2014年10月31日金曜日

読後感「政治改革の熱狂と崩壊」藤井裕久著 菊池正史編

著者についてはTBS日曜朝の「時事放談」でしばしば観たり、大昔著者が政界入りしたての頃と思うが、こちらも永田町にあった会社勤務で、飯屋で直接見たりしたことがあったので、前から何となく親しみを感じたりしていた。勿論「時事放談」での吐露する見解には共感を覚えることも多い。つい先日この著書の出版記念パーティーがあって、政財界の重鎮が勢ぞろいとの記事を読み、早速購入して読んでみた。

この本は一種の自伝である。しかし少し変わっているのは、単に自分の来歴を誇らしげに記すことが目的ではなさそうだ。むしろ現役の政治家が著すように、自分の信念を述べ、現代社会への警鐘を鳴らすことを目的に書かれたのであろう。日本テレビ現役の報道部員(ずっと政治部で藤井番だったらしい)が編者として置かれているのも、きっと几帳面な性格のせいだろうがユニークだ。著者は元々大蔵省出身の官僚で、先輩であり当時大平派(宏池会)の代議士であった鳩山由紀夫氏の父鳩山威一郎氏に引っ張られて政界入りをしている。

しかし、先輩の派閥には属さず、官僚時代に秘書官を務めた田中派の重鎮二階堂進氏が所属する田中派に属することになる。この経緯がある意味面白い。現在も自民党には派閥の形は残ってはいるが、著者が政治家になる昭和50年代頃の派閥が全く別物であり、官僚と政治家の関係もかなり異なるであろうことを窺い知る内容となっている。田中、福田、大平、三木、中曽根、鈴木等よく知る総理達については、そのキャラクタ分析や決断の背景を知ると成程そう言う事かと納得した。

こういったことは出版の趣旨からすれば刺身のつまのようで、著者が言いたいことは多分政治を動かす原動力についてだろう。政治が国民に夢や希望を与えると国民に熱狂が生まれる。景気が良くなり、経済成長もしたような気になる。しかし、物事には全て表があり裏がある。尚且つ民衆は熱するも早いが冷めるのも早い。一国の経済だけが永遠に右肩上がりなんてことはあり得ないのだろう。インフレもデフレも極端に振れれば財政の破綻になり兼ねない。熱狂によって生じるバブルへの警告である。

田中内閣が列島改造の熱狂の後に何を残したかである。政治は夢を与えないといけないが、崩壊に結びつくようではしようがない。著者自身は大蔵官僚出身なだけに、国家国民の安寧には財政の安定が最重要課題との思いが強い。消費税が生まれ出た経緯を根源に遡って解説したいようだ。そして政治家として思いを遂げていくために欠くことが出来ないのが権力の奪取であるが、これも大蔵省役人の特徴と言うが、クールであり論理的であっても権力欲が無いようだ。

そこで、志を同じくして権力奪取手腕に長けた小沢一郎と組んだ所以があるのだそうだ。政治リーダーたる者は志を実現していくために、国民の心を掴まねばならない。これは民主主義であろうと何だろうと関係は無く、リーダーの腐心するところだが、小沢氏にその夢を託して長年付き添うが、結局は小沢氏とも袂を分かつことになる。政治とは如何に複雑怪奇なものであるか、ブログで政治絡みのことを書くのが怖くなった。

最後に非常に印象的であるのは、田名角栄氏が著者に語りかけた次の言葉である。「戦争を知っている人間が社会の中核である限り、日本は安全だ。しかし、戦争を知らない人間が中核となった時が問題だ。」



2014年10月30日木曜日

心境の変化

先日ここで「もはやこの世でしたいことは殆ど無い。」と書いたら、同期の友人がびっくりしたようで「やりたいことが未だ沢山あるので、あと10年は生きたい。」とコメントをくれた。小生とて1日でも長生きしたくはあるが、長生きしたところで社会の変化を只見ているだけで、変化に能動的に働きかけるは勿論、今更自分が変わることもできない。個人的才能の発展や身体機能の増進もまず考えられないだろう。ならば、これ以上何かしようと考えないのが一番と最近思いはじめただけのことである。

小さな企業活動を停止して既に3年、現在の日常は家人以外と会話する機会も殆ど無くなり、毎日マスコミ報道をおざなりに見るだけで、本もあまり読まなくなった。おまけに、ここ10年近く趣味としてきた山登りをこの夏から止めてみると、本当にしたいことが見つからない。山登りに喩えて言えば、下山途中の感じで登山口まで暫くありそうだから、精々怪我が無いようにゆっくり行こう、と言ったところか。

一寸前までは相当疲れて帰っても、一定の元気を取り戻すと、陽気が許す限り次に行きたい山が脳に湧いてくるものだった。別に大枠で100名山踏破のように大それた目標があった訳ではないが、山歩きをしているからには次を考えろ、と言った一種の強迫観念があった。旅行好きの人が、仲間と帰宅の途中に次の目標を決めると同様のことを一人でしていたようなものだろう。脳内に居た積極的な自分が居なくなってしまったのは何故か?この夏に山の遭難事故が相次いだこともあるだろうし、前立腺が見つかったことあるだろう。

「登山は上って又降ってこなければならない。だから俺は山登りなんか嫌いだ。」と下らない理屈を言った偉い人が居るらしいが、そんなことは絶対間違っている。山歩き山登りは素晴らしい行為で、あの充実感は登ってみなければわからないかもしれぬが、どんな人でも山から帰れば人生に対して前向きになっているに違いない。その素晴らしさは百も承知だが、このエンドレスの素晴らしさをこれ以上追及していくことが自分にとって、却ってストレスになり兼ねない。もう十分楽しんだから少しゆっくり休もうと思ってしまっただけである。

同じことはあらゆることに共通している。人間の向上心は本来限りないものかもしれぬが、残念ながら体力や寿命には限りがある。道端に腰を降し、ゆっくり一服しながら、旅を急ぐ人々を観察するのも又楽しそうだ。客観的に世間を見ていると、様々な人が居てそれぞれの理屈がある。そのどれに組するかを離れてしまえば世間が違って見えるかもしれぬ。婆さんに言わせれば「やっと人並みの年寄りになれたと言うことよ。」である。

2014年10月29日水曜日

秋晴れの散歩 皇居

今日も早朝から気持ちの好い秋晴れの一日だった。昨夜は早く就寝したので早くに目が覚めた。未だ暗かったが、山小屋に居れば起床時刻である。天気が良くなることは分かっていたので、山にでも行きたいなと半分思いながらも又寝いってしまい、起きたら6時近くになっていた。「眠れないで困っている人に、どうしたらそんなに眠れるのか教えてあげなさい。」とからかわれるが、実際終日眠いのだから仕方ない。これも一種の病気のようなものだろう。

事務所に来て「年金受給者のための扶養親族等申告書」なる書類に署名して捺印をする。毎年同じことの繰り返しではあるが、何年か前に書類に切手を貼らずに投函して返送されてきた記憶があるのでよく覚えている。返送されないように50円と2円切手を貼ると、どうしても宛先住所か郵便番号が隠れてしまう。多分郵便番号の方が重要だと思い、東京都は幾分隠れても郵便番号が隠れないよう、50円切手に2円切手を重ねて貼った。

又、説明書が同封されていて、6ページにもわたる長たらしいもので、年金を頂戴している以上有難く読まなければならないのだろうが、まともに読む気にならぬ。せめて「年金にかかる源泉徴収額」の頁だけはと思ってざっと目を通したが、これまた理解不能。結局そのままゴミ箱に捨ててしまった。何方か読み解き方が分かればご教示願いたいものだが、理解できてもできなくても、そちら様が勝手に無条件引くのだから抵抗のしようが無いじゃないか。



ならばいっそ初手からネットの支給額を提示してくれたらどうかと思う。そんな不満を感じながら郵便局で投函を済ませると、余りの天気の良さに事務所に戻るのが勿体なくなった。まっすぐ池袋まで歩きながら、昼飯には早すぎるし、見たい映画も無い。果てどうしたものかと考えて、池袋から地下鉄で飯田橋に行き、そこから靖国神社経由大手町まで散歩することにした。皇居で「天皇陛下傘寿記念特別展」をしていると、1,2週間前にテレビが言っていたことを思いだしたからである。

天気は良くても今日は平日の真只中、普通の人は呑気に散歩なんかしている場合でない。従って靖国神社も北の丸公園も皇居内の江戸城遺跡も人影はさほど気にならない。宮内庁三の丸尚蔵館はそんなに大きくないので、少し混んでいる感じはあったが、展示されている説明文を小1時間かけて全部読むことが出来た。「天皇陛下 昭和28年欧米14か国の旅~新たな感動と出会い~」1枚の写真を手掛かりに、じっくり文字を読んでいくと、半世紀以上前の陛下が味合われたであろう感動が胸を打つ。

昭和28年と言えば、こちらも既に中学生。現代の子供らであれば、皇太子殿下が半年も外国訪問をされて、日々大々的に報道されればそれなりに記憶するだろう。しかし、新聞なんて読みもしなければラジオも碌に聞く気が無かったこちらとしては、殆ど記憶が無かったに等しい。普段は不謹慎にも、我が国の天皇制について、本当に必要があるのかと疑問を感ずる時が無い訳でない。

しかし、外国との付き合いに関して言えば、アホな総理が国民から徴収している税金を大量に持参してせっせと外国を廻るより、皇室が外国のトップと交わって適切なメッセージを述べられる方がよほど効果的だし、皇居の一部が無料で開放されていることについては心から感謝したい。飯田橋から大手町まで約4.5km、春の花見もいいが秋の運動にも最適な道筋と言える。

2014年10月28日火曜日

いつもの事だ

東京も木枯らし1号が吹いて大分寒くなってきた。何となく喉がいがらっぽいのが気になるが、余りに気にするほどではなかろう。昔のことを思うと、やれ歳暮だことの年賀状の準備だことの忘年会の予定等々、実に下らぬことで気忙しかったが、今でも日本のサラリーマン諸氏は似たようなことで仕事をしたつもりでいるのだろうか。現代のビジネス パースンは多分こんな馬鹿げたことは考えないのだろう。

個人的には冬支度をすると言っても、身繕いや部屋の防寒対策を冬向けに変更するだけで、殆ど全て婆さんがしてくれるので拍子抜けするほどあっけない。日中は快晴で歩くには最適な陽気だ。日曜日に床屋で並んで散髪していた似たような年恰好の小父さんの話し声が否応なく聞こえてきた。何でも豊島区池袋を中心にして半径10キロぐらいの範囲を、毎日コースを変えて10~20キロ歩いているらしい。雨が降っても歩くと自慢げに話していた。

このことが頭にあって朝のうちは、今日はあの小父さんのように少し長めに歩いてみようかと思っていたが、いつものように池袋で昼飯を食ったら急に億劫になって、そのまま帰ってきてしまった。どうも何をしても他人様に自慢できる域に達することとは縁が無いようだ。しかし考えてみれば、現在日課にしている1日1万歩前後の歩行が、丁度自分に合った適度な運動になっているような気がするので、急に運動量を引き上げる必要も無いだろう。

自分に勝手な言い訳をしているが、本当に適度かどうかは誰かが保証してくれた訳でもない。食事は婆さん任せで、睡眠は22:30~6:30基本的には8時間と決めているが、調子が悪いと朝早く5時前くらいに目が覚めてしまう。今朝は珍しく5時半くらいまで寝込んでいたので、何となく調子が良い。しかし事務所で本を読み始めると居眠りを始めてしまう。眠気覚ましにはネット碁が一番と思っているので、囲碁を始めたらそんなに調子が上がらない。

夕方になっていつも、長年続いた中ぐらいの生活が急に快調になるなんてある筈もないと気付くのも毎度のことだ。

2014年10月27日月曜日

どうせ追求するなら大物をやれ

先週、小渕優子氏の大臣辞職報道に関連して、彼女が政治家として非常に優秀で自民党の期待の星であったと言う人が多い。何を根拠に言っているのだろう?偏見と独断は承知で言わせてもらえば、何一つ不自由の無いお育ちで世間知らず、どう見ても子作り以外は国家に貢献する術が無いようなお姫さまにしか見えない。従ってお気の毒でもある。美人で賢い素敵なお母さんとして、活躍の場は他にもありそうだから、海千山千でなければ通用しない永田町とは縁を切ることをお薦めたい。

政治とカネの問題では、むしろ江渡防衛相の資金管理団体が、江渡氏個人に多額のカネを支出(寄付)していたことの方が余程問題だと思う。当然野党は今週も引き続き追及するのだろうが、小渕氏問題よりこっちを一所懸命やってほしいと思っているくらいである。そしたら日曜日のネット上に、小渕氏や江渡氏の政治資金管理問題が可愛く見える情報があった。余り堂々とした内容なので情報とは言えないのかもしれない。似たような言葉が多いので紛らわしいが、自民党本部の政治資金報告書に記載されている「政策活動費」なる代物である。

下記に引用するニュースサイト ハンターと言うサイトが発表した記事である。
(http://hunter-investigate.jp/news/2014/10/post-576.html)
<自民党の政策活動費について、平成22年から24年までの幹事長と総裁への支出をまとめたものだ。この間の歴代幹事長は大島理森、石原伸晃、石破茂。総裁は谷垣禎一から安倍晋三へと替わっている。大島氏に4億1,000万、石原氏に約7億4,000万、石破前幹事長には2億6,000万円――けた違いのカネがわたっている。これらの政策活動費は政治家個人の領収書だけでOKとされており、何に使ったのかについての報告義務がない。不透明極まりないカネが、裏金の状態でばら撒かれているのである。

 問題は、総裁となった安倍晋三氏への政策活動費。就任後の11月から12月にかけて、2億5,000万円という巨額な資金が支給されていた。谷垣前総裁へは、3年間で1,500万円。首相と野党党首という立場の違いがあるとはいえ、安倍氏への支給額は突出している。国民に増税を押し付けた首相が、使途報告のいらない巨額の政治資金を動かすという現実。これでは政治資金の透明化など、夢のまた夢だ。>

谷垣氏への支給額が極端に少ないのがお笑いだが、この記事を読む限り、江渡防衛相の場合、政治資金管理団体から江渡氏個人への寄付が問題になっているので、政策活動費としておけば問題なかったのではと思ってしまう。公職選挙法や政治資金規正法て奴は一体なんだろう?少なくとも悪い頭で考える限り、訳が分からない。幾ら笊法とは言え、引っ掛る奴の運が悪いだけで済む問題では困る。野党の皆さんはどのように考えているのか聞いてみたい。

他人様の財布を詮索するのは卑しくて気が進まぬが、政治家の報酬に関しては訳が分からない。国会議員の「政策活動費」と兵庫県議の号泣で一時話題になった県会議員の「政務活動費」とどう違うのか。何でも日本の国会議員の歳費(給料+ボーナス)は年収で1800万円。その上に、文書交通費で年に1200万円が全員にあり、会派に所属していれば立法調査費として一人あたり毎月65万円が支給され、合計すれば最低でも4400万円になるらしい。この他に政府の大臣などの役職手当は当然ながら別に支給されている。ま、何れにしても相当な高級取りであることは間違いないだろう。因みにアメリカの議員で年額約1700万円、イギリス下院は約970万円だそうだ。

個人の収入もさることながら、もっと本質的には欧米に比し人口比で見た政治家の人数が多いことが問題だ。コストが掛かっても、政策への邁進で国民の大多数が納得しているなら仕方がない。しかしどう考えてもそうでないのが現実で、無駄遣いの極みかもしれぬ。無駄を省くためには、政治機構を変更して政治家の数を減らす必要が大いにありそうだ。

2014年10月26日日曜日

時代遅れ

普段あまり使うこともないので気にしたこともなかったが、ふと「時代」が気になった。なんとなく自分が「時代遅れ」になっていることに気が付き始めたからである。昭和の時代や平成の時代、或いは民主党政権時代や自民党1強多弱時代なんてことは分かりやすいが、アナログからデジタルの時代へとなると境目がどこにあったのか分からない。今漠然と感じた「時代遅れ」とは何に所以する感じかもよく分からないのだが、世の変化について行く気にならなくなっているものが増えていることは確かだ。

身に着けるもの、趣味の行動や乗り物の選択、半ば習慣化していれば自分では気にもならないが、他人から見れば少しおかしげなことは沢山あるのだろう。子供の頃、父が毎朝下駄ばきで体操していたことや、社会人なりたての頃に社長のお供でゴルフ場に行った時、風呂場で越中ふんどしをしていたのは我が社の社長一人だけだったこと。時代遅れを感じたのは微笑ましいことではあるが、今はこちらがそのように観られることが多々ある筈だ。

自ら時代のずれを一番感じるのはテレビを見ている時かもしれない。タレントの名前を知らない、流れてくる歌や音楽が分からないし、いつも初めて聞くような気がする、コマーシャルの意味が分からない。どうしても懐メロ番組を観たくなる。こんなことは年寄りにしてみれば当たり前のことだし、特段支障があるものではない。今月は身内の不幸で故郷の長の行く機会が多かった。改めて田舎の佇まいの変わりようも感じたが、若き甥や姪との会話でも認識を新たにすることが多かった。こういったことを総合して「時代遅れ」を実感している今日この頃である。

2014年10月24日金曜日

秋の夕暮

久し振りに天気が回復して青空が見えてきたが大分寒くなってきた。都会では木々の紅葉を見ることが出来ぬが、テレビの気象情報など観て感じるのは秋が一層深まった感じだ。明日は長兄の葬儀、5人兄弟の3番目なので兄二人が亡くなってしまった今、生存兄弟では最年長、次はいよいよこちらの番だろう。人生でも秋の深まりを感じざるを得ない。

ところで日本語は面白い。秋が進むとつい「深まった」と言い、夏は深まると言わず「暑さが盛り」みたい言い方をする。春や冬は何と表現するか知らぬが、「春爛漫」や「冬籠り」なんて言葉が用法的に近いのだろうか?人生秋の深まりで思うのはやはり過去の事ばかり。何もすることのない毎日だから当たり前ではあるが、先のことについてはあまり考えることもない。過去についても昨日や先月のことではなくて、何年か前のことが強烈な印象で甦ってくる。

典型的には孫とのこと。冬が近付いたせいだろうが、孫と一緒に行ったスキーが本当に昨日のことようだ。今高校2年生の子が中学生だったので、少なくとも3年は前のことである。その後も1年に1度や2度は顔を合わせているので、大分大きくなったことは承知していながら、思い出すのは彼らが中学生時代の映像だ。これが人間の記憶力の不思議なところかもしれない。年が変わって既に300日余りが過ぎているのに、今年のことで思い出すようなこと殆ど無い。

単に思うのは10か月なんてあっという間のことだけだ。行き会う人も少なく、知識の吸収や人との意見の交換が極端に少なくなっている故だろう。普段脳神経への刺激が少ないので、振り返っても海馬には新しい情報が溜まっていない。ここ300日に蓄積された情報が少ないとなれば、過去から現在への距離感は300日前も10年前も似たような感じなってしまうのかもしれぬ。今日久し振りにあった古い友人からお菓子のお土産を頂戴して「これでお茶でも飲みながら、奥さんと大いに会話して脳に刺激を与えてください。」と忠告を受けてしまった。

因みに彼もここ数日家で単身だったそうで、脳への刺激が薄くて悩んでいたらしい。何でも今年孫が二人も生まれたので、昨年から今年にかけて奥方が孫の子守りで忙しく、好きな海外旅行に出かける暇が取れなかった。やっと落ち着いたので、お一人でニュージーランド旅行に出かけ、今日お帰りの予定だそうだ。男やもめは誰にとってもお疲れのことだ。如何にまめな彼でも、今夜からか明日からかに家事から解放されることと、夫婦の会話で脳が刺激されることへの期待は大きそうだった。

引き換え我が家は、二人とも見知らぬ地域に新発見を求める意欲に欠けるので、新鮮な刺激は少ないかもしれぬが、身近な話題と時事ネタで朝晩の会話に不自由はない。二人とも少しずつボケ始めているのだろうが、自然の摂理で仕方はあるまい。あと何年或いは何か月、兄たちを思えばもっと短くても不思議は無い。新鮮さに欠け生活であろうが、現在の生活パターンを出来るだけ長く続けるしかないだろう。

2014年10月23日木曜日

世代間ギャップか?

先週の日曜日義姉(次兄の嫁)の葬儀がやっと終わったところに、今度は長兄が死亡と連絡が飛び込んできた。4歳年上で学年では5年離れていたので、幼い頃に次兄程には一緒に遊ばなかったが、それでも布製ボールと竹バットでの野球なんぞには球拾いだったかもしれぬが、仲間に入れた貰った記憶がある。25日が葬式と決まったので、土曜日に又長野に行くことになる。日曜から始まる週の最後土曜日に再び葬式だが、5人兄弟の3番目に当たるので、次兄が7年前に逝き今回長兄が逝ってしまうと、次はいよいよこちらの番かと暗然たる気持ちにならざるを得ない。

次兄は亡くなる直前まで元気で、珍しく入院と聞いてから半年ぐらいで亡くなってしまった。今度の長兄の場合は1年以上前から入退院を繰り返すようになって、19日の次兄の義姉葬儀の際、長兄の義姉が兄の病院から駆けつけて「低体温になってきているのでかなり危ない。」と報告してくれたのである程度の覚悟をしてはいた。しかし何分にも1週間で2度の身内の葬儀はやりきれない思いだ。婆さんとの会話も必然身辺整理の話が多くなる。

借金は無いが財産も無いので言い残すべき言葉も要らないようなものだが、葬儀費用にと思って取ってある生命保険(契約は終了しているが、死亡時に受取人に300万円支払われる)の証書がどこを探しても見つからないそうだ。仕方ないので保険会社に連絡して再発行を依頼した。現役時代に同僚の依頼で10年か15年付き合った保険のおばさんが未だ元気で、よくある話ですと気軽に引き受けてくれたので取り敢えず葬儀費用は安心できた。

そんな訳で昨日又ブログをさぼってしまったが、再度気を取り直して日常に戻ろう。

日曜日の葬儀の際、甥っ子が「叔父さんのブログを時々読んでいますが、安倍総理のこと相当にお嫌いのようですね。」と議論を吹きかけてきた。彼は自民党の大ファンで、東京の下町の方で自民党応援のボランティア活動や区議の応援を活発にしているようだ。年齢的には家の娘たちと似たような年齢の筈だから40歳少し超えたくらいのことだろう。政治には白け気分が漂う年代かとも思うので、好みの良し悪しは別として、政治に関心を持つのは悪くないと思っている。

多分兄たちもそうだったろうと思っているが、元来我が家は父が自らウルトラ保守と言うくらいだから伝統的に保守派なのかもしれない。小生は元々政治にさしたる関心が無かったので、サラリーマン現役時代まではその傾向に抵抗はなかった。反保守、反自民に転じたのは会社を辞めて一人になってからのことだ。時間が出来てマスコミ報道やネット情報、読書などの機会が増えたせいだろう。心細いのを今更政治のせいにしてはいけないと思いながらも、生活を年金だけに頼らざるを得ない状態になったこともある。

経済的心細さは自業自得の面が大いにあるので特筆大書しないが、反戦平和主義については甥っ子の議論を聞いて、年代ギャップの恐ろしさを感じた。彼曰く「集団的自衛権問題で憲法解釈の変更を悪いと言う人が居るが、これはおかしいでしょう。そんなことを言えばですよ、そもそも自衛隊そのものが大いなる憲法違反でしょうが。」日本人は昔から憲法を融通無碍に解釈してきているのだから、今頃改まって騒いでも仕方ないでしょう。時代に即応すべきと力説する。

アメリカ留学の経験があるので「叔父さんが言う程アメリカ人は悪くないですよ。」ともしきりに言う。確かにアメリカ人の大部分は中国人やロシア人の大部分と同じように、個人的には善良な人たちに違いあるまい。しかし国家となると、別個の有機体としての人格を持つのもこれまた必然であろう。それをどのように理解解釈するかが問題であるが、甥っ子との解釈の違いが単なる個人的な相違なのか、或いは戦争経験の有無と関連した世代間ギャップなのか。

議論を深めて追及したい気もしたが、葬儀の場でいい年をした爺が言い返すのは憚られた。

2014年10月21日火曜日

事実関係は無視か?

今朝の朝日新聞で小渕前経産大臣の件について、検察幹部のコメントがさらりと掲載されているのを見て仰天した。二人のコメントとしてあり、先ず一人は「政治資金規正法違反又は公職選挙法違反の可能性無しとしない。」とあり、続く二人目が「単に馬鹿な秘書が杜撰な会計処理をしただけのことで、問題とするに当たらないかもしれない。」と述べたとしている。「お馬鹿な秘書がした些細の間違いだからゴメンね。」で済むなら検察はおろか警察も要らないだろう。

役職も氏名も特定していないから本当に取材したかどうかも分からないが、朝日新聞もここまで政権にすり寄らなくてはならぬかと思うと本当に情けなくなる。昨日の午後から今朝に至るまで、マスコミは女性閣僚二人の同時辞任で大いに盛り上がっているが、何となく釈然としない。何故ならば、松島氏のうちわ問題は事実関係が以前から歴然としているので、彼女なり内閣の判断について如何様な論評があろうと、マスコミの受け止めとして素直に聞いておくことができる。

しかし小渕氏の件については、先週の週刊新潮発売からそろそろ1週間も経とうと言うのに事実関係が未だにはっきりしない。辞任会見を長々やっても「事実関係については第3者に調査をお願いするつもりだから待ってちょうだい。取り敢えずはゴメンね。」だけで全く無意味なものだ。メディアの方もそれで許すつもりかどうかは知らぬが、何となく当事者のキャラクタ報道だけに終始しているのは何としても頂けない。

いち早く地元の城代家老の中之条町町長が「私が悪うございました。」と名乗り出た報道はしても、事実関係については一言のコメントも取れていない。むしろ取りようによっては、代議士自身はクリーンであったが、選挙の厳しさを初心で何も分からなかったので、ある意味可哀そうかもしれないとも取られかねない。市民のインタビューにはこれが如実に出てきてしまう。一方でこれまた何を考えているのか分からぬが、1日で二人の閣僚を辞任させて、後任を素早く決めたことを、第1次安倍内閣時代の辞任ドミノからの学習効果に基づく危機管理と持ち上げてみたりしている。

その延長線なのだろうが、昨日夕方には総理自身がテレビのぶら下がりインタビューで任命責任について言及、はっきりと「ごめんなさい」を言っている。これを視聴者がどのように受け止めるかであるが、大方の受け止めは、何を謝ったのか定かでないまま、即責任を認めて素直に謝るのは現政権の良いところ、となりかねない。兎に角政権側は全員殊勝らしく謝って、2大臣の首を切ったダメージが軽減されるなら安いものだ。大臣の代わりなんぞは掃いて捨てるほど居るのが実態だろう

マスコミとしては意図せざるところかも知らぬが、完全に政権の思惑に嵌り、辞職や後任の人事報道に流れ、肝心の事実関係の追及はすっかり疎かになっている。当事者が辞職してしまえば、マスコミは彼女から遠のくのが見え見えである。小渕氏の辞任は代議士の秘書に対する監督不行き届きの結果として単純化され、彼女が罪に問われず政治家として復活できるとすれば、政治家稼業は気楽なものだ。そして根底に日本の司法制度とマスコミの無責任さが存在していると思うのだが、直しようが無いのだろうか?

2014年10月20日月曜日

先週のこと

先週は良い天気で行楽日和が続いたが、個人的には大変な1週間になってしまった。14日昼少し前頃、永田町の国会図書館で読書中に携帯が鳴った。読書室から飛び出して携帯をとると長野の弟からである。「先ほど義姉が病院で急に亡くなったので直ぐに来てくれ。」とのこと。おっとり刀で千川の事務所にとって返し、背広に着かえて東京駅に着いたのが13時頃。13:08に乗り損ねると次は14:08発で1時間も無駄になる。

ところが、新幹線のホームにはカードのタッチでは入れない。改札機脇に控える職員に「兄弟の死に目に会うか合わぬかの境目」だと掛け合うと、事後精算と書かれたメモで改札をパスさせてくれた。便利を図ってくれた事には感謝すべきだろうが、JRの事後精算は現金のみで、通常切符購入の際に3割引きなるジパング倶楽部のカードでも割引は一切効かないことを学習した。昨日も大宮で下車するつもりでいたが、足の不自由な婆さん同伴だったので東京駅まで乗り越すと、大宮―東京間の特急運賃精算で千円強支払うことになってしまった。火曜日に学習したばかりで知ってはいたが、何とも口惜しい話だ。

義姉は小生の1歳上で75歳、長年刺繍教室をやったりソロプチミストとして内外で活躍する非常に行動的な人であった。7年前に兄が亡くなり甥や姪も東京の方に出ていたので一人暮らしではあったが、元気にしていた筈であった。小生も今年になって4月と8月2回も兄弟姉妹で食事を共にしている。ただ、姪に聞くと却って無理が祟っていたのか、身体は大分疲労されていたようではある。先週連休前の7日に姪が長野に戻り、昼には焼肉を食べたり、8日の午前中には刺繍の教室で指導をしたりした後で、急に具合が悪いと言うので姪が病院まで連れて行くと、そのまま入院と言われた。

何でも腹水がたまっているので、それを抜くと言うことだったらしい。母を入院させた後、姪も一旦東京の自宅に戻ったところ、14日早朝病院からの電話で至急来てくれとの連絡、10時半頃に駆けつけたが結局間に合わなかった。死因は肺にも水が溜まってそれを抜く手術に入りかけたが、食道に逆流した血か何かが詰まってしまったとのこと。結局死因もあまりはっきりしない感じがある。でも死んでしまえば、はいそれまで、であっけないものだ。

こちらが長野に到着した3時過ぎには亡骸が自宅に戻り、弟と姪が既に葬儀の段取りを進めていてくれた。なんでも義姉が生前から姪に対し、兄と同じように通夜は自宅で、葬儀を菩提寺でと言い残していたとのこと。ところが寺での葬儀は結構小難しい問題がいろいろある。結局通夜は明日15日18時から、翌16日朝出棺して長野市営の焼き場で骨上げ、2日置いて日曜日の2時半から寺での葬儀、お斎は市内のホテルで4時半からと決まる。

こちらは15日病院での検査が入っていたので火曜日夜いったん帰宅、翌15日の午後通夜に間に合うように長野に帰って16日の骨上げを済まして又帰宅。
昨日19日に婆さんの他に娘まで引き連れて3度目の長野入りをして夜帰宅となった。1週間足らずの間に3回長野を往復した事になる。しかもその間、16日のこちらの出棺の時刻に幼馴染の葬式が重なったので、15日には友人の自宅を弔問して線香を上げさせてもらった。葬式のダブルヘッダは洒落にもならぬが、死の至近弾が身の回りに落ちてくる感じで寒々した気分だ。

この間報道に接する時間が非常に少なかったが、なにやら女性閣僚2人が辞任とのことで安倍政権が一寸した騒ぎになっている。多分旅の途中で読んだと思うが、現内閣を田舎の食堂のカレーライスに喩えて書いてあった。支持率が落ちないのは積極的支持ではなく、他の選択肢が無い故のこと。鄙びた田舎の食堂であってもカレーライスを注文しておけば、そんなに大きな間違いが無いとしたものらしい。上手いこと言う人が居るものだ。

2014年10月15日水曜日

突然ですが暫く休みます

今は未だ事務所ですが、今日はこれから病院に行って検査があり、その後故郷の長野に急いで行かなくてはなりません。

昨日兄嫁が急逝しました。
昼前に弟から急に電話があり、先ほど突然亡くなったとのこと。
取るものも取り敢えず駆けつけましたが、昨日は仮通夜で今夜が通夜になります。

葬儀はお寺さんの事情とか暦の都合とかいろいろありまして大変です。土曜日が葬儀となりましたので日曜日までパソコンを立ち上げられなくなりそうです。

2014年10月13日月曜日

健康寿命

今日は台風19号の影響で、「体育の日」には程遠い悪天候になってしまった。つい先日弟から「男性の平均健康寿命は71.2歳」と聞かされ、平均健康寿命を初めて知った。何でも介護を受けず自立して生活できている人の平均年齢であるらしい。婆さんも知っていたくらいだから、知らない人の方が少ないかもしれぬが、兎に角知らなかったし、意外に若い年齢であることに驚きもした。

そしたら先週金曜日発売になった「文藝春秋」11月号に、関連する記事が掲載されていたので興味深く読んだ。慶応大学医学部の出身で現在は大学病院は退職されているようだが、癌についてユニークな発言を続けてきた近藤誠氏の寄稿文である。タイトルに「健康診断が私たちを不幸にする」<「健康長寿」医者も薬も信じるな>とある。近藤先生の著書は書店で立ち読みする程度で、1冊も読んだことは無いが、癌になっても余り気にすることなく放っておけ、見たい主張をされていると理解している。

先ず平均健康寿命であるが、平均寿命との差が男性で9.1年、女性は12.7年(2010年)とあるから弟の言っていたことは本当なんだろう。更に興味深かったことは、世界1とばかり思っていた日本人の平均寿命を男女別に見ると男女差が7年と大きく、男性の寿命はきわだって短いそうだ。平均値の世界ランクはどうでも良いが、自立して生活できる年齢が思っていたよりずっと若く、介護を必要とする年寄りが多いことには考えさせられるものがある。

毎年区から案内の来る無料検診を几帳面に受けて、定期的医者通いをしている身からすると、近藤先生のご趣旨には全く反している立場ではある。しかし先生の説くところを読むと成程と思うところも沢山ある。先生によれば、日本は藪医者を製造しすぎたが故に、厚生省や薬屋がグルになって老人の要介護者を増やしているみたいに論じている。勿論それを真に受けるつもりはないが、健康寿命と本当の寿命を出来るだけ接近させることは大事なことだ。

最近友人の訃報を聞いた時にも思ったが、只長生きすれば善いと言うものではないだろう。人間の最後を自分で決めることはできないし、その時になってみないと分からないが、意思表示が困難になっても長期間に亘り他人の意思だけで生かされるのは辛いかもしれぬ。これも本当かどうか分からないが、欧米では自分の手で食物を口に運べなくなると、あと無理して食物を体内に注入する医療は流行らないと書いている。

統計的に見れば、こちらも間もなく介護が必要になる年齢のようである。介護する側の宗教観とかいろいろあって難しい問題であるが、自分も楽で且つ近しい人たちや国家に余計な迷惑は出来るだけ掛けずに済ます方法が上手く見つかればいいのだが、難しそうだ。取り敢えずは今の生活を出来るだけ長く続けるしかあるまい。最後に終末医療の関係で書いてあったが、人間水の補給を絶てば病人は2日と持たずに亡くなってしまうそうだ。お医者さんだけに妙に説得力があった。

2014年10月12日日曜日

若き官邸記者たちよ

先週本年度のノーベル物理学賞について、赤崎勇名城大終身教授、天野浩名古屋大教授、中村修二米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授の3氏が、青色LEDの開発で受賞することに決まったことは日本人として喜ばしく、慶賀に堪えないところである。引き続いて文学賞は村上春樹氏に、或いは平和賞には憲法9条を守り続けている日本人全体になんて前評判もあったようだ。両方とも噂倒れに終わったが、一番ほっとしたのが安倍総理とのこと。

そりゃそうだと思う。憲法9条を実質的になし崩しにしている張本人が総理大臣であれば、査定する側も今の時点で日本人を評価する訳にはいかぬだろう。村上春樹氏の小説は難しくて、どうしてそんなに評価が高いかよく分からないのだが、村上氏は原発政策だけではなく、現政権の方針にかなり批判的な発言を繰り返しているらしい。もし受賞したらお祝いの電話も掛けにくかったろうが、その必要が無くなってホッとしていると噂されるようでは情けない話だ。

先週は久し振りに臨時国会が開かれて衆参両院で予算委員会も行われた。未だ40日ほど会期があるようだが、実にお座なりの開催であることが指摘されている。通常国会が閉会した6月末から今国会の始まりまで、100日もの間が空いている。しかも前国会閉会直後に集団的自衛権に関する憲法解釈を閣議決定で覆す暴挙を行いながら、今国会には法案も出さず本格的議論はしないとうそぶいている。消費税増税に関しても、今国会終了後の12月初旬に総理が適切に判断するとして本格的議論から逃げている。

野党からの質問を空回りさせる狙いであることは見え見えであっても恬として恥じていない風情だ。野党の質問が下らないとばかりに、マスコミ報道が盛り上がらず天災の報道ばかりが特筆大書され続ける情けなさである。閣僚の揚げ足取りは下らないと言えば、確かにその通りだ。しかし、この2年近くの安倍内閣を見る限り、一昔前であれば間違いなく辞任に至ったであろう閣僚が全員無傷で安穏としているのも異常であるし、内閣が先頭に立って朝日新聞を世の中から葬り去ろうとシャカリキになるのも如何なものかとも思う。

政高党低とよく言われるが、何も松島法務大臣の答弁ばかりではないが、よくもあれだけ支離滅裂な詭弁や嘘を並べ立てて世の中が通るものと、ある意味感心して見ているが、総理自身の答弁が一番詭弁に終始しているのだから、何とも致し方が無い。せめてマスコミにはもう少し頑張ってほしいが、官邸担当の記者が、各社押しなべて若手しか投入しないことに問題があるのだろうか?

総理の記者会見なんかになると、テレビ出ているような小父さんが前に並んで代表面で質問している。聞いていて恥ずかしくなるような質問ばかりだ。若き記者諸君よ、大臣に嫌われようと会社で上司に怒られようと良いではないか。勉強不足も気にするな。会社なんか潰れても食っていく道なんか自ずと開けるものだ。特に朝日新聞の記者であれば、倍返しの精神、或いは中村修二先生のように怒りをバネに、納得できないことは納得できないとして突っ込んでもらいたいものだ。

2014年10月11日土曜日

よさこい踊り

我が地元でもある池袋西口は秋祭りが2度に分けて行われる。1回目は9月の最終週土日で、見ものとしては神輿が中心。2度目が今日明日で踊りの祭典となっている。そのメインになっているのが「東京よさこい」(今回で15回目)で、これには全国から100以上のチームが参加して、昼前から実演が始まったらしい。週の初めから19号台風の接近が報じられて関係者は大いに心配されたろうが、幸い進行スピードが上がらなかったので少なくとも今日のところは雨に祟られずに済みそうだ。

土日は必ず池袋西口を通るので先々週の神輿も数台は見ることが出来たし、今日もプール帰りの足を止めてよさこい3チームの演技に見入って拍手を送ってきた。今回参加しているよさこいチームは111あるようだが、無料で配られていたプログラムで見る限り殆どが地域単位でで結成されているみたいだ。例外的には東京農業大学とか早稲田大学等大学の同好会みたいものもあるが。今日見たのはどこのチームかはっきり覚えていないが、1チームは埼玉県朝霞から来ていたような気がする。

このよさこいチームのダンスと言うか演技を毎年のように観ているが、曲も振り付けも皆それぞれでオリジナルのようだ。どんな人がチームを作り、曲や演技の構成を考えるのだろうか?素人には難しいと思うのだが。今日見た3チームとも、音頭を取っていたのは何れも相当なおっさん、どう見ても50は過ぎていよう。でっ腹で大きな胴間声を出している。踊り手は大体3~40人は楽に居ると思うが、男女とも結構若い人が多い。近くででよくよく見れば婆さんも居るには居るが、少なくとも爺さんと表現できそうな人はいない。居るとすれば音頭取りだけである。

大体男女ともに同じような濃い化粧をして、スタイルの良い若い女性をを中心にするような構成が多いようだ。演技も遠くからの鑑賞に堪えるようにだろうか、かなり大きく激しい動きだから相当練習を積んでいると思う。10分前後だと思うが、演技もさることながら顔の表情が又良い、テレビ出て来るAKB48ではないが、人前で踊ることを心から楽しんでいる風情だ。だからこちらも楽しくなるのだろう。

土建屋の社長が趣味で人間を集めればこんなチームが出来るかも、と思ったりするが、どう見ても押し着せではなさそうだ。お金が掛かっても踊りたいとの意思が無ければあゝはいかぬだろう。本当にどのようにしてチームが出来たかは分からぬままだが、よさこいチームは全国ベースで見れば相当の数になる筈だ。今日のプログラムで見ると、遠くは長崎、富山、愛知、静岡県から参加しているチームもある。多分旅費も自前なんだろう。

それでもあんなに楽しそうな笑顔を見せてくれるのだから、よほど嬉しいに違いない。お陰ですっかり明るい気持ちになることが出来た。

2014年10月10日金曜日

幼馴染が逝ってしまった

人にはDNAに組み込まれた寿命があるとのこと。余り深く知りたくないが、寿命が何処かで終わるのは逃れようがない。今朝故郷に在住で、小学校から高校まで一緒だった古い友人の訃報が届いた。暫く会ってはいなかったが、特に体調を崩しているとの噂も聞いていなかったのでびっくりしてしまった。しかし、70歳代半ばにもなれば彼岸に渡ることに不思議は無い。現在の平均年齢が80歳前後であっても、70数年前、生まれたての頃の平均寿命は恐らく60歳以下だったと思う。

現在生きているのがむしろ目出度いことで、論理的には半数ぐらいは亡くなっていて当たり前かもしれない。実際は、このところ学生時代同期生の訃報がかなり増えてはいても、小中学校から大学まで押しなべても生存者が未だ75%くらいはいるように思う。このことをむしろ不思議に思う方が自然かもしれぬ。これからは先に逝った友人誘われて、続々と後に続き、何時か順番が巡ってくると考えると背筋が寒くもなるが、やむを得ないことなんだろう。

それにしても、親しかった友人が亡くなった現実を思うのは寂しいことだ。幼い頃の思い出が次から次へと湧いてくる。身体が小さくて弱かった小生に比べ、立派な体格で運動神経も発達していた彼。古い商店で自宅の土間が広くてコンクリートが打ってあり、卓球台が置いてあったので、いつも大勢が集まっていた。志賀高原山麓の渋温泉に別荘があり、そこへも何回か泊りがけで連れて行ってもらった。

小学生の頃だったろうか、パチンコ屋や射的屋で遊んだのが何故かばれて、学校で怒られたこともある。橇遊びや竹スキーを卒業して板のスキーを始めた頃になると、市内から大分上の小門ヶ原までよく登った。スキーを担いで登るのだが、多分2時間以上かかったかもしれない。小生は途中でバテテ、彼によく荷物を担いでもらったものだ。志賀高原の丸池スキー場に初めて行った時も一緒だった筈だ。

高校に入ると、やはり彼に誘われて山岳部に入部した。しかし、ここでも毎日のトレーニングに顎をだして、3か月で退部してしまったが、彼は最後まで頑張って国体に出て優勝する程のリーダーに成長した。少なくとも成人する頃までは小生とは肉体的にも出来が違うと思っていたが、人間とは不思議なものだ。

現代風に言えば、逝くにはまだ早いと言うことになるのかもしれぬ。しかし冷静に考えると、昔は70歳を過ぎた爺様なんてざらにはいなかったように思う。自分が後に続きたくないから、まだ早いと思うだけのことだろう。

2014年10月9日木曜日

日光3名瀑巡り

 再び台風が日本列島直撃コースに乗っているようで空模様がおかしくなってきているが、昨日は秋晴れで素晴らしい1日だった。秋空に誘われて奥日光に滝巡りをしてきた。全山錦織りなす紅葉の見ごろまでは至っていないが、秋の気配を十分に堪能できた1日だった。

男体山(バスの車窓から)
日光はもっと近いと勘違いしていたこともあってもあって、目的地の湯の滝でバスを降りたら既に12時半を過ぎていた。昼飯もそこそこに龍頭の滝まで戦場ヶ原の草紅葉の中を歩き、龍頭の滝から華厳の滝までは又バスを利用せざるを得なかった。
湯滝

流頭の滝

華厳の滝
交通の便が良いので平日にも拘らず外国人観光客と小学生の遠足で賑わっていた。しかし奥多摩に比べれば遥かに標高が高いので、空気が余程澄んで爽やかな感じがある。少し時間に追われた感が無きにしもであったが、ハイキングコースも豊富な様子なので、1泊するつもりで来ればビューポイントとハイキングコースには事欠かないだろう。昨日歩いた戦場ヶ原のコースの3分の2は下の写真のように立派な木道が整備されている。

湯川の流れ

湯滝から湯川に沿って木道が設置されている

戦場ヶ原の草紅葉とススキは秋たけなわの風情

戦場ヶ原から男体山を望む

奥日光の高原が、お年寄りのハイキングには絶好の場所だと言うことがよく分かった。

2014年10月7日火曜日

秋の遠足

心配した昨日の台風18号も午前中には太平洋に抜けたようで、豊島区の我が家には大した被害も無く、今日は朝から秋らしく爽やかな1日になった。空の鱗雲がすっかり秋を感じさせる。都会では自然が感じられないので、リタイアしたら田舎住まいを希望する人も多いし、嘗てはそんな希望が無かったとは言い切れない。しかし、最近では全くそんなことは思わなくなってしまった。確かに清流や木々に囲まれた自然に適うものではないが、ご近所の玄関口や垣ね越しに見る草花等、都会の佇まいのなかにそれなりの季節感を感じることで満足するようになってしまった。

理由は極めて簡単、自然災害の少ないことと医者とか買い物の利便性につきる。大自然の季節感を感じたいならば電車かバス旅行をすればよい。台風19号の発生が報じられているが、本州への接近は今度の日曜日以降とのことで、今週はこれから数日お天気続きらしい。昨年までであれば山に行くことを考えたところだろうが、今年からは宗旨を変えることにした。電車とバスに乗って日光中禅寺湖方面にハイキングに出かけようと思っている。東京から近いのに未だ一度も行ったことが無い。

何十年も前に日光の東照宮だけは行ったことがあるが、有名な華厳の滝も中禅寺湖も見たことが無い。紅葉には少し早いかもしれぬが、秋風に吹かれて高原を散策するのも又一興だろう。交通の便を確認すると、いつも家を出る時刻に出発(池袋発8:27)していつもより1時間ほど早く(18:30~19:00くらいか)帰宅できそうだ。観光案内から「戦場ヶ原自然研究路コース」を選んでみた。殆ど平坦で距離6.3km所要時間2時間35分となっている。

このコースは龍頭の滝と湯滝の間なので、日光3名瀑のうち最も有名な華厳の滝が入っていない。これも見ることにすると、湖畔を3kmほど歩かなくてはならないが、バスの時刻などの加減でどうなるか分からない。こんなことを考えながら一日が終わるが、山行きの計画と同じで、計画を立てるのが楽しみの一つでもある。天気だけは良さそうなので、明日のブログは休むことになるでしょう。

2014年10月6日月曜日

日本のマスメディア

日本でも1960年代までは、度々大きなデモが発生して政治を動かすことがあった。1962年に大学を出ているのだが、残念なことに全くのノンポリと言うよりむしろお馬鹿さんで、社会と言うものを十分理解できていなかったせいでもあろう、一度も参加したことが無い。返す返すも残念だ。少し大人になるのが早かった友人には砂川基地闘争からデモに参加した人さえいる。当然ながら全学連も全盛時期は過ぎても未だ活動していた時代なので、学連に参加してデモをした人もいるだろうし、学連に参加しなくても60年安保の反対デモは、正に国民的盛り上がりだったので、在京の友人で小生同様に一度もデモ参加の経験が無い方が少ないかもしれぬ。

親しい友人が「一度くらいは国会周辺に行ってみた方が良いよ。」態々中野の下宿から国会に向かう途中、新宿のぼろアパートに寄ってくれて誘ってくれたことがあるのだが、その時も麻雀のメンバーに入っているからと言って断ってしまった。どうせ日本はアメリカに支配されているのだから、英語が必要な時代になっている程度の意識はあったのだろうが、アメリカと日本の関係がどうのこうのなんて考えてみなかった。恐らく現代の大学生と比べれば、社会常識では昨今のお馬鹿タレント以下だったかもしれない。

慙愧の念を以て当時を振り返ると、メディアへの接触不足で情報量が非常に不足していたことがあるように思う。部屋に携帯ラジオが1台あって時々はニュースを聞いていたかもしれぬし、兄と同居していたので新聞も取っていたかもしれぬ。しかし政治の動向に関する関心は全く無く、ゼネストがあれば交通機関が止るので学校に行く必要が無い程度の話で、選挙に行った記憶も無い。wikipediaで1960年を検索して主な出来事を改めて見直しても、思い出すのは社会党党首の浅沼稲次郎暗殺事件くらいで、これについては暫くして映画館のニュースで何度も見たことを思いだす。

小生が平均的或いはまともな成人であったか否かは別にして、現代に比べれば情報量が格段に少ない時代であったにも拘らず、1960年代に日本であれだけ大規模な民衆デモが起ったことはある意味で驚異的だと思う。当時あのデモを誘発するにマスメディアはどんな役目を果たしたのだろうか?友人が家まで迎えに来てくれたことを書いたのは、電話すらまともに無かったことを知ってもらうためだ。当時のマスメディアの筆頭は新聞とラジオだろう。ひょっとすると田舎の実家にテレビが置かれた頃だったかもしれぬ。もしマスメディアが何らかの役割を果たしていたとすれば、当時のメディアには社会の木鐸として機能する心意気が残っていたと言える。

最近の香港とかクーデターで鎮圧される前のタイとかでは今年も度々大規模なデモが発生している。香港やタイには日本のような巨大なマスコミは存在しないそうだ。テレビは多数チャンネルあっても、報道を優先するのは政府系のものが多いらしい。従って民衆の多くはマスコミ報道を疑ってかかる習性が身にしみついているとのこと。従って中東なんかでも似たようなことらしいが、現代は民衆の多くがソーシャルメディアに頼って情報とか事実を求めるらしい。その意味ではスマホを若い人が使いこなすことは喜ぶべきかもしれぬ。

日本は幸か不幸かマスコミが未だに社会の木鐸として機能しているのだろうか?事実を正しく或いは権力に阿らない報道を続けているのだろうか?日本ではマスメディアに比べソーシャルメディアの発信する情報力の方がはるかに低い。果たしてこれが喜ばしいことなのかどうかが問題だ。

2014年10月5日日曜日

冗談??野中広務氏の発言

3ヵ月もの間政治的には全くの空白期間があって、やっと臨時国会が開催され、先週末には予算委員会が始まった。ところが安倍政権は所信表明からして、目下の最大重要課題とされる集団的自衛権に関する憲法解釈変更問題については、完全に知らぬ顔の半兵衛さんを決め込んでいる。法案準備が間に合わないのでと言いながら、一方ではアメリカと実務的な日米防衛協力指針の見直しに着手して、着々と新しい集団的自衛方針に則ったものを既成事実化しつつある。

従来の指針では自衛隊が出動できる範囲を周辺事態と言う概念で歯止めをかけていたが、今回の見直しで周辺事態の概念自体を削除することなった。しかもこの見直しの中間報告が今週8日に外務防衛次官会議で取りまとめられ、同日発表の予定とのこと。この異常な現実に野党が国会で突っ込まないのもおかしいが、韓国がいち早く反応して懸念を表明した。そこで更に異常な事態になっている。アメリカの国防次官補が8日以前に韓国を訪問して、日本での発表前に見直し内容を説明する訳である。

日本の防衛政策を、日本政府が国民に知らせる前に、韓国世論に配慮しアメリカの担当者がて事前に韓国政府に説明するというのだ。これを異常と言わずしてどうする。全くもって国会や野党ばかりでなく、国民軽視にも程が有ろう。心底怒りが湧いてきたところに、今朝のTBS「時事放談」に出演した野中広務氏が凄い発言をした。司会者の「次期総選挙はいつごろと予測されますか?」の問いかけに答えて「難しい問題を全て先送りして、ズバリ今年の11月ですね。」

冗談で言ったのかどうか、司会の御厨貴氏や同席した子分格の古賀誠氏もさすがに唖然とした表情を笑でごまかした感じだった。古賀氏は常識的に考えれば来年11月頃だろうとのこと。昨日昼前にテレビ東京の番組に出演した民主党副代表岡田克也氏は来年7月か8月頃と言う。その来年の夏との前提でも、民主党の準備体制は全然遅れていると、司会の田勢康弘氏に指摘されるくらいだ。選挙は敵が一番困る時にぶつけるのが常道とされているそうだ。

いくら安倍氏でも経済指標も悪化し始めているし、株価や支持率の見通しが定かでないので、年内解散をする筈は無いと大多数が思っているとすれば、野中氏の予想もまんざら冗談では済まぬかもしれぬ。臨時国会末まで株価や支持率が改善されなければ、その先1年待ってもその傾向が逆転する可能性は低いだろう。ならば、「都合の悪いことは一切先送りして、敵の体制が全く不備のうちに」には妙な説得力があった。

2014年10月4日土曜日

アベノミクス「5つの誤算」

昨日衆議院の予算員会が開かれたのに、テレビの報道からはどんな討論があったのか皆目わからない。今朝の新聞を読んでも、野党から経済を含む内政から外交に至るまで、野党からは万般の質問が出されたが、政権側は何ら痛痒を感じていないかの如く、質問者の名前と内容、対する回答がごく簡単に書かれているだけで、報道関係者にとってはコメントするに値しないかのような扱いになっている。

現政権の看板政策、アベノミクスと称する経済政策があまり順調でないらしいことは何となく肌身にも感じているが、御岳山の事故のお陰かどうか、何れにしても報道の取り上げ方に疑問を感じざるを得ない。そこで、今日は野党の先陣を務めた前原誠司氏の質問を最初から終りまで約50分じっくり聞いてみた。http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=44162&media_type=
前原氏は先ず「『アベノミクスがうまくいっている』というが、『5つの誤算』が出てきているのではないか」と指摘。

「5つの誤算」とは、(1)輸出が伸びていない(2)量的緩和で金利を下げたにもかかわらず、法人向けの貸出しが伸びず、企業の内部留保が積み上がっている(3)名目賃金は上がっているが、実質賃金や実質可処分所得は減少している(4)物価上昇は「悪いインフレ(=コストプッシュ型インフレ)」になっている(5)財政出動による公共事業の増大が、かえって人手不足や入札不調を招き、震災復興などに悪影響を及ぼしている――ことだと説明。

何れも事実に基づく根拠が示されているので、成程そう言う事かと非常に分かりやすい。特に(1)の輸出については昨年4月の党首討論で、安倍総理は13年度は4.6兆円、今年度末には8兆円プラスになると胸を張ったらしい。ところが円安がこれだけ進行しているのに輸出が伸びていないのは既に報道にもあるが、昨年度の黒字は8千億円で今年度は上期で既に5千億円の赤字になっている。要するに前原氏指摘の通り輸出は伸びていないらしい。

以下(5)迄データの事実を突き付けられ、総理以下が「いや~参りました。ごめん、ごめん。」とはならないのが国会である。事実関係の確認を求められると質問をはぐらかす回答が難しい。違う数字を持ち出して強弁することになる。何としても異次元の金融緩和や財政状況を無視した財政出動によるアベノミクスの失敗を認める訳にはいかないらしい。多くの国民にとっては迷惑な話だが、マスコミは庶民の立場に立っていないことがよく分かった。

アベノミクスのお陰で景気の好循環がずうっと継続しているとの強弁の中で、財務省が持ち出したらしいが最近よく使われる新しい単語に「総雇用者所得」があって、案の定総理も使っていた。要するに、雇用の改善で奥さんがパートに出れば家庭の所得は増えるが、二人分の所得を2で割るので一人あたりの所得は減る。野党はそれを理解していないとの論法である。確かに昨年度の雇用者数は全国で47万人増えているが、正規雇用が46万人減って、非正規が93万人増えている。非正規雇用が増える一方の社会でハッピーな家庭が増えるとは俄かに信じがたい。

前原氏の質問にもあったが、非正規雇用で結婚できない若者が増えているのも実態ではないだろうか。もう一つどうしても納得できないのが、株価と景気好循環の関連について、総理は飽く迄も資産効果が上がって消費拡大に結び付くことに飽く迄固執するが、どうすればこれを信じられるか分からない。前原氏の歯切れ良さに比べると総理は発音が悪い上に、言っていることに無理があるので余計みっともない。これで総理が勤まるのだから平和な日本かもしれぬ。

2014年10月3日金曜日

物価に関する感想

今年は秋の訪れが比較的早くて、今朝の気象情報では日光中禅寺湖辺りでは紅葉が始まっているとのことだった。ところが今日の日中の暑さは真夏並みで、やはり天然自然はそう好都合には参らぬことを実感せざるを得ない。先週の初めころに、半袖シャツを全部仕舞って長袖を出してくれと婆さんに頼んだのだが、半袖を半分くらい残してあった。長年の知恵なんだろうが、一寸脱帽だ。

東京では衣替えが過ぎても、半袖シャツ1枚で歩く日があって初めて残暑と言えるのだろう。正に残暑たけなわの風情だが、今週はいろんなものが値上がりしている上に、野菜の出来が余り良くないらしい。毎日のようにぬか漬けのキュウリが出て来るが、どうもシャキッとしないのは材料そのものが出来の悪いせいらしい。諸物価の値上がりに関して、婆さんは相当実感しているみたいである。

農村で米の価格が下がって生産農家が大変との報道が多い故、米の価格ぐらいは下がっているかと聞くと、値下がりの方はあまり反映されていない様子。自分でスーパーに行くことは先ず無いので、物価高騰の実感は無かったが、今日久し振りに書店で文庫本2冊買って初めて思った。書籍も確かに値上がりしている。たまたま買ってしまったのが気晴らしに読もうと思った下らない小説。料金をよく確認しないで手にしてしまったが、カウンターに持っていくと2冊で2052円。

裏表紙に価格が3桁で印字されていたのだが、よくよく見ると950円である。これに消費税が76円乗ると目出度く1000円を超えてしまう。上下巻になると消費税だけでも152円、結構バカにできない数字になってしまう。この手の書籍は7~800円との思い込みがあったが、今や文庫本でも1000円以下で買える本が殆ど無いみたいだ。今後は書店で、余り気軽に衝動買いをしないよう気を付けなくてはいけない。

2014年10月2日木曜日

他人事ながら

後期高齢者近くまで長生きさせて頂いたお陰で、余計なことではあるが孫の将来について心配することがある。孫2人が目下高校1年と2年生になってしまった。高校2年生ともなると、進学或いは就職に関して考え始めなくてはならぬらしい。具体的には何も聞いていないが、仮に大学なり専門学校なりに進学するとしても、問題だなぁと思うのは、学業を終えて社会に出る時のことである。

他人の人生なんか余計なお世話で、子供でさえどうか思うのに孫の心配をしても意味無いかとも思うが、余程暇な証拠だろう。たまたま古い友人から電話が来て、9か月前の肺癌手術からリハビリを経て無事社会復帰できそうだとのこと。たまたま彼の大学卒業時、求められて就職の世話をした。その時代に在籍していた中小企業関連の中小企業である。小生はその会社を25年勤めて辞めたが、彼も似たような経歴で、50歳近くになってから独立したと記憶する。

人生なんてものは人それぞれで、本人が満足していればいいだけのことで、他人が口を挟むべきものではないかもしれぬ。彼も趣味が豊かで、独立してから趣味の合間に仕事をしながら悠々自適、病魔に侵されたのが残念だが、ほぼ満足すべき人生だったと思う。しかし、他の友人達を見渡すと、優雅な老後即ち悠々自適で快適な生活を送っているように見える人の多くは、やはり公的機関や東証1部に上場されているような大企業出身者が多いのも事実。

少し残念ではあるもの、当たり前かもしれぬが、電話が来た彼や小生のように中小企業出身の年金暮らしは、経済的にそんなにハッピーとはいかない仕掛けのようだ。老後が優雅な諸君は、小生等が遊び呆けていた若い時代に苦労したからこそ現在があると思えば、それなりに辻褄はあっている。そこで、孫たちも公的機関や大企業に就職できれば目出度いのだが、こればかりは全く見当がつかない。

更に考え始めれば、良かったと思って就職した大企業でも、運が悪いと会社が潰れたり、分社化と称して外に放り出されたりすることがあるので、油断が出来ない。考えが堂々めぐりして、やはり孫のことなど心配すべきことではないとの結論に至った。心配の対象になった上の孫、暫く会っていないが、現在3泊か4泊かの修学旅行でマレーシアに行っているのだそうだ。世の中変われば変わるものだ。

2014年10月1日水曜日

ネット情報の真贋

此度の御岳山噴火による遭難被害者のことを思うと、山好きの一人として本当に胸が痛む。又2千メートルを超える山中の過酷な環境下で救援に当たっている消防・警察・自衛隊の皆さんには心底から敬意を表したい。

故郷の長野県には多くの火山がある。浅間山が最も有名かと思うが、幸か不幸か浅間山登山の経験はない。火山最初の経験は中学生時代の遠足で、志賀高原から群馬県側の白根山を通って万座温泉まで歩いた時のことだ。初めて嗅ぐ火山特有の硫黄の臭いと、火口池の碧色に感動した記憶がある。長じて箱根山や上高地の焼岳等、火山の噴煙を比較的近くで見る機会はあったが、余り近くに近付いた経験が無い。数年前に御岳山にも登ったことがある。山頂直下に池が見えて、この池も濃い碧だったように思うが、活火山との意識は全く無かった。

地下から吹き上げる水蒸気に最も近付いたのは、志賀高原の麓で有名な地獄谷の温泉噴出孔で、ここには小学校の時から何度も行っている。日本は世界の10%の火山が集中しているそうで、温泉も多く、大方の日本人にとっては地中から吹き上げる煙や水蒸気は見慣れた光景で、むしろ親しんできたのかもしれぬ。しかし今回の御岳山の噴火で、改めて自然の怖さを思い知った。富士山なんかはきついので2度と行く気にならないのでいいが、富士山の小規模噴火は既に頻発しているようだが、大噴火の可能性も大とされているようだ。

これが100年後なのか明日なのか、専門の学者さんでも判定が難しいらしい。
地震や津波もそうだが、家に居ても被災する可能性をゼロにすることはできない。その時は諦めるしかないだろうが、少しでも危険な兆候を感じたら、敢えてそこには近付かないことだろう。今日ネットを見ると、そんなことを示唆する記事があった。9月11日にNHK東海が、「御嶽山で火山性の地震が増えていること、気象庁が火口付近で火山灰などの噴出に注意するよう呼びかけている。」と報道したとのこと。大マスコミは気象庁からの警告が皆無だったとばかり報道するが、皆無だったは違うみたいだ。

それを聴いた名古屋のある地震マニアが、9月12日と9月20日の<Q&Aサイト「ヤフー知恵袋」>に「岐阜県御岳山の噴火について教えて下さい。」とか「岐阜県御岳山の登山道で今回の噴火で影響がある道は有りますか?」と質問したとのこと。それに対する回答が「今回とはいつの話? 今年噴火はしてないでしょう!」と書かれると、質問者はすぐに「9月に入って噴火してますよ。」と切り返したそうだ。

質問した地震マニアさんは、9月11日のNHK東海の報道を素直に信じただけのことらしい。木曽は経済圏で言えば完全に名古屋経済圏なので、東京や大阪のメディアがスルーした気象庁の発表を名古屋のNHKが取り上げるのは不思議は無い。ネット情報は、片山さつき参院議員が<ツイッター>で発信したとされる「御嶽山の観測体制が民主党政権で弱まった。」ように与太情報が多いとも言われるが、中にはこんなマニアックなやり取りもあるようだ。これをマスメディアが取り上げていればとの悔いもあるが、それは無理なことだろう。