2010年6月14日月曜日

囲碁の楽しみ

東京も今日から梅雨入り、少し寒いが仕事部屋に来る途中のお宅の玄関先で紫陽花が濃い紫の大輪で咲いている。我が家にも大阪勤務時代の20年以上前に家内が六甲山から移植した額紫陽花があるが、これは水色だが年々色が薄くなってきているそうだ。庭で見ると少し寒々としているが、玄関に切り花で飾っているのを見ると涼しげで夏らしい。

昨日は碁会所で月例になっている囲碁大会、今回は6人のリーグ戦だったが先月に引き続き優勝してしまった。賞品で又3000円のクオカードをゲットしたので娘に喜んでもらえそうだ。普段の土日に決して勝率が良い訳でもないし、2回連続なんて予想だにしなかったので自分でもびっくりした。最近すこし意識している原則「弱い石を作らないように」がたまたま功を奏したのかもしれない。

囲碁の面白い所は実力に相当の差があっても試合が出来るところにある。、柔道などの格闘技に段位がある事は大方がご存じだろう。柔道5段の人と初段では恐らく試合にならない筈だ。囲碁の場合は弱い人に「置き石」というハンディを与える事で試合になってしまうのだ。例えば昨日小生に勝った一番強いとされる席亭(碁会所の主人)が全ての人の勝てるかと言うとそうでもない。彼も2敗した。

ハンディの決め方は席亭が試合前に普段の成績から決める。昨日の小生の持ち点は260点、5人の対戦相手点数はA:360点、B:290点、C:245点、D:220点、E:210点。これで小生はAさんには9個石を置いて試合を始める。Bさんには3個、C、D、Eさんには逆に2個、4個、5個の石を置かせて打つ事になる。更に細かいハンディがあるが省略。結果はAさんに持碁負け(囲碁としては引き分けだが、勝敗は点数の多い方が勝ちと決められている)、BさんからEさん4人に全勝する事が出来た。

知らない方には不思議だろうが、囲碁は19×19の交差点361点に黒石と白石を変わりばんこに置いて、交差点を多く囲った方が勝ちの一見単純なゲームである。従って最初に石を9個も置いて何処かを囲っておけば間違いなく勝てそうなものである。ところが後から石を置き始めても、石の働きでいつの間にか後攻めの人が多くの地(交差点)を囲う事がまま起こる。

しかも互いに手品を使う訳でもなく、盤は互いの目前に置かれているし、一度置かれた石が動く事も無い。ところがある局面であるところに石が一置かれると、それ迄に何の役にも立たないと思っていた石が急に命を吹き込まれたように生き生きと働きだす事が良く起きる。しかし常に相手が居てこちらの構想を邪魔したりするので、不思議なくらい自分で思うように地(交差点)を囲う事にならない。しかし相手の打つ手がこちらにとって予想外の手を生じさせてくれる事もある。


ある人に言わせると囲碁の変化の様相は正に人間関係の変化を象徴しているとも言う。要は自分の都合だけ考えていると幸せにならない、相手の言い分を聞きながら(想像するのである)自分に都合の良い立ち位置を考えると言う事らしい。プロは交互に打つ石の姿を何手も先まで頭の中でイメージする事が出来るのだそうだ。小生なんぞは自分が置いた石の次の手を相手がどこに打つかイメージする事すら難しい。とは言っても勝敗よりもこの千変万化の面白さに病みつきになりつつある。

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