2022年12月22日木曜日

罰当たり

最近少し下火になった宗教問題を考えてみた。何度も書いたと思うが神棚も仏壇も無い家で育ったので、子供の頃には特に宗教への関心は無かった。ただ小学校に上がる頃になると、俄然宗教心が芽生え始めたとも言える。何と言っても故郷長野市は全国的にも有名な善光寺の門前町。更に各町内には大抵氏神を祀る神社もあった。その上、近くにキリスト教の教会も沢山あって、低学年時代には親に言われたか、友だちに誘われたか記憶が無いが、毎週日曜日には聖公会の教会に通った時代もあった。

神社は年に一度のお祭のために存在していたようなもので、特に宗教心に影響は及ぼさなかったと思う。神様と仏様の違いは未だに十分理解できていないが、小学2年生の頃かと思うが、隣の家にお坊さんが来て紙芝居をやってくれた。それが今でも記憶に残っているのだから相当なインパクトだ。タイトルは「蜘蛛の糸」、芥川龍之介の小説になってるくらい有名なあれだ。当時天国はピンときていなかったが、子供心に地獄の恐ろしさだけは焼き付いていた。たとえ蜘蛛一匹でも殺生はいけないこと、自分一人で苦しみから抜け出すために他人を蹴落とすと、結局我が身も同じ目に会うこと。それを差配しているのが神様や仏様だ。非常に分かりやすかったとも言える。

教会の日曜学校でも牧師さんの説教はいつもあったが、記憶に残る言葉が思いつかない。もう一つ子供時代に、視覚的印象が強いことがある。それは父が毎朝庭に降りて、手を合わせて何やら一生懸命拝んでいたこと。多分太陽に向かって感謝を捧げていたのではと勝手に解釈してるが、直接説明を受けた記憶は無い。3つめで最後になるが、中学3年生の秋頃だったと思う、子供の頃から可愛がってもらった祖母が訪ねてきて教えてくれた。「旭山(すぐ近くの里山)の観音様は霊験あらたかで、生涯3回は望みを叶えてくださるから、高校入試が成功するようお願いに行ってきたら良い。」

これが我が他力本願の始まりに繋がった。このように思い返すと、不思議に母の教えが出てこない。女性が宗教に無関心だなんてことはありえない。亡き妻は、自分の時も娘たちの時も含め、何度も日本橋の水天宮様に安産祈願で足を運んでいたし、娘たちにも受験前には神田明神に願掛けするよう督励していたようだ。

母のことは兎も角、こうして小生は宗教心を培われ、結局どうなったか。47歳で最初の会社を辞めた年から毎年大晦日か元日に伊勢神宮参拝を習慣化した。これも他力本願の極みで、どうせだったら八百万の頂点に建つお宮だから良いだろうと浅ましい心根。そして2017年に妻を亡くすと、お伊勢参りは止めて、急に仏壇を購入してお釈迦を毎朝拝んでいる。 

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