「菊と刀」への疑問

昨日の続きみたい話だが、一昨日孫と一緒に見た映画の感想を兼ねて少し理屈をこねたい。タイトルは「15時17分、パリ行き」クリント・イーストウッドが製作・監督で出演はしていない。小学生時代から生活態度が悪い3人の仲良しグループのお話で、我が身に思い当たる節が多いので結構面白かった。この少年達が大人になって、ひょんなことから外国でテロリスト退治をして大きな社会貢献を成し遂げるのだが、本当にたまたまなことで、別に大人になって性格が変わったわけでない。ストーリーは実際に起こった事件に基づき、孫が言うには出演者も実在の本人だとのこと。すごくうまく演じているので3人全員が本職の役者でないとはちょっと信じられない。

イーストウッドはマカロニウエスタンの俳優から後に政治家になったりしたが、詳しい経歴や生活信条などは知らない。少しネットで確認すると、比較的裕福な家庭で育ったが、彼もできの悪い子供だったとのこと。しかしアウトローを専ら演じてきた割には、長じて全米ライフル協会の宣伝に一役買っているてな話は聞かない。想像するに結構真面目なのかもしれぬ。この映画の主人公たちも子供の頃から問題児であり、長じて軍人に憧れるが、何をしても挫折の連続である。経済的にも恵まれないが、屈託なく人生をエンジョイしている。きっと神を恐れぬというか冒涜、背徳的行為を重ねていたに違いない。しかし主人公が子供の頃から昼間の悪事はさて置き、寝る前に神に許しを請うことが習慣になっている。

ここが本日の書きたいことだ。キリスト教徒であるアメリカ人は「ジーザスクライスト」とか「神(ゴッド)」を、我々日本人と比較すると頻繁に口にするように思うが、彼らの意識に於ける「神様やキリスト様」の存在は日本人とはかなり違いそうだ。彼らの「神様やキリスト様」は全知全能かも知らぬが、自分の立ち位置からはずいぶんと距離がありそうに見える。

引き換え日本人の神様・仏様である。極めて個人的な思いかもしれぬが、自分との距離が非常に近い。隣近所の小父さん小母さんよりもっと近く、場合によっては背後霊なる言葉あるように肩に背負って歩いている人さえいる。少なくとも小生は、高校受験も大学受験も当時長野市郊外にあった旭山の観音様にお願いして霊験を授かったと今でも思っている。恐らくアメリカ人クリスチャンはそんな安易なことは思いつかないのではなかろうか?

大学時代に読んだだけなので内容はすっかり忘却の彼方であるが、戦後「菊と刀」なる本が流行った時期がある。著者は確かアメリカ人社会学者だったと思うが、日本人の社会規範は「恥」にあり、と看破したことが評判になった。当時は「なるほどね」と感心したが、一昨日テレビで伊吹元衆院議長の話を聞いてびっくりした。伊吹氏によれば、今回の森友事件に関して安倍総理夫妻の道義的責任はあるかもしれぬ。但し道義上の責任は法律をもって罰することはできないのだから、本人がどう考えるかは別にして罪は問えない。反町なんとか言うフジテレビの司会者は「お説ご尤も」と安心した面持ちで頷いていた。

著者のルース・ベネディクト女史が生きていたら本を書き直したくなっただろう。

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