2018年10月5日金曜日

この国のかたち

司馬遼太郎氏が使い始めた言葉のように記憶するが、彼の膨大な随筆集のタイトルのようだ。果たしてどのくらい読んだか、或いは全く読んでいないかは憶えていない。司馬氏は明治維新前後の歴史上に登場した人物をテーマに数多くの小説を残してくれた。これらの人物が国づくりに貢献したことは間違いあるまい。そのうちの何冊かは読んだ記憶もあるが、国の形が腑に落ちたような気になったことは一度もないので、靄々した気持ちでいたのが偽らざるところでもある。

最近になってその靄が少し晴れ、確信に変わりつつあるのが現在の心境だ。但し、靄が晴れても余りハッピーではない。日本はどう考えても独立主権国家とは言い難く、アメリカの属国或いは植民地と考えたほうが分かり易い。小学校入学が昭和22年だから、先生からは日本は民主主義国家とずっと教わってきた。当時は連合軍の占領下にあり、何事もマッカーサーが率いるGHQの指導下に置かれてはいたものの、昭和26年にはサンフランシスコ講和条約で独立が認められて名実ともに主権国家となったと後に知るようになる。

従って、小学4年生から78歳の今日まで、我が国は独立主権国家であることに疑問は抱かなかった。世界に200強の独立主権国家があるらしいが、その一員として他国からも見られている筈と信じて疑ったことも無い。もちろん国連でも正規のメンバーだ。しかし、ただ1か国アメリカだけは日本の独立と主権を認めていないと考えるに至った。北朝鮮と国交が無いとか、ロシアとも正規の平和条約が無いなんて問題以前の根本的問題である。

嘗て支那の混乱時代にいくつか存在した政権の中で蒋介石政権がアメリカの傀儡政権であったように、現在の政権はアメリカの傀儡政権と考えれば、羽田空港の管制権が返ってこないとか、辺野古に基地を新設なんてことは分かり易い話だ。明治維新後政治家が最も心を砕いたのは、維新前後のごたごたの中で欧米各国と不条理に締結させられた治外法権の撤廃・関税自主権回である。彼等は廃藩置県になろうが憲法が制定されようが、日本が独立したとは考えていなかった。

安政年間から明治初めにかけてのどさくさの中西欧諸国に結ばされた不平等条約の数々、即ち治外法権と関税優遇であるが、これを改正するために先人が払った努力を改めて認識すべきだ。いろんな人の名が出てくるが、この問題を最終的に処理するまでに要した時間は50数年とのこと。昭和26年から数えれば既に67年、未だに日米関係は治外法権の撤廃・関税自主権回復には程遠い。やれ憲法だの教育勅語を云々する前に、もっと考えるべきことがある筈だ。

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