2017年7月8日土曜日

読後感「外交50年」幣原喜重郎 著
(口述)

終戦直後占領下の日本で総理大臣の職にあった人の唯一の回顧録である。総理大臣の任期は1945年10月9日~1946年5月22日(226日)元々外交官で外務大臣や首相臨時代理の経験もあり、政治家でもあったといえるが、1872年(明治5年)生まれだから1945年の就任時には既に74歳、引退していた。現役時代も政党人ではなかったが、立憲民政党々首の濱口雄幸氏と学生時代からの親友であった濱口氏が、東京駅で「男子の本懐」と叫んで凶弾に倒れた際に首相臨時代理に任じられたのである。

読後感として要約すれば以下に尽きる。敗戦に次いで、日本はマッカーサー連合国司令官の占領下に置かれるという極めて困難な時代に、日本を託すべき人物として残されていた最後のエリートの一人、切り札だった人の違いない。終戦直後の混乱期を乗り切ったのは吉田茂氏のように勘違いしていたし、同様の思いの人が多いのではないだろうか。昔は、歳はとってもいざという時に役に立つ人が何人かいたようだが、果たして現在はどうであろうかだ。

ここで考えてみれば、本当に困難な時期に憲法改正の草案を固め、戦後日本の基礎を築くことができたのは幣原氏のおかげだろう。吉田氏は当然ながら幣原氏の部下あるいは教え子にあたる人物である。本書が著されたのは本当に晩年の1951年(昭和26年)。亡くなる直前の3月2日に本書の「序」を書いておられる。内容的には戦前の外交官時代の思い出が中心で、総理就任以降については生々しすぎるのでとして、敢えて書かれていない。

唯一、触れているのが第一部最終に短くはあるが「組閣と憲法起草」なる章が設けられ、「象徴天皇」とか「軍隊不保持」の憲法への思いが纏められている。
現在日本国憲法について、憲法によって選ばれ憲法に最も忠実であるべき政権からも憲法改正の声が聞こえてくる。おそらく耳学問で連合軍からの押し付けと刷り込まれている人たちだろう。

どこの国でも外務官僚はエリート中のエリートだろう。今の外務官僚が戦前の官僚と比較してどれほどの経験を積み、知見と実力を蓄えているか知らないが、二言目には外交プロトコルなんて言って偉そ振る。しかし汗水も流さずに形や格好ばかり真似ても、真のエリートにも愛国者にもなりえないことだけは確かなようだ。

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