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10月, 2012の投稿を表示しています

我が日常

ブログはボケ防止にもなると思うので、極力平日の5日は毎日書きたいと思っている。しかし、いわゆる日記のように生活の記録みたい事を書くばかりでは、変わり映えの無い日常なので、子供の頃の夏休みの宿題と同じで毎日同じ内容になりかねない。そこで無理をして随筆風と言うか雑感みたいことを書くためにテーマなんかを決めて見たりしている。ところが元々知識が少ないうえにのインプットも少ないので書くことを探すのが一苦労である。

昨日は夕方までネット囲碁に夢中になってしまい、ついにブログをさぼってしまった。これだけのことで少し後ろめたさを感じてしまうのだから、我が日常のよく言えば規則正しいことの証明みたいものだ。広告会社勤務の現役時代、起床から自宅を出て会社に出勤するまではルーティン化されていたが、会社に着いて帰宅するまでの半日以上は毎日が千差万別、何が起きるか分からない楽しみもあった。

当時は毎日大学ノートに業務日誌みたいものを書いていて、辞める時には相当の冊数になっていたが、何時だったかすべて焼却処分してしまった。時々何かの拍子で、当時を思い出したいと思うことがあるが、もう叶わない。考えてみると、文字に書き残す習慣があったからそうなのかもしれないが、記憶力がよくない。特に一晩寝てしまうと大概のことは忘れてしまう。今もこうやって一所懸命書いているこのブログなるものも、忘れるために書いている気がしないでもない。

読後感なんかは特にそうだ。読み終わって翌日にさっぱり忘れてしまうなら、何のために読んでいるか分かりはしない。「ごはんを食べて排便してまた腹が減るなら最初から食わないでいた方が合理的」とは言えないから、何がしかの栄養分が脳みそにこびりつくことを期待する他ない。今朝見ていたテレビで石原慎太郎氏の海馬は50歳代と太鼓判を押した医者がいた。

我が頭の中を診察してくれた脳神経科の先生は「あなたは痴呆とまでは言いませんが、海馬は年相応に委縮が始まっています。」と太鼓判を押した。人さまざまだから、石原氏のことは偉いものと感心しておこう。でも口惜しいから「こちらの脳みそは毎日シェイプアップしている」と思いたい。体型についても同様だ。仕事をやめて暇になっても、毎日少しずつ運動する努力を続けているので、三食きっちり食べていても10年前に比べて7㌔減らした体重を維持している。

いつまで続くか分からないが…

人の命は儚くて

昨夜来の大雨が上がって清々しく気持ちのいい秋晴れになった。今週半ばには11月、カレンダーも最後の1枚となる。昨日は年賀状の必要枚数を聞かれた。去年と同じでいいよと言ったら「そんなことはないでしょう、あの人もこの人も亡くなったし、これから喪中の通知が増える筈よ。」とのこと。成程と変なことに感心していたら、床屋の待合時間に何気なく見た新聞がプロ棋士の宮本直毅さんが亡くなったと報じていた。

77歳とのこと、サラリーマン大阪時代に囲碁に興味を持つきっかけを作って頂いた方である。東京に戻ってからもずっと年賀状を頂いていた。書道に精進されていたので、いつも筆太な味のある書が画かれたものであった。来年からその年賀状も見ることができないと思うと寂しく思わざるを得ない。宮本先生の豪快な人柄を思いだしながら密かにご冥福を祈った。

このところ毎年のように枚数が減っているが、今年の年賀状もまた昨年より10枚以上は減らすことになるのだろう。中元や歳暮も年を追って減らしているが、やがて全てがゼロになる時までこちら生きるかどうか、家計が持つかどうかとつまらぬことを考えてしまう。ここまで来るとそろそろ相当な不義理をしても、相手にされなくなるだけで彼我共に何も問題はないかな?己に都合よく考えたりしてみるが、これも結構難しい問題である。

自分の大問題と比較して思うのは、やはり再会された茶番国会のことだ。政治家は口を開けば「日本の危機、もう時間は無い」みたいこと言うが、長嶋茂雄氏の名セリフと同じで「日本は不滅、永遠です」だと思う。時間が残されていないのは期限が決められている政治家自身の筈だが、全然わかっていない。己のすべきことを見失って他人の瑕疵をあげつらう彼らに国家の問題意識が有ろう筈もない。

錯覚か単なる惚けか

高齢者が運転する車での交通事故の報道が後を絶たない。せめて自分は人様のご迷惑にならぬよう車の運転は諦めたが、住まいの関係等を考えるとそうもいかない人は多い筈。従って高齢化社会の宿命と諦めるしかないのだろう。
人生50年の時代に生まれ、図らずもか有難いことにか、古希を超え高齢化社会を目の当たりにしている。周りは老人だらけで、何時お迎えが来ても不思議はないのに、まだまだ元気そうな人が多い。

正に己もそうで、「まだ何かやれる、大丈夫」と錯覚しているのは否定できない。一人での山歩きなんか典型的な所作だ。でも婆さん曰く「あんたの山歩きは孫や家族の為になるのだから、多少の錯覚は許される。」と嬉しいご託宣だった。錯覚で迷惑なのは80歳の老人が誰も頼まないのに「何で俺がやらなきゃならんのだ。若い君たちもっとしっかりしてくれよ。」てな科白を吐くことを指すらしい。高齢者が運転する必要もないのに高速道路でスポーツカーを乗り回したら事故を起こしかねない。

政治の世界は特殊な世界だろうから事故は起きないだろう。それにつけても普通の人でも齢80ともなると、意見をしてくれる人はいないだろう。ましてや、20歳代にして天から和尚で他人様や社会のことなど何一つ知らずやりたい放題をしつくしてきた老人の暴走だから、これも敬してと遠ざけるべきだろう。しかし何故かマスコミの皆さんは近寄っていく。これが不思議でならない。それでも流石に今朝8時TBS系列「関口宏のサンデーモーニング」ではゲストの河野洋平氏が石原慎太郎氏について強烈な批判をしていた。

39歳にして自民党を飛び出し新自由クラブを立ち上げたわけだから、今にして思えば大したものだ。総理になれなかった自民党総裁と些か軽く見てきたが、今朝の話を聞くかぎりかなりまともと見直した。年齢も未だ75歳だし議員バッジを外しているのもいい。元議員のコメントを素直に聞けたのは珍しいことだった。役目を終えても見識ある老人にはそれなりの場がある。場違いの場所に顔を出すから錯覚しているだの、死に欲をかいていると言われてしまう。

やれば出来るじゃないか

昨日は特にすることがなかったので、用も無いのに数人の友人に電話をして飯の約束(みんなゴチになる話ばかり)をしたり、先月採血の約束をしていた泌尿器科の医者に行って「風邪気味なので採血は次回に伸ばしてください。」言い訳して薬だけを貰って来たりした。その後で読後感を書いていたら、夕方になって参加しているNPO幹部から電話が来て資料作りを頼まれてしまった。

頼まれると嫌と言えない性格かもしれないが、少し不吉な予感がありつつも気安く返事をする悪い癖である。「明日朝いちばんには上げますよ。」内容はワードで整理された資料を少し整理してパワーポイントに変換すること。仕事から随分遠ざかっていたのでパワーポイントを開くのは久しぶり。大丈夫かなと心配ではあったが、他人が書いた文書の骨格だけ持ってくればいいだけなので、明日を待たず手際よくこなせたと思って、仕上がりを幹部に送付した。

ところがである。再度かかって来た電話で、挿入されている図表に少し手を入れてくれとのこと。これは面倒なので、後継の社長か元スタッフに振るべく電話をする。こんな時に限って全員今夜は手が空かないとつれない話。お金にならない仕事だから無理をいう訳にはいかない。仕方ないので自分で作業を試みる。ところがパソコンと言う代物、少しくらい経験があっても普段触っていないとなかなか思うように操作できない。年のせいか生まれつき記憶力が悪いせいかは分からないが、自転車や自動車の運転とは大分違うと思う。

先ず思いついたのが、イラストレーターと言うお絵かきソフトがあるので、これで開けば何とかなるだろうと、トライすると全く開かない。何でもそうだろうが、最初に思いこんだ道に見切りをつけるのは難しいのか?仕方がないので一から作り直してやろうと思い、帰宅時間を1時間延長して作業に取り掛かった。途中で何度も元スタッフと電話で相談しながらのことである。ところが、これもまた途中で1時間では上がらないことがはっきりした。

勿論慣れている人なら1時間もかからない筈。婆さんと約束していた8時半となると腹も空くのでやっと諦めた。飯を食いながら「今日は折角面白そうなニュースがあると思った瞬間に電話があってさぁ、このざまよ。」と言うと「あんな下らない呆け老人の老害のニュース見る価値無いわよ。」とのご託宣。それもそうだ、早寝して明日早く事務所に行こうなんて考えている…

読後感「マルタの鷹」ダシール・ハメット/小鷹信光訳

72歳の老人である自分の誕生10年以上前に書かれたアメリカのハードボイルド探偵小説、古典の名著らしい。知らずに何気なく手にしたのだが、確かに面白い。言い方はいろいろあるだろうが、高校生時代に西部劇などを見て憧れた男っぽさが生き生きと浮かび上がってくる。1920年代の終り頃といえば、日本は大正ロマン時代で何となく軟弱なイメージに持っているが、彼国ではこんな男っぽい小説が流行っていたのか先ず感心した。

こちらが大学生になったころだから1950年代終り頃から日本でもアメリカのハードボイルドな探偵ものが流行し、同時に日本でも大藪晴彦なんて作家が脚光を浴びて大分読んだ記憶がある。どれも筋書など全く記憶にないが、敵役は大抵ヤクザか不良外国人で、傭兵上がりの主人公がやたらに強く銃器に詳しかったことぐらいしか記憶にない。

当然ながら銃剣等に関する規制が厳しい日本だから、ストーリーがまるで嘘っぽくなってしまう。作者も苦労したのだろうが、現実感が無いので読者としても話に引き込まれないと言うか、波に乗れなかった。それと比較すると本書の背景はサンフランシスコ、実際に見た街の印象が甦り、80年もの時空の隔たりがあるのだから本当は違うのだろう。それなりにしっくりしてくる。

主人公(サム・スペード)の職業は探偵である。これも彼国にはよく似合い、オープンな職業に感じてしまが、残念ながら我が国ではどうしても陰湿な感じになってしまう。最初に登場する依頼人は美人の女性、この依頼を受けたことから始まって主人公が様々な危険に遭遇する。当然ながら、その危機を長年の経験と地元における顔の広さ、そしてお定まりの腕力で乗り越えていくお話。背景がニューヨークでないのも面白い。

次々に登場してくる悪人、ポリス、弁護士、ホテルマンからタクシードライバーまで、皆一癖ありそうだが、現在でも本当に居て不思議はない描き様である。ラブシーンもあるのだが、これが又変にべとべとしないで格好いい本当に主人公がこうまで男っぽく書かれた作品は寡聞にして知らない。著者はアメリカでも人気があったが、第2次大戦後の晩年は赤狩りに会ったりして不幸だったらしい。

日本でも江戸川乱歩氏は、探偵小説としては大分酷評したらしいが私には理由がよく分からない。この小説は3度映画化され、その3度目が1930年かにハンリー・ボガードの初主演で大当たりし、日本でも…

銀ブラ

遅れていた秋もやっと本格的になったのだろうか。東京でも今朝は少し冷え込んで10度くらいまで気温が下がったようだ。町に出るとマフラーをしている人が多い。もっとも最近は真夏でもマフラーをしている人がいるくらいだから、大勢の人が安心して引っ張り出したのだろう。月初にインフルエンザの予防接種はしているが、風邪は別のものらしい。声が涸れてるような気もするし鼻水が出たりする。風邪をひきやすい性質なので気を付けよう。

昼間は秋晴れで素晴らしい天気になったので、久しぶりに銀座をブラブラと歩いてみた。気のせいか外国人が一時より少ないような気がしないでもない。とは言え中高年の人出多いのは流石なものだ。昨夜だったか今朝かは忘れたが、テレビの街頭インタビューに映ったかなり高齢の女性がイヤリングをしていたので、婆さんと笑ったばかり。ところが銀ブラをしていると、そんな女性は腐るほどいる。

銀座で昼飯となると毎回のように行くステーキ屋がある。前にも書いた事がある銀座インズ1 地下1階の素敵庵。ここの昼食時だけの特別メニュー「ビーフカレー」980円は何と言ってもお薦めできる逸品。これを食べに入ったら、カウンターの対角線上に、やはりどう見ても60歳は優に超えたご婦人がお二人が座られた。こちら同様で常連さんらしいが、メニューを開く前に先ず生ビールをご注文になっている。

こちらは毎度のことでメニューを見る必要も無く、ビーフカレーを注文する。月に一度くらいは来ているので、従業員は殆ど顔馴染みだ。それでも毎回「ご飯は大盛りに出来ますが如何いたしましょうか?」「サラダはトマトサラダですが、宜しいでしょうか?」「デザートはバナナプリンかブルーベリーのシャーペットかコーヒーがございますが如何いたしますか?」と同じ質問があって、こちらも又いつも同じ返事をするのも面白い。さて正解は?

ご婦人はビールを召し上がりながら和牛ステーキをご注文になっていた。お二人ともマフラーと軽そうな上着を脱ぐと、洒落たブラウスの胸元にはネックレス、耳には当然ながらイヤリングがさり気なくぶら下がっている。お顔は表現が難しい。「またマフラーを買ってしまった。」なんて無駄遣いを自慢しているのを聞くと、きっと普通の主婦なんだろう。どう見てもお勤めしているようには見えなかった。

他人の会話なんか盗み聞きして行儀が悪いが、聞こえるのだから仕方ない。…

マスメディアの関心事

大阪市長を叩いた週刊朝日が大問題を引き起こした。先週末金曜日にバス旅行の友に買いたいと思ったが、手遅れで買えなかったので読んでいない。騒ぎが大きくなったので、余りに品性を欠いたと大凡の見当はついたが、喧嘩を売った相手が悪すぎて少し同情もしたくなる。その事は置くことにして、メディアの別の面について書きたい。

分からない事の多い世の中だが、司法と行政の境がイマイチよく分っていない事を予め言っておきたい。分立なんて言ってはっきり線引きされるのがいい訳ではないだろうし、社会に貢献するために互いに協力するのは大いに結構だと思う。法務大臣の辞職報道に接してふと思った。当然ながら警察や検察の不祥事が重なった故の引責ではない。メディアに旧悪を暴露され引き摺り下ろされたに他ならない。

そもそも法務大臣は閣僚名簿のトップに上げられ、いかにも偉そうに演出されているが、過去の誰をとってもあまり印象に残る仕事をしているようには思えない。印象に残るのは唯一、田中角栄氏逮捕の時にトボケて故郷の川で釣りをしていた稲葉修氏くらいだ。法務大臣ほど歴代官僚の言いなりになっている大臣はないのではなかろうか。

大臣からすれば下っ端の官僚だが、警察官や検察官はどうしても司法の人間と錯覚してしまう。普通の人は違うのかもしれないが、少なくとも小生はどうしても正義の味方と思い込んでしまう。しかし、そのトップに立つ大臣だけは、選挙で選ばれた普通の小父さんなので何か違和感があって仕方がない。トップより下っ端が偉く、トップなんか居ても居なくても同じこと。

事務次官から下は庶民感覚から全くかけ離れた世界で、普段からやりたい放題をしているようだ。従ってどんな不祥事が起きようと、稀に組織上の問題を指摘されようと屁の河童。精々トカゲの尻尾を切り捨てるだけで凌いでいる。それこそ極々稀に、例えば郷原信郎氏のように検察内部から問題を指摘する声が上がっても政治家やメディアはフォローしない。

田中慶秋氏が善人とも思えないし、事実を暴露すること自体否定するつもりもない。しかし大臣は怖くないから、田中慶秋氏のように滅茶苦茶ぶっ叩くが、警察や検察官或いは組織そのものに対しては知らん顔をする。これで日本のマスメディアは本当に言論の自由や民主主義を守ることができるのだろうか?

上高地紅葉狩り

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先週の初めに「今度の土日はどうしても夕飯を外で食べてきてほしいの。土曜が短大の同窓会で、日曜は孫の幼稚園がバザーを開くので母親が参加せねばならないから、娘の家に行って夕飯を支度しなくてはいけないので。」と言われていたが、今月は山に2回も行っているし、土日は台風も来そうだから近くのファミレスと焼き肉屋で夕飯を食おうと決めていた。

ところが木曜日の夜になると22号台風はとっくにいなくなり、21号も日本を避けるように進む事がはっきりしてきた。そして婆さんが言うには台風一過で天気がよくなりそうよとのこと。彼女としては爺さん一人がその辺でみすぼらしく夕飯をするのは聞くに忍びないらしい。暗に山に行くことを進めている訳だ。不思議なことに婆さんが薦める日に出かけると不思議に天気がいい。

では、どこかに紅葉でも見に行くことにするか、明日一番で手配してみよう。
約束して金曜日の朝、今年は上高地に一度も行かなかったので行ってみようと思って、先ず高速バスを見ると幸いにも土曜日の域も日曜の帰りも予約ができた。しかも帰りはお誂え向きで新宿着21時の便がぎりぎりだったが取れた。次に定宿にしている上高地アルペンホテルに電話を入れてみた。当然ながら満室にてお断り。五千尺ホテルなら泊めてもらえそうな気もしたが、料金を考えるとさすがに電話をする気にならない。

それで思いついたのが、山小屋の岳沢小屋、ここのホームページはちょいちょい覗いていたので、宿泊客を取っていることは知っていた。同じ上高地でも標高が600mほど上にあるので一寸したハイキングにもなる。以前(2006年9月)行った時は雪崩で流された小屋を再建中で、戸板の上に置かれた金盥の中に飲み物が浮いていたような状態だった。立派に再建されたのは十分知っていたし、普通の山小屋と異なり完全予約制も知っていたので一度行ってみようとは思っていた。電話をするとすんなり予約が受けられた。

上高地発は何時ですか?と聞かれたので「バスで行くのではっきりしませんが、多分13時頃になると思います。」答えると「では気を付けてお越しください。」とのこと。確か登り3時間くらいかかったような記憶もあるが、一般的に上高地を13時発でもそんなに危険はないらしい。9時前に手配を完了して家に電話をすると「きっといい天気になる筈よ。何か買っておく物はある?」と声が弾んでいる。

土曜日は…

復興予算

今は昔の話で記憶する人は少ないだろうが、田中彰治と言う代議士がいた時代があった。政治には何の興味も関心もなかった頃だから随分昔のことではある。なのに何故この名前を記憶しているか?彼は既に日本の伝説と化した田中角栄氏と同時代に同じ新潟から選出されていた。それだけであれば記憶に残る筈も無いが、彼がマスコミから政界の「マッチポンプ」なる異名を授けられたことが大きな理由だ。

それまでは「マッチポンプ」なんて言葉を聞いたことがなかったので、大変面白いよく出来た造語と思ったのだろう。詳細は分からないが、なんでもこの人は「マッチポンプ」が得意で随分政敵を陥れたらしい。そんな技を得意とするくらいだから、自分でも相当後ろ暗い事を沢山していたようだ。結局最終的には天網恢恢で、お縄を頂戴する羽目になり政界から追放された。当時は初心でものを知らな過ぎたのかもしれない。政治家としては非常に珍しい性格の人と思ったので記憶に残ったのだろう。

当時も大人たちは、政治家なんて同じ穴のムジナで50歩100歩と見ていたのだろうか?あれから約半世紀、大人を通り越して今政界を見て思うのは、
政界に蠢く人種「政治家」とは一体なんだろうと言う疑問ばかりだ。確かに全員我々が選挙で選んだ人ばかりである。投票に当たっては、なにも分からずやみくもに名前を書きました、義理で書きました、お金を貰ったりしたので書きましたなんて人もいるだろう。そんなことは全部ありでも仕方ない。だから政治家は悪い人だなんて言いたくない。

問題は政治家の性質である。家で婆さんと政治家の資質について、歴史を知らなすぎるとか、日本語を知らないとか誰彼かまわず悪口を言って喜んできたが、それ以前の問題である。誰を見ても根っからの虚言癖(一種の病気らしいが)か相当性格が悪いように思い始めている。国会に屯する全員が冒頭に書いた田中彰治氏と変わるところのない悪人かもしれない。今は復興予算の使い道について問題になっていることが誰かのマッチポンプと言われているが、その限りではないだろう。

「嘘をついてはいけません。」と厳しく責められているのは総理大臣だが、古来ただ一つ嘘をついても善いとされたことで責められるのもおかしな話だ。
そんな嘘以外にもっと責められるべき嘘が沢山あるだろう。原発事故に関する事を書きだしたらきりがないが、そもそも復興庁なんて役所を作ること自体…

マスコミのインパクト

いつどこで読んだか記憶にないので真偽のほどは定かでないが、マスコミは「社会の公器」であるから消費税を免除されるとの報道があった。別に新聞テレビだけが「社会の公器」ではないだろうが、その一角を担っているのは間違いない。しかし所詮報道に携わるのが全て人間であれば、時に勘違いも早とちりもあるだろう。まして、神のように常に不偏不党絶対正義を掲げられる筈も無い。

新聞の社説などまともに読んだことないが、A新聞が財界よりであろうとB新聞が労組よりであろうと、それはそれで結構だと思うし、むしろもっと旗幟が鮮明になってもいいだろうと思っている。しかし「誤報」は許されない。
又その誤報を面白がって書くのも如何なものだろう。結局尻馬に乗って誤報の上塗りをしているようにしか思うのは吾輩だけだろうか?

許す許さないの問題ではないが、どのマスコミをとっても題字やアナウサーの顔は多少違っても、形態から内容に至るまで、どうしてこんなに同じでなきゃならないのか。全体主義国家でもあるまいに、北朝鮮と並んで地球に残された最後の社会主義国家と揶揄されても仕方ない理由の一つだろう。中国語が出来ないので間違っているかもしれないが、中国の壁新聞やテレビ放送でさえもう少しバラエティーに富んでいたような気がする。

もっと気になるのは圧倒的までに官憲に弱いことだ。税金を負けてもらうのだから仕方ないと言えばそれまでだが、ならば「社会の公器」なんて胸を張らないでもらいたい。過去に於いて戦争に協力したとかの問題ではない。表に出てきはじめた脅迫メールでの誤認逮捕問題である。警察が誤認逮捕した人に謝罪する意向なんて報ぜられている。誤認逮捕と書けば恰もうっかりミスみたい感じだが、無実の人間を引っ括って、江戸時代のような拷問があったかどうか知らないが泥を吐かせるのは、どう考えても一種の犯罪ではないだろうか。

報道内容がこちらの感覚がずれていることは他に多々ある。例えば靖国神社秋季大例祭への政治家の参拝。こんなことを特筆大書してどんな意味があるのか?政治家の方から取材してくれと頼まれるのかね。どうせだったら1社でいいから小泉元総理が今年何回靖国神社を参拝したか報道してもらいたい。小沢一郎氏が検察のターゲットにされた件も皆書き方は同じこと。マスコミでは本人も未だに犯罪者のように扱われている。秘書さん達はたとえ無罪になっても、政治報…

全て選択の結果だ

既に70年を超えた人生だし、日々しなければならない用事は皆無に近いので、来し方を振り返ることが多いこの頃である。直近の二年ほどは毎月のように山歩きにをして遊んでいるが、考えてみると下界が余りにつまらないので憂さ晴らしをしている感が無くも無い。仕事を失った自分自身のこともあるが、民主党と新政権に対する失望に加え昨年311の東北沖地震に始まった大災害で社会全体が暗くなっていることもあるような気がする。

過去を振り返り暗い気持ちになっても始まらないので、何とか気持ちを新たにして前向きになろうといろいろ考えた。昨夜ふと良い事を思いついた。これまでの日々を思う時、期待したようにならなかったことは腐るほど有り、思い通りかそれ以上の結果が得られたことは本当に稀である。しかし何れにせよ、そのどれもが自分の選択の結果であることに思いが至り、非常にすっきりした気分になった。

子供の頃から他人に強制されて不本意な事をした記憶は無いに等しい。深みにはまって溺れようと木から落ちて怪我をしようと、全ては自分が選んだ道であった。本当は他人の言うことを聞いていた方が無事で上手くいくことが多いものだ。特に親や祖母の言うことは正しいことが多かったと今では思う。随分それに背いて苦い経験を重ねてきたものだ。しかし全て自ら選択したことであるから、結果を振り返って残念に思っても、深刻に後悔する訳にはいかないだろう。現在の自分を思って全て善しとすべきだ。

恐らく残り少ないこれからの人生でも、何らかの選択を迫られる場面は幾たびか出てくることだろう。つい先日も友人との雑談で、ご多分に漏れず健康維持の方法から病気と死の話になった。ここばかりは避けて通れない。特に「癌」については予防法をあまり聞かないし、身に覚えが無いわけではない。泌尿器科で前立腺癌の疑い益々濃厚と言われているので正直怖くて仕方がない。友人によると今では癌治療法も随分進歩しているようでもある。

但しメニューが幾通りもあり、それぞれの費用が結構な金額に上るものもあり、それこそ選択を迫られることになりそうだ。帰宅して婆さんに「互いに癌を宣告されたら、これ以上の長生きを望まないようにしようぜ。」と言ったが、実際その場になったらどんな道を選択することになるやら。やはり将来は常に深い霧の中にある。

放置できない知恵比べだぞ

台風が遥か南で又発生しているようだが秋らしい日が続いている。大雪山系には初冠雪も観測され、陽も大分短くなってきている。好むと好まざるとは関係なく季節は巡り、個人的には何事も変わらぬ平凡な1日が暮れてゆくのみだ。マスコミの報道でも、なんでこんな下らなうことを長々と追いかけるのか不思議に思うことばかり。特に競争する他紙がチョンボをしたので愉快なのか知らぬが、iPS細胞移植のインチキ話には辟易する人が多いと思う。

現在最も興味があるのは、昨日報道されたなりすまし脅迫メール真犯人からの告白メールだけだ。間違って逮捕された人が二人だけかと思っていたら、既に8月から脅迫メールは発生していて、犯人に仕立て上げられた人までいるらしい。完全な冤罪事件だと思うが、警察や検察へのマスコミの追及は何故か甘い。何でそんなに遠慮しなきゃならないのか、警察や検察とマスコミの癒着故に決まっているが、今日言いたいのは別のこと。

昨日テレビを視聴していると、心理学者の余り意味のない解説の後で、情報セキュリティーの専門家なる人が「真犯人に辿り着くのは難しいと思う。」みたいことを言っていた。一寸待ってほしいと言う気持ちだ。通信のプライバシーとか難しい問題が多分にあるにせよ、この程度の悪戯(か本気か分からないが)を見過ごされたのではたまったものではない。冤罪の多発を恐れるのは勿論だし、今後インターネットを利用する犯罪がますます高度化していくのは自明のことだ。

サイバーテロが時々取り沙汰されているように、それこそグローバルな視点に立てば、情報インフラを利用したテロとその防御に関しては国家単位で取り組む大テーマである筈。大げさに言えば、サイバーテロで鉄砲から1発の弾を撃たなくても、狙った国を無力化できるとさえ言われる。そのため国によっては軍と警察が協力して専門機関を立ち上げ研究と対応をしていると聞く。

ネット環境の整備については世界でも有数ではないかと思う我が国の取り組みは一体どうなっているのだろう?昨日の報道からすると、少なくとも警察分野ではあまり進んでいないのではないだろうか。たまたまテレビでコメントを求められた専門家が場違いの人間であれば幸いだが。つい先頃までホームページの制作や管理について仕事にコミットしていた関係で、多少ネットのセキュリティーに関心がある。

前述の通り通信のプライバシーや表現の自由な…

無用のものなんかありゃしない

普通に暮らしていても日に日に衰え機能低下していく我が身だが、先週の山歩きで不注意から左中指を突き指してしまった。第2関節周辺が腫れ上がって痛いので馴染みの接骨医の先生に診てもらうと、やはり筋が何本か切れているらしい。筋とはどんなものなんだろう?筋肉と言うと何となく肉屋の店頭に並ぶ肉をイメージできるが、その中の筋となると人肉を直接見たことがないのでイメージし難い。

骨は筋肉に守られていると理解している。しかし筋が肉に守らているのか、肉が筋に守られているのかよく分からない。筋の形状となるとこれまた更に分からない。安い肉料理を食うとびっくりするくらい太い筋に出会うことがある。あんなものが指に絡みついている筈も無いだろう。関節を覆う筋って絹糸や精々木綿糸程度かな、いや指の関節はしょっちゅう使う所だからバイオリンのストリング程度はあるのかな?

考え始めると分からないことだらけで面白い。何れにせよその筋が何本かあって、そのうちのどれかが切れているのだろうと勝手に決め込んでいる。既にじっとしている分には痛みは無くなっているので比較的軽症ではあるようだ。でも拳骨は握れないし、一寸負荷が掛かると痛い。五本も指がある上に利き腕と反対の左手の事だ。大したことはあるまいと思うが、生活の中で様々な不都合が生じる。

今書いている日記もただでさえキータッチのミスが多いのに、それが倍以上になる。茶碗を持つのも不自然になるし、布団を上げるのも容易でなくなる。改めて人体とはよく出来たものと感心せざるを得ない。ひょっとしたら不必要な機関は何一つないのかもしれない。先生によるともう暫くはテーピングなんかで固定して安静にすることが大事とのこと。「一昨日と昨日泳いできたよ。」と言うと「余り感心しませんね。」と叱られてしまった。

「身を立て道を行い、名を後世に揚げ、以って父母を顕わす」ことは敵わないが、せめて「身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始也」は肝に銘じ、身体は全て親からの賜物、これからも無理と無茶はせず大切に扱つかうつもりだ。そうすれば京大山中伸弥先生の半分ぐらいの孝行はした勘定になる^^。

読後感「ブラックアウト」マルク・エルスベルグ著

オーストリアのコラムニスト(現地ではかなり有名らしい)が日本の311災害(2011年)に触発されて著したパニック小説。友人がブログで紹介して面白そうなので読んでみた。舞台はヨーロッパからアメリカまで及んでいる。但しアメリカ大陸部分は完全な蛇足。思うに、日本の東北地方を襲ったような災害が、ヨーロッパを襲ったと想像し始めて、何処で筆を止めていいか分からなくなってしまったようだ。

EUが今年のノーベル平和賞を受賞する事になった。行ったことがないのでイメージし難いが、元々27か国が一つの国になっているようなそうでないような。はっきりしているのは英国は別として地面が繋がっている(英国だってトンネルで繋がって入るらしい)。従って電線が国境を越えて繋がっているらしいことは容易に想像できる。著者が未だ45歳と若く、現役コラムニストと言うこともあり、ITに関する知識で決定的な差があるのだろう。

常識と認識して書いているのだと思うが、パソコンやインターネットと電波通信に関する表現で意味が分からない場面が時々出てくる。その上にヨーロッパは広い、土地勘が全くないので、地名が舞台設定の切り替わりになっているのだが、それぞれのポジショニング、関連性についてイメージしにくいのも困る。登場人物も必要以上に多いので、上下巻合計すると約1千頁のボリュームなる。年配の方にはお薦めしにくい。

話の発端は津波や地震ではなく、最近我が国でも社会問題になりかかっているハッカーの意図的なハッキングから始まる。しかも仕掛けられる対象がイタリアとスェーデンのスマートグリッド(最近我が国でも導入をという声が高まりつつある電力を最も効率的に消費する仕掛け)、この辺から既に分かり難いかもしれない。ここにメキシコとトルコだったかなネット経由で入り込み、送電所に過負担が悪さがされて一部地域の停電を誘発される。

この停電がきっかけでヨーロッパ中の発電所に異常が連鎖して大パニックになるお話。但し、電気や水道のライフラインが止まった時と原発が事故った時の市民の混乱、行政の対応などは東北大災害を報道だけで認識しているのだろう。描写がどうしても甘くなったり、不必要に過大になるのは否めない。
事件発生から僅か12日目にハッカーグループが捕まり、メデタシ、メデタシとなるのもやはり実体験が無いので仕方ないのだろう。

デジタル化した世の中は便…

北八ヶ岳の紅葉と友人との会話

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一昨日午前中に日記をアップして、昼から高速バスに乗り八ヶ岳山麓の別荘地に11年前に移住して定住している友人宅に行ってきました。一宿二飯の世話になり、昨日は朝から北八つの天狗岳に案内してもらい、八時過ぎに帰宅しました。一昨日朝までの天気予報は雨でしたが、さすが降雨量が日本で一番少ない長野県中央部だけに一滴の雨に会うこともなく、快適なハイキングを楽しむことができました。

山歩きについてはいつものようにヤマレコに詳しく書いていますので、下記をご覧願います
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-233241.html

彼とは小学生の頃からの古い友人であり、奥方も結婚当初から良く知っていますので、いろんな話に花が咲きました。いつも感心するのですが、お二人とも地域社会に積極的に関わり、地域のリーダーとして活躍しています。長野県諏訪郡の人口1万人足らずの村に出現した別荘地に定住する人も増えていて、ここの自治区の取り纏め役としての苦労が結構あるようです。マスメディアやネット情報からは伺い知る事の出来ない人間模様、実に興味深く、近所付き合いを全て家人に任せきりでは人間として一人前になれぬことを痛感させられました。

元々が別荘地ですから、只でさえ人間十人十色の考え方暮らし方の相違が一層複雑になるようです。東京世田谷区の高級住宅街でさえ、隣人トラブルから元警官が人殺し事件を起こしてしまう世の中ですから。もっとも、これについては家人に言わせると「殺された婆さんが悪い。」そうですが。そこを調整しつつ古色蒼然の村落共同体と調和させる能力はには敬服するばかりです。一流企業の海外部門で長年管理調整機能を養ってきた賜物だろうと思った次第です。

高齢化集落の現在と中期見通しのの他にもう一つ感心したのは彼がiPadとスマホを使い始めたことです。完全リタイアして山とスキーに専念してばかりかと思いきや、優秀な人はいつになってもライフスタイルのどこかが違うのかもしれません。地方新聞の他に日経を購読するだけでも「何故?」と思ってしまうのにです。しかし話を聞くと「なるほど便利なもの」と思わないでもありません。しかし当面はガラケイ(ガラパゴス化した携帯電話を言うそうです)を買い替える勇気はありません。やはり最大の問題はコストと言うことかもしれません。

少しは見倣え「第一回 米国大統領選TV討論」

連休後はノーベル賞受賞が決まった山中先生のニュースが殆どで、日本の馬鹿な政治家の顔を見る機会が減るのは嬉しいが、政治関連で報じられるのは反対政党への非難ばかりである。今少し真面目に考えてもらいたいので参考になりそうなことを少し書く。

先週3日にコロラド州デンバーで行われた米大統領選挙の第1回目の討論会が行われた。日本での報道では、映像で何となく落ち着いた雰囲気だなと分かるのみで、具体的な内容はネットでも参照しない限り全く分からない。例えネットを参照しても、英語がチンプンカンプンでは同じことである。

日本では具体的内容報じないくせに、結果は共和党のロムニー前マサチューセッツ州知事の弁論が冴え優勢で、オバマ大統領の守勢に回ったので、支持率で優勢であったオバマ氏が支持率を落とし選挙がますます接戦になっていると、相も変らぬ政局絡みのことばかりが報道されている。従って、米国といえど日本と同様で政治家の論戦とは、内容的に汲むべき事は皆無にして、クイズ番組出演のタレント一騎打ちと同レベルかと思っていた。

ところが、連休中のメルマガをチェックしていて面白い記事を発見したので紹介したい。ニューヨーク在住の作家冷泉彰彦氏の『from 911/USAレポート』からである。どちらが勝ったとか負けたとかでなく、先ず冒頭に「具体的な政策を巡って細かな点まで理解した、優秀な政治家同士のちゃんとした論戦であった」と明快に述べている。

山中教授がノーベル賞を受賞したり、スポーツ選手が国際的に頑張ったりしてくれて嬉しい限りだが、政治家が己の使命を何と心得ているのか知らぬが、頭の悪さと品位の欠如にはつくづく嫌気がさすばかりだ。本当はアメリカを礼賛したくないのだが、下記を読む限り「爪の垢でも煎じて飲め」と言いたい。

以下【】は上記メルマガからそっくり引用

【今までのようにキャラクターの「噛み合わせ」が不協和で、得意分野ではペラペラ喋っても、苦手な話題は避けたりすることがない。どちらかの主張が尻切れとんぼになったり、話題が曖昧なままで終わったりということもない。言ってみれば、極めて実務的に進行したのです。
また、双方共に露骨な中傷作戦は取らず、TV討論としては、例外的なまでに「品位」のあるものであったと思います。宗教や人種を巡る変化球作戦もゼロでした。

ロムニーはリビアでの米国大使暗殺にからんで、同国での…

奥山に紅葉たずねて

連休とは関係のない身でいながら3連休と聞くと何となくそわそわしてしまう。天気も良さそうだったので志賀高原大沼池や横手山の紅葉でも楽しもうとバス旅行に出かけた。長野行のバス料金が往復で5千円に値下がりしていたのに先ず感激。

確かに紅葉も始まっていたが、残念ながら天気がイマイチで、エメラルドの湖畔に燃えるような赤や黄色の紅葉と言う訳にはいかなかった。でも、しっとりした雰囲気で山の秋を感じながらのハイクはそれなりに精神の善き栄養であったのは間違いない。特に弟から借りた熊鈴、これがまるで仏具のように大きく重いもので、何と言えない善い音色で、途中すれ違う大勢からのハイカーから「なんて素敵な音ですね」と褒められた。

9時半から歩き始めて午前中は辛うじて持ったが、昼頃から雨になってしまった。午後から横手山に行く予定にしていたので、硯川からバスに乗らなければならない。このバスの発車時刻が12:27の次が13:58と妙な間隔になっている。

事前に調べてはあったが、もう一歩のところで前者をに乗り遅れて濡れたままで1時間以上バス待ちをする結果になってしまった。体温が急速に下がっていくのが感じられ、風邪をひくのが心配になったが、その夜世話になった弟の家には温泉が来ている。

正にかけ流しの温泉に浸った心地よさは「極楽、極楽」だった。

写真などはこちらからご覧願います。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-232103.html

勘違い 錯覚

たった今ここで漢字に変換して「感違い」でなくて、正しくは「勘違い」であることを知った。ことほど左様に知らない事、知っていても勘違いする事、錯覚で正しい事とは別のアクションになる事。少し脳みそのキャパが乏しい自分でなくても、世の中に間違いのもとは常に転がっていそうだ。パソコンが正しい変換をしてくれるなら問題ないが、変換一つとっても「返還」もあれば「偏官」なんて言葉も出てくる。

言葉について用語用法の間違いはNHKのアナウサーでさえしょっちゅうのことだから、爺のブログがかなり出鱈目なのはお笑い草でお許し願えるだろうが、笑って済まされない勘違いや錯覚は驚くほど多い。昨夜は浴室で洗面器に水を張るつもりで、蛇口のレバーを上げてしまった。当然ながら冷水が頭上のシャワーから飛び出し、心臓麻痺を起こしそこなったし、シャワー序でに言えば、トイレのシャワーで止めるボタンのつもりでシャワーボタンを押すこともよくある。

痴呆初期の老人特有の事ではあろうし、半ば自覚もあるので70歳になった時自動車運転免許更新を諦めた。人相風体からすると、髪の毛を見れば一目瞭然なのだが、山なんかで「お若いですね」なんて言われて喜んでいることからすると、年齢より若く見られることもありそうだ。外見から他人の老化の程度をを判断するのも難しいし、自覚も難しいのだろう。今年の初夏に脳神経内科で精密な検査をしてもらって本当に良かった。

都の老人健康診断にオプションで癌検診(受診経験はない)があるが、脳検査を追加する事の方が必要だと思う。癌はそのうちに自覚症状が出るだろうが、脳は放っておけば酷くなる一方で永遠に自覚には至らないと思うからだ。
年寄りの交通事故防止に70歳になると免許更新時に特別の検査がある。友人に聞く限り、実態的にはほとんど無意味な検査らしいし、ここで更新出来なかった人の話を聞いたことがない。

警察に意味のある検査を求めること自体に無理があるし、意味があるものだったらアクセルとブレーキの踏み違いによる事故はもっと減っているだろう。敢えて同輩のことばかり書いたが、科学的医学的からはどのように言われているか知らないが、同様なことは若年でも十分起こって不思議ないように思う。まして若い時は酒に酔ったり、仕事やらで強いストレスを受ける機会が多いものだ。昨日は高検の部長検事(58歳)が酔って電車のドアにに悪戯を仕掛け…

文明とは?

2週連続で台風の直撃かと心配したが、幸い都心は大したことも無く、壊れ雨戸を引き出す心配をしなくて済んだようだ。今朝は台風一過の秋晴れ、天気は人間の気持ちに大きな影響を与えるようだ。昨日はブログを書く気も起きなかったのが、今日は朝からパソコンに向かう気持ちが湧いてくるから不思議なものだ。

昔かれこれ20年以上前になると思うが、パソコンが流行り初めで、当方としては遅ればせにワープロを買おうかどうか迷っていた頃のことだ。通産省との会議で、若手の技術系キャリア官僚がノートパソコン片手に現れた。メモを取る代わりにパソコンのキーボードを叩くのを見て、感心すると同時に不思議な感覚を覚えたのを記憶している。

当時役所の机の上は書類と紙封筒、風呂敷包みの山で、山が大きい人ほど仕事が多いと思っていた。また、霞が関官僚の特技と感心したのが、彼らのメモを取る速さだ。学生時代に勉強をしなかったせいもあるのだろうが、当時も今も人の話を聞きながらどうしてもメモを取ることができない。大事と思った事は会社に帰ってその日のうちに、記憶を頼りに日記みたいメモを書く。

高々数時間以内のことだから、その場のメモは要らぬだろうと勝手に理屈をつけていたが、そんなことはない。おそらく人一倍頭が悪いと言うか記憶力の無い小生のことだ。雑駁な職業であったから間に合って今日に至ったが、どう考えても緻密な折衝が必要な世界では通用する筈も無い。未だに拭いきれない劣等感から話が横道にそれてしまった。

あれから20年ほどか、今や官僚はおろか物書きが商売の新聞記者の果てまでノートパソコンをメモ代わりにしているみたいだ。小生ですら毎日ポツンポツンとキーボードを操作するのだから、想像するに机に向かって事務をする者で筆記メモを取る職業人はいないのではとさえ思えてくる。暮らしの中で世の中の変化にはなかなか気が付きにくいが、改めて考えると実に大きいものがある。

恐らく変化のスピードは過去から未来に向けて幾何級数的にアップしていくに違いない。同時に人間の能力の何かが反比例して劣化していくのもやむを得ない事なのだろう。子供の頃に見た漫画に将来の人間像があり、頭だけが馬鹿でかく身体が極端に小さくなっていたのを記憶している。僅か数十年であるが、様々な世相を思うと果たしてそうであろうか?

残されている遺跡から類推しても、数千年前の人類の叡智は現代人…

言論が売り物?聞いてあきれる

命旦夕に迫った病人が、新しいスーツを仕立てて近所を徘徊するが如き内閣が発足した。1内閣1閣僚が謳い文句だった民主党で、野田内閣で3代目、初代鳩山内閣から勘定すると8代目になるらしい。いくらヤケクソにしても、ここまで国民を愚弄して持てる権力を濫用するものか、とあきれるより感心してしまう。

自民党政権時代、行政における政治のコミットについては、政府に送り込まれている政治家より、各分野の部会を取り仕切っている専門家が取り仕切り、所詮送り込まれるのは論功行賞や泊付の操り人形とみていた。それが民主党政権になり、政府3役が本気で仕事をすることになると聞いて期待もしたが、結局経験のない政治家の無力さばかりが露呈する結果になってしまった。

極めて残念ではあるが、せめて蟷螂の斧でもいいから最後まで政治主導の姿勢だけでも貫いてほしかった。国会議員とはもともと皆同じなのかもしれないが、若い民主党が態々自民党の悪いところばかり真似をしてどうするのだろう?次の次の選挙がいつになるか分からないが、野田さんには4年か5年後に捲土重来を期しているとは到底思えない。

維新の会に走っていった人に同じで、次のステージで誰と組むかしか考えていないように見える。彼も頂点を極めたのだから、バッジを外した方が善い。それにしても現代の政治家の言葉ほど空虚なものは無い。報道を通して聞こえてくる彼らの言葉で「あゝ、こいつは本当に真剣に考えているな、悩んでいるな。」と共感を覚えるものに出会った験しがない。矛盾だらけの口から出まかせ、嘘八百、よくも白々しく喋るものよ。

領土問題や安全保障と沖縄が絡む日米関係、中国をはじめとする外国との関係等々、書き出せばきりがないし昨日も少し触れたばかりなので措く。今日書いておきたいと思ったのは原発問題だ。与野党どの政治家の発言を聞いても、選挙の争点にはしたくない思いがありありで、意味不明のことばかり。強いて言えば、河野太郎氏が核燃サイクルに対して明確に異を唱えているが、彼とて原発そのものから脱却すべきとは言っていない。

そん所そこらの無人島とは比べ物にならない広い国土の一部を、日本国は福島県において放棄せざるを得ない事態を目前にしながら、政治家は誰一人明確なメッセージ未だに発していない。事故の収束宣言だけは早々と出しながら、10万人以上が避難を余儀なくされている被災地域に対する手当、…

敢えて領土問題について

最近日本は中国や韓国との関係がかなりぎくしゃくしているようだ。現政権の外交が下手ということもあってアメリカとの関係さえうまくいっていない。ミャンマー辺りは親日的とテレビで言っていたが、ロシアとも上手くいかないそうで、隣近所全て付合いが上手くいかないとは困ったものだ。もともと国家は一定の仕切りの中に存在するものだから、隣り合わせた国家との付き合いは、特に何が無くとも平穏であってほしい。

それが、中韓露とも島嶼の領有権を巡ってかなりギスギスしている。ロシアと争っている島はかなりの広さで、ロシア人がそれなりの多数で定住しているらしいから、人間社会を受け入れる余地があるのだろう。ところが中韓との争いの原因になっている尖閣や竹島は本来無人島である。無人の島を領有していても一文の価値も無いと思うが、領海の線引きと関係してくるので地下資源や漁業権との関係で、国の富みと関係が生じるらしい。

先の大戦に敗北した日本は戦勝した連合国に対する降伏条件として、今後領土は日本列島を構成する北海道・本州・四国・九州の四島とそこに付随する島のみを受け入れたと記憶する。きっと当時は、尖閣や竹島なんて世界中の誰もが問題にもしていなかったのだろう。「だからどうでもいいじゃないか」なんて言うと、この非国民野郎メと暴行されかねない。

非国民序でに言えば、沖縄について、昭和天皇はマッカーサー占領軍総司令官に対し、委任統治をずっと続けるよう要請していたようだ。それを佐藤栄作総理が、国内の繊維産業を全て廃業に追い込まざるを得ない程の一大決心をして、日本国に取り戻している。その結果日本にはどんなメリットがあったのだろうと思わざるを得ない。沖縄が現在のグアム島のように米国の委任統治になっていないのは何故だろう?

何事も損得で考えるのは嫌いなのだが、このことはいつも心に引っ掛かってしまう。もっとはっきり言えば、沖縄が返還されたことで軍事費負担を軽減されて得しているのはアメリカの国民で、その分日本が負担を背負い込んでいるように思えたならない。遠い親戚に終戦時サイパン島に移住していた人が居た。お父さんは戦死し、母と息子一人に娘一人で引き揚げてきて、暫く同居した家族がいた。余談になるが、その息子さんが警察予備隊に入ったのには子供心にびっくりした記憶がある。昭和20年代はそれだけ就職先が無かったのだろう。

このように終戦時…