2022年12月31日土曜日

自分なりに

 今日は大晦日、今年の元日や昨年の大晦日に何をしたか、或いは考えたかを振り返ろうとブログを読んでみたが、大したことは書いていない。少しがっかりした。

今朝は年末の締めくくりで、朝から大忙だった。昨年も同じだったかどうか、少なくともブログには何も書いてない。今日は詳細に書き残す。先ず4箇所のカレンダーの架替えだけでも結構な手間だ。更に面倒なのが、氏神様の神札の交換。高い位置からぶら下げているので踏み台を持ち出す必要があるし、何故か今まで掲げてあった神札と比べ、新しい神札はサイズが違う。少し小さめなので額を変える必要はないがキチンと収めるのは少し面倒くさい。カレンダーも一枚物があったりして、両面テープを貼らなければならず、一段落するのに小1時間は掛かってしまった。

後は正月2日に顔を合わせることになる娘と孫たち、特に孫たちにはお年玉の準備も必要だが、これは明日でも間に合う話だ。夕方池袋で蕎麦でも食うつもりなので、その時必要品を揃える予定。1年後にまたブログを読み返すかどうかは分からないが、今日は少しまともなことを書きたい。

最近強く思うことは自主性の大切さだ。書物やマスコミから知識を吸収することは大切かも知れぬが、人間にとって生きていくために必要な知識の量は少量だろうが、内容的には個人差が大きい。吸収したつもりの知識は計り知れないほど大量だろうが、その殆どは忘れ去っている。毎日巡りくるいろいろな局面に対応するために、蓄積された知識に基づく行動もあるだろうが、知識だけに頼るのではなく、自主的判断が大切だと思う。

目の前の信号機が赤でも歩いて渡ることはしばしばある。褒められた話でないかも知れぬが、自分で確認した状況で危険が無いと判断できたら許されて良いと思っている。但し、隣に親子連れで子供が居たら渡らない。脳の道徳的司令が足を止めるのだ。単純すぎて適切な例にならぬかも知れぬが、状況の変化に対する個人の判断は千差万別で然るべきだ。リモート授業が増えた今の学校教育は、子供自主的判断を育てる方向が大分欠如している可能性が高い。頭が良いとは何か?

長いこと中学校の教師をしていた弟が生きていたら是非話をしてみたかったが、残念ながら彼もこちらより先に天国に旅立ってしまったのが残念だ。何れにせよ来年も己を信じて生きたいと思う。

2022年12月30日金曜日

最近の楽しみ

 余りパッとしない年の瀬だが唯一の救いが天気の良いこと、年が明けても暫く晴天が続くらしい。神社仏閣にお参りする予定も無いが、昼間暖かなだけで大いに嬉しい。連日歩き通して今月はついに昨日までに29万7千歩に達したので、後2日で31万歩に達することができるだろう。山歩きをやめて以来1日平均1万歩を達成する月は初めてだ。月初に風邪を引いて腐っていたのによく頑張った。

仕事が無い年金暮らしだから可能になったことは言うまでもない。最近思うのは昔から「三日坊主」と叱られてばかりいた気がするが、最近は根気がついてきたこと。やや時すでに遅しの感は否めないが、日中の歩行だけはできるだけ長く続けたい。幸い自家用車も無いし、都が発給している高齢者向けの無料パス券も受領してない。有ればきっと池袋からの復路はバスに乗ってしまっただろう。使って便利なものは一度使うとやめるのが大変。風邪を引いた時に使い始めた電気毛布、これをやめたいが、春まで使い続けることになりそうだ。

現在最も魅力的な楽しみは夜の睡眠とも言える。昼間の居眠りも少なくなったような気さえする年の瀬だ。

2022年12月29日木曜日

天国在住の家族

 父も母も今思うと偉大な人で、倅として何一つ叶うものが無い。父は一見謹厳実直で恐そうに見えるが、少なくとも家の中では冗談が多かった。母は逆に社交的で口数も多い割には子どもたちには厳しかった。父の趣味は花壇の手入れに野菜づくり、たまに囲碁を習いに行っていたが、自宅で囲碁の勉強をしている風情は見た記憶が無い。老後は書斎に籠もって居睡りしているか、法律関係の本でも読むくらいで、小説などとは全く無縁だったと思う。しかし役所の仕事で東京へ出張した時には、よく本を買ってきてくれた。子供の頃買ってきてくれた本で記憶にあるのは「湯川博士の伝記」「小林一茶の伝記」がある。

母は正反対で、小説に目が無くて、母が読んだ本を後で盗み読みした記憶が多い。子どもたちの為にと、確か筑摩書房から出版されたと記憶するが、「現代日本文学全集」を取ってくれた。確か全部で100巻くらいだったと思うが、母はすでに全部読んでいたとのことで、こちらに読むことを薦めてくれたので、高校を卒業するまでに全部読むことが出来た。兄弟5人だったが読んだのは小生だけだった可能性もある。その他に目が無かったのが旅行。それもかなり年が行ってからは海外に積極的に出かけたので、羽田まで送りに行ったり、迎えに行ったりした記憶が多い。

父はその趣味が全く無く、結婚50周年に母にせがまれたのだろう、夫婦でアメリカに1週間ほど行ったことがある。帰国して母は「お父さんとの旅行は窮屈で面白くなかった。」と苦情たらたら、以降は夫婦旅行はなかった筈だ。夫婦の趣味が一致しないのは我が家も同じ。趣味が一致しないほうが互いに補完しあって家庭円満であった可能性もある。兎も角、今は全員雲の上で仲良く団欒していることだろう。何れ小生も加わるが、願わくば父の享年を1日でも超えてからのことになれば、唯一の自慢になるが、果たしてどうなることやら。

2022年12月28日水曜日

希望は「常識」

 ゴミの収集も今日が最後、お隣さんは別荘にお出かけ。本当の年末らしくなってきた。ここ数年大晦日から正月1日、2日くらいまで近くのホテルに食泊して雑煮などを食することが多かったが、来年から懐具合の厳しさが一層増しそうなので、今年からは我慢して、カップラーメンでも食って正月はやり過ごすことにする。とは言っても近くに娘が住んでいるし、いざとなれば駆けつけてもらえる俺は恵まれた人生だ。

テレビのニュースも最近はあまり観ないが、何となく感じるのは世界の常識から大きくハズレている日本の非常識。世界に幾つかある紛争地帯からの戦争絡み報道は別として、クリスマスから年末にかけて、殆どの国では人類への神の恵みを寿ぐか願うかは分からぬが、貧しい人たちに対する救いの報道が多い。日本の報道は外国の戦争報道に勢いづいたのか、政府予算の軍事費増額だとか、税金の増額だなんて下らぬ話ばかり。政府方針のヨイショに尽きるが、中で本当に恵まれない人たちの越年を心配する気配は皆無に近い。報道と政府関係者の心根が腐りきっている。

首相は口を開く度に国難とか未曾有の危機を強調するが、あなた方が政権を担当してえいることが日本の危機そのものだ。来年脱出できることを祈るしか無い。


2022年12月27日火曜日

明るくはないが

 だいぶ押し迫ってきた。一昔前なら明日は御用納め。今年を反省したり、正月休みのことを考えるとしたものだが、個人的には年末はどうもパッとしない。葬式が重なってバタバタした年も多いし、第一明日は家内の命日。平成29年だから、もうだいぶ昔だが、つい昨日のようにも感じる。家内には存命中も随分助けられたが、現在このように居られるのも殆ど家内のお陰のようなものだ。いつまでこのように幽明境を異にしてこの世に呑気に過ごせるか分からぬが、家内の持論は「亭主は元気で留守が良い」。「精々ゆっくり憂き世で遊んでいなさい」かもしれぬ。

確かに憂きことばかりかも知れぬ。最近は「憂きことは定め。過去に不満を抱かず、身の丈に応じて高望みをせず、今日一日を大事に即ち出来ることだけをして生きれば、明日が来る。」無理に明るくならなくても良いじゃないか。

2022年12月26日月曜日

正月準備

 東京も朝晩は結構冷えるが日中は暖房要らずの小春日和が続いている。今日は最後の買い出しで年末年始食料の買いだめやら、散髪をして正月の準備。と言ってもしめ飾りはしない。町内の役員から「氏神様の神札が届きました。受け取りに来てください。費用は2500円です」との回覧板が来たので、年末の挨拶を兼ねて受け取りに行って貰ってきた。

去年の暮に貰った記憶が無いのでびっくりしたが、ご丁寧に伊勢神宮天照大神の御札(大御璽)まで入っている。氏神様の神札は居間に掲げているが、大御璽は掲げる場所がない。書棚にでも入れるとするかだ。

2022年12月25日日曜日

マンネリ報道

 今年を振り返って考えても碌なニュースが浮かんでこない。そして来年を考える時、良い年であってほしいと願わずにいられないが、その期待が実現する可能性は低く、暗い見通しばかりだ。ロシアのウクライナ戦争が全体に暗い影を投げかけているが、それにも増して嫌な気分は、日本政府の悪乗りした態度の悪さでもある。たまたま昨日はウクライナのゼレンスキー大統領のアメリカ訪問が大きなニュースになっていたが、これが戦争の方向を変える気配は全く見せない。

むしろ火に油を注ぐ形で、戦争は年が明けても長く続くことを示唆するのみだ。ウクライナとアメリカが同盟関係にあるのかどうか知らぬが、バイデン政権はあたかも同盟国であるような振る舞いをしてる。悪玉のロシアは戦いが思い通り進んでいないようにも報道されるのが、プーチン大統領は当初からの方針を変えるつもりは無さそうだ。ロシアの継戦能力は日本では比較的脆弱との報道が多いが、だからと言って後1年以内に「参りました。」と手を上げる根拠は聞かない。

個人的にはむしろウクライナが被っている産業被害の程が気に掛かる。連日報道されるウクライナ東部の一帯に広がる戦争地帯に、非武装の市民が如何ほど居住してるかが知りたい。嘗て4500万人と称されたウクライナの人口、既に700万人が国外に脱出し、戦死者が100万人となれば、人口そのものが20%近く減少している。先の大戦で日本が300万人の戦死者を出したことと比較して考えても、国家を形成する市民の形が相当崩れているのでは余計な心配をしている。

彼の地の戦争についてどこのテレビ局も似たような報道ばかり。解説する識者も似たようなメンバー、外国の資料に基づく我々日本人には意味の無い解説が繰り返される。言わんとするところは、早くプーチン大統領が降参すべきとのべき論ばかり。第3者である日本人として、戦争終結に向けて異なる見解を聞きたいものだ。

2022年12月24日土曜日

恥知らず

 今年も残り1週間か。特に感慨は無いが、政府の来年度予算決定のニュースが気になる。国民に無理を強いてる割に、政府関係者のあっけらかんとした態度。報道するメディアも誰一人この異常さを追求しないばかりか、当然と受け止め淡々と軍事費の膨張を伝え、桁違いに少ない民生予算を述べることに、何の思いも至らないようだ。完全にアメリカの属国に成り下がった祖国の異常さ。先祖に対して申し訳ない気持ちだけが湧き上がってくる。

馬鹿な政府に愚弄される我々にも責任はあるだろうが、天罰が同じように降り掛からないことを祈ろう。

2022年12月23日金曜日

昨今の風情

 スーパーで買物をして袋をぶら下げ外に出た。今日は昼になっても気温が上がらず風が冷たい。マスクを外すのも面倒だし、マスクがあると暖かいのでそのまま家路を急いでいた時のこと。すれ違った自転車の上からいきなり声が掛かった。「あらKさん、こんにちわ。」慌ててしげしげ見ると隣のおばさん、向こうも帽子を被ってマスクをしていたので、一瞬分からなかった。反応の悪さが自分でも嫌になるが、すれ違って声を掛けて貰っただけ有り難いと思う。恐らく普段すれ違っても知らぬ顔をして、相手を不快にさせていることが多いと思う。

すれ違いざまに何となくご近所の方と思いながら、そのままになってるケーもが非常に多いに違いない。人間関係がどんどん薄れゆく昨今で、もう一つ思うのが安い飯屋の場合、注文はタブレットで、最近は注文品がロボットで運ばれてくる。先日も慌てたのが、一皿取ったらロボット君がいきなりバックし始めた。逃げるロボットを追いかけて、もう一皿取ったが、後で他人を観察すると、皿を取るのではなく、盆ごと取るのが原則らしい。

平らな場所でも転んだりするのが年寄り。もし転んだりしてたら店はどう反応するのだろう?気遣いが不要でも人件費の節約には代えがたいのが最新の経営ということらしい。

殺風景な話題だけでは面白くない。極めて人間味があり、夢のある話に切り替える。正真正銘の夢について。夏目漱石の小説にも「夢十夜」があったが、内容は殆ど覚えていない。今朝も不思議な夢を見た。もうこの世に居ないはずの友人と何やらハワイの暖かい海岸で遊んでいる。彼も若いが、俺自身も相当若い。しかし夢には結末が来ない。どうやら途中で目が覚めてしまったようだ。未だ薄暗く、部屋の空気はヒンヤリしていた。

夢は人間以外の動物にも起こる現象なのだろうか?どうでもいいが、暖かい日が待ち遠しい昨今だ。

2022年12月22日木曜日

罰当たり

最近少し下火になった宗教問題を考えてみた。何度も書いたと思うが神棚も仏壇も無い家で育ったので、子供の頃には特に宗教への関心は無かった。ただ小学校に上がる頃になると、俄然宗教心が芽生え始めたとも言える。何と言っても故郷長野市は全国的にも有名な善光寺の門前町。更に各町内には大抵氏神を祀る神社もあった。その上、近くにキリスト教の教会も沢山あって、低学年時代には親に言われたか、友だちに誘われたか記憶が無いが、毎週日曜日には聖公会の教会に通った時代もあった。

神社は年に一度のお祭のために存在していたようなもので、特に宗教心に影響は及ぼさなかったと思う。神様と仏様の違いは未だに十分理解できていないが、小学2年生の頃かと思うが、隣の家にお坊さんが来て紙芝居をやってくれた。それが今でも記憶に残っているのだから相当なインパクトだ。タイトルは「蜘蛛の糸」、芥川龍之介の小説になってるくらい有名なあれだ。当時天国はピンときていなかったが、子供心に地獄の恐ろしさだけは焼き付いていた。たとえ蜘蛛一匹でも殺生はいけないこと、自分一人で苦しみから抜け出すために他人を蹴落とすと、結局我が身も同じ目に会うこと。それを差配しているのが神様や仏様だ。非常に分かりやすかったとも言える。

教会の日曜学校でも牧師さんの説教はいつもあったが、記憶に残る言葉が思いつかない。もう一つ子供時代に、視覚的印象が強いことがある。それは父が毎朝庭に降りて、手を合わせて何やら一生懸命拝んでいたこと。多分太陽に向かって感謝を捧げていたのではと勝手に解釈してるが、直接説明を受けた記憶は無い。3つめで最後になるが、中学3年生の秋頃だったと思う、子供の頃から可愛がってもらった祖母が訪ねてきて教えてくれた。「旭山(すぐ近くの里山)の観音様は霊験あらたかで、生涯3回は望みを叶えてくださるから、高校入試が成功するようお願いに行ってきたら良い。」

これが我が他力本願の始まりに繋がった。このように思い返すと、不思議に母の教えが出てこない。女性が宗教に無関心だなんてことはありえない。亡き妻は、自分の時も娘たちの時も含め、何度も日本橋の水天宮様に安産祈願で足を運んでいたし、娘たちにも受験前には神田明神に願掛けするよう督励していたようだ。

母のことは兎も角、こうして小生は宗教心を培われ、結局どうなったか。47歳で最初の会社を辞めた年から毎年大晦日か元日に伊勢神宮参拝を習慣化した。これも他力本願の極みで、どうせだったら八百万の頂点に建つお宮だから良いだろうと浅ましい心根。そして2017年に妻を亡くすと、お伊勢参りは止めて、急に仏壇を購入してお釈迦を毎朝拝んでいる。 

2022年12月21日水曜日

82歳の冬

 暗くて寒い朝が続いて嫌になるが、自然現象を恨んでも仕方ない。冬至は明日らしいが、本格的寒の入りは正月6日から、本当の寒さは寒明け10日と言われるので2月の半ば。未だ相当の日数だ。一昔前であれば、この間に何回スキーを楽しむか指折り数えたかも知れぬが、今や夢のまた夢。代わる楽しみは何があるか?思いつくことは無い、生きているだけ見っけものだ。少しくらい朝が寒くても、気を取り直さなければいけないと考え、室内の暖房を入れる時間を早めたりしている。

生きることは、単純なようで結構複雑な事象の組み合わせになっている。当然十人十色だと思うが、個人的に重要と思っている基本的なことがある。時間に依る管理がそれで、起床時間や就寝時間、目覚めてから行うべきことの順番、寝る前にすべきこと等、なすべきことを省略すると、どうも翌日の目覚めが悪く終日冴えないことになりがちだ。この1週間くらい風邪気味で体調が悪かったが、基本動作だけは崩さないようにしてきた。しかし思うと、果たして来年も継続できるものかどうか、相当心配でもある。

いつかは確実に訪れるが、それを事前に察知実感できないのが人間の悲しさだ。少なくともこれまで考えても見なかった旅立ちへの心配が最近何度も頭をよぎる。そろそろなにか準備をしなければいけないか、と思ってもどこから始めたものか、先週娘や孫と忘年会をしたにでも相談めいたことをすればよかったかもしれない。しかし相談しても返ってくる返事は「そんな事考えずに好きなように生きて頂戴。」に決まっていそうで、これも困る。

元々予定を立てるのが余り得意でない。天気と相談しながら思いつきで動いてきたが、明日は雨との予想。しかも風邪薬の追加も欲しいので医者にも行きたい。普通木曜日の昼飯は、週刊文春のただ読みが出来る紀尾井町のレストランと決めてるが、明日行くのをやめて今日行ってきた。食事の後で薬を取り出して飲んだら、馴染みのウェイトレス気を利かして白湯を持ってきてくれた。有難いことだ。しかも支払いの後で「お大事に!」ときた。電車の中で席を譲られたり、老人として労られるのは有り難いが、どんなに粋がっても寄る年波だけは誰からも隠しようがない。

カレンダーが変わらなくても歳だけは確実に取っていく。そのスピードは益々速さを増すだろう。少しは考えを変える必要もありそうだ。

2022年12月20日火曜日

体調最悪

 進むも地獄、退くのも地獄とされていた日銀が、何を考えたか分からぬが、長期金利の許容変動幅をプラスマイナス0.5%程度に拡大することを決めたと報道されている。さぞかし大騒ぎになるやと思ったが、意外なことに日経平均株価の前日比が14:15現在774円安の26,466円。経済のことは分からないが、これが地獄の1丁目にしては大したことじゃないではないか。

何れにせよサラリーマンは既にボーナスを貰ってるだろう。それで政府の宣伝に乗せられ株に投資して、ガックリきてる人も若干いるかも知れぬが、株は持ち続ければいつかは上がるとしたものだ。兎に角、世の中分からぬことだらけで、これから先がどうなるか分からないのが当たり前。こちらは風邪が一向に良くならない。明日で医者で処方してもらった薬が切れるので、明日か明後日もう1度医者に行かねばならない。

大晦日まで未だ10日もある。なすべきことは沢山あるかも知れぬが、もう何もする気にならない最悪の年の瀬だ。もう一度薬を貰ったら、大晦日前にはなんとか体調を回復したいものだ。

2022年12月19日月曜日

暗い年の瀬

 今年は3年目になるコロナ禍に加え、ロシアが引き起こした戦争で非常に暗い歳になってしまった。コロナ禍は収束こそ見えないが、それでも世界中で自衛措置が講ぜられつつあり、その効果も少しは見られるのも事実。少なくとも、対ウイルスとの戦いでは全世界が同じベクトル上にあるので未だ若干の救いがある。引き換え、ウクライナに対するロシアの戦争は、両国間に大きな災を齎しただけに留まらず、日本を始め多くの国を戦争に引きずり込み、人類滅亡の危機に向かわせてるかのようで、収束の目処が全く想像できずに年末を迎えている。

そんな中今朝配信されたメルマガ(日刊IWJガイド・会員版)に掲載されたアメリカキッシンジャー氏の寄稿は一読に値したので紹介したい。かなり長文なので結論から言うと、氏は「ここで停戦を図るべきだし、それは可能だ。」と言ってるのだ。氏が民主党のバイデン政権にどの程度の影響力を持つか知らぬが、停戦を心から望む市民の一人として非常に心を打たれた。マスメディアが殆どが無視してることが残念だ。論文を掲載したのは英国の『スペクテイター』誌12月17日号。緊急にウクライナ紛争の停戦交渉をしなければ、次の世界大戦を防ぐことができないと警鐘を発している。

キッシンジャー氏は「ウクライナは現代史で初めて中欧の主要国家となった」と述べて、現実的には既にNATOの一員とも見てるようです。一方で、もしウクライナ・米国・NATOによるロシアへの攻撃が功を奏してプーチン氏のロシアが無力化されると何が起きるかについて「その領土は争いの絶えない真空地帯となり、暴力や武力が横行し、ロシアを世界2大核保有国の1つにしている数千個の核兵器の存在によって、世界を深刻な危機に晒すことになる」とも言ってます。

このようなことは、言われなくても少し知識のある人は殆ど当たり前に承知してるのでマスコミも取り上げないのかも知れません。兎も角氏はウクライナがロシアとNATOの間に立って停戦に向かう責任を負っているように書かれているので、少し無理がある気がして来るのも事実。果たしてIWJが入手したと言ってるこの文書自体の信憑性を問いたくなりましたが、溺れる者藁をなんとやらで取り上げてみました。

暖かかった小春日和が急に去り、一気に本格的冬になってしまった年の瀬ですが、来年は少し益しになってほしいものです。

2022年12月18日日曜日

忘年会

 必ずしも体調が万全とはいえなかったが、昨夜予定通り次女と次男の孫3人で忘年会をした。場所は南新宿の和食レストラン「響」次女が時々使ってる店らしい。サントリーの系列かもしれない。飲み放題のコース料理だったが、流石にメニューにウイスキー「響」は入っていない。娘が「最初はスパークリングワインで乾杯しましょう。」と言い、こちらはそれに応じたが、孫は「ウーロン茶」を所望。娘はあっという間に1杯目を飲み干し、2杯目を注文。

メインコースの魚料理が運ばれてくると、冷酒を注文してた。孫が「お祖父ちゃん、娘に飲み過ぎを少し注意してください。」趣旨の発言をしてたが、「お祖母ちゃん譲りだから仕方ないよ。」と取り合わなかった。飲酒は褒められた話でないところもあるが、酒は百薬の長とも言われる通り、プラス面も多い。孫にしても酒好きの友人であれば少しは付き合ってる筈。「今日の俺みたいに、飲めなく日が来ないようにすることのほうが大事だよ。」とも言ったが、果たしてどう受け止めたか。

孫も愈々来年4月からは社会人、現在は大学最後の試験などもあるらしいが、それなりに最後の青春を楽しんでいるようだ。娘は今年始めた乗馬が益々気に入って来てる様子。今日もその帰りなのでと話が弾む。互いの近況を話し合う中で、前日医者に言われた「会話が無いのがいけません。カラオケをするとか本の音読が良いらしい。」と披露すると、孫も同調して「俺も部屋の中で一人で声を上げて喋っているよ。」とか面白い話が出たりして「それにしてもお祖父ちゃん、詐欺に引っかからないで。俺から電話で会社のカネがなんとか、なんて話は駄目だよ。俺が本当にカネをせびるなら直接千川まで行くから。」

これは忘年会最大の山場だったかも知れぬ。詐欺電話は娘の家に先日も物凄く可愛い声で「Sちゃん居ますか、中学同級の鈴木ですけど」なんてのが掛かってきたそうだ。何れにせよ、他愛のない話で終始して2時間半以上、腹が一杯にで、喉の痛みも和らいだ気分だ。適度な会話の必要性が身に沁みて分かったような気もする。今年も余すところ僅か、このように他家に嫁いでいるとは言え娘や孫と気楽に会えることは有り難い。

2022年12月17日土曜日

勇ましい

 政府が発表する文書は大体読みにくいとしたものだ。昨日閣議決定された3文書即ち「国家安全保障戦略」、「国家防衛戦略」と「防衛力整備計画」もその例にもれな。詳しく読んでいないが、何やらこれまでの専守防衛論を捨て去って戦争への参加宣言にも受け止めることになる。アメリカは喜ぶかも知れぬが、敵国に位置づけられた中国と北朝鮮とロシアにすれば、相当頭に来るに違いない。先の大戦前までは日本陸軍の仮想敵国がソ連で海軍はアメリカだった。陸海軍が養成した優秀な若者が、日夜頭を捻って戦争に勝つために何が必要か、考え続けていたと思う。

昨日発表された文書には同盟国と同志国などとの連携で、と再三出てくる。同志国は初めて聞く国なので参考までに下記に上げる。

 豪州:「特別な戦略的パートナー」として、米国に次ぐ緊密な防衛協力関係を構築 印度:海洋安全保障をはじめ幅広い分野において二国間・多国間の軍種間交流をさらに深化

 英・仏・独・伊等:グローバルな課題に加え欧州・インド太平洋地域の課題に相互に関与を強化

 NATO・欧州連合(EU):国際的なルール形成やインド太平洋地域の安全保障に関して連携強化

韓国:北朝鮮を念頭に日米韓の連携を強化

カナダ・NZ:インド太平洋地域の課題への取組のため連携を強化

北欧・バルト・中東欧諸国(チェコ・ポーランド等):情報戦、サイバーセキュリティ、SC等の連携強化

東南アジア諸国等:各国の状況に合わせた各レベルでの協議、共同訓練、防衛装備移転等を推進

モンゴル:能力構築支援、多国間共同訓練等に加え、防衛装備・技術協力を推進

中央アジア諸国:能力構築支援を含む防衛交流を推進

太平洋島嶼国:同盟国・同志国等とも連携して能力構築支援等を推進

インド洋沿岸国・中東諸国・アフリカ諸国等:防衛協力を推進。特にジブチとの連携強化

これらが同志国とは知らなかったし、同志であろうと無かろうと、仲良くすれば良いだけにも思う。同志でない国はどうなるのかなあ?疑問も残るが日本政府はそのつもりだ。そして勇ましく戦争の中に足を踏み入れることになる。勝てれば良いが。それはやってみなければ分かるまい。

2022年12月16日金曜日

冬の定番

 月も半ば過ぎて年内にやるべきことも大方終わったと思いきや、昨夜からどうも身体の調子がおかしい。喉に痛みがあって咳に痰が絡んだりする。風邪だと思うが、明日の夜に次女と孫で忘年会の約束をしている。症状が重くなってキャンセルするのも嫌なので、早めにと思い、一番で掛かり付けの耳鼻咽喉科に行ってきた。コロナ前からの3年ぶりなので、対応が大分変わっている。体温は予め測って行ったが、改めて体温測定。ここまでは当然だろうが、次に生まれて初めての経験となる酸素濃度測定。ここで見事に引っかかった。何でも90%以上無いと異常とのことだが75%。

低血圧であるのは承知しているが、酸素濃度まで低いとは知らなかった。測定した看護婦さんが首を傾げて「手が冷たいので擦ってください。」と言われてその通りしたり、指を親指に変えたりしたが、再測定しても変化無し。次に手を右手から左手に変えて親指で測定すると99%と表示される。看護婦さんもホッとした様子。それにしても機械の判定も当てにならぬものだ。診察は口を開けての診察は無しで、マスクをしたままいきなり鼻から喉にカメラを挿入して行うスタイル。

喉に若干の腫れはあるが、声帯の奥にはさほど心配するほどのことは無し。鼻水はアレルギー性で、声帯が多少衰えているのは普段声を出さないからだろうとの診断。本当は歌でも歌えば良いらしいが、それは出来ない。一番良いのは本などを音読して筋肉を鍛えることらしい。文字は毎日読むが、馬鹿みたい真似だからそれも出来ないだろう。せめて明日の夜は娘や孫との会話を大いに楽しむしかあるまい。後は今月になって2度めの薬局で、処方の薬の受け取り。診察料と併せて2600円ほどになったが、市販の風邪薬を買えばすぐその程度になるだろうと諦めの心境。

人間に弱みは付き物。気をつけていても風邪に掛かりやすいのもその一つ。3年間風邪を引かなかった方が珍しいとも言える。今のところ、これで一応無事歳を越せそうにも思うが、何と言っても寄る年波だ、どこで何が起こるか分かったものでない。兎に角強気だけはいけない、ヤバイと思ったら、何度でも医者の門を叩くことにする。今日の耳鼻咽喉科は29日まで診療とのこと。

2022年12月15日木曜日

ワクチン接種

健康維持のためと思っても、もう余り無理はしたくない。とは思いつつ出来るだけ続けるつもりでいる生活習慣がある。早起きとなるべく午前中に主な仕事を片付けることだ。そして陽の高い内に散歩して1万歩を稼いでしまいたい。夜は9時頃には寝てしまいたい等がある。しかし、今でも少しはいろんな付き合いもあるし、社会人として欠かせない用事もあるから、毎日判で押したようにはいかなくて当たり前。でも重要視するのはやはり睡眠時間かも知れぬ。

一般には6時間半は必要とされているようなので、なるべくそうしたいと思ってはいるが、横になってる時間が同じでも、質の良い睡眠とそうでない睡眠があるのは誰も経験することだろう。実は今週月曜日午後3時にコロナワクチン5回目の接種を受けた。一種の副反応だと思うが、接種された左肩が痛くて腕が思うように動かない。寝ていても寝返りの度に痛いので、一昨夜あたりまでは何となく睡眠が浅かったように思う。昨夜は大分軽くなったが、それでも完全ではない。

それは兎も角、政府の新型コロナ分科会の尾身会長が5回目接種したにも関わらずコロナウイルスに感染したとのこと。昨日は親しい友人もこの秋感染したとも聞いた。ウイルスは何者であっても容赦なさそうなので油断は出来ない。と言ってはみても特段の用心が何かは分からない。あまり深く考えても詮無いことだが、このワクチンなる代物も不思議なものだ。何故筋肉注射なのだろう?身体の細胞に万遍無く行き渡らせるなら血液に運ばせる方が手っ取り早く行きそうにも思ってしまう。

TV等でメッセンジャーなにやらがタンパクに取り付く図解を見た記憶もあるし、全身に行き渡るには1週間から1ヶ月ともよく聞く。あのほんのチョッピリの液体が行き渡るのと言われるのは身体の全細胞?とすれば数十兆個?考え始めるとこちらの馬鹿さ加減が分かるだけ。馬鹿は大人しく接種を受けてじっとしてなさいか。面白くないが未だ暫くはできるだけ人と会話せずに過ごすしかなさそうだ。 

2022年12月14日水曜日

デジタル化時代

 政治関係の話題が続いてしまった。いくら力んでも所詮は蟷螂の斧、また顔に似合わない岸田首相の強気の姿勢では蛙の面に何とやらでどうにもならない。話題を世相に変える。流行りではあるが、なかなか馴染みにくいデジタル化だ。電車の中でなにやら熱心に指を動かすおばさんやスーパーの店なかでスマホを片手になにやら探しものをしてるこれまたおばさんを見る度に、俺もなんとか追いつきたいと努力してみても、どうしても真似ができない。

子供の頃最初に触った機械は古い自転車かもしれない。誰に教わったか覚えていないが、三角乗り(サドルからはペダルに足が届かないので、フレームに片足を突っ込みペダルを漕ぐ乗り方)を覚えて、家にあった古くて重い自転車を乗り回したものだ。小学校高学年か中学に入った頃になると鉱石ラジオ作りが流行ったので、電気屋に行って部品を買い、それも一応やってはみた。その時分から科学に興味を覚える同期生は真空管を使った本格的ラジオを製作したり、無線機を組み立てるようになったが、それは別世界のように思えてついて行けなかった。

何故か、本を読んで勉強したり、制作にかかっても集中する時間が鉱石ラジオとは桁違いだからだろう。現代進行しているデジタル化に追いつけないのも同じ理由のようだ。先ず、機械の類を買っても、取り扱い説明書をまともに読んだことが無い。スマホを買っても携帯電話としてしか利用できないのも仕方あるまい。ガラケーからスマホに切り替えてもう1年ちょっとになるが、最近初期設定が充分でないことにやっと気がついた。恐らく他にもあるかも知れぬが、気がついたのはショートメールに理解不能な表示が消えず、あちこち弄り回しているうちに、(初期)設定をしますとの表示。

訝りながら結構な時間を掛けて新しいソフト?をダウンロードすると、その表示が消えた。しかも、それまで歩数計のカウントがなんとなく少なすぎるように感じていたのが改善されてしまった。古い自転車に乗っていた時代は、要所に機械油を注せば、動きが若干良くなったとしたものだ。現代のスマホは油を注す場所は無さそうだが、ソフトかアプリか知らぬが、得体の知れぬなにかで働きが変わってしまう。知識があれば不思議ではないだろうが、無知だから不思議でならない。

それにしても、メモぐらいまでは理解できるが、財布を一切デジタル化してスマホで持ち歩くだけの気にはならない。大した金額を財布に入れていないのによく言うよだ。マイナンバーカードが保険証になるそうだが、未だ一度も保険証として使ったこともない。悔しいがペーパー時代の人間だ。

2022年12月13日火曜日

目覚めよ日本

 先日来我が国の将来を考えている。何事につけ先進国と言い難くなっている現状を思うと、やはり日米同盟の軛から脱却して、真の独立国になることが必須との思いが益々強くなっている。しかしこの思いつきは多くの先人が考え、結局果たせなかっただけの難しさがあるに違いない。軛と書いた通り、日本が中途半端な独立国であることは歴代アメリカの関係者も承知のこと。70数年前の戦争で徹底的に叩き、辛うじて命だけは助けてやったのだ恩義も忘れないだろうから、間違っても同盟破棄だけは言い出さないと確信してるかも知れぬ。

先人たちも素直にアメリカの要求に応え、同盟の不平等さを我慢して防人の役割を果たしてきた。しかし、歴史的にもそれなりの文化や伝統ある国家が、千年以上培ってきた自主性を、たった一度の戦争に負けたからとて、戦勝国の奴隷状態を続けて良いものではない。アメリカにしても占領が如何に危険かは分かっていた筈だ。小生ごときが言わなくても、いつの日か誰かが臥薪嘗胆から立ち上がり自主独立の狼煙を上げる日が来るに違いない。その日が5年や10年で来るかどうかは分からぬが、その兆しを生きてる内に感じられることを期待したい。

それにしても現内閣のアメリカへの追従ぶりは酷すぎる。憲法を蔑ろにし始めたのは安倍政権からかも知れぬが、国民を舐めきっている。まるで国民に対する責任を放棄してアメリカの代弁者に成り下がっている。世界主要国会議の他国から見れば(G7)は(G6)と同じで、アメリカだけが発言権を2倍持つように見えるだろう。全く情けない限り。

現代は嘗ての冷戦時代と異なり、アメリカと反アメリカ国に二分化されてしまっているので、日本がアメリカ側に立つのは当たり前と考えているのかも知れぬが、アメリカとの貿易だけで国が成り立つならそれも良かろう。日本はそこまでアメリカに面倒見てもらってはいない。貿易の最大相手国は輸出入共にお隣の中国、安全保障問題が騒がれるが、エネルギーに関しても脆弱な日本は中東やロシアに依存せざるをえないことは誰もが分かっている。

そういった国の生存に関わる国々を敵国視する神経がどうしても理解できない。昨日の報道で驚いたことがもう一つある。朝日新聞デジタルの数日前の記事になるが「関東大震災の朝鮮人虐殺、揺るぎない事実を否定したがるのはなぜ?」<東京都の人権啓発活動の拠点となる施設で、関東大震災直後の朝鮮人虐殺に触れた映像作品の上映が中止されました。>とあった。これ以上は引用しないが、アメリカが先の大戦で我が国に対して行った非人道的行為の数々。これを忘れることは日本人なら出来ぬだろう。

2022年12月12日月曜日

読後感「明治政治史」(下)岡義武著

 上巻が手元に無い訳ではないが、読み終わるのがいつになるか分からないし、併せて読了した時点でまともな感想が書けるかどうか自信が無いので、取り敢えず書いておきたい。このことは一昨日読んだ月刊文藝春秋新年特大号に掲載されていた保阪正康氏の寄稿「平成の天皇皇后両陛下大いに語る」影響でもある。このブログについて当初、下らない作文なので自分が死んだら自動消滅するよう策を講じたつもりでいたが、子孫の誰かが読むかもしれないと思い返して趣旨を変更した。余談はここまで。

著者は書店で本書を購入するまで知らなかった。一読の価値ありと示唆してくれたのYouTube番組の平野貞夫×佐高信×早野透【3ジジ生放談】。話題が安倍晋三氏が生前愛読していたとされた「山県有朋」の著者と聞いてからのこと。山県有朋には特に個人的興味がなかったが、明治時代の歴史に少し興味がわいて上下2巻を同時に注文したら下巻が早く届いたので、そちらから読み始めてしまった。

著者の岡氏は1902年生まれ1990年に没したれっきとした政治学者なので、文学者が書いたものと異なり、文章自体は少し硬く、その上引用文が多いので少し読みにくいと言える。

本書は明治憲法が成立する「明治23年前後の我が国を巡る国際状況」から始まり大正3年「大正の政変」で締めくくられている。その間の日本には常に天皇の存在があり、政治家が天皇を巡って権力争いを繰り返すが、現在と異なり、結構重要な場面で天皇自身が個人的に意見を挟んだ様子も伺える。しかし、それは飽くまでも個人的問題であり、国家を形作り運営してきたのは政治家であったことも理解できる。政治家の国を作る熱意や個人的野心がないまぜになって権力闘争を繰り返す様。国が落ち着き豊かになるに連れ、政治が藩閥と言われた一部の天皇側近オンリーから一般市民も加わった上、片方で軍部との問題も大きな問題に発展していく。

軍部の問題は現在と同じ、費用の問題でもある。調達方法も同じで、消費税構想まで出てくるのは全く現在を見るような気持ちだ。そんな中にあって、軍部を手なづけたと言うか牛耳った山県有朋が実に大きな権力を手にして、政治を壟断したこともよく分かった。1940年生まれなので、明治時代の歴史は殆知らないに等しかったが、日清、日露戦争も政治家の暗殺も、ずっと後を引いて繰り返されてる問題であることを認識したとも言える。

2022年12月11日日曜日

夢のまた夢か?

 今朝知ったばかりだが、現在日本は軍事予算で見ると世界第7位だったか8位だったか忘れたが、兎も角ベスト10位には入っているらしい。政府は5年後にはこの予算を倍にすると決めているとのこと。2027年には予算だけで見れば順位は更に上がって、2位とか3位になる軍事大国になるとのこと。これに米軍駐留経費の負担分を加えると更にその額が増えると、寺島実郎氏が言っていた。大抵人がそうだろうが、驚きもし不思議に思った。5年先のことで生きているかどうかも分からないから悩まない方が良いのかもしれない。

政府は安全保障を確たるものにすると仰るが、軍事予算を増大して軍備を高めれば国の平和が保てるなら結構なことだ。しかし政府が言うところの安全は、脅威(敵国からの攻撃)が前提にあっての話。説明を聞いていると、日本はまるで四面楚歌、接する国々の多くが敵であるような言いぶりだ。当然ながらこういった発言は相手国にもすぐ伝わる。相手国とは友好条約を交わしてる国が殆どだから、相手国は日本に不信感を持っても不思議は無い。口先では友好を深めながら言うべきことはきちんと伝える、みたいなことを言うが通用するだろうか?

好戦的な国であることが国の安全に繋がるなんてありえないこと。最近毎度同じことを繰り返し書くが、戦は平和と最もかけ離れた考え。軍拡なんて馬鹿なことを考えずに、民生の充実に予算を振り向けるべきだ。その結果、アメリカが「もう安保条約を破棄しようとか、日本を守ってあげないよ」と言ってきたら、そこで国民に信を問うてみれば良いだけのこと。もう一人前の大人、むしろ独立から勘定すれば71歳の老人なんだから、家庭教師かガードマンのアメリカさんにお引取り願い、自前の防衛を考えるのも良いのではないか?

非同盟国の独立国になったら、防衛費の増額が必要かどうか改めて考えれば良いだろう。その時国論が大きく割れ、右翼勢力が力を増すなら仕方ない。しかし非同盟の多国間主義を取り、別にアメリカも敵としないなら、防衛費がそんなに必要になる訳がない。必要な防衛力を自前で賄う必要が生じるだろうから、新しい産業発展にも繋がる可能性もある。外交姿勢や政治体制にも変化が生じ、国柄が変わる気がする。夢のまた夢のような話だが、5年位の間にそんな事が起きてほしいものだ。

2022年12月10日土曜日

過去か未来か

 友人が長野県のローカル紙の記事「自衛隊がAIを駆使して世論誘導の研究」を送ってくれた。もちろん自衛隊に限らず内閣府や警察関係も同様だろう。中国ではとっくの昔からだろうし、孫の一人もそっち方面を大学時代から専門としてるので、自衛隊が行うことに不思議は無い。しかし世論は研究できても、世の中の変化そのものを変えることは容易であるまい。

一昨日昨日と日本政治の復古主義の危うさを書いたので、今日は最近感じている世相について触れたい。戦後の日本は一貫して個人主義を念仏のように唱えてきた。このことと関連して、昨日の報道が世相をいろいろな意味で反映してると思う。ご承知の方は多いと思うが長野市の「公園廃止」の件。故郷長野の件でもあるので、少し詳しく紹介しよう。とある公園近くに住む60代か70代の老人夫婦が近くの公園に昼間来る近くの保育園児が喧しいので何とかしてくれ、と市当局にクレームを付け、市がそれを受け入れて公園廃止を決定した。これに市議の一人が市議会で異を唱えて市長に撤回を求めたが、市長は受け付けなかった。

世代間の問題で言えば、市の公園近くに住む何もしてないリタイアメント夫婦。そこに天気の良い日に先生か保母さんに率いられて現れる4,50人の子どもたち。そんなに長時間である筈はないが、元気に遊び回るのは当然のことだ。その光景の受け止めも人によって異なるだろうが、只管喧しいだけと思う人がいるのは仕方がない。公園の周りには多くの家があり、市にクレームを付けてきたのは1軒だけらしい。そのクレームをまともに受け止めて、公園廃止の決断をした担当者がテレビでなにか言っていたが、詳しく記憶していない。

市議会の機能についても一言言いたい。市長にすれば一旦決済した案件をいきなり一人の市議からひっくり返せと言われても、「はい分かりました。」とは言えないのだろう。これも市議会から国会にまでに至る見慣れた風景。市議の方ももう少し根回しをすれば、案外簡単に事が収まったかも知れぬが、それではアッピールができないので演出をした可能性もありそうだ。真相やら先行きは分からぬが、可哀そうなのは運動時間が少なくなる園児たちのこと。

幼い子供にとって遊びはもっとも重要な栄養素のようなもの。その機会の一つが失くなれば代替を先生たちが見つけるしか無い。アメリカあたりは幼稚園でも小学校でも子供が家を離れる時は親が付き添うか、迎えのバス停まで送るかが当たり前のようだ。比べれば日本はまだましだが、老人が増え続ける日本も政治的には未来か過去か、選択を迫られているように思う。

2022年12月9日金曜日

戦前回帰

 昨日のブログでも書いたが、先の大戦の開戦から81年、長い月日にも思うが我が人生とほぼ同じと考えれば短いものだ。開戦は我が国が近代国家を世界に宣言した明治憲法制定(1889年)からそれこそ僅か半世紀(正確には52年)後のこと。国内政治の混乱に乗じて軍閥が政治を蹂躙して国民に塗炭の苦しみを与えた。現代日本も、当時と似たような政治の混乱がここ30年強続いているように思う。明治時代の半ばからは乗じたのが山県有朋に代表される軍閥政治家だったが、現在もその流れを汲む自称保守を名乗るインチキ政治家集団が頭角を顕にしている。

先日のドイツのように、秘密裏に連邦政府へのクーデターを企てるなら可愛いものだが、日本は悪性ウイルスのように民主的政治家の仮面で、先祖返りを狙ってるのだから恐るべきことと言わざるをえない。彼らが唱える国の安全保障論は最近とみに声高になって、国の富を無駄遣いしている。カルト宗教にことよせ庶民から金を巻き上げて韓国に送らせたり、役にも立たない兵器をアメリカから買ったりするのがそれだ。武力による国防を司る他国並みに防衛省が設置されたのは2007年だからそんなに昔ではない。しかしそのだいぶ前から自衛隊を取り巻く政治家は、着々と法整備を含め憲法違反の実績を積み上げてきている。

歴代の防衛省担当の政治家は全員このウイルスに侵されているとも言えるが、彼等を病棟に隔離は出来ない。アメリカは同盟国であっても外国の非民主化には無関心を装う。アメリカにしてみれば自国の利益に反しなければ関係ないのだろう。本当に信用できない国だ。記憶にあるだけでもアメリカが始めて未解決の戦争が幾つあることか?ベトナムとは最近やっと国交正常化に漕ぎ着けたが、北朝鮮、イラク、アフガニスタンはどうなっているのか?戦争は先の大戦を経験してない最近の政治家が気安く考えるように、一旦始めると簡単にけじめをつけることは出来ないものだ。

最近思うのは、長距離射程のミサイル導入問題。空襲警報(Jアラート)一つまともに発信できない自衛隊にそんな代物を配備してどうしようと言うのか?お笑い草にもなりはしない。最近はロシアが起こした戦争のせいもあろうが、自衛隊の現職だったり元隊員が堂々とテレビに登場してしたり顔で戦争の解説をする。スポーツ解説ではあるまいに、自ら血を流したり人を傷つけることを本職と自覚するなら、最もしてはいけないことだろう。

2022年12月8日木曜日

今日の日

 今日は言わずと知れた開戦記念日、と偉そうに書き始めたが、キーを叩いたら最初の変換が<海鮮>次が<回線>だった。過去日本は大きな戦争を何度もしているので何戦争か説明が必要が、開戦当時1歳半だから大東亜戦争の相手国がどこかもはっきり知らない。当時の大本営発表の映像では「本日未明我が陸海軍は、西太平洋上に於いてアメリカ・イギリスと戦闘状態に入れり。」とある。では東南アジアでのオランダ軍やインドネシア軍とはいつ開戦しただろうか?父が直面した相手なので、知りたい気持ちもあるが知らぬが花かも知れぬので話題を替えたい。

世の中は必ず大きく変化するものだが、「それを1年とか5年といった短い単位でなくて、10年20年或いは50年100年と大きな単位で見てみなさい。」これは4日朝のNHK総合の「演芸図鑑」に出演した樋口恵子さんが先輩秋山ちえ子さんから教わったと語っていた。樋口さんの著書は今でも書店に並んでいるから知る人も多いだろうが、秋山さんとなると1917年生まれだからもう殆どの人から忘れられた存在で不思議はない。自分としてもそろそろ年寄りの仲間入りだから、樋口さんの話は妙に説得力を持っている。

確かに言われてみれば、東京に出てきたのが10代後半で、4年後にサラリーマンになって約50年強で年金生活に入った。この人生を前半と後半に分けて考えると、秋山さんが言われるようにの日本社会は大きく変わってるようにも思う。子供時代を差し引いて前半を55歳頃まで、後半をそれから今日までと仮定して考えた。自分も随分変わっているが、世の中も相当変わっている。前半は世間のことがよく分からなかったが、なんとなく世の中の動きに乗ってたようにも思える。後半になると、個人的にもつまづきが多く、世の中もなんとなく停滞から衰退に向かい始めた。今にして思うと、小生を含め殆ど人が、どうやら食えるようになったのは良いが、その頃から日本の社会がバラバラになり始めたと感じている。

日本はちっぽけな国の割には人口が結構あって、それなりに纏まっていたような感じがあった。それが半世紀近く発展、それもどん底状態からだから、国民がバラけてしまうのは当たり前なのかもしれぬ。バラけた結果見え始めたのが様々な矛盾。真っ先に感じたのは、日本が単一民族だと勘違いしていたこと。最近大分問題化しつつあるが、自分を含めてそうだったが、多くの国民が外国人を自分とは別の人類として差別してきたこと。最近の報道で人権問題が頻繁に取り上げられるようになった。外国から見れば日本には大きな人権問題があることは間違いないだろう。これを本論として書きたかったが、最初に余計なことを書きすぎた。後日に改めて考えたい。

2022年12月7日水曜日

政治と人情

 今朝の東京は今季一番の冷え込みだった。でも寒さの中、早朝8時チョイ過ぎに長女が、旦那の実家山形から届いたりんごのお裾分けを持参してくれた。いつものことだが、自転車で来たので寒かったにちがいない。我が家には客を饗す準備が皆無なので、コーヒーカップに熱い日本茶を注いで歓待、家族の近況報告を聞き、年末年始の過ごし方について情報交換。互いに原則は昨年同様自宅を動かずに過ごすこと、年始の挨拶も2日の朝改めて家族全員で来ることなどを決めた。

その後、掛かり付けの内科と皮膚科を周り、薬局で薬を受領したので珍しく多くの人と会話した午前中だった。内科はこの後、来週月曜にワクチン接種があるので未だ年末の挨拶には至っていない。しかし支払いは今日が今年の最後。医療費が前回の倍に跳ね上がってるのは先日の歯医者で経験済みだが、3軒回って全てが前回の倍だから、政府も思い切った年寄りイジメをしてくれたものだ。

政府の情の無さは改めて言う程のことでは無いかもしれぬ。昨日たまたま観たYouTubu番組https://www.youtube.com/watch?v=62nyVxEuOLs&t=3376sで元参議院議員の平野貞夫氏が言ってくれた。(時間があれば是非ご覧頂きたい)平野氏は5歳も年長だが矍鑠として言わんとする所は十分理解できる。更に議員であったこと以上に衆議院事務局勤務が長く、その間に議長や副議長の秘書を歴任しているので、下手な議員より遥かに政界の裏事情に詳しく、話は傾聴に値する。氏は岸田首相に直接会ったことは無いらしいが、次のように言った「岸田首相は全くロボットのようだ。」実に言い得て妙だと思う。あのおかしな口調、人間味を感じない変な政策決定、どう考えても常識以前だ。平野氏は操縦してる人間については流石に特定していない。

話が飛躍するが、今年は世界的に著名な2人の指導者が亡くなった。英国のエリザベス女王と中国の江沢民元国家主席。女王の場合は国葬で、日本からは天皇陛下が参列された。しかし元国家主席は国葬とは言わない。先日も書いたが、にも関わらず、死亡と同時に国連を筆頭に西側の非常に多くの国家が悲しみを表明した。そして昨日は現国家主席習近平氏が委員長の葬儀委員会が北京で追悼大会を行い、国民と悲しみを改めて共有している。形ばかりに思うかもしれぬが、弔慰の表し方は見事なものだ。

日本でも先日、岸田首の名において故安倍晋三元首相の国葬式が執り行われ、アメリカの副大統領の参列のみが強調されている。ロボットには葬儀を取り仕切るのは難しかろう。

2022年12月6日火曜日

拍手

 昨日は早寝をしたのでサッカーワールドカップの対クロアチア戦の中継は観なかった。今朝詳細を知って、これでまたサッカーを志す若い人が増えるだろうと思う。サッカーのルールもよく知らないし、若い頃からサッカーをしてる友人が何人も居たが、したこともないので面白さも正直分からない。それを知ってる人が世界中にいることだけは分かる。ひょっとすると世界的宗教キリスト教や仏教、イスラム教信者数と比肩するのではなかろうか?スポーツは闘いであるが、ルールがあって、それに則り極めて平和裏に行われるのでファンが増えることはよく理解できる。

このスポーツ精神を世界平和に役立てようとしたのがフランス人のクーベルタン氏であることは有名だ。しかしオリンピックは規模が大きくなりすぎたのか、先の大戦前辺りから政治利用が始まり、最近では商業主義に汚染されてすっかり堕落してしまった。国際サッカー連盟も今のところ政治主義を排除して、カタールなんて知らない人が多い中東国で開催を決め、選手たちにも政治的発言を禁じているように思う。しかし、ファンが多いから商業上の利益は相当なものだろう。

日本でプロサッカーリーグが誕生したのは1993年だから、もう30年近くになる。個人的には現役時代の晩年に近い。リーグを立ち上げた川淵三郎氏の履歴は全然知らぬが偉いものだ。スポーツ選手の中にも商才のある人がいるものだ。政治家の中にもこんなセンスの持ち主が居れば、日本の産業政策も少しはマシになるだろうに、笑。当時勤務していたちっぽけな会社にも熱烈なファンが1人居たが、おそらく近年はどこの会社でもワールドカップの話題でもちきりだろうし、休暇を取ってカタールまで観戦に行く社員が出ても不思議はない。ここ2週間サッカーの試合を何度もテレビで紹介されたのでサッカーの面白さが少しずつ分かってきたくらいだから、冒頭書いたような思いがして当然だ。兎も角昨日の試合は「健闘」に値する。

代表ーチーム全員に拍手を送ろう。

2022年12月4日日曜日

年末年始の予定

 師走だから少し身の回りを整理したりしなければならぬと思いながらも、どうも身体が思うように動かない。毎年のことだから手際よくしたいものだが、考え始めるとどこから始めたものか迷ってしまう。それでも一つ思いついてしようとする。すると今度はどうしても思い出せない事があって、作業が頓挫する。年寄りの記憶は本当にあてにならない。記憶に基づいて手足を動かす、毎日やっていることであればどうにか出来るが、1年ぶりとなると極めて心もとない。

コロナ禍にこと寄せして、お世話になった人や親族などに対する最低のあいさつ回りも3年来していない。年賀状も1通も出さないし。呆れるほど怠慢の極みだから認知障害が一層進むだろうと勝手に心配している。年内の予定は医者通いがワクチン接種以外に2回、カレンダーの受け取りに銀行に行くこと。6日の午後、新宿の碁会所に行って毎月指導を受けていた先生に今年最後のご指導を願うこと。大晦日は自宅過ごす予定なので、年末年始2日分の食料調達をいずれ考える必要がある。来年は正月2日に次女宅でお屠蘇が飲めるだろう。

そして代り映えのしない年が始まることになるはずだ。

2022年12月3日土曜日

政治課題

 世界のスポーツ人口で最大はサッカーらしい。若い頃はサッカーのゴールポストがある運動場は少なかったが、通っていたのが信州大学付属小中学校だったので大学のグランドにそれが有った。近年は日本でも野球以上に人気と孫たちから聞いたこともある。今年はその4年毎の祭典、ワールドカップがカタールで現在進行中。今週日本チームが1次予選を通過して報道も盛り上がっている。自分が不器用でスポーツは何をやっても上手にならないので、普段からあまり関心が無いが、日本人の活躍は人並みに嬉しい。本戦参加は実力に応じてるようにも思えないが、健闘を祈ろう。

今週もう一つ気になったニュースがある。中国共産党の長老江沢民氏の死去だ。氏は96歳で白血病などの持病が悪化してとのこと。いわば天寿を全うだからご本人や家族に不満は無いだろう。中国政府も最高の弔慰を表しているように見える。感心したのは国連が事務総長のメッセージを発したのは当たり前としても、安全保障理事会の全員が起立して1分間の黙祷を捧げたこと。個人的には氏の功績を認識できていないが、先日武道館で行われた故安倍晋三氏の国葬儀を思い出し、その落差の大きさに思いが至ってしまった。

儀式は飽くまで厳粛に行うが、政治は休まない。別次元のことと見せつけられた思いでもある。中国は現在内外に幾つもの難題を抱えている。最大は内にあっては鬱積する国民の不満に向き合うコロナ対策、外にはアメリカとの敵対関係国への対処かもしれぬ。しかし政治課題と儀礼儀式は別次元とはっきり割り切っているのも日本とは大違いだ。具体的には、国を挙げて喪に服す中、政府はEUの大統領を迎えたりして活発に活動している。国家主席が3度目の就任をして、いの一番にやってきたのが、ドイツの首相。アジア諸国からも首脳の訪問が続くのは当然のこと。何故日本が祝意や弔慰をを北京に行って表さないのか、表せないのか不思議でならない。

むしろ当てつけがましく台湾に萩生田光一政務会長を送り込む丁寧さ。アメリカ一辺倒だからアメリカ事情に精通してくれてればそれでも良いだろうが、アメリカの政局が今後どんな展開になるか、どう見てるのだろう?共和党トランプ氏が逮捕されることを願っているのかも知らぬが、案外バイデン氏だって、足元が相当揺らぎ始めているのではなかろうか?国会で多数を握っていさえすれば、何をやっても構わないと思っているようにしか見えない現政権。タッグを組む公明党まで抱き込んで戦争準備に余念がない。

しかしその相方公明党は旧統一教会の煽りで、週刊誌ではカルト集団の化けの皮が徐々に公然化されるつつある。どこで食い止めるつもりか知らぬが、世間を甘くみてはいけない。

2022年12月2日金曜日

師走

 師走に入って寒さが本格化してきたような気がしないでもない。しかし、地球温暖化の影響かもしれぬが、一昔前を思えば暖かい。1996年だからもう26年も前になるが、12月2日は父の葬儀が長野市内で行われた。当日東京の状況は記憶に無いが、少なくても長野市内は夜来の大雪で積雪も20センチ近くあったような記憶がある。本来我が家の菩提寺は市内の北でやや高台にあったので、急遽葬儀の場所を市内の低い場所にある曹洞宗の寺に移して執り行ったことを思い出す。

最近は毎朝仏壇の前で拝む習慣がついているので、記憶にある亡き両親や家族のことを思わない日は無い。しかし父が亡くなって四半世紀以上になっているとは今朝初めて気がついた。改めて月日の経つ速さを感じると同時に我が身を思った。父の享年まで生きたいが父は享年91、後10年もある。自身既によろよろし始めてる上に、環境が大分異なる。少なくとも父の時代にはおかしな感染症はなかった。可能性は低いだろうが、日本が戦争に巻き込まれないとは断定しにくい。巻き込まれたらその時点で一巻の終わりを覚悟すべきだ。

年寄りが余計な心配をする必要は無いかもしれぬが、してしまうのが世代の違いだろう。師走はキリスト教信者には祈りの月、仏教家庭で育った身ではあるが、世代の違いで先を思うと、二人の子供と三人の孫には彼らの祖父母、曽祖父母にならって長生きすることを祈ろう。

2022年12月1日木曜日

認識ギャップ

 比較的治安状態が良いとして国際的にも認められている日本で、土曜の夕方八王子市内の東京都立大学校内で、同大学教授の宮台真司氏が何者かに襲われて重傷を負う事件が発生した。氏についてはネットでは毎度お馴染みだし、直接講演を聞いたことも有る有能な社会学者と認識している。氏は暗闇の中、いきなり後ろから頭と首に切りつけられた。氏は空手や中国武術など武道に精通していたので、全身相当な切り傷を負いながらも不幸中の幸いで一命だけは取り留めた。しかし今のところ犯人は逃走して特定されず、動機も確定は分からないままだ。

兎も角、講義が終わるスケジュールを事前に把握していた可能性が高いことや、氏のメールやツイッターのデータ解析からもトラブルの確認は伺えず、何らかの言論封殺の可能性が高いともされている。氏は7月の安倍元首相暗殺事件に関し、山上容疑者の犯行の動機を、「統治権力に政策変更を迫る世直しテロ」ではなく、「個人的不満と統治権力に頼らない自力救済」だと述べていたそうだ。今回の事件が7月の事件と関係がある、或いは共通する何かがあるかどうかは分からない。

日本社会に何か澱のような物が溜まり、そこから時折吹き出る可燃性ガスの不気味さを感じざるを得ない。日本は一見するに極めて平和で、若干の価格高騰があっても物資も豊富だし、冬を迎えても暖房用エネルギーや、車のガソリン供給が滞ることも無い。しかし、先行きを思うと余りに希望的な材料が少なすぎるようにも思う。例えばコロナ対策、相手がウイルスだからいつ収束かは分からなくても仕方無いとしよう。しかし、これまで世界一の医療先進国とされていた日本で、この3年間に何が出来たのだろう?

少なくとも外国では、コロナ禍発生によって耐ウィルス解析が劇的に進化し、ワクチンが驚異的スピードで開発されたと言われている。専門家は、日本でも開発は出来ているが承認されていないだけと言うが、承認システムのどこに問題が有るのかはっきりさせてもらいたい、と言いたくなる。お上のすることに違和感を感じるのは、市民が直面する問題への対処が余りに悠長すぎる。議論に登場するのはいつもの常連ばかり。有識者とされる彼らは常識程度の知識は有っても、最新事態に関する専門知識には欠ける。対処の決定が速やかにされる筈も無い。

何の知識や知見を持ち合わせない小生でさえ、インターネットのお陰で最新の情報だけは簡単に入手可能だ。この認識ギャップが澱となって社会に様々な悲劇を生んでるとしか思えない。