2013年11月14日木曜日

日本の都市化を思う

先日久し振りに新宿の街を歩いてみた。18歳で上京してすぐ住んだ街だけに、その変貌ぶりは感慨深いものがある。駅の様相は全く異なっているし、歩いた範囲で当時の面影を残していたのは百貨店の伊勢丹ぐらいか。西口方面は再開発で通りの構造自体が全く異なっているが、東口から歌舞伎町方面の通りは殆ど変化が無いようだ。きっと土地の権利関係が複雑すぎて手の付けようがないのだろう。相変わらずチマチマした建物がひしめき合っている、火災でも起きた日には難儀なことになるだろう。

目に見える決定的な違いは都電の線路が無いことで、見えない違いは地下街が発達して都市が二重構造となったことだろう。地下街なる言葉や概念が出現したのはいつのことか思い出せないが、上京した頃には未だ無かった筈である。あったとしても空想や漫画の世界のことだけだった。しかし、その頃には地下鉄丸ノ内線が何処からだったか(池袋ではなかったように思う)新宿まで到達しており、新宿に住み着いて暫くするとその延長のための工事が始まった。

住んでいた安アパートは西へ延びている青梅街道沿いから少し路地を入った場所で、国鉄新宿駅西口まで下駄ばきでも10分も掛からず行ける便利な場所だった。しかし工事が始まると、青梅街道が毎晩通行止めがされて道路の下を掘り始めた。因みに現代の地下工事は、地上生活には関係することなく進められる技術が開発されているようだが、当時の工法ではそうはいかなかったらしい。夜間通行止めが何で必要だったか未だに知らないが、昼間は道路上に枕木のような太い木材で蓋がされていたことを覚えている。

社会インフラの整備は結構なことで、今や日本全国どこへ行っても道路は完全舗装されているので、小さな子供たちは道路と言えば舗装道路しかイメージできないだろう。しかし人工の構造物は必ず壊れたり壊してリニューアルしなければならない。同じ人工的なものでも自然の姿に調和していたものであれば、災害の被害にあっても比較的復旧がスムースに行くと思うが、人工的なものの場合は結構厄介だろう。これも最近は造る時から壊す時のことを想定するようになっていると聞くが、この工法を取り込み始めているのは古い話ではない。

都庁舎のリニューアルの話が出ているので、当日西口にそそり立つ庁舎を見上げて、なんであんなに馬鹿でかいものが必要なのか考えたが当然理解不能だ。上京してから半世紀以上が過ぎた。今までは日本列島を改造して暮らしを豊かにするために細やかにお納めした税金が注入されたのだろう。お陰と言うべきかどうか、やっと所得が無くなり細やかな納税は一層細くなって最早勘定の中には入らないだろう。かくしてこれからの税金は主に修繕のために使われるとなると、これまでの繁栄の享受が子孫に申し訳ないような気がしてしまう。

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