2017年7月27日木曜日

金権を排し勤倹はどうかね

働く術がなくなった老人は、若い人たちが活躍する娑婆を遠く離れて見守るのぐらいが良いので、出しゃばって口出ししてはいけない。一応理解していても、困ったことに後期高齢者になっても減らず口を叩く元気だけは残ってしまう。その分若者の活力が減少していくことについて、為政者や労働貴族の皆さんには真剣に考えてもらいたい。

我が親の時代は、明日の米さえ無かったとされたほど日本中が本当に厳しかったと聞く。その環境下で育てられたので余計思いが強いのかもしれぬが、現代の親達にとって最大の関心事は何だろうか?もちろん知る由は無いが、昔の親達の最優先課題は、子供に何を食わせて育てるかにあったように思う。いつの時代も同じことだろうが、子を持つ親は今得ている職業・職場で一所懸命働くしかない。これまた時代を超える名言と思うが「稼ぐに追いつく貧乏なし」だ。

若い時は貧乏が当たり前だが、その中で子育てをどのように位置づけるかが、昔と今では大分異なるのだろう。兎に角今は両親にとっても欲しいものが目前に山の如しだ。だから先ずは家庭或いは子供より、稼ぎを増やすために上司にゴマを擦ったり、転職を考えたくなる。最悪になると連れ合いまで替えようかなんてことになりかねない。これが昨今の傾向とすると・・・・・てなことで次が頭に浮かんだ。

家族関係から少し離れて政治を考えてみると面白い。数日前(25日)のブログに参議院議員山本太郎氏の「政府は国民をコストとしてしか見ていない。」発言を引用した。多少悪意を持ってしたのだが、家庭における子供と国家における国民はコストと言う意味で似ているではないか。成長成長と前のめりに陥ることを避け、乏しい財源から特に子供即ち国民への分配に思いを致すのもまともな政策判断の一つだろう。その際所得の少ない家庭から配慮し、自己責任で間に合っている層との線引きをどこに置くかが、正に政治の要諦だ。

家庭においてはお父さんが一所懸命働いているなら、お母さんが子供たちに友達と同じ物を欲しがらないように、我が家の限界をそれとなく教えることが最も大切と思うが、政治においても似たようなことはあるだろう。「世論の批判に耳を貸さない。」も良しとしよう、但し無いものや金をあるとしないで、ある範囲で配分の順序は考えてもらいたい。話が支離滅裂で、説教めいた話になってしまったが、人間耄碌してくると、どうしてもそうなってしまう。

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