2014年10月6日月曜日

日本のマスメディア

日本でも1960年代までは、度々大きなデモが発生して政治を動かすことがあった。1962年に大学を出ているのだが、残念なことに全くのノンポリと言うよりむしろお馬鹿さんで、社会と言うものを十分理解できていなかったせいでもあろう、一度も参加したことが無い。返す返すも残念だ。少し大人になるのが早かった友人には砂川基地闘争からデモに参加した人さえいる。当然ながら全学連も全盛時期は過ぎても未だ活動していた時代なので、学連に参加してデモをした人もいるだろうし、学連に参加しなくても60年安保の反対デモは、正に国民的盛り上がりだったので、在京の友人で小生同様に一度もデモ参加の経験が無い方が少ないかもしれぬ。

親しい友人が「一度くらいは国会周辺に行ってみた方が良いよ。」態々中野の下宿から国会に向かう途中、新宿のぼろアパートに寄ってくれて誘ってくれたことがあるのだが、その時も麻雀のメンバーに入っているからと言って断ってしまった。どうせ日本はアメリカに支配されているのだから、英語が必要な時代になっている程度の意識はあったのだろうが、アメリカと日本の関係がどうのこうのなんて考えてみなかった。恐らく現代の大学生と比べれば、社会常識では昨今のお馬鹿タレント以下だったかもしれない。

慙愧の念を以て当時を振り返ると、メディアへの接触不足で情報量が非常に不足していたことがあるように思う。部屋に携帯ラジオが1台あって時々はニュースを聞いていたかもしれぬし、兄と同居していたので新聞も取っていたかもしれぬ。しかし政治の動向に関する関心は全く無く、ゼネストがあれば交通機関が止るので学校に行く必要が無い程度の話で、選挙に行った記憶も無い。wikipediaで1960年を検索して主な出来事を改めて見直しても、思い出すのは社会党党首の浅沼稲次郎暗殺事件くらいで、これについては暫くして映画館のニュースで何度も見たことを思いだす。

小生が平均的或いはまともな成人であったか否かは別にして、現代に比べれば情報量が格段に少ない時代であったにも拘らず、1960年代に日本であれだけ大規模な民衆デモが起ったことはある意味で驚異的だと思う。当時あのデモを誘発するにマスメディアはどんな役目を果たしたのだろうか?友人が家まで迎えに来てくれたことを書いたのは、電話すらまともに無かったことを知ってもらうためだ。当時のマスメディアの筆頭は新聞とラジオだろう。ひょっとすると田舎の実家にテレビが置かれた頃だったかもしれぬ。もしマスメディアが何らかの役割を果たしていたとすれば、当時のメディアには社会の木鐸として機能する心意気が残っていたと言える。

最近の香港とかクーデターで鎮圧される前のタイとかでは今年も度々大規模なデモが発生している。香港やタイには日本のような巨大なマスコミは存在しないそうだ。テレビは多数チャンネルあっても、報道を優先するのは政府系のものが多いらしい。従って民衆の多くはマスコミ報道を疑ってかかる習性が身にしみついているとのこと。従って中東なんかでも似たようなことらしいが、現代は民衆の多くがソーシャルメディアに頼って情報とか事実を求めるらしい。その意味ではスマホを若い人が使いこなすことは喜ぶべきかもしれぬ。

日本は幸か不幸かマスコミが未だに社会の木鐸として機能しているのだろうか?事実を正しく或いは権力に阿らない報道を続けているのだろうか?日本ではマスメディアに比べソーシャルメディアの発信する情報力の方がはるかに低い。果たしてこれが喜ばしいことなのかどうかが問題だ。

2 件のコメント:

中Chan さんのコメント...

爺 様

言及された「社会の木鐸」については、昔から「新聞(マスメディア)は社会の木鐸たれ」
という言葉があるようですが、実際に★事例が知りたいとWEBを探ってみました。
しかし、「新聞は社会の木鐸たれ」はもはや死語だ、という言葉が多くありました。

ようやく「地方新聞に掲載された、A氏とB氏の対談」こそ「社会の木鐸」と言うべき
重厚で、貴重な対談であったとの評価が2件見られました。<2006年小泉政権の時代>
(★中Chan)
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(その1)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-01-05/2006010526_01_1.html
2006年1月5日(木)「しんぶん赤旗」
マスメディア時評 「木鐸」はどこにいった(宮坂一男)抜粋

★注目されたのは共同通信の配信でいくつかの地方紙に載った、
評論家・加藤周一氏と国際政治学者・藤原帰一氏の対談です。
加藤氏は「一九三〇年代末を思い出す」とのべ、「小さな変化が
徐々に起きている」間に「精神総動員や
ブレーンウオッシング(洗脳)が有効に働いているという状況だった」と、
今日との共通性を警告します。

藤原氏は日米開戦前夜の大政翼賛体制と対比しながら、
「今は『戦争なき近衛新体制』のよう」だと受け止めます――。
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(その2)
http://www.ogawamisako.com/d/old_bbs1/bbs154.htm
2006年 1月 1日(日 魔女庵♪掲示板 過去ログ№154
南日本新聞の必読ページ!なし崩し進む右傾化!
初春のお喜びをお伝えします。
元旦の南日本新聞にある評論家の加藤周一氏と国際政治学者・東大教授の
藤原帰一の対談は重厚です。
切り抜いておく価値があります。加藤周一氏の弁によれば、
今は1930年代の末に酷似しているらしいです。
戦争への小さな変化が徐々に起きていることに気付かないでいるうちに、
洗脳が始まっていて、なし崩しの右傾化が始まっていると。
実に大事な分析!
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★現代の地方新聞で掲載された、対談の本文要約です。
 冷静・緻密なな日本人の頭脳2名による
「社会の木鐸」の典型的な実事例としてご紹介します。(中Chan)

(その3)の要約

http://fiolencino.exblog.jp/2951820
世相春秋 | 2006-01-02 16:45 |
★作家の加藤周一さんと東大教授の藤原帰一さんの対談・

(2006年 1月 1日(日))

☆今回は、このお二方の対談を読んで、今後のこの国の行く末を
どう見据えていくのか、そして我々は「何を正しく『選択』して
いかなければならないのか」という一つの、「指針」になればと
思い、要約して記事にしたいと思います。(投稿・筆者)
2006-01-02 16:45 |
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★大部につき、イントロダクションのみです。
 重厚なる本文をご参照ください。(中Chan)
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◆東アジア

藤原(以下F):中国政府が、経済発展で衰えがちになる国防の団結を
維持するため、反日感情を利用している側面は否定できない。
しかし、日本政府は、相手の反発を強化する選択をしている。

加藤(以下K):靖国問題は外交問題の争点であると同時に、
中国の大衆感情とも直接関係している大衆感情は政府を縛るから、
政府も譲歩しにくくなる。やはり靖国参拝には無理がある。

・・・・★以下、本文ご参照
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http://fiolencino.exblog.jp/2956678/
|加藤周一さんと藤原帰一さんの対談・
その2
2006-01-03 16:33
◆小泉自民・・・・・・・以下本文ご参照
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
http://fiolencino.exblog.jp/2962950/
★加藤周一さんと藤原帰一さんの対談・
その3  
2006-01-04 19:09 |
☆加藤周一さんと藤原帰一さんの対談の記事も今日で最後にします。
今年の新たな指針を得るため何を考え、行動するのかを私自身が
考える一つの材料にしたいと、この記事をUPします。(投稿筆者)
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◆戦争責任・・・・・以下本文ご参照、その3 全終了

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(注)故 加藤 周一(かとう しゅういち、
1919年(大正8年)9月19日 - 2008年(平成20年)12月5日)は
日本の評論家。医学博士(専門は内科学、血液学)。
妻は評論家・翻訳家の矢島翠。
鷲巣力『「加藤周一」という生き方』筑摩書房、2012年
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★結び
「社会の木鐸」は私にとって単なる日本語だったのですが
貴殿の問題提起や、「木鐸」に関心のあるWEB投稿者のお陰で
具体事例(証拠)を目にすることが出来て、隠居爺の生涯学習
の一助になりました。(中Chan)

senkawa爺 さんのコメント...

中Chanさん
いつも丁寧なコメントをありがとうございます。
世の中が右傾化しつつあることはマスメディアが気付かぬ筈はありません。それに対して歯止めを掛けるような真面目な解説が殆ど無いのは残念でなりません。
その意味では未だウェブの方が益しだと思います。