2012年10月23日火曜日

マスメディアの関心事

大阪市長を叩いた週刊朝日が大問題を引き起こした。先週末金曜日にバス旅行の友に買いたいと思ったが、手遅れで買えなかったので読んでいない。騒ぎが大きくなったので、余りに品性を欠いたと大凡の見当はついたが、喧嘩を売った相手が悪すぎて少し同情もしたくなる。その事は置くことにして、メディアの別の面について書きたい。

分からない事の多い世の中だが、司法と行政の境がイマイチよく分っていない事を予め言っておきたい。分立なんて言ってはっきり線引きされるのがいい訳ではないだろうし、社会に貢献するために互いに協力するのは大いに結構だと思う。法務大臣の辞職報道に接してふと思った。当然ながら警察や検察の不祥事が重なった故の引責ではない。メディアに旧悪を暴露され引き摺り下ろされたに他ならない。

そもそも法務大臣は閣僚名簿のトップに上げられ、いかにも偉そうに演出されているが、過去の誰をとってもあまり印象に残る仕事をしているようには思えない。印象に残るのは唯一、田中角栄氏逮捕の時にトボケて故郷の川で釣りをしていた稲葉修氏くらいだ。法務大臣ほど歴代官僚の言いなりになっている大臣はないのではなかろうか。

大臣からすれば下っ端の官僚だが、警察官や検察官はどうしても司法の人間と錯覚してしまう。普通の人は違うのかもしれないが、少なくとも小生はどうしても正義の味方と思い込んでしまう。しかし、そのトップに立つ大臣だけは、選挙で選ばれた普通の小父さんなので何か違和感があって仕方がない。トップより下っ端が偉く、トップなんか居ても居なくても同じこと。

事務次官から下は庶民感覚から全くかけ離れた世界で、普段からやりたい放題をしているようだ。従ってどんな不祥事が起きようと、稀に組織上の問題を指摘されようと屁の河童。精々トカゲの尻尾を切り捨てるだけで凌いでいる。それこそ極々稀に、例えば郷原信郎氏のように検察内部から問題を指摘する声が上がっても政治家やメディアはフォローしない。

田中慶秋氏が善人とも思えないし、事実を暴露すること自体否定するつもりもない。しかし大臣は怖くないから、田中慶秋氏のように滅茶苦茶ぶっ叩くが、警察や検察官或いは組織そのものに対しては知らん顔をする。これで日本のマスメディアは本当に言論の自由や民主主義を守ることができるのだろうか?

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