2012年4月22日日曜日

帰郷 法事とハイキング

数週間前、今月20日の金曜日に亡き兄の5回忌の法要があるので帰ってほしい、と弟から連絡があったので帰郷してきた。兄が亡くなったのは4月15日だが、末の弟のがどうしても外せない用事があって出かけているので、姉さんが20日に延期してくれたとの事。兄が亡くなったのは平成19年で、桜が真っ盛りだった。今年は天気の加減で開花が遅れ、金曜日は市内の桜が丁度満開になったところだった。

西行法師ではないが、満開の桜の下での葬式や法事はいいものだ。兄も酒が好きで、人付き合い会を大切にしていたから乙な死にかたを選んだのかもおしれない。久し振りに兄弟が顔を合わせて一献酌み交わす運びだが、先ず我が一党の女衆は殆ど飲まない。男兄弟も皆酒量が落ちて店に申し訳ないくらいだ。かく言う小生も熱燗1本で十分なのだから情けない。一寸兄には申し訳ないような気がしないでもない。

食事の最中の話題も、病気自慢は嫌だと言いながら、末期医療や介護サービスさえ通り越して、葬式やら戒名やらの段取りの心配にまで行ってしまった。
中にはクリスチャンが居たり、菩提寺の他に墓寺と称して2軒のお寺と付き合わざる得ない者が居たりして、これはこれでなかなか興味深い。正直なところ、こちらも東京に居て仏壇も無く呑気にしているが、一朝有事で二人のうちどちらかが、お隠れになる事は相当マジで考える必要があるのだ。

日本人にとって寺との付き合いは、その時になると好むと好まざるを得ず、どうしても発生して何がしかの付き合いをせざる得ないものらしい。東京都が責任をもって、骨をどこかに持って行って処分してくれるようになるなんてことはあり得ないのだから。食事の後、何人かの兄弟や従妹と善光寺までそぞろ歩きをした。この立派なお寺の裏手に無縁仏のための塔があり、その周りに古い墓石が沢山打ち捨てられている。

善光寺に墓を作るなんて家は相当格式のある家だと思うが、そんな家だって何代か経つと墓を守る人がいなくなって、無縁仏として十羽一絡げに扱われてしまう。無常と言えば無常ななものだ。特に我が家は男の子が居ない。両親や兄と同じ墓に入れてもらうつもりではいるが、あのお坊さんと、はて、どのようにお付き合いしていくものやら?互いに気楽になっている兄弟ではあるが、幾つになっても娑婆には小難しいことが多いものだ。

その夜はすぐ下の弟のところに泊めてもらい、昨日は幼い頃から馴染んでいる飯縄山に登り、今年の歩き初めとした。例年なら3月の末には奥多摩あたりで歩きはじめるのだが、今年は寒くてとてもその気にならなかった。幸い昨日長野は快晴、気温も東京より高いくらい、最高のハイキングが出来た。詳しくは以下でご覧願います。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-183896.html

4 件のコメント:

レチチア さんのコメント...

爺さん  こんばんは~
 お兄様の法事にお出掛けになって、御兄弟揃って親睦の
お時間を過ごして来られたのですね。この歳になれば何かの
冠婚葬祭くらいしか顔を合わせる機会がありませんね。
やはり幼い頃からの身内と会うのは気が置けなくて心が和み
ますね~ 爺さん どうぞ長生きして下さいね。

senkawa爺 さんのコメント...

レチチアさん
コメントをありがとうございます。
仰る通り、親族が顔を合わせる事は楽しいばかりではなく、他にも大きな意味がありそうです。あの世が近づいてきましたので、身辺整理と言いましょうか、葬式の心配以外でもいろいろ考える必要を痛切に感じました。

Don Koba さんのコメント...

自分の墓をどうするか?特に地方から上京した者には、頭の痛い問題。上京の時には、自分の末期まで想定に入れていなかったから。都内の寺にはスペースがない。あってもべらぼうな値段だ。そこで「葬式は要らない」(島田裕己、幻冬舎)といった本がベストセラーになる。戒名だって、本来仏教では、mustではなかったはずなのに、まんまと寺院商法に乗せられてきたのだという。「お志し」で結構とか言いつつ全く意味不明の坊主の読経が一番値がはる。そういうごまかしに気が付いたのか、経済的理由からか、昨今、直葬がはやっているとか。墓のスペース限界、墓を守る後継者がいないということで散骨方式をとる人が増えているとか。

senkawa爺 さんのコメント...

Don Kobaさん
いつもありがとうございます。
私は骨なんか、どうでもいいのでは思っていましたが、先日の話では散骨も手続き的には結構大変なようです。そろそろ真剣に考えて準備すべきとは思いますけれど、はて、どこからどのように着手するか、思案投げ首です。