2012年4月29日日曜日

反省は無理か

少し前までは記者上がりの評論家の意見を比較的素直に聞いたものだ。最近は婆さんの影響があって、スポーツ関係のテレビ番組をよく見る関係から、解説は専門家のものでないといけないと思うようになった。野球やサッカーの実況を見てこなかったので、スポーツ観戦が好きな方からすれば、「今頃何言っているの」てなものだろうが、嘗て一流のプレーヤーだったり監督であった人の解説は、着眼点や分析の鋭さにいつも感心してしまう。

逆に言えば、新聞記者の解説は尤もらしいが、飽く迄素人のそれであって、悪く言えば情緒的に流されている事が多いのに気が付いた。考えてみれば当たり前の話で、記者は他人の意見を取材する専門家だ。確かに取材にあたってはそれなりの勉強はするだろうが、専門的な知識はどうしても付け焼刃にならざるを得ないのはやむをえまい。それと、ぶら下がり会見に群がる若い記者諸君を見ていると、彼らの成れの果てが編集委員であり論説委員である事に気が付いた。

従ってメディアが26日の小沢裁判の判決を受け、判決が出て晴れ々々した気分だなんて記事を書く筈がないことは仕方がない。本当は疑いが大いにあるのに、証拠を掴めなかったから渋々無罪にしてしまった。読者視聴者にこのような印象を与えるのはいけないかもしれないが、最初からその程度のものだと思えば腹も立たない。「その程度のもの」と言えば昨日の日本テレビ系列「辛坊治郎のウェークアップ!」に出演した松木謙公(菅直人氏の不信任に賛成投票して、民主党を追い出された議員)が同じことを言っている。

一緒に出演していた民主党の生方幸夫が小沢氏の処遇について前原氏と同じような意見を開陳したのだが、「判決を受けて小沢氏寄りの議員は喜ぶし、反対の人はそれでも説明責任は残るとか言うでしょう。同じ党の仲間でさえこうなんですから。政治家なんてその程度のものですよ。」と吐き捨てるように言っていたのが印象的だ。政治家もメディアも勉強不足と言うことでは似たようなものらしい。読者視聴者であるこちらは、それを前提として読んだり見たりすればいいだけだ。と思い始めている。

スポーツ解説ではないが、専門家の見方の一つを検証してみた。時間は40分くらいだが余裕のある方にはお勧めしたい。郷原信郎氏の解説で、これも一つの見方で好き嫌いはあるだろうが、少なくとも専門家であることは間違いない。インタビューアの情緒的発言には簡単に乗らないが、マスメディアが昨日一斉に検察も反省すべきと書き始めたことについては、さすがに激しく憤っておられたのが印象的だ。
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/13297

2012年4月28日土曜日

黄金間週

ゴールデンウィーク大型連休の始まりである。婆さんはしきりに「どこにも出かける予定が無いのか?」と不満顔である。天気も良くなってきたので、1日位は近くだったらハイキングにでも行こうかと思うが、混雑を思うと遠出をする元気が出ない。第一この期間、JRの割引が一切利かないのも不便だ。1年中ゴールデンウィーク見たいものだから無理する必要もないし。床屋に行ったら、隣に座った爺さんが「9日間も休みが続いたら、仕事に行くのが嫌になってしまうだろう。」余計な心配をしていた。

今日は普通の土曜日だが、60年前の1952年4月28日はサンフランシスコ平和条約が発効した日に当たる。ソ連や中華人民共和国(戦争の当事者でないので参加せず)など調印しなていない国もあるが、連合軍の占領が終了、日本が独立した日でもある。同時に日米安保条約が調印されているので、実質的にはアメリカが駐留軍として残り、かなりインチキ臭い感無きにしもではあるが、今日こそ祝日とすべきだとの意見は多い。小生も賛成である。

明治憲法発布の日を以て建国記念日とするより、余程意味がしっかりしていると思う。それにしても国家の自主独立とは難しいものだ。ちょっと興味をもって昨日夕食時に話をした。婆さんの方が歴史を孫に聞かれても答えられるように、普段から真面目に対策しているので子供向けの参考書を持っている。アメリカのペリーが艦隊を率いて開国を迫り、日米和親条約が締結されたのが1854年、以後明治維新を経て、西欧先進国の植民地とならず日本は辛うじて独立を守った形ではあるが、日米通商航海条約改正により関税自主権を回復し、不平等条約の撤廃に成功(実質的独立)したのは、なんと1911年となっている。

当時でさえ、本当の独立国家としてアメリカに認められるまでには57年もかかっているのだ。その間明治5年から7年にかけての欧米に派遣された使節団の悪戦苦闘など、まるきり赤子扱いをされた事など、明治の先輩の努力は聞くも涙の物語だ。ついでに韓半島の朝鮮について言えばもっと大変である。19世紀末に清との宗属関係から逃れて独立を夢見るが、逆に日本に併合されたりして、1945年の終戦で独立を獲得したと見たにしても、やはり60年は優にかかっている。

元に戻って我が日本だが、やはり戦争に負けた傷は深い。1945年が独立国家でなくなった日とすれば、既に67年の歳月が経つのに、明確な宗属関係が無いとは言っても、実態的にはアメリカの属国であるのは否定しにくい筈だ。国民の大半がそれで良しとするなら仕方がない。少なくとも小沢一郎はさすが慶応出身だけあって、自主独立の国家を目指したいようだ。しかし福沢諭吉先生も仰っている。政治家だけで国家を動かすことが出来れば簡単だが、クーデターを起こそうと何しようとそれではだめだ。民衆の動向があってはじめて国家が動く。民衆が動くと誰にも止める事はできない。

さすが、アメリカはその辺をよく知って、国民の目を上手にそらしている。

2012年4月27日金曜日

マスメディアの心得違い

このところ見たくもないニュースが多くてテレビを見るのが苦痛でさえある。亀岡市の交通大参事なんか、あれほどまでしつこく何度も手を替え品を替えた映像を全国に流す意味がどれほどあるのか、この場合に限らないが、近年テレビ局が通夜や葬儀を平気で放送する。取材を受けてコメントする人がいるから取材をしているのだろう。縁故ゆかりの人が集まり厳粛に執り行われるのが葬儀で、関係ない人はできるだけ邪魔にならぬよう遠回りしてでも避けたものではなかったろうか。マスコミが葬儀に関心を持つ理由が全く分からない。

ついでに政治関係について言えば、最近はやたらに特定議員のぶら下がり取材映像が目につく。大した政治案件でもなく、単なる政局的駆け引きのお先棒を担ぐような取材をして、社会の木鐸になったつもりとすれば、とんでもない心得違いだ。昨日なんぞはこれのオンパレード。政治家は蝿の群れのような記者に取り巻かれると嬉しいのだろうが、視聴者からしたらどれほどの意味があるのだろう。客観的かつ公正な報道をしてますよとの心算だろうが、蛇かミミズか判別し難い報道は迷惑な話だ。

何度も書いているが、むしろメディアは公正か否かの判断は受け手に委ね、取材先をきちんと明示したうえで、己の信ずる見解を堂々と発表すべきだ。
日本のマスメディアに調査取材が根付いていないのは世界的に有名らしい。本当に恥ずかしいことではないか。読後感はアップしなかったが、先日「国家の闇」(一橋文哉著)を読んだ。ここには一時大騒ぎになったものの、真相が分からないままうやむやになった事件が幾つも記されている。この著者一橋文哉は、一ツ橋にある毎日新聞のブンヤ即ち記者の変名と言うかペンネームらしい。

警察庁長官狙撃事件とかロッキード事件や金丸事件の疑獄事件の系譜とかライブドア事件とかグリコ事件などが取り上げられている。何れも大騒ぎだった割に迷宮入りになったり、ことの本質がはぐらかされて忘れられかけているものだ。世の中に表と裏があり、裏にはブンヤと言えど簡単には踏み込めないでいるらしい。言ってみれば我が国のメディアの限界を自ら告白しているとも言える。昨日の小沢検審裁判についての報道をみても、殆どが非常に中途半端「判決は限りなくクロに近いグレー」との論調で埋め尽くされている。

沖縄タイムズか琉球新報だけが、組織としての検察が厳しく問われていることを重く受け止めるべきと報じたらしい。(本日の自由報道協会 佐藤優記者会見から)裁判所の判決にグレーがあるなんて、まともな大人が言うべき事ではないだろう。小沢氏が虚偽記載を「よし、その線で行け」と明確に指示していると思うなら、それこそ徹底的な調査をすればいいだけの事だ。そういった努力をなにもせずに、グレー判決なんて日本語として成立しえない言を弄するのはジャーナリスト失格と言うべきだろう。

2012年4月26日木曜日

読後感「この国の不都合な真実」菅沼光弘著

つい最近も著者の本を読んだばかりだが、元公安調査庁調査部長までした人なので、一般市民が知らない事を沢山知っている意味で面白い。今回はTPP問題から入り、この問題で締めくくっている。要は「アメリカの言いなりになってはいけない。」との警鐘にに尽きるのだが。実態的には如何にアメリカが巧妙、時に大胆に我が国の形を変えてアメリカナイズしてきたかを縷々述べている。

いちいち尤もな話ばかりで、正にアメリカナイズされ続けたその当事者としては、思い当る事ばかりで忸怩たる念を禁じ得ない。アメリカの具体的手口について成程と思うのは、リビアのカダフィの件だ。都合よく属国化する際、最初は友好的に接近して、後に国民をうまく煽って市民の手でトップを殺害させる。後は意のまま、やりたい放題。言われてみればその通りかもしれぬ。

著者は公安畑なので必ずしも警察とは仲が良くないらしい。最近はやりの暴力団排除条例についてはかなり批判的でもある。別にやくざを礼賛する気はないだろうが、世の中を一元的に見ずに、複数の角度から見る目を持つ必要はあるだろう。検察の腐敗や司法制度の問題にも触れているが、全てはアメリカの都合と見れば大凡の解釈が出来そうだ。

複眼的視点を垣間見せるのが、野中広務引退の真相(らしき裏話とも言うか)。小泉純一郎との確執或いは権力闘争か、背景には山口組と稲川会やら、同和予算、食肉調整資金、司法までが複雑に絡んだ抗争であったことを仄めかしている。政治家の通信なんかは殆ど全部アメリカは把握しており、時に応じて上手くそれをリークするのだそうだ。

貧弱、いや存在しないに等しいとされる日本の諜報機関。とは言えそのトップに近い地位にいた人の書くことだから、「嘘でしょう」と笑い飛ばす訳にもいかないところもある。

2012年4月25日水曜日

固唾をのんで見守る中

明日、検察審査会から告訴されている小沢裁判の判決が下る。たまたま昨日ネット上にあった小沢一郎氏への単独インタビューなる映像を小1時間かけてじっくり見たので感想を書いておきたい。先ず映像の在処は下記ですので時間がある方にはご一覧をお薦めします。収録日は4月18日です。
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/11540

小沢氏については好きな人と嫌いな人が相半ばしていて、どちらかと言えば女性には評判がよくないみたいだ。しかしどういう訳か、うちの婆さんはむしろ好感を持っているらしい。今日の週刊誌の広告に“小沢氏に隠し子”(非認知だからそうは言わないか?)と出ているよ、と話すと「そのくらいあったっていいじゃない。」と軽くいなされてしまった。小生もどちらかと言えばファンの一人かも知れない。

実は、昔は若いくせに生意気な奴だと思っていた。「日本改造計画」を読んでも角栄の真似をしているだけじゃないかと勝手に切り捨てていたし、尊敬する先輩が彼の自衛隊と国連軍の二元論に猛反対だったせいがあるかもしれない。副官房長官時代だったか、絶頂期に近い頃に、ある人が紹介してやると言ってくれたが断ったくらいだ。今にしてみると残念な思いがある。いつ頃からか忘れたが、政治に関心を持ち出してからは好感を持って見ているのは事実。

昨日見た映像でも、彼の言っている事は前から聞いている事と大きな差がある訳ではない。いつも原則とか根本の問題を指摘するから、変わりようがないと言えばそれまでだが。要約すれば「日本は自立しなければいけない、それには役人任せでは駄目だ」に尽きるのだろう。内政も外交も確かにそうかもしれない。しかしどうすればそれが可能なのか?改めて思わざるを得ない。

自公に比べれば若くて優秀な人材豊富とされている現政権だが、いとも簡単に官僚の抵抗に叩き潰され、あっさりと白旗を掲げて丸め込まれたように見える。むしろ無気力無能力の前政権の方が益しとするのが今の風潮だとすれば、仮に小沢氏が政権を作っても同じことではの思いも否めない。正直なところ、明日の判決がどうなろうと、裁判は続き彼が政治家としての力を取り戻すことは難しいだろう。

だからと言って小沢氏に対しては、鳩山氏のように引退を迫る訳にはいかない。引退をすれば間違いなく追う側の思う壺にはまるだけだ。小沢氏自身と同等の力量を持った腹心が一人もいないのは、彼にとっても日本政界にとっても一種の悲劇だったかもしれない。昨日の映像で新鮮だったのは中国と北朝鮮の話である。この2国が密接な繋がりを持っている事、そして何れも内部における権力闘争激化の予兆が見られる事、現在の緊張が破れると戦争になりかねない。

液体燃料のロケットなんか武器として使い物にならないのは当たり前だが、半島の戦争にそんな武器は不必要。あっという間に戦火が広がる。当然国連軍の出動になるだろうが、その際日本は国連軍には当然参加すべきとの事。この点を尊敬する先輩は忌み嫌っていたようだが、今では小沢氏の方に賛成したい。

2012年4月24日火曜日

ああ、若者よ

徒歩15分以内に小学校が4校あったが、数年前1校が廃校になったりして小学生の姿がめっきり減っている事を実感している。一方同じエリアに高校が3校あり、この3校の生徒が同じ地下鉄の駅から毎朝吐き出されるので、いつもそこそこ多数のの高校生とは行き交っている。残念ながら中学校は1校しかない上に、ロケーションがこちらの行動範囲と全く逆になっているので、その実態を見る機会が殆ど無い。

中学生の孫が二人いるのだが、同じ都内に住んでいても小学生時代とは異なり、我が家に遊びに来ることは殆どなくなってしまった。寂しくもあるが、それも彼らの成長の証しと諦め、折に触れて娘の家を訪れる婆さんからの報告を聞くのを楽しみにするようになってしまった。子供の成長に関して見たり聞いたりするのは楽しいが、教育と言うことになると自信が無いので全く意見を言えなくなってしまう。婆さんの独擅場だ。

幸い二人の中学生は可もなく不可もない程度のところで、さしたる問題も無く過ごせているようだ。一人は3年生になったので来年は高校受験になるが、今のところその件について何も具体的な話題が出てこない。気にならない訳ではないが、今こちらから聞いても仕方ないので触れないようにしている。
本人も親たちも、それなりには考えたり話し合ったりはしているだろう。

先の春休みに婆さんが先方に行った折「今が、学校の勉強が一番大事な時だよ。」と言うと「うん、わかった。」と答えていたとのこと。結果がどう出るかは分からないが、それで良しとすべきなんだろう。なんたって我妻は娘が中学生時代に塾に行きたいと行った時「お父さんが一所懸命働いて税金と言うものを払っているので、その分学校で教えて貰えば十分。塾なんかに余計なお金を払えません。」てな話をしたら、娘がその事を夏休みの宿題か何かの作文に書いて、税務署からなんかの賞を貰った事があるらしい。

娘にそう言って塾を諦めさせたのは当時から知っていたが、税務署から賞をもらったのはごく最近初めて聞いた。どこの家庭でも子供の教育については大体母親の考えが強いのが普通だろうが、我が家はそれが特に顕著で、こちらまで相当教育されている。まま儚い抵抗をしてはいるが、もう少し教育されるとこのブログをやめざるを得ない。婆さんから見るとブログは目の敵のようだ。

昨日は京都の亀山市や東京八王子市で未成年が凄惨な事故や事件を引き起こしている。若い人の可能性を信じ、将来を託す気持ちが強いので、このようなニュースは信じられない気持ちだ。何か書こうと思ったが、ショックが強烈で、どのように書いても適切さを欠いてしまう。家庭か、学校か、はたまた政治か?どこに問題の原因を求めればいいのか、悩ましくて分からない。もどかしく思っているうちに、また取り留めのない内容になってしまった。

2012年4月23日月曜日

テレビとの関係

先週末の金曜日と土曜日は故郷の長野に居て、春らしく暖かで市内は桜が満開、いい花見ができた。土曜日の夜自宅に帰ると長野より遥かに寒い。昨日も曇りでぱっとせず、夜から降り出した雨が今日は一日中続き、気温も低い。別に勘定してるわけではないのが、東京の今年の春は、陽春という感じの日がとても少ない。新人歓迎会には実に不適切だろうし、飲食店の売り上げにも影響するのではと余計な心配をしてしまう。

金曜日早朝から旅に出ていたせいもあるが、昨日までの週末3日間殆ど新聞は読まなかったし、テレビのニュースもまともに見なかった。婆さんがチャンネル決定権を握っていて、下らないニュースしかないからとの理由でニュースはスキップしていた。代わりに3日間夜はずっとフィギャースケート国別対抗戦の実況を見ていたが、日本の選手はよく頑張った。

男子はキャプテンの高橋大介の活躍が目覚ましかったし、女子は浅田真央や安藤美姫が出場していないのに国別対抗で優勝した。ロシアを筆頭とした外国勢が弱くなった訳でもあるまいに、一昔前の事を思うと、同じ日本人かと思う程強くなったと感心するばかりだ。今朝はゴルフの宮里藍の優勝ニュースが飛び込んでくるし、イチローやダルビッシュの野球、香川がドイツのサッカーリーグ最終戦で有終の美を飾る得点、等々スポーツには明るい話題が多い。

おまけを言えば、婆さんは野球の巨人軍が不振でリーグ最下位に位置しているのが嬉しいらしい。巨人ファンの方には不愉快なだろうし、また余計な事を書いたと怒られるだろうな。婆さんは子供の頃から運動会と遠足が大嫌いだったそうで、自分では一切運動をしないくせに、テレビのスポーツ観戦は大好きなようだ。今はオフだが相撲なんかもすごく詳しい。こっちは他人のスポーツにあまり興味が無かったのだが、最近は一緒に見る機会が多いので、つい引きずられて段々見るようになってしまった。

まともに付き合いのある人間の名前すら満足に記憶できない小生としては、昔の選手を含めて大量の固有名詞を記憶している脳みそのキャパには敬服せざるを得ない。こちらのライフスタイルとしては、テレビを見るのは朝6時少し前から約1時間、夜7時のニュース30分と夕食時に8時半頃から約1時間。どれも食事をしたり新聞を見たりしながらで、専念してみる事は殆ど無い。

婆さんは小生と一緒のときは、専ら小生の質問に答える解説役に徹し、以外の時間に相当テレビに専念できているのだろう。思えば芸能関係も政治関係も情報は豊富だ。仕事以外の事は大抵教えてもらえるので重宝している。このところ政治状況は興味を興味を持てないらしい。但し、次回選挙で「参議院廃止」を公約に掲げる党が出現したら応援するのだそうだ。同感ではあるが期待薄だろう。

2012年4月22日日曜日

帰郷 法事とハイキング

数週間前、今月20日の金曜日に亡き兄の5回忌の法要があるので帰ってほしい、と弟から連絡があったので帰郷してきた。兄が亡くなったのは4月15日だが、末の弟のがどうしても外せない用事があって出かけているので、姉さんが20日に延期してくれたとの事。兄が亡くなったのは平成19年で、桜が真っ盛りだった。今年は天気の加減で開花が遅れ、金曜日は市内の桜が丁度満開になったところだった。

西行法師ではないが、満開の桜の下での葬式や法事はいいものだ。兄も酒が好きで、人付き合い会を大切にしていたから乙な死にかたを選んだのかもおしれない。久し振りに兄弟が顔を合わせて一献酌み交わす運びだが、先ず我が一党の女衆は殆ど飲まない。男兄弟も皆酒量が落ちて店に申し訳ないくらいだ。かく言う小生も熱燗1本で十分なのだから情けない。一寸兄には申し訳ないような気がしないでもない。

食事の最中の話題も、病気自慢は嫌だと言いながら、末期医療や介護サービスさえ通り越して、葬式やら戒名やらの段取りの心配にまで行ってしまった。
中にはクリスチャンが居たり、菩提寺の他に墓寺と称して2軒のお寺と付き合わざる得ない者が居たりして、これはこれでなかなか興味深い。正直なところ、こちらも東京に居て仏壇も無く呑気にしているが、一朝有事で二人のうちどちらかが、お隠れになる事は相当マジで考える必要があるのだ。

日本人にとって寺との付き合いは、その時になると好むと好まざるを得ず、どうしても発生して何がしかの付き合いをせざる得ないものらしい。東京都が責任をもって、骨をどこかに持って行って処分してくれるようになるなんてことはあり得ないのだから。食事の後、何人かの兄弟や従妹と善光寺までそぞろ歩きをした。この立派なお寺の裏手に無縁仏のための塔があり、その周りに古い墓石が沢山打ち捨てられている。

善光寺に墓を作るなんて家は相当格式のある家だと思うが、そんな家だって何代か経つと墓を守る人がいなくなって、無縁仏として十羽一絡げに扱われてしまう。無常と言えば無常ななものだ。特に我が家は男の子が居ない。両親や兄と同じ墓に入れてもらうつもりではいるが、あのお坊さんと、はて、どのようにお付き合いしていくものやら?互いに気楽になっている兄弟ではあるが、幾つになっても娑婆には小難しいことが多いものだ。

その夜はすぐ下の弟のところに泊めてもらい、昨日は幼い頃から馴染んでいる飯縄山に登り、今年の歩き初めとした。例年なら3月の末には奥多摩あたりで歩きはじめるのだが、今年は寒くてとてもその気にならなかった。幸い昨日長野は快晴、気温も東京より高いくらい、最高のハイキングが出来た。詳しくは以下でご覧願います。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-183896.html

2012年4月19日木曜日

百聞は一見に如かず

シニア・ナビサイトで互いのブログにコメントし合っている方から、メールでご連絡いただき「一度会って、一杯やりながら互いの無聊を慰めませんか。」とお誘いを受けた。お住まいも我が家にほど近い上野の御徒町とのこと。お会いしたことはないが毎日のようにブログを読んでいるので、危ない人でないことは容易に想像できるし、暇を持て余し気味なのもご指摘通りなので、すぐ同意の返信をした。

昨日の朝早速メールで、「今日池袋に所要があって出かけるので、夕方サンシャインビルでどうか?」との打診。昨日は暇だったし、場所も近く、夕方からと言うのも有難い。と言うのは、最近酒を控えているので、夜遅くまでの酒席はできるだけ避けて頂きたいとお願いしていたから。そこでまだ陽も高い4時にサンシャインビルの1階で待ち合わせた。

よく若い子がしているように、互いの携帯電話番号を教えあって「今どこそこにいますよ。」とやってみた。こんな光景は馴染みだが、自分がしてみて成程携帯とは便利なものだと初めて実感した。互い約束少し早めに来て、間隔5メートル位の距離で発っていたのだが、当然ながら相手を確認できない。
彼は同年輩でもありブログから想像するに、奥さんに先立たれて少し疲れ気味のもっと老けた人だろうと勝手に想像していた。

実際は全然異なり、若々しい。しかも現役で仕事もしておられるとの事。突然のお誘いでもあったので、てかてかで膝の抜けたズボンとよれよれのジャンパーにスニーカーの浮浪者みたい恰好で行ったところ、糊のきいたYシャツにスーツ姿だったので、しまったと思ったが後の祭り。幾ら余生とは言え、初対面の人に会う時ぐらい最低のマナーは心得なくてはいけない。いつもブログで偉そうに書いているので大恥をかいてしまった。

兎に角無礼はお許し頂き、早速ビールなどを飲みながら談論風発、気が付けば3時間も1軒の店に座り続けていた。ブログで常に幅広い意見を開陳されるだけあって、経歴伺うと大手企業のサラリーマンは早々に卒業されて、個人起業も大先輩で企業経営経験豊富もさることながら、市民運動や政治活動の経験も豊富で、話の内容は実に興味深かった。現在の政治状況についての認識も意見の一致する事が多かったが、プライベートになると、勝手な思い込みとは全く違っていたので、面白いと言えば面白い。

何事も百聞は一見にしかずと言うことだろう。

2012年4月18日水曜日

読後感「君たちはどう生きるか」吉野 源三郎 著


感想を書く気にならない下らぬ小説を読んでいたので、読後感が久し振りになった。小生が生まれる3年前の1937年初版である。作者は児童文学者で、小学校高学年から中学生ぐらいを対象として書いたのだろう。主人公は東京山の手本郷界隈の中学1年生、お父さんを亡くして、叔父さんが父代わりでいろいろ教えてくれる設定になっている。

何十年も児童文学には近づいたこともないので、現代の児童文学にどんなものがあるかは分からない。しかし僅か数十年昔の日本には、随分すぐれた児童向けの読み物があったものだと感心するばかりだ。数日前にテレビを見ていて似たような思いをした。放送局は忘れたが、古い童謡や小学校唱歌の特集番組だった。感心したのはメロディーもだが、これは一先ず置いて、歌詞の素晴らしさだ。

現代、幼稚園や小学校でこれ等をどのように教えているか知る由は無いが、「朧月夜」とか「背比べ」なんかも1番の歌詞はおぼろげに知っているつもりだが、3番4番となると、へぇ、こんなこと(男の子は鯉のように雄々しく育ってほしい)まで歌いこまれている事に感心したばかりだった。同じくこの本は、子供たちに正しく成長してほしい願いを込めながら書かれた著者の気持ちがひしひしと伝わってくる。

ただ直裁な表現の歌謡と異なり、多分に文学的、哲学的なアプローチと言うべきだろう。どの少年も経験しそうな事を、主人公の体験談と悩みとして描き、そして叔父さんが時に応じてアドバイスを与えるユニークなダイアローグ形式で書かれている。著者が伝えたかったテーマは多岐にわたるだろうが、中学校新入生の教室風景から終章締めくくりの10章に編成されていて、実質最後の9章は仏教の仏像にをテーマとし、世界の宗教にまで話が及んでいる。

内容は72歳の老人にさえ、とても教えられることが多いし、知識として初めて知る事もありとても新鮮。著者は戦争中に軍部から睨まれるほどの自由主義者とのこと。人間社会で生きていくうえで、多分避けて通れない悩みなんかについて、実に適切なアドバイスを提供している。人間は必ずと言うくらい間違いを度々おかし、後悔する事もたくさんある。それを乗り越えるのが成長だとするのは、正に同感。後書きを丸山真男が絶賛して書いている。

昨日のブログで生半可にも教育問題に言及してしまった。今こそ著者に一言意見を聞けたらの思いしきりだ。現代は偉そうに政治家になる作家が居たりはするが、平易に倫理を語る作家がどうしていないのだろう。嘆かわしい限りだ。

2012年4月17日火曜日

根っこを思う


珍しく先程からしきりに雷が鳴っている。ぱっとしない今年の天気がこの春雷で一気に変わってくれれば嬉しいが、なかなかそう上手くは行きそうにない。年初は株をしている友人が「今年はかなり景気が良くなるだろう。」と言っていた。先日日経平均が1万円を超えたと聞いたので、彼の言っていた通りで結構な事だと思っていたが、最近は又株価も少し低迷しているようだ。

仕事もなくて社会のお荷物になっている身だから、偉そうなことを言えた義理ではないが、これだけ人口の高齢化が進み、輸出産業の大部分が後発の低賃金国に追い上げられて縮小せざるを得ない状況だとすれば、経済の活性化は当分望むことが出来そうにない。デフレ脱却も我が命のあるうちは難しいだろう。なんて悲観的な事を考えてしまう。何か画期的な産業でも起こってほしいが、他人任せではどうにもならない。

政府も躍起なのだろうが、今や政治家や官僚が産業界をリード出来る世の中ではないようだ。明治維新の頃であれば、官が世界に然るべき人物を派遣し集めた最新の技術や情報を集積して、民間をリードしながら産業の育成を図ることが可能だった。しかし現在は世界の産業情報は民間の方が多く持っていて、官が民からそれを教えてもらっている状況だろう。その情報を貰うために、税金や国債からなる予算を張り付けているとしたら、本末転倒も甚だしい。

次の選挙に於いてはどんな党派が出現してくるか、皆目予想できないが、いっそ「経済政策は万策が尽きています。皆さん自由にやって頂けるように規制はできるだけ緩和しますが、財政的には徹底的に緊縮策を取ります。」と公約を掲げる政党が出現したら1票を投じてみたい気がする。想像するに、誰もそうはっきりとは言わないだろうが、誰に政権を任せても少し長期的に考えれば、最終的にはそうせざるを得ないのではないだろうか。社会保障で生かされている身として辛いが、そう長い年月ではあるまい。

お題目をどう唱えても経済政策なんて無いに等しい。平成生まれの新人が社会人になり始めていることを考えると、今後の問題はむしろ教育政策にあるように思えてならない。偶々この4月からゆとり教育の見直しで、土曜日の授業が始まったそうだ。まだ月に一度だけらしい。孫もバスケット部を退部して、少し勉強をする気が出始めている。嬉しいが、勉強を親の前でするのは鬱陶しくて困ると報告があったらしい。困った親だが、孫にはエールを送りたい。

2012年4月16日月曜日

一例を挙げればカブール 危機に関する感性


一昨日の北朝鮮ロケット発射については、過剰とも言える大騒ぎをして反応した我が国の政府とマスメディアが、アフガンの首都カブールで我が国の大使館が、タリバンに襲撃された事件は意外と冷静である。この差が不思議でならない。大使館はアフガニスタンに位置しようと、言わば日本の領土と同じ事ではないか。片や日本領土内へのらかの危険性が限りなくゼロに近いにも拘らず、大層なコストを費やして大騒ぎをする。

コストも公表されていないが、数億円のオーダーでは済まないだろう。演習のつもりだろうが、イージス艦レーダーなんか北朝鮮を敵国と仮想した場合、糞の役にも立たない事が証明されたようなものだ。PAC3なんてミサイルも高いコストで買わされて、以来何回発射訓練をしているか知らないが、何を目標として撃ち落とすつもりかさっぱり分からない。これが自衛隊の実態と分かっただけでもいいじゃないか、と言う人もいる。しかし自衛隊には毎年4兆円以上(今年度は約4.6兆円)の税金が投入されている。それがいざという時に役に立たない玩具の兵隊さんだとしたら、余りにも高価すぎるだろう。

一方でカブールでは、日本領土と見做される大使館内に2日連続してロケット弾がぶち込まれている。幸い邦人に死者や怪我人は出ていないようではある。昨年防衛・外務両省はアメリカに善い顔するために、このアフガンに自衛隊の医療チームを出しかかった。与党野党を問わず、やたらに自衛隊を海外に出したがる政治家が多いのも事実。幸い昨年アフガン派遣は、丸腰のままでは余りにも危険ということでストップがかかったようだ。

しかし、似たような環境と思われるスーダンなんかには自衛隊は派遣されている。兎に角日本の危機管理は、自衛隊でさえ危険を想定しない前提で組み立てられているから不思議だ。全土が戦争に巻き込まれている国の中にも非戦闘地域が存在する前提で、イラクに自衛隊を派遣したのはそんな昔の話ではない。たまたまアフガンに自衛隊が居ないから良かったが、もし自衛隊の医療部隊がいて、そのキャンプにロケット弾が飛んできたらどうなっただろう。

危機に遭遇した経験が無いので危機をイメージすることが出来ない、なんて言い訳は通用しない。タリバンのロケット砲が大使館に飛んでくることも、北朝鮮からノドンミサイルが飛んでくる可能性も同じだろう。大使館には防空壕みたいなシェルターがあるらしいが、日本でそんもの準備しているのは、総理官邸ぐらいだろう。津波も原発事故も同じ事。昨日テレビ(TBS系朝6時からの時事放談)で自民党石破元防衛相が「防衛大臣は自衛隊員全員の命を預かって命令を下すのだから、素人じゃダメなんです。」

と偉そうに喋っていたが、相手のジェラルド・カーティス氏が「素人と玄人の問題より、日本には危機管理システムが存在しないのが問題と思う。」と反論していた。小生はそれよりもっと根が深いと思う。先日友人から教わったのだが、むかし田中美智太郎さんと言う方が「日本人は、台風は日本に来てはいけません。と憲法に書けば台風が来なくなる。と思っている節がある。」と言ったそうだ。正に危機管理システム以前の問題である。だからカブールで起きている事に言及し難いのだろう。

2012年4月15日日曜日

明日は何処の峰ぞ~


昨日は終日鬱陶しい雨降りだったが、今日朝から晴れて極めて爽快。もしかして天気は気分だけでなく、体調にまで影響するのかもしれない。土日の生活パターンは同じで、同じ時間尾睡眠に似たような朝食、同じ量の運動をして体重と血圧に心拍を計る事にしている。昨日は珍しく高い方の血圧が140を超えていたので心配したが、今日はいつものような値に戻っていた。

夕べ甘い菓子を食ったので体重も心配だったが、どうと言うこともなく、体は軽い気がする。要するにすべて気分の問題かもしれない。ま、いい気なものだ。昨日は何となく気分がすっきりしない一日で、日記を書く気も起きず、ネットの碁ばかりしていたのだが、ずっと負け続きだった。今日これから再挑戦すれば碁盤が広く見えてくると期待しよう。

少し話が飛躍するが、自宅の居室と事務所の壁に白馬と上高地のお土産にもらったカレンダーが掛かっている。自宅は薄緑の木々を通して望む残雪の穂高連峰、事務所はピンクの山桜越しの望む白馬岳、毎日見ても飽きない善い写真である。しかしおかしなもので、気分が落ち込んでいた昨日は、爽やかなこの写真を見ても、雨降りの辛い山歩きばかり思い出す。引き換え今日はカレンダーの風景がそのまま思い出にオーバーラップしていくから面白いものだ。

昨年は残雪の北アルプスを燕岳、五竜岳と2回も歩くことが出来て、どちらも最高の景色を楽しんだ。もう2度とそんな機会を作るのは難しいだろうが、まだ1年足らず前の事だ。脳みそに焼き付いているこの記憶が風化するまでには相当の時間が必要だろう。暇だし気分が良いので、山の素晴らしい景色が盛んに思い出される。山歩きは高齢になって始めているので、未だ熱冷めやらずだ。

2012年4月13日金曜日

木の芽時の憂鬱


昨日は春の陽気に誘われて、昼11時頃から1時間半ほどかけて、九段下、北の丸公園、千鳥ヶ淵、半蔵門、外桜田門、日比谷、有楽町まで名残の花見をした。そめいよしのは既に盛りを過ぎて、花弁が舞い足元にびっしりと折敷かれている。皇居お堀の土手は若草の新緑が目にも鮮やかだった。東大の入学式が行われていた武道館付近を除けば、流石にウィークデーの真昼間なので、ご同輩の老人が殆どで人混みもなく、久しぶりに土の上を歩くことが出来て気持ち良かった。

しかし夕方ニュースで京都の祇園で、同じような時刻に車の暴走による大惨事が発生したとの事。犯人は死亡してしまったので未だ断定はされていないかったが、30歳の青年で運転中に癲癇発作が起きて意識を失ったらしい。病気については、通院もしていて、お医者さんからも運転はしないように警告され、家族も止めさせようと努力していたみたいだ。昔から木の芽時と言われるように、この時期には精神系の発作が起きやすいのかなぁ。

たまたま自分も意識消失で神経内科に通院中。老人性癲癇の症状は無かったとされているし、運転免許を失効さたことでもあるので、車の運転をすることはないが、意識消失の怖さを再認識せざるを得ない。

閑話休題

昨日は衆議院で郵政民営化見直し法案が可決され、参議院に送られたそうだが、参議院でも今月中には圧倒的多数で可決成立との事。当時の選挙で郵政を改革すれば日本の経済やら諸問題が全て解決すると煽り、小泉改革とまで言って一世を風靡した騒ぎはなんだったのだろう。その自民党の大部分が今度の見直しに賛成し、反対に回ったのはたったの4名。大多数はこの事を恬として恥じないのは流石と言おうか、自分の言動に責任を取っていたら政治家なんか勤まらないと言うことなのか。

自民党ばかりではない、政権与党の民主党にしても同じことだ。特に原発問題に関する発言の定見の無さ、と無責任発言は一人前の大人の言として聞くに値しない。まして石原新党構想にすり寄った人間の思惑なんか聞く気さえ起きない。

2012年4月12日木曜日

ピントはずれ


本日のトップニュースは北朝鮮の事。ロケット発射にトップの肩書変更についてだ。政治に関して新聞ではやや小さく扱われているが、テレビでは昨日の党首討論がきている。生の映像を確認していないので分からないが、野田さんが消費税問題についての協力を呼びかけ、野党がそれを拒否する、お決まりの言葉の遊びだったのだろう。

この双方に関心を持っている国民はどのくらいものだろうか。前者に関しては、メディアも盛んに危機意識を煽るが、誰にそそのかされているのかを疑わざるを得ない。結局はアメリカだろうなと思っている。アメリカの対中国戦略の中で北朝鮮が占める役割にはいろんな意味があるようだ。素人の小生如きが簡単に表現できるものではない複雑で難しいものらしい。一つ言えるのは、アメリカは北の行動を昨年末から十分承知している事だけは間違いない。

ロケットを発射しようとしまいと、どちらにも十分の対応を考えている。ただ、日本にはこの際、危機感を持ってもらい、アメリカが売りつけている大量の兵器のデモをさせたい。本当の危機に役立たない事は勿論承知に上。この見え透いた魂胆の片棒を担ぐ政府も政府だし、せめてメディアには冷静な対応が欲しいのに、政府以上のハッスルぶりには情けなくなってくる。

後者の消費税問題についても連日大騒ぎが続いている。国民にとっては不愉快だろうが、明確に反対しているのは共産党ぐらいで、遅かれ早かれの半ば諦めの心境だろう。幾ら雑音ばかりの世の中とは言え、一応声が最大のマスメディアが連日特筆大書する事でもあるまい。何れにしても現代の報道は何かピントが外れ、大事な事がなおざりにされているような気がしてならない。(因み小生は原発事故の終息こそ最重要課題と思っている)

ネットメディアなるものが出現しているので、市民から別の視点でのニュースがあり、興味深い事は興味深い。しかしこれは書店で本を買うよりは少し益し程度の話で、新聞テレビのパワーから見ると馬車に立ち向かうカマキリになるかどうかだ。政権交代があろうともアメリカ属国の位置付けに変わりがない事は十分承知をしているが、冷戦終結から20年以上経った現在、パワーゲーム構造の中核が米ソから米中になり、アメリカの宗主国意識が露骨に過ぎるように感じる。

沖縄問題なんか正に完全に日本の官僚が宗主国にコントロールされている。TPPしかり、郵政民営化見直し法案成立直前にいちゃもんを付ける図々しさ。官僚の事なかれ主義と政治家が若年齢で弱体化は分からないでもないが、せめて言論界に於いてはもっと毅然と国益の何たるかを叫ぶ人間がいて、マスメディアはそういう人に焦点を絞るべきと思うのだが。

2012年4月11日水曜日

脳検査 その2


昨日は脳波の検査、これは生まれて初めての事。頭に電極を二十数か所貼り付けて、部屋を暗くした中で目を閉じたり明いたり、ストロボみたいものが閃いたり、深呼吸をしたりで3分以上かかる大仕掛けなもの。その結果と先日の血液検査やMRI画像を踏まえて今日2度目の診察となった。

先ずは脳波の波形から、厚さが2cmほどもある波形のプリントを繰りながら「ここで寝てしまっていますね」とか「ここは深呼吸しているところです」なんて説明をして下さるが、こちらは勿論理解できない。「はあ、そうですか」で終わり。数十ページのプリント1か所だけに付箋を貼って、そのページを引き裂き、「残りは捨てていいのだろう?」と看護婦さんに聞いていた。

大層な検査結果もかくしてあっさりゴミ箱に行くようっだが、付箋を付けた頁もさしたる問題は無かったらしい。昨日脳波の試験の時看護婦さんに教えてもらったのだが、この先生は日大の教授を定年退職されたばかりで、この病院で週に2回外来を見るようになったのが最近だそうだ。「お医者さんはいいですね、定年になっても仕事は引く手あまたなんですから。」と看護婦さんも言っていたし、全く同感だ。

我が友人のお医者さんも、現役時代より退職後の方が収入が増えてしまった、と困惑気に話をしていたのを思い出した。MRI画像もそれぞれ説明した貰ったが、結論的にはてんかん症状の痕跡も無し、動脈瘤らしきものも無し。但しどの画像も年相応の劣化が見られる。特に海馬(字はこれでいいのかな)の委縮がはっきり確認できるらしい。「物忘れがありますか?」に「しょっちゅうです。」と答えたら、「年ですから普通の生活に支障が無ければいいでしょう。」とのこと。

パソコンで言うとメモリが容量が大分足りなくなっているようだ。しかし、先日の記憶消失の原因として特定できるものは見当たらないらしい。そこで、先日の同窓会の際心臓内科の友人が、「老人性のてんかんより、むしろ心臓がストライキを起こした可能性もあるので、先生に友人から言われたと言ってみたら。」アドバイスがあったので恐る恐る申し出た。

先生は「勿論その可能性もありますね、私も一度検査をしたことがありますので一度調べてみましょう。」てな話で、今度は心臓のホルタ―心電図を取ることになった。なんでも機械を身体に張り付けて24時間か72時間心電図をとり続けるらしい。先生は72時間をお薦めになったが取り敢えず今月23日から翌日にかけ24時間で調べて頂くことになった。

兎に角この先生大変親切にいろいろ見てくださる。邪推をすれば、新たな勤務になった病院の売り上げに協力しているのではと思う程の検査だ。今日で終わりかと思ったが、次回の診察は5月9日。今日は脳とは別にレントゲンで肺に影があるので、昨年のレントゲン写真を借りてくるようにとのご指示もある。

2012年4月10日火曜日

晩年の実感

近所の廃校になっている小学校の校庭の桜が見事だ。花を見て大いに楽しめば善いとは思うが、ただ漫然と花を見てもそんなに浮かれた気分にならない。理由は分かっている。個人的な性格かも知らぬが、花見は一人でしても面白くない。花を見ながら酒を酌み交わすとか、下らぬ話をしながらそぞろ歩くとかの条件が必要だ。それでも花の下に来ると歩調がついゆっくりとなる。昨日今日は天気も良いので、青空とのコントラストが何とも素晴らしい。

故郷の長野で見る桜のバックは山の緑が美しく、その中に佇むと自然の息吹に包まれる感じがあるが、都会の桜にも一定の風情がある。強いて言えば一幅の絵を見るような気分かも知れない。桜は靖国神社ではないが、亡くなった人を記念する木と聞いたことがある。一人で桜を見上げていると、古い昔の事、入学式やら両親と行った昔のお花見などを思い出し、遂には故人の思い出に繋がっていく。だから誰かが側にいないと洒落た花見にはならない。

己の来し方を振り返って感傷的になるより、世の行く末を案じて警鐘を乱打すべきなのか、どっちも大したことは思い浮かばない。日常の仕事がなくなるとは恐ろしいことだ。サンデー毎日がこれからもずっと続くとすれば、ブログを書き続けるにしても何か考える必要がある。朝になってから今日何をすべきか考えるのは成程つらい。

仕方なしに花見にかこつけて、護国寺の鳩山御殿を思い出した。確か昨年は自粛ムードで取りやめになっていた筈だが、今年もやはり取り止めだろう。いっそ政治家を引退していれば、敵も味方もないだろうから液状化民主党議員をごちゃまぜにして集めれば、少しは男を上げたろうに。

未だに議員バッジをつけて、中国やらイランに行っている。しかも大顰蹙を買いながらのことだ。お金に不自由のない環境で年も年なんだから、少しは人に褒められることをしたらどうかと思うが、政治家の考えることは分からない。しれっとして居座る方も立派と言えば立派だが、それを許す与党の組織と現在の責任者の神経はどうなっているのだろう。法律で議員の定年や総理経験者は辞職すべきとの退職規定でも決めてほしいものだ。

2012年4月9日月曜日

しがない男の嘆き節


昔から買い物が好きではないので、間接税はそんなに払っていないだろうが、ささやかな年金所得ではあっても直接税は源泉徴収された上に、介護保険料とか健康保険料とか、何やかにやとお国に年貢をせっせと納めている。このような貴重なお宝が、訳の分からない投資顧問会社に流れて蒸発してしまった騒ぎがあった。先週今年度の予算なるものが確定したそうだ。

一般会計だけで約100兆円近くの歳出規模となっているらしいが、この使い道を実質的に決めているのは財務省主計局の官僚であることは間違いない。総勢何名になるか知らないが、恐らく精々100人とか200程度だろう。仮に200人として、1人で5千億円を1年で使い切る計画を立てるのは容易ではあるまい。予算を割り振られた役所も、下々の実態なんか知る由もなく、知っているのは官官接待をしてくれる下級官庁や天下りしているOBの顔だけである。

ここから先何度政権交代しても、役所の無駄遣い体質は治らないのではないかと、強い不安が抜けがたい。国民からお金を徴収する事に関して命を懸けてくれなくても結構だ。どうせ予算は財務官僚しか組めないのなら、政治家はいっそ、末端のお金の執行について責任を明確にするシステムの構築に知恵を絞ってもらいたい。

こんな日記を書く気になったのは、北朝鮮が発射を予告したロケットへの過剰反応がどうしても納得がいかない。もう何度もテレビで見たが、あんな大層なミサイル(PAC3とか言うやつ)を、日本の自衛隊が持っている事自体愉快ではないし、これ幸いとこの騒ぎに乗じて訓練のつもりだろうが、莫大な予算を消費しているに違いない。本当の意味での専守防衛が、武器でどうにかなると思っているのだろうか?

防衛庁を省に昇格させた意図がどこにあるか知らぬが、他の役所も同じこと。霞が関の官庁ビルが年年歳歳立派になっていくのを見るたびに、封建時代のお百姓さんの気持ちを思わざるを得ない。
お代官様の立派な屋敷や金遣いを見て、腹の中でわが身の不幸を嘆いた事だろう。

2012年4月8日日曜日

中学校のミニ同窓会


昨日の昼、故郷長野の中学校同期生で首都圏在住者に声を掛けて同窓会をやった。昨年も一昨年も20人以上集まっていたが、昨日は16人とやや少ない集まりになった。今年は異常に寒いし、70歳を過ぎて都心まで足を運ぶ動機としては中学校の同窓会はやや弱くなりつつあるだろう。70歳過ぎたら葬式は全て欠礼と決めた人さえいるくらいだ。

葬式と比較すれば、同窓会なんかもっともっと軽いものだろう。別に無くても困ることは皆無だし、行けば香典ほどではないが、それなりに会費なども取られる。「飲む機会が減っているので、昼からこうやって飲めるのが楽しい。」と言ってくれた人が一人だけいたが、飲み物は何でも好きなだけといっても、酔っぱらうほど飲む人いない。

女子はアルコールを飲まない人が大部分だし、男子の中にも、昼酒はやめていると言って最後まで酒に手を出さない人が一人いた(バランスが取れるものだ、笑)。そこまで徹底しなくても、大部分の人は何らかの病気や後遺症を抱え、多分家では節酒しているのではと推測する人も多いが、懐かしい顔を見ると元気が出るのだろう。結局は何らかの酒がが口に入っていく。

かくして昔紅顔の美少年、美少女達が談論風発。中の人気者はなんと言ってもお医者さんかもしれない。小生もここずっと書いてきたように、気になる事があるので、同窓会の席で無料の診断を願い出た口だ。しかし70歳を過ぎたせいか、今更病気を心配しても始まらないと言う事か、病気自慢と言った会話は余り聞かなかったし、定番の孫自慢も殆どなかった。

むしろ現代社会の問題点、原発事故や円高問題に関する所見で喧々諤々の議論を聞いていると、週末に放送されるテレビワイドショーなんぞより遥かに面白かった。

2012年4月6日金曜日

脳検査 その1

先々週の日曜日地下鉄駅のホームで一瞬意識を失った事を書いたら、大勢の方から脳検査を受けるように勧められた。ご尤もな事と思ったので、先週定期訪問している泌尿器科の医師に相談したところ、確かに年齢からしても軽い脳こうそくの恐れがあるかもしれない。一度検査を受けてみたらとの事で先生を紹介してくれた。病院は歩いて行ける要町病院、ここに週に1回、同僚である日大の教授が出張して脳神経内科の外来を診察している。大学病院で予約を取るよりは楽だと思うので、行ってみなさい。

泌尿器科からの帰りに要町病院を訪ね、正式な紹介状無しで、口頭で紹介者の名前を言ってを申し込むと、うまい具合に5日の予約が取れた。そこで昨日、3時半の予約だったが、初診でもあったので3時頃訪れた。病院は古くて薄暗く、ゾンビになりかけの老人と付添らしき人達で溢れている。婆さんは「あそこは、日大病院で手の施しようがなくなった患者を移送して、末期を待つ病院よ。」と縁起でもない事を言う。手続きを終えて待つほどに看護婦さんが現われて、どんな症状だったか、又紹介をしてくれた先生との関係について質問があった。

簡単に答えると、それでは先にCTを撮らせてもらっていいですか?と実に手際が良い。こちらはそれが目的で来ているようなものだから、勿論否はない。検査が先になったので予約の3時半はスキップされて、検査終了後しばし待つことになった。その間も看護婦さんは実に丁寧に了解を求めてくる。こちらは午後は潰すつもりで来ているので、何も問題ない。また、最初は椅子にも座れないほど混雑していた患者が減っていくのを観察していると飽きない。診察を終えて直ぐ入院だと言えに電話をする人、家族に付き添われてよろよろ歩いたり、車椅子に乗せられる人。ストレッチャーで運ばれてきて、そのまま病室に帰る患者と付添の家族と看護婦のやり取り。

面白いと言っては失礼だろうが、俺も何時かはあんな風になるのかな、との思いも。手洗いに立つと、病院て所はどこもそうなのかもしれないが、びっくりするほど綺麗なのに感心した。患者があらかたいなくなり、4時半近くなった頃やっと診断の段取りになった。診断の結果は未だ出ていないが、ここでもまた一つ感心した。これまで実に多くのお医者さんを受診したが、これほど丁寧な診察は初めてといってもいい。診る事が難しい脳内のこととはいえ、頭のてっぺんから爪先まで、特に口の中なんか何の関係があるのかと思ってしまう程丁寧な触診や、目とか手足の運動テスト、叩いたり針で刺したり引っ掻いたり擽ったり、様々なテストと問診が繰り返される。

3分診療になれているで、ある種の感激でもある。CTの映像からは特に問題らしきものが見当たらないので、診断の結論は勿論今日は降りない。来週の再診予約と同時に、それまでの追加検査の予約を手際よく段取ってくれる。脳波は来週火曜日に当院で、MRIも一応撮りましょうと、池袋のホテルの中にあるメディカルスキャン池袋に6時からの予約を入れてくれた。その上で来週水曜の10時半に来てくださいとの事。会計前に検査用の血液を採取してもらい、池袋西口のホテルまで足を伸ばし、MRIの検査が終わったら6時半になっていた。陰気な雰囲気の病院ではあったが、ドクターやナースは皆親切でいい病院だった。

2012年4月5日木曜日

満72歳と言えば 若い?


昨日一旦書いたデータが消失してしまったので、改めて誕生日祝いを頂いた多くの方にお礼を申し上げます。登録しているいろいろなサイトに今日誕生日の人として紹介されているので、お会いしたことがなくてもネット上で互いのブログを通して知り合っている、私にとってはびっくりするほど多くの方からメッセージを頂いた。これがネット社会というものかと認識を新たにしたが、面白さと怖さを裏表のように感じる。

人生も73年目に突入となると記憶にあるのは古い事ばかりで、まして文章にするとなると、さながら壊れたレコードか(これも古い言葉だな)酔っ払いの話同様繰り返しと重複が多くなる。意識して己を取り巻く社会環境の変化について行こうと、本を読んだり報道に接する努力はしているが、所詮むなしい努力。読めど聴けどさっぱり脳の中に染み込まない。特に現在の日本は政治を中心に社会全体が液状化して、渦を巻いていると言うか堂々巡りをしているので、無理をして分かろうとしない事にしている。

海外に目を向けるのは昔から不得意とするところだから、世界情勢についてもあまり興味が湧かない。アメリカや中国くらいは何度行ってもいいかなと思っていた時代もあるのだが、昨今の発展ぶりや諸国も我が祖国同様国内が混乱していそうなので、遊びに行く気が起きない。海外リゾートの本当のところは、別に危険なことなど無い筈で、行けばそれなりに楽しいのだろう。
しかしそこに行ったからどうだと言うのだ、日本と少し異なる心地よい気候と3日も居れば飽きてくる不味い食いものしかないだろう。

情けないが、ひねくれた考えが先に立ってしまう。これも老人特有の現象と片づけるのはいけないことかもしれない。父は晩年現在の小生とやや似た心境であったかと勝手に思っているが、それでも母にせがまれたか、義務感からかは知る由もないが、結婚50周年記念と称してアメリカ旅行に行った。あまり面白くなさそうな表情の写真を見るたびに感心してしまう。

母に至っては相当晩年になって、エルミタージュ美術館やスカンジナビアのフィヨルド見学に一人で出かけて行った。これもどこからエネルギーが湧いてくるのか、不思議でならない。一所懸命に仕事をしている時代は、纏まった休みが楽しみで、何か新しい楽しみを見つけたいと真剣に考えたのだろう。

世の中には未知の事が多すぎる。楽しみも勿論だが、多すぎる故に今更もう一つや二つ新しい場所や、事柄を発見しても始まらんだろう。自己分析するに、これが今の心理ではないだろうか。情報過多の時代の悲劇かもしれない。
つまらぬ考えはやめて、ハワイにでも行って少しのんびりしたら気が変わるかな?
今日これから脳神経科の診察を受けに行くに当たり、退屈しのぎに自己診断をしてみた。笑

2012年4月4日水曜日

誕生日です


本日で満72歳になりました。
一旦日記を書いたのですが、マシンがちょっと調子がおかしくなって再起動した際、データが無くなってしまいました。
どうせ大したことは書いてませんので、本日はこれだけにします。
これに懲りず明日からまた頑張ります。

2012年4月3日火曜日

就職関連報道


やっと桜の花が咲きかけたのにお天気がぱっとしない。昨日はは冬物のコートを着て歩いたし、今日は台風並みの暴風が吹くから早めに帰宅を、とテレビの天気予報が朝から繰り返し言っている。未だ風はそんなに強くはなっていないが、空はどんよりして小雨が降ったり止んだりで、とても春の風情ではない。昨日はテレビで、新社会人になった若人数人の希望に満ちた言葉を聞くことが出来た。

テレビのインタビューだからかもしれないが、殆どの人が、自分以外の誰かのために頑張りたいとか貢献したい気持ちを表すのを聞いて感心したり、頼もしく思うばかりだ。半世紀も前に比べれば情報の量が半端でなく多いので、自分自身と比較すれば、今の若人の方が遥かにしっかりしている面が多いかもしれない。一方就職が出来なかったりしなかったりする新卒者が存在する事については、少し心配だ。

これを政治のせいだとする意見も多いようだが、果たしてそうだろうか。何でもかんでも政治の責任にしておけば間違いないとの風潮があるようだが、若い人に聞いてみたい。就職しなかった人は少しおくとして、何十社もの会社を受験したが内定が貰えなかった人、これがお定まりのようにテレビに出てくる。以前も書いたが、これを当たり前のように報道するテレビ局の神経を疑いたい。幾ら景気が悪かろうと、本人が選好みをしなければ仕事は必ずある筈。

己の才能を冷静に分析できないで、志望企業なり職種の水準を下げずに堂々巡りをしている学生を選んで報道しているに過ぎない。更に言えば、理由は一概には言えないだろうが、日本では就職浪人ではありながら親元に居るか一人でいるかは別にして、生きていけてる現実は有る訳だ。同じ就職浪人でも中国のルポなんかを見ると、かなり厳しそうに見える。少し乱暴な解釈かも知れないが、現代のマスメディアにはステレオタイプの報道が多すぎる。

確かに政治の貧困、的外れはあるに違いない。しかし若い人から見て、人生の道標になるような報道はもっと別の角度からアプローチされるべきと思うが、それらしきものは一向に見当たらない。子供の時代からスポーツ選手と芸能人ばかりに憧れを持つのは、世界共通のことなのだろうか?

2012年4月2日月曜日

新年度


大学を卒業して社会に出てから丁度半世紀、国としては51年目の新年度になる。今年は平成生まれの社会人が誕生する年になるらしい。22歳で就職した広告代理店の東京本社は在籍者が40名弱で、ワンフロアーに全員の机が配置され、応接コーナーだけ摺りガラスで仕切られていた。広告会社と言っても
農協の機関誌である「家の光」と言う雑誌の広告の専属代理店だったので、今にして思えばのんびりしたものだった。

40人足らずの会社に同期生が7人か8人いた筈で、経営的には成長の可能性が十分あったのだろう。広告代理業の仕事も理解せずに入社したが、当時はそれが当たり前で、先輩に咎められた記憶は全くない。配属は営業部であったが、先輩方も優雅なもので、毎日のように先輩の誰かが講師の講義を聞いたり、先輩に引率されて親会社の家の光協会に挨拶に行ったり、印刷会社に見学に行った記憶がある。

少なくとも入社3か月くらいの仕事は、半日かけて新聞を読んで仕事に関係ありそうな記事をスクラップすることだけだったような記憶だ。そのうちに広告の原稿や校正の出し入れで、親会社や印刷会社との間を使い走りをするようになる。他に大事なのは始業前30分に出社して、全員の机の上と床の掃き掃除だ。男子社員の席には全員灰皿が置いてあり、全員の机上に湯呑があった。

男子新人がが灰皿の灰をバケツに集め、灰皿と湯呑はまとめて流しに置いておくと、女子の新人が洗ってから、始業時間までに机上にセットし直す。男子は掃き掃除の前に、机上のふき掃除をしたかもしれない。どうしても思い出せないのが、電話機だ。当時はダイアル式黒電話の筈だが、全員に配置されていたのだろうか。あったとすれば当然男子が毎朝拭いていたことになるのだが、どうも定かではない。

兎に角昼間は殆ど仕事らしい仕事はないのだが、5時頃役員(2人か3人いた筈)が帰ると、先輩から声が掛かり毎日のように卓球大会が始まる。応接スペースの奥に食堂スペースがあり、そこに卓球台が置かれて、昼間はそれが新人研修の会場になったり、食事スペースとなっていたのだ。そこで遊んでいるうちに7時になると、残業食(お金での残業代は誰にも支給されない)と言うことで一人70円まで出前が取れるシステムがあった。

70円だから大したものは食べられないが、それでもレバニラ炒めとかチャーハンとか一食は助かるので、会社には朝8時半から夜7時半頃までは居なければいけない。未だにその習慣から抜け出せないでいるのだから、最初の刷り込みは恐ろしい。更にその後、これまた毎晩のように先輩の誰かが、銀座とか神楽坂に飲みにつれて行ってくれた。月給1万7千円、但し試用中の6月までは1万5千円の時代のことだ。

今の若い人からすれば羨ましくも何ともないだろうが、自分にとっては古き良き時代であった。