2022年12月10日土曜日

過去か未来か

 友人が長野県のローカル紙の記事「自衛隊がAIを駆使して世論誘導の研究」を送ってくれた。もちろん自衛隊に限らず内閣府や警察関係も同様だろう。中国ではとっくの昔からだろうし、孫の一人もそっち方面を大学時代から専門としてるので、自衛隊が行うことに不思議は無い。しかし世論は研究できても、世の中の変化そのものを変えることは容易であるまい。

一昨日昨日と日本政治の復古主義の危うさを書いたので、今日は最近感じている世相について触れたい。戦後の日本は一貫して個人主義を念仏のように唱えてきた。このことと関連して、昨日の報道が世相をいろいろな意味で反映してると思う。ご承知の方は多いと思うが長野市の「公園廃止」の件。故郷長野の件でもあるので、少し詳しく紹介しよう。とある公園近くに住む60代か70代の老人夫婦が近くの公園に昼間来る近くの保育園児が喧しいので何とかしてくれ、と市当局にクレームを付け、市がそれを受け入れて公園廃止を決定した。これに市議の一人が市議会で異を唱えて市長に撤回を求めたが、市長は受け付けなかった。

世代間の問題で言えば、市の公園近くに住む何もしてないリタイアメント夫婦。そこに天気の良い日に先生か保母さんに率いられて現れる4,50人の子どもたち。そんなに長時間である筈はないが、元気に遊び回るのは当然のことだ。その光景の受け止めも人によって異なるだろうが、只管喧しいだけと思う人がいるのは仕方がない。公園の周りには多くの家があり、市にクレームを付けてきたのは1軒だけらしい。そのクレームをまともに受け止めて、公園廃止の決断をした担当者がテレビでなにか言っていたが、詳しく記憶していない。

市議会の機能についても一言言いたい。市長にすれば一旦決済した案件をいきなり一人の市議からひっくり返せと言われても、「はい分かりました。」とは言えないのだろう。これも市議会から国会にまでに至る見慣れた風景。市議の方ももう少し根回しをすれば、案外簡単に事が収まったかも知れぬが、それではアッピールができないので演出をした可能性もありそうだ。真相やら先行きは分からぬが、可哀そうなのは運動時間が少なくなる園児たちのこと。

幼い子供にとって遊びはもっとも重要な栄養素のようなもの。その機会の一つが失くなれば代替を先生たちが見つけるしか無い。アメリカあたりは幼稚園でも小学校でも子供が家を離れる時は親が付き添うか、迎えのバス停まで送るかが当たり前のようだ。比べれば日本はまだましだが、老人が増え続ける日本も政治的には未来か過去か、選択を迫られているように思う。

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