2010年3月11日木曜日

日米間密約

今週は日米間に存在したと思われる60年代70年代の密約がニュースとして大きく報道された。当時の政治家の苦悩が偲ばれる。しかし、これを明らかにした現政権への評価はまちまちである。野党はそんなことする必要があったのか?とまで言っている。これを聞いて情けないなんて思いは通り越している。たまたま昨日『それでも日本人は「戦争」を選んだ』の読後感を書いた。この本は明治維新以降太平洋戦争終局までの近代史ざっくり解説したものだ。改めてこの読後感と密約問題をを踏まえ、自分が知る限りの日本の政治(大部分は戦後、もっと言えば東京オリンピック又は60年安保騒動以降)を振り返った実感を追加しておきたい。

戦争に勝ったアメリカは当初日本を属国化したかった事だろう。しかし連合軍として勝利し、連合軍として進駐しているので余りあからさまにはできない。その間隙をついてと言おうか、当時の日本の政治家は、必死になって国家の主権を確保すべく努力をしたように思う。結果曲がりなりにもサンフランシスコ条約で一部の国を除いては講和条約が結ばれ、日本は形式的とはいえ再び主権国家として独立する事が出来た。

しかしアメリカとすれば自国の安全保障上の見地から、形式的に日本の主権を認めながら、実質日本を属国化するべく勝利者の地位を利用して様々な仕掛けを施す。これを受けて昭和20年代から30年代初め(1945年~50年代半ば)日本人(政治家だけではないかもしれない、官僚も民間で働く人もだ。敢えて言えば学者や教師ですらそうだったかもしれない)は、これに対して押したり引いたりして抵抗しながら世界で認められる独立した主権国家になろうと努力したことは明らかである。

ただ残念ではあるが、アメリカ人の方が長期戦略という意味に於いて優っていた事が証明されつつあるように思える。終戦後65年を経た現在の日本を見る限りどう見ても完全にアメリカの属国になっていると言って差し支えないだろう。日本が韓半島を或いは今の中国を何とか属国にしようと短兵急に突っ込んで元も子も失ったのと比較すると何とも鮮やかな手並みである。今から20年ほど前冷戦が終焉を迎えた時からが、その仕上げの時期で、彼らからすれば細工隆々の仕上げをご覧じろの気分だったのではなかろうか。

戦後20年くらいは残っていたと思われる日本人の意気や気概は豊かさと共にどこかに行ってしまった。豊かである事だけが正義で貧しさはまるで罪悪視されるようになっている。利口と馬鹿の関係についても同じ事が言えるかもしれない。同胞同族兄弟意識も薄くなる一方で、まして国家の自主だの独立なんて事は誰も考えていない。自主独立は自分さえよければと解釈される。日本から見れば世界=アメリカ様であるから、アメリカからすれば頼みもしていないのにポチになってついてくる。

1930年代の歴史を読んで成程と思ったのは「支那に手を焼いて大戦になったのではない、世界を見失い孤立したから大戦に引きずり込まれた」事だ。「アメリカを見て世界を見た気になって、その先にある広い世界全体を見失うとかなり危険だよ。」と言ったら笑われそうだ。口先だけだったかもしれないが、現政権は当初そんな感じの事を少し言っていた。良い事言うなぁと思ったものだ。アメリカも「アレ、少し変だぞ?」と思ったかもしれない。しかし先ほども書いたように彼らは長期の戦略性を持っている。属国に少々の政変が起きることぐらいではびっくりしないという事か。

事実、現政権も人気が落ちてくると対米スタンスが少しずつ戻り始めている。与野党とも口を揃えて「日米関係が最重要」と枕に置かなければ外交問題が語れないようだ。冷戦が終わっているのだから「世界の中で日本国の自主性を確保する事が最重要」と発言したらどうなるのだろう?知らないうちにアメリカの属国になっているが、こちらは人生の何分の一かを生粋の日本人として生きたのでそれでも幸せとしよう。宇宙船地球号の時代、今更国家の独立だの何だのなんて言っても始まらんのか?

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