2010年6月30日水曜日

余暇利用

歴史好きの友人と昼飯を食った。歳は少し下だが歴史の話になると実に生き生きしている。「ところで、これからの毎日をどのようにお過ごしになりますか?」と聞かれ「今までと同じで、毎日好きな事をして生きていくさ。」と答えたものの、考えてみれば変な答えだった。今でも毎日好きな事ばかりして生きている訳ではない。したくは無いがしなければならない事があるから、やりたい事が存在する訳で「何もしなくて結構」と言われると、やりたい事が見つからなくなってしまう可能性は十分にある。

彼も小生も少しではあるが仕事らしき事に関わりながら好きな事が出来る時間が持てるようになった身分だ。互いに結構な事で、小生にとって当面最大の趣味はこの日記かもしれない。昨日は高校時代の同窓生が何人かで、ロスからニューヨークまでアメリカ大陸横断ドライブに挑戦してニューヨークの手前ニュージャージーに着いたとの便りがあった。ホテルの予約もせず10日以上使った気儘旅だったらしい。若い頃から外国で仕事をしてきた人たちにとっては、こんなしゃれたドライブをしたり豪華客船での世界旅行をするのはきっと当然の事なんだろう。


若い頃から「俺はサリバン女史のいないヘレンケラーだ」と自嘲していたが、どうも海外旅行は苦手だ。言葉もさることながら食事も恐ろしい。10日以上好きな事ばかりして遊べるのは一寸羨ましくもあるが、生憎と上記の通りその素地が無いので、そんな優雅な過ごし方の発想が湧かない。ものを知らない事が幸いなのかどうか、ある程度拘束された生活の中でチマチマと小刻みのフリータイムが増えるのを楽しみに、今年はウィークデイに3日ぐらい休んで山登りをしてみたいと思っている。特に行く先とか日程を決めている訳ではないが、夢としては少し小さすぎるかな?

2010年6月29日火曜日

大宴会をしてしまった

昨日は当社社長交代のお披露目の名目でクライアント関係のキーパーソン2人を会食にお招きした。ところが先方から「ご苦労様でした」と書かれた熨斗をつけたお土産を頂戴したり、2次会3次会と引きずられて結局帰宅が目出度く午前様と相成った。こんな事はここ10年ほど経験した事がないので婆さんがびっくりして「どうかなってしまったのでは?」と心配をしてくれたそうだ。おまけにお土産の熨斗を見て「こんな熨斗は初めて見た。」との事。勿論小生だって生まれて初めての事だ。

結局昨晩は風呂に入って寝たのが1時半、本当に久しぶりの事なので、今朝起きるのがつらかった。そこに持ってきて今日は朝からレシピ撮影の立ち合いで、新社長に撮影の段取り全てとスタッフ全員を引き継がなくてはならない。二人とも眠い目をこすりながら一時もさぼる事が出来ず1日を過ごす事になってしまった。今夜はテレビでサッカー日本代表の試合が11時からあるそうだが、孫と同居している訳ではないので中継を見る必要もない。しかし明日は月末で事務量が増え、翌1日はレポート提出とかいろいろあってクライアントを訪問しなければならない。

決まり切った事ながら月末と月初は何かと忙しい時なのである。よりによってこんな時に宴会の予定なんか入れなくてもと思うが、先方がお忙しくて1か月前から申し込んでやっと予定して頂けたのが昨日だ。先方も決してお若いとは言えないのに立派なものだたと改めて感心してしまった。こちらは健康を意識しすぎて却って体がなまってしまった。今は早く帰宅して休みたい一心である。

2010年6月28日月曜日

悔しいけど、歳だ

蒸し暑さはひどいが、梅雨の割には東京は雨が少ないようだ。ポスターの掲示板は目に着くが、参議院の選挙戦が始まっている割にはメディアの報道もサッカーや相撲興行の話題が中心で、政治関係は比較的少ないような気がする。確かに野党が小政党に分裂している事も、それぞれの主張も大差がない。であれば嘗て小沢氏がしたように、一致結束して反民主連合を立ち上げて共通マニフェストでも起こせばいいように思う。小党に分裂する意味はどこにあるのだろう?

なんたって小学6年生の孫が先週金曜日の早朝3時半に「おかぁ、始まるよ」と言って娘を叩き起こしたそうだからびっくりだ。これはパブリックビューイングをして親子で盛り上がりたい訳でもなく、単に一人でリビングにいるのが怖いからのようだ。要するに母親はいい迷惑。FIFAワールドカップサッカー会場になっている南アフリカだが、首都はてっきり「ヨハネスブルグ」とばかり思い込んでいた。正しくは「プレトリア」なる別の場所らしい。明日日本と対決する事になる南米の「パラグアイ」なんて国がある事も初めて知った。世界は広いと言う事を知るだけでもこのイベントの意味があるかもしれない。

小生が週末に通う碁会所だが、最近とみに客が減ってきている。碁会所はいろいろな人と対局できるのが本来の楽しみだが、最近の対局相手は殆ど決まってしまっている。当然他の組み合わせも同様である。家内の友人のご主人も顔を見せなくなった。昨日帰宅してその話題になった。「席料900円がやはり高過ぎるのかなぁ。」と言うと、家内もびっくりして「900円もするの?それは来なくなるわけよ。きっともっと安い所が近くに沢山ある筈だから、聞いておいてあげる。」との事だ。小生もそろそろ分を弁える必要があるのかもしれない。

足腰の衰えを気にして毎日極力歩くよう心がけてはいるが、足腰に少し痛みが出ると引くまでにかなりの時間を要するようになっている。今回は片足立ち1分に挑戦して、最後に少しよろめいた時に踏ん張った途端に走った痛みがもう5日も引かない。無理をするとロクな事にならない年齢である事をもっと自覚しなければいけない。今日は夕方も出かけてしまうので朝のうちに日記も上げてしまう。夜は久し振りに宴会をするが、酒も程々にしなければなるまい。

2010年6月25日金曜日

FIFA ワールドカップ予選リーグ突破

5月25日の日記にこう書いた。
>実は昨日の日韓のサッカー試合の結果で書こうと思っていたのだが、話があらぬ方向に行ってしまった。勿論中継は見ていないし、試合内容について云々する事は全く出来ない。書きたかったのは、試合には勝つか負けるしかない事と勝っても負けても見ている人はそれなりに楽しい筈だと言う事。選手たちもこれだけ負ければ却って気が楽になって良かった、と婆さんと話した事だった。<

婆さんが好きなアイススケート以外スポーツに関してテレビ中継を見る事は殆ど無いのだが、WBCの優勝やイチロー・石川遼・宮里藍達が世界で活躍している事は人並みに嬉しく思っている。今朝も5時半にテレビをつけると丁度本田選手がインタビューに答えているところだった。普段だったら不良ぽくって憎たらしげな顔に見るかもしれないが、何故か爽やかに感じてしまうのは普通の感覚(単なる凡人の付和雷同)を持っている証拠かもしれない。

サッカーについては何も分からないのだが、チームが一丸となっているような気がする。それよりも国民が一丸になっているような気がしてならない。つい1か月前までは、駅売りの新聞スタンドには「岡田更迭」のフンドシが大々的に下がっていたものだ。それが今日は「デンマークを撃破」に変わり、更に高みを目指せと国威発揚を煽っている。これは国民の盛り上がりが先にあってメディアが追随しているのかもしれない。

しかし沖縄問題なんかを考えた時、メディアは本当に沖縄に米軍海兵隊が居てほしいと思っているのだろうか?素人考えで考えれば社民党や当初鳩山さんが言ったように、、専守防衛思想に反する敵地攻撃用部隊である海兵隊基地が我が国に存在する必要性は無いと思う。当初鳩山さんが県外海外の声を挙げた時、メディアが今日のサッカー日本代表を応援するように「そうだ!そうだ!海兵隊は海外に出てゆけ!」と一斉に声を挙げたらどうなっただろう。

サッカーについて無責任にご都合主義的な紙面を構成するのは結構だが、正に国益に関する事案の場合は無責任な態度を取ってほしくないものだ。何処でどうなったのか分からないが、結局鳩山さんも取敢えずは海外は無理と言う事になってしまった。一説には下記のような説もある。二見伸明氏の6月1日のブログからの引用である

>これからは、だれが総理になろうと、「国外移転」を推進しなければならない。いまは袋叩きだが、今回の「迷走」と叩かれながらも出した結論は、「沖縄」を日本全体の問題に昇華した。これは、鳩山の、本人も意図しない、誰もがなしえなかった業績ではないだろうか。
自民党は、鳩山が沖縄県民との約束を果たそうと、「国外移転」で苦労しているとき、石破元防衛相をアメリカに派遣し、アメリカの、武器商人になり下がった「安保屋」と手を組んで「国外移転」阻止を画策した。まさに売国的行為である。自民党に鳩山総理を非難する資格はまったくない。<

話が又あらぬ方向に行ってしまった。日本代表チームの全員と特に叩かれ続けた岡田監督には今後の活躍を祈念し「あっぱれ」を上げたい。

2010年6月24日木曜日

読後感「早わかり 鎌倉・室町時代」河合 敦 著

学生時代の不勉強がたたって、常識として弁えなければいけない我が国の歴史に暗すぎる。先日「私本太平記」を読んでその事を痛感した。

遅きに失しているが改めてこの時代について体系的に一覧する必要を感じ、易しく書かれたこの本を見つけた。源平のせめぎあいで鎌倉幕府が誕生してからも武士の騒乱が続き、室町幕府が崩壊して戦国時代に突入する迄を6章に分けて、時代の流れを多角的に年表、系図等をふんだんに用いて分かりやすく解説している。

年代的には1100年代の末から1500年代半ばの長丁場になるが、全ての項目を見開き2頁で完結している。しかも何処を開いても見やすく年代・章のテーマ・項目のテーマが表示されている。この他に挿入されている図以外の文章(本文)は約1頁分千字前後であろうか。編集がとても素晴らしい。学校の教科書もこんなものであれば生徒の飲み込みも大分違うのでは、と思ったりしてしまう。

読後の感想は「我が国は千年の昔から随分と血なまぐさい権力抗争に明け暮れているものだ。しかし、その割に進歩がない。もしかしたら天皇制のせいではないだろうか。」が正直なところだ。こんな事を書くと右寄りの人たちから非国民呼ばわりを受けかねない。

ヨーロッパにも国王制が残っている国は沢山ある。しかし、権力抗争の際に国王を錦の御旗として勝ち残った例は少ないのではないだろうか。むしろ現在の政治体制の殆どは市民の力を背景にした革命的な政権交代が生き残り、国王の力を著しく削いでいるのが実態では、と思ったりするのだが。

日本は千年の昔から明治維新は勿論、昭和の軍国主義時代までずっと天皇を担いだ権力者が統治者の位置についている。戦後は一応市民国民主権とは言っているが、安心できるかな。

2010年6月23日水曜日

雨模様だが、さっぱりした。

西日本では今週の頭から大雨が降っていたのに関東地方は昨日まで梅雨前線が掛からなかった。やっと昨夜から前線の影響で激しく降り始めた。何かうっとうしいので、せめて床屋にでも行ってさっぱりする事にした。長年通っている近所の床屋だが、今日は親父と女将さんが留守で息子夫婦だけがてんてこ舞いである。聞くと、親父夫婦はやっと息子夫婦に店を預けて日光旅行に出かけたらしい。

実はここの親父さんは小生と同じ年齢、何故か小生の頭を刈るのを他人に任せるのを嫌っている。こちらは「虎刈りなんかは3日もすれば分からなくなるのだから、いい加減にしておいてくれ。」とはっきり言うのだが、シャンプーの後で再度時間を掛けて微調整をするのが常だ。こちらもいわば暇人だから出来るだけ我慢しているのだが、正直なところ相当イライラしてくる。歳を取れば目も霞み、手先の動きも悪くなるのは当たり前。従って最近は老眼鏡を通して矯めつ眇めつするこの最終工程が長くなる一方だった。

そんな事で今日は若旦那が手際よく仕事をしてくれたので気分が良い。自分の事も含めてだが、職人に限らず年寄りは若い人のやる事がなんとなく手抜きに思えたりして、自分の仕方がベストと思い込みがちである。客からすればそんな事はないのだ。若い人の仕方やり方に共感を覚える事が多々ある事を知らなければいけない。こちらは引退の年を迎えて後継者に仕事の引き継ぎの真っ最中である。

見積りや請求の作り方から記帳の仕方、得意先での挨拶の仕方から服装に至るまで、技術屋さんの青年の手取り足取りと言った毎日だ。来週の月曜日は得意先キーマンと社長交代のご挨拶をかねて食事会をする事になっている。新社長はエチケットに関する本を買い込んで勉強しているそうだ。「そんなに気を遣わなくても良いよ。」とは言ったが、他の面で今日の床屋と同じような事がある可能性は多分にある。あたら若い芽を摘まぬよう、こちらも十分心せずばなるまい。

2010年6月22日火曜日

選挙とテレビ番組

朝は明るくなると目が覚めてしまう。この頃は日の出が早いので天気が良ければ5時頃は目が覚めてしまう。そんな時はやはり寝床で6時半までテレビを見る事にしている。1年ほど前までは5時と言えば民放テレビの番組が始まっていたが、最近はNHK以外健康食品の通販番組ばかりで、まともな番組が始まるのはは5:30からとしたものらしい。テレビ局が経営が苦しいせいだろう。関連してテレビ番組全体になんとなく手抜き制作番組が多くなっているようだ。

5時半頃から殆どの民放が新聞記事を紹介する形式の似たような番組を流しているが、大分以前に何処かの局が始めた悪習を各局とも真似るようになってしまった。新聞各紙を紹介するだけでなく独自の視点で記事の批判でもするなら兎も角、これでは報道機関と言えないような気もするが、放送局ではどのように考えているのだろう。ニュースを伝えるならアナウサーがきちんと読めばいい。記事を提供したのが新聞社であるなら、付言すれば良かろう。

流石に夕方から夜になると各局ともニュース風な番組に独自のアンカー(キャスター?)を据えて解説を加えているが、彼等も大同小異で、是非この人の意見を聞いてみたいと言う気にならない。理由は簡単である。どのアンカーにしても特徴がないからである。不偏不党放送の公正を期すなんて事が可能とでも思うのか知らないが、そんな事が出来る筈もない。自分の信ずるところの意見を開陳してこそ、真のアンカーと言える。

しかし実際のところはアンカーの殆どが系列の新聞記者上がりか報道局出身者で、事前にプロデューサーやディレクターと言ったところと入念に打ち合わせした内容を、恰も自分の意見ように喋っているのが見え見えである。ましてや元タレントともなれば己の考えなんかある筈もない。報道のアンカーとは言えないかもしれないが、土日の番組には元検事や元政治家なんかが出演する事もあるが、これほど頂けないものは無い。大概は自分の過去を棚に上げて、正義漢面の尤もらしいコメントをする事になる。見苦しい、聞き苦しい限りの沙汰だ。

放送局は同一エリアに折角複数存在するのだから、せめてアンカーを立てる時くらい放送局の旗幟を鮮明にしての論陣を張ればいい。特に選挙の時は公正な政権放送はNHKにお任せして、放送局毎に肩入れしている政党を担いでバトルをすれば面白い筈。もう何度も同じ事を書いてきたようにも思うが、小生が信じる民主主義とはそういうものである。

あらゆるところに存在する記者クラブ制度の故に、日本は官僚主導国家となり、社会主義体制国家なんて不名誉な事も言われる訳だ。

2010年6月21日月曜日

湯の丸山・烏帽子岳


先週金曜日に一旦断念した日曜日のハイキングだったが、土曜日の天気予報を見て又気が変わった。もともと誘われていた信州北部信濃町在住の登山グループリーダーに電話をすると、直ぐに了解してくれて、たちまち4人のメンバーを揃えてくれて6人で行く事が決まった。さすが20年以上のキャリアのある登山グループだ。目的地は湯の丸地蔵峠から湯の丸山と烏帽子岳である。

日曜日東京発6:52の新幹線で8:30上田で下車、リーダーにピックアップしてもらう。他の同行者4人のうち一人は小生が山歩きを始めた翌年2007年7月に苗場山でご一緒したSさん。ご夫妻で参加されたKさん。最高齢75歳直前のOさん。皆さん長野市在住で山が大好きな人ばかり。上田駅で小生を待つ間もずっと次の山行きの計画に終始していた様子。槍を新穂高温泉口から登ろうか、富士山にしようかとの議論だったそうだが、今年は富士山と大体決まったようだ。

上田から地蔵峠のスキー場には半時間ほどで到着。丁度ツツジが見頃を迎えツツジ祭りのイベントを開催との事で駐車場が満杯になる程の賑わい。スキー場のツツジの群生は見事に開花していて、リフトも1機回っているので老いも若きも斜面の上から十分堪能する事が出来る。我々もリフトの利用に衆議一決1850mの地点まで労せずに登ってしまった。ここまで来ると湯の丸山山頂迄は標高差で250m弱である。山頂を目指す人の数も半端ではない、人間が数珠つなぎ状態で富士登山を思い出した。

混雑していたので途中イワカガミの群生などゆっくり鑑賞しながら小一時間は掛かったろうが、兎に角2103mの山頂に到着。山頂も大きな団体さんが幾組も入り混雑しているが、風は高山の風で非常に冷たい。大抵の人はヤッケを羽織っているが中には半袖で頑張っている人もいる。我がグループの最年少(未だ51歳)Sさんもその一人。昼前にもう一座登る事になっているので、おやつ休憩の後向かいの烏帽子岳に向かって降る。登り始めたスキー場のちょうど反対に当たるが、標高差としては丁度登ってきた分を降って、また350m程度の登り返しになる。

湯の丸と烏帽子の鞍部に着いたのが11:30頃だったようだ。時計を忘れてしまったので正確ではない。烏帽子岳は山頂近くで少し岩が露出するが、登山道は整備が行き届いて素晴らしいハイキングコースである。40分程で山頂に到着。湯の丸山と比べると人がはるかに少ない。晴れてはいるがさすが梅雨空、見晴らしは秋に来た時とは大分異なり周囲の山々は水墨画を見るような趣きである。山頂の風は湯の丸山同様冷たいので、少し降った尾根で風を避けて昼飯にする。

パーティー登山なので、それぞれが持ち寄ったおかずが沢山になって昼飯が賑やかで楽しくなる。実はこの時思いもかけない騒ぎが起こった、我がグループと同じ世代のご婦人が二人「グループからはぐれて道に迷ったのでスキー場登山口まで迄連れて行ってほしい。」と頼みこんできた。我がグループのKさんは長野でこの3月迄消防団長を務めた偉い人である。早速事情を聴くと、何でも群馬の渋川からのグループ登山でお揃いのジャンパーと帽子をかぶっている。我々もそのグループは先ほど見ているので不思議に思ったが、聞くとこの二人は足に自信がなかったのでグループに先んじて出発して間違った道に入ったらしい。

Kさんがそのグループの責任者に連絡を付けようとするが、遭難者が持っていた唯一の手掛かりがメンバー表だけで、そこに電話をしても留守電で役に立たない。結局、健脚の我がリーダーが麓に連絡に走る事にして、Kさんがこの二人を保護して下山と言う事になる。こんな平凡な山でしかもグループで来てはぐれるとは?不思議な話だが、山では思いもかけない事が起きるものだ。山頂が広いので、一昨年の秋小生が降った角間温泉方面の道に入りこんだようだ。少し降ったところで変だおかしいと気がついて、山頂に戻ったら本体が既にいなくなっていたとの事。もし彼女達がそのまま降り続けたら大変な事故になったろう。

多分数十メートル降っておかしいと気が付いて戻ったのだろう。これが原則を踏まえた正しい判断で、大事に至らなかったのは幸いだった。昼食も未だであったこのご婦人方も一緒に昼飯を食べてから、このご婦人の歩調に合わせて降ったので又時間がたっぷり掛かった。登山口到着は3時半頃だったろうか、渋川グループの代表が大勢出迎えに来て長野の消防団長さんにお礼を言っていた。ここで先行していたリーダーと合流して地元名物のアイスクリームを食べて一休み。こちらも帰りの列車を決めていなかったので、更に小諸のブドウ畑の中の温泉にゆっくり浸ってから上田発18時の新幹線に乗車して20時に帰宅。

ともあれ歩いた標高差や距離を東京近郊の山に例えれば、高尾山のハイキング程度かもしれない。それで2000mを越す山を2座も登って、高山気分をたっぷり味わえるのだから信州の人が羨ましい。

2010年6月18日金曜日

父の日

今度の日曜日に信州の山に行く計画があったが、天気が見込めないので中止になってしまった。夕べそんな事になるだろうな思いながら婆さんと話している時の事。「20日は父の日か?」と問うと「そうだけど?日本は古来、年がら年中父の日だから1日を特定して父の日なんか必要ないのよ。」要するに我が国では母の日には意味があるが父の日はあまり意味がないらしい。「ご尤も」なのか「恐れ入りやした」は人それぞれだろう。

毎年5月26日の親父の誕生日前後には父を偲んで何か書いてきたような気がするが、今年は何故か書きそびれてしまった。久し振りに親父の思い出を探っている。亡くなった年も覚えていないので改めて調べると平成8年11月となっているから、もう14年も経っている。もうそんなになるのか、の思いが強い。

我々の年代には同じような経験者が非常に多い筈だが、父が5年ぶりに外地から復員してきたのは小生が小学校に上がる年の2月か3月だから、幼い頃の父親の記憶は一切ない。その後18歳で大学進学のために上京したので、一緒に生活したのは10年ちょっとしかない。その間も父は働き盛りで仕事が忙しかったのだろうし、兄弟が私を含めて5人もいたので、親子二人だけで何かしたとか私だけ怒られた事はごく稀である。

しかしそうは言っても親父の印象は強烈で、人格形成に大きな影響があった事は認めざるを得ないだろう。父は農家の5人兄弟の末っ子に生まれ、兄弟の中でただ一人大学まで出た事を誇りに思っていたと同時に、常に両親と兄弟に感謝の言葉を口にしていた。又百姓の出身らしく勤勉で几帳面であって、若い時からかなりの高齢になっても花や野菜を育てるのを趣味にしていた。少なくても私の年齢70歳頃は未だ盛んに野菜を作っていたのを覚えている。

これは実益よりも健康維持のためだったのだろう。出来すぎる野菜をどのように処分するかで兄嫁さんは苦労をされたに違いない。一緒に暮らしている頃は子供たちには非常に怖い存在で、母に抵抗しても「お父さんに言うからね!」と言われると怖くなって抵抗が続かなかったものだ。一番怖かったのは高校3年生の夏休み直前、学校で校内暴力事件を起こした時の事だ。

何食わぬ顔で帰宅していたのだが、夕方学校から連絡があり、担任が自宅にやって来て事件がばれてしまった。たまたまその日は父が出張中だったのかもしれない。母と祖母が担任に向き合って事情を聴いた。二人とも「たかが子供の喧嘩で」と嘆いていたが、こちらにはそんなにきつくなかった。翌日母と連れ立って被害者宅に行き、母が土下座せんばかりに泣いて謝るのを横で突っ立って見ていたのを覚えている。こっちは、親父に何と言ったらいいのか、頭の中はそればかりだった。どう考えても良い知恵が浮かばない。

その時母が家出を勧めてくれたのだ。今にして思えば親父も良い親父だったが、母はそれ以上かもしれない。こちらは二つ返事でその場から直ぐに駅に直行、東京に住む兄貴の所に出奔してしまった。上野に着いて電話をしたので兄貴もびっくりしたと思うが、自分の住まいする学生寮への道を教えて宿泊の段取りをしてくれた。そして翌日親父から寮に電話が掛かってきたのだ。親父は別に怒るでもなく「兎に角一度帰ってきて、一緒の校長の所に行こう。」だけだったような気がする。

そして兄貴からも「やはり一度帰れ。」と言われ、又夜汽車に乗って帰宅したのだが、この夜行列車に揺られて思った事は生涯忘れられないだろう。帰宅して親父に何と謝ったか記憶に無いのだが、何故かその時怒られた記憶がない。その後親父と二人通学路を歩いて行った事、校長室のソファに座って校長と親父の談笑をを聞いていた事が記憶に残っている。確か、「現代では男の子の元気も良いが、程々にしておかないと・・いろいろうるさいのでよろしくお願いします、早速お母さんが謝罪に行って頂いたようで・・・・」てな調子だった筈だ。

当時の現代だからこの程度で済んだのだろうが、これが今だったらとてもこれでは済まなかったろう。ひょっとしたら親父の職業に響いたかもしれない。それまで親父から勉強や進学について特に言われた事は何もなかった。ただ自分自身では毎学期ごとに発表になる席次が、入学以来つるべ落としに落ちている事が気にはなっていた。しかしこの事件がきっかけで、我が人生は大きく舵を切ったと思う。進学についても真面目に考えるようになった。

親父から勉強の事で言われた言葉で記憶残っているものは殆ど無いが、この時のこの言葉は今でも鮮明に記憶している。
「この夏休みからJapan Timesを取ってあげる。だから必ず毎日
"editorials"欄を読みなさい。」それから約半年後、まがりなりに進学が出来たのはそのお陰だった。

2010年6月17日木曜日

おなじみの「社会正義」か

先週11日に書いたばかりなので余り気が進まないが、どう考えても腑に落ちないので再び触れたい。角界の野球賭博の件である。ついに文科省が乗り出して名古屋場所の開催が危ぶまれる状況になって来た。特に相撲ファンでもないし自分にとっては場所がお休みになっても少しも構わない。婆さんはかなり相撲に詳しいので「社団法人を返上させて、相撲株式会社にして税金をきちんと取ればいいではないか。」と言っている。

確かに相撲協会は松竹株式会社や吉本興業のように庶民に娯楽を提供しているのだから、それも一案かもしれない。文科省が不祥事があったからと言って多くの庶民が期待していた娯楽を中止させるのは、世の中を変に暗くしたり景気を悪くするのではと心配をしている。たしかに経産省所管の会社になれば不祥事の扱いも変わるかも。不祥事に関しては、違法賭博摘発の際には、客も勿論逮捕されるが、大概微罪で翌日には釈放されるとしたものである。厳しく罰せられるのは賭博を開帳した胴元であろう。

今回の騒動では客ばかりが賑やかに取り上げられて、大変な不祥事のごとく報道されている。いつもおかしな理屈を振りかざすので恐縮だが、小生も小学校の4,5年生の頃近くの温泉場にあった友人の家が所有していた別荘に遊びに行き、そこでパチンコや射的に興じたのを何故か後日担任にばれて大目玉を食った事がある。世の中に未成年者が足を踏み入れてはいけない場所がある事を知らなかった?或いは知っていたがあえて踏み込んだのかもしれない。

話が逸れたが、角界で博打客を徹底的に追求すれば、しなかった人間を挙げるのが難しくなって全員に居なくなってしまうのではないか。先週も書いたが、角界とアウトローとの付き合いは堅気との付き合い以上に深いのは常識の筈。警察関係者による外部の力を借りてアウトローとの関係を断絶させる、と気安く言うが警察関係者がアウトローに代わって角界をサポートできないのは明かである。つまるところは野球やサッカーのように企業を核にしたサポート体制でも構築すると言う事か。そんな事可能だろうか?

公営であるか非合法であるかは別にしてお相撲さんの娯楽から賭け事が無くなる筈もない。非合法賭博を野放しにして置いて客を摘発するのは少し順序が違うと思うのだ。公営の賭博にしてもノミ行為をしている人間(組織)は多いし、その客数となれば把握の仕様も無いのは公然の事だ。ばれたり逮捕でもされれば確かに不祥事ではあるだろう。しかし過去に迄遡って大騒ぎをするのは如何なものだろう。スポーツ界で「飲む打つ買う」を一切しない一流のプロ選手がいたらお目に掛かりたいものだ。

週刊誌が特殊な世界で生じた特殊な事件をほじくり出して騒ぐのは食うために仕方がないとしよう。しかし個人の密やかな娯楽が丸ごと不祥事のような騒ぎに持って行ったマスメディアと文科省の大人げなさには、些かの無責任さを感じるのである。

2010年6月16日水曜日

「不景気」も見方によっては

兎に角自分の事しか考えないので、世の中の難しい事については分からない事ばかりである。特に経済問題については皆目見当がつかない。日本経済がデフレでシュリンクしつつあると言う話をよく聞くし、現役の友人から仕事量が減っていると事も聞く。しかし池袋の繁華街を毎日のように歩いているが人混みは変わらないし、昼飯に立ち寄る店も皆繁盛している。たまに閉店の看板を見かけるが直ぐ新しい店がオープンしている。確かにこの辺の事情は田舎とはだいぶ異なるのだろう。

昨年度は税収が予定より9兆円も減っている事も盛んに言われている。なんでそんな事になるのだろう?欧米の景気がおかしくなったので輸出が減った事が原因のようにも聞こえるが、日本人は強かだから欧米が駄目ならBRICSがあるさで、ちゃんとカバーしているようにも思うのだが実態は分からない。多分輸出産業の多くが生産拠点を海外に移す事で国内の失業が増えているのは事実かも。しかし失業して本当に困っている人間はどのくらいいるのだろうか?学者も政治家も実態を把握できていないではと思ってしまう。

私の周りにも失業している人間は大勢いるが、誰一人生活に困っている風情は見当たらない。テレビには親一人で子供を抱え、働きたくても働けない一見可哀そうな人が必ず登場する。中には片親が急に亡くなり事実困っている人もいるだろうが、自らシングルになる道を選んでいる人も結構いるのではと勘繰ってしまう。高齢者もそうだ、老老介護や老人独居も問題になるが、彼等も自ら選んだ道だろう。あの時息子と或いは娘と、と今は後悔しているだろうが「後悔先に立たず」だから因果応報と諦めてもらうしかないだろう。

別に社会保障問題を軽く扱えと言うつもりも無いが、社会保障制度の充実が家族や近隣の絆を断つような事になるのは本末転倒だ。相撲界の野球賭博と野球界の相撲賭博が大騒ぎになっているが、こんな事を騒ぎ立てるよりこう言ったアングラマネーからきちんと税金を徴収する事を考えた方が国家国民のためになるのではないだろうか。不景気だと言っても多くの遊び金を以て使い道に困っている特殊な人が随分いるみたいだ。プロスポーツの選手や彼等の谷町を気取る人種が多額の金を弄ぶのは取敢えず我々には関係ない。我々は100円のパンを買っても税金を払っている。彼らにもせめて税金は払ってもらうべきだろう。

ギリシャはアングラ経済がGDPの3分の1と言われる。日本はまさかそんな事は無いと思うが、日本でも結構な額になるのではなかろうか。特殊な人間の社会を垣間見て市民目線なんて大騒ぎするより、アメリカ財務省のシークレットサービスが嘗てシカゴのギャングの親玉アルカポネを脱税で締め上げて伝説を残した様に、日本でも伝説になるように悪党から徴税をしてもらいたいものだ。

2010年6月15日火曜日

親の顔が見たい「漫画ネタバレ情報局」

現在仕事で若干ホームページ制作に関わったりしているので、IT技術者のリクルートについては常に関心を持っている。既に小学生時代からパソコンに触る時代になっているので、若くして優秀な技術者が出現する事は不思議ではない。しかし今日下記のニュースを知って正直びっくりしている。この報道からすると逮捕された中学生は我社のスタッフ程度のホームページ制作技術は完全にマスターしているだろうし、遠隔地の仲間とどのように知り合ったか分からないが、サーバの共有管理する事などについてもかなりの知識を持っているようにも思われる。

以下は「スポーツ報知」が今朝配信した記事の引用である。
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京都府警ハイテク犯罪対策室は14日、人気漫画「ONE PIECE」などを、雑誌の発売前に動画投稿サイト「You Tube(ユーチューブ)」にアップロードしたとして、名古屋市中区に住む中学3年の男子生徒(14)を著作権法違反の疑いで逮捕した。府警によると、ユーチューブへの違法投稿の摘発は全国で初めて。雑誌を発売前に手に入れ、投稿を繰り返していた。

男子生徒はページごとにデジカメなどで写真を撮影し、ユーチューブに投稿。数秒ごとに画面が変わり、物語を読むことができるようにしていた。一方で「漫画ネタバレ情報局」と題した自身のブログやツイッターでアクセスを促し、出版社から削除や警告を受けても新たなIDやパスワードを何度も取得して再投稿。府警は悪質性が高いと判断し、逮捕に踏み切った。

漫画はほかに「週刊少年ジャンプ」(集英社)掲載の「NARUTO」「銀魂」、週刊少年サンデー(小学館)掲載の「Major」。いずれも人気作品だが、男子生徒は、発売済みの漫画ではなく、掲載誌を発売前に事前入手して違法投稿していた。「ジャンプ」の場合、月曜日発売だが、前日や前々日に手にするどころではなく、4~9日も前に入手。発売日の翌日に早くも翌週号の内容を投稿していたこともあったという。

「ネタバレ情報局」のブログは佐賀県の高校1年の男子生徒(15)、沖縄県の中学3年の男子生徒(14)と共同管理しており、府警などは違法投稿の認識があったか2人から任意で事情を聞くとともに、逮捕された男子生徒に共犯者がいなかったか捜査を行っている。==================<

ここに引用しなかったが、この投稿によって出版社が被った被害額は20億円に上るとされている。このサイトを見た人間が全員出版物を買ったとすればと言う事だがそれほどにこのサイトへのアクセスが多かった訳である。ホームページの制作や管理に携わる身としては実に羨ましい。ところで、加害者であるこの生徒はこの事で何を得たのか或いは得ようとしたのだろうか?それがイマイチ良く分からない。

更に警察でも不思議に思っているようであるが、発売前の雑誌のコンテンツを入手している事。これは不祥事を起こした雑誌の大広告主や政治家が躍起になる事である。IT技術とは別の問題であるが、この経路を確立するのは相当な能力が必要になる筈。雑誌業界を裏で操る広告会社の電通の総力をもってしても難しいとさえ言われている。裏にもっと別な共犯者がいて報道されていない意図などがあるのかもしれないが、驚きと不思議さがないまぜの複雑な気持ちがある。

今朝婆さんがいみじくも「親の顔が見たいわねえ」と言ったが、これは「どうしてこんなにご粗末な子が?」でなくて「どうすればこんなに優秀な子が出来るのだろう?」との意である。爺も全く同感で、仮に愉快犯であったとすれば少年に逮捕歴の烙印を押す前に何らかの手段がとれなかったのか?と残念でもある。毎度の話だが、新聞社と警察は一蓮托生グルなので警察は都合のよい事件だけをメディアに発表する。

今回の事件が果たして発表するに相応しい事件だったのだろうか。もし彼が単純な愉快犯でIT技術者として本当に優秀あるとすれば、彼の将来や日本にとっても有為の人材であったかもしれない。宇宙探査船「ハヤブサ」の地球帰還ニュースと並べて見たので、一層複雑な気持ちになった事がお分かりいただけるだろうか。

2010年6月14日月曜日

囲碁の楽しみ

東京も今日から梅雨入り、少し寒いが仕事部屋に来る途中のお宅の玄関先で紫陽花が濃い紫の大輪で咲いている。我が家にも大阪勤務時代の20年以上前に家内が六甲山から移植した額紫陽花があるが、これは水色だが年々色が薄くなってきているそうだ。庭で見ると少し寒々としているが、玄関に切り花で飾っているのを見ると涼しげで夏らしい。

昨日は碁会所で月例になっている囲碁大会、今回は6人のリーグ戦だったが先月に引き続き優勝してしまった。賞品で又3000円のクオカードをゲットしたので娘に喜んでもらえそうだ。普段の土日に決して勝率が良い訳でもないし、2回連続なんて予想だにしなかったので自分でもびっくりした。最近すこし意識している原則「弱い石を作らないように」がたまたま功を奏したのかもしれない。

囲碁の面白い所は実力に相当の差があっても試合が出来るところにある。、柔道などの格闘技に段位がある事は大方がご存じだろう。柔道5段の人と初段では恐らく試合にならない筈だ。囲碁の場合は弱い人に「置き石」というハンディを与える事で試合になってしまうのだ。例えば昨日小生に勝った一番強いとされる席亭(碁会所の主人)が全ての人の勝てるかと言うとそうでもない。彼も2敗した。

ハンディの決め方は席亭が試合前に普段の成績から決める。昨日の小生の持ち点は260点、5人の対戦相手点数はA:360点、B:290点、C:245点、D:220点、E:210点。これで小生はAさんには9個石を置いて試合を始める。Bさんには3個、C、D、Eさんには逆に2個、4個、5個の石を置かせて打つ事になる。更に細かいハンディがあるが省略。結果はAさんに持碁負け(囲碁としては引き分けだが、勝敗は点数の多い方が勝ちと決められている)、BさんからEさん4人に全勝する事が出来た。

知らない方には不思議だろうが、囲碁は19×19の交差点361点に黒石と白石を変わりばんこに置いて、交差点を多く囲った方が勝ちの一見単純なゲームである。従って最初に石を9個も置いて何処かを囲っておけば間違いなく勝てそうなものである。ところが後から石を置き始めても、石の働きでいつの間にか後攻めの人が多くの地(交差点)を囲う事がまま起こる。

しかも互いに手品を使う訳でもなく、盤は互いの目前に置かれているし、一度置かれた石が動く事も無い。ところがある局面であるところに石が一置かれると、それ迄に何の役にも立たないと思っていた石が急に命を吹き込まれたように生き生きと働きだす事が良く起きる。しかし常に相手が居てこちらの構想を邪魔したりするので、不思議なくらい自分で思うように地(交差点)を囲う事にならない。しかし相手の打つ手がこちらにとって予想外の手を生じさせてくれる事もある。


ある人に言わせると囲碁の変化の様相は正に人間関係の変化を象徴しているとも言う。要は自分の都合だけ考えていると幸せにならない、相手の言い分を聞きながら(想像するのである)自分に都合の良い立ち位置を考えると言う事らしい。プロは交互に打つ石の姿を何手も先まで頭の中でイメージする事が出来るのだそうだ。小生なんぞは自分が置いた石の次の手を相手がどこに打つかイメージする事すら難しい。とは言っても勝敗よりもこの千変万化の面白さに病みつきになりつつある。

2010年6月11日金曜日

今日のトップニュースがこれか、うんざりだ

今日大騒ぎになっている相撲界の野球賭博の件はおかしな話だ。全否定する訳に行かないから「手を染めていた者が居たようだ」としている。先月どこかの週刊誌が大関の野球賭博関与を取り上げたので、黙殺する訳にもいかず警視庁とも相談の上ででお茶を濁したのでは。あまりに見え透いた形式には些かうんざりする。そもそもサッカー賭博は国がやっているので合法だが、野球賭博は民間がしている事だから違法と言う事に無理があるのでこのような事になるのだろう。

民間と書いたが、胴元は当然プロの博徒でいつの頃からか報道される時は必ず「暴力団」と表現される。彼等がしている事は当然非合法だからすっ堅気の市民や企業が胴元になっている筈も無いし、この仕事に絡んで税金が納付されている筈も無いだろう。急に思いついたみたいにお相撲さんの手慰みを暴きたてて大騒ぎをしているが、昔から衆知の事であった筈だ。勝負の世界に生きるプロのスポーツ選手が賭け事が好きであろう事は容易に想像がつく。ましてお相撲さんが巷の競輪競馬場やパチンコ屋に入り浸る訳にもいかないだろうし、マージャンも体には悪いだろう。

今日の報道を聞いていると、警視庁もそのくらいの事は分かっているのでなんとか穏便に蓋をしたいのだろう。当たり前だ。雑誌の記者にしても新聞や放送の記者達も自分たちがしている普段の博打を棚に上げてよく他人の事を言うものだ。
もう少しまともなネタは無いのだろうか。

今度騒ぎの発端となった「客の大関琴光喜が1億円を恐喝される」といった余りに行儀の悪い事件(週刊誌の広告を記憶して居るだけで詳細は分からない)については、直ぐに親方が真相究明に乗り出して、大関が掛け金を払わなかったのか、はたまた悪質な恐喝かを見極めて親としての対処をすべきだったのではなかろうか。それこそ相撲協会の周りにはその世界の名だたる親分が沢山居るのだろうから、警察なんかに頼らなくてもしかるべき措置をする事ができただろう。

朝青竜の事についても同じ思いがあるのだが、相撲界の親方と部屋の若い衆の関係が世間の風潮と同じで「親も親だけど子も子」で薄っぺらと言うか心が通っていないような気がしてならない。世の中矛盾だらけで嫌になるが、せめて親子の関係ぐらいは真ともであってほしいものだ。

2010年6月10日木曜日

読後感「私本太平記 全8巻」吉川英治 著

幼い頃「青葉茂れる桜井の里の辺りの夕間暮れ・・・」という歌を覚え楠木正成や新田義貞の絵本を見て育ったせいか、楠木や新田は正義の人で対する足利尊氏は天朝に弓を引いた極悪人と漠たる印象をぬぐい切れなかった。先日海音寺潮五郎の「武将列伝」を読んで少し違った印象を持ったので、改めて室町時代の歴史についてもう少し知りたいと思い、暇もあるので区立図書館から借りて読んでみた。

主人公は4人、足利尊氏、後醍醐天皇、楠木正成、新田義貞。時代は14世紀初め100年以上続いた鎌倉幕府の末期から尊氏が没するまで約半世紀に亘る歴史小説である。元来講談本の面白さから読書に惹かれているので今でも歴史小説は大好きである。脇に配されている人物は若干著者の手で誕生した人物が居るのかもしれないが、歴史に実在した人物が何人も登場し実に華やかなものである。

しかも舞台は鎌倉京都はもとより東北から四国九州、更には流刑地である絶海の孤島に及ぶ。比較的近代の歴史小説、例えば司馬遼太郎の作品なんかに比べるとスケールの大きさがまるで違う。どちらかと言えば中国の歴小説十八史略とか水滸伝に近いかもしれない。

理由は簡単で、主人公が単数で無い事とそれぞれが単純に善悪或いは敵味方にステレオタイプ化されていない事だろう。むしろ主人公には共通項がある。即ち武士であり、領主である事。更にヒエラルキーとしてその上の天皇朝廷が存在する事になる。彼等が生涯かけて敵になったり味方になったりして激しいバトルを繰り返すのが小説の骨子であるが、このバトルを主人公たちは何のためと考えていたか。

著者の解釈は皆似たような思いであったに違いないとしている。即ち己の家の子郎党、領民の安寧が第一、日本国全体の安寧が第二とする。そこに我が国特有の天皇制と幕府と言う制度が絡み問題が複雑になる。親方の幕府を倒して圧政を排除しようとする時、外国みたいに単純なクーデターを起こさず何故か幕府の上に名目上存在する朝廷からお墨付きを貰うのだ。

ところが当時の朝廷は現在の皇族と異なり皇族が山ほど居て、一応皇太子は決まっているケースが多いようだが、場合によっては天皇の上に上皇が存在するケースもままあったようだ。当然皇族も人の子だから人によってはこっちが好きあっちが好きと言う事になったのだろう。そんな事から戦を始める時にいつも朝廷が絡んでくる。基本的に天皇は戦争犯罪とは無関係なる不文律があって、天皇側が戦に負けても天皇は殺される事は無かった。

この辺は先の大戦後に昭和天皇が罪に問われなかったこととも大いに関係がありそうだ。しかし足利尊氏の弟の部下が皇太子を殺してしまう。この事は尊氏の意思と全く関係ないのだが、戦前に於いて彼を極悪人に仕立て上げたのだろう。話が逸れたが、兎に角僅か6,700年前の日本史を殆ど理解できていない大馬鹿の小生でも室町時代南北朝が存在した経緯も大凡理解する事が出来た。

余計な事だが著者は学歴だけ見れば小学校中退である。著者は当時の古文書を丁寧に読み込んだ上で、小説とは言え歴史的事実を枉げる事の無いよう配慮をしたとしている。実に読みやすく面白い読み物だが、ところどころに出てくる武士の教養精神性、学問の事と権力は掌中にする事が出来ても永劫性が無い事。しかし文化はこの荒んだ世の中で生まれても優れていれば後世に残る事等味わい深い記述が時々顔を出すのも嬉しい。

2010年6月8日火曜日

年寄りが多いから仕方が無いか

広告業界に長かったので広告の事が気になる時がある。最近の報道に依っても後輩から直接聞いても、ここ数年広告の出稿量が減っているのが著しい事は分かる。それにしても新聞にせよテレビにせよ雑誌にせよそこそこ上位に位置するメディアについては、嘗ては広告もその編集なり編成に相応しいもので飾られていたように記憶する。最近気になるのは量的変化よりも広告の質的変化である。言いたいことは山ほどあるが一つ取り上げたい。

メディアの視聴者なり読者である業界用語でいうところの生活者が圧倒的に年寄りが増えているので仕方が無いのかもしれないが、健康食品と言うか栄養補助食品と言うのか何れにしても同じ事だろうがこれが異様に多い。健康に留意する事に異を唱えるものでもないし、健康のためには食品に気を使う必要も確かにあろう。しかし大豆の一粒にも満たないカプセルを数個口にして健康と長寿を得ようと言うのは少し虫が良すぎはしないか。

毒にはならないだろうと言う事で、お金持ちのお年寄りは安くはない広告料の一端を腹の中に入れているだけの事かもしれない。イワシの頭の例えもあるので信じて飲めば少しは効果があるのだろうか?

余計なお世話かもしれないが、小生ずっと前から健康診断でクレアチニンという腎機能に関する数値が問題ありと指摘されている。この事は以前日記にも書いたが、専門医の診断も受け経年変化を見る限り心配するほどの事はないとの結論を得ているので置くとして。専門医の診断を受ける以前に管理栄養士に相談した時の事を思い出す。

栄養士の先生が指摘した中で、我が家の食事で常用している調味料についての質問があった。「醤油なんかで特に高価な物の中には特殊なアミノ酸が多く調合されているものがあるので、自宅で奥さんに尋ねて、もし使用しているようでしたらその使用を止めてください。」勿論我が家は何事によらず高価なものとは縁遠いのでその必要はなかったのだが。何でも体のためになると喧伝されているものを多く摂ればいいというものではないらしい。

先ほどテレビの宣伝を見ていて気がついたのだが、あるコマーシャルで「アミノ酸が120倍」と言うコメントがあった。栄養補助食品には厚労省薬務局審査もあり、放送局のCM考査もある事を知っているので勿論問題は無い筈だが、前述の件をふと思い出した。これは多ければ良いというものなのだろうか?何れにせよ最近の広告を見ていると、長生きしようと努力されているお年寄りの多い事をしみじみ思う。自分もその一人だが、認知症ドライバーが数十万人と言うニュースと併せて聞くと、長命の意味を改めて考えてしまう。

2010年6月7日月曜日

変わらなくてもいいのか、自民党

夏至りなばではないだろうが、民主党が先週半ばから衣替えに大忙しで動き回っている。どのような目が出るかは暫く静観するしかないが、衣替えの努力は誰の目にも明らかだ。一方自民党だが、動きが鈍すぎる。麻生総裁辞任を受けての総裁交代劇で谷垣氏が総裁になった事自体、余りにも代わり映えが無いので内部でも若干の批判もあった。にも拘らず全てが旧態依然、党幹部は見慣れた顔ばかりで口先では過去の反省を言いながらも清新さは全く感ずる事が出来ない。

勿論派閥の解消も無いようだ。そもそも派閥とは派閥ごとに利権が構築されていて、その分配をするために存在する聞いている。政権を離脱した政党が政権当時と同様な利権の蜜を集めるとは思えない。派閥なんか何の役に立つのだろう?
党そのものが禁治産者状態なんだから、それこそ事業仕分けでもして派閥事務所何ぞさっさと整理をした方が良いのではないだろうか。政策グループだと言うなら必要に応じてホテルでもなんでも会議室を借りて集れば良かろう。

実態は分からないが派閥故に党幹部の人事刷新もダイナミックに出来ないのだろう。民主党のそれを見ていると派閥による弊害が無い事が良く分かる。更に自民党にはどのくらいの資金があるのか知らないが、内情はかなり苦しくて当たり前だ。例えば、最大と言われた清和会に流れる金がどのくらいになるかこれも全く分からないが、政権に居た時に比べれば激減しているのだろう。まして町村会長にしてもオーナーのような顔している森元総理にしても、野党経験が初めてだから集金には大変苦労をしている事だろう。

自民党はダブル選挙と息巻くが、どうも新規候補者リクルート機能も元は派閥にあったらしい。現在は大島幹事長が選対本部長を兼務しているように記憶するが、民主が本気で衆参同時選挙に踏み切ったらどうするつもりだろう?民主党もお金持ちのツートップが下げられたから資金面では互角とでも思っているのだろうか?とてもそんな訳にはいくまい。政治に金が必要である事は自明なことである。民主党が野党時代から現在に至るまで、自民党の金について厳しく追及してこなかったのはその事が良く分かっているからだろう。

馬鹿の一つ覚えのように未だに「政治と金」と騒いでいるのを聞くと「いい加減にしろ!」と怒鳴りつけたくなる。谷垣さんは東大を出て司法試験も通り、且つ漢籍にも造詣が深いと聞いていた。それこそ名門宏池会の代表でもあるし加藤紘一氏の子分でもあるからもう少し賢いかと期待もしたのだが。大臣経験者が何人も党を離脱していく状況をを見て何を考えているのだろう?自軍を纏め来たるべき戦いに勝利するには軍資金を蓄え有能の士を求めて、以って自前の方針を広く世に訴えるしかないではないか。

親方の谷垣氏は「民主の弱点を徹底的に追及するために力を合わせて頑張ろう」と声を張り上げるだけ。要の大島幹事長は「総裁の仰せのごとく」の枕詞で自分の考えがどこにあるのか、戦略の気配すら感じられない。良くテレビに出るもう一人の根暗オタク石波政調会長に至っては明らかに与党ボケのままで「民主党なんてのは小僧のようなもので何も分かっていない、こんなものに政権なんか預けられない」の一点張り。後は山本一太とか小泉進次郎とか視聴者国民を馬鹿にしたようなジャリタレがワーワー言うだけ。

これで政権が奪回できれば苦労はない。8か月前、政権奪回には10年必要と書かれていたが、この調子で行くと自民党が消滅しかねない。2大政党制がベストか否かは分からないが、何事も正反合が大事で大政翼賛は良くない事は明らか。取敢えずは自民党が派閥体制を打破して挙党一致体制を確立する事を願う。

2010年6月4日金曜日

新政権への餞

どんな季節でも天候が定まりにくい我が国にあって、今週は珍しく天候が安定して爽やかな1週間だった。お陰で京都への小旅行も気分よく行ってくる事が出来たし、仕事も新しい人への引き継ぎがほぼ完了したので気分が極めてすっきりしている。そのうえ気になっていた鳩山政権についても結論が出たので余計気分が良い。

鳩山さんの辞意表明が観光旅行初日だったので昨日迄ドタバタした報道を見ずに済んだのも幸いだった。夕べは家で夕食だったが、夕食後は婆さんから「由紀夫チャンのスピーチはずいぶん立派だったよ。上から目線とくさす向きもあるが始めから終りまで聞けば決してそんな事はない筈。全文が掲載されている新聞ページを取っておいたから明日にでも読んでみたら。」だけを聞いて、後は旅行中の写真を見せながら土産話をしただけでニュースも見ずに寝てしまった。

今朝改めて読んでみたが、成程良く出来たスピーチだと思う。尚新聞を読むと彼は今期一杯で衆議院議員も辞すらしい。総理をやった人間が1議員としてうろちょろするのはみっともないから直ぐにでも辞めた方がいいとも思うが、彼には対ロシア外交をさせて見たかったので残念と言えば残念でもある。誰が志を継ぐのかなあ?勝谷誠彦のメールを読むと北朝鮮の金正日体制の内部が相当に揺らいできて、金正日の当事者能力が無くなり高官同士の殺し合いが始まっているらしい。ひょっとすると内乱の可能性もあるのではなかろうか。

となると、気になるのは中国とロシアの動向で、アメリカは考える事する事が荒っぽいから余り頼りにしたくない。なんて事を考えるのは小生だけかもしれないけど。何れにせよ鳩山さんが日米関係に一石を投じたのは間違いではなかったと思う。自民党は今度の参議院選挙の公約にインド洋でのガソリンスタンドの再開を掲げるようだ。国益と軍隊の使い方なんて事は難しすぎてよく分からないのだが、なんて馬鹿な事を言うものか思っている。

何れにしても自民党が政権の座に着く事はないので心配はしないが、選挙の足しならないとされた外務や防衛問題でも、足しにならずともマイナスに働くと素人が偉そうに論評して総理の首をと取ってしまう時代である。新政権ではつまらない事で上げ足を取られない慎重な布陣をしてほしいものだ。

2010年6月3日木曜日

京都観光:山寺と里寺


昨日と今日爽やかな京都観光を楽しんできた。昼ちょっと前京都駅に降り立ってバス停に並ぶと、後ろに並んだ女性が新聞の号外らしきものを持っている。何事かと覗き込むと親切にも手渡してくれた。当然鳩山首相辞任の号外である。先月24日の日記に書いた通り予想はしていたので、いよいよその時が来たなと思い総理がちょっと可哀そうになった。これから暫く巷は大騒ぎなるのだろうが小生にとっては直接関係のある話ではない。爽やかな初夏の1日を楽しむ事だ。

先ず、駅から1時間ほどバスに揺られ高雄の山にある「神護寺」を訪れた。京都市内を30分弱北上すると立命館大学キャンパスがあり、ここを過ぎるともう奥多摩か秩父辺りのハイキングコースの趣が出てくる。京都の人が羨ましい。山城高雄のバス停が神護寺参道の入口になっている。脇の茶屋で昼飯に親子丼を注文した。客が一人もいなくて薄暗く何か侘しげな店だったが、これが思いがけず旨かった。腹ごしらえをしてから参道に赴く。先ず国道から北山杉の林を清滝川なる渓流に降り、高雄橋を渡って楼門に向かうのだが石段が整備されて入るが一寸した山歩き気分である。

拝観料を払って楼門をくぐり境内に入ると眼前は白い砂が敷き詰められた広場の趣だが、右手が直ぐ山林になっている。山裾と平地に幾つもの堂塔が点在するのが見える。同党が点在する山裾は楓をを主とする広葉樹の若葉が陽に輝いて美しい。紅葉で有名であるのもさもありなんだ。境内には人影が殆ど無く、広い境内を1時間半ほど散策したが行きあった人は5人しかいなかった。金堂に登っていくと賽銭箱の脇にお坊さんが一人習字の練習をしていたようである。


他に誰もいないのでこのお坊さんに聞くと、本堂の中は誰でも自由に上がれるとの事。早速内陣に上がって国宝の阿弥陀如来像を間近に拝んだり、これ又国宝絵画の源頼朝像の模写を観たりした。最後に家内安全を祈願して護摩を金千円で納めて坊さんにいろいろ聞いてみた。未だ若そうだがここの守をしているだけに、ご本尊の遷移や文覚上人と後白河上皇のいざこざから更に流配地での源頼朝との出会い等々の故事来歴については立て板に水で、パンフレットを読むのとは一味違う面白さがある。言わば平家物語の琵琶語りを聞いているような感じだ。

他にも、頼朝から広大な寺領を寄進されたのは良いがこの山寺に檀家は1軒も無い事、現在住職1名と高野山から派遣されたこの若い坊さんの2名だけで全山を守っている事、観光収入だけが頼りで如何に宗教法人とはいえ固定資産税も馬鹿にならない事?、国宝は扱いに厳しいルールがあるので頼朝像は京都博物館で預かってもらっているが秋の虫干しの5日間しか一般公開が出来ない事など俗な話をしたり、写真を撮ってもらったりして長居をした。

金堂を後に下の方に降ってくると清滝川を見おろす「瓦け投げ」なるビューポイントがある。京都市街地から幾らも離れていないと思えないほど山あいを深く感じさせるのは不思議でもある。ここを辞したのち再び清滝川の渓谷沿いに遡りハイキング気分で「西明寺」と「高山寺」の二寺を巡る。新緑に深く包まれた山寺に何とも言えない清々しさを感ずる事が出来た半日だった。

ホテルに戻ると大坂時代の同僚二名が待っていてくれて、久闊を叙しながら遅くまで酒を酌み交わした。嘗ての同僚も殆どがリタイアしているが皆それなりに元気で居る様子などを聞いて安心もした。ついでに明日のお薦めと言う事で、帰京前にJR奈良線で一駅のところにある「東福寺」拝観を薦められた。ここも紅葉の名所だそうだが、イサム野口が絶賛した庭園が見ものらしい。早く帰る必要も無いので、午前中に早速行ってみた。なるほどここも素晴らしい。


信州の田舎育ちでお寺と言えば善光寺、もう少し頑張っても鎌倉の諸寺くらいしか知らないので、京都の寺は先ずそのスケールに圧倒される。ここは修学旅行の生徒が自由行動で来ている風情があり、タクシーの運転手さんらしき人が四,五人相手に解説をしている。その横で聞いていると案内板に書かれていない事など聞けて面白い。例えば国宝の三門があるのだが、これは巨大な建造物であるにも拘らず金釘は一本も使用していない事、三門の柱はケヤキで静岡県から運ばれている事、一本のケヤキから四本の柱が取られている程の大木は室町時代富士山の麓にしかなかったのだそうだ。等など・・・

ここもいろいろ見所はあったが、小生は山寺の静寂の方がよりインパクトがあったのかもしれない。

2010年6月1日火曜日

「のぞみ」と「ひかり」

天気がやっと良くなった。梅雨が来るまでの一瞬であろうとの予測で、婆さんにも薦めれて明日・明後日と京都にぶらり旅に出かける事にした。関西に出かけるのは本当に久しぶりの事だ。大阪に6年も居たが仕事一筋(?)だったので、関西の名所旧跡の殆どを見ていないと言っても過言ではない。これからの短い人生で巡る事が出来る場所はたかが知れている。特にどこを見たいと言う事も無いが、今回は「私本太平記」を読書中でもあるので頼朝ゆかりの神護寺にでも行ってみようかと思っている。

夕方には大坂時代の仲間、往時は毎晩のように飲み明かした同僚が京都市内に安酒場を探しておいてくれる筈だ。泊まるところも一応確保したし、楽しい旅になる事だろう。てな事でお次は交通機関の段取りだ。先日高校の同窓会で交通工学がご専門の日大教授講演を聞いた際、これから日本人はもっと公共交通機関を多用すべきであるとのご意見だった。その意味では、小生は自家用車も持たず普段から専ら徒歩と公共輸送機関だよりなので、優等生でもある。

そこで京都行の列車の手配し始めたところ、新幹線の「のぞみ」はインターネットの「えきネット」予約が出来ない事を知った。何れにせよ明日の話だから駅の窓口に直接行った方が早いと考え、ジパング倶楽部(JR東日本の高齢者向けサービスで通常は3割引きでチケット購入が可能)の手帳を持って池袋の緑の窓口まで行ってきた。ジパング倶楽部の3割引きは有難いのだが、盆暮とゴールデンウィークに使用できないのが少し遺憾ではある。サービスしてもらっているくせに不満を言うのはみっともないかな。
そこでさておき・・・

京都と言えば「のぞみ」と決まったものと思ったので、行きは明日9時の「のぞみ」指定席、帰りは「のぞみ」自由席で往復の乗車券を注文した。これを受けた駅員が「(のぞみ)は割引が聞きませんが宜しゅうございますね。」と念を押してくれた。思えば窓口が空いていた事もあるが、親切な人だった。勿論宜しくないので詳しく聞くと、「ジパング倶楽部はJR東日本のサービスで、東海がドル箱の(のぞみ)については協力してくれていない。」との事。えきネットで予約不能だった事も分かった気がする。

急ぐ旅でもないので3分後に発車する「ひかり」に変更してもらい、約3,000円がとこ儲かったと喜んでいる次第。民間企業であればサービスに差があるのは当たり前だが、又少しがっかりした。いっそ「こだま」とか鈍行とかの方が面白かったかも。重ね重ねさもしい話で恐縮でした。