2018年3月31日土曜日

独居の近況報告

やっとのことか、もうと言うべきか分からぬが3月も末日になってしまった。風は冷たくとも、東京の桜は大分散り始めて葉桜になりかかっている。埼玉の田舎(鴻ノ巣)に住んでいる友人から明後日家内の弔問に行きたいと連絡があった。若い頃家族ぐるみで付き合っていたので奥さんと一緒に来てくれるとのこと。線香をあげてからゆっくり昼めしでもしましょうとのこと、先日も書いたように、独居になって3か月も経つと確かに寂しくなり始めているので大歓迎だ。

これは家内を亡くして間が無い頃に、弔問に来てくれた家内の友人たちが言っていた通りだ。今度の土曜日は葬儀の総仕上げで長野で納骨をせねばならない。今週は酒を飲む機会が2日あったし月曜日にもまた飲むことになるだろう。最もよく行く飯屋で、昼でも夜でも少し時間をずらして来て、一人で飲みながら食事をしている老人が何人かいる。元来こちらも嫌いでないので、俺も注文するかと誘惑にかられるようになった、変に火が付かなければいいが、どうなることやらだ。

今のところは遅くも10時半には寝て、6時前には起きる習慣になっている。毎朝仏壇に水とお茶と線香を上げてから朝食にするのも今のところは欠かさずしているが、果たしていつまで続けられるか?家のリフォームに取り掛かったので5月一杯くらいは何とかなりそうだが、それ以降何をして時間を潰すか悩ましい問題かもしれぬ。独居生活を約3か月して思うのは、四六時中食い物のことを心配しなけれならないことだ。極言すると1日の半分くらいは食事(買い物を含め)のことで費やされ、洗濯や風呂(これが今は銭湯なので余計大変)の心配を加えると、とてもじゃないが本なんか読む気にならない。

それでも出来るだけ徘徊して足だけは使うようにしている。これが一種の老化防止で痴呆になるのを遅らせてくれると信じているが、この俗説が正しいことを祈るばかりだ。本当は里山ハイキングが理想だろうが、未だ何となく怖いので1度もいけてない。代わりに昨日は「東京ミッドタウン日比谷」、今日は「皇居乾通の通り抜け」と、お上りさん宜しく雑踏に紛れて歩いてきた。感心するのは都会だけにセキュリティーが行き届いている点である。現役時代にデパートの催事など関係したことがあるので、客の動線とか誘導について少し齧ったが、現代はそれが実にスマートになっている。

日本はテロの恐れも少ないので外国人が増えるのも当然だし、警察や警備会社の人間も親切だ。探せば食事も安くて旨いものが結構ある。江戸のど真ん中に行っても昼めしで千円使うことは滅多にない。

2018年3月30日金曜日

別世界人

数日前になるが、佐川氏の証人喚問終了を受けて、元外務省主任分析官の作家「佐藤優氏」のラジオ放送の内容が興味深かった。もちろん佐川氏証言についてはケチョンケチョンであるが、それはさて置き内閣支持率低下とテレビワイドショーとの関連を述べた件である。これまで連日森友事件を取り上げて視聴率を稼いできた民放テレビ局だが、これからこの事件から遠ざかるかもしれぬ。何故か、支持率がここまで下がると、視聴者が安倍総理や総理夫人の顔も観たくないとしてチャンネルから離れてしまう可能性がある。

似たような傾向が森喜朗政権末期にもみられたらしい。こちらもまだ現役でテレビ業界の水を飲んでいたはずだが気付かなかった。外交の分析が専門であっても面白い見方だと感心したものだ。たまたまかもしれぬが、その後電撃的中朝首脳会談が持ち上がったので、確かにテレビワイドショーでは森友事件は下火になりつつある。

同時に佐藤氏が述べていたことでもう1点、トランプが我が国の総理と会談して言うことはもう決まった。「晋三、白紙小切手を金正恩に渡せ。」とのこと。この数日成り行きを見ていると、これも相当説得力を持ってきた。結論として、今の日本をコントロールしている総理官邸は日本国民を全く見ていないで独自の理論をもって動いている。アメリカの大統領と100%意見同じくするのも、佐川証言で森友事件に政治家の関与が皆無だったと胸を撫で下ろすのも同じ論理によっているとのこと。

別世界と言う言葉もあるが、彼らは普通の人間の顔をして同じ言語を駆使しているように見える。しかし、その言語の意味するところと思考回路は全く別世界人と思わなくていけないようだ。

2018年3月27日火曜日

マスコミの役割

既に九段や皇居周辺の桜が満開なったとのこと。雪が消えていくのを悲しんだのは遥か昔のこと、今や暖かくなるのが嬉しい限り。韓半島に春が来そうなことも喜ばしいことだ。早く詳しいことを知りたいが、一連の動きに置いてけぼりを食らっている国の国民だから情報が無いのは仕方るまい。戦争が近づいてくる気配であれば、我が国の政権が全く蚊帳の外にあることをもっと辛辣に書くが、幸い雪解けに向かいそうな気配だから、マスコミ批判も控えよう。

心安んじて国内コップの中の嵐の報道、報道対象の政治自体がレベルが低すぎるから仕方がないかもしれぬが、こちらの報道も相当ひどい。国会で大騒ぎとなっている財務省の大スキャンダル関連報道を垣間見る限りのことだ。政治家各々がそれぞれの思いをからいろんな言葉を発するが、それが悉く噛み合わない。そして日本語の定義についての議論が延々と続くことに先ずうんざりすが、結論はいつも蛇か蚯蚓か判然としない。将棋の藤井翔太プロを持ち出すのは少し酷かもしれないが、小中学校の生徒会に関する学校放送でもこんな意味不明な放送は許されないだろう。

マスコミは何を読者視聴者に伝えたいのか?第一どこまで事実関係を掴んだのか?例えば森本学園絡みの事件について言えば、評価できるのは朝日新聞のスクープだけだろう。元々は豊中市の市会議員(党名は忘れた)の告発が端緒だったように思うが、朝日がこれを受け止め、この報道をまともに受け止めて最初に動き出したのは共産党だったと思う。しかし一旦政治に火が付いたものの、政治家が金品を受け取ったのではなく、金を渡してどこが悪い?と開き直られて選挙にまで持ち込まれ、朝日も完敗かとがっかりしたものだ。

今は購読をやめてしまったが、朝日はよく頑張ったと思う。執念には一定の敬意を表すべきだろう。今年に入って財務省公文書の偽造と理財局長の国会虚偽答弁を導き出した。今から1年前までの安倍総理の心境は、藤原道長ではないがこの世で思うがままにならざるものは何一つなしと思っていただろう。勿論一市会議員や一新聞ごとき問題じゃない、と極めて傲慢であった。しかし今月に入って朝日の報道には心底驚いたのだろう。国会を抑えただけでなく官僚・警察・裁判所まで抑えているのだから、どこからも水は漏らないはず。ましてマスコミなんぞは金と暴力で簡単に抑えが聞くはずだった。

嘘を隠し続けるためには更に多くの人間を巻き込まねばならない。さぞ頭が痛いことだろう。しかし常に多数が正義で少数が悪とは言い切れないし、正義が常に勝つとも限らない。いつも勝った方が正義になるわけだ。コップの中の嵐がどのように収まるのか知らぬ。冒頭に心安んじてと書いてしまったが、見苦しい立ち振る舞いの者が多くて嫌になる昨今である。

2018年3月23日金曜日

良い思いもしただろうが

権力を私物化したとの理由で韓国の前々大統領が逮捕された。韓国の政治や政党については何も知らないが、前大統領は既に逮捕されているので随分念のいったことだ。現大統領に対する支持率はかなり高いようだが、野党を応援する国民はこの事態をどう受け止めているのか、韓国人にちょっと聞いてみたい気もする。在日の韓半島の出身者・或いは2世、3世は多いらしい。

住まいする豊島区には(も?)外国人が非常に多く、一歩街に出たり店に入ると耳慣れぬ言語がやたらに飛び込んでくる。語感からどこのネイティブか聞き分けられないで、つい日本人と思って戸惑うことが多い。持ち物などから明らかに観光目的らしい人物はすぐわかるが、店で働く人たちや子供連れの人を見ると、彼らが何で態々日本に来ているのか不思議に思う時もある。確かに20世紀の終わり頃までは、日本はアジアの中では先進国らしい風情があり、第3国(禁止用語かな?)の人々から憧れの眼差しで見られていただろう。

しかし目まぐるしく変わる世界の中で、今や日本は経済的にもアジアの先進国とは言えない状態になってしまったことだけは間違いないようだ。なんで態々と思わぬでもない。とは言っても日本をGDPで遥かに凌駕する中国には、日本とは比較にならないほど大きな貧富の格差があるのは事実。どんなお金持ちでも一歩外に出れば、空気や景観は貧富とは無関係に全員が共有せざるを得ないから、住み心地はそれほど良くないのか?そんなことから日本が観光客に人気があるのは分る。

しかしここに住み着いて学ぶ価値があるのは何か?一見すると小ぎれいで、技術的にも優秀とされてきた日本製品やメーカーが、偽造や欠陥商品で化けの皮もはがれつつある。因果関係は分からぬが、恥ずべきことを覆い隠すのは国のトップ政治家も同じようだ。戦前に生まれた人間なので、どうしても韓半島人を見る時、上から目線になりがちだった。しかし、囲碁をするようになって、韓国人や中国人と少しずつ交際するようになって大分変った。先ず彼らの実力=頭の良さに敵わないと思い始めたことが最初。日本人だって決してバカではないはず。彼らが尊敬する日本人棋士もたくさんいる。

つまるところ、何国人であっても人間に大差はない、大差が生じるのは国ごとの社会システムにあるのではなかろうか。国の社会システムについてはこれまた複雑な要因が多すぎて、己ごときには優劣を論じることはできない。最近理解し始めているのは、政治指導者の力量がそれぞれの国家、社会に大きく作用するだろうとの思い。昨今の政治のドタバタを見て思うのは、総理を(で?)食ってきた安倍氏周辺の様々な人たち、これから幕引きまでの立ち居振る舞いである。

2018年3月21日水曜日

彼岸の中日

三寒四温の底に当たったようだが、お彼岸らしからぬ厳しい天気になってしまった。水曜は極力銭湯に行くようにしているのだが、霙をおしてまで出かける元気は無い。昼間もすることが無かったので久しぶりに区立図書館に行ったら、少し空いていたのだろう、今月売りの「文藝春秋4月号」を読むことができた。認知症の専門医が認知症になったとの記事があったのが興味深かった。認知症になっても文章を綴ることが可能らしいが、新しい記憶を持ち続けるのは相当困難になるらしい。

数時間前に読んだばかりだが、書いた先生の名前はもう忘れた。年齢は確か11歳上だったことは記憶している。しかし丸1日、飯屋の注文以外口をきかない生活を続けているとこちらの脳みそもおかしくなって不思議はあるまい。漠たる恐怖感が頭をよぎる。他には連れ合いを亡くした独居老人の特集があったが、同情、同感できるコメント・感想は少なかった。しいて言えば野村克也氏の佐知代夫人への感想、奥さんの逝き方が唐突と言う意味で似ているので共感を覚えた。野村氏は奥さんの逝き方がある意味、とてもらしい逝き方だったので彼女にとってもよかったのでは、と語っている。

更に、彼女は幸せだったのだろうかといつも自問しているようだが、これも同感である。但し納得のいく答えは永遠に見つからないだろう。

2018年3月20日火曜日

この先の不安

ここまで追い詰められても抵抗をやめない安倍政権をどのように書けばよいのだろう?見苦しいとか腐りきっているなんてレベルは遥かに超えている。知性と教養に欠ける者だけが為しうる振舞いとしか思えない。しかし命運尽きるのが時間の問題になっていることは確かだろう。そこで心配になるのが、続いて何が起きるかだ。与党が一蓮托生で野党に転落する現実味が薄いことだろう。

小生もマスコミに毒されすぎているかもしれぬが、弱体・バラバラ野党の支持率が上がる気配は今のところないし、腐敗政権が「面白い、一丁選挙をしてやろうじゃないか。」と解散してくれて、仮に野党が勝って野党連合政権が出現しても、民主党政権の二の舞じゃ困っちゃうなぁ。である。

明日か9月か分からないが、新しい自公政権が誕生することが日本社会にどんな変化をもたらすのだろうか?現政権下で余りハッピーでなかった層に少しは明るい兆しが齎されるのか。世界情勢との関わりはどうなるのか?国内景気を含め、ますます混迷が深まるのではないか?弱いお頭ではとても考えが及ばないが、どうも相変わらず3権分立がまともに機能しそうにないと、不安が増すばかりである。

2018年3月18日日曜日

「菊と刀」への疑問

昨日の続きみたい話だが、一昨日孫と一緒に見た映画の感想を兼ねて少し理屈をこねたい。タイトルは「15時17分、パリ行き」クリント・イーストウッドが製作・監督で出演はしていない。小学生時代から生活態度が悪い3人の仲良しグループのお話で、我が身に思い当たる節が多いので結構面白かった。この少年達が大人になって、ひょんなことから外国でテロリスト退治をして大きな社会貢献を成し遂げるのだが、本当にたまたまなことで、別に大人になって性格が変わったわけでない。ストーリーは実際に起こった事件に基づき、孫が言うには出演者も実在の本人だとのこと。すごくうまく演じているので3人全員が本職の役者でないとはちょっと信じられない。

イーストウッドはマカロニウエスタンの俳優から後に政治家になったりしたが、詳しい経歴や生活信条などは知らない。少しネットで確認すると、比較的裕福な家庭で育ったが、彼もできの悪い子供だったとのこと。しかしアウトローを専ら演じてきた割には、長じて全米ライフル協会の宣伝に一役買っているてな話は聞かない。想像するに結構真面目なのかもしれぬ。この映画の主人公たちも子供の頃から問題児であり、長じて軍人に憧れるが、何をしても挫折の連続である。経済的にも恵まれないが、屈託なく人生をエンジョイしている。きっと神を恐れぬというか冒涜、背徳的行為を重ねていたに違いない。しかし主人公が子供の頃から昼間の悪事はさて置き、寝る前に神に許しを請うことが習慣になっている。

ここが本日の書きたいことだ。キリスト教徒であるアメリカ人は「ジーザスクライスト」とか「神(ゴッド)」を、我々日本人と比較すると頻繁に口にするように思うが、彼らの意識に於ける「神様やキリスト様」の存在は日本人とはかなり違いそうだ。彼らの「神様やキリスト様」は全知全能かも知らぬが、自分の立ち位置からはずいぶんと距離がありそうに見える。

引き換え日本人の神様・仏様である。極めて個人的な思いかもしれぬが、自分との距離が非常に近い。隣近所の小父さん小母さんよりもっと近く、場合によっては背後霊なる言葉あるように肩に背負って歩いている人さえいる。少なくとも小生は、高校受験も大学受験も当時長野市郊外にあった旭山の観音様にお願いして霊験を授かったと今でも思っている。恐らくアメリカ人クリスチャンはそんな安易なことは思いつかないのではなかろうか?

大学時代に読んだだけなので内容はすっかり忘却の彼方であるが、戦後「菊と刀」なる本が流行った時期がある。著者は確かアメリカ人社会学者だったと思うが、日本人の社会規範は「恥」にあり、と看破したことが評判になった。当時は「なるほどね」と感心したが、一昨日テレビで伊吹元衆院議長の話を聞いてびっくりした。伊吹氏によれば、今回の森友事件に関して安倍総理夫妻の道義的責任はあるかもしれぬ。但し道義上の責任は法律をもって罰することはできないのだから、本人がどう考えるかは別にして罪は問えない。反町なんとか言うフジテレビの司会者は「お説ご尤も」と安心した面持ちで頷いていた。

著者のルース・ベネディクト女史が生きていたら本を書き直したくなっただろう。

2018年3月17日土曜日

モラルの底が抜けた国

昨年のことなのでうろ覚えだが、ある英国人ジャーナリストが次のように言ったそうだ。「日本で唯一のクオリティーペーパーは<日刊ゲンダイ>である。」勿論冗談半分だろうが、何となく賛意を示したくなる。駅で買ったことは無いが、無料のネット版があるので毎日のように大きな記事は読むことができる。 昨日配信されていた記事に次のようなことが書かれていた。確か財務省で二人目の自殺者が明らかになったことに敷衍した記事だった。

『こんな権力亡者どもに依然として腰が引け、証拠隠滅の改ざんを「書き換え」と表現するメディアもあるから許し難い。卑しい悪党どもに、これ以上、手を貸してどうするつもりなのか。この政権が望んでいるのは自分たちの保身だけ。信頼なんてクソくらえなのだ。もはや政権維持だけが目的化した世紀の浅ましさの我利我利亡者の存在こそが、前代未聞だ。』

クオリティーペーパーにしては些か下品な言い回しだが、最近のテレビを観ていると同感を禁じ得ない。

2018年3月15日木曜日

少し視野の拡がる思い

最近このようにブログを書き始めている。昨年暮れに婆さんがふいに居なくなって以来生活が激変しているなかで、今更心配してもどうにもならぬだろうが、心身両面の退化・劣化が激しいように思う。特に著しく感じるのが言語とか文字についての記憶の後退である、話し相手が居なくなっているのが最大の原因だろうが、少しでも抵抗するためには本でも読むのが良いのではと思ったりするが、今年に入って読書とは全く無縁になってしまった。することが細切れ的に続くので時間が無いからと言えなくない。言い訳は他にもあるかもしれないが、自分で言い訳しても始まらない。かくしてボケを実感してるが、これに抵抗するためブログに再挑戦している。自分でも言葉と文章が思い浮かばぬご粗末さに嫌になるがもう少し頑張ってみたい。

このところ新聞は読まず、ネットも文字を追うのは長続きしない。世の中の動きは専らテレビとネットもYouTubeに頼っている。言わば葦の髄から天井を覗いてるようなもので、毎日同じような顔ぶれの同じような話を聞いているとつまらなくなってくるのは当たり前だ。テレビなんてものは政界で何か事件らしいことが起きると、国民生活とどんな関係があるか、或いは如何なる意味を持つかなんてことを追求しようとか、深堀する意思は全く無いらしい。視聴率だけが目当てだから、目先を変えたように見せかけ話が堂々巡りしていてくれた方が都合良いのだろう。昔はこの世界に近いところにいたことを思うと恥ずかしくなってくる。

今日は久しぶりにやや落ち着いてYouTubeで面白いものを観た。日本外国特派員協会で昨日行われた田中真紀子氏の会見である。暇のある方には次をご覧になることをお勧めしたい。https://www.youtube.com/watch?v=A5fKLF47Zsc(約1時間半)
彼女に関しては嫌いな人も多いかもしれぬし、私としても総理の娘に対するやっかみもあり、好意的に思っていたとは言い難い。しかし今日これを見て、嫌い方向に振れていた針が少し逆に振れた。彼女曰く「日本人は平均的に少し豊かになってしまったので、政治に対する関心が薄らいでしまった。結果的政治家の質が下がってしまっている。ここを何とか是正するために小選挙区の見直しとかいろいろある。」中でも亡き妻もよく言っていたが「数を減らすと同時に立候補者に資格試験を導入すべきだ。」と言及した。

彼女の略歴などは知らないが、高校はアメリカの高校らしい。英語が上手かどうか分からないが、現在の外相河野太郎氏が国会議員の中でピカ一との評判だから彼ほどではあるまい。されど総理の娘、会場の雰囲気に飲まれないのは見事だった。総理の2代目、3代目政治家が多数いる日本で過去の人になった彼女だが未だ意気軒高だ。下手な映画より面白かったが、明日は久しぶりに孫と映画を見に行く予定、楽しみである。

2018年3月13日火曜日

揺るがしかねない?

世界に独裁国家は多々あるとされているが、北朝鮮はその典型例だろうと思う。その独裁者の金正恩は大分変わり者、変質者かと思っていたが、このところの報道を見る限りそう断言していいかどうか疑問を感じ始めている。こちらから見る限り、独裁で国民に苦難を強いる一方自分は贅沢三昧で痛痒を感じていない様子。これでよく反乱が起きないものだと不思議でならないが、若くして転がり込んだ権力を手にして以来、未だ7年、少なくとも2千万人か3千万人の国民を一定の方向に引っ張っていることだけは確かだ。

一方我が日本、他国から見て独裁国家と断じる人がいるかどうか分からないが、独断と偏見をもってすれば、現在の日本は安倍晋三の独裁国家とも言える。安倍氏もここ1,2年はそう思っていたことだろう。誠にご同慶の至りだ。しかし前回書いたように大分雲行きが変わってきた。世間で識者と言われる方の中には潮目の変化を認めず、未だ容易に安倍1強体制は崩されないと信じているのか希望しているのか分からない態度の人も多い。相対的問題である弱体野党を甘く見て高を括っているのだろう。

そのような流れを見ている裸の王様の安倍氏は、今回財務省の公式文書が改竄された事実が明らかになっても「行政への信頼を揺るがしかねない問題」と暢気になことを言っている。マスコミは「何が、しかねないだ?」とは反射的には切り返せないのか、兎に角仰る通りを垂れ流している。こんな現実は許すも許さないもない。常識ある人であれば、野党が言うように、少なくとも昨年2月以降の国会審議も選挙もすべて無効、とまでは言わなくとも、賛成したくなっても不思議は無い。政府関係者や与党議員は仕方ないが、マスコミの中でそういった意見に与する者は相変わらず少数だ。

政権擁護派は財務省の公文書改竄を単純な犯罪として、よって来る原因とは別問題として処理できると踏んでいるらしい。この理屈が通れば政権にとっては結構なことだろう。マスコミ報道は政権側見解を了とする人間と否とする人間を対等に扱うので、視聴者、読者は理屈の問題かと勘違い?するに違いない。先に対等にと書いたが、マスコミの露出頻度は正確には分からない。市井の人は反体制を良しとしないので体制側に知らずに寄せられてしまうだろう。衆寡敵せずということもあり、政府は何を言っても数が多い方の意見が必ず通ると思っているのだろう。理屈と膏薬はどこにでもつけることが可能なわけだ。

反政府側に偏る人も、この事実を根幹に結び付けるのは容易ではない、と必ず敷衍する。そんなことから結末を予想すると悲しいが、これを奇貨として追及を続ける弱体野党と何かと評判が悪い朝日新聞には敬意を表したい。

2018年3月11日日曜日

草葉の陰で

今年に入って既に2か月以上、真冬並みの寒気がやっと去ってようやく春めいてくるそうだ。諸事情があって亡き妻の遺骨が未だこの世にあるが、魂は既に我が心深くにあると信じたい。正月頃は新聞テレビも見る気も起きなかったが、最近は朝晩テレビを観るようになったし、大分新しい環境に順応できるようになってきた気がする。

妻は政治に強い関心を持っていた。きっかけは娘の小学校時代PTA活動に参加したことのようだ。そこで知り合った養護教官の先生が退職して区会議員に立候補したときに応援してからだから相当年季が入っている。学校での社会問題は地域の問題で、区政と繋がり、更には国政まで繋がっているようだ。こちらは仕事がうまく回るかどうかだけが唯一の関心事で、政治には特に関心が無かったが、リタイアしてからは妻の影響のせいで段々と関心を持つようになった。

現役時代には何でも仕事との関係で考えるので、霞が関官僚に影響力を持つ自民党の政治家以外は何の役にも立たない無用の存在くらいに考えていたものだ。それが自民党嫌いにまでなってしまったのだから妻の影響は恐ろしい。

我が家では「何事も普通が一番」と言いながら、他人に倣うとか数を頼んでことをなすのはどうも性に合わない。勉強ができるに越したことは無いが、まるきりの馬鹿でもなく適当が良い。スポーツや芸能に至ってはDNA的にも才能が無いことが明確だから勘違いのしようがない。とか何とか言いながら結構個性的に生きてきたようにも思う。義母に言わせると「従順そうで強情だから苦労されたでしょう。」と半ば同情気味なお言葉を頂戴したが、確かに死に方を思うと、そんな気がしなくもない。

その妻が誰が嫌いかと言って安倍晋三首相ほど嫌いだった人物は珍しい。昨年の総選挙の頃はもうテレビのニュースさえ見る気が失せていたようだ。いつも吐き捨てるが如く言っていたのを思い出す。「平気で嘘をつくのは政治家だから仕方ないとしても、己の身体もコントロールできず、家庭内唯一のパートナーの夫人さえも思うようにならない。子供がいないくせに子育てだことの教育問題を偉そうによく言えるものだ。本当に頭が悪いのね。」

しかしその安倍氏が何故か日本で最大の権力を掌握し、あたかも独裁者のごとく振舞ってきたのが現実だ。まさかそれが妻の死を早めたとは言わないが、平昌オリンピック以降、特に今月に入って急に風向きが変わってきたようだ。草葉の陰で妻も注目していることだろう。