2013年11月18日月曜日

廃品処分が問題 

小春日和の月曜日、暖かいこともあるのだろう、加えて暫く山歩きを休んでいるせいか足腰が大分軽くなったような気がする。やはり山歩きは大分負荷が大きいと改めて実感している。今のところは並足ストリートウォーク約1時間が一番体に合っているようだ。例え1日5キロ程度でも毎日続ければ、健康上は少しは役立つだろうと信じている訳である。ところで歩行と言えば履物が問題だ。近くのスーパーで2千円ぐらいのスニーカーを2足買って1日交代で履いているが、靴の裏の減りが結構速いように感じる。大凡1年では履き潰してしまうだろう。新しいスニーカーを購入する時はその場で履き替え、古いのを処分してもらっている。

それでも昔に比べれば、履物も大分長く持つようになった。小中学生の頃も下駄の歯の減りが早く、更には下駄を割ってしまうことが多かったので母がよく嘆いていた。高校に入ると高下駄を履くようになったので、流石に下駄が割れることは少なくなったし、高さがある分大分長く履けた。いよいよになると下駄屋で歯の交換をしてもらったのが懐かしい。思い起こしてみると、当時から歯の減り方が均等でなく外側の減り(片べりと言った)が激しかった。今でも靴の減り方が同じで、歩き方が偏らないように気を付けているつもりでも全く進歩が無いのが情けない。人間本質的なところは何事によらずなかなか進歩できないものだ。

兎に角、僅か1世代のうちに衣食住環境の変化がこれほど激しい世代は、今後を考えても珍しいのではなかろうか。例えば現在二人暮らしの我が家でも、下駄箱の中には下駄が1足もない上に靴が収まりきらない程詰め込まれている。多分どこの家庭でも似たようなものだろう。昔の下駄箱には父の革靴1、2足と両親のよそ行きの下駄に足駄くらいしか入っていなかったので、中を覗けばきちんとしたものだった。当時7人家族の下駄箱と現在我が家のそれと大きさは同じくらいだが、中の落ち着き具合は雲泥の差だ。

収拾がつかぬほどと言えば、衣類や本なんかも同じことだ。元来買い物なんか好きではない口と思いながらも半世紀近く経つと、衣類や本が随分溜まってしまう。本は2回ぐらい思い切って全処分したが、また段々溜まりつつあるのが気になる。衣類は処分のしかたが分からないので、襤褸に囲まれて生活しているようなものだ。従って狭い我が家は益々狭くなる。

広さ的には中学時代に7人家族で生活していた家とさほど変わらないと思うのだが、当時の家の佇まいが懐かしい。昼間は各部屋の用途に応じた空間が確保され、全ての衣類や布団は両親の部屋に置かれた洋服ダンス1本と和ダンスが3本か4本とそれぞれの部屋の押し入れにが格納され、部屋の中に衣類がぶら下がっている光景はどうしても思い出せない。今の我が家には、もし客が来ても落ち着ける空間がゼロである。

新婚したての頃は毎晩のように会社の友人を招待して泊まってもらったが、今やそんなことは夢の又夢になってしまった。我が家のゴミも原発の高レベル放射性廃棄物も似たようなものだ。笑

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