2018年3月27日火曜日

マスコミの役割

既に九段や皇居周辺の桜が満開なったとのこと。雪が消えていくのを悲しんだのは遥か昔のこと、今や暖かくなるのが嬉しい限り。韓半島に春が来そうなことも喜ばしいことだ。早く詳しいことを知りたいが、一連の動きに置いてけぼりを食らっている国の国民だから情報が無いのは仕方るまい。戦争が近づいてくる気配であれば、我が国の政権が全く蚊帳の外にあることをもっと辛辣に書くが、幸い雪解けに向かいそうな気配だから、マスコミ批判も控えよう。

心安んじて国内コップの中の嵐の報道、報道対象の政治自体がレベルが低すぎるから仕方がないかもしれぬが、こちらの報道も相当ひどい。国会で大騒ぎとなっている財務省の大スキャンダル関連報道を垣間見る限りのことだ。政治家各々がそれぞれの思いをからいろんな言葉を発するが、それが悉く噛み合わない。そして日本語の定義についての議論が延々と続くことに先ずうんざりすが、結論はいつも蛇か蚯蚓か判然としない。将棋の藤井翔太プロを持ち出すのは少し酷かもしれないが、小中学校の生徒会に関する学校放送でもこんな意味不明な放送は許されないだろう。

マスコミは何を読者視聴者に伝えたいのか?第一どこまで事実関係を掴んだのか?例えば森本学園絡みの事件について言えば、評価できるのは朝日新聞のスクープだけだろう。元々は豊中市の市会議員(党名は忘れた)の告発が端緒だったように思うが、朝日がこれを受け止め、この報道をまともに受け止めて最初に動き出したのは共産党だったと思う。しかし一旦政治に火が付いたものの、政治家が金品を受け取ったのではなく、金を渡してどこが悪い?と開き直られて選挙にまで持ち込まれ、朝日も完敗かとがっかりしたものだ。

今は購読をやめてしまったが、朝日はよく頑張ったと思う。執念には一定の敬意を表すべきだろう。今年に入って財務省公文書の偽造と理財局長の国会虚偽答弁を導き出した。今から1年前までの安倍総理の心境は、藤原道長ではないがこの世で思うがままにならざるものは何一つなしと思っていただろう。勿論一市会議員や一新聞ごとき問題じゃない、と極めて傲慢であった。しかし今月に入って朝日の報道には心底驚いたのだろう。国会を抑えただけでなく官僚・警察・裁判所まで抑えているのだから、どこからも水は漏らないはず。ましてマスコミなんぞは金と暴力で簡単に抑えが聞くはずだった。

嘘を隠し続けるためには更に多くの人間を巻き込まねばならない。さぞ頭が痛いことだろう。しかし常に多数が正義で少数が悪とは言い切れないし、正義が常に勝つとも限らない。いつも勝った方が正義になるわけだ。コップの中の嵐がどのように収まるのか知らぬ。冒頭に心安んじてと書いてしまったが、見苦しい立ち振る舞いの者が多くて嫌になる昨今である。

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