミングで後ろにいた母親らしき人が娘に注意をする声が聞こえたのでほっとした。その子がどんな思いだったか知る由もないが、似たような光景にはよくぶつかる。修身や道徳とは程遠い身で書くのは気が引けるところもあるが、最近の日本は外務やや防衛省とは無関係の思わぬところで右傾化が大きく進んでいる。結果行きつく先は言わずと知れたところだろうが、これに抵抗を示す人材は益々減っているのだろう。

新文科大臣の柴山昌彦氏も東大出弁護士さんだから立派の人だと思うが、就任早々教育勅語で物議をかもしたりしているのはどういった存念なんだろう?なにか勘違いで時代錯誤されているのか、あるいはこちらが時代錯誤しているのか混乱を来してしまう。道徳教育は子供の頃から教える必要はあろうが、誰がどうのように教えるかは不肖の身には判断できかねるが、教科書で教えることは少し無理があろう。

文化の相違

日本人は昔から絵画・文学・詩歌、ひっくるめて言うと歌舞音曲と言った芸術を大事にしてきた国民かもしれぬ。そのたぐいの大学も国際的に見れば多い方ではないだろうか。我が豊島区も芸術を尊重する町として国立芸術劇場なんて仰々しい建物が有ったりするし、新宿区には東京オペラシティーなんてものまであるし、何で六本木に国立新美術館なんてものが出来たかも分からない。

池袋では先々週氏神様のお祭りを盛大に執り行ったばかりだが、昨日と今日にかけてこの関連だそうだが、同様の交通規制を行い、国立芸術劇場のすぐ脇にある池袋駅西口一帯で第19回 東京よさこい(ふくろ祭り)が盛大に行われている。記憶にある限りでは台風や冷たい雨にたたられる年も多かったが、今年は台風が幾つも来たのに先々週の本祭りもこの連休の「よさこい」も好天に恵まれた。別に祭り好きで行くのではないが、昼飯はどうしても池袋まで行かなければならぬので今年も少しは見た。

「よさこい」が何で池袋で?と聞くのは野暮らしい。この種の祭り?は今や北海道から沖縄まで、都内でも何か所かで行われて、それぞれがかなり盛大になってきているようだ。今年の池袋に参加したダンサーチームは100チーム5千人とうたわれている。これは全て自前参加だろうし、賞金目当てでもなく、それこそ老若男女一糸乱れず踊り狂うのだから練習も大変だろう。考えてみれば平和そのもので大変結構なことだと思う。

これこそ一種の文化興隆だ。パリでは今社交ダンスが大流行で、夜な夜なセーヌ河畔で踊りに興ずる大人が増えていると聞くが、それより健全かもしれない。
昭和34年大学に入学出来て初めて上京した時に、同じアパートで暮らした兄貴が「俺はちゃんとダンス教習所に通ったが、ダンスホールに行くにはボックスのステップだけ飲み込めばOKだから俺が教えてやる。」と言って促成教育をされたことを思い出す。

そう言えば当時は新宿だけでもダンスホールは何か所もあったが今はどうなっているのだろうか?カンカン照りの中で汗水流す踊りを見ながら、ふとそんなことを思い出した。フランスのシャンソン歌手シャルル・アズナヴール氏の葬儀が国葬で執り行われたとの報道に関連して、文化の違いを書こうかと思ったが話が逸れてしまった。文化に対する庶民の意識にはそんなに大きな違いは無いのかもしれない。

この国のかたち

司馬遼太郎氏が使い始めた言葉のように記憶するが、彼の膨大な随筆集のタイトルのようだ。果たしてどのくらい読んだか、或いは全く読んでいないかは憶えていない。司馬氏は明治維新前後の歴史上に登場した人物をテーマに数多くの小説を残してくれた。これらの人物が国づくりに貢献したことは間違いあるまい。そのうちの何冊かは読んだ記憶もあるが、国の形が腑に落ちたような気になったことは一度もないので、靄々した気持ちでいたのが偽らざるところでもある。

最近になってその靄が少し晴れ、確信に変わりつつあるのが現在の心境だ。但し、靄が晴れても余りハッピーではない。日本はどう考えても独立主権国家とは言い難く、アメリカの属国或いは植民地と考えたほうが分かり易い。小学校入学が昭和22年だから、先生からは日本は民主主義国家とずっと教わってきた。当時は連合軍の占領下にあり、何事もマッカーサーが率いるGHQの指導下に置かれてはいたものの、昭和26年にはサンフランシスコ講和条約で独立が認められて名実ともに主権国家となったと後に知るようになる。

従って、小学4年生から78歳の今日まで、我が国は独立主権国家であることに疑問は抱かなかった。世界に200強の独立主権国家があるらしいが、その一員として他国からも見られている筈と信じて疑ったことも無い。もちろん国連でも正規のメンバーだ。しかし、ただ1か国アメリカだけは日本の独立と主権を認めていないと考えるに至った。北朝鮮と国交が無いとか、ロシアとも正規の平和条約が無いなんて問題以前の根本的問題である。

嘗て支那の混乱時代にいくつか存在した政権の中で蒋介石政権がアメリカの傀儡政権であったように、現在の政権はアメリカの傀儡政権と考えれば、羽田空港の管制権が返ってこないとか、辺野古に基地を新設なんてことは分かり易い話だ。明治維新後政治家が最も心を砕いたのは、維新前後のごたごたの中で欧米各国と不条理に締結させられた治外法権の撤廃・関税自主権回である。彼等は廃藩置県になろうが憲法が制定されようが、日本が独立したとは考えていなかった。

安政年間から明治初めにかけてのどさくさの中西欧諸国に結ばされた不平等条約の数々、即ち治外法権と関税優遇であるが、これを改正するために先人が払った努力を改めて認識すべきだ。いろんな人の名が出てくるが、この問題を最終的に処理するまでに要した時間は50数年と…

秋の夜長

つい数日前まで暑さに辟易していたが、今日は寒いくらいだ。この週末にまた台風が来て連休中は暑くなるようだが、流石にそれで暑さも終わるだろう。日本の四季は良くしたものだ。今週は冬支度と決めて先ずインフルエンザの予防接種、続いて暖房について考えた。夏前にリフォームしたので、暖房は考えずに何でもかんでも処分してしまった。即ち畳と炬燵と石油ストーブである。家じゅう風通しが良くなって椅子の生活は腰には良いだろうが、今からこれ以上寒くなることを予想しておかないと風邪でも引きかねない。

インフルエンザを予防できても風邪を引いて動けなくなったら、飯を食うのが大変で一巻の終わりだ。リフォーム中に避難したアパートで使っていたガス温風機を使えるようにしなければならない。そんなことで昨日東京ガスに電話すると、すぐに見に来てくれた。前述の温風機はガス栓が無いのですぐには使えないが、ガス管がフローリングに張り替えた部屋の近くに来ているので、比較的簡単な工事で済むだろうとのこと。来週9日に設計担当が来て見たうえで見積もりを出してくれるとのこと。一安心した。

独居で時間を持て余すかと思っていたが、なんだかんだ言いながら結構足早に時は流れていく。秋の夜長になっているが読書でもするのがいいのかもしれぬが、読みたくなるような本が見つからない。これは新聞を読まなくなったせいだと思う。良いような悪いようなだ。

我が国の将来

25個目の台風接近とかでまた騒いでいるが、休みが続いてもやることがない人たち(自分のことです)には家で大人しくする口実で都合が良いかもしれない。昨日は新しい内閣が発足したが、新任された当事者以外でこの内閣に期待を持った人は少ないだろう。総理は憲法改正に突き進むために土台を固めたようなことを仰る。確かにお友達を党と内閣の要職に就けて固めたつもりだろうが、どいつもこいつも胡散臭い輩ばかり。この陣立てで国会は数の力で押し切れても、国民の信任を得ることが出来ると思うのか。

国民を馬鹿にするのもいい加減にしてもらいたいが、失敗すれば安倍総理退陣だそうだ。なれば、秋の臨時国会で強行採決して早いとこ国民投票に持ち込んでもらうのも意味がある。後にしゃしゃり出るのが石破氏であれ岸田氏その他にせよ、来年の地方統一選や秋の参議院選挙は混乱を極めるだろう。魑魅魍魎の政界がどのように動くか分からぬが、日本会議の出る幕がなくなるだけでもすっきりする。

そんなことより、アメリカの経済戦争に巻き込まれた日本経済の行く末、と言っても近未来のことだが、株価が異常に高くなったのは結構と思う人も多かろうが、山高ければ谷深しの譬え通り、安倍政権終焉前に日本の経済がおかしくなりかねない。との意見もちらほら見えるようになってきた。有効求人倍率が1以上なんてまやかしを信じて呑気を決め込んでいる若者がいるとも思いたくないが、我が孫たちにも自分の将来を真剣に考えてもらいたい。

20歳前後のことを振り返ると、就職先なんか何も考えたことがなく、22歳直前で行き当たりばったりの小さな会社に入ってしまった。これが結果的に良かったとするか悪かったとするかは未だに判断できない。しかし、真剣に考えてほしいと言われても、何をどう考えるのか分からないよ、と返事が返ってきそうな気もする。比較的無難なのは役所かもしれぬが、大企業が当てにならないことだけははっきりし始めているようだ。しかし大卒浪人のぷー太郎はごめんだよ。

読後感「アメリカの鏡・日本」
ヘレン・ミラーズ著・伊藤延嗣訳

1か月近く前に高校の同期生に薦められたが、読み終わるのに時間が掛かってしまった。原本は1948年にアメリカで出版され、翌年に日本でも出版の動きが起きたがマッカーサーが「占領中に日本人が読むことは適切でない」として許可しなかったと言ういわくつき。占領が終了した昭和28年にやっと出版されたが何故か注目されなかったようだ。平成7年になって本書の初版が出され、更に20年の月日を経て出版された文庫本を読んだわけである。

先ず著者を紹介しておきたい。ヘレン・ミラーズ女史は1900年(明治33年)ニューヨークの生まれ。女子大卒業後1925年に友人に誘われ北京に1年ほど滞在した後日本を訪れ、この時日本について興味を持ったらしい。帰国後ジャーナリストとして活躍、1935年(昭和10年)再び日本を訪れ226事件が起きる前年の約1年間、日本に於ける庶民の生活習慣や神道に至るまでの実際をフィールドワークし、鬼気迫る日本を体験した。戦争中は日本専門家としてミシガン大学、ノースウエスタン大学などで日本社会について講義していた。1946年に連合国最高司令官総司令部の諮問機関「労働政策11人委員会」のメンバーとして来日、戦後日本の労働基本法の策定にたずさわった。そして1948年「アメリカの鏡・日本」を著す。1989年89歳で没した。

その内容である。明治以降開国によって世界に開かれた日本が、他のアジア諸国のように西欧先進国に植民地化されることなく独立を勝ち取り、一時は大国の仲間入りまで出来たのは何故であるか?著者は偏に日本が真面目に大国の振る舞いを学び、国際法を順守したからに他ならない。しかし住むに土地は少なく、これと言った資源がない日本は外国と貿易する以外に独立を維持するのは困難であった。朝鮮半島から満州に土地を求め、移民政策を推し進めるのは必然でもあった。

それも先進大国によって作られた国際法を順守する形で進められた訳であるが、その地の権益に先着していた西欧諸国との軋轢が生じたのも当然の事。満州事変当時から欧米では何れ日本とは戦争になると予想はされていた。確かに日本は中国で中国軍と戦ったわけではない、フィリピンでフィリピン人と戦ったわけでもない、インドシナでインドシナ人と戦ったわけでもない。蒋介石は中国人ではあったが、中国を代表する国軍ではなくアメリカのために戦っていたとの見方が出来る。第2…

民意

今日は月が変わって10月1日、台風が運んできた熱風で真夏のような暑さになった。昨夜の風は大分強かったようだ。我が家の玄関先はどういうか訳か知らぬがゴミの吹き溜まりになってしまった。朝6時から30分間玄関先の掃き掃除をしたが、家事とは厄介なものだ。

昨日行われた沖縄の知事選、どういった政治力学か分からないが前回自主投票だった公明党が組織を上げて前宜野湾市長、佐喜眞淳氏に肩入れをした。翁長前知事の遺志を受け継いだ自由党衆議院議員の玉城デニー氏は地元ラジオ局パーソナリティー/ミュージシャンの出身で沖縄市議(沖縄市があるとは知らなかった)を経て2009年の民主党の風で国会に進出、後の経緯は分からないが、兎に角小沢一郎氏と一緒になって知事選出馬前までは自由党幹事長になっていた。

昨日は昼間からテレビの報道は台風関係が殆どで、沖縄知事選はローカル選挙と言うことだろうかあまり触れなかったようだ。夜10時前に一応枕元にラジオを持ってきたら、そのラジオが玉城氏の当確を報じていた。今朝の新聞には県民は「金より命を選んだ」なんて気障な見出しが躍っているが、玉城氏はこれからが大変だろう。辺野古に基地を作らせないなんて言っても、政府は自治体首長を明らかに下部組織のリーダーとして見下して掛かっている。

それは間違いに違いないが、恰も1億2千万人の民意と百数十万人の民意では重さが異なると言いたいようだ。本当に日本の民主主義はインチキでどうしようもない。しかも今度の知事選は自民党も相当気合が入って、安倍陣営からすると批判勢力であった筈の石破氏まで佐喜眞氏の応援で現地入りをさせたらしい。天才子役か鵺か知らぬが小泉進次郎氏なんぞ3度も現地入りをしたとのこと。権力と言う名の接着剤の強固さには恐れ入るばかりだ。

どうでもいいが、接着剤の強さと数を頼んで次は憲法改正を強行する腹でいるらしい安倍晋三氏、1億2千万人の民意がどこにあるかまだ分からぬらしい。