2013年11月30日土曜日

お金で解決できること、出来ぬこと

今年も余すところ1か月となってしまった。昨年くらいまでは、今年やり残しそうなこと、来年に向けて準備すべきことなど少しは考えたろうが、そう言った感慨が湧かないのは困ったものだ。今週の月曜日(25日)に歯医者に行って定期検診をしてもらった。その時次回の予定をどうするか聞かれ、半年後の5月26日に予約を入れた。強いて言うならば来年唯一の予定だ。お土産に歯ブラシ1本に歯間ブラシ2本と卓上カレンダーを貰った。

〆て980円也、余りの高額にびっくりして、保険外診療かと尋ねると、そうではありません1割負担での金額ですとのこと。この歯医者さんはそもそもインターネットで見つけて飛び込んだのだが、池袋東口西武百貨店並びのビルで近くて便利。その上平日は朝10時から夜10時まで、土日でも夕方5時まで開業しているのでいつ行っても繁盛している。スタッフも大勢いて、皆親切で愛想が良い。保険からの支払い分を入れると1万円近いことになるが、45分ほどかけて全部の歯を磨いてもらった。

参考:http://www.4618.ne.jp/

床屋がほぼ同じ時間で3,400円だから高いか安いか評価は分かれるだろうが、実質的な出費は980円だから腹は立たない。ま、加齢とともに歯が弱くなると食べるものに偏りが出来て健康に悪いそうだ。入れ歯を使っていた時と比較すると、確かに最近食事が進むような気がする。インプラントに大枚100万円をを投じた甲斐があった。お金で健康が買えるなら10億円出しても若さを取り戻したいと言う友人が居るが、金で買える健康は精々ここまでだろう。

昨日は泌尿器科に行って前立腺肥大の検査結果を聞いた。相変わらずPSAマーカーが上昇の一途を辿っており、ついに17.2(正常値は4まで)になってしまった。医者は生体検査で癌が発見できないのだから仕方ありませんね。精々腰回りを冷やさないようにしてください。いつもの科白を繰り返すだけである。原因が特定できないのに薬だけ服用しているのも苛立たしいものだ。来年は本気でセカンドオピニオンを求めようかと思いついた。

2013年11月29日金曜日

殺しのライセンスと当局の関係

今週は日本版NSC法(国家安全保障会議設置法)なる法律が成立し、来月早々には特定秘密保護法案が成立するので政権幹部は喜び、野党や在野識者の多くが非難の声を上げている。正直なところ一庶民としては縁遠い感じで、中身を吟味する気にもならない。ぼんやり知る限りでは、この2法案成立で官邸機能を強化して、アメリカとの関係をより高みに引き上げること目論んでいるようだが、果たして思い通りにいくかどうかだ。

むしろ本当に喜んでいるのは霞が関の高級官僚らしい。高い支持率を維持している安倍政権といえどもいつまで続くか分かりはしないが、既存官僚システムがそう簡単に崩れないことは明らかなこと。その官僚に情報の操作を恣意的に行えるお墨付きを与えるとは、政治家として何を考えているのか益々分からない。官邸側は、これで霞が関官僚を上手くコントロールするつもりだろう。しかし縦割り行政の壁に阻まれる官邸に、機能集約がそんなに簡単にいくとは思えない

聞けば来週開かれる第1回安全保障会議は総理、官房長官、外務、防衛の4大臣だけで、事務局の設定は1か月以上先とも言われている。事務局長に内定している谷内元外務次官に対してさえ、まだ正式に辞令すら公布できないでいるようだ。何れ創設される事務局は例によって関係各省からの出向で構成されるのだから、母体官庁の官僚の思うように官邸が操作されることになるだろう。

昨日辺りから新聞が報道し始めた防衛省の現代版「特務機関」、即ち陸上自衛隊の秘密情報部隊「陸上幕僚監部運用支援・情報部別班」(俗称:別班)についてOBが長年に亘る存在を明らかにしている。自衛隊は紛れもなく軍隊だから、こんな機能組織が古くからあるのは当然で、無い方が不思議だろう。しかしOB氏が語るには、この組織と活動については総理はおろか担当大臣にも秘密にしていたとのこと。

しかも創設を促したアメリカ参謀本部では重宝していた時期もあるらしい。もし優秀であれば現在でもアメリカとは密接に繋がっているのだろう。このリークが官邸身体とすれば見上げたものだ。しかし「別班」について、官房長官も防衛相も存在を否定している。映画「007」シリーズや「ミッション・インポシブル」の主人公たちは殺しのお墨付きまで貰いながら、当局は一切関知しないことになっている。考えてみれば、政府高官が存在を認めたのでは洒落にならないので、とぼけたか?

或いはOB氏の言う通り、総理はおろか官房長官や防衛相にも上がらない情報があるのを知って、これじゃいけないと考えた上での立法だったのかもしれぬ。安倍さんにも映画「007」に出てくる英国の首相みたいになりたい気持ちがったのかもしれぬ。確かに外国の諜報機関が、閣僚クラスに直接連絡してくることなど金輪際あり得ない。体裁だけの会議を作っても、事務局もまともに構成できぬようでは先が思いやられる。安全保障となると、オリンピック招致委員会のように恰好よく振舞うのも難しそうだ。漫画チックにならぬよう頑張ってもらいたい。

2013年11月28日木曜日

浅草のお酉さま

昨日の夕方、下町に住む友人に浅草酉の市を案内してもらった。初冬風物詩の酉の市については知識としてある程度(長野市のえびす講と似たようなものだろうと)理解していたが、実際に見たのは初めて、やはりスケールが大分違う。江戸で最も有名な酉の市だけに出展の露天商の多さが半端でない。人出も勿論すごいが肝心のお宮は思いのほか小さい。短い参道をぎゅうぎゅう詰で歩いた揚句、10数人横並びでやっと神前に押し出されて2、3秒手を合わせただけで参拝は終わってしまった。ご利益の程は余り期待できそうにないかも。笑

今朝改めて確認すると、神社の横にあった長国寺もこの日をお酉様のお祭りと定めているようだ。神社にお参りの後すぐこの寺の前を通過したが、誰も参拝している様子はなかったので素通りしてしまった。寺と神社の関係、坊主と神主の違い、ある時は一体となり、またある時に分離して一方を排撃する。日本人の宗教心のいい加減さは理解不能のところがある。他人事のように書いている本人も、苦しい時の神頼み、仏様頼みの身勝手さは典型的日本人である。

参道に出ている縁起物(熊手)の露店を見ていると面白い。松本幸四郎様や北島三郎様や高倉健様と短冊がぶら下がっているのは、きっとお買い上げの予約が入っているのだろう。ン十万円ものだろうが、縁起物だから注文が本人か後援の旦那衆かは別としても見て楽しく微笑ましい。相応しく感じないのが石原慎太郎先生とか石原伸晃先生、違う店にあった片山さつき先生と書かれた短冊で、こんな場所に何が先生だ、馬鹿じゃないかと思ってしまう。そんなに広くないエリアに路地が幾つもあり、出ている露店は何も縁起物だけではない。

食いものの種類の多さもさることながら、トルコ系の外国人屋台が多いことは少し驚いた。屋台の脇で一杯引っ掛けるのが定石かも知らぬが、少し寒そうだし、使っている燃料が爆発でもした日には面倒と、千歩近く散策の後で、友人宅近くの御徒町の料理屋さんに案内されて温かいお酒をご馳走になった。話題は様々だが、友人は作詞家でもあり、同行のパートナーさんは俳句をひねるそうだ。

飲むほどに最近読んだ面白い小説や文学論にまで話が及び、興味深い話が聴けた。曰く、やはり最近は文学とされるものが面白くない。何でも小難しく書いたものを有難がる風潮で、これにはついて行けない。こちらは著名な近代文学にはあまり接しないが、これは全く同感だ。小難しいことをウダウダ書くより古来からの形式美、俳句や短歌の簡潔さを勉強する方が余程大事だろうとの話。友人は作詞の傍ら俳句もトライしているようだが、こちらはこうして駄文を綴るだけで精一杯である。

2013年11月27日水曜日

これで本当に善いのか

今日は酉の日しかも珍しい三の酉だそうだ。下町住まいの友人が浅草酉の市に誘ってくれたので、福巡りでもして浅草あたりで一献傾けることになった。相当な賑わいとは聞いているが、実際に出かけて見るのは初めてなので楽しみだ。早めにブログを上げてしまう。

呑気な爺のことはさて置き、我が国を取り巻く諸般の情勢は余り呑気な雰囲気ではない。政府は口を開けば「安全保障上の危機が迫っている」と口にするが、具体的な説明を加えることは出来ないようだ。誰しもが尖閣諸島周辺海域のきな臭さは感じているだろうが、個人的に実感をもって受け止めている人間はどのくらい居るのだろうか?中国共産党解放軍が海軍力増強に力を入れ、海洋進出を果たしたいこと、アメリカが何とかこれを阻止したい意図を持つのもそれぞれ理解できる。

たまたまそのせめぎ合いの接点に尖閣がなってしまったのは我が国の不幸で、今更その責任を前政権に求めても始まらない。如何にこの不幸を乗り越える策を見出すかが、現政権に与えられた大きなテーマだろう。水面下の動きを知る由もないが報道を見ている限りでは、我が国は只管中国の路線を非難しているようにしか見えない。政府としてはどんなメッセージを発信するにせよ宗主国アメリカにお伺いを立てているのだろうが、果たしてそれで善いのだろうか?

敢えてアメリカに楯突けとは言わないが、もう少し日本の国益とは何か真剣に考えてもらいたい。アメリカの言い分だけ100%受け止めていたのでは、重宝に使われた挙句どこかの時点でアメリカにも見捨てられてしまう可能性を考えることも必要ではないか。勿論自衛隊がアメリカ国防司令部の1セクション化している事実も無視できないだろう。アメリカの良いところはどんな組織に於いても上意下達が絶対ではなく、部下の意見も取り入れると聞いたことがある。

あわや空爆と言うところまで行ったイランを巡る問題が、米欧露に中国まで加わったジュネーブでの外相会議が夜を徹して行われ、取り敢えずにせよ危機回避に向かいつつある。この報道と比較して尖閣を巡る日米会談のお手軽さ、電話一本で、対中政策は毅然たる態度で臨むとすぐに意見が一致している。余りの違いに暗澹たる思いだ。結果的に中国に対しては文句をつけるだけで、中国からは相手にもされていない。

日米間に齟齬がないことをもってのみ善しとするのか。何故まともな話し合いが出来ないのか。外交について専門知識がある訳でもないので、あれこれ言えるものではないが、素朴な疑問がある。今回中国が設定した防空識別圏なるものについての善悪の評価は別として、日本の民間航空会社は中国に対し該当路線のフライトプランを提出していた。勿論面白くはなかっただろう、しかし不測の事態を避けるための予防措置としては止むを得なかったに違いない。

しかし昨日日本政府はこれを提出しないよう指示したらしい。中国も余り馬鹿な真似をしないだろうが、万々が一不測の事態が発生して犠牲者が出たらだれがどんな責任を取るのだろう。取り敢えず台湾に行く用事はないので、個人的には関係ないのだが。

2013年11月26日火曜日

読書習慣

読書週間はとっくに過ぎたが、今年は暇が沢山出来たのに本を読む機会が少なすぎる。図書館にも暫く行っていないし、本屋を覗いても読みたくなるような本が見つからない。本を読んだからどうだと言っても暇つぶしになるだけで、読後感だけは一所懸命書いて、直ぐ内容も忘れてしまうなら読書はしてもしなくても同じことかも。なんて思うが、活字を通してイメージを構築する能力が劣化し、読書に疲れるようになってきている。言わば老化現象の一つだろう。

当然ながら、逆に自分の考えを整理して言葉に出す能力も劣化しているに違いないのでブログの読者にも申し訳ない。今更遅いかもしれぬが、出来るだけ本を読んで、少しでも多くの語彙を自分のものとしたいものだ。こちらはブログを書く目的があるのでそんなことをつい考えたのだが、言葉を発することを本業とする政治家や放送関係者の発言を聞いていると、その必要性を痛感する。

政治家の発言は読書の裏付けだけでは駄目で、相当な見聞が積み重ならないといけないとは思うが、やはり基礎的な体力として一定の読書量経験が積まれていないといけないように思う。アナウサーの場合はそう言った知的トレーニングがさほど必要ではないかもしれぬが、それでも公共の放送に携わるからには
余り非常識な言葉遣いは困る。

昔から笑い話にあるのは「旧中山道」を「いちにちじゅう やまみち」と読んでしまったアナウサーのことだが、昨日もまた婆さんが面白い話を聞かせてくれた。「へびゆき」て知っていますかと聞かれたが、勿論見たことも聞いたことも無い。「それで当然。」何となればつい先日民放の若い女子アナが喋ったのを聞いてしまったとのこと。車のことか道路の話で「蛇行している」を「みちいきしている」とやったらしい。

女子アナの失敗は笑い話のネタになるが、政治家のそれはもう少し深刻である。麻生氏が総理の時代「踏襲-ふしゅう」「怪我-かいが」「頻繁-はんざつ」等の読み間違いは有名だが、以来官僚が制作する想定問答にはルビが振られているらしい。従って読み間違いこそあまり発生しないようだが、安倍総理の答弁は聞きずらいこと夥しい。役人が書いたものぐらいもう少し歯切れよく喋れないものか。滑舌が良いの悪いの以前の問題である。

今回総理に就任してからは何かを自覚しているのか、総理のぶら下がり会見は廃止してしまった。それでも記者会見は時々開く必要に迫られる。婆さんはいつも聞く気がしないと言って見ないので、一人で見ていて婆さんの気持ちがわかる気がする時がある。多分コミュニケーション能力とでも言うのだろう、他人の質問を理解する能力と自分の考えを纏めて言語化する能力に全く欠けている気がする。勿論語彙も非常に乏しい。

自分のことでは今更遅いと自覚しているが、総理ともなると遅いでは済まぬ筈。
ゴルフをする時間が相当あると見受けるが、代わりにもっと本を読むことをお薦めしたい。

2013年11月25日月曜日

人間関係の難しさ

自分が他人からどのように見られているかを知る事は結構難しいことだ。実際はどうか分からないが、付き合っている人からはなるべく善く見られたいと願うのが普通の考え方だろう。子供の頃は友人知人以外からはどう思われようと、友人知人に認められさえすれば気分が良かった。だから他校の生徒と喧嘩沙汰に及ぶような馬鹿なことをしたことさえある。社会に出てから、人間は何処で誰に見られているから分からないことにやっと気がついて、遅まきながら少し身を慎むようになったつもりではある。

自分のことは取り敢えず置いて、AさんがBさんをどう見ているかはAさんとの会話を通して知る事は可能だ。勿論逆にBさんのAさんについても同様である。小生がCとして、更にDさんEさん・・・と友人が増えるにつれ、それぞれの一般的評価がぼんやり浮かび上がってくる。友人関係をあまり気にしない人間もたまにいるが、誰しも善く思われたいのが人情だろう。しかし己の評価だけは永遠に分からない。

何故か知らぬが東京都の猪瀬知事がとんでもない事件に巻き込まれたようだ。彼はたまたま高校の後輩で、会話を交わしたことはないが母校東京同窓会で顔を間近に見たことがある。東京には何の縁もなかったろうに、偉く出世したものだと半ば感心していた。事件の種は自らの行為に起因しているのは明らかなので、巻き込まれたとは適切な表現ではないかもしれない。先週末は今年最後のハイキングで、金曜日の準備から土曜日は早朝に出かけて帰宅してからは早寝し、ニュースを碌にチェックしなかった。

昨日やっと落ち着いてニュースに接したので、降って湧いたように感じてしまった。ところが今日ゆっくりネット情報を見ていると、どうも先月10月半ばには独立ジャーナリスト(元共同通信)青山繁晴氏がラジオ番組(ニッポン放送)で、徳田氏の選挙違反事件は裏に大きな汚職事件が潜んでいるとすっぱ抜いていたらしい。10月16日の放送だが今日聞いてみると、氏名は特定していないが、明らかに東京都の前知事と元知事をさして、金額も現知事については5千万円と言っている。(石原氏には3億だそうだ)

青山氏は当然検察内部に情報元を持っているのだろう。特捜が動いていることも示唆している。検察は徳洲会に狙いを定めて大分情報をリークしているらしい。徳洲会がそんな大それた組織とは知らなかったが、なんでも莫大なお金を使って病院ネットワークを構築してきたらしい。たまたま猪瀬氏がクローズアップされてしまったと言うことで、政界に流れたとされる使途不明金が70億円だそうだ。首筋が寒い人間は沢山いるらしいが、どこまで追及されることになるのやらだ。

はっきり言えるのは、猪瀬氏が残念ながら完全にアウトになることみたいだ。今日午後のテレビでしたり顔の解説者が「猪瀬氏と一緒に仕事をした人の全てが、二度と一緒に仕事はしたくないと言っている。」と語っていた。信州人はそうでなくても自己主張の強い人間が多い。猪瀬氏も才能があるだけに余計そうだったのかもしれない。同じ悪さをしても運の良い人もいれば悪い人もいる。人間関係が運を左右するとも思えないが、後輩だけに猪瀬氏は気の毒だ。

2013年11月24日日曜日

今年最後のハイキング


昨日は多分今年最後となるであろう山歩き、これで丁度12回目になる。朝7時に家を出て、池袋から7:30のレッドアロー号で飯能まで行き、そこからバスで名栗湖へ、9:30には棒の嶺能登山口に到着。紅葉の最盛期は過ぎているが雲一つない最高のハイキング日和。11:20には標高969mの山頂に到着。東から西までの180度の眺望だが、晴天に恵まれかなり遠くまではっきり見渡せる。

山頂はかなりの混雑で、小学生を含めた家族連れが目につく。写真撮影の後でゆっくり昼食。主食はお握りにチーズ、デザートはドライフルーツとミカンとお菓子、熱い麦茶が美味い。レジャーシートの上で裸になる訳にはいかないが、シャツを脱いでアンダーシャツ1枚での日向ぼっこ。快晴の上に無風なので汗がすぐに引いて、背中がポカポカしてきて実に心地よかった。思わず山頂で小一時間の長居は珍しい。

降りは奥多摩のJR御岳駅に向かった。途中の岩茸石山までは初めて歩く道だったが、ここは先程の登りと打って変わって殆ど人に出会うことも無く、快適な尾根歩き。と言ってもこのコースは「関東ふれあいのみち」で「山草のみち」として登録されているところで、春であれば草花が多いと紹介されているし、道の整備状況も悪くない。多分今年最後のハイキングなるだろう。

自宅を7時に出て夕方6時には帰宅できたし、交通費合計3千円に満たない。夕食時の缶ビール1本が何とも言えないくらい美味く喉に浸みた。千メートルに満たない山々の尾根歩きではあったが、それなりの疲労感はあるし大満足の1日だった。

山歩きの詳細は下記をご参照願います。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-374279.html

2013年11月22日金曜日

平和と戦争

昨日に引き続いて安全保障関連2法案に触れるのは、少し気が引けるが書いておきたい。この法案成立を了とする人の割合は、世論調査結果で見る限り3割を割っている。どんな人が含まれるか分からないが、前回、前々回の選挙で自公に投票し、安倍総理を支持している人が相当数含まれていることになる。しかし法案は圧倒的多数を持つ政権側が、なんの苦も無く成立させてしまうことだろう。今更法案に反対しても意味が無い。

次回の選挙までこの法案成立の過程を覚えてほしいものだ。それにしても野党はどうしてこうまでだらしが無いのだろう?(みんな)と(維新)は元々や党とは言い難いのでやむを得ないかもしれない。民主党までフラフラしているように見えるのは何故だろうか。政治の世界がかくも分かり難いのは日本だけではないだろうか。昨日の新聞は民主党玄葉光一郎元外務大臣が自民党の石破茂幹事長に次のようなお願いをしたと報じている。

「民主党が集団的自衛権の憲法解釈の見直しでまとまることは難しい。自民党政権のうちにきっちりとやってほしい」と。石破氏が内密の話をすっぱ抜いた訳でない。都内で開かれた討論会、即ち公開の席上で玄葉氏が臆面もなく喋ったらしい。民主党は反省すべき点が多いなと思っていたが、これほどとは思わなかった。もう野党第1党の態はとても保てないだろう。恥知らずの公明党と変わりない。たまたま野党の席にいるだけだったら、早いとこ解党して保守よりの人をはっきりさせてほしいものだ。

今や真に野党と呼べるのは(共産)(生活)(社民)だけではないかとどこかに書いてあったが、お寒い限りである。平成の偽装大政翼賛システムの行き着く先がどこになるか全く分からないが、今度日本が戦争に巻き込まれたらその戦争は容易に終わらない。後ろにいるのは世界一の超大国だから、そう簡単には敗戦にならない。先日飲んだ友人が語ったことを思いだす。曰く「日本が先の大戦の火ぶたを切ったことは良かったのでは、と思うようになった。」

「何故ならば、当時も沢山存在した理性派の意見が通って戦争突入が無ければ、我々も間違いなく若くして戦死したであろう。そして未だに軍国主義がまかり通っていたのではないだろうか。」逆説な言い方ではあるが、そうとも言える。300万人超とも言われる尊い犠牲のもとにやっと巡り合った平和な国家が、敵国であった戦勝国の傭兵国家になろうとしている。犠牲者の数は先の大戦に比べれば遥かに少ないとしても、傭兵国家から抜け出すには、先の大戦と比較にならぬ程、相当長い歳月がかかることになるだろう。

明日は晴れていい天気になるらしい。今のうちにのんびりと平和な山歩きを楽しむことにした。

2013年11月21日木曜日

何のため「安全保障会議設置」「特定秘密指定」か?

現在日本は危機にさらされていると聞くと、福島からの放射性物質拡散の問題かと思うとそうではないらしい。国会開催中とは知っているが、総理はしょっちゅう海外に出かけているようだし、新聞の見出しを飾るのはタイトルに上げた2項目の関連法案のようだ。これが何故喫緊の課題なのか理解できる人はかなりの政治オタクなんだろう。興味も湧かないのでどんなことを審議しているが知らないのに、テーマに取り上げるのもどうかとは思うが、疑問だらけなのでつい一言言いたくなってしまう。

竹島や尖閣列島や北方領土問題があるのは知っているが、竹島や北方領土は今に始まったことでもなく、誰がなんと言おうと子や孫の時代になっても何か進展がありそうだと考える人はどの位居るのだろう?尖閣列島は中国や台湾と話し合って漁業問題をきちんと解決さえすれば、当分平和にやっていけるのを好んで喧嘩を売っているようにしか見えない。埋蔵資源がどうのこうのと言う向きもあるようだが、月に行けばダイヤモンドが沢山あると似たような話だろう。

何れにせよロシア、中国、韓国あるいは北朝鮮が、先に上げた領土問題で、日本に戦争を仕掛ける準備をしているとは考えにくい。特に中国なんかは「まあ穏便に話し合おうじゃないか。」てな態度を見せているのに、日本政府の科白「領土問題は存在しない」と喚くばかりで説得力はない。まるで不良少年が「戦争結構、買おうじゃないか」と言っているのと一緒のことで品のないこと夥しい。話し合いに自信が無いからそんな態度に出ざるを得ないのかね。

挙句の果てに持ち出しているのが「積極的平和主義」とか「価値観外交」といった意味不明の日本語。これを持ち出してはアセアン諸国や湾岸の国にまで外遊している。とても難しい外交問題を抱えている国に赴いて、問題の処理にあたっているとは見えない。税金で集めたODA予算をばらまいてお世辞を言われ、一人でいい気になっているだけのようだ。問題を抱えている国とはまともな交渉をせず、問題無いことだけしかしようとしない総理を多くの国民が支持しているのだから国民もいい気なものである。

国民が覚醒していないことをこれ幸いと持ち出しているのがこの2法案だろう。国会では茶番じみた与野党折衝をしているようだが、所詮はアメリカに言われてアメリカの為に作る法律のようだ。法案成立の先に見え隠れするアメリカの戦争への参加について、流石のマスコミも警鐘乱打し始めているが時すでに遅しの感が深い。無関心を装うこちらも悪いが、こういった悪法をさり気なく少子化担当大臣に一つを担当させ、NSCに関しては官房長官担当とはしているが、実務に当たるのは殆ど中谷元、単なる安全保障委員会委員のこれまた童顔の先生である。

こういった悪賢さだけは見上げたものだ。

2013年11月20日水曜日

スポーツ・経済・文化の世界水準

毎朝起き上がる前大凡6時前後にテレビをつけ、テレビ朝日の「やじ馬テレビ」を布団の中でぼーっと(眠気眼の上に眼鏡をかけていないので映像はよく見えない)している。今朝は5:30に目覚めたが、特別番組でサッカー日本代表VSベルギー代表戦がブラッセルから生中継されていた。テレビをつけた時は前半戦半ばで日本が0-1で負けていた。小生がスポーツ中継を見ると、いつも応援するチームが負けるので観るなと言われているが、チャンネルを変えるのも面倒だったのでそのままにしていると、床を離れる6:30にはなんと3-1と逆転してしまった。

洗面を済ませる頃には終盤で3-2に追い上げられていたが、朝飯を食い始めると、何と日本の勝利が確定した。サッカーファンなら祝い酒を飲んで、今日は仕事にならないのだろうと言いながら、婆さんも上機嫌だった。ザックジャパンもこれで良い正月を迎えられそうで誠に結構なことだ。最近日本のスポーツは本当に強くなったと思う。来年は冬季オリンピックやサッカーワールドカップも開催されるし、アメリカメジャーリーグに楽天から田中投手が移籍するかもしれない。相撲で外国人が頑張るのも結構だが、日本人も世界で益々活躍するだろう。

トップレベルの選手たちのトレーニング法については既に世界水準のことを取り入れているだろうし、日本人は器用なところもありそうなので技術的にはかなりのレベルに来ている種目が多いのだろう。左はさりながら良くなっていると言っても、身体機能面では未だ世界的な水準に至っていないようだ。バスケ、ラグビー、アメフトなんぞはどうしても身体機能がものを言いそうだ。改善は何世代かを経る必要があるだろうが、まだ成長の可能性があると楽しみに待てばいいだろう。

兎も角スポーツと経済に関しては、日本はこの僅か半世紀ほどの間にめざましい進歩発展を遂げ、戦前と同じかどうか分からないが世界水準に近付いているのは間違いないだろう。問題は文化面ではないだろうか?学術の世界ではノーベル賞も毎年とは言えないまでも結構受賞者が出ている。芸術の世界は疎いのでよく分からないが、どうなんだろうな?音楽や映画の国際コンクールで時たま日本人が受賞することがニュースになる。このこと自体が日本が世界水準に追い付いていないことの表れでないかと邪推するが、叱られるかもしれない。

絵画や文学についても日本人の作品が世界で絶賛とはあまり聞かない。それよりなにより、ティーンエイジに読み耽った世界の名作を思うと成人してから世に出た世界的名作なるものが思いつかない。個人的にはフランスのデュマ兄弟が一番好きで、英国ではシェクスピアは難しすぎるのでコナン・ドイルかな。遅れてきた文明国のアメリカにさえマーク・トウェインが居たし、ドイツにもイタリアにもアラビアにも中国にも世界中の子供が親しむ名作があった。

社会に出てから生まれた世界の小説の中ではノーベル賞受賞作品の「収容所列島」ソルジェニーツィン著が印象に残っているが、これも読んだ記憶が無い。美術もピカソも亡くなったようだし、これから数百年後まで残る世界的名作なんてあるのだろうか。進歩はしているように見えるが、世界的にも文化水準は低下しつつあるのではと、ふと心配になった。

2013年11月19日火曜日

ちょっとした事

友人からホームページの件で相談を受けたのだが、昨夜少し飲んだので朝のうち頭の回転が悪かったのかもしれない。OCNという大手のプロバイダ(インターネットの接続業者)サービスにユーザーのホームページを無料で公開してあげます、てなサービスがあるらしい。友人はこれに目をつけた。ホームページは最初に製作する費用の他に、これを維持していくために費用が発生する。
ドメイン維持費(ホームページの所在地を確定する費用)と所在地に置かれたサーバー(パソコンのお化けみたいものです)費用が毎年必要になります。

大した金額でないかもしれませんが、毎年のことですから払わなくて済むならそれに越したことはないでしょう。相談を受けて、それは結構だから大いに利用したら良いでしょうと薦めた。ところが友人曰く「OCNから言ってきたことが横文字絡みで意味をよく理解できない。」だったので一応電話で解説して納得頂き、友人が挑戦したが上手く運ばないとの事。また電話が来たのでOCNからのメールを全て転送してもらった。

現在のホームページは小生の個人サーバーに置いてあるので、これをダウンロードしてOCNのサーバーに引っ越しをさせるだけのことで大した問題は無い筈である。新居の住所に匹敵するアドレスについてきちんとした情報さえ入手できれば、15分もあれば引っ越しが完了する筈だった。友人が送ってきたOCNの情報を確認して朝一番に作業してみた。簡単にいくと思ったことが、何度やってもエラーになってしまう。

面倒くさくなったので、元の会社のスタッフ即ち専門家にサポートしてもらうことにして、電話をすると生憎と外で仕事の最中。「メールで必要情報を送っておいてもらえば午後帰社してすぐ連絡します。」とのことでメールを転送。元々仕事を依頼してきた友人は今日は会社が休みでこれも外出らしく電話が繋がらない。こちらも昨晩のお礼やら何やらがあって、ボランティアを頼まれたこの件は忘れることにした。

ところがランチウォーキングをしていてハッと気が付いたことがある。まるきり単純なことなので書くのも恥ずかしいが、住所表示絡みのことである。サーバーなるものは部屋が細かに仕切られている。ひょっとすると同じ号数でも階数を間違えていたに違いない。スタッフに依頼をしたのが恥ずかしくなって、昼飯をそこそこに急ぎ帰って作業をして見た。やはり気付いた通りで、引っ越しはあっという間に完了した。幸いメールしたスタッフにお詫びのメールを送信、彼は未だ帰社していなかったので助かった。

囲碁なんかでもよくあることだが、問題個所に直面した時に自分ではいろんな方法を試したり考えているつもりでも、肝心なところを見つけずに枝葉末節で堂々巡りを繰り返して失敗に至ってしまう。今日はたまたま時間的余裕があったので散歩しながら頭を切り替えることが出来た。先日もプリンタの不具合の調整を依頼され1時間以上試したがどうしても上手く行かない。堪らずメーカーのサポートに電話をすると、何のことはない印画紙の裏表が逆になっていただけのことだった。

騒ぎの割には大したことでないことがよくあるものだ。

2013年11月18日月曜日

廃品処分が問題 

小春日和の月曜日、暖かいこともあるのだろう、加えて暫く山歩きを休んでいるせいか足腰が大分軽くなったような気がする。やはり山歩きは大分負荷が大きいと改めて実感している。今のところは並足ストリートウォーク約1時間が一番体に合っているようだ。例え1日5キロ程度でも毎日続ければ、健康上は少しは役立つだろうと信じている訳である。ところで歩行と言えば履物が問題だ。近くのスーパーで2千円ぐらいのスニーカーを2足買って1日交代で履いているが、靴の裏の減りが結構速いように感じる。大凡1年では履き潰してしまうだろう。新しいスニーカーを購入する時はその場で履き替え、古いのを処分してもらっている。

それでも昔に比べれば、履物も大分長く持つようになった。小中学生の頃も下駄の歯の減りが早く、更には下駄を割ってしまうことが多かったので母がよく嘆いていた。高校に入ると高下駄を履くようになったので、流石に下駄が割れることは少なくなったし、高さがある分大分長く履けた。いよいよになると下駄屋で歯の交換をしてもらったのが懐かしい。思い起こしてみると、当時から歯の減り方が均等でなく外側の減り(片べりと言った)が激しかった。今でも靴の減り方が同じで、歩き方が偏らないように気を付けているつもりでも全く進歩が無いのが情けない。人間本質的なところは何事によらずなかなか進歩できないものだ。

兎に角、僅か1世代のうちに衣食住環境の変化がこれほど激しい世代は、今後を考えても珍しいのではなかろうか。例えば現在二人暮らしの我が家でも、下駄箱の中には下駄が1足もない上に靴が収まりきらない程詰め込まれている。多分どこの家庭でも似たようなものだろう。昔の下駄箱には父の革靴1、2足と両親のよそ行きの下駄に足駄くらいしか入っていなかったので、中を覗けばきちんとしたものだった。当時7人家族の下駄箱と現在我が家のそれと大きさは同じくらいだが、中の落ち着き具合は雲泥の差だ。

収拾がつかぬほどと言えば、衣類や本なんかも同じことだ。元来買い物なんか好きではない口と思いながらも半世紀近く経つと、衣類や本が随分溜まってしまう。本は2回ぐらい思い切って全処分したが、また段々溜まりつつあるのが気になる。衣類は処分のしかたが分からないので、襤褸に囲まれて生活しているようなものだ。従って狭い我が家は益々狭くなる。

広さ的には中学時代に7人家族で生活していた家とさほど変わらないと思うのだが、当時の家の佇まいが懐かしい。昼間は各部屋の用途に応じた空間が確保され、全ての衣類や布団は両親の部屋に置かれた洋服ダンス1本と和ダンスが3本か4本とそれぞれの部屋の押し入れにが格納され、部屋の中に衣類がぶら下がっている光景はどうしても思い出せない。今の我が家には、もし客が来ても落ち着ける空間がゼロである。

新婚したての頃は毎晩のように会社の友人を招待して泊まってもらったが、今やそんなことは夢の又夢になってしまった。我が家のゴミも原発の高レベル放射性廃棄物も似たようなものだ。笑

2013年11月17日日曜日

結局何も変わらないのか

党首討論のハプニングにも見えた衆議院解散があったのが、1年前の11月16日だそうだ。早いもので昨日で丸1年経ってしまった。この1年で変わった事と変わらない事がありそうだ。我が身の周辺はあまり変化が無い方だろう。孫たちが順調に成長するにつけ、我が身と彼らの距離が拡大の一途を辿っているのが寂しいだけのこと。でも自然の摂理みたいもので、世代交代に向かっているのだから仕方がない。

問題は日本社会全般を見た時である。総選挙を経て新しい政権が誕生して、変革に向けてのロケットスタートを切ったと譬えられたものだ。目玉は言うまでもない「アベノミクス3本の矢」と称する経済政策。マスメディアは年初から散々もて囃し、やれ景気が上向いた、株価が上がっている、賃金が上がりそうなのでデパートやスーパーの売り上げが伸びていると報道してきた。しかし秋口に入り臨時国会が始まると、この場で3本目の矢が射られるはずなのに、一頃のような威勢のいい話は聞こえてこない。

「アベノミクス」が本年の流行語大賞になるのは間違いないだろうが、芸能人でもない総理が発した言葉が流行語大賞を獲っても、それだけでは全く無意味である。脱デフレ景気向上、家計所得の向上、財政収支改善などの実質的な効果が出ないことには始まらない。ところが最近の報道に「アベノミクス」が特筆大書される機会が減ってきているように感じていた。むしろ企業業績の改善は、その殆どが円安効果に依存し、自動車や家電製品の売れ行きが伸びた事実は見られないとの報道があったりした。

そこに持ってきて先週半ばに2013年7-9月期GDP速報値が発表されると、この週末にかけてむしろ「アベノミクス」腰折れ論が踊り始めている。ネット上では発表当日の13日前後から、しきりにそれ見たことかといった情報が氾濫していたが、今朝のTBS「時事放談」に出演した元自民党幹事長古賀誠氏でさえ、「アベノミクス」経済政策が上手くいく筈がないみたいことを言い始めている。現役でないとはいっても、自民党では未だ隠然たる力を持つと言われる御仁のお言葉だ。

異次元の政策とは論理的根拠がないことを自ら証明しているのだから仕方がないと言えばそれまでだが、先週末に1万5千円の大台に乗ったとされる株価頼みの政権が、不謹慎ではあるがどこまで持ち応えるのか興味津々になってきた。
とは言っても、取って代わる政敵が不在では倒れたくても倒れようがないのか?我が国もいよいよ情けないことになってきたものだ。総理本人は国会などどこ吹く風で外遊あそばされているが、手の者に任せているのが「特定秘密保持法案」に「日本版NSC法案」と訳の分からない奴だが、鳥越俊太郎氏は「戦争をしますと言っているのと一緒」と仰っている。

一方で変わらないのが福島の原発事故対応だろう。騒ぎだけはご大層なもので、特に最近は前政権の初動が間違っていたのを修正して政府が前面に、とか言っているが現地の復興が全く進まないのは全く変わっていない。むしろ、原子力規制庁の実現もなく、環境省外局にもならない規制委員会のままは良いとしても、田中委員長もすっかり骨抜きにされてしまったようである。前途が思いやられる。

2013年11月16日土曜日

嗚呼「寄らば大樹」

小学生の頃だったろうか、どこかで「木鐸」という言葉にぶつかり辞書で調べた記憶がある。今ネットの辞書で調べると「古代中国で、法令などを広く人民に示すときに振り鳴らした、木の舌のついている大きな鈴」と出てきた。当時も大体似たような意味で、日本ではあまり見かけないのでぴんと来なかった。しかし、暫くすると「社会の木鐸」の使われ方があり、道標や世の人を教え導く人を指すと知った。日本では近代国家成立以来新聞が出現し、政令に反すること書いたにも拘らず「社会の木鐸」と呼んだ。しかしこれも創業者世代に限ったことだったかもしれない。太平洋戦争開幕直前に、開戦に最も積極的だったのは新聞各社だったことは余りにも有名である。

現代子は古めかしい「木鐸」なんて言葉は知らなく当然だろうし、テレビや新聞に教え導かれるつもりはないかもしれない。つもりはなくてもテレビや新聞の報道を見ていると、その影響を受けずにいることは先ず不可能だろう。理屈から言えば、テレビ局も新聞も沢山種類があって、選択の自由が視聴者側にあるので、特定のメディアに毒される心配は少ない筈である。複数存在するメディアが、それこそ社会の木鐸として創立の精神を以て報道にあたってくれていれば問題ない。

しかし現代に於いては社会の木鐸としての矜持を維持しているのは、共産党とか創価学会とか農協等の組織が、組織強化の目的を掲げて発行するもの以外に無いのではなかろうか。マスメディアと称される現在のテレビ新聞で世の中を導く方向を明確にしている企業は1社もない。何時も成り行きに流されている。視聴していて気になるのは時の政権への迎合が極端すぎることである。明治維新後に生まれた新聞は、自らを社会の木鐸と称しただけに、発行人はそれなりの見識を持っていたと仄聞する。

現代日本のマスメディアはその社会の木鐸として誕生した新聞の流れをくむ企業が多いので、ジェスチュア的にはそんな振る舞いをしたいようだが、とても見られたものではない。時々思いついたように如何にも庶民の立場に立っているような記事を掲載することもあるが、本質的には全く政権に迎合している。新聞で言えば中央5紙があり、産経と読売は政府寄り、朝日と毎日は少し左寄りなどと言う向きもあるが、全く内輪での目くらましの小芝居に過ぎない。

その先兵がテレビになるのだろうが、これこそまったく選ぶところが無く、全ての局が同じ情報を繰り返し繰り返し放送を続ける。大島やフィリピンの台風被害の報道がどれほど重大か、異を唱えると非国民にされかねないが、こう繰り返し見せつけられれば嫌でも刷り込みがなされてしまう。社会ネタは仕様が無いとしよう。しかし国内の政治関連報道や海外のニュースに関強いても取り上げ方が殆ど同じであるのは如何ものだろうか。昔は日本教育テレビ(テレビ朝日)とか東京12チャンネル(テレビ東京)なんて会社が出来て、或いはなんて期待もしたが、なんてことはなかった。

少しでも政権に異を唱えそうな解説者は出演させてもらえないのだから、賛否両論ショーとして構成しているだけだ。それでネットでブログやメルマガを好んで見ていたのだが、それさえ相当怪しくなってきた。ブロガー(勿論未だにテレビ出ている)でも2年ほど前までは小沢一郎の熱烈なファンを演じ、現在は安倍氏を恥ずかしいくらいヨイショしている人物もいる。小泉純一郎ではないが、権力者が旗を振ればそれに靡くのは人の性なんだろうか?

2013年11月15日金曜日

早や年末気分だ

世の中に五感にて感知しえないものは沢山ある。特に視覚と聴覚は加齢とともに劣化するので、最近では別に隠れた存在でなく身の回りの存在でも少し遠くのもの小さいものなどは気がつきにくいし、聞こえなくなっている音も随分あるだろう。このところ友人との会話で躓いて転んだ話、階段を踏み外して転げ落ちた話が続いている。反射神経や筋肉が衰えてくる上に視聴覚の劣化が重なるのだから、日常生活の危険は増すばかりだ。

山で転倒はしょっちゅうなので、トレーニングのつもりで日頃極力歩くことに努めている。その中に毎日100段程度の階段昇り降りを入れている。先日登り始めた階段の上から、小学生らしき子が1段とばしに駆け下りてくるのに出会った。それを見て真似ようとしてみたが、まるで真似が出来ない。昇るのは無理すればできないことはないかもしれないが、降りになると全く怖くてできない。無理して1、2歩踏み出してみたが、連続してトライしていたら必ず転んで怪我をしたことだろう。

今日も横断歩道で信号が変わりそうになったので、20メートルほど小走りに走ったらそれだけで膝がおかしい。今年山で世話になった元自衛隊員の方から降りが慎重すぎるからと注意を受けたが、やはり体力相応と言うことがある。これからも登り降りとも小俣でゆっくりペースで行かざるを得ない。先月までは月1回ペースの山歩きが出来たが、どうも年内は山に行けないかもしれない。明日はもう週末で、予報は晴れると言っているが、今日現在の天気が悪いし、ここ数日続いた冬模様で腰を上げる元気が出ない。

先週の週末は同窓会で長野に行ってしまって水泳もサボってしまった。水泳を2週続けて休むのも一寸気が刺す。そのうえに今年は何故か忘年会めいた会食の予定が立て続けに入ってきてしまった。今年も余すところ1か月半か、勿論日帰りで十分なので、どこかでもう1回山に行きたいものだ。

2013年11月14日木曜日

日本の都市化を思う

先日久し振りに新宿の街を歩いてみた。18歳で上京してすぐ住んだ街だけに、その変貌ぶりは感慨深いものがある。駅の様相は全く異なっているし、歩いた範囲で当時の面影を残していたのは百貨店の伊勢丹ぐらいか。西口方面は再開発で通りの構造自体が全く異なっているが、東口から歌舞伎町方面の通りは殆ど変化が無いようだ。きっと土地の権利関係が複雑すぎて手の付けようがないのだろう。相変わらずチマチマした建物がひしめき合っている、火災でも起きた日には難儀なことになるだろう。

目に見える決定的な違いは都電の線路が無いことで、見えない違いは地下街が発達して都市が二重構造となったことだろう。地下街なる言葉や概念が出現したのはいつのことか思い出せないが、上京した頃には未だ無かった筈である。あったとしても空想や漫画の世界のことだけだった。しかし、その頃には地下鉄丸ノ内線が何処からだったか(池袋ではなかったように思う)新宿まで到達しており、新宿に住み着いて暫くするとその延長のための工事が始まった。

住んでいた安アパートは西へ延びている青梅街道沿いから少し路地を入った場所で、国鉄新宿駅西口まで下駄ばきでも10分も掛からず行ける便利な場所だった。しかし工事が始まると、青梅街道が毎晩通行止めがされて道路の下を掘り始めた。因みに現代の地下工事は、地上生活には関係することなく進められる技術が開発されているようだが、当時の工法ではそうはいかなかったらしい。夜間通行止めが何で必要だったか未だに知らないが、昼間は道路上に枕木のような太い木材で蓋がされていたことを覚えている。

社会インフラの整備は結構なことで、今や日本全国どこへ行っても道路は完全舗装されているので、小さな子供たちは道路と言えば舗装道路しかイメージできないだろう。しかし人工の構造物は必ず壊れたり壊してリニューアルしなければならない。同じ人工的なものでも自然の姿に調和していたものであれば、災害の被害にあっても比較的復旧がスムースに行くと思うが、人工的なものの場合は結構厄介だろう。これも最近は造る時から壊す時のことを想定するようになっていると聞くが、この工法を取り込み始めているのは古い話ではない。

都庁舎のリニューアルの話が出ているので、当日西口にそそり立つ庁舎を見上げて、なんであんなに馬鹿でかいものが必要なのか考えたが当然理解不能だ。上京してから半世紀以上が過ぎた。今までは日本列島を改造して暮らしを豊かにするために細やかにお納めした税金が注入されたのだろう。お陰と言うべきかどうか、やっと所得が無くなり細やかな納税は一層細くなって最早勘定の中には入らないだろう。かくしてこれからの税金は主に修繕のために使われるとなると、これまでの繁栄の享受が子孫に申し訳ないような気がしてしまう。

2013年11月13日水曜日

小泉劇場 どうする安倍さん

小泉純一郎氏は好き嫌いで言うと嫌いな人物の一人である。理由は幾つかある。気障で如何にも薄っぺらな感じ、特段の勉強をしたわけでもないだろうにワンイッシュー・ワンワードで政界を振り回したのだから役者とすれば立派と言えようが、政治家には相応しくない。思い込みが強くて他人の忠告に聞く耳を持たない。結果として政治にポピュリズムを持ち込み、政治の形を劇的に変えたばかりでなく、自主独立を目指してきた我が国を完全に植民地化する方向に切り換えるきっかけを作った。他にもあるがこれくらいにしておこう。

但し、認めなくてはならないことに演説の上手さがある。目玉のワンフレーズをいろんな角度から断定的な言葉を積み重ねて説得するのは、善悪は別としてまさに現代のテレビコマーシャルと同様で、非常に説得力を持ってしまうことは認めざるを得まい。安倍総理の科白の分かり難さとは対照的である。その彼が、このところ脱原発発言で注目を集めている。趣味の音楽や芝居鑑賞の日々で、優雅なな隠居生活を楽しんでいるばかりと思っていたが、以外に生臭い。夏ころからの関連発言は、何かの目標に向かって積み上げられてきたようだ。

昨日、満を持してかどうか知らないが日本記者クラブでの記者会見と来た。取り敢えずその会見を通しで聞いてみた。記者クラブでの会見は8年振りだそうだが、相変わらずの小泉節である。論理構成にはかなり説得力があり、ネット上でも、彼の思い込みはかなり本気ではないかとの意見が見られるが、そのように感じてしまう。こちらが単純なせいもある。問題は安倍総理に呼びかけるスタイルの会見であり、自ら再び陣頭に立っての気構えが無いので、盛り上がらないだろうし、腹に別の一物があるのではの論もある。

会見の前日に石破自民党幹事長が「小泉さんの言っていることは我が党の方針とほとんど同じ」と発言した。これを裏付ける為だったようだが、読売の記者(再稼働推進の立場と自ら言っている)の質問「脱原発と言っても時期はいつからか?」に対して「即すべき」と間髪入れずに答えている。明らかに読売の記者が期待した答ではなかったようだ。もし芝居だとしたら、こうは行かなかっただろう。自分で政界に復帰して旗を振りたいとまでは思わないが、自民党をして脱原発に方向転換させたい気分は相当感じた。

先日の同級会で、現在も日本原電に籍を置いて放射性廃棄物に含まれる放射性物質の半減期を減らす研究している友人と同室になった。脱原発にシンパシーを感じていることを断ったうえで彼の考えを聞いてみた。彼の論点を要約すれば、高レベル放射性廃棄物の処理については技術は確立しているし、量も石炭なんぞに比べれば比較ならない程少ないから脱原発なんて選択肢は考えられないとのこと。その夜はそんなものかと思ったが、小泉氏のフィンランドのオンカロ処理場見学の話を聞くと、どうもそうとも言えないようだ。

オンカロの施設は実に広大(岩盤の地下400mで2㌔×2㌔の空間)であるが、原発4基運転中のうち2基分の廃棄物しか受け入れ出来ないらしい。フィンランドでも他の土地が見つからなくて困っているとか、数万年埋めておいて、未来の人類がここに近付かないようにするために、危険を如何なる文字か記号かで知らせるのか頭を痛めているらしい。こんな逸話を挿入したりして、演説では人を逸らさない。昨日のニュースを見る限り、総理周辺からの反論は出ているが、総理自身は一言も発していない。駅で夕刊紙の広告を見ると小泉-小沢と提携なんて書いてある。安倍さんさぞ困っているのだろう。

2013年11月12日火曜日

中学時代の恩師(Ⅱ)

もとより教育とは縁遠い人間なので、最近話題の教育問題については理解できないことが多い。いじめをなくす方法を偉い先生方が真剣に考えてくださっているようだが、偉い先生や元ヤンキーの兄ちゃん代議士が良いアイディアを出してくれるなら結構なことだ。ただ、愚考するのはいじめなんてことはそれこそ千差万別であろうから、どんな法律が出来ようと役所が学校にどんな通達を出そうと、それで防げるいじめなんてものは無いだろう。

いじめによる自殺事件が発生した時の学校側の言い訳は、いつも決まって「気が付かなかった」の一言に尽きる。酷い時には両親の方が心配になって教師側に相談している場合さえある。報道を見て、こんな時は教師は当てにならないから警察に相談した方が良いのではと思ったりしたが、ストーカー事件への対応なんか見ていると、その警察でさえどのように機能してくれるのか甚だ心もとない。

一昨日同窓会で中学校時代の恩師と再会してきただけに深く感じていることがある。現場の実態を知らずに言及しているのは承知なのでお許し願いたい。モンスターペアレンツが多いことにも関連してくるが、現代の義務教育現場では先生と児童のコミュニケーションが極めて薄い実態になっているのだろう。親が学校教育については一切先生にお任せします、と中々言い切れない背景は何だろう?先生の方も親から子供を預かったとは思っていないのかもしれない。

先生は子供の成長に関して、上手く言えないが、特別に切り出すことが出来る「何か」を伝授することだけを引き受けているつもり。だから全てと言われても困ります、という顔が思い浮かんでしまう。しかもその「何か」は民主主義の良いところかもしれぬが、生徒全員に等しく与えられるべきものらしい。それの受け止める生徒側には当然能力の個人差があるので、受け止める量に差が出ますのでご承知願いますが一般的になっているのではないか。

近年、学校は与える或いは授ける立場、生徒はそれを受け止める或いは頂く立場の授受の関係が明確になっていて、その役割に基づいて互いに努力するのが基本のようだ。これも当たり前だが、別に先生に罪がある訳ではない。政府がそうしろと言っているのだろうから仕方はあるまい。目標は授受の量で計られている。授受の関係は昔だって同じかもしれない。しかし少なくとも我が先生方はそれだけでなく、もう一つ大きな目標を持っていたと思う。

今になって気が付いたのだが、親に代わって生徒一人一人の性格を把握しながら、個人の性格に合う、個人が一番興味を持つことの発見に教育の重点を置いていたように感じてならない。そのためだったのだろう、先生方は我々とよく遊んでくれた。休み時間だけの話ではない、学校から帰っても担任の先生が宿直の日は夜遊びに行ったし、休みの日に学校行事とは別にプライベートで悪がきを集めて野山に遠足にも連れていいってもらった。

担任が理科の先生で、植物や昆虫に個人的にも趣味があったにしてもだ。もし音楽の先生であれば音楽の好きな子は自宅に押し寄せていただろう。

実は道徳教育を教科にすると聞いて、読み書きも満足に教えられない現場に更なる無理を強いる馬鹿な政府方針に異論を唱えようと思ったが、前書きだけになってしまった。

2013年11月11日月曜日

中学時代の恩師

一昨日の土曜日から日曜日にかけて、信州戸倉上山田温泉の旅館で中学の同級会があり出席してきた。48名のクラスメイトで出席者が16名、鬼籍に入られた方も7名いらっしゃるとのこと。半世紀以上振りで顔を合わせた友人もいたが、全員何処かに当時の面影が残っている。小生なんかもそうらしいが、確かに一寸見の第一印象が変わっている友人もいるが、人間の本性と言うか地金と言ったものはそう簡単に抜けぬものだ。

たちまち童心に帰り、思い出は一晩語り合っても尽きなかった。特に嬉しかったのが担任と副担任の2先生にご出席頂けたこと。担任のT先生は大正13年のお生まれ、昭和と年齢が同じとのことで89歳、副担任のK先生は大正11年のお生まれの92歳で、既に誕生日を過ぎていらっしゃるとのことだから93歳目に入っておられることになる。お二方とも矍鑠たるもので、背広にネクタイの正装をしてこられたのに、不出来な生徒側は誰一人としてネクタイ姿が居なかった。

こちらはセーター姿で礼を欠くこと甚だしい。これもまたご教導いただいた当時の姿に変わるところがなかった。20歳も若いくせに生徒側は極めて意気地がない。酒を録に飲めなくなっている手合いが多い。小生も本当はそうなのだが、何と言ってもガキ大将の面目を保つために注しつ注されつ強か飲んでしまった。従って会話の口調も当時のまま、酒がが入ったので余計ぞんざいになっていたかも知らぬ。それでもやはり先生には敵わない。

7年ぶりに開かれた同級会も次回はいつになるか分からない。先生からは次回に出席できるかどうか分からない趣旨のご発言もあったが、生徒の方が余程その可能性が高く感じられてしまった。伺うとK先生は師範学校を2年半で繰り上げ卒業されて土浦の海軍に、T先生は3年生に進級と決まったところで徴兵延期が打ち切られて金沢の陸軍に配属されたとのこと。T先生の場合は約半年で復員、9月24日に卒業式が行われて、翌25日には現在は長野市内となっている若槻地区の小学校に送り込まれて、いきなり60人学級の教壇に立たされたとのこと。

当時は未だ疎開児童が多かったので、そういう状態だったらしい。我々の担任となられたのは昭和28年かと思うので、世の中も少しは落ち着きが出始めていたのだろう。とは言っても無い無い尽くしであることに変わりはない。先生方の個性が生徒との触れ合いに反映されていた。であればこそ、60年も過ぎた今でも、互いに楽しく語り合える思い出を共有することが出来ているのであろう。先生方のお話にも出たが、これが現在は、先生方にはなにかにつけ文科省の規格が押し付けられ、生徒にはこれまた同様にパターン化された未来像が押し付けられているので、そうは行かぬだろう、である。

因みに集まった16人の中学卒業後の人生を見れば、個性の現われが実に興味深い。卒業と同時に石屋を継いだ者、彼が今でも一番元気で社会的に最も活躍している。高校を経て東大を卒業した者が二人もいるし、書き始めると止め処ないので止めておく。兎も角、生徒の方は子供のことだから脳天気に毎日を楽しく過ごせば良かったのだろうが、先生方は50人近い子供の個性に思い馳せ、毎日がさぞ悩み多い日々であったのだろう。こちらは先生方を困らせて喜んでいたのだから罪は重い。両先生とも現在は人間に替えて大地に育つ植物の管理と観察を続けておられるようである。きっと罪深い生徒より相当長生きされるような気がする。

2013年11月10日日曜日

読後感「原発ホワイトアウト」若杉冽著

著者は経産省の現役官僚で、身分を隠すためにペンネームを使用しているとのこと、また未だ省内で著者が特定されていないとも聞いた。知ったのは元経産キャリア官僚の古賀茂明氏のブログである。そりゃ面白かろうと大枚を叩いて購読したが、正直なところ期待外れと言わざるを得ない。古賀氏も言っていることではあるが、2年半前の東電副一大事故を教訓として、以来原子力発電所の安全性確保について外見的には様々な施策が講じられている筈である。しかしその実態は殆ど何も変わっていない。

それを証明するためかのように、フィクションの形を取って世に出されたのが本書とのことだった。確かに形は小説風にはなっているが、小説とは言い難い。ストーリー性が無いに等しいのである。一応は近未来のある大晦日、折からの爆弾低気圧がもたらした大雪の中で、外国人によって日本海側から首都圏に繋がる高圧送電線ケーブルがテロリストによって簡単に2本ほど倒され、それが原因で日本海側にある原発で福一と同様の事故が発生する、といった放送紙には包んでいるが、ストーリーはそれだけのことである。

90%を占めるであろう中身は18章に分断され、この2年半に報道されてきた原発を巡る報道の中で登場したメディアの取材対象を適当に名前をつけて登場させ、政官財癒着の問題点をクローズアップしようとしているようである。当然いろいろなニュースを繋ぎ合わせているので、無理が目立ってしまう。例えば、新潟県泉田知事キャラクタの上に佐藤栄佐久福島県元知事を被せて、逮捕されてしまう設定をしている。

中身の方には別建ての主人公も用意されている。福島の畜産農家出身で、父が風評被害等を儚んで自殺してしまった元テレビ局キャスタと、資源エネルギー庁の安全・保安院から環境省原子力規制委員会に横滑りした若手のキャリア官僚の二人が一応それにあたる。正義感に燃えて規制委員会の無力ぶりを正義感に燃えてマスコミにリークして、結局国家公務員法違反で逮捕と、まるで最近のニュースを手当たり次第に掬い上げたい気持ちばかりが先行している。

故に深みや新鮮さが全く伝わってこない。政策変更の目玉が経産省の中にあった原子力安全・保安院を廃止して、環境省に原子力規制員会を設置していることで、原発推進と規制側を明確にしたことにあると言われてはいる。しかしそんな程度のことで従来のずぶずぶの関係が無くなり、厳しい規制が行われつつあるなんてことを信じている国民は、本書を手に取るまでもなく皆無に近いだろう。現役官僚が書いたと言うことさえ宣伝の手段に過ぎぬのではと言われたり、反原発陣営のご粗末さ証明の為に推進派が策を弄したのでは言われてしまう所以でもあろう。


2013年11月8日金曜日

何が作用したのか?

少しひんやりしているがお天気が回復した。本当は今日まで雨降りが続いても良いから週末の2日間は晴れてほしかったが、そう都合よくは行かないらしい。
明日の夕方長野の上山田温泉で中学校の同窓会があるので、明日出掛けて明後日は碓氷峠を散歩したいと計画していた。天気予報を見る限り雨模様になっている。それでも歩くかどうかはまだ未定。何と言っても霧が有名な場所だ。視界の効かない中を歩くことほどつまらない事はない。

どうでも良いようなことだが、安倍政権のすることが挙動不審のようだ。元来意志が弱い人間がやたらに強がると思っていたが、どう考えてもおかしい。庶民には知られたくないだろうが、親分と頼むアメリカとの折り合いが余程ぎくしゃくしているのか。朝日新聞しか読んでいないのでネットを見てびっくりしてしまった。読売の1面トップに来ていると知って昼飯を態々読売が読める店に行ってしまったほどだ。

俄かには信じがたいが、安倍総理が集団的自衛権行使の見直しを先送りする方針を固めた、大々的に書いてある。安倍氏の外交・安保政策の目玉は憲法9条を変えてでも集団的自衛権を行使することにあったように記憶する。これが少し無理と見るや内閣法制局長官人事の強行をしてまで、段取りしてきたのではなかったか?個人的には非常に不愉快に思っていたので、丁度いい塩梅ではあるが、不思議な話だ。

公明党がまだはっきり意思表明をしていなかったとはいえ、公明党も政権の甘い蜜には抗しきれず、屁理屈をつけて何れ賛成に回るのは必至とされていたのに何故だろう?日中関係を一層悪化させることに繋がりかねないので、安全保障政策の見直しを少し先延ばしするとの言い訳のようだ。日中関係をそんな上品に慮る安倍総理ではないだろう。これまで中国に対して言いたい放題の罵詈雑言をぶつけていたのは何だったのか?

余程アメリカにきついことを言われたに違いない。政権がお灸を据えらるだけなら、庶民の一人として歓迎できるから我慢もしよう。しかし問題はその先である。恐れ入って益々アメリカの言いなりになり、高い玩具は買わされたりして資金は吸上げられ経済的損失が激しくなったり、農業政策の変更やらなんやらと、まるで米国の植民地よろしく日本の国益が毀損されていくことになりそうなのが心配だ。

週末は2日間また報道とは無縁に過ごすが、週が変われば政権に何が起きているのか、自然に洩れてくるだろう。

2013年11月7日木曜日

最近の流行語「国家」

昨夜は親しい友人と久しぶりに会って、つい調子づいてしまい少し飲みすぎたようだ。昔は少しいける口ではと自負した時もあったが、最近はからきし意気地がない。基本的にはそんなに飲める体質ではなかったのだろう。若い時分は飲むのが仕事のようなものだから、緊張して頑張っていたのかもしれない。笑

今日中には国家安全保障会議(日本版NSC)設置法案が衆議院を通り、今月中には参議院での審議も終わって正式に成立するらしい。昨夜も何とかならぬものですかねと話題になったが、爺が二人で嘆いたところで屁のツッパリにもならないのは明らかだ。安倍政権の復古調には歯止めの掛けようがないので、次の選挙までに日本がどう変わってしまうのか、ハラハラドキドキしながら見守る他はないのだろう。

安倍政権が誕生したのは昨年末だからもうすぐ1年になろうとしている。報道ではしきりに世の中が明るくなりつつあるようなことを言っているし、今朝の新聞にはトヨタの利益が1兆円の大台に乗ったと出ている。国民のどのくらいが安倍政権を歓迎しているか知らぬが、支持率はきっと5割を上回っているのだろう。結構だとは思うが、隠居生活のこちらは気分が暗くなる一方だ。先は長くないので、年金が少々減ろうと欲ボケして落ち込んでいる訳ではない。

気分が暗くなる一番の原因は、やはりこの政権の復古調とアメリカべったりの自主性の無さである。アメリカべったりも良いが、肝心のアメリカからさえ馬鹿にされているのに気が付かないでいる馬鹿さ加減だけは我慢できない気分だ。防衛大臣が、日本も盗聴の対象であったのは当然のこととニューヨークタイムズに書かれ、記者会見で呆然としたらしいが、本気で同盟関係にある日本が盗聴対象になる筈がないと思っていたのだろうか?

まるで冗談のような話ではないか。対中関係が上手くいかないので対ロ関係に打開点を見つけるつもりのようだが、ロシアからすれば飛んで火にいる夏の虫同様にあしらわれ、美味いところを利用されるだけで、領土問題など議題にもしてもらえず、中国は友好国だから悪口は聞きたくないと釘を刺される始末だ。何をしても上手くいけば総て自分の手柄、上手くいかないことについては無視を決め込む。子供っぽさにも程がある。

外交が駄目なら国内ではどうか。最近やたらと枕詞に「国家」が付く報道が多い。お友達を集めた専門家会議のメンバーは特に「国家」が好きみたいだ。冒頭に書いた「国家安全保障会議」もその1例。日本版NSCと力んだところで官庁の縦割り障壁で碌に機能しえないだろうとの声も多く、「国家」という言葉が好きなら好きでどうでもいいかと思っていたら、どうもそうでもないらしい。安全保障会議は既に中曽根内閣時代に内閣に設置されている。

当時から国家安全保障会議にしようとの声が声があったようだが、当時の官房長官後藤田正晴氏が設置法の内容を全て了解するも、タイトルに「国家」を持ってくることに断固反対して入れさせなかったそうだ。今となっては思いを聞くすべはないが、氏の思いが解るような気がする。

最後に後藤田氏のコメントを一つ紹介しておきたい。
「僕は憲法を評価しているよ。日本の社会は全体としては良くなっている。占領軍の押しつけという理由から中曽根君は改憲論者であったわけだが、僕自身は安易に自衛隊を海外に出すなとずっと主張していた」

2013年11月6日水曜日

母の命日

両親と一緒に過ごした時代から我が家に仏壇があったことは一度もない。父も五男で、仏壇は長男宅にあればいいとの考えだったので、こちらもそれを何となく踏襲している。

昨日先輩のお宅に伺い、四方山話の中で話題が両親の昔話に及び「ところでお母さんが亡くなってもう何年になるかね?」と質問された。困ったことに即答できなかった「七回忌は済ませましたので、確か7年以上前になると思います。」それ以上突っ込まれず、両親生前の話題に移ってもらえたが実に恥ずかしい思いである。友人の中には両親の月命日に墓参りを欠かさない孝行息子もいる。

その中の一人と我が家の墓が隣り合わせと来ていて、こちらが年に1度墓所に行くと、彼の家の墓はいつも綺麗で墓前の供花が瑞々しい。今週末も彼と会う機会があるのだが、きっと又墓のことが話題になることだろう。彼を見習うことは金輪際できないが、せめて両親の命日ぐらいはきちんと知っておかねばと思い、夕食後婆さんに聞いてみた。彼女は第1子長女で、実家は義母が一人仏壇を守っている。

彼女はよく岳父の命日と称して宿下がりをするので、そっちの情報は流石にきちんとファイルされていた。父の命日は平成8年11月25日(享年91歳)、母が17年11月1日(享年93歳)となっている。母が亡くなってもう丸8年も経ってしまったのかとの思いしきりだった。命日には少し遅れたが、昔から何をしてもきちんとしない出来悪の子だったので、思い出しただけでも益しと母も許してくれただろう。

昔から親不孝を重ねているが、せめてこれを書いて日付だけでも忘れないようにしたいものだ。

2013年11月5日火曜日

ネット社会の恐怖

パソコンで遊ぶのが仕事のようになっている昨今である。ブログにどんな意味があるかも分からずに、兄弟や従弟従妹達と茶飲み話でもするつもりで書き綴り、これをmixi即ちSNSにリンクさせている。以前はtwitterとfacebookにもリンクさせて読者を増やしたいと考えた時もあったが、これは止めてしまった。先ずリンク設定を増やしてみてもアクセスは殆ど変らなかったのが原因の一つ。

今にして思うと、仮に読者が増えたらなんだと言うのだろう?昔から出しゃばりで目立ちたい、出来れば人気者になりたい性格だったかもしれぬ。従って見たことも無い人が、駄文を認めて読んで頂けるのは有りがたいことかもしれぬ。しかし文筆を以て職業にするわけでもなく、思想信条に賛同者を得て革命の狼煙を上げる意図もない。

結局は知り合いとの茶飲み話の中心になりたいだけのことだ。それはそれでいいのだが、今日フィッシングメールを受信して、ネット社会は怖いなと改めて思ってしまった。幸か不幸かスマホなるディバイスを使いこなせないので持っていないが、最近はSNSへのアクセスはスマホ等の携帯端末からのアクセスが主流になっているようだ。携帯端末のセキュリティーについては知らないのだが、セキュリティーソフトはPC並みのものがあるのだろうか?

今日のフィッシングメールはPCに入れてあるセキュリティーソフト(ノートン)がブロックしてくれたが、これが無ければ完全に引っ掛かっていたと思う。孫が高校の入学祝いにスマホを買ってもらって使うようになっている。ラインなるものが盛んのようで、孫も大いに利用しているらしい。PCで言えばメーリングリストみたいものらしいが、仲間内では便利でも様々な社会問題が指摘されている。

ここに潜む危険は爺が口を出さないでも、本人や両親は分かっているだろう。こちらは口を出したくても、使ったことが無いので具体的な危険性について分からないし、危険要素は日に日に増殖している筈だから中途半端な口出しは無用にすべきだろう。むしろ、自分の頭の蝿のこと考えるべきで、諸々のSNSの登録を見直す時が来たように思う。今日は学生時代から後見人或いは保証人として世話になっている先輩のお宅にお邪魔した。

プリンターの調子がおかしいので診てほしいとのこと。とても個人的には役に立てないのだが、昔のスタッフとの縁は続いているので、不具合の調子を電話で話して用が足りた。秋晴れの中、駅からやや遠い杉並の住宅街を歩き回っていい運動になったし、大変ご馳走に与った。四方山の話も弾み、聞くと先輩はもうネットとは無関係になったとのこと。やはり人間同士の対面関係は素晴らしい。

2013年11月4日月曜日

楽天イーグルス 日本シリーズ優勝

普段野球中継などめったに観ない。スポーツ嫌いではないが、観戦が性に合わないだけである。特に野球は小さい時から下手くそだったので、就職して職場対抗の野球の試合でもユニフォームを着たことが無い。1年生はほゞ強制的にプレーを命ぜられてもアンパイア役でご勘弁頂いたくらい。しかし今年の日本シリーズには人並みの関心があった。

シーズン前に楽天優勝を予言した専門家が居ないそうだが、それが巨人を相手に戦うのだから興味が湧かない方がおかしいだろう。当然楽天に勝ってほしいと思いはじめた。婆さんもオーナーは好きでないようだが、野球チームの楽天を応援していて、何も知らない小生に解説してくれる。田中投手の24連勝でリーグ優勝する前後から食事時に恰好の話題を提供してもらった。

但し小生が観戦する時に限って楽天が負けるので、日本シリーズ中は食事時にテレビをつけないようにしていた。一昨日の第6戦も、普段無関心の私がたまたま口出しをしてチャンネルを切り替えさせた途端に2-0から3-2に逆転されてしまった。婆さんが怒ってチャンネルを元に戻すが時すでに遅しだった。昨日は日曜日、婆さんに言われなくても20時には自室に引っ込んで、録画した囲碁番組を観ることが習慣である。

2時間の番組を観終わってチャンネルをBS1に戻すと楽天の勝利投手インタビューが放映中だったので「やったね」と思った。婆さんはハラハラしながらと言っていたが、巨人をゼロ封している。大したものだ。日本中のスポーツファンが喜んでいるのも良い。判官贔屓の日本人にはアンチ巨人ファンは多いようだが、アンチ楽天は少ないだろう。連休に相応しい明るい話題だ。

チームの力とは不思議なものだ。ギャラの違いはあっても、選手やコーチ個人の技術や体力などの力量については、チーム毎にそう大差があるとは思えない。それがチームになると昨年優勝したチームが最下位にいなったりする。そこに面白味があるのだろうが、プロスポーツチームの監督のリーダーシップとは凄いものだ。星野監督のコメントも相手を立てながらも並々ならぬ闘志が伺える。これもリーダーシップの一因となっているのだろう。

監督も小生から見ればまだまだ若いが、身体は相当ボロボロになっているとのこと。勝負の世界はさぞ厳しいに違いない。
楽天チーム全員に心から「おめでとう、そしてお疲れ様でした。」

2013年11月3日日曜日

報道横並びで思うこと

我が国を代表する美術展かと思うが、本年度の日展開催に先立ち、書道の部で入選者が各流派に割り振られていたことが判明、世の顰蹙を買ってしまった。結果、全ての部門で文部大臣賞やらなんやら、賞を全部辞退することにしてしまったらしい。展覧会を見に行っても、タイトルの横に誇らしげに張り出される受賞の証しがついた作品は皆無となるらしい。美術を鑑賞するのに不要なものだから、すっきりして良いかもしれない。

しかし出展者には少し気の毒な気がしないでもない。趣味道楽で出展している人もいるだろうが、プロとして出展するとなると、受賞が作品の市場価値の向上に繋がるのは間違いないだろうし、それを目指して頑張っている人からすれば張り合いが無かろうに。発端が誰の告発で、動機が何であったかも知らないが、マスコミが取り上げさえしなければ(みのもんた氏の科白になってしまうが)、こんな騒ぎにはならなかったろう。

第一マスコミはこんなことはあり得ないことと本気で思っていたのだろうか?
全く部外者ながら、あって当たり前のことではないかと思いたい。たまたま日展が槍玉に上がっているが、今日発表の叙勲なんかはその最たるものではないか。元経団連会長が勲1等(現在この名称を使用していないことは知っているが、正確な名称を知らないので乞うご容赦)に叙されているが、これも御手洗氏個人の力量が国家に貢献した訳でもあるまい。

たまたま経団連なる流派に割り当てられ、そこのボスを長年勤めたことへのご褒美であるのは自他共に認めるところだろう。御手洗氏は御手洗氏で、書道流派家元が弟子の作品を取り立てる如く、自分の部下を取り立てて、自分より少し低い勲章が貰えるよう総務省などに働きかけているのはごく常識的な話で、別にマスコミに叩かれるいわれは無いようだ。

そもそも日本では事の善悪は別として隅から隅まで村社会、部落意識が横行している。これは何も原子力村に限った話でもなく、美術の世界にあったとしても不思議はないだろう。ヨーロッパにだってギルドとか同業者の組合があったのだから、美術にもロマン派とか印象派とか流派があってしかるべきボスが君臨して市場をコントロールしていたかもしれない(単なる冗談です)。マスコミが正義漢ぶるのは結構だが、どうせするなら、いっそ叙勲の階級を全廃させるとかまで徹底的にしてほしい。

レシピの偽装または誤表示にして同じこと。芝エビもバナメイエビも食感に違いないならどっちでも良いとは言わないが、一頃よく言われた米の産地とか品種の偽装問題なんかの方が、問題としては余程大きいと思う。

2013年11月2日土曜日

書くほどのことではないが

カレンダーの残りが大分少なくなってしまった。本屋に行くと、小手帳来年度版は既に大分前から売られている。年賀状の必要枚数を聞かれたのでそれも確認せねばならない。段々こういった事が煩わしくなってきた。小手帳に書き込むスケジュールも殆ど無いので、来年は小手帳を買うのも止そうかと思ってしまう。明日は孫の誕生日、おまけに今年は七五三なので、お祝いが二つ必要なんだそうだ。

「幾らにしますか?」聞かれても答えられる筈も無い。「総てお任せしますので、由なにお願いします。」段々世捨て人みたいになってきたと自分でも思う。先月は大学の同窓会があったのを忘れて欠席してしまった。友人が心配して手紙を寄越した。惚けが酷い証拠かもしれぬ。

せめて足腰だけはとて、毎日歩くことと土日に泳ぐことだけは未だ義務的にしているが、この連休は天気も悪そうなので山には行けそうにない。大体今月は懐が些かさびしい。年金が支給される偶数月の来ることだけが唯一楽しみとは困ったものだ。

2013年11月1日金曜日

読後感「血盟団事件」中島岳志著

戦前と言うべきか昭和初期に連続的に発生したテロ事件は515事件226事件が特筆大書されがちで、個人的には結果について若干知ってはいるものの、経緯や社会的背景についてはよく理解できていないのが正直なところである。しかも昭和15年生まれの小生からすると、事件については両親や近親者から詳しい説明を受けても良さそうだが、世界大戦における大敗戦を経てまるきり世の中が変わってしまったからだろう、戦前については彼等も口が重くなってしまった。

むしろ大分大人になってから、例えば226事件に直接関与させられた落語家の小さん師匠から当時の話を聞いたりする機会があった。この本に主人公の一人である小沼正(井上準之助民政党幹事長・前蔵相の暗殺犯人)には直接顔を合わせた事さえある。会話は全くなかったので今にして見れば惜しいことでもある。近代史を無視するように仕向けられた我々と違って著者は35歳も若い政治学者だけに流石と言わざるを得ない。

昭和初期におけるテロ事件続発の本質を見極めようとする真面目さが伺える書物と言える。少し内容に触れる。

昭和初期は経済的に不況が続いて、国家財政もおかしくなり、庶民の暮らしは苦しかったとされている。都市部では雇用不安に企業倒産が続き、農村も疲弊して娘を売らざるを得ない貧農があったこともよく知られている。一方で円安によって一部輸出産業に大儲けする企業があったのも少し現在似ているところがありそうだ。そんな環境下にあった昭和3年、茨城県の農村部大洗町に一人の坊さんが出現する。

名前は井上日召、後に血盟団の指導者となる人物で、本書の主人公である。略歴もかなり詳しく紹介されている。明治19年群馬県川場村の医師である比較的恵まれた家庭に生まれ、前橋中学から早稲田大学まで進むも中退。幼い頃から少し乱暴ではあったようだが、決して勉強が嫌いであったわけではない。むしろ若い頃から、社会とか己を哲学的に深く考える性質であったようだ。

時あたかも日本は近代国家として日清日露戦争を経て世界に羽ばたこうとしている時代。学問をする若者には現代と異なり、何をよすがに生きるべきかを真剣に考える傾向があったのだろう。彼もその一人で、国家の発展と貧富の格差が広がる現実社会の矛盾の原点を探ッたに違いない。宗教に救いを求めるのも当然で、キリスト教やら、禅宗を経て最終的に日蓮宗と法華経に救いを見出す。

大洗に来た頃には、既に医者も適わぬほど不思議な力を持つ僧として名高かったらしい。彼には常に国家改造の意識があり、試行錯誤の末辿り着くのが「暴力的改造」によって君側の奸を排除して、天皇と国民がダイレクトに結びついた国家の建設である。当時は貧しい家庭に育ち世を憂う若者が多かったのだろう。先の小沼正もそうだが、井上の理想実現に一命を投げ打つ覚悟の青年が徐々に集まってくる。更には東大京大や陸海軍にまで同調者が出現するに至ってしまう。

結局大洗に来て4年後には「血盟団」を組織して指導者となり、実際にテロを実行したり515事件や262事件のきっかけを作ったと言っても過言ではあるまい。血盟団テロの標的は10数人に及び一人一殺を計画するも、中途で井上をはじめ全員逮捕されて、10年から終身刑まで相当厳しい刑を宣告されるも何故か恩赦などで全員数年で釈放になってしまう。

更に、血盟団に関わった大多数が戦後右翼の大物に祀り上げられ、先生と呼ばれたのは理解するとしても、戦後の政治家がこのような人物を崇め奉ってきている事実があるが、本書ではその点について触れることをかなり遠慮しているように思える。

国家改造実現のためには、先ず諸悪の根源を排除しなければならないとの思い。戦後学生運動の赤軍派の心情も似ているのではと思うが、思いを共有するものが数人集まっても、必ず仲間割れが起き、当初の目標は脇にいやられて内ゲバが始まる。現代の反原発運動なんかでも同様らしい。いくら読んでもこの点だけが理解できぬ。面白味は全く無い本であることは断っておかねばなるまい。