2018年5月11日金曜日

ジャーナリスト(記者)

マスコミで活躍する記者の中心的機能は「時事的な事実や問題に関する報道・論評」の伝達にあると一般的には定義されている。しかしマスコミの記者の中には記事を全く書かず、特定の個人のための情報収集やら伝令に徹する人物が多いのも昔からよく知られた事実である。現代のお庭番であるが、会社から給料を貰いながら、政界なり経済界の個人に忠義立てして、そっちからも何らかの報酬を得るケースが多いだろう。

こんなことが欧米社会で許されるのかどうか寡聞にして知らぬが、日本独特の現象でないかと思っている。現役時代にはそういった方と若干お付き合いもあったが、それを暴露しても分かりにくい。分かりやすい事例で言えば読売新聞の社主となっている渡辺恒雄氏、彼は自伝の中で最初は保守合同の立役者で自民党の大物副総裁だった大野伴睦氏、後に中曾根康弘総理のお庭番だったことを自ら書いている。

若手で言えば、元TBS記者の山口敬之氏なんかも自分の著書で安倍総理のそれであったことを誇らしげに書いている。会社としても、自社の記者が大物にそれだけ食い込めば、取材だけでなく何かと便利と大目に見るのだろう。であるのでそれは良しとしよう。しかし、最近は個人の使い走りを超えて明らかに政党の使い走りとなっている人物が、恥ずかしげもなくマスコミに登場してジャーナリストを気取って解説の様な事を喋る。

これは如何なものか、大いに問題だ。古来お庭番は、夜陰に紛れて殿の枕頭に侍り御用を承ったものだろう。アメリカで言えばCIA捜査官なんて役柄も似たようなものだ。その大親分が国務省長官(外務大臣)として表舞台で大活躍するのだから、自民党の使い奴の田崎史郎氏がテレビ局を掛け持ちして大活躍するのをやっかむのは大人げないかな。

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