2017年7月31日月曜日

読後感「東芝 原子力敗戦」大西康之著

著者は現在フリージャーナリストであるが元『日経ビジネス』記者だそうで、在籍時代から日本の産業関係記事では多くのスクープをしていたらしい。特に東芝関連では在職中から相当に問題意識があったようで、長年にわたる取材の蓄積がうかがえる。東芝国内で知らぬ人が無いとも言える総合電機メーカーの最大手、日本を代表する大手の優良企業と信じる人が多いはず。

しかしこの数年の報道を見る限り、企業会計に何かよからぬ噂が立つとともに優良事業部門を売却するなどが続き、素人には何が起きているのか分からないが不思議に思っていたところだ。しかし本書を読んで実態がよく分かり、改めて愕然たる思いを禁じ得ない。恐らく東芝と言えば新卒の就職先として極めて優秀な学生でなければ諦めるであろうし、事実優秀な社員が多いはず。

そのトップに立つ経営者も、土光敏夫氏がすぐに頭に浮かび、凡庸でない人が続いていると思ってしまう。ところがである、現在の東芝はもうボロボロ、株式市場に上場が許されるような状態には程遠い様だ(実態としては数千億円に上る債務超過らしい)。世界に冠たると称された医療機部門が切り離されたばかりか、最近は連日のように稼ぎ頭の半導体部門の身売りがマスコミを賑わしている。

株の売買に全く興味がなかったのでつい見過ごしていたが、東芝にとっては実に重大な局面を迎えているばかりか、日本の産業全体にとっても大きな曲がり角が迫っていることを実感できる読み物になっている。本の部厚さの割には絞られた内容なので、あまり深く書きたくないが少しだけ触れる。東芝は家庭用の電化製品でも世界的に名声を博してきたが、むしろ電力関係などの重電機部門でもトップに位置していたのも周知のこと。

2011年の事故で有名になった東電の福島原発は東芝が主力メーカーで、現在の後処理も東芝がなければなす術もない。確かに311事故が起きるまで国を挙げて原子力依存を強める方向で動いてのも事実。常に国策に準ずる姿勢をもって経営されてきた東芝としては不幸だったことに、国はこの大事故にかかわらずこの方針を変更することがなかった。むしろ安倍政権は成長戦略の柱に原発の輸出を置いたのである。

東芝はこの方針に従い、優秀な社員が世界を駆け巡り社業に精を出した。その結果起こったこと。次は出版社の宣伝文句である。『米原発メーカー・ウエスチングハウス買収をきっかけに、解体の危機へと追い込まれた東芝。経産省の思惑、国策にすがる幹部、暴走する原子力事業部員の姿を、社内極秘資料を元にあますところなく描く。』

最後に出版社の文春に一言。内容的には新書版で十分収容可能と思うが、敢えて高価な単行本で出版したのは少しせこく感じた。

2017年7月30日日曜日

昨日のこと

昨日は中学校同期会の打ち合わせをしたいので、と言うことでお呼び出しがあり長野まで出かけてきた。主役を務める友人が諏訪地方から来るのだから嫌とは言えない。彼が熱心に2年越しで準備を進め、約180人の同窓生のうち約60人を10月の末に長野市のホテルに集める段取りを立ててくれた。昔首都圏在住者を対象に20人くらいの同期会を設営していて大変だったことを思い出す。昨日召集されたのは4クラスの代表で合計9名、蕎麦屋の2階で当日の段取りを決め、ホテルに出向いて宴会係と最終確認。

女性は二人だけだったが、全員から活発な意見が出され非常に有意義だった。中には未だ現役の人もいて、知らないことも随分教えてもらった。面白かったのはノンアルコールビールのこと。もう車の運転をやめて久しいので知らなかったが、ノンアルコールビールは普通のビールより値段が高かったが、最近やっと値段が下がってホテルの飲み放題プランに入るようになったのだそうだ。蕎麦屋もホテルも駅前だったので、昼食を挟んで僅か4時間余りの滞在だったが懐かしい友人ばかりで、あの友この友の消息を聞くと「喜寿の祝い同期会」が本当にめでたいのかどうかと言った友人の言葉が胸に沁みた。

夕方には帰宅して昨日は婆さんの見舞いは取りやめ。行ってくれた娘に電話をすると「大分元気になっているよ。」とのことで一安心。今日は夕方に顔だけ出したらとのことで、これから行こうかとも思うが、土日のこととて今日退院予定は未だ出ないだろう。

昨日のニュースで思ったこと、総理のスピーチライターがどんな人か知らないが、余りにご粗末すぎる。昨日は北朝鮮が予て言われていた通り大陸間弾道ミサイルの発射実験に成功したので、官邸では深夜に大騒ぎして総理記者会見までやってのけた。その台詞がいつも変わらぬ陳腐そのもの、怒りの感情すらまともに伝わらない。他策無かりしことで致し方ないのかもしれぬが、もう少し普段から備えていたことを言ってのけられぬものかと哀れに思う。

昨日はもう一つの決まり文句があった「閣僚の任命権は総理大臣たる私にあります。改めて国民の皆様にお詫び申し上げます。」聞き飽きた台詞で「ごめんで済むなら警察はいらない。」と思っている。舌の根も乾かぬのに、今週はまた内閣改造だそうだ。責任を感じているなら腹を切るなり、指を詰めるなり、死んだり痛いのが嫌なら、先ず自分が辞めるべきだろう。

2017年7月28日金曜日

辞任記者会見二件

昨日やっと民進党蓮舫代表が辞任を表明してくれた。これで民進党の劣勢挽回になるかどうかは別としても、トップが代わればその影響が組織全体に及ぶことだけは間違いない。彼女の希望通り吉と出ることを期して待ちたい。民進党の記者会見は政権に比べると相当オープンである。大手マスコミ以外のスポーツ紙やフリー記者からを含め全ての質問に真面目に答えたていた。彼女の日本語は大変明快で分かり易い。

7月2日の都議選大敗北以降約3週間掛かっているが、改めて真剣に全国の党員・サポータの意見に耳を傾け、東京に戻って役員各位の意見も聞いた結果行きついたところが幹事長野田氏の辞任。本人の言葉によれば、そこで立ち止まって丸1日(水曜日)一人で考えたそうだ。党を纏めたいと思って努力はしたが、自分が非力だったのでどうしても遠心力が働き、求心力を図ることができなかった。そして出した結論が、自分にはリーダーとして資質が不十分、もっと有為な人に代わってもらうことが党のため、延いては国民のためとの結論を得た。改めて1党員として勉強しなおしたい。要約するとこんな感じだ。

記者からは相当意地悪な質問もあったが、極めてさばさばしている。面白かったのはこれ。記者「民進党は足の引っ張り合いが伝統みたいもので、誰がトップになっても後ろから鉄砲玉が飛んできたりして、政策を纏めきることができないのではないか?」蓮舫「そんなことはありません。確かに個々の議員の意見は尊重しなければなりません。しかし私たちは議論を重ね、意見統一が難しいエネルギー問題や安全保障、憲法などについてあと一歩というところまで来ています。たまには後ろから鉄砲玉もあるでしょう。しかしそれは水鉄砲のようなもので、意見が統一出来ればすぐに乾いて消え失せるものだと思っています。」

辞任が遅きに失したとする人もいるだろうが、僅か10か月だ。彼女自身も党としても学ぶべきことが多かったと思う。これを契機に体勢を立て直し、野党共闘の実を上げることができればハッピーだろうが、共闘を嫌って離脱者が増えるかもしれぬ。それも運命で仕方がないだろうが、現政権を倒すことが遠のくのは残念なことだ。

一方で今日は稲田防衛相辞任の記者会見があった。こちらについては先日友人と会食時のネタに防衛相辞任を持ち出したら、「いや、彼女はずっとやっていてもらった方が分かり易くていいじゃない。」と言われ、ご尤もと思ったばかりだ。こっちの辞任の弁はコメントする気にもならぬが、これがまた政権延命に繋がるとすれば些かうんざりだ。アップが遅くなたが、明日長野に行かねばならぬので今夜中に上げる気になった。

2017年7月27日木曜日

金権を排し勤倹はどうかね

働く術がなくなった老人は、若い人たちが活躍する娑婆を遠く離れて見守るのぐらいが良いので、出しゃばって口出ししてはいけない。一応理解していても、困ったことに後期高齢者になっても減らず口を叩く元気だけは残ってしまう。その分若者の活力が減少していくことについて、為政者や労働貴族の皆さんには真剣に考えてもらいたい。

我が親の時代は、明日の米さえ無かったとされたほど日本中が本当に厳しかったと聞く。その環境下で育てられたので余計思いが強いのかもしれぬが、現代の親達にとって最大の関心事は何だろうか?もちろん知る由は無いが、昔の親達の最優先課題は、子供に何を食わせて育てるかにあったように思う。いつの時代も同じことだろうが、子を持つ親は今得ている職業・職場で一所懸命働くしかない。これまた時代を超える名言と思うが「稼ぐに追いつく貧乏なし」だ。

若い時は貧乏が当たり前だが、その中で子育てをどのように位置づけるかが、昔と今では大分異なるのだろう。兎に角今は両親にとっても欲しいものが目前に山の如しだ。だから先ずは家庭或いは子供より、稼ぎを増やすために上司にゴマを擦ったり、転職を考えたくなる。最悪になると連れ合いまで替えようかなんてことになりかねない。これが昨今の傾向とすると・・・・・てなことで次が頭に浮かんだ。

家族関係から少し離れて政治を考えてみると面白い。数日前(25日)のブログに参議院議員山本太郎氏の「政府は国民をコストとしてしか見ていない。」発言を引用した。多少悪意を持ってしたのだが、家庭における子供と国家における国民はコストと言う意味で似ているではないか。成長成長と前のめりに陥ることを避け、乏しい財源から特に子供即ち国民への分配に思いを致すのもまともな政策判断の一つだろう。その際所得の少ない家庭から配慮し、自己責任で間に合っている層との線引きをどこに置くかが、正に政治の要諦だ。

家庭においてはお父さんが一所懸命働いているなら、お母さんが子供たちに友達と同じ物を欲しがらないように、我が家の限界をそれとなく教えることが最も大切と思うが、政治においても似たようなことはあるだろう。「世論の批判に耳を貸さない。」も良しとしよう、但し無いものや金をあるとしないで、ある範囲で配分の順序は考えてもらいたい。話が支離滅裂で、説教めいた話になってしまったが、人間耄碌してくると、どうしてもそうなってしまう。

2017年7月26日水曜日

酒量も変わった

テレビの気象予報士は「戻り梅雨」と言うが、これが梅雨末期におきまりの集中豪雨でないの、と半畳を入れたくなる雨の中、今朝は朝一で婆さんから電話でのご指示。洗剤やらS字フックがご入用とのこと。午後は検査が入っているとのことで、面会開始時間の10時に病院まで行ってきた。暑さの中で大汗をかきながら歩くより、雨中歩行の方が涼しいだけ楽かもしれぬ。

病室で「昨夜ニンニクを食べたでしょう。空気が快適にコントロールされているからすぐ分かる。」とのこと。そりゃ正にお察しのとおりでござんして、昨日は久しぶりに銀座に出かけた。夕方は古い山の友人(日本アルプス登山を最初に教えてくれた人である)が長野から態々出張って銀座で個展を開催中とのことなので、枯れ木も山の賑わいとばかりに訪問、しばしの山談義を楽しみ、その後にブログ友達とステーキ屋さんで会食。

昨日は土用丑の日、下町で食通の友人曰く「土用丑の日に鰻なんか食っちゃいけねえ。牛の方が余程気が利いている。」これもご尤もで、この店の肉も美味いが、焼き方に特徴があってニンニクをたっぷり敷いた鉄板の上に別の火で炙った肉を乗せ、その上に輪切りの玉ねぎやらを乗せ、脇に更に野菜を加えたうえでワインを注いで仕上げた絶品だ。夏バテ防止にはもってこいの栄養満点、たっぷり食った。翌朝病院で婆さんやら同室の皆様には些かご迷惑だったかもしれぬが、ご勘弁願うしかない。

未だ夕食には少し早めの5時からなので、他に客がいないのを幸い、互いに最も意見が一致する点、断末魔状態の政権の悪口を思い切り語り合う。韓国の方が余程民主々義が機能しているではないか、なんて次第。ジョッキ1杯のビールと食事中の赤ワイン1杯だけだったのだが、心地好すぎたからか酒量が落ちたか、すっかりいい気分になってしまった。時間も早いことだし、もう1軒と誘われたにも拘らず、ご辞退して早々に帰宅してしまった。変われば変わるものよ、我ながらしみじみ思わざるを得ない。

2017年7月25日火曜日

国策とは

嘗ては間違った国策の採用で、指導的立場にあった政治家が責任を取って腹を切ったり、国内法にはなかった法廷で裁かれて死刑と言う過酷な罰を受けた人もいる。この責任の取り方が適切であったかどうかは難しいので取り敢えず措くことにする。国策の遂行に関する政治決断が重いことだけは、素人であるが理解できる。国策については下々の一員としてまるきり関心が無かったのだが、ここ数か月の報道に接しているうちに、少し考えるようになってきた。

そんなところに持ってきて昨日のブログの記事だ。岳父が東芝社員であったところから極めて個人的興味から読みかけの書物を引用して書いたのだが、今朝の新聞では東芝破綻が大分現実味をもって書かれている。東芝破綻が本当になるくらいのことを大東亜戦争と並べて論ずるのは少し乱暴に過ぎるかもしれぬが、最近の諸々社会情勢を思うと、国策を運営している政権そのものが先の大戦末期の様相を示し始めているように思えてならない。

今や明らかになっていることばかりだが、先の大戦は時の政権の意思決定は国民の大多数に支持され、即ち官民共に必勝の信念を持って開戦に踏み切った。ところが開戦半年後のミッドウェー海戦の敗戦をもって、開戦時の見込みが大分違うのではないか、と思い始めた政治家・軍人も多かったはずだ。しかし実際に終戦を迎えることができたのはそれから約3年後のことだ。企業経営も外交(戦争を含む)も同じだと思うが、環境は常に変化するので、計画は一定の間隔で常に見直すことが必要とされている。

こんなことは当たり前すぎることなので政府高官で知らない人はいないだろう。ところが、第2次安倍政権の4年半、政権をめぐる環境は相当に変化していると思う。それに対して経済政策にせよ外交政策にせよ何でもいいが、一旦踏み出した足を瞬間的に止めて、方針を少し変えるということが幾つあったろうか。少なくとも、選挙公約であった消費税増税を2回先送りしたことは確かにあった。しかしこれは戦術の変更程度で、経済政策の根本は何も変わっていない。

山歩きで道に迷ったらしいと思えば、先に進むか引き返すか暫くは迷い、結局は引き返すことになる。ところが国策(経済政策・外交や戦争)ともなると、事はそう簡単に運ばない。戦前であれば8千万人の国民を引っ張るために、大変な人数を動員して管理の仕組みが組み立てられているからだ。管理の上層部だけでも最終責任者と同等或いは以上の能力者が多数いるだろう。最終責任者が予定する道を行くと決めると、従う者全員が異を唱えないところが日本人の美徳されているらしい。

そして全員が嘘の上に嘘の上塗りをしながら地獄への道を突き進んだのが、先の大戦後半だったことを思い出す。つき合わされる国民はたまったものではないが、上層部は常に国民に思いを致しない。参議院議員の山本太郎氏がうまいこと言っていた。「政府は国民を単なるコストとしてしか見ていない。」

2017年7月24日月曜日

産業構造の未来

現在の日本は広い世界の中で有数の工業先進国であり、あらゆる産業で世界のトップクラスに位置する企業が多数存在するものと理解していた。特に自動車業界や電気製品関係では世界有数の企業多数存在することを知っている。岳父はその中の1社【東芝】一筋で「東芝が潰れる時は日本が潰れる時」が口癖であったと聞く。そんなことを言うぐらいだから愛社精神も旺盛で、有難いことに嫁に幾ばくかの東芝株を残してくれた。

嫁は株価が1000円になった時に売り払ったそうだが、これは岳父の遺言に沿った行動だったようだ。岳父が何を考えていたか知るすべはないが、当時一流とされていた会社であっても、それが永遠に続くことはあり得ない。株価なんぞは見切り時が肝心と考えていたとすれば、技術屋さん乍らかなりの見識と敬意を表したくなる。何故か、実は昨日から読み始めた本「東芝解体 電機メーカーの消える日」を読み始めて愕然とした。

昔からと言うべきか、戦後が正しいかは兎も角、我が国の主要企業は政府と密接な関係を保ち、産業界官界協力して日本の産業を発展させてきたことは間違いないと思う。そこに今更異論を挟んでも仕方がない。産業界が苦しくなった時行政が手助けするのはどこの国でも当たり前だろう。そんな時に政治が介在するのも万国共通で当然だろう。しかし、今回認識を新たにしたのは、日本の場合この協力関係が極めて固定的になりがちで、癒着しやすいらしい。これも場合によって一概に悪いとは言えないだろう。

外国の場合は行政が産業界をヘルプする時は、最初から決めるかどうかは別にして出来るだけ短期間に終了するように努めるとしたものらしい。行政によるヘルプは医療で言えばカンフル剤の注入と考えるとすれば、成程と思う。兎も角、今まで常識だと思い込んでいたことが、世界水準から見るとかなり非常識であるようだ。それで終われば良いのだが、その結果で現在の産業構造がとんでもない事態になっているようだ。

自動車業界でトヨタと言えば世界のトップメーカー、現在も将来もそうであろうと思うのだが、どうもそんなに甘い状況ではなさそうだ。東芝について言えば、既に破綻状態にあるとのこと。東京電力なんかも同じだが破綻状態にある企業が国民の税金で延命措置が取られている。このことを知る人は多いらしいが、小生も知らぬし国民の大部分は知らないだろう。東芝社員は現在16万人だそうだ。もし破綻すれば下請けを含む影響は計り知れないだろう。しかし、いつか破綻するのであれば、長引けば長引くほど傷が深くなるのは当たり前だ。

2017年7月22日土曜日

嘲笑する気はない

アメリカのトランプ大統領は昨日で就任半年、と言うことでマスコミは比較的大きく取り上げている。大きい割には内容が乏しい。支持率が下がりっぱなしで史上最低だとか、選挙公約の殆どが実現しそうにないとか、半年間でゴルフ場で過ごした日数が40日になるとか碌な話がない。曲がりなりにも日本にとっては唯一の同盟国の大統領。昨年の大統領選で当選が確実になると安倍首相が間髪入れずに訪問、それまでよく知らない仲だったにも拘わらず両国の絆を世界に先駆けて確認させて頂いた相手である。

大統領就任後も、1か月も経たないうちに再びホワイトハウスで会見させて頂いた上に、それこそフロリダのご別荘でゴルフのご接待にまで与っている。日本の入れ込みに対して大統領側はそれなりに礼は尽くしてくれているが、大統領側からすれば対日問題は大した問題でないだろう。アメリカ・ファーストのためにしなくてはならぬこと、考えるべきことは他に山のようにある筈だ。聞くところでは、足元の官僚スタッフ約600名が必要らしいが、約200名程度しか決まっていないらしい。

日本のように首相の一存で、高級官僚はおろか大臣の首でさえ簡単に挿げ替えられるのとは異なり、約600人の官僚一人々々が議会で厳しい審査の上承認される必要があるとのこと。行政の準備すら整っていない段階にあり、選挙公約の法案がスラスラと行っていないのも事実のようだが、これも逆に考えれば、アメリカの議会制度の方が日本より健全で、与党の数さえあれば内閣提案の法案が問題なく通過する日本政治制度が果たして良いのかどうかでもある。世論調査の支持率も下がりっぱなしと言うが、最初から50%を切っていたのだから5%くらい下がったからと言って他国のマスコミにとやかく言われる筋合いはないと考えているかもしれない。

元外務官僚でタレント気取りの三宅邦彦氏の解説によれば、大統領は政治家としての資質に欠ける欠陥人間みたいに仰っている。言われなくてオバマ前大統領とは全く異なるキャラであるのは分る。しかし経済的にはグローバリズムを排する考えは一つの哲学であり、国内的には成功の可能性もあるのではなかろうか。問題は世界の平和に及ぼす影響だろうが、そんなことはもう暫く様子を見なければ分かるまい。日本のマスコミではトランプ氏は商売人と馬鹿にする人が多いし、言うことがくるくる変わるので信用できないとも言われる。しかし、意外に嘘をつけない性格のように受け止めるのは間違っているのかな。

2017年7月21日金曜日

学級崩壊

小中学生のいじめによる自殺が後を絶たないのが悲しいが、以前盛んに使われた表題の「学級崩壊」だが最近あまり聞かれない。娘たちに話を聞くと、今でも中にはごく少数、中学時代から煙草を吸う子がいたりはするようだが、総体的に今の中高生は比較的真面目で学ぶ子が多いとのこと。大学生になりたての孫もいるが、殆どの大学は未だ期末テストも終わらず、大部分の学生はこの暑さの中学校に通っているのだそうだ。昔はどの大学でも7月10日となれば夏休みと決まっていたように思うので、少し不思議な気がする。

代わりと言っては何だが、大人の世界は大分趣が異なる。先日家内を病院に連れて行くのに久しぶりにタクシーに乗った。少し距離があったので徒然にドライバーさんの話を聞けた。景気がいいわけがないが、最も話に力が入ったのは世相の変わりよう。「最近何が怖いって、若い女の子が一番怖いですよ。話し方がチンピラじみてまともな会話が通じない娘が非常に多くなっています。先ず自分の間違いを絶対認めませんね。」この話に現代の風潮が実に象徴されているようだ。

この会話では偶々若い女性が主人公になっているが、国民の代表たる政界を観れば実にその通りではないか。むべなるかな、内閣を見よである。正に学級崩壊ならぬ内閣崩壊、誰が先生で誰が生徒かも判別しかねるありさまで、国民の負託に如何に応えようとするのか、さっぱり分からない。小耳に入るところでは経済を最優先課題としてきたがあまりうまくいかなかった、ついては優先課題を外交に切り替えて点数を稼ぐのだそうだ。これも異なことを承るような気がする。

経済政策に成功したから雇用が増えたのではなかったの?日銀の景気判断でも、未だ嘗て景気がが逆戻りしているなんて聞いたことが無い。デフレ脱却目標を6回先送りしているだけのことでしょうに。昨日の先送りは、これまでの日銀政策に間違いはないが、継続が大事を強調して目前に迫った総裁任期で居座るためだなんて言う輩もいる。それは措くとして、外交てなんですか?これまでに上げた成果を改めてお示し願いたい。

これも継続性の重要さかもしれぬが、来月早々とされている内閣改造で岸田外務相の留任について、昨日どこかのホテルで昼飯を奢って口説いたらしい。昼飯ぐらいで口説かれてしまう岸田氏もどうかと思うが、如何にも学級崩壊状態の内閣らしい報道だ。

2017年7月20日木曜日

責任の所在

どんな組織でもトップの責任は重い。例え一寸したハイキングや海水浴などのレジャーでも同じことだ。万が一事故でも起きれば当然厳しく責任が追及される。昔は娘夫婦と小学生の孫を引き連れてよくスキーに行ったが、今にして思うと「よくもまあ、そんなことをしたものよ。」と冷や汗が出る。最近レジャーに一人で出掛けるのは、そんな責任感から解放されたい気分も半ばある。

ましてや、国家のトップともなれば、責任の大きさは凡俗の想像を超えるものがあろう。国家の運営と一口で言っても、端から端がよく見えないくらいの幅がありそうだ。当然乍ら、然るべき人間を見つけて各方面毎に仕事を任せて、最終責任だけを追うスタイルにならざるを得ない。これが内閣制度と言うものだと思う。ところが最近は内閣官房の存在が急に大きくなって、どうも昔の内閣とは異なる制度に変身しつつあるようだ。

専門的に調べたことがないので間違っているかもしれないが、記憶だけで大雑把なことを書く。先ず、昔は「末は博士か大臣か」で大臣と言えば相当偉い人のイメージがあったが、今は違う。何故かとても安っぽく感じてならない。昔のイメージで言えば、一つの省を丸ごと与るのが大臣で、例えば法務省・大蔵省・自治省・文部省・農林省・通産省・建設省・郵政省・外務省などがあり、省が無くても国家的に大きな案件がある場合は、国務大臣防衛担当などがあったと記憶する。

一人の人間が省を与るということが相当大きな責任であるのは言うまでもない。責任の割り振り方に関しては、行政改革がおきまりの念仏の如く唱えられて、省庁がくっついたり離れたりをずーっと繰り返している。結果何が起きたか、お役人の総数に対した変化はないだろう。もし減ったとすれば、郵政省がなくなり、大部分の官僚(主に中・下級官僚だろうが)が民間人に変わったりしているので、この人たちの責任の所在が曖昧になっているだけのことにすぎない。

今の内閣がどんな構成かをネットで参照してみて驚いたのは大臣の数だけではない、職名即ち肩書がやたらに長い大臣が多い。例えば鶴保庸介なんて大臣は正直知らなかった。この人の肩書は「内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策 クールジャパン戦略 知的財産戦略 科学技術政策 宇宙政策)情報通信技術(IT)政策担当」である。話題の山本幸三大臣「内閣府特命担当大臣(地方創生規制改革)まち・ひと・しごと創生担当 行政改革担当 国家公務員制度担当」である。逆に稲田朋美大臣は「防衛大臣」と極めてすっきりしている。まさに隔世の感ありだ。

何れにしても、一つの省を任せる以上は任命権者として相当悩む筈だが、安倍総理は法務大臣にしろ防衛大臣にしろ、はなから任せるつもりもなく、己のダミーとして置いただけにしか見えない。任命した方もされた方も、無責任の極み、ど素人に国家の操縦を任せている様なものだ。国民とすればたまったものじゃない。

2017年7月19日水曜日

一人住まい

昨日夕方、久しぶりに激しい雨風になったので、今朝はだいぶ気温が下がったみたいだ。今日は家内が簡単な手術のため入院とのことで、普段滅多に行かない本駒込の病院まで付き添って行ってきた。道路に散らばった木の葉が尋常でない。少し高台にある病院で、病室からの見晴らしがよくスカイツリーがはっきり見えていた。

明日大腸ポリープ切除だから簡単かと思うが、それでも土曜日の朝までは入院だそうだ。娘から電話で「お父さん、ネズミに引かれないでよ。」と電話で注意された。まさか饅頭でもあるまいに、さほど広くはない家ではあるが、なるほど一人住まいとなると寂しさもあるものだ。

2017年7月18日火曜日

三連休

今年の梅雨はどう見ても大変調、ひょっとすると空梅雨で明けてしまうのではと思えてくる。従ってこの3連休は真夏の夏休みの様相だった。土日の午前中はルーティンとなっているフィットネスで歩行マシンで1時間、ストレッチで30分でたっぷり汗をかいた後、午後は二日続けて涼みがてら映画館に出かけた。土曜日は「忍びの国」日曜日は「ジョン・ウィック:チャプター2」2本ともテレビの宣伝を見て何となくその気になったもの。

両方ともチャンバラ漫画の実写版みたいもので共通点がある。面白みに個人差はあろうが、「忍びの国」の方が面白かった。後者のパート1を観ていないので的外れかもしれぬが、パート3は作りにくいのではと余計な心配をしてしまう。前者は「国」が主役ではないにしろ、主人公は2匹でも3匹でも泥鰌を産めそうだ。

そして3日目の昨日、お天気に誘われて再びハイキングに出かけた。先月奥多摩には行ったばかりと思っていたが、既に1か月以上が経っていたし天気が良すぎるくらい晴天が続いている。日曜日の夕方、流石に明日は降るかと婆さんに聞くと「雨を降らせればお百姓さんたちが喜ぶから、出掛けてあげたら。」といかにもこちらの日頃の心掛けが悪そうな見立てだ。案の定、出かけるときには雷が鳴ったり、雨が落ちてきたりしてお百姓さんが喜ぶなら結構なこと、御嶽神社にお参りだけでもしてこようと、大岳山を目指して出かけた。

ところがそれはほんの一瞬のことで、御嶽駅に着く頃はどピーカン。帰宅してからのテレビではこの夏最高の気温とのこと。大岳山は今回で4回目、前3回は2004年10月・2011年5月・2014年5月だが、何れも御嶽山ケーブルカーで登り、降りは奥多摩駅まで歩いている。日曜日に翌日のハイキングを考えた時、最初は西武線沿線の飯能から「棒の嶺」に行こうかと思ったのだが、やはり雨が気にかかり、西武線のレッドアロー号の予約が嫌で、予約の必要が無い奥多摩方面に決めた経緯がある。

奥多摩方面では、一昨年7月に途中で断念している川苔山再チャレンジも課題の一つだが、どうも荷が重そうなので大岳山に目標を置いた。どうも最初から、きつかったらケーブルカーで降りればいい、と甘えの節が大ありだ。案の定、登りでばてて、降りはケーブルカーとなり、大相撲の中継中に帰宅でき、宇良が日馬富士を破った取り組みを観ることができたのが唯一の慰め。体力の劣化は隠しようがないが、睡眠だけはしっかりとれている。昨夜の爆睡で、さっぱりした気分になることができた。

ハイキングの詳細は下記をご参照願います。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-681181.html

2017年7月15日土曜日

読後感「ハル回顧録」コーデル・ハル著
宮地健次郎訳

大東亜戦争開戦当時アメリカの国務長官で、日本に最後通牒に等しい<ハル・ノート>を突き付けた人物として知られている人物の回顧録。氏の生涯は1871年~1955年であるが、内容的にはフランクリンルーズベルト大統領の下での国務長官時代1933年からの12年間に限られているとも言える。氏は元々民主党系の上院議員で、ルーズベルト大統領から国務長官に任命された時は既に62歳、大統領より11歳も年上でもある。

時は第一次世界大戦の終結から15年後、日本で言えば昭和8年、1929年末からの世界大恐慌の影響が残る一方、世界的に植民地競争も激しさを増し、再び世界がきな臭くなり始めた時である。ドイツではナチスの1党独裁が始り、日本が国際連盟を脱退した年でもある。アメリカ大統領は経済的課題のニューディール政策推進に多忙だったろうし、国際政治的にはモンロー主義と言われるアメリカ孤立主義が幅を利かしていた時代である。

こんな国内環境の中で、日本で言えば外務大臣に当たる職位を第2次世界大戦終了まで続けたことになるが、結局は10歳以上も若い大統領を補佐しながら、日独伊の枢軸国(ファッシズム?)連合に対し終戦直後に国際連合として正式に発足する(民主国家?)の連合を築き上げた立役者でもあるので、内容的には非常に興味深いものがあった。先ず、如何に政治体制に違いがあるとはいえ、現代日本の政治家と比べると、働きぶりに格段の違いがある。極端に言うなら、国務長官は12年間1日1時も休まず働いたようだ。(大統領も同じだと思うが、大統領は終戦の直前に亡くなってしまった)

地球の裏側とは12時間の時差があるが、世界大戦中はその隅々までアンテナを張り巡らせて耳目をそばだてて居なくてはならぬだから、当たり前と言えばそれまでだろう。連合国間の調整だけでも大変だが、更に大統領府内、或いは国務省内でさえ意見の違いは往々にして発生する。国務長官に与えられている権限は大きいが、最終判断は全て大統領に委ねる形となり、大統領の判断が出れば完全に従うことになる。しかし著者は在任中一度も気まずい思いをしたことが無かったと冒頭に書いている。

歴史的な観点からすると興味深いことが幾つかあった。第一はこの時代からアメリカの諜報能力が決定的に日本と比較にならぬほど進んでいたこと。1例を挙げれば、日本が開戦に当たり真珠湾を攻撃することは、昭和16年の初めにペルー大使を通じて報告がされていたこと。日本では、外務省の手違いで国交断絶通知が30分遅れたことが、真珠湾攻撃の卑劣さを宣伝する材料になってしまった、とされている。しかし、このことも彼等からすれば全て計算ずくだった可能性がありそうだ。

何れにせよ、対戦国側からの視点なので教えられることの多い書物だった。


2017年7月14日金曜日

政権とメディア

安倍首相は昨日の昼、首相官邸で、自民の二階俊博幹事長と政治評論家の森田実氏と昼食をともにしたそうだ。森田氏によると、首相は自身の国会答弁などを念頭に「もうちょっと柔らかく対応したい」と話したという。森田氏の評論家通しての立ち位置もよく分からないが、なぜ今彼なのだろうか?何れにせよこれだけ政権批判が高まっている中で、夜には総理の呼びかけでマスコミの幹部が夕食のご接待に与ったとのこと。声を掛ける方もどうかと思うが応じる方の神経が分からぬ。首相動静には次のように報じられている。

13日:<レストラン「WASHOKU 蒼天」で曽我豪・朝日新聞編集委員、山田孝男・毎日新聞特別編集委員、小田尚・読売新聞グループ本社論説主幹、石川一郎・BSジャパン社長、島田敏男・NHK解説副委員長、粕谷賢之・日本テレビ報道解説委員長、田崎史郎・時事通信特別解説委員と食事。>

閑話休題、一応殆ど毎日このブログを書くようにしているので勘違いをしていた。文字を書くことの難しさである。考えてみると、筆記用具は持ち歩いていても、メモを取る以外に文字を書く機会は滅多にない。今週初めに、数年前山で知り合って世話になった友人から暑中見舞いを貰った。自身の山行計画に触れながら、こちらの計画を問い合わせている。これは返事を書かねばと思い、はがき類を探し回った。

もう1年近くなるのだろうか、仕事部屋を別に借りていた時代には郵便用の便箋やら封筒と一緒に絵葉書を含め葉書や切手を纏めて入れていた箱があった。先ずこの箱を探すのだが、どうしても見つからない。捨てた覚えはないのだが、引っ越しに際して大量に物を捨てたことだけは間違いない。ひょっとすると間違って一緒に捨てたと諦めて、コンビニから官製はがきを買ってきて、はたと考えてしまった。まさか葉書1枚をパソコンで書くのは変だろう。

仕方なくボールペンで書いて見直すと、どう見ても小学生でもこう下手な字は書かないと思われる字が並んでいる。普段パソコンに頼りすぎているので、漢字の筆順もへったくれもありはしない。はがき1枚書き上げるのにつっかえつっかえだから、兎に角不揃いで汚い字が並び見るに堪えない。こればかりは年齢によるものでもなく、若い時の勉強不足だから取り返しのつかない。これから先は益々文字を書かなくなることだろう。悪循環に陥るばかりだろうが益々パソコンに頼らざるを得ない。現在使用しているパソコンは悪名高いWindows10、精々慎重に扱いブログを書き続けていきたい。

2017年7月13日木曜日

外交努力

気のせいか、このところ政治関連のマスコミ報道、特に総理関係が大分少なくなっている。野党議員も含め夏休みモードで皆さん羽を伸ばしての休みのようでもある。我々庶民はこの現象を不思議に思わないが、マスコミも政治家自身も同様の風情だ。日本が如何に国際政治の枠外に置かれているか、或いは自ら距離を取っているかの証拠だろう。

来週までには読後感を上げたいと思っているが、今週は大東亜戦争勃発時にアメリカの国務長官だったコーディル・ハルの回顧録を読んでいる。1941年にハルノートを日本に突き付けて、我が国では「これを突き付けられたら仏様でも戦争に打って出ずにはいられないだろう」と悪の張本人にされている人物である。

国務長官とは日本の外務大臣に当たる。日米の政治体制の違いや時代背景のがあるにせよ、職務の激しさと忙しさを類推するに、その違いは驚くばかりだ。彼は長官在任の12年間(病気療養のためワシントンを離れた例外的な日を別にすると)、週末も関係なく近くのホテルに寝泊まりして毎日役所に出勤し、場合によっては役所に泊まり込む日も少なくなかったらしい。そして社交的な会合は殆ど出席をしなかったとのこと。

安倍総理や岸田外相がどのくらい忙しいか分からないが、少なくともお二人とも様々な会合や高級料理店でのお食事、ゴルフなどを楽しまれる余裕があることは公表されている。それは結構だが、世界標準からすると似ているのは北朝鮮の金正恩氏だけだなんてすると、笑えなくなってくる。日本にはマスコミの数だけは沢山あるが、報道内容については似たようなもので、世界の動きについては知る由もない。

一般庶民だけの問題であれば良いのだが、政治家の皆さんにも国際情勢がきちんと伝わっているのだろうか?どうもそうは思えない。ハルの回顧録を読むと、日本の諜報活動のご粗末さがよく分かる。枢軸国を相手にしている連合軍内部でさえ大変綿密な意見調整が必要で、そのために戦争遂行の一方で、外務官僚同士は絶えず連絡を取り合っていたことがよく分かる。

今朝の新聞には取ってつけたように、こんな記事があった。「北朝鮮に対応するため、航空自衛隊の地上配備型迎撃ミサイルPAC3を展開する日米共同訓練が、米軍横田基地で8月にも初めて実施される方向」ミサイルが「撃たれたらおしまい」は世界中の人が知っている。撃たれないようにするために行うのが外交の筈。その外交努力が「○○国と制裁強化で一致」は聞き飽きた。

2017年7月12日水曜日

いざと言う時の備え

まさか梅雨明けではあるまいが猛暑が続いている。身体全体に疲労感がたまっている感じがあるが、なかでも頭がぼんやりして考えるのが面倒くさくなる。普段から面倒くさいことはなるべく忘れるようにしているので、何か重大なことを忘れている可能性もありそうだ。だいぶ先のことだと思っていたが、来週半ばの19日から数日、婆さんが大腸ポリープ切除のため入院の予定になっている。この間のゴミ出しやらを聞いて覚えなくてはならぬか。

どこの家も似たようなものだろうが、高齢者の二人住まいは増える一方だ。一人住まいにならないだけでも善しとせねばならぬのだろうが、二人住まいの後には必ず独居老人が誕生する。70歳頃までは先に逝きさえすれば、その心配はしないで済むと高をくくっていたが、最近は少し考えが変わってきた。何故ならば、後先の問題は必ずしも年齢に比例するとも言えなくなっている。結婚以来約半世紀、家事については一切構わず来たので、いざ独居となると甚だ心もとない。

少し飛躍するがこんな報道がある。「愛媛県西条市での『X国から弾道ミサイル』避難訓練に市民団体が中止申入れ!! 原発地元の伊方町は訓練に参加せず!?」政府の指示でとってつけたような訓練なんかしても役に立たない、と市民団体の人が怒ったのだろう。しかし我が身のことになると、独居になるのが例え2日か3日のことであっても訓練の必要を感じてしまう。今日から1週間でいろいろ聞いて心構えをしなければならない。

恐妻家のくせに婦唱夫随の掟を破り、つまらんことを書いてしまいました。ご愛読頂いている親族の皆さん、くれぐれも家内のことについて他言無用にて、お問い合わせは直接当方宛に願います。大腸ポリープ切除の一晩入院は小生も経験しましたが、大したことではありませんでした。

2017年7月11日火曜日

国民目線

安倍政権には早いとこ退場願いたいと思っているので、政治的にはかなり偏見がある口である。従って自分の考えが、国民多数の考えと一致しないのはやむを得ないと思っていたが、最近の世論調査の結果を見るとこちらの考えに近づいてきてくれた感じがある。昨日の国会休会中審査を見る限り、国民目線がどう捉えたが分からないが、益々政権支持率が落ちていきそうな気配を感じないでもない。

会議終了後、自民党国対委員長竹下氏は記者会見で「何も新しい事実は出てこなかった。今までに出ていることばかりで、これについて嘘だ本当だ、或いは言った言わないとどこまで行っても平行線。こんなことを国会で論議する必要は全くない。」と言ってのけた。政権側は必死だろうからこの発言は理解できる。しかしマスコミはどうすれば「新しい事実がなかった」に同調しなきゃならぬか、不思議でならない。

マスコミにすれば、これまでにさんざ垂れ流してきた情報の真偽が掛かった重要な会議だろう。よほどの暇人でなければテレビで国会中継なんか観られる筈もない。精々報道番組で7時間の審議を精々10分か15分程度につまみ、与野党の質問をバランスよく並べたものを観るだけだ。最後にアンカーとか解説者が出てきて二言三言何かしゃべるが、内容的には次に引用した今朝の朝日新聞トップの見出しに尽きる。『加計ありき、疑念消えず 前川氏「官邸が関与」 首相ら当事者不在 衆参閉会中審査』

疑念消えずとは「加計劇場」が続いてほしい願望の故か?と皮肉を言いたくなる。ジャーナリストの使命は調査報道だ。これだけ論点が明確になったのだから、報道各社はそれこそ持てる力を動員して調査に全力を挙げ、どちらが黒で嘘をついているかを明確にすべきだ。当然大手メディアは既に調査を終えているだろうから、前触れとして昨日の論議の論点整理だけでもしてみろ、と言いたい。

政権側が言いたいことは、昨日の衆議院に参考人として出席した国家戦略特区諮問会議ワーキンググループ委員の原英史氏の言い分「文科省が獣医師の需要に対して足りているというなら、その証拠を昨年3月末までに示してくださいと何度もお願いしてきた。その期限を更に半年延長してまで待ったのだが、結局文科省は何も提示できなかった。依ってその時点で勝負はついている。」に尽きる。これを挙証責任と言うらしい。

一方の前川氏の言い分『獣医学部新設で満たすべき条件である「石破4条件」に照らし、「今治市の提案が合致しているかどうか十分な議論がされていない。不公平で、国民から見えないところで決定された。』確かに議論は噛合っていないが、解明を政治家だけに委ねるのは酷である。
 
どちらに理があるかは、原氏が言うに公表されている議事録を読めば誰でもすぐ分かることらしい。勿論そんなものを読む気はないが、きちんと読み込んでいる人は沢山いる。例えば弁護士の郷原信郎氏。彼をスタジオに招いて解説してもらうだけでも、普段政権の毒まんじゅうを食っている解説者は傷つかずに済むだろう。それにしてもテレビ中継のインパクトは凄い。誰が嘘を言っているかは国民目線とやらが判定を下すだろう。

2017年7月10日月曜日

北九州豪雨被害報道で

東京は梅雨とも思えない酷暑が続いているのに北九州の豪雨は一向にやみそうにない。不思議でもあるし、被災地の方々は本当にお気の毒なことだ。被災地に昨日やっと政府の調査団が入ったようだ。報道には松本純防災担当相をトップとする政府調査団と、一緒かどうかがよく分からないが、石井啓一国土交通相も同市で現地視察とある。

記事は「調査団は各省庁の担当者ら約30人。JR久大線日田―光岡間の花月川に架かる鉄橋が流失した現場と、市複合文化施設アオーゼに設けられた避難所で状況を確認した。」となっている。たまたま今日は例の加計学園問題に関し国会の閉会中審査が行われている。質問者も答弁者も一様に冒頭北九州豪雨被害に関して紋切り型のお見舞いの弁を述べ、政府は総理不在とあって、官房長官が「人命救助を最優先している。」と述べるのみだ。

政府も閉会中審査に間に合うように対応しているのだろうが、被災者からすれば今頃になってなんだ、との思いが強いだろう。過ぎたことをあげつらっても何の役にも立たない。これからは被災者を襲う手続きの煩雑さが最大の問題となる。願わくば、国は被災者に対して迅速な援助をしてほしいが、国の調査団一つを見ても、既に防災復興省と国土交通省が一体なのかバラバラなのかよく分からない。

霞が関における縦割り行政の弊害は論を待たないが、窓口は何れにして地方自治体。ここにおける繁文縟礼を排することができるのが本当の大物政治家だろうが、相応しい人物を見つけることが難しいのが現状だろう。総理も今頃になってやっと「訪問国を1国キャンセルして帰国し、被災地に入りたい。」と言ったそうだ。ピント外れは相変わらずだ。先週も少し触れた1996年12月、故郷の信州は北小谷土石流災害の際、亀井静香建設相の活躍が懐かしい。

2017年7月9日日曜日

他国のことながら

ドイツのハンブルグで開催され日本の安倍首相も出席した主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)は、出席した国々によってその意味するところは大分違うのだろう。漏れ聞く限りフランスのマカロン大統領は、19か国全ての代表と個別に接触して大活躍だったそうだ。39歳と言う若さに加え奥方が25歳年上と言うのも驚きだが。兎に角先々月、2回の選挙戦を勝ち抜き彗星の如く政界に進出、続いた議会選挙でも安定多数を得たようだ。

フランスと言う国に何が起こっているのか、不思議に思うのは思うのはヨーロッパのことなど何も知らない東洋の凡人ゆえかもしえれぬ。G20サミットでの活躍のニュースに接しても、安倍首相とは大分違うのは年齢だけではなさそうだ。今回のG20でも「米国以外の19カ国が結束して地球温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定」に取り組むこと」が明記首脳宣言に明記されている。

マカロン大統領はこれと関連して今週画期的な政策を打ち出している。即ち2040年までにガソリンエンジンやディーゼルエンジンの車の販売をできなくし、電気自動車などに移行させると言うのだ。他にも選挙戦当時から、エネルギー政策では石炭火力を2025年までに全廃して、自然エネルギーに切り替えることも宣言している。

原子力エネルギーが中心の国なので石炭などの火力発電量は低いのだろが、それにしても思い切った政策だ。お国柄の違いと言ってしまえばそれまでだし、その政策がフランス国民に内をもたらすかは分からない。しかし地球の将来の見つめ方については感心する。政策実行にかける熱意は日本の政治家とはだいぶ違うが、日本人も少し考える必要があるのではなかろうか。

2017年7月8日土曜日

読後感「外交50年」幣原喜重郎 著
(口述)

終戦直後占領下の日本で総理大臣の職にあった人の唯一の回顧録である。総理大臣の任期は1945年10月9日~1946年5月22日(226日)元々外交官で外務大臣や首相臨時代理の経験もあり、政治家でもあったといえるが、1872年(明治5年)生まれだから1945年の就任時には既に74歳、引退していた。現役時代も政党人ではなかったが、立憲民政党々首の濱口雄幸氏と学生時代からの親友であった濱口氏が、東京駅で「男子の本懐」と叫んで凶弾に倒れた際に首相臨時代理に任じられたのである。

読後感として要約すれば以下に尽きる。敗戦に次いで、日本はマッカーサー連合国司令官の占領下に置かれるという極めて困難な時代に、日本を託すべき人物として残されていた最後のエリートの一人、切り札だった人の違いない。終戦直後の混乱期を乗り切ったのは吉田茂氏のように勘違いしていたし、同様の思いの人が多いのではないだろうか。昔は、歳はとってもいざという時に役に立つ人が何人かいたようだが、果たして現在はどうであろうかだ。

ここで考えてみれば、本当に困難な時期に憲法改正の草案を固め、戦後日本の基礎を築くことができたのは幣原氏のおかげだろう。吉田氏は当然ながら幣原氏の部下あるいは教え子にあたる人物である。本書が著されたのは本当に晩年の1951年(昭和26年)。亡くなる直前の3月2日に本書の「序」を書いておられる。内容的には戦前の外交官時代の思い出が中心で、総理就任以降については生々しすぎるのでとして、敢えて書かれていない。

唯一、触れているのが第一部最終に短くはあるが「組閣と憲法起草」なる章が設けられ、「象徴天皇」とか「軍隊不保持」の憲法への思いが纏められている。
現在日本国憲法について、憲法によって選ばれ憲法に最も忠実であるべき政権からも憲法改正の声が聞こえてくる。おそらく耳学問で連合軍からの押し付けと刷り込まれている人たちだろう。

どこの国でも外務官僚はエリート中のエリートだろう。今の外務官僚が戦前の官僚と比較してどれほどの経験を積み、知見と実力を蓄えているか知らないが、二言目には外交プロトコルなんて言って偉そ振る。しかし汗水も流さずに形や格好ばかり真似ても、真のエリートにも愛国者にもなりえないことだけは確かなようだ。

2017年7月7日金曜日

梅雨明けは未だ先

梅雨の末期でもないのに北九州では集中豪雨で相当な被害が出ている。自衛隊の災害派遣は当然だが、政権幹部はこの事態をどうとらえているのだろうか。麻生氏は選挙地盤だけに心配そうなことを言っているようだが、聞こえてくるのはその程度。豪雨による地滑り被害は我が故郷信州には非常に多い。北小谷や南木曽等の本場には昔から「蛇抜け」「水抜け」伝説(山村では大雨で地面が水分を吸収する限界に達すると、斜面から逆に水が噴き出すことを「抜け」と言った)がかなり残っているようだ。

中でも1996年12月安曇郡の北小谷蒲原沢(姫川)で起きた土石流は14人もの犠牲を出している。当時国会は休会中だったかと思うが、建設大臣だった亀井静香氏は地元首長たちと一緒に即座に現地入りして、2日か3日間陣頭指揮に当たった話は地元で伝説化している。何でも村に1000億円かの復旧予算をたちどころに付けたそうだ。10数年後にアルプス登山で地元の旅館に前泊した際たっぷり聞かされたものだ。

総理大臣からして似たようなものだから仕方がないが、国会議員の先生方は夏休みで海外旅行などに忙しいのだろう。今朝の新聞には「稲田防衛相、豪雨対応中に一時不在、<政務>理由に」なんて見出しが躍っていた。やっと彼女も大臣を首になることが確定したみたいだが、罷免ではなくて内閣改造人事とのことだ。安倍首相は必死に支持率回復や憲法改正を考えているのだろうが、足元は火がぼうぼうの感ありではないか。

党内異分子の石破氏や岸田氏は何とか懐柔できても、一昨日の公明党の山口那津男代表の一声は些かきついだろう。記者会見で「政権が取り組む課題ではない。」憲法改正について強く牽制したようだ。公明党は国政でも都政でも与党でいることだけが至上命題の、鵺みたいで忌むべき政党ながら、今度の都議選で公明党の発言力が益々強くなったことだけは否定できない。野党第1党である民進党が、都議選の結果でも自民党より惨憺たる状況なので、今後日本の政治がどうなっていくかは心配でもあるが、なるようにしかならぬだろう。

2017年7月6日木曜日

修学旅行と思って

昨日、安倍首相は夫人を同行して政府専用機に乗り込み旅立たれたようだ。どちらに向かわれたか新聞で確認すると、ドイツで開かれる主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)に合わせて欧州6カ国を歴訪するため、と記載され、帰国は12日を予定している。首相のお仕事を下々の末から想像するのも恐れ多いが、新聞に報道されている昨日の首相動静からすると10:15に官邸にご出勤、官僚の異動時期のためだろう、佐川宣寿国税庁長官をはじめとする主要官庁の新任次官・局長クラス20人近くの挨拶を受けている。

物語風に書けば「王様が新しく取り立てた部下多数から、改めて忠誠の誓いを受けました。」てなことだろう。その後お昼前に青山葬儀場に赴き故与謝野馨氏「お別れの会」で弔辞を奉読。慌ただしく読み上げる美辞麗句は、これを専門とする部下が、首相の読み違いないことに十分配慮して準備したものに違いない。昼食は抜きになったのか、午後は0時46分、東京・富ケ谷の自宅、1時44分、羽田空港、2時19分、政府専用機でベルギーに向け同空港発。ドイツのハンブルグという町で開催されるG20会議の前にベルギーに行く意味もよく分からないが、ブラッセルはEU本部所在地だからそこにご挨拶ということか。

そもそもG20サミットなんて会議に出席するのはどこの国か、全て言える人はテレビのクイズ番組の常連さんくらいのものだろう。安倍首相にしても19ヵ国首脳との顔合わせの意味が本当にあるのかどうか相当に疑わしい。しかし仲良しのトランプちゃんやプーチンちゃんと会って互いの健康を祝福できれば、と言うことはあろう。あまり仲が良くない習近平ちゃんからは「体の調子が悪いそうですが、どうぞお大事に。」くらいの嫌味を言われるのかなぁ。どちらにせよ公式行事は外務省の官僚が用意したスケジュールに則り、得意な英語を駆使したりしてカメラ向けの演技に終始することだろう。

安倍氏は、外国の政治情勢を深く分析することも無く、金さえ持っていけば歓迎されると考える以外、何を考えているのか分からないと言えるほどの外交音痴。この長い海外旅行にも特段の外交課題は思い当たらない。それとも北朝鮮を近い将来この会議に招聘すべく、米露中韓の首脳と個別に秘密交渉でもできれば褒めたいが、そんなことは間違ってもあり得ない。

一方国内的には多くの課題が中途半端なまま手付かずに残る。その根本で、本人の政治姿勢が問われていることは十分自覚はしているだろう。この時期によくものんびり海外旅行なんかするものよ、と腹も立つが首相の卒業旅行と思って我慢しよう。

2017年7月5日水曜日

贔屓の引き倒し

事の善悪は別としてメディアの政治的旗幟が鮮明になりつつある。BSなので視聴者は少ないだろうが、昨夜のBSフジ「プライムニュース」を観ていて情けなくなった。報道局解説委員の反町理氏が司会を務める番組で、都議選の結果を受けて与野党(自民、公明、民進、共産)から1名ずつ国会議員の出席で各党の思いを述べ合った。2時間番組なのでテレビ番組にしては丁寧に意見が聞けるので比較的観ることが多い。

自民党から出席した平沢勝栄氏は党の広報本部長だそうで、役目柄とは言いながらあまり有り難くないテレビ出演に同情してあげたい。公明党の言い分を聞きたかったのだが、斎藤鉄夫氏は全勝について感謝の弁に続いて反自民の立場に至った言い訳ばかりで、後はお決まりの「国政においては政権与党としての立ち位置に何の変化もあり得ない」だから面白くもなかった。今調べると斉藤氏が清水建設出身のエンジニアと知ってびっくりでもある。

野党は民進の松原仁氏、選挙戦での戦犯であるより、民進党の存在意義をどう立て直すのか。氏自身が語る解党的出直しより解党の方が分かり易くも思えてくる。共産は小池晃氏、相変わらず歯切れがいいし、いつもに増しての落ち着いた口調だったのが印象的だった。何れにせよ次回の国政選挙では、野党側がどのような受け皿を用意できるかが勝敗の決め手になるだろう。小池都知事は嫌いだが、今回成功を収めた短期間での受け皿づくりは天晴と言わざるを得ない。

政治家は初めから思想信条の違いは勿論だが、立場もあって言うべきこと、言ってはいけないことがあるのは分るが、問題は司会者反町理氏だ。フジテレビの報道が自民党寄りであるのは大分前から社是のようでもあるので良いのかもしれぬが、それにしても昨夜の司会は酷すぎた。司会の身でありながら、先ず出席の政治家に問う形で「今回の都議選に関する報道の在り方に問題があったのではないでしょうか。」と盛んに仕掛けた。

しつこいまでに何度も聞くが、誰もがその問いかけは無視した。当然自民党から「報道のバッシングが行き過ぎていた」と言わせたいのが見え見えだが、流石に平沢氏もそんな挑発には乗らずに全くの無反応。慌てた反町氏今度は矛先を野党に向け「無いことを証明するのは悪魔の証明と言われ不可能です。閉会中審議なんかしても、片方は無いと言い、片方があると言っていてはどこまで行っても永遠に交わらないで不毛です。如何ですか?」と言ってのけた。

視聴者からすれば審議を尽くすことが何で平行線になるのか分からないが、テレビ局の報道局解説委員ともなれば先を見通す力が相当なものらしい。自民党を応援する熱意は分かっただろうが、平沢氏にしても有難迷惑だった可能性はある。

2017年7月4日火曜日

早や今年も半ば

既に7月、今年も半ばを過ぎてしまった。年内に何かをし遂げる必要もないので、毎日をただ単純に似たような日課で過ごしている。仕事をしているわけではないが、歩くことだけが仕事のように考えている。先ず週末の土日と月金の5日を分けて歩き方に変化をつけている。土日は午前中に近くのフィットネスクラブのマシンを使って約5キロ強(家からの往復を入れると約6キロ)。平日は午前と午後に分けて公道を約3キロ弱ずつ合計約6キロの散歩。何れも歩行数に換算すれば1万歩位になるだろう。

勤め人の多い時間は避けているつもりだが、東京は何故か速足だったり小走りをする人が多いし、自転車が歩道を走っている。こちらも日課なので、多少の変化はあっても毎日似たような道を使っているし、歩行速度も多分時速5キロくらいだと思うので、そんなに遅いとは言えぬだろう。しかし、ほぼ絶対と言えるくらい走りはしない。子供の頃から運動会は好きだったのに、徒競争はからきし駄目でいつもびりの方だった。だから今更走ってみろと言われても走れない、安全第一を心掛けている。

いつまで続けられるか分からないが、歩行速度や疲れ方が増していることは間違いなさそうだ。それこそ毎日のことなので日頃は気が付きにくいが、多分この半年でも大分疲れてきているようだ。身体は物凄く精密に組みあがった機械のようなものらしい。食事や運動で機械油を射したり錆止めを塗ったりしているらしいが、視覚的な確認ができない。自分で感じ取るしか手立てがないが、錆びついてきたことが分かっても、どこの個所は分からない。

おそらく優秀なお医者様でも整体師でも難しいのではなかろうか。兎に角、 身体の劣化は山歩きに出かけるとよく分かる。2010年7月から山歩きの記録56件が「ヤマレコ」に残っているので、時々振り返って見る。山歩きを始めたのが2004年の晩秋だから「ヤマレコ」を始めたのは現在とのちょうど中間時点、この2010年11年頃が、多分体力的なピークだった頃かもしれない。今は身体の方々に錆が浮き出て、動きもままならなくなり始めているが、あまり無理をしない範囲で月に1回くらいのハイキングは続けたいものだ。

2017年7月3日月曜日

反省の弁

昨夜は開票が始まると同時に「都民ファースト圧倒的優位」と報道されていたので、ふて寝ではないが早々と寝付いてしまい結果を確認しなかった。そもそも都議会なんて制度自体にあまり意味を感じていないので、関心が薄いのかもしれぬ。しかし今朝結果を確認してびっくりした。都民ファーストが風を受けて勝ち上がることは予想していたが、自民党がここまで惨敗するとは、嬉しいが想定外でもあった。我が家のある豊島区と娘家族の住む隣の板橋区から自民党議員がゼロになってしまった。

都議会議員が都民とどういう関係があるかも分からないし、自民党議員がゼロになっても特段の不便は生じないのではなかろうか。むしろ国会議員との関係で意味があるとすれば、少し面白いことが起きるかもしれない。自民党嫌いの勝手な想像だから、期待するような事態に道が繋がるかどうかは分からない。自民党は現時点国会内で圧倒的優位に立つ現政権政党であり、マスコミも少しは遠慮があるのだろう。野党第1党の民進党がだらしなさ過ぎるので、政権への影響も比較的少ないかもしれない。安倍氏は手段を講じて立て直しを図るだろう、とか何とか言っている。

その安倍総理の反省の弁「政権が発足して既に5年近くが経過する中で、安倍政権に緩みがあるのではないかという厳しい批判があったんだろうと思う。真摯に受け止めなければならない。」続いて国政に与える影響について「国政には一時の停滞も許されない。反省すべき点は反省しながら、謙虚に丁寧に、しかしやるべきことはしっかりと前に進めていかなければいけない。」と聞き覚えのある言葉ばかり並んでいるので、少しもピンとこないし、反省々々と言いながら少しも反省していないのがありありだ。

いつも比較して申し訳ないが、藤井総太君が30連勝を逸した際のコメント「連勝はいつかは止まるものなので仕方ないが、本局はちょっと勝負どころなく敗れてしまったのが残念です。完敗でした。(今後に向けて)また一局一局、真剣に頑張っていきたいと思います。」は反省の気持ちが素直に表れている。将棋なんて何にも知らないのに「これからも頑張ってください。」なんて気持ちに素直になれる。

2017年7月2日日曜日

都議会議員選挙の出口調査

連れ合いは「足が痛いので投票をやめようかな。」なんて言っていたが、やはり市民としての意思表示は必要だと思い直したようだ。たとえ投票した人物が落選しようと大事なことだろう。こちらは足腰だけが取り柄のようなものだから、昼頃清き1票を投じてきた。そしたら生まれて初めて出口調査に捕まった。応じたのは共同通信社だったが、他にNHK、朝日、読売なども来ていたみたいだ。「ちょっと木陰の方まで来てください。」なんて言われて、相当時間を取られるかと思いきや、タブレット端末を出されてソフトなペンタッチであっという間に7問か8問が終わってしまった。

昔広告会社入社2年か3年の頃、農機具メーカーの依頼で秋田県の農村調査をしたことを思い出した。秋田大学の学生さんにアルバイトをお願いして1週間近くかかったような記憶がある。調査の設計と管理が主な仕事ではあったが、実体験も必要と言うことでフィールドワークも少しやってみたが、雪の降る寒い季節だったので大変だった。回答の集計も専門の会社に依頼してパンチを打ってから、手動式の機械計算だったので結果を見るまでまた相当な期間が掛かったものだ。

そんなことを思うと、コンピュータとやらが活躍する現代は恐ろしいほどのスピードで物事が処理される。今日も開票と同時に当選確実が何人も出ることだろう。便利かもしれぬが面白みがないし、機械の処理速度に追いつけない年寄りとすると、あれよあれよと言う間になんか誤魔化されるような気がしてならぬ。昨日は自民党安倍総裁が初めて街頭応援演説に立ったらしい。自民党の評判は決して良くないので、選挙結果は芳しくないだろうが、安倍政権が揺らぐことは無いと自信たっぷりな様子だ。

党内には「反アベノミクス研究会」も立ち上がったようだ。この5年間で安倍1強の弊害はもう十分分かったろう。このところ一部のマスコミも末端の記者が大分目覚め始めている。選挙結果如何を問わずもっと造反を加速してもらいたいものだ。