2018年5月31日木曜日

慣れぬこと

月末だからと言うわけではないが昨日でリフォームに一つの区切りがついた。昨日の早朝から飛び職人が来て南面に組まれていたパイプの足場が撤去された。午後は大工の親方が一人の弟子と来宅、換気扇の取り換えとか電気関係などの細かい点を最終チェック、追加工事の請求書を受領してお別れ。これで神奈川県藤沢の業者とは縁が切れるが、未だ直さなければならぬ点がいくつか残っている。

今朝は10時に南面の幅2.5m高さ1.8mのブラインドについて業者が取り付けの下見の来宅。同時に浴室の西面北面窓のブラインドも届いた。これはまた業者が別で名古屋の業者からネットで購入したもの。朝飯前から普段は目をつぶっている家の周囲(と言っても北側は道路なので実質3方)のゴミ拾い。昼に名古屋からブラインドが届いたので昼飯前に取り付けてしまおうと慣れぬ工作を始めた。

これが案に相違して結構な難作業。以前ぶら下がっていたブラインドはメーカーが違ったらしい。先ず前の取り付け金具を外す必要があるが、踏み台から窓枠に足を載せたりして上を見てもネジ山が見当たらない。見当を付けてドライバーを逆回転させるが、どうも外れているみたい。ネジの溝が潰れかかっているとすれば厄介だ。冷や汗をかきながらやっとのことで感触を得る。誰がした仕事か知らぬが長いネジが目茶苦茶固く埋め込まれていた。

やっとの思いで前の金具を外したので昼飯でもと思ったが、ここまで来て中途半端はいけないと考え、昨夜までベッドカバーで目隠しをしていた西面の1本だけは何とか昼飯前に済ませたが、既に2時。飯屋の親父に「首がおかしくなったでしょう。」と同情された。これで済めばまだよかったが、帰宅して2本目はお茶の子と思いきや、ユニットバスはビスが効かないことに気が付いた。リフォーム業者に問い合わせると、ツッパリ型を注文するしかないとの冷たい返事。

慣れぬこととは言えまた約1万円の無駄遣いだ。しかし庭のゴミ集めにせよ細やかな努力でもした分だけは奇麗に見えてくるのが有りがたい。

2018年5月30日水曜日

誰をか信じる

多くの政治家は、座右の銘とするかどうかは別として「信無くば立たず」を肝に銘じていると思いたい。信とは何ぞ、選挙の得票数はたまた世論調査の結果か?総理大臣は選挙の得票数をもって信任を得ていると思っているようだ。それも一つの考え方ではあろう。詳しくは知らぬが、山口県の地元では断トツのトップ当選であったに違いない。しかし最近では殆どの世論調査結果で、総理大臣は信用できないとする人が大多数を占めるようになっている。但し総理の選挙区のことは分からない。

これも全く知らぬが、総理大臣の身分は重く、恐らく軽度の法律違反なんぞは免責されることが法律上定められているのかもしれぬ。しかし、行政の長として国会で口から出まかせを無制限に述べることを許されてはいまい。今年度の通常国会も愈々終盤、国難を乗り切るために大金を使って総選挙した割には何が国難だったのかピンとくる国民は少なかろう。確か韓半島有事が最大の国難と訴えたような気もするが、総理の期待に反して幸いなことに南北朝鮮問題は当事者の努力にアメリカ大統領が乗り融和しつつある。

我が国としては慶賀の至りだと思うが、信の無い総理閣下の動きは極めて不自然、ぎこちなさだけが目につく。代わって「働き方改革法」なる法案を重要法案としたいようだが、この法案については財界からの支持は高いようだが、労働者の組織(連合)から明確な反対意思が表明されている。実態が分からないので的確な判断は出来かねるが、連合からの反対は国民の大多数にとって余り好ましくないのではなかろうか。何でも法案の根拠がインチキであったなんてこともあるようだし、国難とも関係なさそうだから強行採決を何故したいのか、さっぱり分からない。

一方の「モリカケ問題」は同じ質問ばかりの堂々巡りでウンザリとの声を聴くが、小生には同じ質問ばかりには思えない。答弁は同じ答弁ばかりだ。今日も党首討論とやらで総理が集中的に質問を浴びたが、よく恥ずかしくもなく聞いたような答弁を繰り返すものよと呆れるより先に感心してしまう。国会議員が約700人もいるのだから信ずるに足る人もいると思うのだが、これが日本と言う国家の実態かと思うと残念な気がする。

2018年5月29日火曜日

家族の伝承

午前中は曇っていたが夕方になると晴れてきた。家のリフォームも大分落ち着いたので早めの風呂に入り、2階でこのブログを書いていると涼風が吹き抜けまるで里山の山頂にいる気分だ。ハイキングから遠ざかって久しいが、車の騒音を気にしなければ、苦労しなくてもいいか、と思いたくなる。今後は少し落ち着いて身の回りを少しずつ整理をしようかと思っている。身の回りと言ったところで大したことがある訳ではない。

先日長野に親族が集合した際、姪や甥が家族の古い写真を出してきて、話題が大いに盛り上がった。特に自分の結婚記念写真や家内の若かりし時代の写真、これは多分見合用に頂いたものだろうが、凄い美人でこれには感激した。今日は早速これをガラケーで複写。待ち受け画面が孫の幼稚園時代のもので、古くなり過ぎていたので交代するようにした。これから飲む機会にこれで自慢すればいい供養だ。

書類と言っても大したものは無いが、相続に絡む書類だけはきちんとしてやらねばならない。先日のお斎の席で家族7人の誕生日を満足に答えられた者が一人もいなかった。これは大いに反省すべきだ。葬式前に会った友人から頂いた随筆を読むと、先祖の戒名なんぞもきちんとパソコンで整理したと書いてある。こういったことも必要だろうし、何年も見ていない写真の整理もある。親の代とは異なり、我が時代は写真館での撮影は婚礼以外には考えられない。

スナップ的な写真を探せば大分あるだろうが、系統だってもいないし没後となれば結局全部捨てられかねない。死んだ後はどうでもいいと言えばそれまでだが、何となく悔しい気もする。個人的にはどうせ暇だから、写真を見直すのも暇潰しになっていいだろう。子や孫たちには、1年に一度くらい写真館に行かなくても良いから、家族全員正装した写真を撮ることを薦めたい。前述の友人からはブログの保存についてもアドバイスを貰った。これも確かに検討の要ありだと思う。

人間誰しも自分が死ぬことを想定し難いが、そろそろそんなことを考える時期になったようだ。

2018年5月28日月曜日

宿命

一昨日弟の葬儀を終わって、長野から夜帰宅した。半年足らずの間に家族、しかも年下二人が先立ってしまったので胸の内は表現できない。弔問を下さった方は口を揃えて「未だお若いのに残念です。」お悔やみを下さる。妻は満72歳直前、弟は満75歳直前での逝去であった。有難いお言葉であるが、私は彼らがまだ若いとは思わない。確かによく言われる日本人の平均年齢と比べれば、少々若いかもしれない。

しかし、彼らは自らの長い人生を十分に生き、思い残すところも少なくなって満足してあの世に赴くこと決意した見事な結果だったと思っている。政府は何を考えているのか知らぬが「人生100年時代」をしきりに喧伝する。人生長ければいいとも思わない。人間は長じてある年齢までは社会の中で自立し、社会にも貢献できるだろう。これとて心身共に個人差があるから何歳とは特定できない。が、社会貢献や自立が難しくなる時期は必ず来る。

老後の生き方については様々な考え方があるだろう。長生きをすれば子や孫たちも嬉しいだろうが、巨視的見地に立てば子や孫たち或いは社会全体に生かされる格好になる訳である。その環境の中で、それまでに思いを残した仕事なり趣味に没頭して自己実現にいそしむのも悪くない。人それぞれである。その環境に入る年齢は先に述べた通り個人差が大きいので一概には言えない。

でも古来稀とされた70歳ともなれば大方の人は社会貢献は難しくなる。私も既に78歳、皆さんのお陰で生かされている立場だ。残念ながら皆様のお役に立てることは実に少ない。何かやりたいことがあるかと聞かれれば、無いわけでもない。それには何年必要か?と聞かれれば答えられない。個人的生きる目的も極めて曖昧である。人様のことは分からないが、似たような思いでただ生きているだけのご老人も結構多いのではないだろうか。少なくとも街中を歩いているとそう思う。

楢山節考のように、人生70年として老人には早く死んで頂けるような社会を構築することを目指せと言うつもりもないが、死期は宿命なのだろう。宗教感とも関わってくるので論理的には書けないが、少なくとも弟は現在極楽浄土を目指して西方に向かい楽しい旅をしていると信じている。

2018年5月24日木曜日

度々のことながら

一昨日また不幸な事態に遭遇しました。
今度の日曜日までブログを慎みます。

2018年5月21日月曜日

「#ご飯論法」

長生きすると「へ~」と思うことが次々に起こる。新しい言葉遣いもその一つ。読者諸氏の如何ほどがタイトルの「#ご飯論法」をご存じだろうか。今さらどうでもいいことだが、最初目にしたときはどういう意味かと不思議に思ったが、解説を聞くとこんな言葉が流行っても良いと納得した。意味は次のような場面を指すらしい。

Q「朝ごはんは食べなかったんですか?」
A「ご飯は食べませんでした(パンは食べましたが、それは黙っておきます)」
Q「何も食べなかったんですね?」
A「何も、と聞かれましても、どこまでを食事の範囲に入れるかは、必ずしも明確ではありませんので・・」

これはやや旧聞に属するが、3月の国会審議で今問題になっている例の働き方改革法案審議で、共産党小池亮議員に対する加藤厚労大臣の答えに端を発している。このやり取りを川口さんと言う一般人が5月6日にツイッター上で比ゆ的に問題提起して、SNSで拡散したらしい。
引用先は下記ですから詳細は以下を参照願います。
https://news.yahoo.co.jp/byline/uenishimitsuko/20180520-00085438/

この人はたまたま加藤大臣の発言を取り上げているが、政府側の回答にはこの手の回答が多すぎる。昔はオーム真理教広報部長だった上祐史浩の不誠実な発言をマスコミは「あー言えば上祐」ともじって非難したものだ。今のマスコミは国会におけるこういったやり取りを許しているので、たまりかねた一般人が声を上げたのだろう。敬意を表したい。

2018年5月20日日曜日

爽やかすぎるほどの天気だ

一昨日夕方から、サラリーマンをスタートした会社の後輩3人が、昨年末の不幸に弔意をと言って一席設けてくれた。考えると31年前に辞めた会社で、しかも最後の6年は大阪勤務である。3人のうち一人は辞職当時大阪勤務だった部下だが、どうも発起人は一番若い君で、40年近い昔に一瞬同じ職場にいただけの関係だ。流石に嬉しくなって格好をつけた。「費用は先輩である俺が持たねばならぬ、大いに飲もう。」てなことで飲み過ぎた。

お陰で昨日はブログも書く気が起きず、今日は今日とて昨夜寒すぎて半分風邪ひき状態。宿酔いと書いて「二日酔い」と読むらしいが、さしずめ「二宿良い」状態。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と「年寄りの冷や水」の相乗効果でどうしようもない。

2018年5月18日金曜日

古き良き日

先週豊島区立図書館から借りて読んだ本に山本夏彦著「最後の波の音」 文春文庫 がある。返却してしまったので詳細な読後感は書けないが、単行本としては最後の作品の筈。1925年(大正4年)生まれなので15歳先輩である。以前四谷新道の小料理屋で何回か顔を合わせたことがある。この人一風変わったインテリで、本物の江戸っ子を自認して古き良き日本をこよなく愛し、現代をやや斜めに観ていたので随筆は面白い。

若い時(15歳頃)に不思議な故あってフランスに渡り向こうの学校を卒業した(日本の大学は出ていないかもしれぬ)。父が文学者だったこともあり、明治時代の文学者への思い入れも深い。終生小さな木工業界誌の発行人でもあり、ここに毎号随筆を載せて多くの随筆作家から親しまれ、終いにはメジャーな雑誌新聞でレギュラー頁を持つようになる。本書は殆ど晩年に書かれた作品と思われるので、どうしても現代社会への批判めいた話が多いのはやむを得ない。

歳を取ると誰も同じだと思うが、どうしても昔が懐かしく、今に比べると昔が良かったことになる。その昔も自分が本当に体験したよりちょっと前、両親や祖父母から聞いた時代が強く印象に残るのだろう。山本氏で言えば明治初年から江戸時代末期の日本だったかもしれぬ。歳を取れば取る程その時代を深く知りたくもなるようだ。我が身に置き換えれば、正に大正時代がそうだろうが、残念ながら殆ど知るところが無い。だから著者の作品が面白いのかもしれぬ。

新聞なんか毎日読む必要がない、10年前の今日の新聞を読んでみろ。今とどこが違うと言うのか。世の中寄せては返す波と同じ、変わらぬことは金欲と愛欲、大衆がスキャンダルを好むことも同じこと。もし賄賂を貰える立場になれば誰もが受け取る、たまたま己がその立場になれなかっただけにすぎない。言われてみればそうかもしれぬ。正しい日本語についても同じことで、昔風の言葉遣いが正しく、現代人の使う日本語は聞くに堪えない風情でもある。

どの年齢まで現代っ子と言っていいか分からぬが、現代の風俗に馴染むのは老人には些かしんどいところもある。山本氏のように故事に豊富な知見でもあれば現代を皮肉りながら楽しく過ごせるのであろうが、凡俗はそうは参らぬ。新聞こそ宅配を断ったが、必死になってテレビを観たり、ネットを見る毎日を送っている。

2018年5月17日木曜日

マスコミにおける虚実の判定

連休前からマスコミでも、モリカケ如き些末な事案にいつまで拘るのか、国会をサボって国民にとって重要な諸懸案の審議を妨害する野党、と言った論調が激しくなり、野党が白旗を掲げた格好で国会が一見正常化されたように喧伝されている。昨日参議院本会議で成立した「政治分野における男女共同参画の推進に関する法律案」(地方議会選の候補者数を「できる限り男女均等」にするよう政党などに努力義務を課す法律)なんかも重要な諸懸案の一つと言いたいかも知らぬが、当方にはまるきりピンとこない。他にも10数本の法律が同時に成立しているが、ピンとこない意味では全く同じことだ。

テレビに登場する卑し気な解説者が「ウンザリとかいい加減にしろ」連発する根拠は何処にあるのだろう?安易に野党の尻馬に乗る訳にもいかず、今後再発を防ぐために徹底した改善策を講じるのだから、過去の過ちは忘れてやろうとの意味だろうが、マスコミの責任はそれで果たせるか?果たせる筈はない。マスコミの役割は国民の立場に立って政治を見ることが最重要であるべきだ。簡単に言えば当事者から少し距離を保ち、スポーツ観戦でもするぐらいの気持ちになれば好いではないか。時に与党、またある時は野党寄りになっても何の不自由も無い筈だ。

圧倒的多数の国民は支持政党があっても無くても、政治を遠くから観ている。遠くから見ると人間の本質が何となく分かるのが不思議なところだ。本当に正直な政治家が出現すれば一発で分かる。例えば野球選手、大谷翔平選手について中には好き嫌いはあるだろうが、大勢の俄ファンが増えているだろう。政治家は彼らと異なり、本質的なプレーはあまり報道されない。逆に自ら好んでテレビ出演をしたがる。この点やや芸能人に似ている。芸能人を真似る限り嘘と真の差が曖昧になる。総理や財務大臣はどこまでこのことが理解できているだろうか?

国民の多くは彼らの嘘をとっくに見破っている。ただそれは証明できないことも事実。嘘つき呼ばわりされた政治家が「嘘だと言うなら事実をもって証明してください。」と開き直れば一般人には証明する術がない。しかし本来マスコミは違う。数多くの取材源からオン・オフ取り混ぜた情報を持つのだから、嘘を暴くぐらいは大した手間ではないだろう。

調子付いた与党はこの勢いを駆って目玉と位置付けている「働き方改革法案」一式の強行採決を図るつもりのようだ。マスコミは嘘を見逃しても与党政権を安定させることが日本或いは自社又は個人にとって最優先事項との考えのようだ。マスコミは選択しない建前のようだが、国民には選択権が与えられている。

2018年5月16日水曜日

今様

スタジオジブリのアニメ映像作家高畑勲氏の葬儀で弔辞を述べた宮崎駿監督は小生とほぼ同じ年齢、4歳ほど年長の高畑氏に対し「自分にも残された時間が少ないことを実感・・・」と言いながら落涙する映像を見て身につまされた。「別に何かしたいことがある訳ではないが、あまり時間は無いのだろうな。」今朝のニュースで初めて知った元毎日新聞論説委員の岸井成格氏の訃報も極めて残念、少し若いがほぼ同年齢。彼のニュース解説と相撲に関する論評は非常に解り易かった。政権への辛口にも拘らずTBSもよく現役で使い続けたことを内心評価していたのにである。冒頭から故人の話題を2件も取り上げてしまったが、残日限りあるを知り少しはなすべきことを考えよ、と自戒するためであるが、どうも実感が伴わなくて困りものだ。

このところ毎朝6時からNHKのニュースを約15分ほど観ることが習慣化している。冒頭6、7人のアナウサーらしき人物が横一列に並んで挨拶をする。天下のNHKだから当代一流の知識人が一流のファッションに身を包んでいる筈だ。少し以前から書きたいと思っていたのがこのファッションについてである。高校時代に他人様から不良と思われる行動があったことは否定できないし、その手の輩に憧れていなかったと言えば嘘になる。大勢の人が言っているので今も同じかもしれぬが、不良の第一条件は格好が良くて、女の子のもてることに他ならない。

だからチビで弱虫でも着る物には関心を払い、垢じみた小倉のズボンでも毎晩寝押しをして折り目がきちんと出るように気を使ったものだ。今でも習慣は少しは残り、外出するには出来るだけ小ぎれいにするよう気は使っているつもりでもある。はた目から見ては保証の限りではないが。己のことは関係ないとして、最近のファッションである。お姉さん方のスカートの丈が長くなったのは目のやり場に困らないので良しとして、お兄さん方のスーツが面白い。これが格好いいのだろうが我が青春時代のマンボズボンとは明らかに違う。

当時まともな大人はマンボズボンなんか金輪際履かなかったが、昨今はいい年恰好のおっさんまで何を考えているのかつんつるてんの上着と共に着用におよんでいる。これでないとお姉さんにもてないなら仕方ないが、何とも面白い社会現象に見える。

2018年5月14日月曜日

子供ころの夢

5月にしては寒い日が続いたが、今日はやっと初夏らしい爽やかな日となった。昨夜は母の日だったのでブログに何か書きたかったが、 思い始めると母のことから妻のことまで思いが千々に乱れるばかりで結局纏まらず辞めてしまった。今日は少し見方を変えて、母に最も世話になった子供時代を振り返ってみたい。

現代の児童はかなり低学年時代から自分の将来について考えを持つみたいだ。昔で言えば「おませな子供」が多いのは親御さんもさることながら、殆どの家庭にテレビがあり、小さい頃から大人並みの情報に曝されているせいだと思う。我が小学生時代にテレビは無いが、ラジオは殆どの家庭にあったろうし、小学生向きの新聞は取ってもらえなくても、少年少女向けの月刊雑誌もあった。だから、プロ野球の存在や川上哲治とかスタルヒンとか青田某なんて名前だけは聞いた覚えがある。

低学年の域は既に脱していたろうが、湯川秀樹博士がノーベル賞を受賞したことも水泳の古橋広之進が世界記録を出したことも、誰に聞いたか分からないがリアルタイムで知っていた。しかし、趣味に等しい運動なんかで身を立てるなんてことを考えた小学生が当時いたとすれば、相当珍しい子であったに違いない。それに昔から運動について全く自信が無かったので、野球そのものに大した興味を抱かなかったこともある。

とは言っても、小学校時代の始業前と放課後の遊びの代表格は、竹バットで布を巻いたボールを打つ三角ベース(狭い運動場を共同で使う必要から専有面積を小さくする知恵だろう)の野球が流行っていたのも事実だ。結局は球拾いが定席みたいものだったような気がするし、勉強もそんなに好きとも言えないので湯川博士のようになるなんてことは想像すらしない。両親も子供の将来についてアドバイスらしき話なんかしないし、明日以降のことなど考えたことも無かったような気がする。

強いて言えば、日本郵船の船乗り(事務長)をしている叔父さんが、1年に1回か2回帰国すると、姉である母のところにもお土産を持ってきてくれた。これはコーヒーであったり、父にはウヰスキー(何れも生まれて初めて知った)だったりしたが、これが魅力的だったので、<船乗りになりたいな>と思ったのが将来を夢見た初めだろう。因みに父は地方のお役人だった。昔も今も役人からは子供が学べる情報は殆ど無さそうだ。

2018年5月12日土曜日

千両役者

アジアの国々で、目下最大のイベントになりつつある来月12日に決まった米朝首脳会談。残念ながら我が国の政治的出番は少なくとも当日以降までお預けのようだ。なのに国中のマスコミが国内問題そっちのけで取り上げるようで、政治家からジャーナリストを自称する人まで一家言言わずには済まぬ風情だ。マスコミには行政が立法府を蔑ろにする内政上の大問題を大々的に取り上げる責任があるように思うが、政府にとれば好都合でもあるだろう。

ブロガーだから一億総評論家の端くれとして何か書きたいのだが、どうも異国同士のことなので、捉えどころが見つからない。代わりにこの騒ぎで思ったことがある。この騒ぎを論評する際に政治家が好んで使う言辞に「国際社会」があるが、これが分かったようでわからない。愚考するに国際社会には多様な国家と言語が存在するのだから、複数の国家間で戦争とか平和と言った単純な事柄であれば共通の認識も生まれようが、少し複雑な問題になれば、国家間で共通の認識を形成するには互いに相当努力(対話であるかは別にして)を要する筈だ。

異国の政治家が演説の中でどの程度「国際社会の共通認識」を使用するか知らぬが、日本ほどのことはあるまい。日本人(特に政治家)は「国際社会の共通語は英語」を勘違いして、英語を話さない人間を国際人とみていないのかもしれぬ。昨日たまたま政界随一の英語使いとされる河野太郎外相出演のテレビを観て改めて感じた。彼の発言の多くにこのフレーズがちりばめられていた。従って非国際人の小生には言わんとするところが全く理解できない。

アメリカファーストの大統領は「我が国と北朝鮮にとって、そして韓国、日本、中国、ロシア、そして全世界にとっても素晴らしい取引をして見せる。」と見得を切っている。千両役者が決め台詞に日本を入れてくれたことに安倍首相は大感激だろうし、この台詞は分かりやすい。総理にしても外相にしても、流石に「無用な対話のための対話」と「最大限の圧力維持」を少しトーンダウンせざるを得ないようだ。

当方は天井桟敷の遥か彼方、声は届かぬだろうが「いよッ!大統領!」と声援を送るのみ。

2018年5月11日金曜日

ジャーナリスト(記者)

マスコミで活躍する記者の中心的機能は「時事的な事実や問題に関する報道・論評」の伝達にあると一般的には定義されている。しかしマスコミの記者の中には記事を全く書かず、特定の個人のための情報収集やら伝令に徹する人物が多いのも昔からよく知られた事実である。現代のお庭番であるが、会社から給料を貰いながら、政界なり経済界の個人に忠義立てして、そっちからも何らかの報酬を得るケースが多いだろう。

こんなことが欧米社会で許されるのかどうか寡聞にして知らぬが、日本独特の現象でないかと思っている。現役時代にはそういった方と若干お付き合いもあったが、それを暴露しても分かりにくい。分かりやすい事例で言えば読売新聞の社主となっている渡辺恒雄氏、彼は自伝の中で最初は保守合同の立役者で自民党の大物副総裁だった大野伴睦氏、後に中曾根康弘総理のお庭番だったことを自ら書いている。

若手で言えば、元TBS記者の山口敬之氏なんかも自分の著書で安倍総理のそれであったことを誇らしげに書いている。会社としても、自社の記者が大物にそれだけ食い込めば、取材だけでなく何かと便利と大目に見るのだろう。であるのでそれは良しとしよう。しかし、最近は個人の使い走りを超えて明らかに政党の使い走りとなっている人物が、恥ずかしげもなくマスコミに登場してジャーナリストを気取って解説の様な事を喋る。

これは如何なものか、大いに問題だ。古来お庭番は、夜陰に紛れて殿の枕頭に侍り御用を承ったものだろう。アメリカで言えばCIA捜査官なんて役柄も似たようなものだ。その大親分が国務省長官(外務大臣)として表舞台で大活躍するのだから、自民党の使い奴の田崎史郎氏がテレビ局を掛け持ちして大活躍するのをやっかむのは大人げないかな。

2018年5月10日木曜日

判断基準

自宅のキッチン代わりとして馴染みになった飯屋の親父が、料理をしながらよく見かける60は楽に越していそうな婆さんと言うか小母さんの話を聞いてやっている。夕方の店をオープンして間もない6時前後のことで他の客は俺一人だけ。小母さんも独り者のようで、アルバイト帰りに自宅で夕飯を作るのが面倒なんだろう。店の片隅にあるテレビは政治関係で安倍総理の顔が大きく映し出されている。

小母さん「この頃この人の顔色が悪いねぇ。政治のことはよく分からないけれどさぁ、煮えたか沸いたか分からないことばかりでいい加減にしてもらいたいよ。野党もよく分からないしねぇ。」
オヤジ「そうですねえ、次の選挙の投票先難しそうですね。」
小母さん「この前テレビで田中角栄のことやっていたけど、あの人は偉かったねぇ。第一風貌が良い、男らしいわ。」
オヤジ「でもあの人は凄い賄賂を取ったのでしょう。」

ソツのないオヤジは政治向きの過激な話題は巧みに避ける。些かそっけない反応に小母さん少しご不満だったのだろう、かぎ型のカウンターで少し離れて座っていたこちらを向いて同意を求めてきた。

「仰る通り、角栄さんは安倍さんよりは国民のことを考えていたと思いますよ。第一、オヤジさんの地元じゃないの、大いに自慢して良いと思うよ。5億円の賄賂なんか今の政治家の出来の悪さに比べれば大したことないよ。」

このオヤジ、角栄氏の地元とは言えないらしいが、越後は十日町(一山超えれば我が信州)の出身。未だ60歳だが料理は安くてうまい。裏方の嫁さんは角栄を誉められて悪い気はしないようだ。小母さんもこの一言に我が意を得たのだろう、こちらに向かって喋りが一層なめらかになる。

「そうですよ、誰か言っていたけど総理を1回すれば孫の代まで楽に食べられるそうよ。総理は全員なんかの方法で蓄財しているのよ。そんなことより角栄さんの偉いところは決断の早さよ。責任は俺がとるからすぐやれ、と言える政治家が今いる?政治家の話は簡潔で、分かりやすくなくてはいけない。難しいこと言われても分からないのだから。その点親譲りで小泉進次郎さんは好いね。まだ総理には早いと思うけど顔も良いし・・・」

進次郎が嫌いだと水を差すわけにもいかず拝聴を続けたが、理屈での説得は難しそうだ。政治だけでなくブログも簡潔でなければいかんのだろう、反省だ。

2018年5月9日水曜日

エンターテインメント

初夏の陽気だった連休と打って変わり、昨日今日は冬の寒さに逆戻りだ。何事も一直線に進まないのが世の定めと言うことだろう。幸い比較的近年まで山歩きを少しやっていたので、着たり脱いだりは余り苦にならない。家も狭いので冬物衣類が未だむき出しで寝間の片隅にぶら下がっている。今日は冬物上着とズボンをはいて出かけ、小学校以来の友人に昼食をご馳走になった。

彼も奥さんの腰と膝の具合が悪く、昨日から2週間の予定で入院とのこと。彼も老々介護への不安が隠し切れない。少なくとも2週間はこちらと同じ運命だが、結婚したお嬢さんがすぐ近くにお住まいだそうで、夕飯はそちらに行けば心配はない。その分大分条件が良いが、彼は洗濯機の回し方が分からぬらしい。下着の果てまで洗濯するのを命令することに悩んでいるみたいだったので、現代の洗濯はそんな心配は全く無用と教えた次第。

彼の奥さんも退院してくると家の中で杖を突いてでも亭主に家事をさせない口らしい。「同年代であるから仕方ないだろうが、俺のこともあるよ。」で帰宅したら当分は休ませるよう、少し先輩面でアドバイスする。他はサンデー毎日を如何に楽しく過ごすか、娯楽の情報交換に徹したが、つまるところは散歩と読書である。彼の場合こちらより少し経済事情にゆとりがあるので、日帰り100キロ、経費1万円以内のポイントを探っているらしい。

西は熱海辺りまでたまに行くようで、昔から馴染みがある旨い飯屋を3軒くらい見つけているそうだ。アドバイスを求められて、日光鬼怒川方面とか奥多摩秩父方面とか幾つかのハイキングコースの話をしたが、残念ながらこちらは歩きが主な目的で放浪しているうえ、経費の件もあり適当な食い物屋が出てこない。しかし彼曰く「伊豆方面だって旨い魚はみな東京の市場に送られ、東京の美味いすし屋に比肩しうるすし屋なんか地元には無いよな。」

そこで話が変わり、昨日日比谷で食ったうまい昼飯と映画の話に移った。昨日観たのは「ホース・ソルジャーズ」だったが、大分前に観た「ペンタゴン・ペーパーズ」のタイトルがどうしても出てこない。飯屋はミッドタウン東京前の広場の反対側「かごしま遊楽館」地下の「麹蔵」そこで話題がまた変わり、最近読んで面白かった本になる。こちらは図書館通いの常連だが、彼は面白そうな本を買うか、自宅にある図書を何度でも読み返すようだ。とりとめの無い年寄り同士の会話自体が一種の娯楽である。

2018年5月8日火曜日

意気地なしめが

昨日のブログで国会の不正常と世論調査の関係について書いた後で、日経が先月28日に発表したテレビ東京との共同調査で次の質問をしていることを知った。以下に該当部分を引用する。

Q8「野党6党は、麻生財務大臣の辞任や柳瀬氏の証人喚問などが国会正常化の条件だと主張し、国会の審議を拒否しています。あなたはこの野党の対応について、適切だと思いますか、思いませんか。」
回答「適切だ-25%,適切ではない-64%,どちらともいえない・わからない-11%」

野党はこの調査の64%に恐れおののいて妥協したらしい。日経新聞なんぞ現役時代からまともに読んだことが無かったし、特別情報の質が高い新聞と思ったことも無い。目を通すことが出勤時に背広を着る程度の習慣になっているサラリーマンが多いだけのことだ。それは兎も角、野党の連中も意気地が無さすぎる。質問をよく読んでみろ、明らかに誘導質問ではないか。こんなことにビビッて変な妥協、即ちゼロ回答にも拘らず「産みの苦しみ」とかなんとか愚にもつかない言い訳をして与党の言いなりになる。情けないったらありはしない。

野党が掲げた審議拒否の理由についてゼロ回答ではないか。昨日はまた野党の離合集散もあった。このことによって一般市民が益々野党を馬鹿にして見放すとする論調が多いが、現象的には確かにそうだろう。選挙を考えれば、己の属する群れが心配になるのはある程度やむを得ないとしなければならないのだろうか?だったら最初から野党入りなんか目指すな。己の信念に対する根性の決め方が余りに薄弱な人間が多すぎる。

先生になりたいだけなら自民党だろうが、ここは既に2世3世で生半可なご仁は門前払いだ。次善の策で創価学会に入信する人間が多いらしいが、公明党は婦人部のご機嫌を取りながら市町村議員から苦労しなければならぬにしても安定性は抜群だぞ。その方が分かりやすいではないか。

倒すとか戦うと言う以上は根性を決めろ。やるかやられるかだ。

2018年5月7日月曜日

世論それとも自浄作用

国会に対する政府の不誠実な対応に反発した野党が審議を拒否している。このことを野党が国会をサボって、国民にとって大切な国会運営を妨害しているが如き意見を吐く者がいる。全くそうは思わないが、そう思う人間は果たしてどのくらいいるだろうか?第一、働き方改革法案が今国会の目玉だそうだが、そんな法律が本当に必要とはとても思えない。

野党はサボり論が幅を利かすのが怖くなったのか、今週から国会正常化に舵をきりそうだ。柳瀬元総理秘書官の参考人招致で手を打つとしたら腰砕けも良いところだ。中途半端な妥協せずに徹底的に抵抗すればいいではないか。選挙を怖がるくらいなら最初から政治家になんかなりなさるな。マスコミもいつも同じような世論調査ばかりせずに、国会不正常の原因はどこにあるか、を聞いてみてもらいたいものだ。

新聞川柳欄に「調整がつけば記憶を取り戻し」「知らなんだ事実は調整するものと」「調整が済んで出演猿芝居」「言い訳に覚えていないと言う子増え」「うみの親うみ出し切るとのたまわく」などの句が並ぶのも当然だろう。昨日のテレビ(TBS「時事放談」)に出演した自民党の村上誠一郎氏曰く「そろそろ自民党も自浄作用を発揮する時期に来ていると思います。」

自浄作用が働くようなヤワな自民党でないことは自明なことだ。結局はいつの日にか行われる選挙に期待するしかないのだろう。安倍晋三氏の思いが叶うことは我が想いと反比例するが、それが浮世であれば仕方がない。

2018年5月6日日曜日

Youtube番組から

一年生議員の割には顔と名前が売れている自民党の参議院議員青山繁晴氏がいる。安倍総理のたっての願いを受けて1期6年で辞めることを前提に近畿地方から前回の選挙に臨み、確か50万票前後の大量得票だったと思う。マスコミテレビにはあまり登場しないが、丸川珠代氏と同様に参議院予算審議で重宝されているのでご存知の方も多いだろう。彼は共同通信社記者出身だが、取材能力は知らぬが自分を売り込む術は相当なものだ。

私はYoutubeをよく観るので昔からよく知っている。どういう理由かよく分からないが、彼はネット上で幾つかのレギュラー番組に出演している。今日も先ほど「よるバズ 」https://www.youtube.com/watch?v=opJANAhclucを1時間ほど観てしまった。
実に面白かった。みのもんた氏が中心の番組だがこの先生と仲が良いらしい。先生この連休を利用してアメリカに渡り約1週間大勢の政治家や軍人と意見交換をして「米朝首脳会談を板門店で開くのだけはやめろ。」と力説してきたそうだ。理由は簡単、ここで開催されると朝鮮戦争の終戦に引きずり込まれて、アメリカの軍事オプションが使えなくなることが心配になるらしい。

アメリカの軍事オプションの選択肢が狭まって、日本人にどんな不都合があるか理解しかねるが、アメリカ人には相当受けたらしい。何故か、トランプ氏が売名的目的で前のめりになりつつあることを懸念するまともな人が結構いるからとのことだ。もっと面白かったのは「北朝鮮に経済制裁なんか効いていない。態度が変わったのはアメリカの軍事オプションに怖気づいたからである。」とこれもかなり単純と言うか明快に割り切っている。ご高説のところどころに<安倍総理の考えとは違います>とのフレーズが入るのもご愛敬だ。

やはり自民党はお金持ちであるのだろう。ネトウヨ育成のために若年層対象にこういったネット対策に余念がない。昔自民党代議士に浜田幸一氏がいた。個人的な面識は無いが、赤坂の飲み屋でよく行き合わせた。青山氏の喋りを聞いていると浜田氏を思い出す。彼は酒を全く嗜まなかったそうだが、飲み屋で演説をしてカラオケを聞かせるのが好きだったようだ。記憶に残っている演説「北と南の朝鮮は銭湯の男湯・女湯 と同じで、仕切りがあるように見えてもお湯は下で繋がっているのですよ。統一国家になった暁には必ず日本が攻められます。」軍事的とは言わなかったが、韓国軍人の話としてだった気がする。

両氏とも同じ心配をしているのかな?

2018年5月5日土曜日

呑気でいいな

かれこれ 15年ぐらい前のことである。 今年と同じように 長いゴールデンウィークがあった 。サラリーマンの私は全くプライベートで中国の 陝西省 西安から 雲南省昆明 方面に旅行をした。 その時驚いたのは 中国にも乞食がいることと、日本と同じ5月の初めに連休があることだった。 安倍総理とて国民の一人、 ゴルフをしたからといって 非難しては怒られるかな。

しかし 同じ連休中の 中国の政治家は、 アメリカの 大物経済閣僚 5名を 迎え撃ち 熾烈な経済交渉あるいは経済戦争を戦っている。 昨日 安倍総理は 別荘近くのゴルフ場で楽しんだ後 官邸に戻り 中国の習近平 総書記 と 電話会談をして、 その後記者会見に臨んだ。 会談の内容は 朝鮮半島問題だったようだが 、全て 安倍総理の思惑どおりで 習近平氏と一致したそうだ。

この報道を 信じる人もいれば 信じない人もいるに違いない。 この電話会談 を誰が望み どのように設定されたかは一切報道されていないが、 習近平氏が 嫌な顔をせず 応じた ことは事実。 どちらが大人で どちらが子供かは 誰にもわかることだろう。 電話であれば失礼には当たらないだろうと極めて ラフな服装で会談に臨んだ安倍首相。 会談終了後再び山梨県の別荘に戻って 友人達と 食事を楽しんだようだ。

昨日は高速道路も かなり混んだはずなので、 往復ともに ヘリコプターの 移動だったのかな。 ハハー呑気だねー。

2018年5月4日金曜日

改憲論議

日本国の 憲法を まともに読んだことがないので 語る資格はない。 無理を承知で 知っていることをいくつか あげてみよう。 憲法は 全ての法律の上に位置して 国の形を決めるとも言える。 制定されたのは 戦後間もなくのことで 国連 マッカーサー占領 軍の指導のもとだった。 以来70有余年 変更されずに 今日に至っている。 100条を超える 条文の中に 第9条 交戦権の放棄と 戦力の 非所持があり、 長いこと論議の的になっている。

学者の中にも 自衛隊の存在が この条文と 不整合ではないか と唱える人もいるらしい。 言われると そう思わないでもないが、 自衛隊も 創立 60年を超え 法律的にはもちろん正当であり 一般国民にも その存在に 異を唱える人は ほとんどいないだろう。 いずれにしても 昨日は その憲法制定を 寿ぐ 国民の祝日である。 首都圏では 5万人を超える人か 集会を開いて、 憲法を寿ぐ一方 ごく少数のようではあるが、 9条の改正望む人が集まり 気勢を上げている。

おかしく思うのは 昨年も同じであるが 、この千人強の集会に 総理大臣が メッセージを送って 賛意を示していることである。 本人は この憲法で 国民から選ばれ 今の地位にあることを 知らないわけではない筈なのに、 憲法改正のために 皆さんと一緒に頑張ります、 とは一体何を考えているのだろう。 この集会に ご参集の皆さんは 相も変わらず 日本の危機を 訴えていらっしゃる。

先ほど昨年の ゴールデンウィーク の ブログを 開いてみた。 まだ韓国の 文大統領は 出現していないが アメリカの トランプ大統領は 北朝鮮との対話を 示唆したらしい。 そのことを喜んで ブログに書いたようだ。 それから1年 世界は大きく変わった が 我が国の総理の言っていることは 全く変わらない。

昨日幾つかのテレビを見て改めて思った。戦争とか自衛隊を論ずるならば、憲法の上に来る法概念、即ち国際法を知らずに語るなかれ。総理の案が採用されれば、憲法は法の体をなさなくなる。与党政治家でこれを理解している者が皆無のようだ。改憲案を語るならば先ず英語で書いてみてはどうか。伊勢崎賢治氏の卓見であった。

2018年5月3日木曜日

終戦ということ

今日から連休後半、 図書館の休みで 出かける先に困る。 都合のいいことに 朝から雨降りなので ゆっくりブログでも 書くことにする。

テーマはご多分に漏れない 北朝鮮問題。 日本政府によると 北朝鮮が 道筋を示していないので これまでの態度を改めるわけにはいかないそうだ。 本当に馬鹿じゃなかろうか、 代わりに 私が道筋を考えたい。現在 米中露はもちろん 北東アジアの 当事国は道筋に如何に関わるかで大わらわ のはずだ。

ところで 日本は この問題に どのように関わるのか はっきりしない。 はっきりしているのは 総理も外務大臣も まるで関係のない ところに 外遊中であること。 外務省のホームページで 担当らしき 人物を探してみた。 アジア大洋州 局の中に 北東アジア課 というのがあり この課長は 金井正彰氏、 平成4年 入省慶應義塾経済学部 卒業 の人物である。

一義的には この人物が 日本で 道筋を模索する 役割を 担うことになる。きっと今大忙しだとは思うが 情報不足で 大変だろう。 どうせ日本は 蚊帳の外で、 朝鮮戦争の終戦に関われるはずない。 後から トランプ の指示を受けて 小切手を切るだけだ。 安心して 連休を楽しんだ方がいい。

小生は 生後5年目に 終戦を実体験したが 、この歳になって 他国のことではあるが 終戦を目の当たりにするとは思わなかった。 今回も アメリカ主導で 終戦が 行われる 。 ひょっとしてトランプが 2期8年
大統領の座に居座れば、 北朝鮮も 民主化 なんてことに なりかねない。

そこで思うのだが 、アメリカ人は 相当野蛮な人種であること である。 半世紀以上にわたる 戦争の責任者を 出さずに 終戦何かありえないだろう。 一番わかりやすいのは 金正恩委員長 を 縛り首 にでもできればいいのだろうが、それはすぐには難しい。 そこで また CIA が 得意の分野で、 ほとぼりの冷めた頃合を見計らって 自然死を装って 永眠願う なんてことに なりはしないかと 予想している。

2018年5月2日水曜日

年寄り

新聞を取っていないので 少し常識はずれになるかもしれないが、 ネットで Yahoo ニュースを見ると、 今日夕方の トップニュースは ジャニーズの 人気グループ TOKIO の メンバーの 不祥事がらみの話 が1位から4位まで 続いている。 常識外れと書いたが、 逆に これが世間の常識で、 何も政治問題が 1位に来なければいけないというのではない。

街のご婦人に、 今日総理大臣や 外務大臣が どこで何をしているか ご存知の方が どのくらいいるだろうか? TOKIO メンバーのスキャンダル を 知る人の 半分もいないのではなかろうか? 本当に 日本のマスコミ 特に テレビの報道は どこか狂ってる。無意識であればよけい罪深いが、結果的に政権に手を貸し国民の目から大事な問題を逸らせている。

今更世相を 愚痴っても 仕方がない。 年寄りは 現実 の傍観者である。 今日図書館で読んだ島崎藤村の 随筆に興味深い記事があった。

曰く〔老年は私が達したいと思う理想郷だ。今さら若くなりたいなどと望まない。十人のうち九人は年を取らないで萎れてしまう。そのうちの一人だけが真の老年に達しうるかと思う。〕年寄りの一人として味わい深いものがある。

2018年5月1日火曜日

雑感

風薫る5月にふさわしい1日だった。朝8時過ぎに長女が来るとのことだったので、 5時に起床し 万年床を上げて 敷布とパジャマと 枕カバーを全部 洗濯機に放り込んだ。娘が来て用が済んだので、一緒にリフォーム中の我が家を確認。娘も予想以上に工事が進んでいることに少しビックリしたようだ。

そこで別れて、今日は国会図書館で読書兼ブログ書きの実験、 wi-fi接続も問題なし。 これからが楽しみだ。

文藝春秋5月号、大特集として[病気にならないからだ]とあった。そんなに都合よいことがあるならだれも苦労はないだろう。てな次第で真剣には読まなかったが、〔名医10人に聞く私の健康法〕をパラパラとみて思った。お歳おいくつの方々か分からないが、全員違うことを言うのは仕方ないとしても、これだけで健康法と言えるのだろうか。

少し飛躍するが、所詮病気にかからない人間なんて居よう筈がない。医者に掛かったことがないと自慢しながら歳いって大病となり、苦労している人は沢山いる。人生は快楽と苦労が代わる代わるやって来るものらしいが、量的には苦労の方が多いとされるものらしい。永遠の快楽は死によってのみもたらされる、と思えば他人の健康法など聞くだけ無駄かもしれぬ。

人は皆最善と思う生き方を選んでいるだけのことだ。少なくとも私はそうである。結果的に文藝春秋にとんだケチをつけてしまって申し訳ない。他に興味深い読み物が多かったことを書いてお詫びしたい。