2010年3月31日水曜日

テレビで映画鑑賞『狩人と犬、最後の旅』

昨日の午後、ちょっと昼休みと思って衛星第2放送を付けたらこの映画が始まるところだった。久しく映画も見ていないので、どんな映画か分からないまま見始めたのだが、ぐんぐん引き込まれて1時間40分フルに付き合ってしまった。

カナダ最北部を流れてアラスカに至るユーコン川流域の大自然が残る森林地帯で、昔ながらの方法で猟をしながら暮らす高齢の狩人と飼い犬達の話である。日本の封切がいつだったかも知らないし、出演者も制作関係者にも知っているな名前は一人も無い。主人公を演じる役者さんと監督をインターネットで調べると、次のように紹介されている。

●ノーマン・ウィンター(主演):ロッキー山脈に住み、自給自足の生活を送る最後のトラッパー(罠猟師)。彼の猟のやり方は、飛行機、スノーバイク、電子通信装置といった機械の力を借りない伝統的な罠猟。
●ニコラス・ヴァニエ(監督・脚本):1962年生まれ。現代のジャック・ロンドンと称される冒険家。シベリア、カナダのグレート・ノース、アラスカを舞台にした探検にもとづいて、数々の写真集や小説、短編やTV映画を発表。更にそれらは多くの賞を獲得し、確固たる地位を築く。最近では、06年3月19日に犬ぞりでの約8000キロのシベリア横断に成功。世界的に注目を集めた。

ノーマン・ウィンターの年齢は分からなかったが、映像を見る限り60歳以上であるに違いない。兎に角実に渋い。自分達の生活をそのまま映画にしたようで、先ずユーコン川流域の四季を撮った映像に引き込まれてしまった。カナダともなると未だ未だこんな大自然が拡がっているのかと改めて感じ入った。物語はこの広大な森林に囲まれた湖のほとりにネイティブの妻とただ二人、自ら丸木小屋を作って7頭の犬と罠猟をしながら暮らす老人のお話。

タイトルにあるように猟には犬が欠かせないパートナーとなる。特に狩猟季が冬だけに、犬たちは橇を引かせる動力源として貴重であるのは勿論で、主人公は映画の中でも近代動力を一切使わない最後の猟師という設定になっている。ある秋の日、この冬の猟期に備えて町まで買い出しに(と言ってもう馬を使っても3日も掛かる)リーダー格の犬を同行したところ、犬を交通事故で失ってしまう。気の毒に思った町の友人が主人公に若い犬をプレゼントする。

この若い犬と主人公の気持ちが段々と通い合って行く過程がストーリーを貫くテーマになっている。お話も非常に巧みに構成されている。要約すると子供を失った年老いた父が孫のような子供を貰って、最初は疎んじているのだが、数々の犬ぞりのスリリングな経験を通して互いに理解し合っていく。もう全く人間ドラマと同じ事。素晴らしい雪景色の連続でスタジオ撮影らしきものは殆ど見当たらない、オールロケで制作されたのではないだろうか。とすれば-40℃にもなる極寒での撮影だから出演者も制作スタッフも大変だったに違いない。迫力は満点である。

エコと言う言葉が多流行だが、自然との向き合い方が如何に難しいかを考えさせる意味でもいい映画だった。

2010年3月30日火曜日

年金定期便

久し振りに春らしい陽気が戻ってきた。咲きかけて余りの寒さにびっくりした桜の花も、これで一気に満開に向かう事だろう。昨日年金機構から「厚生年金加入記録のお知らせ」なる書類が届けられた。前政権時代に来たものは読む気にもならない不親切なものであったが、今回は雲泥の差、月とすっぽんとはこの事だろう。当然皆さんのお手元にも同様の書類が届けられているか、届く事だろう。

記録を見ると、己の来し方が相当明確になるのである種の感慨が湧いてくる。国民年金の加入資格を得たのが昭和36年4月、資格を喪失したのが平成12年4月となっている。その444カ月の加入期間について国民年金と厚生年金及び厚生年金基金の納付実績が月別に分かる仕組みになっている。昭和38年就職して最初の月収が1万6千円、平成12年3月資格喪失直前のそれは59万円となっている。もっともらっていたと思って聞いてみると限度額らしい事も分かった。

サラリーマン時代はいろいろな会社を転々としているので、ところどころ穴があいている(未納)のも面白い。昭和36年4月から昭和38年4月に就職するまでの24カ月は未納となっているが、父が代わりに納付していたなんて事はないのだろうか?これも聞いてみると社保庁の記録では未納になっているとしか答えようがないらしい。

他にも疑問がいくつかあったので、早速電話で問い合わせをしてみたのだが受け答えが実に良い。民間とは言え流石長妻大臣指揮下にある会社だと感心した。ここで明らかになったと言おうか小生が初めて知った事を書いておく。
問「ボーナスから引かれた保険料が1回も記載されていないのはなぜですか?」
答「平性○年迄は法律で、ボーナスから引かれていた保険料は加入者の保険料として加算されず、国庫に丸々編入されてしまう仕組みになっていましたのでご了解いただくしかない。」のだそうだ。こんな事を知らなかったのは小生だけだろうか?

就職するまでの24カ月の未納期間について
問「年金機構で未納を証明する事も難しいし、こちらで納付を証明するすべもない場合はどうするのか?」答「一応お調べして、そのような形になったら第3者委員会に届けて頂き、その裁定に沿って頂く事になります。」
納付と認定されれば、例え少しでも給付年金に跳ね返る事になるのだそうだ。面白いからやってみようかという気になる。

何れせよ10数年も前に辞めた会社に連絡して、後輩の声を聞いたりして懐かしい思いが甦った日だった。

2010年3月29日月曜日

年度替り

今朝は近くの学校が全て春休みに入ったみたいで、小学生から高校生に至るまでほぼ毎朝顔を合わせていた誰とも会わなかった。友達と連れ立って歩く学生の姿は微笑ましいものだ。大方はいつも同じ組み合わせで楽しそうに会話を交わしている。高学年になるとたまに一人で歩くのも見かけるか、こちらは大抵難しい顔をしている。しかし彼や彼女でも、友達を見つけて「おはよう!」と声を掛け合う時にパッと顔に明るさがさす。彼らに会えないのは少しさびしい。来月新年度が始まると今まで見ていた子がいなくなったり、新しい顔に会う事になるのだろう。

朝、学生たちの流れと逆に歩むのが大人たちで、大人は連れがいないし、殆どの人が駅の方向に向かっていつも寡黙且つ忙しげである。ごく稀に対面にやってくる大人がいるが、これは学校の先生に間違いあるまい。小生は自宅から仕事場まで約6,7分。途中までは駅の方向であるが、半分から駅に向かう勤め人と対面する形で進む事になる。いつも深刻そうな顔をしているやや高年のおじさん、缶コーヒーを片手に煙草を吸いながら歩いている若い女性、いつ見ても眠そうな顔をした青年、こちらも大抵パターンが決まっている。勿論先方もこちらを見て「不思議な風体(たまに背広を着る事があるが、殆どカジュアルでショルダーバッグを携行)の爺さんといつもすれ違うが、どこへ行くのだろう?」と思っているかもしれない。

何れにせよ社会人になってしまうと春休みが無い。先週で今年度の仕事はほぼ終わったが、締めくくりの雑務と新年度の準備でかえって忙しくなっている。まして来月から代表職を青年に引き継がなければならないので、彼と打ち合わせるべき事が沢山ある筈だが未だ殆ど出来ていない。いつも一人でいるので引き継ぎは簡単と思っていた。ところが今朝スタッフの一人からメールで問い合わせがあり、来年度から仕事の指示とかギャランティーについてどうなるのか?との事だ。

一人企業と思っていたが、考えると結構沢山のスタッフに依って支えられている事を改めて認識する。全員を直接指揮してきた感じなので、小生と交代する人間には当然だが、指示を受ける側にも丁寧に説明しなければならない。今日からこの仕事が加わったので益々忙し訳だ。結局月が変わっても、朝は当分今の生活リズムを維持する事になりそうだ。しかし昼間は仕事から解放される時間が増える筈。さて何をするか、春休みでも取ってゆっくり考えたいが、仕事が次から次へと来て今日もゆっくりする時間が無かった。

2010年3月26日金曜日

人は愛するに足り、真心は信ずるに...           澤地 久枝, 中村 哲 共著

ペシャワール会と中村さんについては報道を通してぼんやり知ってはいた。又澤地さんも好きなドキュメンタリー作家の一人である。たまたま今週の初めこの本が目にとまったので早速読んでみた。
報道だけでイメージしているのと纏まったものを読むのではインパクトが全く違う。改めて中村先生に対する畏敬の念が高まってこざるをえない。

先生と書いたのは畏敬の念もあるが、元々お医者さんでもあるからだ。25年以上長きに亘ってアフガニスタン東部に於いて、地元の人々のために黙々と用水を掘り続けているのがNGOペシャワール会の活動である。先生が現地を訪れたきっかけは、1982年青年医師として大牟田に勤務していた先生に「日本キリスト教海外医療協力会」からパキスタン勤務の話が持ち込まれる。

任務は医療一般であった筈が、選びようも無くハンセン病の医師となる運命が待ち構えていたのである。以来今日に至るまでの道のりと先生の使命感と言うか生き方には深い感銘を受ける。内容については詳しく触れないが、大勢の人に是非読んでほしい。

先生は、私にとっては【花と竜】が懐かしい作家の火野葦平さんの甥ごさん。静かではあるが物凄く男らしいものを感じるのも血筋かもしれない。又、アフガンに根付かれたもう一つの理由に山好き、昆虫や生き物が好きである事上げている。クリスチャンでありながらイスラム教の真っただ中で地元で多数の人から尊崇の念を以て見られているのが何故かを政治家は理解できないらしい。


2010年3月25日木曜日

軍人の政治的発言

自衛隊の幹部が日米共同訓練の開始式で「同盟は『信頼してくれ』などという言葉だけで維持されるものでもない」と発言した事を受けて防衛相が注意処分の上今回人事異動をしたところ、自衛隊内部のあちこちで「この発言した連隊長の行っている事は間違っていない。鳩山首相がいい加減。」といった首相を批判する声が公然化しているようだ。中には副大臣あてにメールを送ったとか、中堅幹部が部下を前にしての訓示で同様の趣旨をぶちあげているケースも報道されている。

総理大臣の発言「トラストミー」が適切であったか否かは別にして、最高指揮官が部下から「いい加減な奴だ」と蔑まれていたのではとても戦争はできない。昔から組織による強制が嫌で、今では気儘な人生を送っている者ではあるが、国家的見地から最も強い組織でなくてはいけない自衛隊の話となると一言言いたくなる。

小生は民主党政権を応援している。とは言ってもマニフェストもろくに読み込んでいないので、マニフェスト違反と言ってもあまりピンとこない。しかし選挙前に言ってきた事と現実が、相当違ってきている事については人並みの理解はできている。しかしこれはある程度までは許容されるべき話だろう。半世紀以上に亘る前政権を引き継ぎながら変化していくには、少しずつ変えてゆかざるを得ないだろうし、又それなりの苦労もあるだろう。政権内部で横の連絡が取れていないで、各閣僚や政府三役と言った高官の発言に食い違いが見えたりするのも、政権運営になれない初心者運転だからこれもある程度までは仕方が無いとしてきた。

しかし今日この自衛隊幹部発言関連のニュースに接し「ここまでなめられてはまずい」と思う。民主党がどのくらいの人材を擁しているか知る由もないが、そもそも1億3千万人の中で国家国民のために役立つ人材や使える官僚なんてそんなに居る筈もない。それは分かった上で書いているのだが、民主党は「官僚即ち役人になめられ切っている」事を反省する必要がある。元々軍人は普通の役人とは少し違う規律や倫理観で律せられてしかるべきだ。特に幹部になる人間には厳しい組織倫理が求められる。

社会人になったばかりの時にお世話になった得意先の先輩から聞いた話が今でも忘れる事が無い。この方は学徒動員でビルマまで行って九死に一生を得て帰還されたポツダム大尉(中尉だったが戦争が終わってから大尉に格上げされた)だった。曰く「士官学校を出た職業軍人はやたらに威張り散らすので嫌いだった。喧嘩をした事もあるぐらいだ。しかし感心したのは、彼等は死ぬ事だけは何とも思っていない事だ。厳しい撤退をしている途中、殿に敵が迫ってくると誰かが犠牲にならなければならない。こんな時『よしここは俺が引き受ける。』と簡単に引き受けるのはいつも士官学校出の軍人だった。」

軍人の幹部は、「部下に死を命ずるのを躊躇しない事、自分の命も常に空しゅうして九牛の一毛の軽きに置く事」この二点の精神的土台がなければ勤まらない。これが昔も今も軍人教育の基本でると思う。だが実際の自衛隊幹部教育となると、命のやり取りをするとは思っていないのか、教育の基本に無いのだろうか。先月からの自衛隊幹部発言に関する報道に接する限り、まるっきり普通のサラリーマン感覚か、暇な爺がブログでも書くような発言ではないか。もう軍人に政治的発言をするなと言っても無理な話なのか。首相が馬鹿と思うのは仕方が無いとしよう。だがしかし、「お前がそんなこと言って、いざと言う時に部下に死を命じる事が出来るのか?」爺はそれだけを問いたい。

仕方ないばかりでは済まない事がある。
現政府の大きな間違いの第一歩は宮内庁羽毛田長官の記者会見を看過した時にある。あの時小沢幹事長が「辞表を出してから言え」と言ったが、結局首にもせずお咎めは何もなかった。部下が上司の悪口を叩いて何の制裁も受けない組織がある筈もない。制裁を加えるべき立場の官房長官自身が、官房機密費公開準備を命じた首相発言に盾突いたような事を言っている。何をか況やである。党副幹事長の生方発言も同じ類の事であるのは言うまでも無いだろう。自衛隊員であれ政府の官僚であれ党員であれ、誰にも発言の自由はあるだろう。だがしかし、公私のけじめが無い発言が目に余る。

組織規律の統制無しに組織が維持できる筈が無い。現政権には内部の透明性や自由な意見発表と言う意味では良い所もあるのだが、学級崩壊状態を見ると気が気ではない。やはり首相と幹事長の二元体制が足を引っ張っているのかなぁ。
因みに不肖爺は、会社の幹部でありながら社長と見解を事にして会社を辞めた経験が3回ある。もう1回はいきなり首を切られた。これも組織になじまない事があったのだろうと思っている。

2010年3月24日水曜日

NHK杯囲碁トーナメント

東京でも桜の開花宣言が出されたと言うのに朝から冷たい雨が降っている。この春は待人の気を焦らしているようだ。しかし3月も残り僅か、ほんの一息の辛抱で本物の春になるだろう。月曜日は久し振りのハイキングもできたし焦っても仕方が無い、待てば海路の日よりの例えだ。今日は出かける用事も無かったので、終日録画したテレビ番組(NHK杯囲碁トーナメント21日放送)を見たり本を読んだりしながらだらだらと過ごしてしまった。

NHK杯囲碁トーナメントは今年度最終回で決勝戦である。 昨年の優勝者の結城聡9段VS井山裕太9段の戦い。結局結城さんが2年連続の優勝を果たしたのだが実に見応えがあった。解説の小林光一9段の解説に誘導されて最後まで井山さんの勝ちと思って見ていたのだが、並べてみると黒番結城さん3目半勝ち。盤面では10目の差がついていたので圧勝である。後から考えると途中井山さんも決して楽そうな顔をしていない。むしろ結城さんの方が苦しそうな表情に見えた。

結城さんも未だ40歳前だが井山さんは若干20歳になったばかり、ともに関西出身。大阪で碁を覚えた小生としては、両者共になんとなく親しみを感じる。実力本位の世界に生きる若いお二人には漲る精気が感じられ、見ていて気持ちが良い。囲碁というゲームは本当に観て良し打って良しで、このゲームのお陰で有意義な人生の過ごし方ができたと思っている。贔屓の棋士を決める程囲碁が分かっていないが、見ていて気持ちの良い碁とそうでないものあるのは事実。今回この碁を見せてくれた二人には心から感謝したい。

2010年3月23日火曜日

春の山


三連休前半2日間に吹き荒れた春の嵐で、我が家のテレビアンテナがへし折られてしまったようだ。テレビの映りがおかしくなったと思っていたのだが、まさか支柱が折れてしまっていたとは。表から屋根の上を見上げる事がないので気付かずにいたところ、お隣さんが「テレビアンテナが折れ曲げってぶら下がっていますよ。」と教えてくださった。風がもうひと吹きしてアンテナが飛んできたら事故が起きかねない。お隣さんは3階建てで我が家の屋根を見下ろす位置関係にあった事が幸いした。早速電気屋さんに電話をして修理と言うか交換を依頼したら、同様の話が多くて大忙しの様子。春の嵐もとんだところで景気の向上に役立っているようだ。

日曜日はお彼岸の中日、我が家には仏壇が無いので家内が月曜日に実家にお参りに行くことに。小生は墓参りで長野まで行くのは勘弁(身勝手)してもらい、近くの山に登って遥か西の空を拝んで彼岸のお参りにする事に。ここ数年シーズン初めは高尾山が多かったが、今年は少し趣向を変えて東丹沢の鍋割山にした。幸い前日までの強風も止んで早朝からお天気が期待できそうだった。6時50分新宿発の小田急線で渋沢下車、バスで登山口の大倉には8時35分に到着。晴れてはいても結構ひんやりして山歩きには最適な日和だった。

鍋割山はもちろん初めて。友人の一人が「奥多摩の山は山に入ると、山に来たとい言う感じになるが、丹沢の山は山頂に立っても、麓のゴルフ場やら町並みがはっきり見えたりするので感激が薄い」と言っているのであまり来た事が無かった。今回事前に調べてみると、奥多摩に比べると比較的アクセスが早くて安くつきそうな事が分かった。山の標高は1270m、登山口からの標高差約1000m、秦野市観光協会ホームページのコースデータには歩行距離:約16.4km、歩行時間:約6時間35分とある。山頂の感激はともかく、シーズン初めのトレーニングとしては適当に思えた。


ともあれ8時40分から歩き始める事が出来るので確かに便利である。バスには結構立っている人もいるぐらい人間がいたが、歩き始めても前後に人影が無い。大倉からは丹沢の各所へのルートがある。初めてでもあるので観光協会が紹介する最短で易しそうなコースを選択した所為でもあるだろう。ルートの最初は緩やかな林道が4.5kmほど続く。朝日に照らされても冷たい空気に小鳥の囀り、「山道も久しぶりだなぁ」と思いながらものの10分か15分で幅広い林道に出る。暫く進むと案の定車何台かに追い越される。どうも林業関係者ではなさそうだ。途中「山の木が傷んでいます。車両ご遠慮願います」の看板を見かけたが余り役には立っていないようだ。

小一時間で二俣、ここに車が沢山止まっている。ここからが本当の登山道。結構な登りが2時間ほど続く。途中どこかで休もうと思いながらも、バス停の登山口から2時間近くほど歩いた時、前に数人の人影が見えてくる。人が歩いているのを見ると益々休みにくい気持ちになるのも本当はいけない事かもしれない。標高が1000mを超えると富士山が見えてくる。流石に美しい。しかし春の天気がどこまで持つか分からないので、見えるうちにと思ってザックを下して写真を1枚。木の枝が少し邪魔だったが幸い未だ枯れ木なのでそこそこ美しく撮れたと思う。ついでに水を一口飲んで再びゆっくり歩くと10分程で山頂、11時45分だった。


山頂には小屋があって鍋焼きうどんを売っている。しかしこちらは婆さんが早起きして折角握り飯を作ってくれたので、ビニールシートの上で持参の昼飯。天気は良いのだが流石に3月、未だ寒いので上半身すっかり脱いで汗をぬぐって着替えをする。富士山も案の定殆ど雲間に隠れて頭が少し見えるだけ。写真を撮ってもらったが写真では殆ど確認できない。南に目を転ずると、友人が言っていたように俗世界が良く見える。しかしその向こうに湘南の海、太平洋が薄ら望めるのもまた一興ではないか。一瞬、ここから1時間半塔ノ岳迄足を伸ばそうかとも思ったが、思い直してやめた。45分休憩をして12時半最もイージーな来た道を降る事にする。

二俣には13時45分、大倉のバス停には14時55分到着したが、最後のだらだら下り1時間は、一人ぽつねんと歩いていると後から自家用車が「すみませ~ん」といってどんどん追い越して行くのだ。きつかったのはこの最後の1時間だったかもしれない。しかし久し振りにたっぷり歩いたおかげで夕べは熟睡が出来たし、良い春休みであった。


2010年3月19日金曜日

ドーハの勝利

先月バンクーバーオリンピックのスケート競技では随分いい気分にさせてもらったが、昨日は中東カタールのドーハ(サッカーの試合で悲劇が起ったと聞いた事はあるが何処にあるかは知らない)から結構なニュースが飛び込んできた。

ここで開かれているワシントン条約(絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)国際会議で、今月に入ってこの会議が大きく報道されてきた。と言うのは大西洋と地中海に於ける黒マグロ漁業が禁止される事が提起されていたとの話だ。聞かなくても分かるがマグロを食うのは圧倒的に日本人である。その日本のマグロ消費量の5%が地中海と大西洋から来ているのだそうだ。

黒マグロなんかそんなにしょっちゅう食うものでもないからどうでもいい。と思っていたら婆さんが「クジラもそうだけど、黒マグロは駄目、次は○○、次は××とやられていくと最後はサバもイワシもNGになるんじゃないの。」と心配していた。言われてみればそれも尤もな話でもある。予想としては日本に同調してくれる国が少ないので恐らく禁止の方向になるとの事だったので、やはり何かと日本は目の敵にされるのか、と少し心配もし始めたところだった。

ところが蓋を開けてみると、欧米勢の主張に対して先ずリビアが反対の演説をぶったそうである。曰く「提案国モナコの主張には何の科学的根拠もない。私は科学的根拠に基づいてこの提案を拒否したい。」といった趣旨だったらしい。これにアフリカやアジアの多くの国が賛意を表して、報道関係者が予想外で戸惑う程の圧倒的多数で否認に漕ぎつけたようだ。

確かにクジラと黒マグロだけであれば、食わなくても我慢はできるだろう。しかしこれを機会に食料の事を各家庭で話すのも有意義な事だろう。我が家でもいろいろ話をしてみた。「近大マグロ」とい言うものがあって、これは近畿大学が開発した養殖の黒マグロの事だと教わった。やはり食料は自給自足が大事ではないかという結論に尽きる。猫の額にも満たない庭に出来るものをよく食しているのもその故だそうだ。

景気対策や産業育成で豊かになるのは結構だが、食い物が無い事にはどうにもならんだろう。もともと日本は農業国であり、そこに近海漁獲物をプラスして食料自給をしていた筈だ。それで豊かな食文化が育まれてきたのも間違いない。小生が海外旅行を敬遠するのも食文化の違いが大きな要因である、即ち横メシは駄目なのだ。後幾ばくも無い人生だから、せめて三度三度の飯ぐらいは旨いものをといつも思っている。

ともあれ、内閣と政権政党の間がぎくしゃくしているのにうんざりもし、農水省の政府3役もぱっとしないなと思って気分も暗くなりつつあったが、この勝利は週末に明るい気分をもたらしてくれた。特に現地で良い仕事をした水産庁(だけではないかもしれない)のお役人に敬意を表したい。

2010年3月18日木曜日

卒業式

このところ毎日のように袴を付けた和服姿の女性を見る。卒業式のシーズンだ。小生、高校時代から少しぐれていたので、高校と大学については卒業式を欠席している。従って小中学校のそれしか思い出がないが、今思えば「卒業式」は甘酸っぱい感傷が漂って良いものだ。高校の卒業式に出席しなかったのは、確か先生の方からも「無理して出席しなくても良い」と言われ、これ幸いとスキーに行っていたような気がする。大学の時は式当日会場の講堂迄足を運んだのだが、悪友と出会って式場に入らずに一緒に映画でも見に行ったのかマージャン屋にでも行ったのだろうか。何れにしても残念だが後悔先に立たずだ。

中学の卒業式で言えば今迄の友人の多くと別れの日であり、なんとなく物悲しく思ったことを今でも記憶している。しかし小学校や中学校の卒業式で校長先生から何度も聞かされた「卒業式は旅立ちの日でもある。」 卒業と同時にわが胸には少しの不安と大きな期待が湧いたのも事実だったかもしれない。そしてこの作用で当日の感動か感激となり、今日の記憶に繋がっている筈だ。孫が今年小学校を卒業するが、どんな卒業式だったか後で聞いてみたい。

社会のある集団から個人として離れてゆくのが「卒業」という事にすると、中学を卒業してから高校、大学、会社を4回、合計すると6回の卒業を重ねて現在に至っている。卒業の時の不安感と期待感は、大人になっても存在していた。小生の経験に於いては「安堵感」を感じた卒業はこれまでに未だ存在していない。

今回、この3月で7回目の「卒業」を迎える事になる。今回は組織から離れるのではないので「卒業」とは言い難いかもしれない。一応代表を若い人の譲り、小生は取締役のまま相談役にでもなって安堵したいのだ。従ってセレモニーは一切無い、送る言葉も送別会も胸膨れる将来への期待感も無い。その代わりに、これ迄少しずつ小さくなりつつあるものの、いつも多少は感じた「今後に対する不安感」は無くなったようだ。

代わりに、後を引き受けてくれた青年に対する「責任みたい感じ」をどの程度に抑えようかと、思案しているとろなので、「安堵」を覚えるには至っていない。 爺になって感動も無い上に安堵も覚えずでは寂しい限りではないか。若い時から映画などで「黄昏」の美学に思いを馳せてはきたが、現実自分の黄昏に遭遇すると、何か薄っ暗くて周囲が段々見えなくなってくる。否、視野が段々狭くなってきていつ転ぶかと別の不安がでてくるのかもしれない。

山の黄昏は遠くの山脈が実に美しく見える、しかし足元が見えなくなってくるのも事実。人生も似たようなものだな。

2010年3月17日水曜日

明日の心配

小生の仕事はウェブ関係で、クライアントは公益法人が1社と言っても過言ではない。年度も最終盤に掛かって、来年度計画の打ち合わせに入っているが、何と言っても事業仕分けのターゲットにされている公益法人の事とて実に厳しいものがある。一寸でも新しい案件は全て競争入札で否応は無い。これまでの経緯や経験の積み重ねが全て金額に反映できれば問題無いのだが、言えば全て泣き言となってしまう。我が社にとってはオンリーワンクライアントだから重大だが、金額ベースで言えば大手が手を出す程の価値は無いかもしれない。しかし狙われたらひとたまりもないと思うと気が気ではない。

産業とも言えない得意先を相手に細々と暮らしている零細企業の悩みは別にして、いっちょ前に経済とか景気について分からないなりに書いてみたい。景気と言えば先ずは株の話になりそうだ。ところが持っているのは東武鉄道2千株だけで、婆さんは毎日の値動きをチェックしているようだが小生は全く関心が無い。そもそも値動きが少ないと言う事で買ったもので、食えなくならない限り売る事も無いだろう。

しかし時々経済に関する新聞記事の目次程度は目にするので、現在はデフレ状態でど、こも生産性が上がらず殆どの企業が苦しんでいて、社員の給料も上がらない。だから日本の景気は良くないし、良くならない、の認識でいた。特に国会の議論を聞いていると、現政権は全くの経済音痴で、このままでは日本の企業は全て潰れてしまのかな、と少し心配もしていたのである。野党の声が大きく聞こえすぎるのかなぁ。

ところが今日少しインターネットで少し調べてみると、昨年4月以来3四半期連続で企業収益の拡大が続いているらしい。株価も昨年末に日経平均9,000円を割り込みそうになっていたのに先週か今週あたりは10,500円を上回るようになっているようでもある。まともな大人、それも日経新聞を毎日見るような人からすれば、こんな事を書くと「今頃こんな事を言って、馬鹿じゃねえか」と言われそうだが、本当に今知ったのだから仕方が無い。不景気な話ばかり聞いていたので、企業の業績が少しずつ回復しているのであるとすれば結構な事だし、応援している現政権も経済音痴ばかりではないかも知らん、と少し安堵した。

今日読んだ記事の中で成程と思ったものを一つ引用しておきたい。
from:2010年3月15日発行JMM [Japan Mail Media] No.575 Monday Edition
[北野一さん:JPモルガン証券日本株ストラテジスト]のコメントである。

【おそらく誰も、どうすれば経済が成長するのか分からないものだから、説得力のある議論ができないのだと思います。むろん、「成長戦略」という言葉は頻繁に使われますが、「それで何をするのですか」と聞くと、大概は何処かで聞いたことのあるような規制緩和云々という話です。話がそれますが、「成長戦略」という言葉は、「企業寄りの政策を取れ」ということの言い換えだと思います。】

結局明日の事は誰にも分からないだろうし、邦夫ちゃんに「日本一頭が良い」と言われた与謝野馨の経済政策なんかも、やってきた事が支離滅裂で実にご粗末なものらしい。偉そうにしていても「成長戦略」の具体策を分かっている人間がいない、という事が分かってある意味でほっとした。

2010年3月16日火曜日

春来たるらし


昨日から今日にかけて急に気温が上がった。日曜日まで着ていたコートはおろかシャツ1枚でも良いくらいだ。昨日従妹が来た時に「東京はもう春ですね、お花いっぱい咲いています。」と喜んで、仕事部屋の近くで満開になっていたミモザを携帯で写真に収めていた。その時に「さっきは木蓮が咲いているのも見ましたよ。」とも言っていた。彼女は生け花の展覧会を見るためにわざわざ上京したくらいなので花には敏感なんだろう。


今日は散歩がてら少し周辺に目を向けると、成程春の色が濃くなっている。桜はこの2日ですっかり蕾がふっくらし始めたので、昼を食いに入った定食屋では「いくらなんでも早すぎる、入学式まで持たないのでは。」と不満の会話が小耳に入ってきた。相手の人は「明日から又寒くなるみたいだし、咲いても2週間ぐらいは持つから大丈夫だよ。」と慰めている。確かに季節感を大事にする日本人は余り季節はずれな事は喜ばないかもしれない。しかし年を取ってくると暖かくなるのは何と言ってもありがたい。


近くに小学校(既に廃校になってはいるが)と高校が並立しているので植生が多く、気を付けて見ると春の気配が濃厚に漂っている。ご近所の垣根に植わっている沈丁花の香りは少し盛りを過ぎているが、同じく家々の玄関先に並べられた鉢植えの草花は色とりどりに咲いているし、ミモザ等アカシア系の花とモクレンは正に真っ盛りだ。緋寒桜だろうか桜も数本咲いている。普段仕事の事しか頭に無いせいか?眼中に無かった春の色が陽気のせいか、昨日の従妹の言葉のせいか急に目に飛び込んできた。


これも滅多にない事だが、近くの小学校の校庭に寄り道して木蓮を携帯で撮ってみた。

「スギハラ・ダラー」手嶋龍一 著

2006年3月31日、小生がミキシに読後感を書き始めてから2番目の本が同じ著者の「ウルトラ・ダラー」となっている。評価は滅多に付けない☆2個(最低が1個だからかなり低い)。現在までに204件のコメントを書いたが☆2個は殆ど無い筈。当時のコメントは以下の通り。

>「国家の罠」著者の佐藤優氏と同じ筆法と言う話を真に受けて買ってしまった。そんな事を言っては佐藤氏に失礼だ。  北朝鮮の偽ドル作りをテーマに安手の小説仕立てにしているが、ノンフィクションでもないし小説としては三流で面白味に欠ける。全くの宣伝倒れ。  著者もジャーナリスト出身であるならもっときちんとしたノンフィクションをものにすべきだろう。<

自分でこんな書評を書きながら、同じ作家で同工異曲の書を再び購入するとは愚の極み。反省を要す。

2010年3月11日木曜日

日米間密約

今週は日米間に存在したと思われる60年代70年代の密約がニュースとして大きく報道された。当時の政治家の苦悩が偲ばれる。しかし、これを明らかにした現政権への評価はまちまちである。野党はそんなことする必要があったのか?とまで言っている。これを聞いて情けないなんて思いは通り越している。たまたま昨日『それでも日本人は「戦争」を選んだ』の読後感を書いた。この本は明治維新以降太平洋戦争終局までの近代史ざっくり解説したものだ。改めてこの読後感と密約問題をを踏まえ、自分が知る限りの日本の政治(大部分は戦後、もっと言えば東京オリンピック又は60年安保騒動以降)を振り返った実感を追加しておきたい。

戦争に勝ったアメリカは当初日本を属国化したかった事だろう。しかし連合軍として勝利し、連合軍として進駐しているので余りあからさまにはできない。その間隙をついてと言おうか、当時の日本の政治家は、必死になって国家の主権を確保すべく努力をしたように思う。結果曲がりなりにもサンフランシスコ条約で一部の国を除いては講和条約が結ばれ、日本は形式的とはいえ再び主権国家として独立する事が出来た。

しかしアメリカとすれば自国の安全保障上の見地から、形式的に日本の主権を認めながら、実質日本を属国化するべく勝利者の地位を利用して様々な仕掛けを施す。これを受けて昭和20年代から30年代初め(1945年~50年代半ば)日本人(政治家だけではないかもしれない、官僚も民間で働く人もだ。敢えて言えば学者や教師ですらそうだったかもしれない)は、これに対して押したり引いたりして抵抗しながら世界で認められる独立した主権国家になろうと努力したことは明らかである。

ただ残念ではあるが、アメリカ人の方が長期戦略という意味に於いて優っていた事が証明されつつあるように思える。終戦後65年を経た現在の日本を見る限りどう見ても完全にアメリカの属国になっていると言って差し支えないだろう。日本が韓半島を或いは今の中国を何とか属国にしようと短兵急に突っ込んで元も子も失ったのと比較すると何とも鮮やかな手並みである。今から20年ほど前冷戦が終焉を迎えた時からが、その仕上げの時期で、彼らからすれば細工隆々の仕上げをご覧じろの気分だったのではなかろうか。

戦後20年くらいは残っていたと思われる日本人の意気や気概は豊かさと共にどこかに行ってしまった。豊かである事だけが正義で貧しさはまるで罪悪視されるようになっている。利口と馬鹿の関係についても同じ事が言えるかもしれない。同胞同族兄弟意識も薄くなる一方で、まして国家の自主だの独立なんて事は誰も考えていない。自主独立は自分さえよければと解釈される。日本から見れば世界=アメリカ様であるから、アメリカからすれば頼みもしていないのにポチになってついてくる。

1930年代の歴史を読んで成程と思ったのは「支那に手を焼いて大戦になったのではない、世界を見失い孤立したから大戦に引きずり込まれた」事だ。「アメリカを見て世界を見た気になって、その先にある広い世界全体を見失うとかなり危険だよ。」と言ったら笑われそうだ。口先だけだったかもしれないが、現政権は当初そんな感じの事を少し言っていた。良い事言うなぁと思ったものだ。アメリカも「アレ、少し変だぞ?」と思ったかもしれない。しかし先ほども書いたように彼らは長期の戦略性を持っている。属国に少々の政変が起きることぐらいではびっくりしないという事か。

事実、現政権も人気が落ちてくると対米スタンスが少しずつ戻り始めている。与野党とも口を揃えて「日米関係が最重要」と枕に置かなければ外交問題が語れないようだ。冷戦が終わっているのだから「世界の中で日本国の自主性を確保する事が最重要」と発言したらどうなるのだろう?知らないうちにアメリカの属国になっているが、こちらは人生の何分の一かを生粋の日本人として生きたのでそれでも幸せとしよう。宇宙船地球号の時代、今更国家の独立だの何だのなんて言っても始まらんのか?

2010年3月10日水曜日

それでも日本人は「戦争」を選んだ 加藤 陽子 著

私の日記を読んでくれている友人takさんのお薦めで読ませて頂いた。takさんにまずお礼申し上げたい。明治時代に入ってから日本が世界との関係(安全保障と外交)をどのように捉えて具体的な行動してきたかを解説してくれる。私立高校の生徒を対象にした5日間の講演を書き起こし風に纏めたものなのでまず読み易い。内容的には歴史的なポイントを大中項目に分類して文章を立てているが、この構成が実に巧みで日本の現代史が頭の悪い老人にも系統的に流れ込むようになっている。

現代史に登場する人や事件の名前に関しては断片的にいろいろな事を知っているつもりであるが、全然本質が分かっていないと言う事が分かった。正に目から鱗の思いでもある。明治維新によって幕藩体制は引っくり返ったが、国民国家としての日本国が形成されたのは憲法が制定された1880年代後半だろう。日本国建設を担った先人が西欧の先進諸国の植民地化を避け、国の主権と安全保障を確保するための方策を考えていく中で当初は朝鮮半島の権益確保が課題となりで日清日露戦争に踏み込んで行く。

本書はこの辺から説き起こされている。歴史を左右したような日本人について様々な資料を分かりやすく平文に直して解説しているし、日本が脅威と感じていた支那やロシア更には欧米諸国が日本をどのように見ていたかについての翻訳解説が生き生きと描かれているのが分かりやすい。著者が最も得意とするところは1930年代である。現在この辺の事が実に曖昧にされているが、日本は安全保障上の危機感を益々募らせ、最初に確保した朝鮮半島から大陸内部の満蒙、北支から更には海洋を超え南方に迄生命線と称して権益地域を拡大していく事になる。

この間世界とどのような折衝が行われたかについて非常に簡潔に要点を整理してくれる。そして結局米英蘭と開戦に至る訳だ。この辺の事を子供も大人ももう一度謙虚に振り返る必要がある事を痛感する。開戦当時、いま言われるように負けると分かっていながら開戦に導いた指導者ばかり批判的に言われるが、実は国を挙げて開戦を喜んでいる事が証明されている。生きている人間は全て思い当たる事だろう。その原因たる国内政治や体制(軍事を含め)の問題点を要約すれば「戦略性の欠如」に尽きるように読める。この辺が右翼から余り誉められないのかもしれない。

本書を読んで今迄に聞いたこと無い人について随分貴重な情報を得た。その一人は海軍の軍人で水野廣徳である。彼は1929年に「日本は戦争をする資格が無い」という事を喝破している。もう一人は蒋介石の外交面を担当した胡適で彼は米ソを対日戦に引きずり込むために「日本から仕掛けられた戦争を正面から受け止めて、アメリカとソ連が助けに出てくるのを待つ必要がある。その為には2,3年の負け戦は覚悟しなければならない。」(日本切腹中国解釈論)と言っている。先の水野氏の話は毛経済ジャーナリスト石橋湛山氏の説ともよく似ている。胡適の説は初めて知ったがこれも凄い。どこの国にも訳が分かった人はいるものだとしみじみ思う。

2010年3月9日火曜日

愛子さま

季節の変わり目だから仕方が無いが、朝から雨が降って真冬のような寒さだ。幸い出かける必要が無かったので1日中部屋に籠っていたので書く程の事は無い。

先週の末突然宮内庁から、学習院初等科に在学中の敬宮愛子さまが登校拒否をされている、との記者発表が行われた。今朝になって、昨日雅子妃殿下と共に1時間だけ授業を受けられた報じられている。
当初如何なる段取りがあって東宮大夫の記者会見になったか知らぬが、学習院側と綿密な打ち合わせのもとに行われた様にはとても見えない。どっちがどうという訳ではないが、一般国民に記者会見をして発表する必要がどこにあったのだろう。女性週刊誌がどこかからネタを掴んで書いたにしても、宮内庁は黙殺すべきであったと思う。天皇陛下と中国の周近平副主席の会見設定に時にも宮内庁長官自らが記者会見を開き世の中に要らざる雑音を振りまいた。

当時長官が「陛下をお守りするのが自分の勤めだから、自分の上司に当たる政府首脳に敢えて文句を言った。」と大見えを切っていた。この時も随分おかしなことを言っていると思ったが、「文句があれば役人を辞めてから言え。」と小沢氏との喧嘩で問題の本質がずれてしまった。

あの時も思ったが、羽毛田長官の会見そのものが陛下をお守りする事から全く正反対の事だろう。陛下を或いは皇族の皆さんをお守りする立場にある者が、立場上承知した家庭内のトラブルを態々記者会見をして発表するとは何事だろう。別に右翼でも無いが腹立たしくなる。学習院側にも瑕疵があるのか知れないが、互いにどのような善後策を講じているのか、甚だ疑わしい。

政府の官僚には子供の教育についての権威者が沢山いらっしゃる筈だ。下々の学級崩壊やいじめについて蘊蓄を傾けるのも結構だが、日本で最も大切に育てられるべき愛子さまが登校拒否をされるのはそれこそ大問題ではないか。別にテレビや新聞で声高に言う必要はないが、誰か真剣にサポートできないものだろうか。学習院と言っても今や普通の私立小学校だろうから悪ガキもいるだろうし愛子さまは大変だと思う。

まして周りにいる役人が、「自分だけは特別」みたい偉そうな気分で居られたのでは余りに可哀そうすぎる。皇太子殿下の意を戴して一家を支える忠臣を据えなくては日本中が困る。当然学校側も同様だ。嘗ての乃木大将のような人はいないのかな?

2010年3月8日月曜日

政治とかね?

些か不謹慎であるが政治がまた少し面白くなってきた。「政治と金」の問題でトップとNO.2に加えて北教組の献金疑惑で追及され民主党は大苦戦である。更にマニフェスト違反数々の中には沖縄の問題も入りそうという事で可哀そうだが四面楚歌にも似た様相を呈している。これだけ与党を追い詰めているのだから対する自民党は大喜びしているかと思うとそうでもないらしい。

それはそうだろう。そもそも「政治と金」の問題は政策とは無関係の話で庶民(小生)からしたら関係のない話だ。テレビ解説者等が訳知り顔で「政治に金が掛かるのが不思議」みたいな話をしているのを聞くと「嘘だろう」と言いたくなる。何故もっとはっきりと「選挙で民意を問わなければならない民主政治には莫大な費用がかかる」とはっきり言わないのだろう?大分前の日記にも書いたが、どんな議員でも年間最低1億2千万(月額にすると1千万円)の経費が必要と元自民党議員から聞いた事がある。

はっきり聞いたのはその時が初めてであったが、「さもありなん」と不思議には思わなかった。まして政治家と個人的に接して取材している報道に携わる人間がそんな事を知らない筈が無い。最近は選挙をお祭り騒ぎに仕立てて飲み食いするような輩は皆無になって、選挙事務所での飲み食い経費は減っているようだ。しかし電話代や印刷経費を含め選挙事務所を構え公職選挙法則った人間を手配するだけでも結構な経費が掛かる事だろう。それこそ2世議員でも無い限り、普通の人間にはとても選挙なんかする気も起きないのが当たり前だ。

未だ政治家本人から直接聞いた事が無いので、真偽の程は定かではないが、国政選挙に1回立候補すると最低でも数億円の経費が必要になるらしい。そこをかき口説いてこれぞと思う人間を決心させるには、各政党は相当に頑張らなくてはなるまい。見込んだ候補者が1発で当選を決めてくれれば良いが落選となると、次の選挙までの期間を手当て(民主党は年間1千万円と聞いている)する必要があるので、衆議院のように4年待つ事になればこれ又馬鹿に出来ない金額だ。昨年末に元自民党議員から聞いた限りでは、自民党では未だその手当の額がはっきりしていないとの事だった。昔の自民党ではこれを派閥が背負って面倒見ていたのだろうが、今の派閥にはその力もないだろう。彼自身は名門資産家の御曹司で世襲議員の典型だが、彼でさえ少し不安そうな顔をしていたのが印象に残っている。

小生の知る情報は全て長屋の井戸端会議か床屋政談のようなもので論拠がいい加減だが、千人近い国会議員とその周りで飯を食っている人の数が一体何人になるかは分からない。しかし、現役議員1人の経費が1億円としても1千億円だ。議員歳費の約400億円と300億円強の政党助成金以外に相当なお鳥目が無いと、議員の皆さんは食っていけない仕掛けになっている事は歴然としている。平たく言えばその大部分は企業団体から召し上げているものだろうから、誰が言おうと「政治と金」は目くそが鼻くそを笑うに等しい。そもそも「政治と金」は自民党のお家芸だったのだから、予算委員会の大半を潰して元大臣諸侯が絶叫するのを聞いて白けているのは小生ばかりではあるまい。

枕が長くなってしまった。書きたかったのは自民党が「政治と金」で吐いた唾が我が身に降りかかってきて、自民党に金が回らなくなって政治家個人の本音が露呈し始めている事についてだ。金が無いと気取った事は言っていられない。先週あたりからもっともらしい理屈で新党に関する発言が相次いでいる。言い換えれば金の無い自民党に用は無いと言う事だろう。小沢一郎が嘗て「自民党は共有する理念も政策もなく、権力の座にあると言う1点で寄り集まっている政党だから、政権の座から滑り落ちればあっという間に崩壊してしまう。」という意味の事を言っていた。権力の座から滑り降りて半年しか経っていないが崩壊が始まっているのかもしれない。表では綺麗事のように装って誰も言わないが、谷垣さんでは配るお金も無いしお金を集められないから駄目。が見え見えでは。

しかし新党を立ち上げると言ったって先立つものはどうするのだろう?「みんなの党」がどこに党本部を構えているか知らないが、渡辺喜美氏も金集めには苦労しているだろう。嘗て金丸信が言ったと記憶するが、「政党一つ立ち上げるには最低30億円必要」との事だ。確かに党本部一つ構えるにしても沖縄や北海道に置くわけにもいかず相当な資金がすぐに必要だろう。新党は結構だが理念政策より先立つ事は資金の心配だろう。そこでまた鳩山邦夫がどうのこうのなんて事も言われ始めている。しかし幾らもの好きでも、政権の座にすぐ就くことは難しい新政党に鳩山家も金なんか出すかな?

こんな世相を見て面白がってはいけないとも思うが、建前と本音が垣間見えるところに面白さが出てくる。真面目に言えば、政界が混乱して小党乱立という事になれば役人が益々喜ぶのでは、と心配にもなる。今回の政変で政治は誰がやっても、官僚の首をすぐに挿げ替える事は難しいし、政策は急に変わり映えがしない事が分かってきた。しかし政党の持つ理念によって社会のあり様を遠くに目標として定めることは可能だろう。何れにせよ政界再編第2幕の幕開けが近そうだ。鳩山総理の理念については幼稚な話としてけなす向きも多いが、今後は徐々に理念の重要性も再認識されるようになるだろう。

一方で「民主主義は数、数は力、力は金」も変わらない真理である事も事実。理念、政策、力を兼ね備える立派な政治家の出現を待つのは今のところ無理な相談みたいだ。自分の事は棚上げにして現在のように理念政策と無関係なバトルを繰り返していては、百年待っても国民のための政治は出現しないだろう。間違うと共産党以外の政党は政権につけなくなる。期待を込めて言えばそろそろ「政治と金」を終わりにして、まともな政策課題に取り組んでほしい。その第一は政治家の数を減らして政治家の質を高める事に他ならない。我が家の有権者2人の希望だ。

どうしてこんな簡単な事が出来ないのか、不思議でならない。

2010年3月5日金曜日

旧友との友人関係

朝は昨日と大差が無い寒さだったが、昼間は天気予報通りにシャツ1枚でも過ごせそうな暖かさになった。これで明日は又寒さが戻るそうだ、まあそう簡単にうまい具合に行く筈もないが少しがっかり。昨晩久し振りに未だ現役で活躍している友人から食事をご馳走になった。昔はしょっちゅう誘ったり誘われたりして飲み歩いた仲ではあったが、今では仕事では全く付き合いが無いのに、時々声をかけてくれる。全く出来た人で有りがたい事である。赤坂の料理屋で高級な和食を肴に意地汚く日本酒2合+ウィスキーのオンザロックまで飲んだせいで、今朝はなんとなく二日酔い気分だ。少しあさましかったかな。

久し振りに赤坂界隈を少し歩いたが、旧TBS跡地再開発がすっかり終わって町の様相が一変している。まるきりお上りさんの気分になってしまった。景気が少々悪いと言いつつも流石東京の中心部は違うなと思わざるを得ない。現役の友人から仕事の話を聞いても、環境の変化はさることながら仕事の進め方も大分様変わりをしているようだ。正に激流に例えてもいいようなビジネス世界で、未だに若い後輩の先頭に立って元気に働いている友人には敬意を表するしかない。

半分隠居みたいにのらりくらりと過ごしているだけので、昔話なんぞしても仕方が無いしこちらから余り面白い話は提供できない。親戚でもないので家族の話もすぐ終わる。昔は一緒にゴルフをした仲だが、こちらが足を洗ってしまっているので、これも長く話を持たせられない。最後は読書の話になった。彼は仕事もばりばりしているのに大変な読書家でもある。次から次へといろいろな本の話が出てきた。何冊か推薦をしてもらったが、彼の薦める本は結構読みでのあるものが多い。昔は推薦された本を読んだりしたが、これから彼が推薦するような本に取りつく気力がこちらに残っているかが問題である。

とは言っても彼も同い年、そう遠くない日にはリタイアする事になるだろう。帰りの車まで手配をしてもらい帰宅。車中一人で考えた「会社を転々としたために会社OBの付き合いが殆ど無いに等しい。代わりに仕事を通じてできた友人と未だに食事を共にする事が出来るのは有りがたいことだ。しかしこのように食事ができるのは後何回くらいだろう?彼はリタイアしてしまったら海外に行ってしまう可能性もある。後期高齢者という言葉は1回も出なかったが、75歳位になるとお互い大分よぼよぼするだろう、では意見が一致してたな。とすると年に1回として後5回という事か~」

今日改めて考えると、年齢とともに友人と会う機会が減るのはやむを得ない。たまに会っても現役時代とはスタンスが変わっていく。会う機会がむしろ増えて、互いのスタンスが変わらないのは学生時代からの友人だと改めて感じた。

2010年3月4日木曜日

婦唱夫随

江戸時代の浪人に例えれば傘張り内職程度の仕事であっても、現代社会に於いて会社を名乗って仕事らしき事をしていると年度末月ともなると何かと雑用が増える。お陰で昨日は日記を書く時間が無くなってしまった。今日も夕方出かけなくてならないので、中途半端な時間だが早めに上げる。現代社会には様々なルールが敷かれ、老若男女従わなくてはならない規範が多い。今朝のニュースに接して思った事がある。

何でも昨日の参議院の予算委員会で大臣が3人が遅刻して定刻に着席できず、与党議員から厳しく突き上げられて開会が15分遅れたらしい。自民党総裁の当事者能力に英語で疑問符を突き付けたねずみ男がここぞとばかり大声を張り上げていた。拙宅の婆さんも「政府も予算の見通しがたったので少したるんでいるかもね。」苦い顔をしている。続いて、「しかも原口総務相がツイッターなるものをしていたみたいよ。」という事から話が拡がった。

爺「それは問題だな、あの手のものは否定しようにも送信時刻がはっきり残ってしまうし。コミュニケーションの連鎖で止めどなくなる可能性がある。ルールに基づいた時間管理が厳しく求められる政治家があんなものをやってはいけないと思う。似たようなものだが俺は暇つぶしにブログをやっている。これはこっちが勝手決めたルールで、日記だから1日1回、仕事のけじめがついたところでと決めている。」

婆「それは良いとして、政治家がインターネットの世界に入っていくのは考えもののようよ。昔、加藤の乱が起きた時、頭が良いとされている加藤紘一が判断を間違えたのはどうもインターネット情報に頼り過ぎたと言われているのよ。当時からインターネットの世界では彼の許に彼を支持する意見が多数寄せられていたため、世論は自分を支持していると信じて判断を誤り、森や野中みたい古いタイプの政治家にあっさりやっつけられてしまったわけよ。」

爺「彼が当時からPCを駆使していたら確かにその可能性はあるな。俺もここ数年インターネットで様々な意見を見るようになったが、確かに自分に都合のよい情報をえり好みしているようだ。まして政治家のホームページなんぞは支持者からの投稿が圧倒的多数になるだろう。政治家が民の声をPCだけで汲み上げる事が出来ると勘違いすると相当に危険だ。」

爺はどちらかと言えば新し物好きかもしれない、しかし何でも新しいものが良いと言う訳ではない、婆さんが言う通りかもしれない。趣味や性格が爺とは相当に異なり守旧という事では相当頑固な婆さんだが、テレビだけはよく見ていてくれる。毎日主なニュースについては朝晩解説付きで報告してくれるので大助かりだ。

因みに今朝他にレクチュアを受けたのは、スポーツ関連予算が省庁別にみると縦割りの弊害で、文科省だけでなく、たしか厚労省、総務省、経産省、国交省等に細分化されて物凄く沢山の無駄が存在している事。長野のボブスレーコースが廃止される事に関連して教えてもらった。も1点は失業者数が減ったという統計が発表された事。仕事部屋に来てそれこそインターネットで調べてみると成程その通りだ。

景気が良いか悪いかの判断指標にはいろいろあるのだろうが、失業者(働きたいのに職が無くて働けない人のことらしい)の割合を見るのが素人には分かりやすいように思う。本当に失業率のトレンドが低くなっていけば婆さん言う通り結構な事だろう。しかし現実、昨日久し振りに銀座を歩いていると、あの店もこの店も店仕舞いが多い。この風景が2ヶ月後の統計に反映されるとしたらと思うと素直に喜べない。

ニュースを見ながらこんな話をしている時、FC EXPO(電池業界の展示会)開催関連のニュースが流れた。詳しくは改めて書きたいが、これは面白そうだ。我が陋屋に太陽光パネルを設置する気は夫婦共に毛頭ないが、婆さんが買いだめしている電池の持ちが良くなれば、庶民の生活も相当に変わる事だろう。何れにせよブログのネタの多くは婆さんに依存している事を改めて感じた。

2010年3月2日火曜日

「武装解除」紛争屋が見た世界 伊勢崎賢治 著

著者についてはテレビで何回も見ているので、嘗てアフガニスタンで「武装解除」の仕事をした事は知っていた。しかしどこの依頼又はどんな資格で行ったかについては深い関心は持たなかった。この本によると日本政府の依頼だったそうで、日本政府も結構あじな事と言うかやばい事にもコミットしている事が分かった。

平和日本の申し子みたいなもので戦争とか紛争と全く無縁の世界に生きてきたので、現実の戦争んついては全くイメージを持つ事が出来ない。しかし著者も指摘する通り、現実世界には国家間、種族民族間或いは紛争の種はもっと存在するのだろうが常に戦争(人間同志の殺し合い)が行われている。当然紛争が一旦終息した地域に法と秩序を回復させる作業が必要になる。多くの場合この仕事を行うのは主に国連で、国連平和維持軍やNGOが実務にあたっているようだ。世に紛争のタネが尽きないので、紛争とその後の開発を請け負うNGOが一種の業界化して、肥大の一途を続けているのも皮肉な事のようである。

著者は早稲田の建築科の出身でありながら、生い立ちの少し変わっているせいもあり、面白い性格で大学卒業早々に建築家志望を捨ててインドに留学して、ここで偶然であろうかコミュニティーオーガナイズ技術を習得してNGOの世界に入っていく。先ずアフリカのシェラレオネを皮切りに、東チモール等所在地すら分からないような辺境の地で長年紛争の後処理に従事、40歳代後半に日本に帰国、やっと立教の教授に落ち着いたところですぐに(2002年)外務省から声が掛かって、アメリカがタリバン政権をやっつけた後のアフガンで何ができるかの調査を依頼される。

これまで著者はアフガンについては何も知らず、関心も持っていなかったようだが、この調査をきっかけにして日本政府がアフガンでアメリカに対して協力姿勢を示すための片棒を結果的には担ぐ事になる。それがNGOとしてシェラレオネ等で経験を積んできたDDR(武装解除、動員解除、社会再統合)と言う訳だ。しかし日本の官僚と政治家がこの実際的なプロセスを知らないのは仕方が無いとしても、彼等には日本が海外の紛争地域にどうコミットすべきかについての定見が全くなく、ただ同盟国のアメリカさんについていけばいいという考え以外に無いことを示唆している。日本に於いても個人的には著者同様にNGOとか、もっと違う立場でも国際的な貢献をしている人は沢山おられるようだ。

しかし日本のお役所仕事はそういった人たちの考えを旨く吸い上げる事が出来ないし、更にいけないのがマスコミで、著者は日本のマスコミについて先の大戦当時の大本営発表に擬えている。同時に海外への軍隊(即ち自衛隊)を武器傾向で派遣に反対する立場を明確に書いている。私は冒頭書いたように紛争や戦争の実態について全く知らないし、憲法解釈などにも全然興味はない。しかし2004年に発行された本書を読んで日本人の国際貢献、もっと狭い範囲で言えば自衛隊の国際貢献のありようについて考える上で大変参考になった。

2010年3月1日月曜日

チリで大地震発生

賑やかだったオリンピックもやっと終わった。経済が具合悪いとか不景気とかでスポーツまでパッとしないのは残念でもある。それにしても韓国は我が国と比較すると圧倒的な強さだ。人口が日本の半分以下でもメダルの数は金6個を含む合計14個で日本の銀3個銅2個合計5個の3倍近い。経済が上向いているからスポーツも振興するのか、スポーツに示される精神力・体力の強靭さには他の理由があるのか、私にはよく分からないが我が国のリーダーには研究してもらいたい。

話が変わるが、昨日チリの地震の影響で日本に朝から津波に関する警報が発せられた。我が国への津波の到着は午後1時前後とされた。何でも阪神淡路地震の30倍のエネルギーが襲ったとの情報もあった。

テレビでのいち早い津波警報は結構だと思うが、夕方に至るまで終日警報関連の情報が流れぱなしだったようだ。夕方帰宅すると婆さんがぷんぷん怒っている。そんなに怒る程のものかと思ったが、夕食後習慣になっている囲碁番組の録画を見始めてこちらも頭にきた。極端に言えば画面右下4分の1ぐらいが日本地図に覆われてしまっている。これで碁盤の4分の1が見る事が出来ない。囲碁は1手の着手によって碁盤全体の風景ががらっと変化するのが面白みで、碁盤の一部が見えないと話にならない。

自分に関係が無い時はピンとこなかったが、成程婆さんの言うのも尤もだ。婆さんは「関連情報は教育テレビでご覧ください」と小さなテロップでも出して、詳しくは3チャンネルでやればいいと言う。個人的にはこうされると囲碁番組が見難くなる可能性が益々高いので困った事ではある。しかしメディアの横並び体質もさることながら、各局ともデータ放送なども含め何チャンネルも持っているのだから、もう少しメリハリのある事を考えるべきだろう。

今日はこれから出かけて帰りが遅くなりそうなので早めに日記を書いた。