父の日

今度の日曜日に信州の山に行く計画があったが、天気が見込めないので中止になってしまった。夕べそんな事になるだろうな思いながら婆さんと話している時の事。「20日は父の日か?」と問うと「そうだけど?日本は古来、年がら年中父の日だから1日を特定して父の日なんか必要ないのよ。」要するに我が国では母の日には意味があるが父の日はあまり意味がないらしい。「ご尤も」なのか「恐れ入りやした」は人それぞれだろう。

毎年5月26日の親父の誕生日前後には父を偲んで何か書いてきたような気がするが、今年は何故か書きそびれてしまった。久し振りに親父の思い出を探っている。亡くなった年も覚えていないので改めて調べると平成8年11月となっているから、もう14年も経っている。もうそんなになるのか、の思いが強い。

我々の年代には同じような経験者が非常に多い筈だが、父が5年ぶりに外地から復員してきたのは小生が小学校に上がる年の2月か3月だから、幼い頃の父親の記憶は一切ない。その後18歳で大学進学のために上京したので、一緒に生活したのは10年ちょっとしかない。その間も父は働き盛りで仕事が忙しかったのだろうし、兄弟が私を含めて5人もいたので、親子二人だけで何かしたとか私だけ怒られた事はごく稀である。

しかしそうは言っても親父の印象は強烈で、人格形成に大きな影響があった事は認めざるを得ないだろう。父は農家の5人兄弟の末っ子に生まれ、兄弟の中でただ一人大学まで出た事を誇りに思っていたと同時に、常に両親と兄弟に感謝の言葉を口にしていた。又百姓の出身らしく勤勉で几帳面であって、若い時からかなりの高齢になっても花や野菜を育てるのを趣味にしていた。少なくても私の年齢70歳頃は未だ盛んに野菜を作っていたのを覚えている。

これは実益よりも健康維持のためだったのだろう。出来すぎる野菜をどのように処分するかで兄嫁さんは苦労をされたに違いない。一緒に暮らしている頃は子供たちには非常に怖い存在で、母に抵抗しても「お父さんに言うからね!」と言われると怖くなって抵抗が続かなかったものだ。一番怖かったのは高校3年生の夏休み直前、学校で校内暴力事件を起こした時の事だ。

何食わぬ顔で帰宅していたのだが、夕方学校から連絡があり、担任が自宅にやって来て事件がばれてしまった。たまたまその日は父が出張中だったのかもしれない。母と祖母が担任に向き合って事情を聴いた。二人とも「たかが子供の喧嘩で」と嘆いていたが、こちらにはそんなにきつくなかった。翌日母と連れ立って被害者宅に行き、母が土下座せんばかりに泣いて謝るのを横で突っ立って見ていたのを覚えている。こっちは、親父に何と言ったらいいのか、頭の中はそればかりだった。どう考えても良い知恵が浮かばない。

その時母が家出を勧めてくれたのだ。今にして思えば親父も良い親父だったが、母はそれ以上かもしれない。こちらは二つ返事でその場から直ぐに駅に直行、東京に住む兄貴の所に出奔してしまった。上野に着いて電話をしたので兄貴もびっくりしたと思うが、自分の住まいする学生寮への道を教えて宿泊の段取りをしてくれた。そして翌日親父から寮に電話が掛かってきたのだ。親父は別に怒るでもなく「兎に角一度帰ってきて、一緒の校長の所に行こう。」だけだったような気がする。

そして兄貴からも「やはり一度帰れ。」と言われ、又夜汽車に乗って帰宅したのだが、この夜行列車に揺られて思った事は生涯忘れられないだろう。帰宅して親父に何と謝ったか記憶に無いのだが、何故かその時怒られた記憶がない。その後親父と二人通学路を歩いて行った事、校長室のソファに座って校長と親父の談笑をを聞いていた事が記憶に残っている。確か、「現代では男の子の元気も良いが、程々にしておかないと・・いろいろうるさいのでよろしくお願いします、早速お母さんが謝罪に行って頂いたようで・・・・」てな調子だった筈だ。

当時の現代だからこの程度で済んだのだろうが、これが今だったらとてもこれでは済まなかったろう。ひょっとしたら親父の職業に響いたかもしれない。それまで親父から勉強や進学について特に言われた事は何もなかった。ただ自分自身では毎学期ごとに発表になる席次が、入学以来つるべ落としに落ちている事が気にはなっていた。しかしこの事件がきっかけで、我が人生は大きく舵を切ったと思う。進学についても真面目に考えるようになった。

親父から勉強の事で言われた言葉で記憶残っているものは殆ど無いが、この時のこの言葉は今でも鮮明に記憶している。
「この夏休みからJapan Timesを取ってあげる。だから必ず毎日
"editorials"欄を読みなさい。」それから約半年後、まがりなりに進学が出来たのはそのお陰だった。

コメント

TAK さんのコメント…
これは読ませますね。
高校時代殆どお付き合いがなかったので、こんなドラマがあるとは全然知りませんでした。
某商業高校のワルと護国神社の境内で決闘をしたとの武勇伝を聞いたことがありますが、その辺も期待します。

このブログの人気の投稿

慶応義塾入学式 期待が膨らむ

読後感「新天皇と日本人」小山泰生著

何もかも関係ない話だ