2018年5月14日月曜日

子供ころの夢

5月にしては寒い日が続いたが、今日はやっと初夏らしい爽やかな日となった。昨夜は母の日だったのでブログに何か書きたかったが、 思い始めると母のことから妻のことまで思いが千々に乱れるばかりで結局纏まらず辞めてしまった。今日は少し見方を変えて、母に最も世話になった子供時代を振り返ってみたい。

現代の児童はかなり低学年時代から自分の将来について考えを持つみたいだ。昔で言えば「おませな子供」が多いのは親御さんもさることながら、殆どの家庭にテレビがあり、小さい頃から大人並みの情報に曝されているせいだと思う。我が小学生時代にテレビは無いが、ラジオは殆どの家庭にあったろうし、小学生向きの新聞は取ってもらえなくても、少年少女向けの月刊雑誌もあった。だから、プロ野球の存在や川上哲治とかスタルヒンとか青田某なんて名前だけは聞いた覚えがある。

低学年の域は既に脱していたろうが、湯川秀樹博士がノーベル賞を受賞したことも水泳の古橋広之進が世界記録を出したことも、誰に聞いたか分からないがリアルタイムで知っていた。しかし、趣味に等しい運動なんかで身を立てるなんてことを考えた小学生が当時いたとすれば、相当珍しい子であったに違いない。それに昔から運動について全く自信が無かったので、野球そのものに大した興味を抱かなかったこともある。

とは言っても、小学校時代の始業前と放課後の遊びの代表格は、竹バットで布を巻いたボールを打つ三角ベース(狭い運動場を共同で使う必要から専有面積を小さくする知恵だろう)の野球が流行っていたのも事実だ。結局は球拾いが定席みたいものだったような気がするし、勉強もそんなに好きとも言えないので湯川博士のようになるなんてことは想像すらしない。両親も子供の将来についてアドバイスらしき話なんかしないし、明日以降のことなど考えたことも無かったような気がする。

強いて言えば、日本郵船の船乗り(事務長)をしている叔父さんが、1年に1回か2回帰国すると、姉である母のところにもお土産を持ってきてくれた。これはコーヒーであったり、父にはウヰスキー(何れも生まれて初めて知った)だったりしたが、これが魅力的だったので、<船乗りになりたいな>と思ったのが将来を夢見た初めだろう。因みに父は地方のお役人だった。昔も今も役人からは子供が学べる情報は殆ど無さそうだ。

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